西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第三十三番札所 華厳寺 ~門前街がにぎわう札所の終着駅 西国巡礼満願のお寺~

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華厳寺境内

西国三十三所の第三十三番札所は、谷汲山たにぐみさん華厳寺けごんじです。西国三十三所の結願のお寺であり、札所で唯一、近畿を離れた岐阜県に存在しています。旧美濃国随一の霊場として、今でも参拝客が絶えないお寺です。

華厳寺の巡礼情報

華厳寺は岐阜県揖斐郡揖斐川町にある札所で、近畿圏から外れることからもかなり交通の便が悪い札所となります。しかし苦労して行くからこそ、結願のお寺としてふさわしいと言えましょう。門前街は長谷寺と同じくらいかそれ以上のにぎわいを見せており、この地域にとって華厳寺が重要なお寺であるということがうかがえます。谷汲山華厳寺参道のイメージキャラクターとして、いのりちゃんというお遍路の姿をした女の子のキャラクターが、参道のあちこちで出迎えてくれます。

華厳寺の縁起

華厳寺の成立縁起は、華厳寺のホームページに詳しく記載されています。

kegonji.or.jp(2021.7.5閲覧)

それによりますと、お寺の創建は平安時代初期の桓武天皇の延暦17(798)年のことで、開祖は豊然上人、本願は大口大領という人物であったとされます。奥州会津出身の大領はかねてから十一面観世音菩薩の尊像を造立したいと誓願していましたが、なかなか遂げられませんでした。そこで奥州の文殊堂に参籠して一心に霊木を得んことを祈願し、7日間の苦行の満願の日の明け方、14、15歳の童子が現れてお告げを賜り、ようやく霊木を手に入れました。その木を運んで都に上り、仏師に尊像を作ってもらいました。

そしてその観音像を奥州へ運んでいこうとしたところ、何と観音さまは近くにあった藤の蔓を切ってお杖とし、笠をかぶられ、わらじを履いて歩き出されたそうです。途中、美濃国赤坂というところで立ち止まられ、「遠い奥州には行かず、ここより北5里の地に霊地があるので、そこで衆生を救おうと思う」とおっしゃられて北に向かって歩き出されたのでした。

そして谷汲の地で観音さまは足を止められ、急に重くなってまったく動かなくなってしまわれたそうです。その地にはすでに豊然上人という聖が住んでいたので、大領は協力して堂宇を建てて尊像を安置しました。するとお堂近くの岩穴から油が滾々と湧き出てきたので、後に醍醐天皇が「谷汲山」と名づけられ、「華厳寺」の扁額を賜った、ということです。

 

大口大領と言っていますが、五来重さん*1によると、「大領」とは古代の官職名で、大宝律令以後、国造くにのみやつこが郡の大領に変わっていったということです。要するに、地方統治の官であったということですね。

また、岐阜県瑞穂市のホームページ*2によると、大口大領大口信満という名の地頭だった、ということです。また、福島県会津美里町のホームページ*3によると、福生寺富岡観音にも大口大領の伝説が残されているということで、この辺りの出身だったのでしょう。

一方、豊然上人という人物はまったく出自が分からない人物で、瑞穂市のホームページ*4には、まるで京都の仏師であったかのように書かれています。しかし、これまでの山岳寺院の札所の縁起から考えても、もともと山で修行していた聖であったと考えた方が自然なように思います。

華厳寺の見所

華厳寺の見所をご紹介します。

仁王門

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※華厳寺

現在の建物は江戸時代中期の宝暦年間(1751~1764)に再建されたそうで、門を守る仁王像は鎌倉時代運慶の作と伝えられています。

地蔵堂

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※地蔵堂

境内入ってすぐ右側にある放生池にある地蔵堂です。放生池には弁天堂が建てられていることが多いですが、地蔵堂が建てられているのは珍しいです。

一乗院

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※一乗院

華厳寺塔頭たっちゅうの一つである一乗院です。

本尊御杖の白藤

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※本尊御杖の白藤

縁起の項でもご説明したとおり、平安時代初期の延暦17(798)年、大口大領が観音さまを背負って(※縁起では自ら歩かれたとされている。「背負って云々」の記述は、説明板より)郷里の奥州会津郷へ帰っていたところ、観音さまがここに残るとおっしゃられました。そこでこの地で修行していた豊然上人と協力して華厳寺を建立しましたが、この時、立てかけておいた白藤の御杖がここに根づいた、ということです。

十王堂

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※十王堂

地獄において死者の裁判を行う十王をお祀りするお堂です。西国三十三所の観音巡礼創設に大きく寄与された閻魔大王もこのうちの一尊です。

羅漢堂

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※羅漢堂

仏道の修行者である羅漢たちをお祀りするお堂です。

明王院

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※明王院

華厳寺塔頭の一つです。右奥のお堂には阿弥陀如来がお祀りされています。

手水屋ちょうずや

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※手水屋

仏さまが手に持たれた水瓶から水が流れてきます。

英霊堂

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※英霊堂

英霊堂です。

経堂

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※経堂

経堂です。一切経を納めていると思われます。

鐘堂

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※鐘堂

袴腰の鐘楼で、入口には向拝のようなものまでついている珍しいタイプです。それゆえか、華厳寺では鐘堂と呼んでおられます。

本堂

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※本堂 裏の山手から撮影

現在の建物は1879年の再建で、平安時代中期の天慶7(944)年に時の朱雀天皇から勅願寺に定められ、提灯や幕などに「菊の御紋」を使用することが許されたそうです。ご本尊の十一面観世音菩薩像は秘仏で、脇侍運慶作と伝えられる不動明王像、菅原道真作と伝えられる毘沙門天像となっています。毘沙門天像は平安時代の作とされ、国指定の重要文化財となっています。本堂正面の左右の柱には「精進落としの鯉」と呼ばれる青銅製の鯉が打ちつけられています。満願となった巡礼者は、この柱の鯉を撫でることで巡礼の精進を終えるという謂れがあります。

笈摺堂おいずるどう

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※笈摺堂

満願となった巡礼者が、旅を共にした笈摺を奉納するお堂です。平安時代に巡礼を再興された花山法皇が、ご詠歌を奉納されるとともに着ておられた笈摺を奉納されたという逸話にちなみます。

子安堂

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※子安堂

子安観音さまがお祀りされているお堂です。

満願堂

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※満願堂

ご本尊平安時代に制作されたとされる十一面観世音菩薩像で、脇侍として開基である豊然上人大口大領の木像がお祀りされています。本堂には納札入れがありませんが、こちらにお納めすることで、西国三十三所巡礼の満願成就となります。このお堂の周りにあるたぬき像は、巡礼を満願した者が「他を抜く」「他よりぬきんでる」という意味が込められているそうです。

妙法ヶ滝

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※妙法ヶ滝

お清めなどに使用される、妙法ヶ岳から湧き出てくる滝です。

大師堂

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※大師堂

元三大師をお祀りするお堂です。

華厳寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。なお、華厳寺には3首のご詠歌が伝えられており、それぞれ、現在・過去・未来を指すと言われています。

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*5によります。

「現世」のご詠歌

よをてらす ほとけのしるし ありければ

 まだともしびも きえぬなりけり

(世を照らす 仏の験し ありければ

   まだ灯火も 消えぬなりけり)

この御詠歌の心は「その昔、ここ谷汲の地からは、油がわき出て、仏前の灯明の灯とされたということです。今からおよそ二千五百年余の昔、インドに生まれ、悟りを開いて教えを説かれたお釈迦さま、その仏の教えは、世の中の多くの人々の心に、安らぎと喜びを与えました。それはあたかも闇路を照らす灯明のようなものであり、その教えは今に伝えられて、決して消えることはありません。観音信仰はこの世を生き抜くための心の灯明であり、永遠に不滅です」とお受けすることができるかと思います。

水信仰が多い三十三所において、油が湧き出たというのはかなり珍しい信仰だと思います。しかし、比叡山にも不滅の法灯というものがあるように、仏法の灯火を照らすというのは、霊地においても重要な役目だと言えるでしょう。

「過去世」のご詠歌

よろずよの ねがいをここに おさめおく

 みずはこけより いするたにぐみ

(万世の 願いをここに 納めおく

   水は苔より 出る谷汲)

いつの時代にありましても、万人の願いは幸せ(あるいは極楽往生)ということかと思います。遠き道のりを巡り、ようやく満願を果たした西国三十三所の巡礼たちが、この御詠歌に過去を振り返るところから、過去を表す御詠歌といわれます。下の句「水は苔より 出る谷汲」は清浄な水に、汲めどもつきせぬ観音さまの知恵と慈悲を象徴的に述べたものといわれます。

三十三所には水信仰が多いですが、このご詠歌もそれを表しているように思います。「苔」が少々唐突な感じがしますが、もしかすると「虚仮こけ」ということでかりそめ、現実のことを指すかもしれません。そうだとするならば、満願をした巡礼者は「虚仮」から出る、つまり煩悩を捨て去って浄土の世界へと行ける、ということを意味しているかもしれません。

「未来世」のご詠歌

いままでは おやとたのみし おいずるを

 ぬぎておさむる みののたにぐみ

(今までは 親と頼みし 笈摺を

   脱ぎて納むる 美濃の谷汲)

笈摺」は巡礼が着る白衣のことです。昔は笈(箱型のつづら)に着替え・雨具・納経帳・その他巡礼が道中必要なものを入れて背負って歩いたので、衣服の部分がすり切れるのを防ぐために、おいずるを着たのです。この白いおいずるには観音さまを表す梵字・御名号「南無観世音菩薩」等を記入し、常に観音さまと共にあるとの心で巡礼を続けたものです。

西国三十三所 巡礼には何が必要なの?で申し上げたとおり、笈摺は巡礼者の制服であり、阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の梵字と名号を記載することとなっています。道中の身の安全を守ってくれる大切な笈摺でしたが、巡礼を終わった今はもう守っていただく必要はなくなったわけです。満願を迎えた巡礼者はすでに独り立ちしたも同然であり、自らの力で歩んでいくことができます。このご詠歌は、そのような心境を詠んだのではないでしょうか。

華厳寺へのアクセス

華厳寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

kegonji.or.jp(2021.7.7閲覧)

公共交通機関

養老鉄道「揖斐駅」から揖斐川町ふれあいバス「横蔵」行に乗車、「谷汲山」下車徒歩約10分(「揖斐駅」から約35分)。

※1日2便の運行なので、必ず事前に時刻表を確認すること

お車

東海環状自動車道「大野神戸IC」から北に約25分。

揖斐川町谷汲観光駐車場あり。700台。無料(平日のみ。休日や観光シーズンは400円)。

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※揖斐川町谷汲観光駐車場入口

華厳寺データ

ご本尊 :十一面観世音菩薩

宗派  :天台宗

霊場  :西国三十三所 第三十三番札所

     東海白寿三十三観音霊場 第33番

     東海三十六不動尊霊場 第33番札所

所在地 :〒501-1311 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23

電話番号:0585-55-2033

拝観時間:8:00~16:30

拝観料 :無料       

URL   :http://kegonji.or.jp/

 

第三十二番 観音正寺 ◁ 第三十三番 華厳寺 ▷ 番外 延暦寺

南坊の巡礼記「華厳寺」(2021.5.4)

ついに結願のお寺、華厳寺へ向かいます。

 10時5分ごろ観音正寺表参道駐車場を出発し、山を下ります。林道入口のゲートで受付の方々に丁重にご挨拶をして、さらに下りました。

この後、安土駅にスタンプをもらいに行き、南下して八日市ICから名神高速道路に乗ったのは10時53分でした。途中、多賀SAで昼食をいただきます。メニューは正確には忘れてしまいましたが、おそらくラーメンとチャーハン的なメニューだったと思います。

11時36分、関ヶ原ICで高速を降ります。ここから先、華厳寺に行くには高速道路を走ってぐるっと迂回していく方法もありますが、距離的にはかなりロスもあるのと、時間がまだあるので、下道を走ることにしました。県道53号線から国道417号線に接続し、そのまま北上します。最後は県道251号線を走って、12時30分、揖斐川町谷汲観光駐車場に到着しました。周辺には民営のもう少し安い駐車場もありましたが、参道の整備等にお金を使っていただけると思い、オフィシャルな駐車場に停めました。中はめちゃめちゃ広くて、700台停められるというのももっともだと思われます。

車を停めて、華厳寺を目指します。しかし、人が多いです。首都圏や京阪神には緊急事態宣言が出ていますが、ここに限っては他所の国のお話のようです。

とりあえず、県道251号線と40号線の交差点である「山門前」交差点を目指します。そこには、おそらく三ツ鳥居を改装したと思われる山門があります。

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※山門

明らかに不自然な山門です。恐らく、明治時代以後の神仏分離を受けて、三ツ鳥居山門に改装したのではないでしょうか。

ここから先は谷汲山門前町並とされており、要するに参道に商店が並んでいます。ここは周りにとくに観光地もないと思われるので、華厳寺参拝者を当て込んでご商売をやってこられたのでしょう。これだけ本格的な門前街は、長谷寺以来かもしれません。しかし規模や華やかさはこちらの方が上のように思います。それくらい、人も多く、繁昌していました。

駐車場の出入口よりも山門側の方に、八丁半の丁石がありました。ここはカウントダウン方式なので、自分がどれくらい進み、あとどれくらい進まないといけないかが、分かります。

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※八丁半の丁石

写真は人がいなくなったときを見計らって撮っていますので、人が少なそうに見えますが、実際にはかなり人が多いです。とくに、ワンちゃんのお散歩をされてる方が多いですね。また、左右のお店を見て歩くことができるので、なかなか楽しい気分で歩くことができます。

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※二葉屋前のいのりちゃん

ここの観光協会は上の写真のような「いのりちゃん」というキャラクターを作っておられ、いろいろとグッズ販売もされているようです。総持寺の千手観音と比べると、かなりノーマルな感じでいいと思います。菅笠すげがさ笈摺おいずる輪袈裟わげさなど、巡礼者の装備もきちんと着けておられます。

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※もみじや前のいのりちゃん

12時50分、仁王門前に到着です。人が多いので仁王門の上部だけの写真を載せておきます。

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※仁王門

入って行かれる方より、こちらに向かってこられる方が多かったです。ということはつまり、すでに参拝を終えてお帰りになられている、ということですね。まあ、午前中に参拝されていれば、そういうスケジュールになるでしょう。

仁王門をくぐり、境内に入ります。

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※境内案内図

本堂へはまっすぐ行けばよさそうです。ちなみに上の案内図には描かれている地蔵院は、現在建物はないようでした。

工事をやっておられるところも多かったです。下は法輪院という塔頭たっちゅうだと思います。

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※法輪院

工事中なので、塔頭の門がはりぼてのようになっています。右側には、十王堂羅漢堂が続いています。

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※十王堂のガラス戸に写った私

左側には明王院がありましたが、反対側(本堂側)の入口から入ってしまいました。阿弥陀堂があります。

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※明王院阿弥陀堂

5月8日に灌仏会(仏生会)を行われるのでしょうか、甘茶をかけるお釈迦さまの像とその御堂が、白い象の上に乗っています。しかしコロナウイルス感染拡大防止の観点から、柄杓は置いていないようです。甘茶をかけることはできませんでした。

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※白象とお釈迦さまの御堂

横のポットのところに「百円」と書いてありますが、お堂で売っている甘茶のティーバッグが100円ということで、ポットのお茶を紙コップで飲んだら100円かかる、というわけではありません。私は輪袈裟をしているので飲食できません。

ここの庭園には水琴窟もありました。

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※水琴窟

水が垂れると、金属的ないい音が響く、というあれですね。残念ながら音はうまく聞こえませんでした。

明王院からメインの参道に戻るとすぐに、手水屋です。手水屋のお水は、仏さまの水瓶から出ていました。

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※手水屋の仏さま

ここから石段を登っていくと本堂になります。

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※本堂前の石段

人が大勢いらっしゃることがお分かりいただけると思います。人口密度的には宝厳寺が一番多かったですが、もしかすると清水寺(※平日に参拝)よりも多いかもしれません。

この石段の左右には、英霊堂経堂があります。踊地蔵尊なるお地蔵さまもいらっしゃいました。

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※踊地蔵尊

夜な夜な泣いている人のところに行って、踊りを見せて励ましてくださったのでしょうか。このお寺は説明板がほとんどないため、謂れなどはまったく分かりませんが……。

ようやく本堂のレベルに到着です。まずは、鐘楼がある右側の方へ進みました。

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※本堂前

鐘楼の奥、左上に何かお堂があります。行ってみましょう。

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※お堂とそこまでの石段

行ってみましたが、結局何のお堂かよく分かりませんでした。この後、本堂でもお坊さまにおうかがいしたのですが、おそらくお互いに指している場所が異なっていて、結局分からずじまいです。

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※お堂

本堂よりも高いところにあるということは、それだけ格が高いのではないかと想像できるのですが、よく分かりません。鎮守社か何かでしょうかね。他の方のブログを拝見していると、阿弥陀堂ではないか、と書いておられました。

さて、本堂の中に入りましょう。結構参拝されている方が多いです。よくよく観察してみると、どうやら内陣に入ることができるようです。誰も入っておられませんが。私は靴を脱いで、入らせていただきました。

最後の納経です。心を込めて、読経とお祈りをさせていただきました。しかし、周りをよく見たのですが、納札入れがないんですよね。どこなんだろうと思い、お守り授与所のおばさまにおうかがいしたところ、このお寺では本堂笈摺堂満願堂にお参りすべきで、最後の満願堂納札入れがあるとのことでした。

なるほど、と思いまた周りを見回すと、どうやら納経所本堂内陣にあるようでした。しかし、それらしきところではお坊さまが畳の上に座ってくつろいでおられるような感じです。お声をかけさせていただくと、一番お若いお坊さまが対応してくださいました。宝厳寺ご朱印ラッシュをよそに、こちらではご朱印は比較的のんびりとしておられるようです。で、このお坊さまに本堂の横の上にある建物についておうかがいしたのですが、よく分からなかったわけです。

本堂を出て、笈摺堂を目指します。本堂から右側に回廊が続いており、本堂の裏に出ることができます。笈摺堂本堂の裏にありました。

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※笈摺堂

お堂の中に笈摺が積まれています。しかしこの写真、実は間違いがあることがお分かりでしょうか。西国三十三所では笈摺にもご宝印をいただくことができます。それは何のためかと言うと、死装束として着るためなんですね。閻魔大王がくださった極楽行きのパスポートに当たるものがご宝印ですから、これを着ないとせっかく集めた意味がないわけです。つまり、ここに奉納すべき笈摺は、巡礼の間中ずっと身にまとっていた、血と汗が染みこんだ笈摺の方というわけです。ご宝印をいただいた笈摺を奉納するなんて、めちゃくちゃもったいないです。

この笈摺堂の横には、子安観音堂がありました。ここまで回廊で繋がっています。

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※子安観音堂

ここは前掛けを絵馬のように奉納していますね。

さあ、ついに最後のお堂である満願堂になります。回廊を出てさらに上に登っていきます。

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※満願堂への石段

少しこみ上げてくるものがありますが、分かち合う人がいないので、それほどでもありません。

ついに、満願堂に到着です。

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※満願堂

信楽でもないのに、なぜかたぬきがたくさんいます。

それはともかく、納札入れもきちんとあります。この辺まで来られる方はあまりいらっしゃらないようで、私が来たときには誰もいらっしゃいませんでした。ですので、大きな声で納経させていただきました。やりました、とうとう、満願です。

周りを見てみると、まだ奥之院があるようです。しかし、案内標識には恐ろしいことが書いてあります。

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※奥之院への案内標識

「熊、スズメバチ等の危険もあります」、だそうです。熊はともかく、スズメバチは超危険生物ですよね。本州に住む熊はツキノワグマで、これに攻撃されて亡くなる方は年間で2~3人くらいですが、スズメバチ(※他のハチも含む)に関しては20人以上の方が亡くなっています。アナフィラキシーショックによるものとはいえ、集団で攻撃されたら健康な人でもかなり危険でしょう。ましてや、そこから自力で逃げることができないとなれば、もはや野垂れ死にの可能性もあります。くわばらくわばら、ということで、奥之院は断念しました。

そこで、そのまま本堂の裏を水平レベルに移動することにします。東の方角にまだ何かあるようです。

右下に本堂の屋根を見ながら進むと、すぐに碧みがかった池が出てきました。境内案内図では、緑ヶ池と書かれているようです。

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※緑ヶ池

本当にキレイな色です。もったいないことに、この辺りには誰も来ません。少し蔵王の御釜を思い出しました。

案内標識がまたあり、奥にまだ滝や不動明王像などがあるようです。

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※妙法ヶ滝・不動明王案内標識

上に写っている建物も、何かよく分かりませんでした。

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※妙法ヶ滝

水量があまりありませんが、これが滝でしょう。不動明王像も近くにありました。しかし、大きなものではありませんでした。

ここからは満願堂の方に戻り、下の方へ降りていきます。

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※満願堂付近から見た境内

右の方はいわゆる本坊という部分でしょう。このお寺では、そちらにも進むことができます。

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※大師堂(右)と内仏客殿(左)

こちらの方にも人はまったくいらっしゃいません。ほとんどの方は本堂にお参りして満足しておられるようです。

こちらから降りていくと、明王院の上の辺りに到着します。途中のお庭を写真に撮っていました。

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※経堂裏手の庭園

この後は明王院の横を通り、法輪院の前を通って仁王門をくぐりぬけ、門前街へと戻っていきました。

さすがに満願のお寺らしく、掛け軸の表装をやってくれるお店も何軒か並んでいます。とくに、各札所で納経時にいただけるお散華の台紙が、額込みでなかなかの値段で売られていました。確かに、額に入れたくなりますよね。私はスタンプラリーでもれなくもらえる台紙に貼りつけ、立てて飾っているだけですが。くわしくは「西国三十三所 JR西日本キャンペーン事務局から「特製散華台紙」が届きました!」をご覧ください。

14時ごろには駐車場に戻り、笈摺を脱いで身軽になりました。せっかくなので参道でコーヒーでも、と思ったのです。しかし最初に入ったお店がコロナ禍の関係でお土産販売だけに切り替わっていたので、気持ちがなえてしまい、帰ることにしました。14時20分、駐車場を出発です。

平日なら谷汲温泉満願の湯に入って帰るところですが、お寺があんなに混んでいましたので、コロナ禍ではちょっとリスキーだと思い、やめておきました。結局、意外と味気ない帰路になってしまいました。

帰りは大垣西ICから高速に乗り、いったん南下してから西を目指しました。茨木ICを17時少し前に通過し、17時30分ごろ、無事に帰宅です。

華厳寺は門前街の雰囲気がとてもいいところだと思いました。まさに地域とともにあるお寺、そういう言葉がふさわしいように思います。実は本堂で見逃していたものがあります。精進落としの青銅製の鯉をまったく見ていませんでした。次回満願で訪れることがあれば、今度こそしっかりと見ておきたいと思います。

いったん西国三十三所巡礼はこれで終了です。十三番の石山寺のレポートを書いているころは最後までたどり着くのだろうかと、とても不安になっていましたが、皆さまのおかげで何とかレポートの方も満願です。次回はお礼参りに参拝した比叡山延暦寺をレポートしたいと思います。しかし、それが終わっても、巡礼の旅はまだまだ続きます。「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE」の主題歌も、由紀さおりさんが歌われた「人生という旅」という曲でした。そうなんです、人生とは旅なんですよね。

というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「観音正寺」(2021.5.4) ◁ 南坊の巡礼記「華厳寺」(2021.5.4)

南坊の巡礼記「華厳寺」(2021.5.4) ▷ 南坊の巡礼記「延暦寺」(2021.5.6)

*1:五来重『西国巡礼の寺』角川書店(1996)

*2:瑞穂市ホームページ「写真ニュース」2021.7.5閲覧

*3:会津美里町ホームページ「富岡観音」2021.7.5閲覧

*4:瑞穂市ホームページ「別府観音堂」2021.7.5閲覧

*5:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)