西国三十三所の第二番札所は、紀三井山きみいさん金剛宝寺こんごうほうじ、通称紀三井寺きみいでらです。風光明媚で『万葉集』にも多く詠まれた和歌浦に臨む、名草山なぐさやま西側中腹に建つお寺です。2017年、日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」の構成文化財の一つに加えられた、景勝を誇るお寺です。
前貫主前田孝道師が積極的にお寺の整備に着手され、また西国巡礼も自ら先頭に立って励行されました。前田孝道師の『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』は私の愛読書でもあります。
紀三井寺の巡礼情報
ここからは親しみを込めて「紀三井寺」と呼ばせていただきます。滋賀県大津市にある「三井寺みいでら」と区別するために「紀三井寺」と呼ばれているように思いますが、大津市の「三井寺」とは語源が若干異なります。大津市の三井寺は「御井寺みいでら」、つまり歴代天皇の産湯として使われた御霊泉のお寺という意味です*1が、紀三井寺の方は文字通り三つの井戸があったことからこのように呼ばれるようになりました*2。しかし、ややこしいので紀伊の国の「紀」をつけたのでしょう。
元来は真言宗山階派の一寺院でしたが、1951年に独立して一宗を立て救世観音宗ぐぜかんのんしゅうの総本山となっています。
紀三井寺の縁起
紀三井寺の成立縁起は、紀三井寺のホームページに詳しく記載されています。
奈良時代の光仁天皇こうにんてんのうの宝亀元(770)年に唐から渡来した為光上人いこうしょうにんが諸国行脚をされていた際、この地で宿をとったところ、夜中に名草山の中腹から霊光が輝いているのをご覧になりました。翌日早速登ってみると、千手観音さまの尊像を感得なされました。そこで上人はさらに十一面観世音菩薩立像を一刀三礼してお刻みになり、堂宇を建てて安置された、ということです。
この為光上人なる人物ですが、他にも和歌山県海南市にある禅林寺というお寺も開創したと伝えられています。
寡聞にして他に開創したお寺は分かりませんが、この両寺の間は小山で二山分ほど、直線距離にして7kmほどしか離れていませんので、何らかの関係はあったのでしょう。
紀三井寺の見所
護国院楼門ごこくいんろうもん
※護国院(紀三井寺)楼門
紀三井寺の楼門です。室町時代の永正6(1509)年の建立で、たびたび修理を重ねて今の姿となっています。国指定の重要文化財です。朱塗りが鮮やかで、牡丹と菊の彫刻と映えます。
※楼門の牡丹と菊の彫刻
結縁坂けちえんざか
※結縁坂 西国三十三所では右側通行と左側通行が混在している
楼門から210段の急な階段となります。ここは結縁坂と呼ばれています。由来はなかなかいいお話で、ミカン船伝説で豪商として名高い紀伊国屋文左衛門きのくにやぶんざえもんに関係しています。
もともと文左衛門は貧しい青年で、老母に対する孝行心が篤く、よく老母を背負って紀三井寺の観音さまにお参りしていました。ある日、同じようにお参りしようと坂を登っていると、草履の鼻緒が切れてしまいました。その鼻緒を玉津島神社の宮司の令嬢であったおかよがすげかえてくれたことから二人の間に恋が芽生え、ついに結婚することになったのでした。見事逆玉に乗った文左衛門は、江戸にミカンや材木を運ぶ船を仕立てて成功し、豪商となったのでした。こうしていつしかこの坂は、「結縁坂」と呼ばれるようになったのです。
1999年に放送されたNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」では紀伊国屋文左衛門をラサール石井さんが演じておられ、なかなかに胡散臭い人物として描かれていましたが、このような純朴な青年時代があったのですね。
芭蕉句碑
松尾芭蕉の句碑です。三重県のホームページ*3によると、松尾芭蕉は元禄元(1688)年、45歳の年にお伊勢参りの後に紀伊の国を訪問しているようです。『笈の小文おいのこぶみ』にその記載があるとのことで、また確認しておきます。
みあげれば 桜しもうて 紀三井寺
「しもうて」とはおそらく「終しまい」という意味でしょう。桜の名所として名高い紀三井寺なのに、桜の時分はもう終わっていた、ということだと思われます。
実際、紀三井寺が桜の名所であったということは江戸時代末期から明治時代にかけて日記を残していた紀州藩の学者の娘である川合小梅の『小梅日記』*4でもたびたび言及されています。
一例を挙げますと、嘉永4(1851)年3月の日記には次のように書かれています。
九日。今日も快晴。追々花咲。紀三井寺へ早過、根来只今盛成よし。直川はちらはら咲出るよし也
1851年3月9日は旧暦の3月9日ですので、西暦にすると4月10日です。紀三井寺は早くも桜は過ぎ、根来寺は今盛り、直川観音(本恵寺)はちらほら咲き出ているようだ、と書いてあります。江戸時代から紀三井寺はやはり早咲きの桜の名所だったのですね。
清浄水しょうじょうすい
※紀「三」井寺の井戸の一つ清浄水
三つある井戸の一つ、清浄水です。飲んでみたいですね。
楊柳水ようりゅうすい
※紀「三」井寺の井戸の一つ楊柳水
これも三つある井戸の一つ、楊柳水です。結縁坂から右手に少し離れたところにあります。近くに水が出てくる蛇口がありますが、念のため飲む場合は煮沸するようにとの注意書きがありました。
六角堂
※六角堂
階段を上り終えるとほぼ正面にあるのがこの六角堂です。江戸時代の寛延年間(1750年ごろ)の創建とのことです。ホームページによれば、ここに西国三十三所のご本尊が祀られている(いた?)そうです。
鐘楼しょうろう
※鐘楼
安土・桃山時代の天正16(1588)年に再建されたと伝えられている、珍しい袴腰の鐘楼です。これも国指定の重要文化財となっています。「護国院」というのは、紀三井寺の院号です。
仏殿
※仏殿
2008年に落慶供養が行われた大千手十一面観世音菩薩像が安置される仏殿です。トップの写真がその大観音で、高さは約12メートルとされ、寄木造の立像仏としては日本最大とされます。展望料100円払うと、3階まで登ることができ、観音さまのご尊顔を正面から拝することができます。また、展望回廊から望む和歌浦は絶景となっています。
多宝塔たほうとう
※多宝塔
室町時代の天文6(1449)年に建立された多宝塔です。境内では最古の建築物となります。戦国時代を乗り越えてきた貴重な塔です。
※本堂
江戸時代の中期、宝暦6(1759)年に建てられた本堂です。ご本尊の十一面観世音菩薩さまが祀られています。納経所は本堂外陣左側にあります。
紀三井寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。
ふるさとを はるばるこゝに きみいでら
はなのみやこも ちかくなるらん
(ふるさとを はるばるここに 紀三井寺
花の都も 近くなるらん)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*5によります。
上の句には、長い旅路の苦労を克服して、やっとたどり着いた感じが滲み出ています。またこの言葉には花山法皇がたどられた心の旅路のご苦労のほどもしのばれます。
(中略)
しかし、この御詠歌の下の句を見るとき、花山法皇が観音信仰によって、さまざまな苦悩を克服して、平穏な境地にたどり着かれたことがうかがえます。はるばると紀三井寺へお参りしてみると、「花の都」すなわち仏の浄土も程近く感じられるとお詠みになるほど、心の平安を得ておられたと思われます。
確かに、秘境とも言うべき熊野三山を巡って熊野古道の中辺路を経て紀三井寺に出てきたとすると、「はるばる」という気持ちも分かるように思います。
また、随筆家の白洲正子さんは、ご詠歌全体について「平安朝の帝の調べではない、名もない人々の手から手を経て、精いっぱいこねあげた形跡がある」と触れておられながらも、紀三井寺のご詠歌について次のように述べておられます*6
歌はまずいが実感はよく出ている。「花の都」を歌ってあるところから、あずま人の作だというけれども、私は京都から出て来たのに、やはりやれやれという心地がする。
札所は姫路や北丹など、他にも離れた地域のお寺はありますが、単独で存在しておらず、近郊に2ヶ所程度が存在しています。三十三番札所の華厳寺は、岐阜県に一つしかない札所ですが、三十番札所宝厳寺からの直線距離は約44kmしか離れていません。一方で、一番札所の青岸渡寺と二番札所の紀三井寺とはその倍近い約86km離れています。いかに那智山がポツンと一札所だったかが分かります。
紀三井寺へのアクセス
紀三井寺公式ホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
公共交通機関
JR「紀三井寺駅」下車徒歩10分。
お車
阪和自動車道「和歌山IC」から海南方面へ南下。約40分。
境内裏門前に駐車場あり。10数台。300円。
※紀三井寺参詣者駐車場
境内裏門から山上駐車場に上がることができる。10台程度。700円。
山上駐車場からはエレベーターで伽藍と同じ高さまで上がることができる。
※山上駐車場 奥にエレベーターもあり、足の悪い方でも伽藍まで簡単に行ける
紀三井寺データ
ご本尊 :十一面観世音菩薩
宗派 :救世観音宗総本山
霊場 :西国三十三所 第二番札所
所在地 :〒641-0012 和歌山県和歌山市紀三井寺1201
電話番号:073-444-1002
拝観時間:8:00~17:00
拝観料 :200円
URL :https://www.kimiidera.com
第一番 青岸渡寺 ◁ 第二番 金剛宝寺(紀三井寺) ▷ 第三番 粉河寺
境内案内図
上記サイトの下部に境内の案内図があります。
南坊の巡礼記「金剛宝寺(紀三井寺)」(2021.2.23)
2021年2月23日、和歌山市南郊にある紀三井寺に行ってきました!
前々日に那智勝浦泊で、前日は白浜にあるHOTEL SHIRAHAMAKAN(白浜館)に宿泊し、朝はゆっくりと部屋についている露天風呂につかってから出発です。
9時ごろにホテルを出発しましたが、10時30分には紀三井寺に到着しました。
オフィシャル駐車場の場所が少し初めての人には分かりにくいかもしれません。
南からアクセスするにせよ北からアクセスするにせよ国体道路紀三井寺交差点を東に入ります。紀三井寺ガーデンホテルはやしとモスバーガー紀三井寺店にはさまれた交差点です。ちょっとだけ進むと踏切がありますので、踏切を渡ってすぐ左に曲がります。
※踏切を過ぎるとすぐに左に曲がりたまい内科の方へ
※たまい内科を過ぎて何の目印もないここを右へ入る
※この奥右側に駐車場がある。間違って月極駐車場に停めないように
何とか駐車場へ到着。しかし踏切を渡る前にも株式会社はやしが経営する紀州紀三井寺駐車場(400円)やコインパーキング等もありますので、必ずしもオフィシャル駐車場にこだわる必要はないかもしれません。ただ、上まで車で行きたい方は、この道を通りましょう。
駐車場の受付で駐車料金300円と拝観料200円を支払います。ここでいただいた券を提示すれば、結縁坂の方の入り口から入れる、とのことです。
門前はわりとにぎやかで、お土産屋さんも軒を連ねています。正面には大きな朱塗りの楼門があります。券を提示して入ります。早速左側に大きな閻魔さまの像が出迎えてくれます。西国三十三所の成立に閻魔大王が深くかかわっておられるので、多くの札所で閻魔さまが祀られています。
※紀三井寺 閻魔大王像
楼門をくぐり、境内の中に入ります。正面には結縁坂です。地上からは231段、ここからは210段です。なかなかの階段ですね。実は20年近く前に母と祖母と一緒にここに来たことがあるのですが、祖母は階段を上がることができず、参拝を諦めたことがありました。裏から車で登れるということを当時知っていれば、一緒にお参りできたのですが……。イギリスの哲学者ベーコンが言ったように、やはり「知は力」ですね。
結縁坂はとてもロマンチックないわれがありますが、今回私には何のご縁もありませんでした。観音さまとのご縁は結ばれたとポジティヴにとらえることにします。
伽藍のところまで来ると、桜の木がやはり多いことが分かります。紀三井寺は桜の名所ですからね。結縁坂からほぼ正面には六角堂と鐘楼、右側に仏殿があります。まずは仏殿へ行きます。トップの大観音像がお迎えしてくれます。
※前田孝道貫主之像
おお、私の勝手な巡礼の師匠前田孝道前貫主の像があります。いつもご本を読ませていただいています。
100円払って3階の展望回廊へ行きます。
景色はどうでしょうか。
※和歌浦を望む
見事な鈍色の空と海です!
天気予報では晴だったと思うのですが、ちょっとこの日は2月らしい空でした。
※3階窓から望む大観音像 反射しているのは私の像
大観音さまを上から見下ろします。少し罰当たりかも……。
ここは納骨堂にもなっているようで、永代供養もしていただけるようです。
仏殿を下りて正面を見ると本堂が見えます。本堂までの右側にいろいろと重要な建築物があります。六角堂、鐘楼、多宝塔。多宝塔の横には三社権現もありました。
いろいろとお参りして、最後に本堂に参ります。
※紀三井寺本堂
実は『西国三十三所勤行次第』はここで購入させていただきました。一番札所青岸渡寺では販売していなかったのです。
本堂内陣には入れず、ご本尊は秘仏で直接拝顔することができないため、参拝はここで終了です。
※山上駐車場へのエレベーター入り口 とひがんばし
本堂脇から裏門の方へ下りていけます。
※山上駐車場から見たエレベーター
山上駐車場まで下りてきて、エレベーターを見上げるとこんな感じです。山上駐車場にはトイレもあります。
※山上駐車場から裏門へ続く道
車1台がやっと通れる道です。歩く分には問題ありませんが、傾斜は結構急です。脇には階段もあります。
※松尾芭蕉像
ここにも芭蕉の句碑と像があります。
※裏門
裏門は、現在は使用されていないようです。
裏門側から駐車場に戻ってたっぷり50分、11時20分ごろでした。この日は天気がイマイチで少し暗めな感じでしたが、桜の咲き誇る晴れた日に来たら、さぞかし気持ちがいいでしょうね。
これで紀三井寺のレポートは終了です!
それでは、皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「青岸渡寺」(2021.2.22) ◁ 南坊の巡礼記「金剛宝寺(紀三井寺)」(2021.2.23)
南坊の巡礼記「金剛宝寺(紀三井寺)」(2021.2.23) ▷ 南坊の巡礼記「粉河寺」(2021.2.23)
最終更新:2021.5.27
*3:三重県ホームページ「俳句のくに三重—松尾芭蕉の生涯(芭蕉を名乗る)」
*4:川合小梅著(志賀裕春・村田静子校訂)『小梅日記』平凡社(1974)
*5:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)
*6:白洲正子『西国巡礼』講談社(1999)