西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第三十一番札所 長命寺 ~汚れの現世を遠く離れる八百八段の石段 幻の西国十番札所~

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長命寺境内

西国三十三所の第三十一番札所は、姨綺耶山いきやさん長命寺ちょうめいじです。琵琶湖周航の歌ではなぜか「西国十番 長命寺」と歌われています。琵琶湖に面した近江八幡市の小山に建っており、まさに風光明媚な霊地です。昔の巡礼者は、竹生島から船で直接長命寺の麓に乗りつけたそうです。

長命寺の巡礼情報

長命寺の石段は山麓から数えて808段あるそうです。しかし次の観音正寺は麓から1,200段あるそうですから、400段近い差があります。しかし、石段の勾配の急さではこちらの方が勝っているかもしれません。この急な石段を登った先に長命寺があるというのは、昔の方は歩くことと健康長寿を結びつけていたんでしょう。今はお寺の近くまで車で行くことができます。

長命寺の縁起

長命寺はホームページをお持ちではありませんが、詳しい縁起は西国三十三所札所会のホームページ*1で見ることができます。

それによりますと、「長命寺」という寺号の由来は、遠く武内宿禰たけのうちのすくねにさかのぼるそうです。

第12代の景行天皇20年のこと、すでに長寿だった大臣武内宿禰がこの山に登り、柳の巨木に「寿命長遠 諸願成就」と刻んで長寿を祈りました。すると、300歳以上もの長寿を保つことができ、6代の天皇に仕えることができたそうです。

その後、聖徳太子が諸国を歴訪していた際、この山に来られたところ、柳の巨木に例の文字を発見しました。すると巖の陰から白髪の老人が現れて、「この霊木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻み、伽藍を建立しなさい。そうすれば武内宿禰大臣も大いにお喜びになり、諸国の万人が崇拝するお寺となるだろう」と太子に告げた後、たちまち姿を消してしまいました。そこで聖徳太子は、早速手ずから尊像を刻まれ、伽藍を建立して武内宿禰の故事にちなみ「長命寺」と名づけられた、ということです。

 

聖徳太子が千手十一面聖観音の三尊一体の像を刻まれたことになったことについて、民俗学者の五来重さん*2は、次のように述べておられます。 

この山は山岳宗教、磐座宗教があったために、十一面観音がまつられています。

したがって、磐座の信仰と水辺の千手観音、長命の柳の大木の信仰が一つになってきます。千手観音だ、十一面観音だといっていては、不統一なことになりますから、千手観音の徳も十一面観音の徳ももっているのが聖観音だということにしたわけです。聖観音だというとすっきりするとおもいます。

ですから、もとは山の上のお寺と山の下のお寺があったと考えたら、いちばん簡単です。現在の山の中腹に寺地を定めたときには、両方をもってきて、さらに聖観音をまつりました。山の上の十一面観音と山の下の千手観音をまつって、三尊一体にしたという歴史の背景をしのばせるのが長命寺本尊のあり方です。

長命寺の見所

長命寺の見所をご紹介します。

本堂

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※本堂

室町時代の永正13(1516)年の焼失後、大永2(1522)年から4(1524)年にかけて再建されたそうです。長命寺内では現存する最古の建築で、国指定の重要文化財となっています。ご本尊内陣中央のお厨子(※附つけたりとして重要文化財)の中に安置されており、中心に千手観音立像、左に聖観音立像、右に十一面観音立像がおられます。これらの像も、すべて国指定の重要文化財となっています。

閼伽井堂あかいどう

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※閼伽井堂

千手観世音菩薩を安置しているとのことで、昔天智天皇がご臨幸された際、柳の木から感得されたという旧跡だそうです。参詣人が一心に称名念仏すれば、水の泡が湧き出てくるということから、俗に念仏井堂とも言うそうです。

三重塔

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※三重塔

本堂と同じく室町時代の永正13(1516)年に焼失した後、安土・桃山時代の天正17(1589)年から慶長2(1597)年にかけて再建されたそうです。高さは24.35メートルあるそうで、滋賀県内に現存する三重塔7基の中で2番目の高さを誇るとのことです。国指定の重要文化財になっています。ご本尊は大日如来坐像で、四天王立像とともに、近江八幡市の指定文化財になっています。

護摩堂

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※護摩堂

江戸時代初めの慶長11(1606)年に再建されたそうで、国指定の重要文化財になっています。ご本尊として不動明王が祀られており、諸願成就を護摩祈祷する道場でした。

三仏堂

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※三仏堂

オリジナルの建物は平安時代末期の元暦元(1184)年に佐々木秀義の菩提を弔うため、その子の佐々木定綱が造立し、釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来の三尊をお祀りした、とされます。現在の建物は室町時代の永正13(1516)年の焼失後に再建されていて、渡り廊下で繋がる護法権現社拝殿と同時期の永禄年間(1558~1570)の再建と考えられているそうです。滋賀県の指定文化財となっています。

護法権現社拝殿

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※護法権現社拝殿

長命寺の開山とされる武内宿禰を護法神としてお祀りしており、三仏堂と渡り廊下で繋がっています。室町時代末期の永禄8(1565)年ごろの建立と考えられているそうです。なお、奥の本殿はさらに新しく、江戸時代後期の再建と見られている、とのことです。

修多羅岩すたらいわ

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※修多羅岩

修多羅とは、仏教用語で天地開闢・天下太平・子孫繁栄をいう言葉だそうです。ここでは、武内宿禰のご神体とされています。

鐘楼

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※鐘楼

江戸時代初期の慶長13(1608)年に再建されたもので、国指定の重要文化財になっています。袴腰ですが、西側の1辺だけが長くなっており、特徴的な建築となっているそうです。梵鐘鎌倉時代のものと考えられており、滋賀県の指定文化財となっています。

如法行堂

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※如法行堂

勝運将軍地蔵尊、智恵文殊菩薩、福徳庚申尊をお祀りするお堂です。

太郎坊権現祠拝所

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※太郎坊権現祠拝所

室町時代後期の天文年間(1532~1555)に、長命寺普門坊というお坊さまが仏法護持のために魔王の形となってしまったそうで、それを鎮めるために祠を建てて太郎坊権現を勧請したそうです。太郎坊権現とは、愛宕山の天狗神のことを指し、それゆえ愛宕山から飛来した石と爪堀手水鉢が本殿の傍にある、とのことです。

長命寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

やちとせや やなぎにながき いのちでら

 はこぶあゆみの かざしなるらん

(八千年や 柳に長き 命寺

   運ぶ歩みの かざしなるらん)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*3によります。

この寺は、柳の木にご縁が深い寺です。その昔、武内宿禰がこの山の柳の大樹の幹に「寿命長遠 諸願成就」の八字を記したこと、聖徳太子が柳の大樹で現在の御本尊三尊一体の観音聖像を刻まれたこと、さらには天智天皇ご参詣のときの柳の小枝の奇瑞等、みな柳にゆかりの物語です。古来柳の木は、なよなよしているようですが、「柳に雪折れなし」という言葉がありますように生命力の強いもので、柳はさし木によってどんどん増やすことができるといわれています。花山法皇の御心にも、御歌の奉納にあたり柳がまず最初に心に浮かんだことと思われます。

「八千年や」は柳の寿命の長いことの形容です。「柳に長き 命寺」は命の長い柳を、長命寺の寺名に掛けられた掛け言葉です。「運ぶ歩みの」は、巡礼たちがはるばると旅を続け、八百八段もの石段を上ってお参りする一足一足です。

日本の国歌「君が代」でも「千代に八千代に」と歌われているとおり、「八」は長くしたいものをより強調する場合に使われるようです。「命寺」では意味が分かりませんが、その前の「長き」とくっつけて長命寺を指しています。

「かざし」というのは「挿頭」と書き、簡単に言えば後の簪かんざしのことですが、古来、植物の生命力を身につけようとする呪術的な意味合いがあったそうです。柳にあやかって、808段の石段のように長い寿命をつけたいものだ、と詠んでいるのかもしれません。

長命寺へのアクセス

西国三十三所札所会のホームページ*4に簡単なアクセス情報が掲載されています。

公共交通機関

JR「近江八幡駅」から近江鉄道バス「休暇村近江八幡」行または「長命寺」行に乗車、「長命寺」下車徒歩約25分(「近江八幡駅」から約50分)。

お車

名神高速道路「竜王IC」から北に約30分。

駐車場あり。約30台。無料。

長命寺データ

ご本尊 :千手十一面聖観世音菩薩三尊一体

宗派  :単立

霊場  :西国三十三所 第三十一番札所

     聖徳太子御遺跡霊場 第35番

     近江西国三十三所 第21番

     びわ湖百八霊場 第72番札所

     神仏霊場巡拝の道 第143番

     近江七福神(毘沙門天)

所在地 :〒523-0808 滋賀県近江八幡市長命寺町157番地

電話番号:0748-33-0031

拝観時間:8:00~17:00

拝観料 :無料       

 

第三十番 宝厳寺 ◁ 第三十一番 長命寺 ▷ 第三十二番 観音正寺

南坊の巡礼記「長命寺」(2021.5.3)

スタンプをもらいにJR「長浜駅」に行ったり、お昼を食べたりしていたので、結局長浜港の駐車場を出たのは13時30分ごろになっていました。ここから南下して長命寺を目指します。

高速道路を使うという方法もあったのですが、高速料金が1,560円かかってしまいます。この日はすでに竹生島クルーズでもお金を使っていますので、下道を行くことにしました。しかし、これが結果的には失敗でした。

皆さん、車で結構出かけておられます。道路はそこそこの渋滞で、結局長命寺までは1時間半もかかってしまいました。到着が15時ちょっと前になってしまったので、次の観音正寺は翌日に回した方がよさそうです。まあ、三十三番札所の華厳寺と同じ方向ですから、問題ないでしょう。

下道の道順としては、ひたすら県道25号線さざなみ街道を南下するだけです。 最後の最後で運河を渡る橋が出てきますが、その手前の「長命寺町」という交差点を右折しましょう。そのまま行けば右手に長命寺への山道を示す看板等が出てきます。この辺に車を停めることもできるようですので、車を停めて808段の石段を登ってもよし、山道を車で登ってもよし、です。

私は車でどこまで行けるか、というレポートも兼ねていますので、そのまま山道に入りました。離合が難しい細い道です。こちらの道を歩いて登っておられるご家族もいらっしゃいました。

登り切ると、右側に細長い駐車場が現れます。そちらに入りましょう。しかしこの日は、竹生島が混んでいたのと同様に、長命寺も結構車が多かったです。実は駐車スペースがすでにいっぱいになってしまっており、他の車にならって、白線はないけれども邪魔にならないスペースに、車を停めさせていただきました。人が多いGWの参拝は考えものですね。

駐車場の端の、石段と接続するところにはこのような石碑も建っていました。

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※長命寺を示す石碑

なぜか亀の上に載っていますね。なお、駐車場にはトイレもありました。

早速、上の写真の奥に写っている石段を登り始めます。ここからでも5分くらい登らないといけません。なかなかの急勾配です。

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※石段

すぐに山門のようなところに着きました。

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※山門?

奥を見ると分かるように、石段はまだ続きます。

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※本堂正面

ラスト頑張って、伽藍の中枢に到着です。ここはいきなり本堂があります。また、石段を登り終わってすぐ左側に、琵琶湖周航の歌の歌碑がありました。

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※琵琶湖周航の歌歌碑

これは6番の歌詞ですね。ちなみに私の下の名前は、5番の歌詞に登場します。まあ、漢字ではないですが。

しかし、なぜ西国十番と詠んだのでしょう。語呂がよかったから、としか考えられませんが。おそらく誤解、ということはあり得ないと思います。『平家物語』と同じ七五調のリズムを重視した結果でしょう。

まずは本堂へ向かいます。本堂は、側面から入るような感じになっています。

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※本堂側面

中に入り、じっくりと納経をさせていただきました。人が多いので少し気を遣います。その後は納経所に並びました。納経所は、上の写真の左に見えているガラス窓のところです。お二人でやっておられましたが、ここも結構待ちました。並んでおられる方はそれほど多くないのですが、いろいろ質問などされる方もおられたようです。また、こちらのお寺も宝厳寺並みに丁寧に書いてくださいます。うーん、滋賀県の湖東エリアの札所はご宝印が丁寧なんでしょうか。ちなみに私の前には、何となく見覚えがある外国人の方が並んでおられました。

ここからは、石段下から見て右側、地図上では東側の方へ行きました。三重塔護摩堂などがあります。

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※三重塔

続いて、反対側のゾーンへ進みます。

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※手前から護法権現社拝殿、三仏堂、本堂

本堂から三仏堂護法権現社拝殿は渡り廊下で繋がっています。そして、その奥にもまだ上がっていけるところがあります。

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※下から見た鐘楼

境内の西側ゾーンも少し高くなっています。振り向いて本堂の方を撮ると、こんな感じでした。

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※境内の様子

護法権現社拝殿三仏堂本堂はすべて檜皮葺きひわだぶきで、奥の三重塔だけ杮葺きこけらぶきとなっています。

お稲荷さんも祀られていました。

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※稲荷大明神

一番奥に、太郎坊権現祠拝所があります。その横にある岩もすごいですね。このお寺も岩信仰がありますが、それもうなずけます。

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※太郎坊権現祠拝所横の大岩

拝所のなかでお参りさせていただきました。

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※太郎坊権現祠拝所の中

ここからの景色がとても素晴らしいです。

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※拝所からの景色

この近辺の景色について、随筆家の白洲正子*5さんは、次のように述べておられます。

近江八幡市の北側は、半島や入江にかこまれて、複雑な地形を形づくっている。長命寺はその中の一つ、奥おきの島の突端にあり、津田の入江に臨んでいる。

そう書いただけでも、景色がいいことは想像がつくと思うが、町をはずれて山道へ入って行くと、小さな池や水たまりがたくさんあって、芦の中に水鳥が群れている。こういう景色を現わす のに、何かいい言葉があったと思うのだが、思い出せない。しばらく経って、それは「潟」だと気がついた。

テレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」第8弾で太川陽介さん、蛭子能収さん、中山エミリさんたちが鳥海山に登っておられるのですが、そこで見ていた象潟きさかたの景色も確かこんな感じでした。白洲さんのおっしゃるとおり、まさに「潟」の風景なんで.しょう。

ここで、納経所で私の前に並んでいた外国人の方から話しかけられました。ご夫婦?で来られているようです。どのように話しかけられたかというと、要するに「竹生島にいましたよね?」ということです。最初その “Tikubushima” の発音がうまく聴きとれず、「?」という反応しかできなかったのですが、何回か聞いているうちに「ちくぶしま」と理解できて、「ああ、そうだ!」と思いました。宝厳寺の納経所で私の次の次に並んでいた方だったのです。私もテンションが上がり、“Yes! Yes!” と答えます。彼がさらに “Next Kannonshoji?” と聞いてきたのですが、この時点で15時30分になっており、観音正寺納経所が閉まる時間も分からなかったので、“Now,15:30. Maybe Temple is closed.” と適当英語で受け答えしました。すると彼も納得したようで、“See you tomorrow!” と言ってくれましたので、明日の再会を期してお別れしました。会えたらうれしいですね。

ここからはまた石段を下り、駐車場に戻りました。後は帰るだけです。スタンプをもらうために、JR「近江八幡駅」に寄り、ナビに従って出発します。しかしなぜかナビが竜王ICに案内してくれず、一つ先の栗東ICから高速に乗る羽目になりました。途中の道が地味に混んでいて、かなり疲れましたね。

いよいよ翌日は三十二番の観音正寺、三十三番の華厳寺で結願となります。どんな気持ちで迎えるのでしょうか。楽しみです。

というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「宝厳寺」(2021.5.3) ◁ 南坊の巡礼記「長命寺」(2021.5.3)

南坊の巡礼記「長命寺」(2021.5.3) ▷ 南坊の巡礼記「観音正寺」(2021.5.4)

 

最終更新:2021.7.4

*1:西国三十三所札所会ホームページ「長命寺」2021.7.2閲覧

*2:五来重『西国巡礼の寺』角川書店(1996)

*3:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)

*4:西国三十三所札所会ホームページ「長命寺」2021.7.2閲覧

*5:白洲正子『西国巡礼』講談社(1999)