西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第三番札所 粉河寺 ~霊験あらたかな童男の縁起絵巻~

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粉河寺本堂と庭園

最終更新:2021.5.2

西国三十三所の第三番札所は、風猛山ふうもうさん粉河寺こかわでらです。紀の川の中流域の、和泉山脈と紀伊山地にはさまれた山間の平地にあります。国宝となっている「粉河寺縁起絵巻」では親の子を思う愛情や童男の奇蹟などが描かれています。鬼子母神本堂内にお祀りするなど、父母の恩を感じさせてくれるお寺です。

粉河寺の巡礼情報

粉河寺は、和泉山脈の南麓に南面して建てられています。周辺には宿泊施設もあり、昔からこのお寺を目当てに訪れる人が多かったことがうかがえます。なお、粉河寺の名称の由来は、後述する縁起において、長者の一行が米のとぎ汁のような白い流れの川(粉川)をたどっていったという故事に因みます。

縁起

粉河寺の成立縁起は、粉河寺のホームページに詳しく記載されています。

粉河寺奈良時代後期の宝亀元(770)年に創建されたとのことですが、奇しくも二番札所の紀三井寺とまったく同じ年です。これは想像の域を出ませんが、粉河寺紀三井寺紀伊国における霊験競争が激化した際、双方ともに歴史を誇ろうとしてより古い年代を主張するようになったのでしょう。そこでどこかで痛み分けが図られて、双方ともに770年の創建となったのではないでしょうか。

また、『続群書類従』に収められている「粉河寺縁起」*1(成立年代不詳)にも詳細が述べられています。なお、挿絵は国宝「粉河寺縁起絵巻」で、「縁起」「縁起絵巻」では若干内容に異同があります。

両者をもとに、少し長くなりますが、説明します。

 

紀伊国那賀郡に、大伴孔子古おおとものくじこという猟師がいました。あるとき、林の中で大きさが笠くらいの、炎のように光輝くところを発見します。怖くなって離れたにもかかわらず、三、四日そのような夜が続きました。そこでその地をきれいに整地して草庵を構え、お堂をつくり仏像を奉納したいと発願しました。しばらく後に一人の童男行者がやってきて、孔子古の家に宿を乞いました。

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※「粉河寺縁起絵巻」孔子古の家を訪れた童男行者(右端)(出典:Wikipedia

孔子古が快諾すると、童男が「願いがあればかなえましょう」と言うので、孔子古は例の地に仏像を祀りたい、と答えました。そこでともに草庵に赴き、童男が七日かけて仏像をつくることになります。果たして八日目の朝、戸をたたく音があり、孔子古が戸を開けるとそこには千手観音像が置かれていて童男の姿は消えていました。孔子古は大いに感じ入り、殺生をやめて仏法に帰依した、ということです。

その後、河内国渋河郡(渋川郡。大阪市・八尾市・東大阪市のそれぞれ一部を集めた郡)に佐太夫という者(現在の東大阪市の足代の名門塩川家のご先祖)があり、その娘は長らく重い病に苦しんでいました。医者も手だてがなく、祈禱の効果もありませんでした。そこに童男行者が現れ、千手陀羅尼経を唱えたところ、娘の病はたちまち治りました。

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※「粉河寺縁起絵巻」娘のために陀羅尼経を唱える童男行者(左端)(出典:Wikipedia

行者はお礼の品の多くを断り、ただ刀の鞘提げ帯をもらい、紀伊国那賀郡粉河寺の住人だと名乗って帰りました。

その後佐太夫は家族を連れてお礼に赴いたところ、粉河寺はなかなか見つかりませんでした。ようやくある川にたどり着いたところ、水がとても白く、米粉が流れているようでした。ここに違いないと悟り、さらに林中に分け入ったところ、かつて童男が刻んだ金色千手観音像が祀られている庵を見つけました。よく見ると、手には例の刀の鞘があります。童男行者は千手観音さまだったのです。

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※「粉河寺縁起絵巻」赤い袴(絵巻中では帯ではなく袴)を持つ千手観音さま(出典:Wikipedia

これ以来粉河寺に帰依する者は増える一方で、伊都郡渋田村の寡婦富久ふく?が自分の家を運んで草庵を本格的な伽藍に整え、また那賀郡名手村の女性檜皮屋ひかわや?もまた自分の家を壊して礼堂として寄付した、ということです。

見所

大門だいもん

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※大門

粉河寺大門です。朱塗りが映えます。江戸時代前期の宝永4(1706)年の建立です。和歌山県では高野山根来寺に次ぐ威容を誇るそうですが、逆に言うと根来寺大門は意外にすごいんですね。国の重要文化財に指定されています。

童男堂どうなんどう

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※童男堂

千手観音さまの化身である童男行者(童男大士)を祀るお堂です。江戸時代前期の延宝7(1679)年に建立されました。和歌山県指定の重要文化財です。毎年12月18日、一年に一度の開帳法要が営まれるそうです。童男堂の隣には、童男行者が柳の枝を手に白馬に乗って出現したと伝わる出現池もあります。

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※出現池

中門なかもん

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※中門

江戸時代後期の天保3(1832)年に建立されており、四天王が祀られています。すべてが良質な欅材でつくられています。国指定の重要文化財です。「風猛山」の扁額は紀州藩10代藩主徳川治宝はるとみ公の直筆です。

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※「風猛山」の扁額 10代藩主治宝公の直筆

なお、「風猛山」は「ふうもうさん」と現在は読んでいますが、白洲正子さんは「かざらぎさん」と読み、以下のように述べておられます*2

寺は、紀の川ぞいの街道を、少し北へ入ったところの、こんもりした山裾にあって、見るからに古い伝説を秘めているような土地柄である。風猛かざらぎというのは、葛城かつらぎのなまったものに違いない。大和の二上山ふたかみやまにはじまる葛城山系が、紀の川にそって、次第に低い山稜となって行く、その西のはずれにある。

確かに、粉河寺公式には風猛山の山号の由来について何の説明もないので、この説は当たらずと言えども遠からず、といったところかもしれません。

千手堂せんじゅどう

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※千手堂

江戸時代中期の宝暦10(1760)年の建立で、国の重要文化財に指定されています。正面に千手観世音菩薩が祀られており、脇壇には紀州藩の歴代藩主や所縁のある方々のご位牌が祀られています。

粉河寺庭園

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※粉河寺庭園

粉河寺の庭園です。国指定の名勝となっています。とくに本堂の前庭とその下段の庭園との高低差を印象づける役割をしているのがこの石庭です。桃山時代の制作とされていますが、とくに作者名は伝えられていません。山田芳裕さんの漫画『へうげもの』*3では安土・桃山時代から江戸時代初期の茶人武将上田宗箇うえだそうこの作とされていますが、現在のところ確証はなく、粉河寺もオフィシャルにはその立場をとっていません。

本堂

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※粉河寺本堂

粉河寺本堂です。西国三十三所の本堂のなかでは、最大を誇ります。現在の建物は江戸時代中期の享保5(1720)年に建立されたものです。手前の礼堂は一重屋根で、奥の正堂が二重屋根という他に類を見ない特異な形態とされます。国指定の重要文化財です。

本堂内陣は400円で拝観することができます。ご本尊の千手観世音菩薩像は秘仏で、公開されていません。

江戸時代末期から明治時代にかけて日記を残していた紀州藩の学者の娘である川合小梅『小梅日記』*4

では、粉河寺に参詣したときのことが慶応3(1867)年9月の項に記載されています。

観音へ参詣す。かねての望達し候也。孫三郎案内して何か言きかせ、本堂へ返し、和尚も出て茶菓を出す。雨小降に成候間、帰る。はじめはかさもたずに行。本堂にて拝しいる内、降出すに付、八塚の下女かさ取に行。其内寺の座敷へ通り、諸所拝見する。御たま屋も四所に有。

詳しい経緯は省略しますが、思い立って粉河寺に参詣しようと前日の昼ごろに粉河の集落を目指し、夜になって遠い親戚の八塚孫三郎さんのお家にたどり着き、泊めてもらいました。翌日、念願の粉河寺の観音に参詣できたということです。本堂内の秘仏ご本尊を拝することができたかは不明ですが、できていたならば何かしら言及があると思われます。また、ここに登場する「御たま屋」というのが何を指すのかも不明です。

本堂内陣では、左甚五郎が制作したと伝わる、「野荒らしの虎」を見ることができます。どうもこの手の伝説では、あまりにも写実的過ぎて頻繁に化けて出たため、目に釘を打って出れなくした、という構造が多くみられるようです。

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※「野荒らしの虎」案内板

「野荒らしの虎」粉河寺のホームページで写真を見ることができます。元紀州藩第5代藩主で、江戸幕府8代将軍を務めた徳川吉宗の寄進とのことです。

芭蕉句碑

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※松尾芭蕉の句碑 もはや字が読めないほど歴史を感じさせてくれる

松尾芭蕉の句碑が中門を過ぎて少し行くとあります。

ひとつ脱ぎて 後ろに負ひぬ 衣替え

ここまで歩いてくるとじんわりと暑くなってきます。そこで来ていたものを一枚脱いで、背中に背負い、衣替えだと表現しているのでしょう。それにしても西国三十三所のあちこちに松尾芭蕉の句碑が見られます。こういうものが残っているのは西行松尾芭蕉がツートップでしょうか。

「粉河寺縁起絵巻」

国宝鎌倉時代初期に制作されたとされ、紙本着色、幅30cm、長さ20メートルで詞書と絵画によって構成されています。現在は京都国立博物館に寄託されています。JR粉河駅から大門まで続く参道は「とんまか通り」と呼ばれています*5が、その参道沿いに「粉河寺縁起絵巻」の写真と説明が記載されているモニュメントが設置されています。

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※「粉河寺縁起絵巻」のモニュメント 写真は2016年10月9日撮影

ご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

ちちははの めぐみもふかき こかわでら

 ほとけのちかい たのもしのみや

(父母の 恵も深き 粉河寺

   仏の誓い 頼母しの身や)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*6によります。

観音さまはすべての人々を、まるでわが子のごとく愛し、喜びを恵みたまい、お導きくださるので、まことに有り難く頼もしいことであるよとお受けさせていただくことのできる御詠歌です。粉河寺のこかわは、子可愛に掛かっています。

縁起でも述べたとおり、病にかかった子どもを救ってくださった童男行者(千手観音さまの化身)に感謝の心を持った佐太夫が草庵を探しあてたことから粉河寺の基が築かれました。また、その後二人の女性が自らの家を壊してまでお寺の堂宇建立に貢献したというのも、母の無償の愛を想像させます。

アクセス

粉河寺ホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

公共交通機関

JR「粉河駅」下車徒歩約15分。

お車

京奈和自動車道「紀の川東IC」から南西へ。約5分。

大門過ぎてすぐに駐車場あり。約50台。500円。

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※車1台程度通ることができる大門の右側を過ぎるとここに出る

粉河寺データ

ご本尊 :千手千眼観世音菩薩

宗派  :粉河観音宗総本山

霊場  :西国三十三所 第三番札所

所在地 :〒649-6531 和歌山県紀の川市粉河2787

電話番号:0736-73-4830

拝観時間:8:00~17:00

拝観料 :無料(本堂内陣は400円)

URL  https://www.kokawadera.org/

 

第二番 金剛宝寺(紀三井寺) ◁ 第三番 粉河寺 ▷ 第四番 施福寺(槇尾寺)

境内案内図

上記サイトの下部に案内図があります。 

南坊の巡礼記(2021.2.23)

2021年2月23日、午前中に紀三井寺をお参りした後、和歌山市内で所用を済ませ紀の川市内の粉河寺に行ってきました!

車で行くと紀の川東ICから下りてすぐです。京奈和道ができて便利になりました。13時30分ごろに到着です。

大門橋を渡るとすぐに民営の駐車場もありますが、大門の横をすり抜けるとお寺の駐車場に着きます。駐車料金を徴収しているのは大門内にあるかにい土産物店です。この日は祝日だったため、駐車場の入り口に係の方が立っていらっしゃいました。カラフルな菅笠、紫色の笈摺というファッショナブルな巡礼者のような出で立ちです。

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※粉河寺駐車場

本堂の前までほとんど階段がなく行けるのがうれしい限りです。中門までの左側に様々なお堂があります。童男堂出現池念仏堂太子堂です。

中門をくぐると、右側に茶所、正面に地蔵堂丈六堂があります。

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※丈六堂内の阿弥陀如来坐像

丈六堂の阿弥陀さまは何とも言えない優しい味わいがあります。うちは浄土真宗ですから、「南無阿弥陀仏」が本筋です。思わずお唱えしました。

しかし何といっても、左を仰ぐとトップの画像のような例の石庭と西国三十三所最大級の本堂が目に飛び込んできます。本堂の大きさもさることながら、石庭の荒々しさ、雄々しさは格別です。公式には認められていませんが、やはり上田宗箇のような芸術を解する武人が作ったように思え、石庭にはそうした内に秘められた「武」の精神が表れているように思います。

本堂にて『西国三十三所勤行次第』にのっとり納経をします。

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※本堂の様子

はっきりと憶えていなかったのですが、以前来たときには本堂内陣に入れたような気がしました。聞いてみると、400円払えば入れるとのことでした。早速入らせていただきます。中は薄暗く、内内陣の外をぐるりと回っていくようになっています。

内陣には、十六羅漢像や左甚五郎「野荒らしの虎」など見所がたくさんあります。二十八部衆は修繕中とのことで、一部のみの公開です。写真がとれないのが残念です。

本堂を出るとき、若いお坊さまがご挨拶してくださいました。巡礼者の格好をしているからでしょう。ありがたいことです。

1時間程度でお参りを済ませ、車に戻ります。

実はこの粉河の地はテレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」第21弾で太川陽介さん、蛭子能収さん、高橋ひとみさんが宿泊されたことがあるんですよね。宿泊されたのは駅よりさらに南側、国道24号線沿いのビジネスホテル粉河です。

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※ビジネスホテル粉河 写真は2016年10月9日撮影

そして何と、粉河寺の大門脇には蛭子神社があるのです。

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※蛭子神社 写真は2016年10月9日撮影

何という偶然でしょう。残念ながら蛭子さんたちはここまで来ていませんが、あの迷?コンビがここまで来ていたらきっと一笑い、二笑いはあったに違いありません。

というわけで話がそれてしまいましたが、粉河寺のレポートは終了です!

それでは、皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「金剛宝寺(紀三井寺)」(2021.2.23) ◁ 南坊の巡礼記「粉河寺」(2021.2.23)

南坊の巡礼記「粉河寺」(2021.2.23) ▷ 第四番南坊の巡礼記「施福寺(槇尾寺)」(2021.3.3)

*1:所収 塙保己一編『続群書類従 第28輯上 釈家部』八木書店(2013)

*2:白洲正子『西国巡礼』講談社(1999)

*3:山田芳裕『へうげもの』講談社

*4:川合小梅著(志賀裕春・村田静子校訂)『小梅日記』平凡社(1974)

*5:紀の川市観光協会ホームページ「粉河寺」

*6:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)