西国三十三所の第二十二番札所は、補陀洛山ふだらくさん総持寺そうじじです。大阪と京都のほぼ中間の茨木市にあるお寺で、住宅街の中に位置しています。拝観料がかからないこともあり、近所のお年寄りや子どもたちの憩いのスペースともなっています。
総持寺の巡礼情報
総持寺は料理人の尊崇を集めているお寺としても知られており、毎年4月18日に山蔭流の庖丁式が行われます(※2021年はコロナ禍を受けて中止)。庖丁式では、手で触れることなく、真魚まなばしと庖丁だけで鯛や鯉などをさばきます。この儀式は、お寺を創建された藤原山蔭卿が仏師に千日間も自ら料理をふるまったことに因んでいるそうです*1。境内には包丁塚があり、使えなくなった包丁の供養に訪れる料理人の姿が跡を絶ちません。
総持寺の縁起
総持寺の成立縁起は、総持寺のホームページに詳しく記載されています。
sojiji.or.jp(2021.6.6閲覧)
それによりますと、総持寺の縁起は「亀の恩返し」とも言えるかなり興味深いお話になっています。
藤原山蔭の父であった藤原高房(※藤原北家を創始した房前4世の孫)が、太宰府に赴任している途中で淀川を下っていたところ、漁師たちが1匹の大亀を捕らえていたそうです。この日が18日で観音さまの縁日だったことから、かわいそうに思った高房は自分の着物と交換して、亀を助けてやりました。
するとその夜、高房の後妻が陰謀を企て、高房の先妻の子である山蔭を川に落としてしまいました。これを知った高房が観音さまに「せめて亡骸でも」とお祈りすると、助けてやった大亀が元気な山蔭を背に載せて現れた、とのことでした。
その後高房が亡くなり、父の遺志を継いだ山蔭が観音像の造立を発願し優れた仏師を探そうと長谷寺に参籠したところ、観音さまのお告げにより童子姿の仏師と出会います。仏師は「千日間は誰もこの仏舎に入らないように。その間の食事は山蔭自身で作ること」との約束をさせました。そして千日目の朝、「長谷の観音さまはいずこに?」との声が聞こえ、「行基菩薩よ、今参る」との答えがあって、仏師は姿を消したそうです。仏舎には、亀の背に乗ったお姿の見事な観音像が安置されていた、ということです。
そして山蔭も亡くなってしまい、その三回忌に総持寺の伽藍が完成しました。それは平安時代前期の寛平2(890)年2月4日のことと伝えられています。
総持寺の見所
総持寺の見所をご紹介します。
山門(仁王門)
※山門
総持寺の山門です。建立年代を正確に示す史料はないそうですが、江戸時代中期の寛政10(1798)年に刊行された『摂津名所図会』に同じ姿の楼門が描かれていることから、遅くとも18世紀後半には存在していたと推定されるそうです。茨木市の指定文化財になっています。なお、左右の金剛力士像は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての14世紀の造立と考えられる、とのことです。
※阿形
※吽形
鐘楼
※鐘楼
18世紀ごろの建立と考えられているそうです。茨木市の指定文化財となっています。かつては、室町時代後期の永享6(1434)年の銘が刻まれていた片桐且元の陣中の鐘と伝わる梵鐘が納められていましたが、その梵鐘は現在納経所にて保管されています。
本堂
※本堂
総持寺の伽藍は戦国時代以降の戦乱による荒廃を経て、慶長8(1603)年に豊臣秀頼の命を受けて片桐且元が再建したそうですが、現在の本堂は江戸時代中期の元禄12(1699)年の再建当初に復元できたと考えられているようです。茨木市の指定文化財となっています。ご本尊は亀に乗った十一面千手観世音菩薩で、秘仏ですがお前立ちのお姿を拝することができます。
大師堂
※大師堂
弘法大師をお祀りする大師堂です。
薬師金堂
※薬師金堂
江戸時代前期の慶安2(1649)年、四天王寺の大工によって建立されたそうです。茨木市の指定文化財となっています。内陣の宮殿型厨子くうでんがたずしも当初のものとされ、和様を基調とする端正な厨子とのことです。ご本尊の薬師如来は14世紀の鎌倉時代末期から南北朝時代のものとされます。
経蔵(宝蔵)
※経蔵
一切経典を納める経蔵で、ご本尊は文殊菩薩です。校倉造の建物で、茨木市の指定文化財となっています。1874年の境内絵図に「宝蔵 寛永廿未年再建現住隆慶」と書かれており、寛永20年の建立と考えられるそうです。数少ない校倉造の遺構として、大阪府下では総持寺以外に、文化7(1810)年に建立された四天王寺の宝蔵のみが知られているとのことです。
鎮守社
※鎮守社
杮葺きの屋根が特徴的な鎮守社です。大黒天、弁財天、青面金剛が祀られています。茨木市の指定文化財となっています。
包丁塚
※包丁塚
使わなくなった庖丁を奉納すれば供養してくれる、包丁塚です。当山開基の藤原山蔭が創始した、山蔭流の庖丁道に由来しています。
ぼけ封じ観音
※ぼけ封じ観音
近畿十楽ぼけ封じ観音霊場の一つとなっており、六番目の霊場となっています。また、堂内には西国三十三所と四国八十八ヶ所の霊場のご本尊を写した石仏が祀られています。
開山堂
※開山堂
阪神淡路大震災で被災した旧堂を、2006年に再建したそうです。伽藍と周辺との高低差を活かした、大阪府では類例が少ない懸け造となっています。総持寺の開山とされる藤原山蔭をお祀りしており、山蔭流庖丁式はここで行われます。
亀池
※亀池
総持寺の縁起にちなみ、多数のカメが養われています。
総持寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。
おしなべて おいもわかきも そうじじの
ほとけのちかい たのまぬはなし
(おしなべて 老いも若きも 総持寺の
仏の誓い 頼まぬはなし)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*2によります。
この世の中は差別の世の中である。ものにはみな千差万別があり、人もまたさまざまです。しかし、そのような差別の世の中にあって押し並べて等しいもの、それは幸を求める人の心です。その人の心にしっかりと答えてくださるのが観音さまです。ここ総持寺の御本尊さまは、御霊験もあらたかな有り難い千手観音菩薩にまします。誰であろうと、一心にみ名を唱えておすがりすれば、全て別け隔てなくお救いくださる有り難いみ仏にまします。
「老いも若きも」というところから少し宗教的に踏み込んだ解釈をしておられます。しかし、実際に私が参拝したときも年配の方をはじめ小さな子ども連れの方など、多くの方がお寺で憩いの時間を過ごしておられました。
総持寺へのアクセス
総持寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
sojiji.or.jp(2021.6.6閲覧)
公共交通機関
JR「JR総持寺駅」下車徒歩約5分。
お車
名神高速道路「茨木IC」から東進。約10分。
駐車場あり。約20台。最初の40分300円。以降20分ごとに100円。
※山門下の駐車場への案内板
総持寺データ
ご本尊 :十一面千手観世音菩薩
宗派 :高野山真言宗
霊場 :西国三十三所 第二十二番札所
ぼけ封じ近畿十楽観音霊場 第6番
摂津国三十三所 第27番
摂津国八十八ヶ所 第47番
神仏霊場巡拝の道 第63番
所在地 :〒567-0801 大阪府茨木市総持寺1-6-1
電話番号:072-622-3209
拝観時間:6:00~17:00
拝観料 :無料
URL :http://sojiji.or.jp/
第二十一番札所 穴太寺 ◁ 第二十二番札所 総持寺 ◁ 第二十三番札所 勝尾寺
南坊の巡礼記「総持寺」(2021.4.21)
第二十一番札所の穴太寺を出発してから一度JR「亀岡駅」に寄り、スタンプをもらいます。京都縦貫自動車道に乗ってから名神高速道路に乗り換えるという方法もあるのですが、距離的には短いので山越えの下道ルートを選びました。府道6号枚方亀岡線を通ると、途中で茨木方面は右折となって府道46号茨木亀岡線を南下します。採石場の横を通って新名神高速道路の高架をくぐり、安威川ダムの横を通ってひたすら市街地へ向かいます。名神高速道路の高架をくぐると、国道171号線との「西河原西」交差点に着きます。ここは、直進するためには2車線のうちどちらを走ったらいいのか分からない交差点の一つなのですが、今回は左折ですので、左側の走行車線に行っておけば間違いないです。
無事に左折して171号線を東進すると、今度は「西河原」交差点を右折して南下です。磯良神社(疣水神社いぼみずじんじゃ)の横を通ってJR京都線の高架をくぐります。ここから少しややこしいのですが、コンパクトカーの場合は「総持寺交番前」を直進して次の左に入っていける辻を左折すると、正面に山門が見えてきます。山門前で右折するとすぐ左側に駐車場があります。
※総持寺山門前の駐車場案内板
少し大きい車の場合は、「総持寺交番前」で左折していただき、JR京都線にぶち当たったら鋭角に右折して、清風会茨木病院の南側を線路から離れるように進んでいただければ、山門が左手に見えてきます。
14時57分、総持寺の駐車場に到着です。
駐車場からですと東門から入れるのですが、せっかくですので正面の山門側に回っていきます。今までの札所でもお見かけした「下馬」と書いてある碑も建っています。
※山門の右下
伽藍は少し高くなっているところにあります。登っていく途中に、かわいらしい手水舎がありました。
※手水舎
このレベルから山門までは、まだこの階段を登らないといけません。
※山門前の階段
左側に回って山門を見上げるとこんな感じです。
※総持寺の碑
ガメラの上に「総持寺」という石碑が建っています。
なお、車椅子の方でも上がれるように、スロープもあります。
※スロープと懸け造の開山堂
高さの違いを利用して、開山堂は懸け造となっています。
※山門
山門まで階段を登り、山門をくぐって境内に入っていきます。正面に本堂があります。
※境内正面の様子
本堂の右側には大師堂があります。
※本堂の右側の様子 右の建物が大師堂
左側には薬師金堂などがありました。
※境内左側の様子 中央が薬師金堂
まずは本堂にて納経を済ませたいと思います。
※本堂
参拝者の方はちらほらいらっしゃいます。早速納経をさせていただきました。本堂の内陣には入れません。もともと、4月18日にご本尊の特別拝観が予定されていましたが、大阪府にまん延防止重点措置が出された時点で中止となってしまっていました。その後3度目の緊急事態宣言が出され、7月までの特別拝観はすべて中止となっています。ただし、お前立ちのお姿は覗かせていただくことができます。事前の予習のとおり、本当に亀の上に乗っておられます。
本堂での納経を終えると、次は大師堂に行きました。本堂の次は大師堂、というのは、四国八十八ヶ所で染みついた習性のようなものです。
大師堂の南側には、珍しい高野山奥之院遙拝所がありました。
※高野山奥之院遙拝所
確かに、地図で確認すると高野山奥之院は総持寺のほぼ真南に位置しています。
納経所の前に、瓦窯跡がありました。
※総持寺瓦窯跡
納経所は近代的な建物です。霊場の案内もかけられています。新しい霊場会なので、神仏霊場巡拝の道の案内はかけられていません。
※納経所入口
納経所の中に、室町時代の梵鐘が保管されていました。
※梵鐘
総持寺の納経所には、いろいろ巡礼グッズが販売されています。西国三十三所だけでなく、四国八十八ヶ所に関するものもあります。ご宝印をいただいてから私もしばらく物色させていただきましたが、西国観音霊場地図風呂敷を買おうかどうか迷ったすえに、結局買いませんでした。私は2021年1月2日に初詣に訪れた際、こちらで『西国三十三所をめぐる本』を購入し、「駅からはじまる西国三十三所めぐり」スタンプラリーに参加しました。以前、「西国三十三所 JR西日本キャンペーン事務局から「特製散華台紙」が届きました!」でもお伝えしたとおり、もう1回スタンプを集めて「オリジナル手ぬぐい」をもらおうと思っていますので、こちらでまた本を購入させていただこうと思っています。
また、これも何回かお伝えさせていただいていますが、総持寺オンラインショップは本当に神サイト、いや仏サイトですので、皆さんもぜひご利用ください。
store.sojiji.or.jp(2021.6.6閲覧)
さて、外へ出て他の建物を見て回りましょう。池の裏手には閻魔堂がありました。閻魔さまが長谷寺の徳道上人に衆生を救うために与えたのが、三十三のご宝印だと言われています。
※閻魔堂
まずは境内の西側に行きました。薬師金堂などを順番にお参りしていきます。
※如来荒神堂?
説明板を写真にとっていなかったので、正確には分からないのですが、おそらく上の写真は如来荒神堂だと思います。茨木市教育委員会の説明板らしきものが建物に置かれています。茨木市のホームページ*3によると、総持寺の建物で茨木市の指定文化財になっているのはご紹介した以外ではあと如来荒神堂と庫裏と東門だけですので、おそらく間違いないでしょう。Googleマップで確認しても、位置的にやはり如来荒神堂と思われます。
境内の西側から北側に回っていきます。すると、包丁塚がありました。
※包丁塚
少し前に山蔭流庖丁道をテレビで拝見し(※番組名は忘れてしまいました)、すごい技術もあるもんだなあと感心していたところでしたので、総持寺がその聖地であると知ったときには身震いがしました。そんなすごいお寺が近くにあったなんて!ということです。
本堂のちょうど真裏には、ぼけ封じ近畿十楽観音をお祀りする普悲観音堂がありました。
※普悲観音堂
このお堂の中には、左の手前から四国八十八ヶ所、右の手前から西国三十三所の各霊場のご本尊を写した石仏がお祀りされています。四国と西国すべてを一堂に会しているというのは、珍しいと思います。
※四国八十八ヶ所のご本尊の石仏
※西国三十三所のご本尊の石仏
四国八十八ヶ所第九番札所の法輪寺のご本尊は涅槃仏なので、2体分の場所をとってしまっています。
ぐるりと回って、境内の東側に行きます。東南側には、ポタラというカフェがありますが、そこまでの途中に石碑とパネルがありました。
※大阪府立茨木高等学校発祥の地の石碑 影は私
茨木高校(※通称「いばこー」)はここが発祥の地なんですね。
※ゆるキャラ?
ちょっと名前は分からないのですが、ゆるキャラのパネルです。うーん、正直に申し上げますと、十一面と千手は仏像だったら何とも思わないのですが、こんな感じでマンガの絵で描いてみると意外と不気味ですね、カメはかわいいと思います。カメ推しでいけばいいと思います。ちょっと記憶が定かではないのですが、とくに商品展開はしていないようです。カフェでやってるのかもしれないですが……。
最後に、境内の南西サイドへと行ってみました。ここには亀池や開山堂があります。
開山堂には、山蔭流庖丁式が中止となったことをお知らせする案内が出ていました。その業界の人にとっては、かなりショックなことだと思います。
※開山堂の説明板
この辺は池が作られていたり、築山があったりで、キレイな庭園にもなっています。庭園の一角にはお稲荷さんもありました。今までとくに触れてきませんでしたが、札所にはだいたいお稲荷さんがあります。
※稲荷社
この辺りでは子どもたちがとても楽しそうに遊んでいました。境内に無料で入れるというのは、地域の方にとってはとてもありがたいお寺だと思います。
※閻魔堂と池
池にはたくさんのカメがいて、観音さまのお使いとしてカメを大事にしていることが分かります。子どもだったら、この池を見ているだけで何時間も過ごせると思います。
※亀池と無数のカメたち
お天気がいいので、たくさんのカメが文字どおり甲羅干しをしていました。とても気持ちよさそうですね。
これで境内は一回りです。境内の大きさからすれば、拝観に1時間もかからないくらいだと思います。
しかし、山号に補陀洛山を名乗るだけあり、どことなく極楽浄土を思わせるような雰囲気のあるお寺です。ちょっと感じは違うのですが、私は足摺岬にある四国八十八ヶ所第三十八番札所の金剛福寺を思い出しました。金剛福寺も院号で補陀洛院と名乗っています。補陀洛とは、観音さまがいらっしゃる土地を指しますが、カタカナではポータラカやポタラと書きます。
とても雰囲気がいいお寺なので、また参拝も兼ねて巡礼に必要なものを買いに来たいと思います。
というわけで皆さんも! Let’s start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「穴太寺」(2021.4.21) ◁ 南坊の巡礼記「総持寺」(2021.4.21)
南坊の巡礼記「総持寺」(2021.4.21) ▷ 南坊の巡礼記「勝尾寺」(2021.4.22)
最終更新:2021.6.9
*1:西国三十三所札所会ホームページ「総持寺」2021.6.6閲覧
*2:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)
*3:茨木市ホームページ「茨木市の指定文化財」総持寺PDF2021.6.6閲覧