西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第二十八番札所 成相寺 ~日本三景の天橋立を望む 「身代わり観音」おわします雪深き山寺~

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成相寺本堂

西国三十三所の第二十八番札所は、成相山なりあいさん成相寺なりあいじです。三十三所の札所の最北端に位置し、前の圓教寺との間の距離は、札所間の距離としては、一番青岸渡寺と二番紀三井寺の次に長くなります。日本海に面し天橋立を望む景勝地ですが、冬は雪で閉ざされることもあり、札所としては難所だったと思われます。

成相寺の巡礼情報

成相寺は京都府の宮津市にあるお寺で、日本三景の一つ天橋立を望むことができます。お寺の名前の由来は、願いごとがかなう(なりあう)ということであり、後述する身代わり観音で知られています。

成相寺の縁起

成相寺の成立縁起は、成相寺のホームページに詳しく記載されています。

www.nariaiji.jp(2021.6.23閲覧)

また、『今昔物語集』巻十六*1にも記載があります。

 

丹後の国に成合(※成相に同じ)という山寺がありました。観音さまの霊験があらたかなところでした。その寺を成合という理由を説明しましょう。

昔仏道を修行する貧しい僧侶がおり成合のお寺に籠って修行をしていたところ、そのお寺は高い山の上にあって、丹後の国の平地ですら雪が激しく降り風が強く吹きました。ですから、冬の間に雪は高く積もり人は通れなくなりました。この間、道が通れなくなってから何日も経ってしまい、僧侶は食べる物がなく死にそうになっていました。雪が高く積もっているので、里に出て食べ物をもらうこともできませんでした。また、革や木など、食べることのできるものもありませんでした。しばらく祈念してもダメで、すでに十日ばかりになったので、力もなくなり起き上がる気力もありませんでした。それゆえお堂の東南の角に破れた蓑を敷いて臥せっていました。力がないので木を拾って火を焚くこともできず、寺が破損して風もビュービュー吹き込み恐ろしいほどでした。力がないのでお経も唱えられず、仏さまを念ずることもできませんでした。もうちょっとしたら食べ物が出てくるとでも思わなければ、限りなく心細いほどでした。もはや死ぬだろうな、と思いました。このお寺の観音さまに助けてくださいと念じて申し上げ、もう一度観音さまのみ名を唱えようと願いました。

「私は年来観音さまを拝み奉っていたのに、仏前で飢え死にしようとしているとは何と悲しいことでしょう。高い官位を求めて富貴をなさせてください、と願うことは難しいことでしょうが、ただ今は、今日食べて命をわずかばかりでもつなげるものをお与えください」と念じたところ、お寺の北西の角の破れた隙間から外が見え、狼に食べられた猪がいました。「これは観音さまが置いてくださったものに違いない、食べよう」と思いましたが、「年来仏さまを拝み奉っていたのに今さらどうしてこれを食べられるでしょう。聞けば生有る者は皆前世の父母であると。私は飢え死にしましょう」と決意しました。

確かに生き物の肉を食べる人は仏の道を断って悪道に堕ちる道です。ですから猪などの獣は人を見て逃げ去ります。これを食べる人に対しては仏さまも置き去りになさるほどのことです。しかし人の心は弱いので後世の誹りを思うこともできず、今日の飢えの苦しみに耐えられなかった僧侶は、剣を抜いて猪の左右の腿を切り取り、鍋に入れて煮て食べてしまいました。その味の甘いことといったら、今まで食べたものと比べられるものがありませんでした。飢えの心がようやく止まって人心地がつきました。しかし重罪を犯したことを泣き悲しんでおりましたところ、雪もようやく止みましたので、里の人が多くやって来る音が聞こえてきました。

その人たちは外で、「この寺に籠っていたお坊さまはどうなっただろう。雪が高くて人の通った跡もなく、日数が経っているので今は食べ物もないだろう。人の気配が感じられないのはもう死んでしまったのだろうか」と言っていました。それを聞いた僧侶は、まずこの猪を煮て食べたものをどうにかして隠そうと思いましたが、時間がなくどうしようもありませんでした。食べ残したものも鍋にありました。とうとう恥ずかしくて悲しく思っていたところ、人々が皆お堂に入ってきました。

彼らが「どうやって日々を過ごしていたんですかい」と言って堂内を回って見ていると、切られた檜の木が鍋で煮られていたのが残っていました。人々がこれを見て言うことには、「誰かが、お坊さまが食べ物に飢えているだろう、と言っていたけれども、木を煮て食べておられたとはなあ」と慨嘆していた時でした。この人々が仏さまを拝見したところ、仏さまの左右の脚が切り取られていました。これは僧侶が切り取って食べたものだったのだろうということで、奇異に思い、「お坊さまも同じ木を食べるならば寺の柱を食べればいいものを。どうして仏さまの御身を傷つけなさったのですかい」と言いました。僧侶が驚いて仏さまを拝見したところ、人々が言うように左右の脚が切り取られていました。

その時に僧侶は思いました。「では、あのとき煮て食べた猪は、観音さまが私を助けようとして猪になってくださったものだったのだ」と。貴く有り難いことだと思い、人々に向かってそのことをありのまま話しました。するとこれを聞いた者たちも皆、涙を流して有り難いことだ、と観音さまを拝みました。その時、観音さまに向かい言上しました。「もしこのことが観音さまのお力であったならば、元のように脚もお戻しください」と。そのように申し上げたところ、見ている間に観音さまの左右の脚は元どおりになりました。人々は皆涙を流して有り難いことだと感謝したそうです。観音さまが元のとおりにお成り遊ばされたということで、成合というのだそうです。~

 

このお話がいつのことかは分かりませんが、真応上人というお坊さまが、飛鳥時代の慶雲元(704)年に文武天皇の勅願寺として成相寺を開いた、ということです。

成相寺の見所

成相寺の見所をご紹介します。

山門

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※山門

守護法神として仁王像を安置しています。

五重塔

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※五重塔

鎌倉時代の形式をそのままに復元したそうです。

奇怪な話の底なし池

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※奇怪な話の底なし池

弁財天が祀られている蓮池です。伝説では、この池に大蛇が住んでおり、お寺の小僧を次々と飲み込んでいったそうです。そこで和尚さまが藁で小僧の人形を作り、衣を着せたうえで中に火薬を詰めておいたところ、大蛇がそうとは知らずに飲み込んでしまいました。腹の中で火薬がはじけて苦しんだ大蛇は、麓にあった国分寺まで降りて釣鐘を頭にかぶり、なお阿蘇海に入ったそうですが、文殊堂の辺りで力尽き死んでしまった、ということです。

鐘楼(撞かずの鐘)

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※鐘楼(撞かずの鐘)

江戸時代初期の慶長14(1609)年、山主の賢長は新しい鐘を鋳造するため、近隣の住民に寄進を求めたそうです。すると、裕福そうな女性が「子どもはたくさんいるが、お寺へ寄付するお金はない」と断りました。やがて鐘を鋳造する日、大勢の見物人のなかにその女性もいました。ところが、その女性は抱いていた乳飲み子を誤って銅の煮えたぎった大釜の中へ落としてしまったのです。鐘は見事に鋳上がりましたが、鐘を撞くと見事な響きとともに乳飲み子の悲しい泣き声が聞こえてくることから、この鐘はそれ以来撞かれることなく、「撞かずの鐘」と呼ばれるようになったそうです。

一願一言地蔵

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※一願一言地蔵

たった一つだけお願いをすれば、どんなことでも叶えてくれるというお地蔵さまです。安楽ポックリの往生も叶えられると伝えられているとのことです。約650年前の室町時代に造られた、ということです。

巡礼堂

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※巡礼堂

西国三十三所の各霊場のご本尊の写しが安置してあります。このお堂に参拝することで、西国三十三所のすべてを回ったのと同じ功徳・ご利益があるそうです。

本堂

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※本堂

元々の本堂は現在よりも山の上の方に建てられていたそうですが、山崩れのために江戸時代中期の安永3(1774)年、現在地に新しく建立されました。京都府の指定文化財になっています。ご本尊の木造聖観世音菩薩は平安時代のものとされます。縁起にもあったとおり、身代わりとなって僧侶を救ったことから「身代わり観音」とも呼ばれますが、一方で御伽草子に登場する美しく心も優しい梵天国王の姫君が姿を変えられた観音さまともされ、美人観音とも言われています。

十王堂

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※十王堂

孔雀明王、閻魔大王、賓頭盧びんずる尊者などが祀られています。

権現堂

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※権現堂

江戸時代前期の延宝4(1676)年の上棟で、成相寺に現存する最古の建物とされます。熊野権現をお祀りしています。京都府の指定文化財になっています。

鉄湯船

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※鉄湯船

鎌倉時代の正応3(1290)年、鋳物師の山河貞清が製作したとされ、国指定の重要文化財となっています。湯屋で湯船として使用していたもので、直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れてかかり湯をするために使用されていた、とのことです。後には薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられているそうです。

パノラマ展望所

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※パノラマ展望所

成相山のパノラマ展望所です。天橋立を見ることができます。また、土・日・祝日のみ営業しているカフェ美人茶寮もあります。

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※カフェ美人茶寮

成相寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

なみのおと まつのひびきも なりあいの

 かぜふきわたす あまのはしだて

(波の音 松のひびきも 成相の

   風ふきわたす 天の橋立)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*2によります。

「波の音 松のひびき……」これは、これまでの御詠歌にもしばしば用いられてきましたが、まさしく観音さまのお説法と受けとることができます。「成相の……」、この言葉には、「成相寺」という意と、願いが成るの心意が掛けられており、衆生済度の渡す心が感じられます。

成相寺から天橋立が望めるわけですから、逆もまた然りです。日本において唯一無二の奇景、天橋立から成相寺の方を望むと、それは観音さまのおられる補陀洛や極楽浄土を望んだ心地がしたことでしょう。波の音や松が風にたなびく音、それらもちょうどよい効果音になります。このご詠歌はそのような心情を詠んでいるように思います。

成相寺へのアクセス

成相寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

www.nariaiji.jp(2021.6.23閲覧)

公共交通機関

京都丹後鉄道「天橋立駅」から丹後海陸交通バス「伊根郵便局前」行、「蒲入」行、「経ヶ岬」行に乗車、「天橋立ケーブル下」下車(「天橋立駅」から約30分)。天橋立ケーブル「府中駅」から乗車、「傘松駅」下車。

傘松駅」からは徒歩約20分、または「成相寺」行の登山バスに乗車7分。

お車

山陰近畿道「与謝天橋立IC」から北東に約20分。

駐車場あり。約50台。無料。

※カーナビ使用時には「成相寺」では通行止の丹後縦貫林道に案内される場合あり。成相寺山道麓の「丹後郷土資料館」(TEL:0772-27-0230)を目的地にするとよい

成相寺データ 

ご本尊 :聖観世音菩薩

宗派  :橋立真言宗

霊場  :西国三十三所 第二十八番札所

所在地 :〒629-2241 京都府宮津市成相寺339

電話番号:0772-27-0018

拝観時間:8:00~16:30

     8:30~17:00(10月11日~2月末日)

入山料 :大人500円 中学・高校生200円 小学生以下無料       

URL   :https://www.nariaiji.jp/index.php

成相寺の境内案内図

下記サイトに案内図があります。

www.nariaiji.jp(2021.6.23閲覧)

 

第二十七番 圓教寺 ◁ 第二十八番 成相寺 ▷ 第二十九番 松尾寺

南坊の巡礼記「成相寺」(2021.4.30)

いつもどおり5時30分に起きて、準備をします。この日は京都北部の2か寺を打つことにしていました。15年ほど前に舞鶴に行ったことがありましたが、そのときはまだ京都縦貫道が完成しておらず、園部や八木の辺りをちんたらと走っていた記憶がありますが、今は違います。何と京都縦貫道は大山崎JCTから始まって宮津天橋立ICまで続いています。そこからは名前が山陰近畿道と変わりますが成相寺の最寄りの与謝天橋立ICまで一っ飛びです。便利な時代になったものです。

というわけで7時45分に自宅を出て、何と9時50分には成相寺の駐車場に着いていました。駐車場までの山道は割と細い道が多いですが、四国八十八ヶ所の二十一番札所の太龍寺のことを思えば何てことはありません。

地元の方専用の第3駐車場を過ぎると、受付があります。駐車場代は無料ですが、そこで入山料をお支払いしなければなりません。この受付は山門側にはなかったのですが、歩いて登った人もここに来ないといけないのでしょうか?

駐車場は一方通行になっており、受付から入ると山の中を少しだけぐるりと回る感じになっています。山の中に第1駐車場がありますが、停められる台数は少ないです。そちらの方が伽藍には近いですが、私は第2駐車場に停めました。割とキレイなトイレが第2駐車場の近くにあります。また、パノラマ展望所に車で登っていく場合も、こちらからの方が分かりやすいです。なお、車は結構停まっており、参拝者が多いことがうかがえます。

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※境内マップ

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※案内標識

第2駐車場から案内標識に従って進みます。すぐに、鐘楼が見えてきました。

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※鐘楼

鐘楼には「撞かずの鐘」の悲しい謂れがありました。

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※「撞かずの鐘」由来説明板

少しブルーな気分になりながら上を見上げます。参道鐘楼の方を向いて立つと、左が登りで本堂、右が下りで山門となっています。

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※鐘楼よりやや下から本堂を見上げる

やはり気持ち的には山門から入ってお寺をきちんと参拝したいので、まずは山門を目指しました。

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※山門までの参道からの景色

結構山深いことが分かります。鐘楼付近で本堂の方へ行かれる人には会いましたが、こちらに来られる方はいらっしゃいません。

5分くらい下ると、山門に到着です。

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※山門

山門の外には、バス停があります。この写真の右側をバスが通れるようになっています。後から調べたところ、完全に山の麓から登ってくるわけではなく、ケーブルカーの「傘松駅」から登ってくるようです。

龍の彫刻など、結構見応えのある山門です。

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※山門の龍の浮彫

そこからはバスも通る参道ではなく、山の中のもみじ谷という道を通りました。

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※もみじ谷

5~6分で五重塔に到着です。

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※五重塔

新しく建てられたようで、とてもキレイです。一人だけ私と同じようにこの辺をうろうろして写真を撮っている方がいらっしゃいました。

ここからは、上の方にさらに登っていくことができます。登っていくと弁天山展望台というところに行けます。何でもここから見る天橋立が正しい「股のぞき」であるとかで、どれぐらいの距離があるのかは分かりませんでしたが、登ってみようと思いました。

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※龍神の椨

登り口のところにはこの龍神の椨たぶがありました。樹齢300年以上ということで、京都府指定の天然記念物になっているようです。

少しだけキツイ傾斜を登っていきます。しかし、足元よりも大変なのは頭上でした。例によって毛虫がビローンと垂れ下がってきています。小さいので余計に危険です。結局、毛虫が怖くて弁天山展望台へ登るのは断念しました。それぐらい怖い、ということです。

しかし境内の他のところにはいなかったように思うんですよね。圓教寺のときもそうでしたが、毛虫の生息エリアは限られているようです。

というわけで、涙をのんで弁天山展望台を諦め、本堂に向かいます。展望台は車で行けるパノラマ展望所がありますから、よしとしましょう。

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※奇怪な話の底なし池

このときはまだ、怖い話のある底なし池だなどとは思わず、弁天池だな~と暢気に思っていました。ちなみに奥に写っているのが入山受付の建物です。

本堂までの石段の登り口には、善意の杖なるものが置いてありました。

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※善意の杖

明らかに金剛杖のような杖もあります。どなたかの忘れ物だった可能性もありますね。

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※石段登り口

何しろこんな感じですから、お杖はあった方がいいです。何人かが登っておられます。

石段を3分の1くらい行くと鐘楼、さらに3分の1くらい行くとお地蔵さまと西国三十三所の巡礼堂があります。

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※西国三十三所巡礼堂

扉が少ししか開いていないので、とてもお姿を拝見することはできません。これはお堂になっているひな壇型ですね。

残り3分の1を頑張って、本堂に着きました。人が意外と多いのでうまく写真が撮れませんでした。

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※本堂

本堂の中に入り、納経させていただきます。お参りされている方の中には、輪袈裟をつけておられる方もちらほらいらっしゃいました。ここまでの札所ではあまり見かけなかったように思いますが、ここでは数名拝見いたしました。

納経所本堂の中にあります。無事にご宝印をいただきました。なお、本堂内部に左甚五郎の「真向きの龍」という浮彫があったそうなのですが、見るのを忘れていました!

しかも本堂内部の写真撮影は禁止ですが、この「真向きの龍」だけは写真撮影OKなのだそうです。皆さんはきちんと見つけてください。

本堂を出て、左側の方に進みます。十王堂権現堂があります。『西国三十三所をめぐる本』でこの十王堂にある孔雀明王像を紹介していたので、ぜひ拝見したい、と思っていました。

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※孔雀明王像

うーん、この写真では暗くて良さをお伝えすることができませんね。ぜひ、ご自身の目でご覧ください!

本堂以外には大きな建物はありません。目についたのは、あとは鉄湯船でした。

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※鉄湯船

今は水が入っていました。手水鉢のような役目を果たしています。

しかし、以前にお話ししたとおり、本当に昔のお寺には湯屋があったんですね。圓教寺にも湯屋があったとお伝えしました。建物が残っていたのは石山寺くらいでしたが、お寺と湯屋、これはそれなりに面白い研究対象になると思いますよ。

ここでは見るべきものはなくなったようだったので、車に戻ってパノラマ展望所を目指します。車で来られていた方は皆さん、必ずと言っていいほど登っておられました。車だったら5分程度の距離です。ただ、途中で道の整備をしておられたので、少し走りにくい箇所もありました。重機がグワングワンと動いている横をそーっと通らないといけなかったです。

そして道中、旧本堂跡地旧五重塔跡地がありました。現在山の中腹辺りにある山寺というのは、昔は山の上にあったというケースが多いですよね。成相寺もその一つです。

展望所には車を10数台停めることができます。残念ながらカフェ美人茶寮は閉まっていました。しかし、カフェの横から見えた景色は、確かに絶景でした。

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※パノラマ展望台からの景色

下の道が登ってきた道です。なかなか九十九折になっているでしょう。そして中央が天橋立です。いやあ、スゴイですね。天橋立は2回くらい来たことがありますが、あれが自然にできた、というのがスゴイですよね。また、右上のお花(桜?)もキレイでした。絵葉書にできそうな写真ですね。

ここには入れ代わり立ち代わり人が来られますが、まあ滞在時間は5分程度です。お店も開いていないので、景色を見て写真を撮れば後は帰るだけですので。

というわけで私も戻ります。駐車場の出口はバーになっていますが、車が近づけば自動で開きます。ちょうど1時間くらいで、成相寺を後にしました。

今回は季節の選定を誤ってしまい、毛虫に悩まされて弁天山展望台に行けませんでしたが、次回は行きたいと思います。また、ケーブルカーの傘松駅のところからも展望できるそうですので、そちらにも行ってみたいですね。

というわけで皆さん! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「圓教寺」(2021.4.23) ◁ 南坊の巡礼記「成相寺」(2021.4.30)

南坊の巡礼記「成相寺」(2021.4.30) ▷ 南坊の巡礼記「松尾寺」(2021.4.30)

 

最終更新:2021.7.1

*1:国会図書館デジタルコレクション『今昔物語』(所収『国史大系 第16巻』)2021.6.23閲覧

*2:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)