西国三十三所の第八番札所は、豊山ぶざん長谷寺はせでらです。古来この地域は泊瀬や初瀬とも書かれ、『源氏物語』など多くの文学作品にも登場します*1。関東の人にとっては鎌倉の長谷寺の方が知られているかもしれませんが、鎌倉の長谷寺よりも歴史は古いです。こちらの方がオリジナルと言って問題ないでしょう。
長谷寺の巡礼情報
長谷寺は、聖武天皇の勅を奉じて十一面観世音菩薩をお祀りになった徳道上人が、西国三十三所の観音巡礼を始められたことから、西国三十三所の根本道場とも呼ばれていました*2。確かに、平安時代に西国三十三所の巡礼を行った行尊(1055~1135)は第一番札所としてここ長谷寺を出発しています。詳しくは、「西国三十三所 観音巡礼はいつから始まったの?」をご覧ください。
現在も豊山派の総本山として、全国から末寺のお坊さまが研修に訪れられる、修行のお寺でもあります。
長谷寺の縁起
長谷寺の成立縁起は、長谷寺のホームページに記載されています。
ただ、かなりの略縁起ですので、なかなか実態まで分かりにくいところがあります。と言いますのも、歴史の古いお寺であるがゆえに、縁起そのものもかなり混沌としている部分があるのです。なるべく整理してお伝えしたいと思います。
なお、参考にしたのは菅原道真の筆になるとされる『長谷寺縁起文』*3および、『長谷寺霊験記』*4の特に「序」です。
『長谷寺霊験記』によれば、この地は天照大神が初めて地上に降り立たれた場所とされ、手力雄神たぢからおかみ*5にこの山を開かせた、とのことです。そしてその手力雄神が本願上人に託してお寺を建立した、とあります。この「本願上人」とは、少し後の箇所に「本願徳道上人」と記載がありますので、徳道上人のことと考えられます。ただ、この『霊験記』では『長谷寺縁起文』に登場する徳道上人の師匠、道明上人にまったく言及がありません。しかし、長谷寺と川を挟んで東側にある與喜天満神社のホームページにも、この地に天照大神がはじめて降臨したことが記載されていますので、天照大神の伝承もまったく無視できないと思われます。
なお、『長谷寺霊験記』のなかで『長谷寺縁起文』について言及している箇所がありますので、『長谷寺縁起文』の方が史料的には古いことが分かります。
これを踏まえて『長谷寺縁起文』の内容を見ていきましょう。なお、挿絵は室町時代に制作された「長谷寺縁起絵巻」です。
長谷寺は、徳道上人が建立した十一面観世音菩薩が衆生にご利益を与える道場です。この豊山には、二つの名があり、一つ目の名は泊瀬寺、またの名を本長谷寺と言い、二つ目の名は長谷寺、またの名を後長谷寺と言います。
もともとの泊瀬寺、つまり本長谷寺は西側の岡にありました。泊瀬川上流の瀧蔵権現が祀られる社にあった毘沙門天のお手持ちの宝塔が川に流れ落ち、この地に流れ着きました。武内宿禰が占ったところ、この地はとても霊験あらたかな地であるということで、北の峯の西北隅に宝塔を納めました。その後300年が経ち、道明上人が石室に宝塔を移します。天武天皇が改めて勅を弘福寺の道明上人に下され、この地にお寺をお建てになった、ということです。
※宝塔を手にした道明上人
その後、東の岡に十一面観音堂等を建立したのが徳道上人です。徳道上人の、観音さまのお力で衆生を救いたいという願いを藤原北家の祖房前が聞き、元正天皇に上奏し、さらに聖武天皇の詔勅を得て建立したのが現在の長谷寺です。
徳道上人は道明上人に、衆生を救うために観音さまの仏像を彫りたい、と申し出ました。すると、道明上人が、実は前夜の夢のお告げで、近江国の高島郡の三尾大明神から、当山守護童子の頼みで霊木を運んできたと知らされた、とおっしゃるのです。これが文武天皇即位10(706)年のことです。
※徳道上人(右)と道明上人(左)の対話
実はこの霊木はいわくつきで、洪水による流出後何十年も周辺の人々に禍をもたらしていました。そこで徳道上人がこの木をもらい受け、礼拝し十一面観音像を造ることを望んでおられましたが、なかなか達成することができませんでした。
その後、この山を訪れた藤原房前が徳道上人の勤行の声を聞きつけました。上人の衆生を救う気持ちに打たれた房前は、天皇に奏上して助力を得ることを約束しました。
※房前(左下)と徳道上人の出会い
こうして房前が元正天皇に奏上し、程なく退位された元正天皇に代わり、聖武天皇が徳道上人に勅を下されました。そして神亀6(729)年に道慈律師が御衣木みそぎを加持され、稽文會けいもんえ・稽主勲けいしゅくんらがわずか三日で十一面観自在菩薩像を完成したのでした。
※道慈律師による加持
※稽文會・稽主勲らの作業の様子 上の仏さまはこれから制作する十一面観世音菩薩像の象徴
※十一面観音像
その後徳道上人はまた、身分の上下を問わず大勢の人々から勧進を請け、寺院を造営しました。天平7(735)年に上棟し、すべての完成は天平19(747)年くらいまでかかったとのことです。
これらの縁起を裏づけるものが、国宝の「銅板法華説相図」です。白鳳時代の製造と考えられ、長谷寺のホームページ*6には以下のように書かれています。
川原寺の道明上人が天武天皇の病気平癒を祈願して朱鳥元年(686)に聖造し、現在の五重塔付近、西の岡の石室に安置されたと伝えています。
地中より三重宝塔が湧出し、千仏が雲集して釈迦説法を賛嘆する法華経見宝塔品の場面をレリーフで表したものです。
下段には319文字での造立願文を載せ、長谷寺の草創について語る唯一の遺品です。
「川原寺」とは弘福寺のことです*7 。『長谷寺縁起文』には、「天武天皇更勅弘福寺道明聖人」とあります。この考古学的な遺品は、長谷寺の創建に道明上人が深く関わっていることを物語る証拠と言えるでしょう。
なお、「銅板法華説相図」の写真は、JR東日本キャンペーン「うまし うるわし 奈良」(2021.4.25閲覧)のサイトで見ることができます。
これらのことから、長谷寺の創建は二段階あり、まず西の岡に道明上人が本長谷寺を建立し、次いで東の岡に徳道上人が観音堂を中心とする長谷寺を建立したと言うことができるでしょう。
長谷寺の見所
長谷寺の見所をご紹介します。
仁王門
※仁王門
長谷寺の総門です。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊像、十六羅漢像を安置しているそうです。現在の建物は明治27(1894)年の再建ですが、国指定の重要文化財となっています。「長谷寺」の扁額は、安土・桃山時代から江戸時代初期にかけて在位した後陽成天皇のご宸筆とされます。
※「長谷寺」扁額
登廊のぼりろう
※登廊と長谷型灯籠
※横から見た登廊
平安時代の長暦3(1039)年に春日大社の社司中臣信清が子どもの病気平癒のお礼として造営したそうです。石段数は399段ですが、緩やかな登りです。上廊・中廊・下廊に分かれており、中廊・下廊は明治27(1894)年の再建ですが、全体として国の重要文化財に指定されています。吊るされている灯籠はこのお寺の名前を冠して長谷型と呼ばれています。
二本ふたもとの杉
※二本の杉
登廊の下廊の途中で右に進むことができます。そこにあるのがこの二本ふたもとの杉です。『古今和歌集』や『源氏物語』「玉鬘」にも登場しているそうです*8。
本堂
※本堂側面
※本堂正面
小初瀬山中腹の断崖に懸造りされた南面の大悲閣です。南側手前の舞台がある礼堂と本堂内陣との間に廊下のようなものがあり、ここからご本尊に拝顔します。西国三十三所札所会ホームページ*9によると、江戸時代前期の慶安3(1650)年に徳川家光が再建したもので、木造建築物としては東大寺大仏殿、吉野山蔵王堂に次ぐ規模の大きさだということです。上記サイトでは重要文化財とされていますが、2004年に国宝に指定されました。
十一面観世音菩薩立像
長谷寺のご本尊です。古来より、「銅像」である東大寺毘盧遮那仏(いわゆる奈良の大仏)、「塑像」である岡寺の塑像如意輪観音坐像、「木像」である長谷寺のこのご本尊十一面観世音菩薩立像をあわせて、日本三大仏と言われているそうです。像高は約10.2メートルで、木造の仏像としては日本最大を誇ります。現在のご本尊は、室町時代の天文7(1538)年に造立されたものです。国指定の重要文化財になっています。
写真は下記の長谷寺のホームページからご覧ください。
五重塔
※五重塔
1954年、戦後日本で初めて建立された五重塔です。
本坊
※本坊 この日は特別拝観中
大講堂や書院などがあります。寛文7(1667)年、江戸幕府4代将軍徳川家綱の寄進で建立されましたが、明治44(1911)年に火災により焼失しました。現在の建物は1924年の再建です。国指定の重要文化財になっています。
長谷寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。
いくたびも まいるこころは はつせでら
やまもちかいも ふかきたにがわ
(いく度も 参る心は 初瀬寺
山も誓いも 深き谷川)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*10によります。
「いく度も 参る心は 初瀬寺」とは、長谷寺は何度お参りしても、初めてお参りしたような気がするとの謂いいかと思います。また、「山も誓いも 深き谷川」の句では、山と谷は対句です。観音さまの衆生済度のお誓いは、山よりも高く谷よりも深くということです。山と谷の代わりに山と海という場合もあります。観音経の「弘誓深如海」(観音さまの衆生済度のお誓いは深きこと海のごとし)とあります。
長谷寺は、泊瀬寺または初瀬寺と表記する場合もありました。それゆえ、初瀬寺という寺号と「初めて」というのを掛けているわけです。 行尊が西国巡礼のスタート地点としたこともありますし、天照大神の初めてのご降臨の地でもありますし、何回お参りしても初心に返ることができるお寺だったのでしょう。
長谷寺へのアクセス
長谷寺ホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
公共交通機関
近鉄「長谷寺駅」下車徒歩約15分。
お車
名阪国道「福住IC」から南下。約25分。
北からアクセスした場合、右側に長谷寺境内駐車場あり。約70台。500円。
※境内駐車場南側入口
南側の国道165号線側からアクセスした場合、細い参道を通る必要あり。参道沿いに民間の駐車場も多数。だいたい500円。
長谷寺データ
ご本尊 :十一面観世音菩薩
宗派 :真言宗豊山派総本山
霊場 :西国三十三所 第八番札所
奈良大和 四寺巡礼
大和七福八宝霊場
十八本山巡拝 18番
八十八面観音巡礼
神仏霊場巡拝の道 第35番
所在地 :〒633-0112 奈良県桜井市初瀬731-1
電話番号:0744-47-7001
拝観時間:8:30~17:00(4~9月)
9:00~17:00(10~11月、3月)
9:00~16:30(12~2月)
拝観料 :大人(中学生以上)500円 小学生250円
URL :https://www.hasedera.or.jp/
番外 法起院 ◁ 第八番 長谷寺 ▷ 第九番 興福寺南円堂
境内案内図
上記サイトに案内図があります。
南坊の巡礼記「長谷寺」(2021.4.2)
前回の巡礼から半月以上経ってしまいましたが、ここからペースアップしていきたいと思います。名阪国道を東進し福住ICから下道を南下します。おもに県道38号線を走りますが、車通りも少なく、走りやすい道です。9時30分ごろに長谷寺境内駐車場に到着しました。2015年の6月に訪れた際は南の国道165号線側から入ったので、途中の参道にあった民営の駐車場に停めましたが、今回は北から入ったためお寺の駐車場に停めることができました。やはりお寺の整備や貴重な文化財の保護にお金がかかることを考えると、なるべくお寺の駐車場に停めるのがふさわしいように思います。
今年は桜の開花が早く、もうかなり咲いていました。桜が見ごろということもあるでしょうが、平日にもかかわらずそこそこ参拝者はいらっしゃいます。
※駐車場から境内側を見上げたところ
駐車場から仁王門の方に登っていくところに、トイレがあります。キレイです。
※トイレ
そこからさらに歩いていくと、仁王門があり、その手前に入山受付があります。この日は春の特別拝観(3/1~6/30)中で、入山料500円、本堂内陣拝観料が1000円、大講堂拝観料が500円のところを、全部セットで1700円で入ることができます。迷わず全部セットを購入します。
※仁王門
さて、仁王門をくぐるとすぐに登廊です。
※登廊 399段ある
段数だけ聞くとかなりキツイかと思いますが、序盤はかなり緩やかに造られており、むしろ気持よく登っていけます。
途中で右に行くと、二本ふたもとの杉があります。6年前も見た記憶があります。
※二本の杉説明板
二本の杉側から駐車場を見下ろすと、桜がかなりキレイに咲いていることが分かります。お天気もよく、絶好のお参り日和です。
※駐車場側を見下ろす
登廊は一度右に折れて、すぐにまた左に折れます。そこを登りきったら、本堂です。
※本堂右側面
本堂でお勤めをします。礼堂と本堂の間に通路のようなものがあり、ここでお勤めをするようです。ちょうど特別拝観中ですので、正面にご本尊のお顔を拝むことができます。土間のようになっているのですが、跪いて礼拝しておられるお母さまもいらっしゃいました。信心深い方なんでしょう。私は立ったままでさせていただきました。ここでもうっかりしておりましたが、納札をお納めするのを忘れておりました。お寺を出てから気づいたので、どうしようもありません。久しぶりの巡礼で調子が狂っていたようです。
拝観券を見せて、内陣へと入らせていただきます。菅笠を脱ぐように言われましたので、脱ぎました。確かに、内陣では脱ぐ方が作法として適切なような気がします。これ以降、内陣ではなるべく脱ぐように心がけています。
内陣は一段低くなっており、ご本尊の足元へと近づきます。コロナ禍で感染予防の観点から、紙を使用してお足に触れるようになっておりました。6年前は素手で触らせていただいたように記憶しております。下から見上げる観音さまは、何とも言えない神々しさ、いや仏々しさでしょうか。信仰が集まるのもうなずけるというものです。
また、以前は気づかなかったのですが、壁画は観音さまの三十三化身が描かれているんですね。これは実際に皆様ご自身の目でお確かめください。
その後外に出て、納経所でご宝印をいただきました。納経所は本堂の右手側にある独立した建物です。写真に映っている五色幕の下がっている小さな建物もご朱印をいただけるところですが、特別拝観のご朱印です。私は観音巡礼ですので、普通のご朱印をいただきました。
その後礼堂の舞台の方へ進みます。やはり景色が素晴らしいです。
※舞台から見た五重塔
桜は五分咲きから七分咲きといったところでしょうか。
ここから奥の五重塔を目指します。実はその他にもいろいろな見所があったようなのですが、このときは開山堂も本長谷寺も見落としており、サクサクと歩いて五重塔へ行ってしまいました。我ながらアホです。
※五重塔側から見た本堂
五重塔から下へ降り、本坊を目指します。本坊も特別拝観の対象となっています。道すがら、黄色い僧衣を着られたお坊さまとお話する機会がありました。巡礼の姿が珍しかったのだと思います。ご自身も、巡礼をしたいと思っている、とおっしゃっておられました。3月31日から研修で豊山派総本山の長谷寺に来ておられたようですが、翌日の土曜日は法事で帰らないといけない、とのことでした。どちらのお寺かは聞きそびれましたが、何でも不慮の死を迎えられた方の法要とのことでした。少し沈痛なお話でしたが、私には励ましのお言葉をくださり、本堂の方へ登っていかれました。
本坊は境内内でも少し離れた一角にあります。小高くなっており、そこから本堂も見ることができます。トップの写真がそれです。
ここまで黒猫さんはやって来られます。
※本坊とヤマト運輸のトラック
本坊の中の大講堂では「長谷寺縁起絵巻」が公開されていました。
※「長谷寺縁起絵巻」 写真撮影OKなのがうれしい
※菅原道真が「縁起文」を書いているところ セリフが面白い 足は私
「長谷寺縁起絵巻」はかなり長く、細長い部屋を2往復くらいしましたでしょうか。写真に収めるのに苦労しましたが、ここで使えたのでよかったです。
本坊からはぐるっと一回りして仁王門の方へと下りていきます。6月になるとこの下りていく道にアジサイがたくさん咲いて、とても見応えがあります。
※亀池
仁王門の外側に下りていくのですが、最後の最後にこの亀の池があります。水面に浮いているのは桜の花びらですね。中央の大きな亀は石像で、そのすぐ下や右側にリアル亀がいます。亀は長生きの象徴ですから、飼われているのでしょうか。
少し早歩きだったのと、見所をいくつも逃していたことから、1時間程度の参拝になってしまいました。納経所の方に言われたのですが、本来は先に番外札所の法起院に行くべきだったようです。この後は法起院に行くことにします。
長谷寺は季節ごとにいろいろな種類の花が咲きますし、また由緒あるお寺ですから、ご詠歌のとおり何回来ても楽しめそうですね。
というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「岡寺」(2021.3.14) ◁ 南坊の巡礼記「長谷寺」(2021.4.2)
南坊の巡礼記「長谷寺」(2021.4.2) ▷ 南坊の巡礼記「法起院」(2021.4.2)
最終更新:2021.5.27
*1:奈良県観光局ならの観光力向上課「歩く・なら」2021.4.25閲覧
*2:長谷寺ホームページ「略縁起」2021.4.25閲覧
*3:所収 塙保己一編『群書類従 第24輯 釈家部』八木書店(2013)
*4:所収 塙保己一編『続群書類従 第27輯下 釈家部』八木書店(2013)
*5:読み仮名は手力雄神社ホームページ(2021.4.25閲覧)によります。
*6:長谷寺ホームページ「国宝」2021.4.25閲覧
*8:奈良県観光局ならの観光力向上課「歩く・なら」2021.4.25閲覧
*9:西国三十三所札所会ホームページ「長谷寺」2021.4.25閲覧
*10:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)