西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

街道を行くぞ!第3弾 熊野街道 住吉大社~等乃伎神社

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等乃伎神社

新シリーズ・街道を行くぞ!第3弾、2021年5月28日に行ってきました!

記録的な速さで梅雨入りしましたが、今のところ何とか週1回のペースを守れています。この日は薄曇りの天気で、かえって日射しを避けることができてよかったように思います。

今回も正確な距離ではありませんが、 Googleマップでポイントをチェックして距離を確認したところ、片道何と17.4kmでした! 帰りは少しだけルートを最適化しましたが、往復で33kmは歩いていると思います。時間は休憩をあわせて今回はおよそ9時間半となりました。スマホのアプリでは52,969歩でした。前回、前々回より少し短くなっていますね。

しかし、前回から導入したASUS VivoWatch BP(HC-A04)によると距離は37.82km、歩数は54,647歩、消費カロリーは5,204kcalという結果で、なぜか前回よりもすべてのパラメータが増えてしまっています。まあ、参考程度ということで。

歩いた時間が短くなっているので、やはり前回よりも距離は少し短かったと考えるのが妥当だと思います。

熊野街道 住吉大社から等乃伎とのぎ神社までの旅

熊野街道に関しては、大阪府のホームページ「歴史街道ウォーキングマップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。

www.pref.osaka.lg.jp(2021.5.29閲覧)

上記サイトからマップをダウンロードしていただき、参考にしていただければ、街道歩きがスムーズに運ぶことでしょう。

私はさらに、山と渓谷社から出ている『世界遺産の参詣道をめぐる旅 特選10コース&完全踏破 熊野古道を歩く旅』(※以下、『熊野古道を歩く旅』を参考にさせていただきました。

www.yamakei.co.jp(2021.5.29閲覧)

今回も中断地点まで車で移動します。8時ちょうどくらいに出発し、9時少し前に着きました。時間が時間だけに阪神高速12号守口線が混んでいたため、思っていたよりも時間がかかってしまっています。しかし、人間の足で8時間かかっていたことを思うと、あっという間です。というわけで住吉大社から旅の再開です。

熊野街道 住吉大社から南海「浅香山駅」付近まで

住吉大社を9時10分ごろに出発し、南海高野線「浅香山駅」付近を10時過ぎに通過していました。だいたいGoogleマップと同じくらいのスピードだと思います。

前回の旅のときにリサーチしていた駐車場が、タイムズ住吉公園駅前でした。そこを目指し、阪神高速15号堺線の「玉出IC」から出て、阪堺電軌阪堺線の横を走っていきます。途中で上町線も合流してきてややこしいのですが、路面電車の線路の上を車で走らざるを得ないというのは、結構スリリングです。こんなところで右折しても大丈夫なのかな?と心配していましたが、交通量がさほど多くはないため、問題ありませんでした。

というわけで、タイムズ住吉公園駅前に車を停めます。24時間最大660円です。まあ、許容範囲でしょう。大通りに面しているところは1000円しますので、十分だと思います。南海本線の高架の下をくぐるとすぐ西側に住吉公園があり、そこの公衆トイレが使えるのも便利です。行きと帰りに使用させていただきました。

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※住吉大社境内 反橋から撮影

めちゃくちゃ怖い反橋を渡って境内に入っていきます。ちなみに、ここを通らなくても違うところから安全に境内に入ることはできます。前回は若い女の子の3人組がこの橋を渡っており「怖い」と言っていましたが、厚底のサンダルを履いていたので、そりゃ当然だよと思いました。運動靴でも怖いんですから。

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※手水舎

全国一千万人(※これは本当)の卯年生まれの皆さん、お喜びください。手水舎では、珍しいことに兎の口から水が出ています。何でも神功皇后摂政11(211)年、辛卯の歳の卯月の卯の日に神社が創建されたことから、このような意匠のものが造られたそうです。何と創建以来1810年も経っているんですね!

この神社はなぜか四つの本宮があります。一応すべて参拝させていただきました。しかし今回の旅は神社参拝が目的ではなく、街道歩きですので、あまりゆっくりできません。

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※四本宮が写っている貴重な写真

右手前が第四本宮、左手前が第三本宮、中央が第二本宮、中央奥が第一本宮です。ドローンがあれば(※小型無人機等飛行禁止法により許可なく飛ばすことはできません)四つの本宮を斜め上から撮影できるのですが……。

東門から出るために境内を東に向かいます。伊勢神宮遙拝所もありました。

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※伊勢神宮遙拝所

今までに、夫婦杉夫婦桂をご紹介してきましたが、今回は夫婦楠です。

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※夫婦楠

ここから東門はすぐです。東門から出て、例の住乃江味噌池田屋本舗から街道旅の再開です。時刻は9時11分でした。

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※住乃江味噌池田谷本舗

お店はまだ開店前のようです。この辻を右に曲がり、街道を南に向かっていきます。この辺りはお寺が多くて、右にも左にもお寺があります。

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※西之坊

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※哀愍寺

摂津国八十八所巡礼の第34番札所西之坊や、ちぎり地蔵尊で有名だと思われる哀愍寺があります。摂津国八十八所巡礼は江戸時代からあるらしく、石碑も歴史を感じさせますね。何と西国三十三所に入っている総持寺勝尾寺中山寺も入っています。

龍の橋たつのばしを渡って南下を続けます。道標もあります。この時点で9時16分です。

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※龍の橋と道標

南下を続けると、国道479号線長居公園通に出ます。それを横切って、さらに進むと左側にある大阪市立墨江小学校のところに、津守廃寺の説明板がとりつけられていました。時刻は9時21分になっています。

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※津守廃寺説明板

住吉大社との関わりが深かったようですが、ここにも明治時代の廃仏毀釈の影響が見られます。

街道のこの辺りは、下の写真のように路面に「熊野かいどう」の銅板?が埋め込まれています。南側から見ると読めるようになっていますので、南から来ることを想定しているようです。

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※墨江小学校よりやや南にある街道の案内板

そして、この辺りからまたお寺が増えます。

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※松宝寺

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※願生寺

左側に松宝寺、右側に願生寺です。願生寺の角には、街道の碑が建っていました。ここで9時24分です。

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※願生寺角にある熊野街道の碑

ウォーキングマップによると津守王子の跡として止止呂支比賣命神社とどろきひめみことじんじゃが挙げられていますので、そこを目指します。宝樹寺のところで左に曲がればよさそうです。なお、『熊野古道を歩く旅』では先程の津守廃寺跡のある墨江小学校を王子跡としています。

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※宝樹寺

宝寿寺前を9時26分に通過して、左に曲がり、踏切を渡ります。踏切の右後ろには、もういかにも神社という木々が生い茂っています。そのままあべの筋まで出て、正面から止止呂支比賣命神社に入りました。

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※止止呂支比賣命神社

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※止止呂支比賣命神社ご由緒の説明板

スサノオノミコトも祀られているようです。

本殿で旅の無事を祈り、境内の裏手の方へ回ります。後鳥羽上皇行宮跡があるとマップに書いてあったんですよね。

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※後鳥羽天皇行宮址

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※「若松御所」碑

承久3(1121)年、後鳥羽上皇熊野詣と称してこの地を訪れられ、鎌倉幕府打倒の兵を挙げられたそうです。いわゆる承久の乱ですね。教科書の知識だけだと京都で挙兵したのかと思っていましたが、結構南の方まで来ておられたのですね。また、熊野詣と称すれば結構行動の自由が得られたということなのでしょう。歴史学も足を使うことで新たな発見を得られます。ここで9時32分でした。

さて、元の街道に戻ります。宝樹寺まで戻り、左に折れて南を目指しましょう。しばらく進むと北東から南西に走っているあべの筋にぶち当たります。その手前に、道標がありました。この時点で9時36分になります。

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※あべの筋から北側の道標

さらに街道を進むと、左側に安楽寺が出てきました。9時41分になっています。

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※安楽寺

今度は右側に立派なお屋敷が現れました。お寺などではなく、普通のお宅のようです。ここで9時43分でした。ちなみに、帰りにここを通ったときは、この塀の前に子どもの自転車が10何台も並んで停められていました。何かの教室をされているのかもしれません。

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※街道沿いの旧家

ここを過ぎて府道42号住吉八尾線を渡り、しばらく進むと右手に農神社が見えてきます。9時45分に通過しました。

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※農神社

とても小さな神社ですし、中に入れるのかも分かりませんでした。実は南にはそろそろ堤防らしきものが見えてきています。ここで9時47分です。

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※大和側堤防

この左側に見えているのが水防碑雲上地蔵尊だったのですが、行きは気づかず、帰りに写真を撮りました。

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※大和川堤防から上流側を望む

堤防を西に向いて歩きますとすぐに遠里小野橋おりおのばしに出ますので、南側に渡ります。奇跡的に車のない瞬間を撮りました。時刻は9時53分になっています。

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※遠里小野橋から下流を望む

大和川が大阪市と堺市の境界となっています。橋を渡ると、堺市の「ようこそ」標識が見えてきました。ここで9時54分です。

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※遠里小野橋を渡り堺市に入る

ここからどこかで左側に入って南海「浅香山駅」の方面に向かわないといけないのですが、ウォーキングマップと『熊野古道を歩く旅』ではルートが少し異なっているように見えます。しかも、どこで曲がればよいのかはっきりとしませんので、適当に曲がるしかありません。共通しているのは、1回左に曲がってから1回右に曲がり、もう1回左に曲がって「浅香山駅」の南側の踏切を渡る、ということだけです。

私は最初にあった左に曲がれるところから左に入り、平行している3本の道のうち、真ん中の道を通りました。帰りには別の道を通りましたが、いずれの道にも街道の痕跡は見当たりませんでした。この辺は仕方がなさそうです。

10時2分ごろに南海「浅香山駅」付近を通過しました。

南海「浅香山駅」付近から仁徳天皇陵まで

南海「浅香山駅」を10時2分ごろに通過して、仁徳天皇陵には11時5分に到着しました。公園で少し休憩しましたので、それを加味してもだいたいGoogleマップと同じくらいの時間がかかっていますね。結構好調です。 

踏切を渡ると、道が何本かに分かれていますが、右から2本目の道、ほぼ真南に進む道を選んでください。浅香山病院や大阪刑務所の西北角を通っていれば正解のルートです。

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※大阪刑務所西北角

上の写真は西北角を西北側から撮影しています。時刻は10時11分になっています。ウォーキングマップでもここが目印になっていて、「高い塀」と無情な言葉が書いてあります。
この交差点を右に曲がり、西に向かいます。少し歩くと正面左側に小さな公園が見えてきますが、その手前が境王子跡です。10時13分です。

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※境王子跡やや奥の公園 帰りに撮影 左に続く道が熊野街道

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※境王子跡

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※境王子跡説明板

境王子は、九十九王子くじゅうくおうじの7番目になります。九十九王子とは、熊野詣のチェックポイントのような王子社のことです。

公園と境王子跡の間の道を左に曲がり、南へ向かいます。しばらく進むと方違神社ほうちがいじんじゃに到着します。神社の東側の細い道をまた南へ入っていきましょう。この神社の脇の時点で10時21分になっています。

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※方違神社の脇の熊野街道

ここから先の道は、砂利道になったり、てくてくろーどになったりで、変化に富んだ道になります。

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※熊野街道砂利道バージョン

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※熊野街道てくてくろーどバージョン

最後はまた砂利道に戻りますが、しばらくすると突き当りになりますので、そこを右に曲がります。左側には大阪府立三国丘高校がありますが、街道はその中を通っていく形になります。ここで10時26分です。

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※大阪府立三国丘高校の敷地を貫く熊野街道

ここから先が少しややこしく、200メートル強進むと右側に向泉寺(榎元町)公園の緑地の先っぽみたいなものがあります。ここの変則的な十字路を、右奥に進みます。下の写真でいうと、左側の2階以上が白い外壁の建物と、中央の茶色い建物の間の道です。なお、この写真は帰りに撮影しています。

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※向泉寺(榎元町)公園南端

少し進むと信号があり、KUMONの看板が出ている建物がありますので、そこを左に曲がりましょう。ここで10時31分になっていました。

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※北西から来た西高野街道と南東から来た熊野街道が交わる交差点

50メートルほど南下すると、道が二又に分かれています。右が熊野街道、左が竹内街道です。竹内街道とは、堺からほぼ東に向かい、二上山の南麓の竹内峠を越えて、奈良盆地に至る日本最古の街道とされています。

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※街道分かれ

右が西高野街道になっていますが、熊野街道西高野街道がしばらくの間合流しています。10時32分に撮影しています。

しばらく進んだ先にも、西高野街道道標があります。熊野街道が消えてしまったかのようです。

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※西高野街道の道標

100メートルも進まないうちに、橋とその先に歩道橋が見えてきました。橋は耳原橋みみはらばしといって、下に南海高野線が走っています。歩道橋で府道2号中央環状線を越えます。奥に見える緑は、仁徳天皇陵(大仙古墳)の陪陵の一つ茶山古墳です。

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※耳原橋付近

歩道橋を渡りましょう。

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※仁徳天皇陵北端の歩道橋

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※歩道橋の手前

歩道橋の手前には熊野古道アピールもありましたが、この辺は全般的に西高野街道を推しています。

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※歩道橋の上

歩道橋は割と細いですし、怖いですね。下はものすごいスピードで車が走っています。落ちたら、一貫の終わりでしょう。

歩道橋を下りると、距離表示の碑がありました。これはこの先も随所にあり、正面までの距離を教えてくれます。この辺は仁徳天皇陵の北端に当たるので、右に行っても左に行ってもほぼ距離は変わらないですね。しかし、外周が約3kmあるということで、ものすごい巨大な陵墓です。和歌山に長く住んでいたので和歌山城の外周を走ったこともありますが、2km弱ですので、それから考えても相当な巨大さです。

時刻は10時37分になっていました。

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※距離表示碑

熊野街道としては、この仁徳天皇陵の西側を回っていく感じになります。下の案内板の矢印のとおりに左へ進みましょう。

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※仁徳天皇陵西北隅

ここで、予想外の事態が発生しました。私の目の前を大きなカメが横切っていきます。何という種類のカメかは分からないのですが、甲羅の大きさは30cm弱あったでしょうか。果敢にも車がビュンビュン走る中央環状線の方に突っ込んでいこうとしています。

「ヤバい!」と思った私はすぐにカメの甲羅を持ってカメを捕まえ、古墳の方に戻してやりました。6時間以上経って戻ってきたときには、車に轢かれたカメの姿は見なかったので、きっと無事だと思います。しかし、何が彼をそこまで危険な行為に駆り立てたのかは不明です。

古墳の西側の中間点辺りは一度古墳から少し離れて、大阪府立だいせん聴覚高等支援学校の北側を通ります。すぐに古墳の外縁部まで戻り、そのまま南へ進みます。途中に、いくつかの『万葉集』の歌碑がありました。写真は仁徳天皇の皇后の歌碑です。

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※仁徳天皇皇后磐之媛の歌碑

アサヒビールのホームページのエリア情報*1によると、揮毫は『万葉集』研究の第一人者の犬養孝氏で、次のように書いてあるそうです。

ありつつも 君をば待たむ うち靡く

 わが黒髪に 霜の置くまでに

要するに、白髪になるまでずっと待ちましょう、ということのようです。

そして、この辺りは公園のようになっていますが、大阪府立大阪女子大学の跡地のようです。

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※大阪女子大学大仙学舎跡の碑

大阪女子大学は2005年に大阪府立大学に統合されたんですね。そしてさらに、大阪府立大学と大阪市立大学が2022年を目処に統合されることになっています。日本語名が大阪公立大学となり、英語名がいったん“University of Osaka”に決まったのですが、大阪大学“Osaka University”側から紛らわしいという指摘があり、改めて“Osaka Metropolitan University”と改称されました。ニューヨークにあるメトロポリタン博物館みたいでかっこよくなりました。略称は“UOO”が“OMU”になったわけでしょうか。ちなみに東京大学は“THE UNIVERSITY OF TOKYO”と表記していますが、京都大学は“KYOTO UNIVERSITY”と表記しています。この差って何なんでしょう。

この敷地の南の端にあるのが、銅亀山古墳どうがめやまこふんです。この日はやたらと亀に縁があります。ここで時刻は10時51分になっていました。

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※銅亀山古墳

仁徳天皇陵の南側には大仙公園という大きな公園があります。ここでトイレ休憩をはさむことにしました。公園がとても広いので、どこもゆったりしていて密になる心配はありません。ベンチも数に余裕がありますし、トイレもキレイでした。

休憩してポカリスエットを飲みます。この日は2本分、1リットル分しか飲みませんでした。

休憩中に少し考えます。せっかくここまで来たのだから、仁徳天皇陵も拝んでいくか、ということをです。トイレは公園の少し東側、中央に近い場所にありましたので、少し北に歩けばもう天皇陵です。歩きます。

私の前におじさんが一人歩いていかれ、天皇陵にも入っていかれました。私も続いて入ります。

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※仁徳天皇百舌鳥耳原中陵

いやあ、キレイにしておられます。横に事務所のようなものがありましたので、宮内庁の職員の方が詰めておられるのだと思います。ここは2019年に「百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-」として世界遺産に登録されましたが、天皇陵なのでそれ以前から整備はされていたのでしょう。

時刻は11時5分になっていました。

仁徳天皇陵から大鳥大社まで

仁徳天皇陵を11時5分に出発して、大鳥大社には12時54分に到着しています。途中で昼食を食べたので、時間は長くなると思うのですが、それにしても結構時間がかかっています。 

仁徳天皇陵を出発して、道路の南側を進みます。堺市立中央図書館の入口手前に木造の熊野街道案内板がありました。これは、これからちょくちょくお見かけすることになります。 

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※堺市立中央図書館付近の案内板

しばらく南下はせずに、西北に進みます。ショートカットしたい方は石津神社を目指されるといいと思います。なお、この旅ではマップに従って街道をそのまま進みます。この通りは御陵通りといって、堺港の方までずっと伸びています。1.2kmくらい西に進んでください。

ここで、そろそろ昼食の心配が始まりました。この日は普通のウィークデイですから、12時になるとどこのお店も混むことになるはずです。いつもどおり、12時前にはお店を出たいですよね。途中でジョリーパスタ大仙店がありましたが、やはりラーメンだよなあと考えながら西進すると、道の北側にありました! 秀秀という中華のお店です。

お店の外側にメニューがドーンと貼ってあります。780円でいろいろなセットが選べるようです。これは行くしかないでしょう。時刻は11時20分ごろでした。

店内に入って驚いたのは、30代くらいの店員のお姉さんがマスクをしていないことです。中国人?の方でしょうか。事務的な仕事をやっておられたらしく、テーブル席の一つを占領しておられます。ここは少し変わったお店のようです。とりあえず一番出口に近い席に座ります。内装はかなりキレイです。

780円のいくつかあるセットのうち、ラーメンとチャーハンのセットを頼みました。私は中華のお店に行くとラーメンとチャーハンとギョーザのセットが食べたいのですが、なかなかこのゴールデントリオのセットはないんですよね。どれか一つが欠けることが多いです。

中華にしては割と時間がかかりました。しかも、中華にしては珍しくお母さまが調理をしておられるようです。お父さまはお休みされてるのでしょうか? 私の勝手なイメージでは、TBSのドラマ「渡る世間は鬼ばかり」のように厨房に立つのは男性の料理人、というのがテンプレートなのですが、このお店はそうではないようです。しかも、お母さまもマスクなしで調理をされています。まあ、細かいことは言いますまい。

思ったよりも長い待ち時間がかかって、お料理が運ばれてきました。ラーメン、チャーハンに冷ややっことスパゲティの小鉢がついています。これで780円(税込み)はかなりのコストパフォーマンスです。味は……。まあ、普通です。ラーメンは割とあっさりした塩味でしょうか。チャーハンはご飯がパラパラっとしていない感じです。

お客さんは私が入っていた間には誰も来ませんでした。途中、一人の40代か50代くらいのお姉さまが入ってこられましたが、お客ではないようで、女性3人で楽しくお話しておられました。日本風のホスピタリティを期待してはいけませんが、常連さんにはかなり気安いお店だと思います。

トイレも使わせてもらいましたが、キレイでした。昔は焼肉などもっと単価が高いお店だったのではないかと思います。

さあ、お腹もいっぱいになったところで、出発しましょう。11時45分くらいにはなっていたと思います。

マップでは南宗寺のやや西側を南に下ることになっていますので、まずは南宗寺方面を目指しました。国道26号線を越えれば、すぐに南宗寺の近くです。

しかしうっかりして道を間違えてしまったのですが、この環濠の北側に行かないと南宗寺に行けなかったようです。仕方なく、南宗寺は帰りに寄ることにしました。ここで11時50分です。

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※南から見る南宗寺

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※環濠

上の写真ですが、分かりますでしょうか。写真の中央やや左よりにカメが写っています。環濠をものすごく気持ちよさそうに泳いでいました。カメが泳いでいる姿は初めて見たかもしれません。昔、田んぼの用水路を流されていくカメを見たことはありますが、流れがないところでは割と上手に泳げるんですね。

私には仁徳天皇陵で助けたカメが恩返しに来たように思いました。それにしても、野良カメを2匹も見るとは、幸運な1日でした。

街道は、国道26号線の1本西側の信号を南へ入っていきます。入るとすぐ右側にこのかわいらしい湊つばさようちえんが出てきます。

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※湊つばさようちえん

しばらく進むとまた国道26号線にぶち当たりますので、歩道橋を渡ります。ここで11時58分です。

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※奥に歩道橋が見える 中央やや右に道標がある

歩道橋までのところで、2箇所ほど道標を見つけました。しかし、ここの歩道橋も結構怖いです。

歩道橋を渡るとすぐに左側に入っていく道があります。そちらが熊野街道です。しばらく歩いていくと左側にキレイな泉州看護専門学校が出てきます。泉州看護専門学校のホームページ*2によると、実はそこそこ歴史が古く、1975年に開校したそうです。2018年10月に現在の校舎に移転したとのことですから、どうりでキレイなわけです。

さらに南下していきますと、府道34号泉北1号線に出ます。そこを渡ると、茨黒地蔵尊がありました。時刻は12時9分になっていました。

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※茨黒地蔵尊

どこかに読み方が書いてあったように思ったのですが、ちょっと手元にある資料では分からないですね。隣の建物は、最初地域の消防車が入れられているのかと思ったのですが、どうやら「ふとん太鼓」というお神輿の一種があるようです。石津神社のホームページ*3によると、今年の10月2日に浜石ふとん太鼓が宮入りをするようです。

このまま街道を南下すると、再度国道26号線にぶち当たりますので、少しだけ国道沿いに南に行くと石津神社になります。12時15分の到着です。

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※石津神社境内

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※石津神社説明板

別の石碑では、創建より2600年以上経っていると書かれていました。弥生時代から建っているということになりますが、こういった神社という完全な形式をとっていなくても、自然信仰という形で考えれば、あながちあり得ないとは言えません。

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※石津神社前の国道 街道は奥を左に入っていく

ここでも旅の安全を祈願し、すぐに出発です。石津神社は日本最古の戎宮なんですね。

次は大鳥大社を目指して南下していきます。すぐに斜め左に入っていく道があります。それが熊野街道です。100メートルほど進むと戎橋があります。12時20分です。

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※戎橋

250メートルくらい進むと「神石市之町」という交差点に出ます。南行きは道が三又に分かれていますが、一番右側を選びましょう。例の案内板もあります。ここで12時27分です。

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※「神石市之町」交差点

右手に馬場記念病院を見ながら進みます。すぐに道標も出てきます。

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※馬場記念病院脇の道標

ちょうどお昼時で、ご飯を食べ終わったらしきスタッフの方々が移動されていました。私も少し立ち止まり、この病院の反対側の自動販売機でポカリスエットを購入しました。

そこから10分少々歩くと、「鳳小栗街道」の交差点です。ここにも案内板があります。時刻は12時41分です。

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※「鳳小栗街道」の交差点

この辺りでは、時々路面に埋め込み型の小さな道標が出てくるようになりました。

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※大鳥大社やや北側の道標

12時49分、大鳥大社に到着です。

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※大鳥大社鳥居

さすがに大きな神社です。参拝してみようと思いました。

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※大鳥神社説明板

鳥居から本殿の前まで行くのに、5分ほどかかっています。この写真は12時54分に撮影しています。本殿の前に拝殿があり、参拝は拝殿で行います。本殿の前には行くことができません。参拝者もちらほらいらっしゃいます。

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※本殿・拝殿

絵馬堂が休憩所のようになっており、先客がお二人いらっしゃいましたが、端っこの方で休ませてもらいました。トイレもありますが、このときは行きたくありませんでした。しばらくすると若い男女のカップルも来ました。やはり観光スポットとしても人気があるのでしょう。

大鳥大社から等乃伎神社まで

大鳥大社を13時過ぎに出発して、等乃伎神社には13時50分過ぎに到着しています。ここもGoogleマップよりも遅いペースでした。途中、コンビニに寄って充電ケーブルを購入しましたが、その商品を店員さんが探しておられ、結構時間がかかってしまったことも影響したかもしれません。 

大鳥大社を出発してすぐに、また埋め込み型の道標を発見しました。13時2分となっています。

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※埋め込み型の道標 足、影は私

堺市立鳳小学校の北東角に、下のような説明碑がありました。この街道は小栗判官にちなんで小栗街道とも言われているそうです。ものすごく簡潔に説明すれば、小栗判官は妻の父に殺された後、閻魔大王の計らいで生き返ったものの、重い病を患った状態で歩けないほどでした。しかし、そうとは知らぬ妻が車に乗せて熊野詣を果たさせてくれたおかげで、病も治り元の姿に戻り、二人で仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし、というお話です。ここで13時4分でした。

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※『千種の夢園』の碑

さらに進むとJR「鳳駅」北側の踏切を渡り、鳳本通商店街のアーケードが見えてきました。13時7分です。

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※鳳本通商店街

アーケード自体は300メートルくらいで終わります。ここで王子の痕跡を探して東側のNTT鳳営業所を目指します。ウォーキングマップによると、大鳥居新王子がNTTの辺りにあったとされています。8番目の王子です。熊野詣の人々は大鳥居新王子への途中に大鳥大社に参拝した、と書いてあります。「大鳥」と「大鳥居」が同じ言葉だとすると、大鳥居新王子大鳥大社の分社のようなものだったのかもしれません。5~6分でNTTに着きました。13時19分の到着です。

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※NTT鳳営業所

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※王子跡の碑のような鳳電報電話局の碑

実は、行きは気づかなかったのですが、帰りに商店街を歩いていた際、「ああ、地車だんじりの倉庫かな?」と思った建物のところに、熊野街道の石碑が建っていました。

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※北王子会館

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※熊野街道の石碑

それによると、大鳥居王子はこの北王子の辺りにあったと書いてあります。マジか!

これなんですよね。やはり往路と復路で違う方向から確認しないと、いろいろ見落としてしまうんですよね。これに気づいていなかったら、情報の精度が結構下がってしまうところでした。助かりました。ちなみに帰りの14時30分に撮影していました。

さて、NTTから商店街の南端に戻りまして、そこから街道をまた南下していきます。

左側に高級そうな和食のお店があるな、と思ったら、めちゃくちゃ老舗のお店でした。何と創業が文久年間(1860年)とのことで、看板作成当時の当主が7代目とのことです!

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※日本料理大金樓

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※大金樓説明看板

この辺の街道には、おそらく各地車の地域名だと思うのですが、地名が書かれた碑が埋め込まれています。下のは「野田」と書いてあります。ここで13時31分です。

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※「野田」の碑

また、鳳南地域会館のフェンスには熊野街道の大きな説明板が掛かっていました。

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※鳳南地域会館の熊野街道説明板

そこからすぐに「かみ」という交差点に出ます。道が二又に分かれていますが、右が熊野街道です。ただ、私は次回使用する予定の駐車場OnePark上を見に行きました。府道36号泉大津美原線に面しており、24時間最大500円という魅力的な駐車場です。次回はここに車を停めて再開したいと思います。

さあ、ラストスパートです。西側に700メートルほど行けば、等乃伎神社とのぎじんじゃです。住宅街の中をぬうように歩き、府道30号大阪和泉泉南線を横断して反対側の道を分け入っていけば、等乃伎神社に到着です。次回、参拝してからスタートするので、今回は写真は割愛しましょう。13時53分になっていました。

帰路

とりあえず本日のゴール等乃伎神社まで来れましたので、軽く参拝してから出発します。神社の外周をぐるっと回るような感じで南側から府道30号線に戻り、今度は熊野街道を北上します。この辺は府道30号線が熊野街道となっています。

等乃伎神社のすぐ北側にアリオ鳳というイトーヨーカ堂のショッピングモールがあったので、マクドナルドがないか探してみることにしました。コーヒー1杯の値段が普通の喫茶店の3分の1か4分の1ですから、マクドがあればマクドに入りたいのです。

……ありました! しかも、入ってすぐにあります。営業もしています!

しかし、ちょっとおかしな様子が……。

そう、イートインスペースが使えなくなっているのです。出ました、緊急事態宣言の影響! こんなところで街道の旅人を悩ませてくれます。仕方ありません。マクドナルド鳳アリオ店をあきらめて、外のベンチでしばらく休憩することにしました。日射しもそれほど強くないので、気持ちいいことは気持ちいいです。しかしやはり、アイスコーヒーを飲んでカフェインを摂取したいところです。

少し休んで、出発します。「」の交差点からは、また細い道に入っていきます。しばらく歩くと、鳳本通商店街のアーケードが見えてきました。この写真で14時28分です。

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※南から見た鳳本通商店街のアーケード

そして、14時30分に重大な発見を行ったわけですね。大鳥居新王子の跡地として、北王子会館を見つけたわけです。ウォーキングマップとは齟齬が生じてしまいますが、まあどちらが正解かは分かりませんので、仕方ありません。

ほとんど写真も撮らず、黙々と歩いています。石津川にかかる戎橋には、15時2分に戻ってきています。

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※戎橋から西を望む

石津神社前から茨黒地蔵尊前を通り、ドンドン北上します。2回目に国道26号線とぶち当たった際、歩道橋を渡って街道を進まずにそのまま国道を北上します、南宗寺に行ってなかったので、そこに行こうと思ったわけです。

協和町1丁」という交差点に、太い歩道橋がありました。これはかなり頑丈ですし、渡っていても怖くありませんでした。自転車なんかも渡れるようにスロープもついています。

国道26号線の西側を北上し、すぐに御陵通りとの交差点「大仙西町2丁」に到着です。そこから北西に行けば南宗寺に行けそうでした。

環濠の手前に御陵大師がありました。こちら側には来ていないとはいえ、これも行きにはまったく気づかなかったものです。時刻は15時29分になっています。

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※御陵大師

環濠の畔に、環濠の説明板がありました。

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※「環濠の橋めぐり」案内板

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※「環濠の歴史」説明板

現在地が赤ではなく黄色で書いてあるので、少し分かりにくい地図です。私はこの地図を理解するのに10分くらいかかりました。現在地は右上で、左が北、上が東となっています。仁徳天皇陵はここには出てこないくらい、せまい範囲の地図になっています。

この説明板のあるところから、北東に向いて少し歩くと、南宗寺東門に出ました。この時点で15時34分です。

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※南宗寺東門

どうやら正式な門は北側にあったようですが、それを知らずに近い東門から入りました。また、境内の様子もちょっと分かりにくかったですね。やはり事前に予習をしておくべきだったようです。

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※天慶院入口

いくつかの塔頭たっちゅうがありますが、境内の南側から南宗寺の拝観スペースに入ることができます。その門が16時に閉まるということでしたので、ちょっと焦りました。

受付らしき建物はありましたが、どなたもいらっしゃいません。「境内の掃除に出ています」、「途中で拝観料をいただきます」と書いてあるシートが置いてありましたので、拝観スペースにそのまま入っていきました。なお、ここからは写真撮影禁止となります。

事前に何の情報も入れてなかったので、スゴイお寺だということを知らなかったのですが、そんな素人にも分かる立派なお寺でした。仏殿や枯山水の庭園など見所はいっぱいあります。レポートはまたきちんと参拝させていただいたときに行いたいと思います。

庭園の整備をしておられた方がご住職だったのでしょうか。とくに拝観料のことは何も言われなかったので、そこでお支払いすることはありませんでした。しかし結局最後まで回ってもお支払いするところがなかったので、先程のシートの下に400円を置いておきました。拝観料は大人が400円なのです。ついでにトイレも利用させてもらいました。何とか16時前には門を出ることができ、街道に戻ります。

御陵通りを東進していると、再びマクドナルドを発見しました。ライフ大仙店内に併設されている、マクドナルド大仙店です。ちょっと道を外れますが、祈るような気持ちで入ってみました。……大丈夫です。座れます。プレミアムローストアイスコーヒーのMサイズが150円、ワッフルコーンチョコ&アーモンドが200円です。普通に喫茶店に入ったら倍以上の値段がしますので、大変ありがたいです。

16時35分まで休憩し、かなり元気が回復しました。モバイルバッテリーを使ってスマホとタブレットも充電したので、バッテリー残量のパーセンテージもかなり回復しました。

さあ、先を急ぎましょう! ここから仁徳天皇陵までは東進し、続いて街道を北上していきます。

方違神社まで戻ってきたときには、もう17時16分になっていました。

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※方違神社鳥居

南海「浅香山駅」を経由して、大和川まで戻ってきました。すでに時刻は17時45分になっています。

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※大和川

遠里小野橋から西を見ると、夕焼けが少し見えました。

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※遠里小野橋から見た夕景

橋を渡り終えて、堤防を進んでいくと見えてきました。行きに見過ごしていた、水防碑です。

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※水防碑

さらに少し進むと、雲上地蔵尊に到着しました。時刻は17時51分です。

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※雲上地蔵尊

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※明治の水害を伝える碑

どうやら明治時代に大規模な水害があったようで、その供養と水害を後世に伝えるためにこのようなお地蔵さまや石碑が建てられているようです。近畿地方はすでに梅雨入りしていますし、近年はどこで水害が起こってもおかしくないので、我々も用心しないといけませんね。

ここからは街道をひたすら北上するだけです。ゴールも近いです。

宝樹寺まで戻ってきたときには、18時6分になっていました。

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※宝樹寺

この先の道ですが、行きは住吉大社東門から出てきました。しかし、東門が17時に閉まると書いてあったように思います。ですので、道を変えてファミリーマート上住吉二丁目店から左に曲がりました。駐車場の端に小説家の藤澤桓夫ふじさわたけおの邸跡の道標が建っていました。この時点で18時14分です。

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※藤澤桓夫邸跡

ここから西を向いて歩いている道にも、旧街道の印らしきものが埋められています。住吉大社周辺は街道も栄えていたのでしょう。

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※旧街道の印?

少し歩くと、左側に大きな常夜灯があり、しっかりと火も灯されていました。

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※常夜灯

横にあったのは、浅澤社です。

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※浅澤社

もう閉まっていますね。お社の脇にあった説明板を写真に撮ってみました。少しぼやけてしまっています。

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※浅澤社説明板

地域の方々の努力で、復活したことが書かれています。やはり日本人にとって「水」に対する信仰というのは重要なもののようです。

この後はすぐに住吉大社の南縁に出ます。東南の鳥居、南西の鳥居を脇目に西へ進みます。

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※住吉大社東南の鳥居

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※住吉大社南西の鳥居

阪堺電軌阪堺線の通る大通りまで出て、神社の外縁を北に進みました。

18時24分、西側にある正面の鳥居まで戻ってきました。

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※住吉大社正面の鳥居

この後、タイムズ住吉公園駅前まで戻って旅は終了です。18時26分でした。

今回も帰宅後に足を見てみると、やはり発疹ができていました。汗もかと思っていましたが、汗かぶれなるものもあるようで、もしかするとそれかもしれません。通気性が悪いのかもしれないので、次回は靴を変えてみようかとも思っています。

今回は堺市をほぼ縦断する旅でしたが、次回はいくつかの市を通過することになるでしょう。

皆さんも、ぜひ街道歩きに挑戦してみてください!

 

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最終更新:2021.6.13