西国三十三所の第二十三番札所は、応頂山おうちょうざん勝尾寺かつおうじです。西国街道から北の山中に分け入ったところにあり、大阪から近いにも関わらず、規模の大きい山寺として存在感を示しています。境内も非常に整備されており、季節の花々が目を楽しませてくれます。
勝尾寺という寺号から勝ち運の寺としても知られており、大小様々な大きさの勝ちダルマを求めて、多くの参拝者が訪れます。祈願中には寺内のスピーカーから『観音経』が大音量で流れ、鼓動に響きます。観音さまの縁日が18日になったのも、この勝尾寺の縁起に由来するとのことで、北摂随一の観音霊場として、多大な影響力を持っていたことがうかがえます。
勝尾寺の縁起
勝尾寺の成立縁起は、勝尾寺のホームページに詳しく記載されています。
katsuo-ji-temple.or.jp(2021.6.9閲覧)
このページでは「勝尾寺縁起」と題する動画をYouTubeで見ることができます。11分弱の動画ですが、結構見応えがありますし、勝尾寺の成立縁起をよく知ることができます。
また、『諸寺縁起集』*1にも勝尾寺の縁起が掲載されています。
それらの話を総合して、まとめさせていただきます。
勝尾寺の大元を開いたのは善仲・善算という双子の兄弟で、二人は摂津権守の藤原致房ふじわらのむねふさの子だったとされます。二人が生まれたときに母には痛みがなく、生まれてからは日に日に賢く成長していったそうです。9歳で天王寺の僧侶に弟子入りし、17歳で大乗戒を授かり善仲・善算と名乗ることになりました。20歳になるともはや寺で学ぶことがなくなってしまい、師僧に修行に出ることを願い出ましたが、師僧が許可されなかったそうです。仕方なく二人は師の命に背く形でお寺を離れ、当山に登り草庵を作った、ということです。これが神亀4(727)年のこととされます。
それから時を経て天平神護元(765)年正月1日、桓武天皇がまだ皇太子だったころ、兄弟皇子のお一人が臥雲の便りに従い当山の幽地にやって来られました。そして2月15日、ついに善仲・善算二師にお会いになり、受戒して開成かいじょうと名乗られるようになったということです。
その後、神護景雲2(768)年2月15日に善仲上人がお亡くなりになり、また、翌年7月15日には善算上人もお亡くなりになられたそうです。こうして元皇子の開成が一世の座主となり、宝亀6(775)年7月13日、6年間書き写した経典を奉納して寺号を弥勒寺と定めたというのが、勝尾寺の創建です。
さらに後の宝亀11(780)年、すでに白檀の木を仕入れて千手観音像の造立を発願していた開成のもとを、夢のお告げに現れた妙観という修行僧が訪れました。合わせて18人の一行で、千手観音像と四天王像を造立すると言います。そこで開成が喜んで託したところ、ちょうど30日で完成したということですが、これが8月18日から9月17日にかけてのことであったとされます。なお、勝尾寺のホームページではこれは7月18日から8月18日にかけてのこととされ、観音さまの縁日が18日になったのはこのエピソードに由来する、としています。
また、寺号が「勝尾寺」となったのは、6代座主の行巡上人のエピソードにちなむそうで、時の清和天皇が病に伏した際、法力の噂を聞いた勅使が行巡上人を迎えに来ましたが、修行中だった行巡上人はそれをお断りになったそうです。勅使が怒って「王土に立つ者は、すべて天皇に従わなければならない」と言うと、上人は錫杖の上に立って見せ、勅使が「錫杖が土に立っている」と続けると、上人は今度は錫杖ごと宙に浮いて見せたそうです。勅使は非礼をわび、都に来なくてもよいので、病気平癒を祈願してほしいと頼んだところ、清和天皇の病はたちどころに治ったということでした。それゆえ、清和天皇が「王に勝った寺」ということで「勝王寺」という寺号を授けたそうですが、それは畏れ多いということで、「勝尾寺」と称するようになった、ということです。
勝尾寺の見所
勝尾寺の見所をご紹介します。
山門
※山門
慶長8(1603)年に豊臣秀頼が再建したそうです。朱塗りが鮮やかに映えます。山門の両脇には、金剛力士像がおられます。
勝ちダルマ奉納棚
※勝ちダルマ奉納棚
こちらで購入した勝ちダルマを、願いがかなった後に奉納する棚です。数の多さが、ご利益を物語っています。
厄ばらい三宝荒神社
※厄ばらい三宝荒神社
日本で初めて荒神さまをお祀りしたとされ、日本最初の荒神社とされます。1300年前、勝尾寺の初代住職が瞑想中にこの仏さまを感得したことが始まりだそうです。
鎮守堂
※鎮守堂
当山の地主神が祀られています。
開山堂
※開山堂
勝尾寺の開山である善仲・善算の兄弟、伽藍を造営して弥勒寺を建立した皇子開成の木像が安置されているそうです。
水掛け観音堂
※水掛け観音堂
観音さまにお水を掛けることで故人を偲ぶお堂です。
大師堂
※大師堂
弘法大師をお祀りするお堂です。お堂の周りに巡らされた回廊は、四国八十八ヶ所のお砂踏みとなっています。
本堂
※本堂
ご本尊の十一面観世音菩薩像がお祀りされています。毎月18日に特別開帳をしているそうです。ご祈祷も、この本堂で行われます。
鐘つき堂
※鐘つき堂
勝尾寺の鐘楼です。年代を感じさせる造りです。梵鐘は、厄除けの鐘とされています。
不動堂
※不動堂
不動明王像をお祀りするお堂です。
二階堂
※二階堂
現在の伽藍の最上層にある、立派な向拝を持つ二階堂です。第4代座主の証如上人が建立されたそうです。鎌倉時代に法然上人が4年間この地に留まり、念仏三昧をされたそうで、法然上人二十五霊場の第5番札所とされます。
多宝塔
※多宝塔
大日如来をご本尊とする、多宝塔です。
弁天堂
※弁天堂
広大な弁天池にせり出して建つ、弁天堂です。古来、学問や芸能の神さまとして信仰されています。
勝尾寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。
おもくとも つみにはのりの かちおでら
ほとけをたのむ みこそやすけれ
(重くとも 罪にはのりの 勝尾寺
仏を頼む 身こそやすけれ)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*2によります。
「重くとも 罪には……」とは、人間は元来罪深き身でありますが……ということです。「のりの 勝尾寺」の「のり」とは法のことで仏法を指します。「勝尾寺」は当勝尾寺のことですが、仏法の力で重い罪にも打ち勝つという心が詠み込まれていると思われます。
YouTubeの「勝尾寺縁起」によると、勝尾寺のご本尊千手観世音菩薩像の元となった白檀の木は、日向の国の僧興日が大嵐に遭い、難波で船を退避させていたところ、勝尾寺の噂を聞きつけて白檀の木を寄贈された、ということでした。
それを踏まえると、上の句の「おもくとも つみにはのりの かちおでら」の部分は、「どれほど重くても、積み荷は仏法のうえでとても価値のあるものである」と、白檀の木のことを詠んでいるようにも思えます。勝尾寺をわざわざ「かちおでら」と詠んでいることからも、「価値」という解釈は妥当のような気がします。そうすると、下の句も仏となる木を運んできてくれた興日さんの「身」を案じているととることもできるかもしれません。いずれにしろ、非常に奇特な縁で白檀の木が勝尾寺にもたらされたことは間違いありません。
勝尾寺へのアクセス
勝尾寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
katsuo-ji-temple.or.jp(2021.6.9閲覧)
公共交通機関
北大阪急行「千里中央駅」から阪急バス「希望ヶ丘四丁目」行に乗車、「勝尾寺」下車すぐ(「千里中央駅」から約40分)。
お車
名神高速道路「茨木IC」から北西に約25分。第1駐車場、第2駐車場あり。約350台。最初の1時間500円。以降30分ごとに200円。
勝尾寺データ
ご本尊 :十一面千手観世音菩薩
宗派 :高野山真言宗
霊場 :西国三十三所 第二十三番札所
法然上人二十五霊場 第5番(二階堂)
摂津国三十三所 第22番
摂津国八十八ヶ所 第54番
神仏霊場巡拝の道 第65番
所在地 :〒562-8508 大阪府箕面市勝尾寺
電話番号:072-721-7010
拝観時間:8:00~17:00(平日)
8:00~17:30(土)
8:00~18:00(日・祝)
拝観料 :大人(高校生以上)400円 小・中学生300円 未就学児100円 2歳以下無料
URL :https://katsuo-ji-temple.or.jp/
勝尾寺の境内案内図
katsuo-ji-temple.or.jp(2021.6.9閲覧)
上記サイトに案内図があります。
第二十二番 総持寺 ◁ 第二十三番 勝尾寺 ▷ 第二十四番 中山寺
南坊の巡礼記「勝尾寺」(2021.4.22)
2021年4月22日、箕面の勝尾寺に行ってきました。この日は近いから余裕だと思いゆっくりしてしまい、いつもより出発が20分以上遅くなってしまいました。それでも到着は9時15分で、駐車場もあまり車は停まっていませんでした。以前来たときに第1駐車場にはトイレがないことを知っていたので、途中のファミリーマート彩都粟生南店で買い物ついでにトイレをお借りしました。第2駐車場は屋内駐車場になっており、おそらくそちら側にはトイレがあると思います。
Googleマップによると、お寺の前を通る府道43号線は箕面ドライブウエーというようです。第1駐車場は境内の向かいにあり、ドライブウエーを横断しないといけません。
※第1駐車場から見た勝尾寺
手前の新しい建物はお休み処 花の茶屋で、その脇に入山受付があります。
※南側から見た境内と山門
おそらく昔はこの門から入って、山門の方に真っ直ぐ行っていたのでしょう。参道もこの背後の山から降りてくることになっています。横断歩道を渡り、右の入山受付の方へ行きました。総持寺と同様、「下馬」の石碑があります。
入山受付には体温を測る機械やアルコール消毒が置いてありました。入山料400円をお支払いして中に入ります。
※お迎え地蔵
中に入ってすぐにお出迎えしてくださるのが、このお迎え地蔵です。
右を見ると山門です。
※山門前
なお、この山門は横を通ることもできます。
※弁天池
山門をくぐるとすぐに弁天池になります。参拝者はお清め橋と呼ばれる橋を渡ります。
※清めの橋
橋にはミストがかかっており、また池は噴水もあるので、水の力で世俗の垢を清めることができます。
※噴水とミスト 虹も見える
後ろを振り向くとこんな感じです。
※清めの橋から見た山門
橋を渡ると、左側にトイレがあります。とてもキレイです。私はこの時は使っていませんが、2021年1月11日に勝ちダルマをいただくために参拝させていただき、その時は使わせていただきました。
目の前には知恵の環なるものがありましたが、結構面倒くさい感じ(コラ!)なので、やめておきました。
※知恵の環
ここから登りになります。
※序盤の石段
石段を登り終わると、ちょうど伽藍の中心部分に到着です。正面に多宝塔が見えます。
※伽藍の中心部
ツツジがもうキレイに咲いています。満開に近いでしょうか。今年は全般的に季節が早く進んでいる感じで、このレポートを書いている6月9日現在は気温が35度をうかがおうかという感じになっています。サクラもツツジも、アジサイも例年より2週間以上早く咲いているのではないですかね。
この左側に一願不動堂があり、そこからまた石段が始まって勝ちダルマ奉納棚が連なっています。私も1月に購入した勝ちダルマを奉納させていただきました。かなりのご利益があったと思います。
※勝ちダルマ奉納棚
大小様々な勝ちダルマで彩られています。大きさ的には、小の方から3番目?の大きさだったと思います。それでも5,000円しますので、かなりのものです。興味深かったのは、購入したときに販売所のお嬢さんが「どの子にしますか?」と聞いてきたことでした。思わず「どの子?」と聞き返してしまいました。
本堂のレベルまではまだ結構階段を登ります。見上げると、鯉のぼりが出ていました。
※本堂までの階段
ところどころこんなものが置いてあります。
※スピーカー
この緑のものはスピーカーで、本堂で行われるご祈祷の様子がここから全山に大音量で流れます。太鼓の音と『観音経』が結構心地よいリズムで流れるので、こちらのテンションも上がります。ただ、誰が何を祈願しているかもスピーカーで流れますので、他の人に聞かれたくない祈願はやめておきましょう。
本堂と同じレベルに着いて最初にお参りすることになるのが、厄ばらい三宝荒神社です。
※厄ばらい三宝荒神社
社やお堂ごとにローソク立てや香炉が置いてあり、一つ一つ丁寧にお参りするとかなり時間がかかります。
三宝荒神社と鎮守社の間に本来は道があり、薬師堂や奥之院に行けるようになっているはずなのですが、白い壁で覆われています。工事中なのでしょうか。
荒神社側から本堂を見るとこんな感じです。
※本堂
朱塗りが鮮やかで、とてもキレイです。隣の建物が納経所です。
鎮守社、開山堂を経て水掛け観音堂へと回ります。
※水掛け観音説明板
このお寺では、ところどころにこのように説明板をかかげてくださっているのですが、割と宗教的な説明が充実している反面、建物の造りや歴史といった部分に関してはあまり触れておられません。実際、建物で国の重要文化財等に指定されているものはないようです。しかし、山門などは豊臣秀頼の寄進でもあり、十分重文になるくらいの価値はあると思うのですが。しゃれではなく。
ちなみに総持寺の場合は、本堂や山門が建築基準法違反ということで、茨木市の指定文化財となることで違法性を免れることができたそうです*3。これは笑っちゃう話で、建築基準法なんていつできた法律かは知りませんが、順番が逆のような気がしますよね。
隣の大師堂は、周りの回廊が四国八十八ヶ所のお砂踏みになっています。
※大師堂の説明板
今までの札所では、西国三十三所のお砂踏みやひな壇型の礼堂は結構ありましたが、四国八十八ヶ所のお砂踏みは珍しいですよね。ぱっと思い出せるのは十五番札所の今熊野観音寺くらいですか。回廊は左側から入って右側から出てくるようになっています。
※四国八十八ヶ所のご本尊の写しの石仏
左から八十五番八栗寺、八十六番志度寺、八十七番長尾寺、八十八番大窪寺です。一部彩色が施されており、とても愛らしい仏さまです。
※本堂
本堂には、とても立派な香炉が置いてあります。内陣に入ることはできないようで、外陣から納経させていただきます。ガラス張りになっているので、中の様子もよく分かりません。ただ、ご祈祷をしていただく場合には中に入れるようです。ちょうどこれからご祈祷をされるようで、ご住職がそのようなお姿で入っていかれました。
納経を終えて、隣の納経所へ行きました。ご宝印をいただきます。ちょうどご祈祷が始まる関係で、少し待たなければいけませんでした。待っている間に、納経所の中を物色します。この納経所も結構品揃えがよく、いろいろと欲しくなってしまいます。
実は西国三十三所の納経帳は1月にここで購入したんですよね。今回も見ていると、神仏霊場会のご朱印帳がありました。一説には日本最大のご朱印帳という噂がある代物です。持ってみると、確かに手にずっしりとした重みが感じられます。2700円でしたが、これも購入することにしました。また西国三十三所、四国八十八ヶ所が一段落したら、ゆるゆると神仏霊場巡拝の道を始めていきたいと思います。
本堂のレベルから山門の方を見下ろします。結構高いことが分かります。
※境内を見下ろす 中央は山門
伽藍の中枢はこの本堂の辺りなので、大きなものはあと2箇所となります。法然上人所縁の二階堂と、その下にある多宝塔です。
順路だと、二階堂へ登る道、多宝塔へと進む道と分かれています。登る道を選択し、登っていきました。
途中で垣間見える多宝塔がこんな感じですから、ここもそこそこ高さがあります。
※垣間見える多宝塔
二階堂が見えてきました。
※二階堂
二階堂の正面です。
※二階堂正面
ここは手前に靴箱があって土足禁止と書いてありますが、確か中には入れなかったような……。ちょっとはっきりとは憶えていませんが、ここもガラスから除いたように思います。ガラス越しで中もあまり見えなかったんだと思いますが、中の様子がまったく記憶にありません。
二階堂から山門の方を見下ろすとこんな感じです。
※二階堂から見下ろす境内
結構遠くまで来ているように見えます。
そこから戻る形で多宝塔の方に向かったのですが……。5分ほど歩いて、妙に身軽なことに気づきます。そうです、お杖を忘れてきてしまったのです。
二階堂に上がったときに、靴を脱いでお杖も立てました。それで戻るときには、靴はさすがに履きましたが、お杖を忘れてしまったのです。何とも間抜けですが、戻ります。合わせて10分ほどのロスです。
それから多宝塔の正面に回りました。
※多宝塔
いつの建立かは分かりませんが、明治時代以降でしょうか。結構新しいように思います。
※多宝塔を右下から眺める
ツツジが本当にキレイです。
さあ、後は下っていくだけです。
下りはあっという間で、5分程度で弁天堂のところまで降りてきました。
※弁天堂
山側には滝があり、水が弁天池の方に流れていくようになっています。
※滝
弁天池には鯉のエサやり場というのがあり、鯉が自然と集まってきています。私はエサを買う気はなかったのですが、もらう気満々の鯉もいます。
※弁天池の鯉
帰りは、池の南側を通って、お休み処 花の茶屋の中に入っていく感じになります。境内の方を見上げると、こんな風にとても美しいです。昔の人がこんなお寺を見たら、極楽浄土とはこのようなところか、と考えたことでしょう。右上から二階堂、多宝塔、不動堂、本堂と、重要な建物の多くを見ることができます。
※池の南側から見た境内
というわけで、最後にお休み処 花の茶屋に入りました。ここは食事処とショップが併設されています。出口がショップになっているというのは、テーマパークのような方式ですよね。こういった方式は、他のお寺では見られなかったのですが、一般の参拝者から何とかお金を集めて、お寺を維持していくことを考えると、とても上手いやり方だと思います。今時、寄付等もそんなに集まらないでしょうから、お寺や貴重な文化財を守っていくことを考えると、お寺の方もある程度は世俗的な商業主義を取り入れざるを得ないような気がします。
で私が何か買ったかというと、買いませんでした! ちょっと前にテレビ(※番組名は忘れました)で「勝ちグミ」というお菓子の紹介などをやっていて、ネーミングセンスがあって面白いなあ、とは思っていたのですが、グミはあまり好きじゃないんですよね。グミって消化が悪く腹持ちがいいのに、栄養がほとんどありません。ダイエットしている人にはいいのかもしれませんが、お腹がふくれるとご飯がしっかり食べられないので、私はグミがあまり好きではないのです。
ショップを出て駐車場に戻ると、すでに10時30分になっていました。1時間以上参拝していたことになります。しかし見所が多く寺域が広いお寺でもあるので、それくらいの時間はかかって当然だと思います。ツツジもキレイでしたし、また四季折々の花々が目を楽しませてくれるのでしょう。
というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「総持寺」(2021.4.21) ◁ 南坊の巡礼記「勝尾寺」(2021.4.22)
南坊の巡礼記「勝尾寺」(2021.4.22) ▷ 南坊の巡礼記「中山寺」(2021.4.22)
最終更新:2021.6.15
*1:国会図書館デジタルコレクション『諸寺縁起集』(所収『大日本仏教全書.118』)2021.6.9閲覧
*2:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)
*3:総持寺ホームページ「御寄進のお願い」2021.6.9閲覧