西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第二十五番札所 播州清水寺 ~霊泉湧き出る濃緑の深山 播磨の国の元祖清水寺~

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清水寺大講堂

記事訂正あり(2022.12.19)

西国三十三所の第二十五番札所は、御嶽山みたけさん清水寺よみずでらです。京都の清水寺と区別するために西国三十三所の札所会でも播州清水寺ばんしゅうきよみずでらという呼び方をしておられますし、お寺でも割と積極的にその呼称を使用しておられますので、このレポートでも播州清水寺と呼ばせていただきます。

播州清水寺の巡礼情報

実は創建は京都の清水寺よりもこちらの方が150年ほど古く、むしろ本家という感じがいたします。白洲正子さん*1によると、京都の清水寺を造営した坂上田村麻呂播磨丹波にかけて勢力をもつ渡来系の豪族で、播州清水寺の観音さまを深く信仰したので京都にも同じように清水寺を建立した、ということです。実際にこのお寺には田村麻呂が奉納した「騒速そはや」という剣があるそうですので、確かに京都の清水寺と何らかのご縁があるように思われます。

播州清水寺の縁起

播州清水寺の成立縁起は、播州清水寺のホームページに詳しく記載されています。

kiyomizudera.net(2021.6.16閲覧)

それによりますと、この御嶽山を開いたのは花山院菩提寺と同じく、法道仙人であるとされます。

何と時代は7世紀の花山院菩提寺の創建よりもさらに下って今から1800年前、あの日本武尊ヤマトタケルの父であった第12代の景行天皇の時代になります。そのころ、インドの僧であった法道仙人が、中国・朝鮮を経て御嶽山にお住まいになったということです。

そして推古天皇35(627)年、勅願により根本中堂が建立されて、法道仙人が一刀三礼した秘仏の十一面観音像などが安置されたそうです。

ここでちょっと疑問が生じます。そもそも景行天皇の時代には日本に仏教はまだ伝来していないわけですが、なぜそこまで創建を古くする必要があったのか、ということです。

第二十六番札所の法華山ほっけさん一乗寺いちじょうじの創建が白雉元(650)年とされていますので、推古天皇35(627)年の創建で十分勝っているわけです。そこからさらに400年も創建年代をさかのぼらせる必要があったのでしょうか。

 

※以下の文章に関してですが、ご本人から訂正依頼がございました。河村昭一先生の著書で扱っておられる「住吉社」とは、大阪の住吉神社でした。ここに訂正してお詫び申し上げます。

河村昭一さん*2によりますと、播州清水寺は中世において加西市の住吉神社と抗争を繰り広げていたということですから、神社勢力よりも由緒正しいということを主張しようとしていたのかもしれません。それゆえ、創建年代がより古くなっていったのではないでしょうか。

※なお、経緯を明らかにするために、しばらくこの状態で掲載させていただきます。

さて、「清水寺」という名称の由来ですが、この地は山にあって水に乏しかったので、法道仙人が水を求めて水神にお祈りしたそうです。すると確かに霊泉が湧き出したので、この泉にあやかって「清水寺」と名づけられたということです。

後、神亀2(725)年、聖武天皇行基菩薩に勅願して大講堂を建立され、この地は経典の講義の場として永く信仰を集めるようになったそうです。

播州清水寺の見所

播州清水寺の見所をご紹介します。

仁王門

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※仁王門

先代の仁王門は1965年に台風で全壊してしまいましたが、1980年に現在地に新築して再建されました。漆下地に朱を塗るという本格的な彩色法で、1992年の11月に丹塗りが完成したそうです。門内には、大正10(1921)年に開眼供養された修善金剛神と断悪金剛神が安置されています。

薬師堂

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※薬師堂

オリジナルの建物は平清盛の義母であった池の禅尼が建立したそうです。現在の建物は、1984年に檜材を利用して再建されました。ご本尊は木造の薬師如来坐像です。また、平城京遷都1300年祭に際し誕生し物議を醸したものの、着ぐるみが意外と愛らしくて今でも奈良県マスコットキャラクターを務めているせんとくんのデザイナーであった東京芸術大学の籔内佐斗志教授が制作された十二神将像が安置されています。これは写真に撮ることができます。

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※卯年、辰年、巳年の十二神将像

大講堂

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※大講堂

聖武天皇の勅願所として、行基菩薩が神亀2(725)年に創建したとされます。先代の建物が1913年に火災で焼失し、4年後の1917年に京都大学の武田五一博士の設計により再建されました。西国三十三所の札所で、ご本尊は十一面観音菩薩です。建物は国の登録有形文化財に指定されています。

地蔵堂

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※地蔵堂

もともとは地蔵堂ではなく、この場所には後白河法皇が建立した常行堂が建てられていたそうです。現在の建物は1982年に神戸大学元副学長の多淵敏樹先生の設計で建立されました。ご本尊の地蔵菩薩像は1937年、東京芸術大学の菅原安男名誉教授の作です。

鐘楼

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※鐘楼

1913年に焼失し、1920年に再建された袴腰の鐘楼です。梵鐘は山上で1919年に武田五一博士の意匠で鋳造され、天台座主の吉田源応師が銘を書かれました。建物は国の登録有形文化財に指定されています。

根本中堂

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※根本中堂

推古天皇の35(627)年、勅願で金堂として建立されました。ご本尊の十一面観世音菩薩は法道仙人の一刀三礼の制作とされ、秘仏となっています。現在の建物は1913年の火災の後、1917年に京都大学の武田五一博士の設計により再建されました。国の登録有形文化財に指定されています。

多宝塔跡

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※多宝塔跡

オリジナルは保元2(1157)年、平清盛の養母である祇園女御の建立とされ、五智如来が祀られていたそうです。1907年に火災で焼失した後、1923年に再建されましたが、1965年の台風で大破したため、礎石のみを残して更地となりました。この塔に関しては、白洲正子さんが上述の『西国巡礼』の中で描写を残してくださっていますので、少し引用してみたいと思います。

多宝塔は、そこからはるか上の峰にあるので、少し面倒くさいと思ったが、坊さんのあとについて行くと、石段をいくつも登ったあげく、ようやく塔の下に辿りついた。この塔も、それから下の本堂もたびたびの火災に焼け、昭和のはじめに造られたというが、いいかげんな徳川期の建築よりしっかりしており、装飾過剰でないのが気持ちいい。

塔の内部は真暗で、怪しげな梯子を、手さぐりで登って行く。天井につくと、明りとりのような入口があって、そこの扉がきしみながら開かれたとたん、私は思わず息を呑んだ。想像もつかないような景色が目の前にあった。

「正面に見える海は、高砂の浦です。東は淡路島、西にぼんやり見えるのは小豆島でしょう。六甲の展望台が、あれあんな下の方に見えます。それから東の方に、かすかに見えるのは京都の東山ですね。どうです、すばらしい眺めでしょう」

と坊さんは自慢する。

京都の東山まで見えたということですから、歴代のご住職はなおのこと、こちらが本家の「清水寺」だぞ、という気持ちでこの景色を眺めておられたのかもしれません。

おかげの井戸

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※おかげの井戸

滾浄水とも呼ばれます。開山の法道仙人が水神に祈って湧き出したとされる霊泉です。この井戸を覗いて自分の顔が写ったら、寿命が3年延びると言い伝えられているそうです。

月見亭

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※月見亭

播州清水寺の大法会で夏の終わりに行われる二十六夜月待で月を待つのに最適なところです。

播州清水寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

あはれみや あまねきかどの しなじなに

 なにをかなみの ここにきよみず

(あはれみや 普き門の 品々に

   なにおか波の ここに清水)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*3によります。

「あわれみや」とは、悩みや苦しみの多い私たちへの観音さまのあわれみの心です。

「普き門の 品々に」とありますのは、観音さまのことは『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』に述べられておりますが、この普門品第二十五と、御当山清水寺が西国三十三所の第二十五番のお札所であることが重ねられています。

また、「なにおか波の」には、おか(岡—寺の建っている山)、波(悩み)がそれぞれ掛け言葉として用いられており、「ここに清水」では、ここにきよ(来る)と、(罪業深き私たちの心身の汚れを清める)清水寺が掛けられています。技巧の凝らし過ぎのようにも思えますが、当時はこのような掛け言葉がよく用いられたのです。

普門品第二十五と第二十五番札所を掛けているとは、かなりのテクニックです。まあ、この二十五番でしかできませんので、ずっと第一番札所から狙っていた可能性もありますが。非常に技巧が凝らされたキレイな和歌のように思います。

播州清水寺へのアクセス 

播州清水寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

kiyomizudera.net(2021.6.16閲覧)

公共交通機関 

JR「相野駅」から神姫バス 「播州清水寺」行に乗車、「清水寺」下車すぐ(「相野駅」から約35分)。

※バスは1日2本しかないため、必ずダイヤを確認すること 

お車 

舞鶴若狭自動車道「三田西IC」から北西に約20分。

駐車場あり。350台。無料。

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※駐車場 右側に山門がある

播州清水寺データ

ご本尊 :十一面千手観世音菩薩

宗派  :天台宗

霊場  :西国三十三所 第二十五番札所

     播磨西国観音霊場 第21番札所

     播磨薬師霊場 第10番札所

     神仏霊場巡拝の道 第78番

所在地 :〒673-1402 兵庫県加東市平木1194

電話番号:0795-45-0025

拝観時間:8:00~17:00

拝観料 :大人500円 高校生300円       

URL   :https://kiyomizudera.net/

播州清水寺の境内案内図

 下記サイトに案内図があります。

kiyomizudera.net(2021.6.16閲覧)

 

番外 花山院菩提寺 ◁ 第二十五番 播州清水寺 ▷ 第二十六番 一乗寺

南坊の巡礼記「播州清水寺」(2021.4.23)

この日は兵庫県南西部の播磨国の3か寺を打つ予定でしたので、ちょっと早めの5時に起床して、7時に出発しました。中国自動車道から舞鶴若狭自動車道に乗り換えて三田西ICで高速を降ります。ここからは下道ですが、田舎道で空いていましたし、快適なドライブでした。8時10分に登山口の入口に到着です。

ここにはゲートがあって、おばあさまがいらっしゃいました。「お一人ですか?」と聞かれましたが、要するに車ではなく人間に通行料(※拝観料となっている)がかかる仕組みです。とても感じのいい方でした。

そこからさらに5分ほど登ると、播州清水寺の駐車場に到着です。

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※播州清水寺の駐車場

駐車場は第1駐車場から確か第3駐車場まであったように思います。写真は第1駐車場で、1層下が第2駐車場になっていますが、そこに古いトイレがあります。男女別だったかどうか記憶が定かではないのですが、男性用の小便器は個人用になっていないタイプです。これ、若い方は分からないと思うのですが、要するに壁側がタイル貼りになっており、下には溝があるので、そちらに向けて放つ感じです。私の地元の清水小学校(※播州清水寺とはまったく無関係)の当時旧校舎と呼ばれていた校舎も、このタイプでした。なお、境内にはキレイなトイレがあります。

8時過ぎということもあって、車が1台も停まっていません。かえってどこに停めようか迷いますが、適当なところに停め、身仕度をして出発です。

山門をくぐると、説明板がありました。

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※播州清水寺説明板

坂上田村麻呂が佩刀を奉納したことについての説明板もありました。

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※坂上田村麻呂の佩刀奉納に関する説明板

なお、この刀は「大刀」として国指定の重要文化財になっています。なお、「騒速そはや」という名称は文献史料等に出てくるようですが、3口ある大刀のうち、どれが騒速かは分からないようです。

順路ははっきりと決まっているわけではないと思いますが、メインと思われる道は売店を過ぎたらしばらく石垣の道を下っていく感じになります。

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※清水茶屋(売店) 帰りに撮影

上の写真の向こう側が駐車場で、右下の方に進むのがおそらく正しいルートだと思います。

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※石垣の道

シャクナゲがキレイに咲いている石垣の道を下ります。すると、お寺では見慣れない言葉を目にします。

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※ドッグラン入口 手前の建物は人間用トイレ

ドッグラン……? お寺にドッグラン?

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※ドッグラン

見事なドッグランです。新しいですし、大型犬と小型犬で区別されているなど、設備もしっかりと整っています。

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※ドッグラン説明板

播州清水寺のホームページでも、確かにドッグランのアピールをしておられます。今はお寺も様々な形で生き残りを図っているんですねえ。

さらに下ると、伽藍の最下層のレベルにしてメイン部分に到着です。

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※播州清水寺伽藍の中心部

この左側にある建物が薬師堂で、内部の写真を撮ることができます。有名な十二神将像があります。

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※薬師堂前の案内板

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※子年

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※丑年

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※寅年(私の干支)

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※午年、未年、申年

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※酉年

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※戌年

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※亥年

どことなくユーモラスでありながら躍動感あふれる造形です。100年くらい経ったらもう神格化されているんでしょうね。

薬師堂を出て放生池の周りを回ってみます。どうやら大講堂に行くべきであるようです。

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※大講堂

大講堂は中に入れます。ガラス戸を開けて入るというのも、珍しいように思いました。

中では写真が撮れませんので、納経をさせていただき、ご宝印をいただきました。納経所大講堂内にあります。参拝者がどなたもいらっしゃらなかったので、大変お参りしやすかったです。

大講堂の外に出ると、引退ポストなるものがあるようです。行ってみることにしました。

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※引退ポスト案内板

40メートルと書いてありましたが、体感ではもう少し遠かったように感じました。

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※引退ポスト

かなりの年代ものですね。確かに紅葉の中や雪の中だとかなり映えるのでしょう。新緑の中でもまあまあですが、そこまでではないですね。

大講堂の横まで戻ります。実はポストまでは少し下っていたので、登らないといけません。

そしてさらに、ここからは本格的な登りが待っています。

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※伽藍上層部へと続く石段

放生池の横からこの石段が続いています。左に見えるのは舞台造りになっている大講堂です。まあ、それほど大した数ではありません。

登っていく途中に地蔵堂鐘楼などがあります。

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※右の建物が地蔵堂 正面奥は根本中堂

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※鐘楼

頑張って登ると、ようやく根本中堂に到着です。実は播州清水寺としてはこの建物が本堂に当たります。

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※根本中堂

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※根本中堂外陣

とりあえず外で参拝をしたのですが、中に入るかどうか迷っていました。それで少し離れて考えていると、中からご住職と思われる方が法衣で出てこられましたので、お勤めをされていたのだと思います。迂闊に入らなくて正解でした。しかし、貼り紙などの文面からは、中に入ることはできると思います。

さて、境内はまだ上層部があります。少し進むと、宝篋印塔がありました。

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※宝篋印塔

護摩堂の跡地に、1934年に建立されたようです。何と般若心経の写経を3,333巻納めているそうです。すごい量です。

そこからすぐに見えてきたのが多宝塔跡です。

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※多宝塔跡

1965年に台風で大破するまでは建っていたそうですから、大変もったいない話です。山門も台風でやられたという話ですので、相当な台風だったのですね。

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※多宝塔の礎石

かなり大きな礎石がごろごろしていましたので、多宝塔の大きさもうかがい知れます。またいつか再建されることを期待しましょう。

そこからは、脇の方へ下ったところにおかげの井戸があるようです。

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※おかげの井戸案内板

少し下っていくと、見えてきました。

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※おかげの井戸

井戸の中を覗き込んでみましょう。

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※おかげの井戸

水が滾々と湧き出ていますので、「滾浄水」とも呼ばれています。

境内案内図によるとこの辺りから駐車場の方まで一気に降りていくことができるようですが、いろいろと園丁の方が手入れをされておられ、もう少し境内を見ておきたかったのもあって少し戻る感じで森のような庭園を降りていきました。

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※境内の下っていく道

ところどころに湧き水があります。

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※湧き水

本当に水に恵まれた霊山のようです。月見亭の横を通り、薬師堂の方へ降りていきます。

ところどころ、史蹟のようなものがあります。南朝の有力武将の一人であった赤松氏範が切腹したとされる石もありました。

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※赤松氏範の切腹石

久しぶりに松尾芭蕉の足跡も出てきました。

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※松尾芭蕉発句塚

左の句碑は、松尾芭蕉ではありません。朗霞庵古谷ここく(1787~1872)という人物の俳句です。

この後は薬師堂まで降りてから、またメインの参道を上まで登り、ドッグランや売店の横を通って駐車場まで戻りました。それまでまったく参拝者と会わなかったのですが、帰りにこの参道を通っているときには何人かの方とすれ違いました。わんちゃんを連れている方には会いませんでしたが。

しかし本当に人里を離れた静かな山寺で、犬を遊ばせることができたらさぞかし気持ちいいだろうなと思いました。花の季節や新緑の季節もいいと思いますが、紅葉の季節はさぞかし美しいのだろうと思います。また違うシーズンに来てみたいと思います。

というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「花山院菩提寺」(2021.4.22) ◁ 南坊の巡礼記「播州清水寺」(2021.4.23)

南坊の巡礼記「播州清水寺」(2021.4.23) ▷ 南坊の巡礼記「一乗寺」(2021.4.23)

 

最終更新:2022.12.19

*1:白洲正子『西国巡礼』講談社(1999)

*2:河村昭一『中世の播磨と清水寺』戎光祥出版(2013)

*3:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)