西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第六番札所 南法華寺 ~インド請来の巨大石仏のテーマパーク壷阪寺~

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大涅槃像と大観音像

西国三十三所の第六番札所は、壺阪山つぼさかさん南法華寺みなみほっけじ、通称壷阪寺つぼさかでらです。「壺」の字は、「壺」と「壷」の二種類ありますが、同じ漢字ですので神経質になる必要はありません。お寺では、「壷」の字を使っておられます。ここでは、お寺ご自身が使用しておられる「壷阪寺」の呼称を使いたいと思います。

南法華寺(壷阪寺)の巡礼情報

清少納言『枕草子』186段では、「寺は壺阪笠置法輪。霊山は、釈迦仏の御住みかなるが哀れなるなり。石山粉川志賀*1と書かれており、「をかし」(趣きがある、風情がある)とされるお寺の筆頭にこの壷阪寺を挙げています。石山寺粉河寺も挙げられていますので、この中には三ヶ所もの西国三十三所の霊場が含まれていることになります。

現代の壷阪寺の特徴は、インドとのご縁により請来された大石仏群にあります。お寺は、後述する目の見えない方の老人ホームといった慈善事業に加えて、インドのハンセン病患者の救済事業にも尽力してこられました。そのご縁で、インド政府支援のもと最大20メートルの巨大な石仏がこのお寺に寄贈されたのです。

壷阪寺の縁起

壷阪寺の成立縁起は、壷阪寺のホームページに詳しく記載されています。

お寺に伝わる『南法花寺古老伝』(筆者未見)によれば、壷阪寺は大宝3(703)年に元興寺がんごうじの僧、弁基上人べんきしょうにんが開いたとされています。上人がこの地で修行されていたとき、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納められました。その際観音像を感得され、祀られたことからお寺が創建されたとされます。

このお話のよく分からないところは、水晶の来歴です。なにゆえ弁基上人は水晶を持ってこられ、この地に納められたのかが、よく分かりません。

一方で、考古学的見地からこの地の特異性について考証されている研究者がおられます。これも、上記ホームページ内の別項目から見ることができます。

大意としては、壷阪寺は藤原京の朱雀大路の延長線上の「藤原京の聖なるライン」にあり、持統天皇の火葬と壷阪寺の創建の年が同じである、ということに大きな意味がある、ということです。この文章をまとめられたのは、帝塚山大学名誉教授の青山茂先生です。この文章に基づいて説明させていただきます。

まず、関西外国語大学教授の戸田秀典先生が、壷阪寺は藤原京の中心道路である朱雀大路の延長線上の高取山にあると指摘されました。

これを受けて、橿原考古学研究所の岸俊男先生が、藤原京の中軸線上に天武・持統天皇陵、文武天皇霊、高松塚古墳、キトラ古墳など、天武朝の皇族に関係する古墳が点在していることを確認し、このラインを「藤原京の聖なるライン」と名づけられました。

さらに、研究所の泉森皎先生が、この延長線上にある壷阪寺の意味も考える必要がある、と指摘しておられます。

そして青山茂先生は、持統天皇の火葬が行われた年と、壷阪寺が創建された年が同じ大宝3(703)年であることは決して偶然ではないだろう、と述べておられます。

また、壷阪寺の本堂が八角円堂であることも重要なポイントであるとして、以下のように述べておられます。

八角円堂といえば、法隆寺の夢殿を思い浮かべる人も多いだろう。夢殿は天平11年(西暦739年)に行信という僧侶が建てたものである。
壷阪寺の開祖と言われる弁基行信と同じ動機で八角円堂を建てたのではなかろうか。
法隆寺の八角円堂は聖徳太子の廟所であり、行信太子の霊をなぐさめるために夢殿を建てたのである。
霊廟建築が八角円堂である。他にも八角形の建物として思い浮かべるのは、藤原不比等の廟所として元正天皇が発願した興福寺の北円堂。藤原冬嗣が父・内麻呂のために建てた南円堂。五条の栄山寺円堂も藤原仲麻呂が父智麻呂(※原文まま。武智麻呂のことを指すと思われる)のために建てたものである。
八角円堂はすべて、誰かの霊をなぐさめるために建てられている。

つまり、壷阪寺の本堂である八角円堂は、持統天皇の慰霊のために建てられたという可能性がある、ということです。

実は同じようなことを民俗学者の五来重さん*2も指摘しておられます。興福寺南円堂の説明のなかで、藤原冬嗣が父内麻呂の菩提を弔うために建てたのが八角円堂の南円堂、また元明上皇元正天皇藤原不比等のために建てたのが北円堂、藤原仲麻呂が父武智麻呂のために建てたのが栄山寺八角円堂、僧の行信聖徳太子のために建てたのが法隆寺夢殿と説明したうえで、以下のように述べておられます。

行信は、亡くなった人のために造るのは八角円堂だということを知っていて、聖徳太子のために八角円堂を建てたのです。

青山茂先生も、五来重さんも、八角円堂とは死者を弔うために建てるものだ、という点でほぼ同じ説を展開しておられます。

おそらく、壷阪寺は、持統天皇の菩提を弔うために、位置的にも藤原京からのライン上にあった高取山に建てられたのでしょう。そうすると弁基上人のお話も後付けではないかと考えられます。『続日本紀』によると、大宝元(701)年に弁紀という僧侶が還俗した、という記事が見られます*3

弁紀をして還俗せしむ。代わりに一人度す。姓春日倉の首名老と賜う。

なお、白洲正子さん*4によれば「春日蔵首老かすがのくらびとおゆ」と表記し、読むようで、『万葉集』にも見える名前だそうです。

つまり、弁基上人と僧弁紀が同一人物であるかどうかという議論の余地はあるものの、仮に同一人物であるとすれば、701年に還俗した人物が703年に持統天皇の慰霊のための壷阪寺を建立するのは、少し無理があると思われます。

何より、平安時代に西国三十三所の巡礼をしたことが『寺門高僧記』*5に記載されている僧行尊と僧覚忠の記録によると、願主、つまり壷阪寺を建立したのは道基聖人だと書かれています。

しかし、壷阪寺にあった案内板では元興寺弁基上人が開いた、と述べておられるうえで、弁基上人が還俗して春日倉首老となったことも述べておられますので、私の未見の資料等も根拠にしておられることと思います。

壷阪寺の見所

壷阪寺の見所をご紹介します。

仁王門

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※仁王門

鎌倉時代の建暦2(1212)年の建立で、貞慶解脱上人が建立に関わったと伝えられています。室町時代安土・桃山時代に大修理を行い、昭和時代には解体修理も行ったそうですが、平成10年の台風で屋根が半壊する被害を受けました。そこで防災上の観点からも現在地に移して再度解体修理を行ったとのことです。おそらく、もともとは現在の駐車場のあたりにあったのでしょう。それゆえ、この仁王門の外側に伽藍の一部である大講堂があります。

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※阿形

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※吽形

仁王像の大きさは約3.3メートルあり、釣金の助けなく自立しておられます。

大講堂

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※大講堂 奥に仁王門、三重塔が見える

大講堂内は自由に見学することができます。お寺が所蔵する多くの仏像が展示されており、写真も自由に撮ることができます。

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※ご本尊分身 十一面千手観音菩薩像 30cmくらい?

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※多聞天立像 平安時代 像高1.6メートル 宝塔を持たない珍しいお姿

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※増長天立像 平安時代 像高1.605メートル

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 ※不動明王坐像 平安時代 像高50.7cm

多宝塔

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※多宝塔

2002年落慶の多宝塔です。ご本尊は、平安時代に作成された大日如来です。大日如来像は、下記のページに写真が掲載されています。

灌頂堂かんじょうどう

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※灌頂堂

2005年落慶の灌頂堂です。密教で、頭に香水を注ぐ儀式を灌頂といい、それが行われるのが灌頂堂です。ご本尊室町時代制作の十一面千手観音菩薩、また、安土・桃山時代制作の豊臣秀長公像・本多俊政公像が両脇に座しておられます。

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※灌頂堂ご本尊 十一面千手観音菩薩

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※豊臣秀長公像 像高は1メートルほどか?

夫婦観音

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※夫婦観音 像高5メートル

十三番まである壷阪寺天竺渡来大石像巡りの第六番がこの夫婦観音像です。「夫婦」と名前がついているのは、後述する盲目の沢市とその妻お里にちなんだものです。

壷阪大佛

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※壷阪大佛(釈迦如来)と普賢菩薩(左中列)、文殊菩薩(右中列)、千手観音(中央下段)

壷阪大仏は像高10メートル、台座が5メートルあります。普賢菩薩文殊菩薩はともに像高3メートル、台座が2メートル。千手観音は像高3.3メートル、台座が1.5メートルあります。壷阪寺天竺渡来大石像巡りでは、それぞれ、第二番、第四番、第五番、第三番となっています。

三重塔

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※三重塔

室町時代の明応6(1497)年再建の三重塔です。国指定の重要文化財になっています。新しい建築物が多いなか、年代を感じさせるたたずまいです。

礼堂

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※礼堂

ご本尊の礼拝用に建てられたお堂で、現在の建物は室町時代に再建されたものです。これも国の重要文化財になっています。八角円堂とつながっています。左後方に写っているのが八角円堂です。

八角円堂

ご本尊の十一面千手観世音菩薩を祀る八角形の円堂です。オリジナルは大宝3(703)年に創建されたと考えられますが、もしかすると日本で初めて建立された八角堂ではないか、とする学説もあるそうです。現在の建物は江戸時代の再建と言われているそうです。写真は壷阪寺のホームページでご覧ください。

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※ご本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像 室町時代制作

お里・澤市伝説

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※お里 澤市の像

「壷坂霊験記」には、次のような話が伝えられています。

盲目の座頭沢市澤市)は、妻のお里と仲睦まじく暮らしていました。ところが、妻のお里が明け方の午前4時ごろ、毎日どこかに抜け出していることに気づきます。浮気を疑った沢市が問い詰めると、実はお里壷阪寺の観音さまに沢市の目が治るように願掛けに行っていたのでした。

己を恥じた沢市は自分がお里の重荷になっていると考え、崖から身を投じます。これに気づいたお里も後を追って身を投げました。すると、このお互いを思いやる夫婦の愛に感心した観音さまが二人を助けてくださり、おまけに沢市の目も治ったそうです。それ以来、この壷阪寺は眼病封じの観音さまとして、より篤く信仰されるようになった、ということです。

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※お里沢市投身の谷

眼鏡供養観音

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※眼鏡供養観音

沢市お里夫婦のエピソードにもあるとおり、目にご利益があるお寺ですので、眼鏡の供養も行っておられます。像高3メートルあり、古い眼鏡は台座に奉納されます。壷阪寺天竺渡来大石像巡りの第八番になっています。

天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」

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※天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」第9面 右奥の第10面は釈迦涅槃の場面

お釈迦さまの人生を10の面、31のシーンに分けて描いたレリーフです。躍動感あふれる場面展開で、思わず見入ってしまう迫力を持っています。南インドにおいて、延べ5万7千人の石彫師によって作成されました。高さ3メートル、横幅50メートル、重さ300トンにも及ぶ巨大な石造美術です。

大涅槃

トップの写真、手前にあるのがお釈迦さまの大涅槃像です。全長は8メートル、やるべきことをすべてやりきったかのような表情も見事です。壷阪寺天竺渡来大石像巡りの最後、第十三番になっています。

大観音

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※大観音

インドでのハンセン病患者救済事業の功績によりインドから請来されたものです。インドの文化勲章受章者シェノイ氏およびその一門が中心となり、延べ7万人のインドの石工が参加して、すべて手造りで制作されました。高さは20メートル、総重量は1,200トンにもなります。66個のパーツを別々に制作し、日本に運ばれてから組み立てられました。1983年に開眼法要が営まれ、以来40年近くにわたって壷阪の山から我々を見守ってくださっています。壷阪寺天竺渡来大石像巡りの第十二番になっています。

奥の院 五百羅漢

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※五百羅漢石仏群

境内を出て山上の方へ30分ほどで到達する、奥の院跡地にあります。岩石に掘られた摩崖仏が数多くあることから五百羅漢と呼ばれています。しかし実際は、二十五菩薩像、五社明神像、両界曼茶羅などが点在しているそうです。

壷阪寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

いわをたて みずをたたえて つぼさかの

 にわのいさごも じょうどなるらん

(岩をたて 水をたたえて 壺坂の

   庭にいさごも 浄土なるらん)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*6によります。

「岩をたて 水をたたえて 壺坂の」とは、このお寺のそのときの風光とも考えられますが、一般に、山といえば川という対句がありますように、この場合も岩と水と壺坂の壺とが、つながりをもって、上の句を形成しています。即ち岩をたてとは、屹立する岩石に一切衆生(すべての人々)を救済せずにはおかぬ観音さまの堅きご誓願をうかがうことができますし、壺阪寺の起こりとなった弁基上人の水晶の壺の中にたたえられた水は、観音さまの有り難いお慈悲の功徳水であったでありましょう。次に下の句は「庭のいさごも 浄土なるらん」とありますが、極楽浄土の庭には金・銀の砂が一面に撒かれているのです。

一方で、民俗学者の五来重さん*7は「岩」と「水」は現在の壷阪寺にはないけれども、旧奥の院五百羅漢のところにあると述べておられます。

御詠歌は「岩を立て水をたたへて壺坂の 庭の沙いさごも浄土なるらん」となっています。「岩を立て」というのは、現在の壺阪寺の中にはありません。これも五百羅漢のところにあります。水神信仰がありますので、「水をたたへ」と詠んでいます。 

五来さんはしばしば、山上のお寺(奥の院)と山腹のお寺の関係性を論じておられ、もともとは山上のお寺が起源で、後に山腹へ移ってきたものが多い、と述べておられます。壷阪寺もそのような可能性がある、ということなのでしょう。

壷阪寺へのアクセス

壷阪寺ホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

公共交通機関

近鉄「壺阪山駅」から奈良交通バス「壷阪寺前」行に乗車、「壷阪寺前」下車すぐ(「壺阪山駅」から約11分)。

※月によってダイヤが変わるので事前に必ず確認すること

お車

南阪奈自動車道「葛城IC」から国道165号線を東進、国道169号線を南下。約30分。

境内前に駐車場あり。80台。500円。

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※壷阪寺駐車場入口 第1駐車場・第2駐車場がある

壷阪寺(南法華寺)データ

ご本尊 :十一面千手千眼観世音菩薩

宗派  :真言宗

霊場  :西国三十三所 第六番札所

     神仏霊場巡拝の道 第38番

所在地 :〒635-0102 奈良県高市郡高取町壷阪3番地

電話番号:0744-52-2016

拝観時間:8:30~17:00

拝観料 :大人600円(18歳以上) 小人100円(17歳以下)

URL   :http://www.tsubosaka1300.or.jp/index.html

 

第五番 葛井寺 ◁ 第六番 南法華寺(壷阪寺) ▷ 第七番 岡寺(龍蓋寺)

南坊の巡礼記「南法華寺(壷阪寺)」(2021.3.14)

午前中に賀名生梅林を見学し、そこから車で30分ほど走り、11時40分ごろ、南法華寺、別名壷阪寺に到着です。お寺は壷阪寺という名称でホームページも作っておられますので、ここでも壷阪寺と表記させていただきます。

境内

道中は案内板もあり分かりやすく、山道に入ってからも2車線道路で走りやすいです。駐車場の看板を見て入ります。

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※第2駐車場から第1駐車場へのルート

下の第2駐車場は50台ほど停められますが、奥に行くとこのような案内板と信号があります。とりあえず上ってみたところ、すぐ第1駐車場に着きます。何とか停めることができました。バス停も第1駐車場にあります。

第1駐車場に面して入山受付がありますので、すぐに600円をお支払いし、境内に入ります。

入ってすぐ右側に大講堂、左側に養護盲老人ホーム慈母園があります。

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※大講堂 多くの仏像を見ることができる

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※ひな壇型の西国三十三所参り

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※桜の時期にくると桜に埋もれた大仏を見ることができる

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※養護盲老人ホーム慈母園

信仰の対象となっているだけではなく、現代社会においてお寺としての社会的責務を果たそうと努めておられるのは、とてもすばらしいことだと思います。他にも五つの施設を運営されているそうです。

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※仁王門前の様子

境内に入ってすぐに、これは広そうだぞと予感します。ちょうどお昼時ではあったのですが、ちょっと後回しにせざるを得ない感じです。実は結局この日は昼食抜きになってしまいました。

仁王門をくぐって左側には多宝塔灌頂堂があります。

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※灌頂堂内 右が豊臣秀長公坐像、左が本多俊政公坐像 顔がちょうど隠れてしまっている

皆さん、上へ上へと登っていかれるのに夢中で、こちらの方にはあまり人が来られていませんでした。灌頂堂のさらに奥には、夫婦観音がいらっしゃいます。

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※灌頂堂側から振り返る 奥が大観音

灌頂堂側から戻ってくると、右側には壷阪大佛が鎮座しておられます。

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※壷阪大佛

とにかくキレイで大きな石仏群に圧倒されます。こんなお寺があったとは、驚きです。

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※中央参道を上る

参道を上っていくと、三重塔が見えてきます。慈眼堂という建物の中を通ると、伽藍の中枢に到着です。

右手に三重塔、左手に礼堂を見ながら進むと、礼堂八角円堂の入口に着きます。外には納経所もあり、何人かがご宝印をいただいておられました。

とりあえず私は礼堂の中に入ります。

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※礼堂内

実は3月1日から4月18日まで大雛曼荼羅が開催されており、大講堂礼堂にたくさんのお雛さまが飾られています。何セットくらいあるんでしょうか。供養のために集められたものなんでしょうかね。

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※ご本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像

八角円堂に入ると、まずはご本尊を拝することができます。独特の雰囲気があり、圧倒されます。

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※沢市の杖

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※花山法皇御念持佛

他にも、夫婦仲がよくなるとされる沢市の杖や、花山法皇がご念持されていた十一面千手千眼観世音菩薩像など、見所がいっぱいあります。すごいお寺です。

その後、外に出て納経所ご宝印をいただきました。

沢市お里の石像を見て、「釈迦一代記」のレリーフを見てから、大観音の方へ行きます。大観音は道路を挟んだ反対側にあります。大観音に鎮座していただくために新たに開拓したのでしょう。地下道のようなところを少しだけ通り、大観音側へ出ます。坂を登っていくと、境内の側が見えます。

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※大観音までの参道から見た壷阪寺境内 中央奥には八角円堂の屋根が見える

大観音側の伽藍に来ると、まず目につくのが大観音の実寸大よりはやや小さいとされるみ手です。

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※大観音石像の御手

大観音さまの本当のみ手は直接触ることができないので、代わりに触っていただけるようにということで、ここにみ手が設置されているそうです。

そこから下の段に下りると、大涅槃像がおられ、奈良盆地の方角が見渡せます。

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※大涅槃の後ろ姿 俗人にはふて寝しているようにも見える

そこから元の段に戻り、もう一段上へと上がると、大観音像です。

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※真下から見た大観音像

大観音さまは、ほぼ真下から見るとこんな感じです。大きさもさることながら、造形も細かいことに驚かされます。衣裳のしわまでが、見事に表現されています。これほどのものを寄贈してくださるとは、お寺とインドとのご縁の深さをうかがい知ることができます。

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※真言の森案内板

大観音側から境内の方に戻ってくると、この案内板が目に留まりました。登ってみると、四国八十八ヶ所のお砂踏み道場と、七福神の石像があります。

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※四国八十八ヶ所霊場お砂踏み

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※七福神尊

右側にはずらりと奥まで八十八ヶ所の寺院名と、弘法大師像が連なっています。左側には七福神尊が祀られています。七福神尊壷阪寺天竺渡来大石像巡りの第九番となっています。

この壷阪寺天竺渡来大石像巡りは一番から十三番までの石仏と、番外一つを含んでいます。入山受付で用紙をいただくことができ、スタンプラリーのようにご朱印を集めて回ることができます。お寺を訪れる楽しみが1個増えますね。

五百羅漢

12時30分を過ぎていましたが、奥の院跡の五百羅漢を見ようと思っていましたので、そこを目指します。受付の方のお話では、30分弱歩くということでした。

受付を出て、左側にある山沿いの階段を上ります。どうやら、車道とつながっているようでした。車道まで出ると、参道と書いてあります。

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※参道入口

ここを下ると壷阪寺の入山受付に出ますが、私が目指すのは山の上、五百羅漢です。まずは車道をひたすら登っていきます。

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※車道から見上げる大観音

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※五百羅漢登り口

10分ほど歩くと、この登り口に着きます。ここで左側に登っていきます。ただ、左に登る道が2種類あり、左側の比較的平坦な道と、右側のいかにもな山道とに分かれています。きちんと確認したわけではありませんが、左側の比較的平坦な道は途中で行き止まりになっていたように思いました。右側のいかにもな山道を登っていきましょう。10~15分ほど登ると、五百羅漢に到着します。

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※香高山五町の町石

私がちょうど五百羅漢のところに到達すると、いかにも山歩きをしています、というグループにお会いしました。どうも高取城が最近は日本最強の城ともてはやされているらしく、私が車で壷阪寺に向かう際にも、途中で高取城の方へと曲がって行かれる方が多かったです。高取城跡からずっとこの辺までハイキングコースになっているんですね。お寺まで戻ってくればバスに乗って帰ることもできますし、ちょうどいいコースなんでしょう。

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※足元にある羅漢像

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※五百羅漢像

今は人跡も稀になって苔むしていますが、往時はどのような感じだったのでしょうか。奥の院があったということですから、お堂等もあって、もっとお参りする場所、という雰囲気が漂っていたのでしょうか。訪れたときは思いませんでしたが、今になって写真を見返してみると、何か怖くなってきました。

実は私は知らなかったのですが、この最初のポイントの五百羅漢像以外にも、曼荼羅や菩薩など、まだいろいろとあるそうです。機会があればまた行ってみたいと思います。

またそこから20分ほどかけて駐車場へ戻ります。五百羅漢までの行き帰りともに、山道を歩いているときは誰にもお会いしませんでした。それだけ知る人ぞ知る名所、ということなのでしょう。

駐車場にもどってきたときは、すでに13時40分になっていました。たっぷり2時間は費やしています。私はこの後岡寺にもお参りするので、これで終わりにさせていただきましたが、もっと時間をかけて回ってもいいお寺ですね。次回は、このお寺だけを目当てにお参りさせていただこうと思います。

皆さんにも、壷阪寺南法華寺)のエキゾチックな魅力が伝わりましたでしょうか。

というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「葛井寺」(2021.3.3) ◁ 南坊の巡礼記「南法華寺(壷阪寺)」(2021.3.14)

南坊の巡礼記「南法華寺(壷阪寺)」(2021.3.14) ▷ 南坊の巡礼記「岡寺」(2021.3.14)

 

最終更新:2021.5.27

*1:国会図書館デジタルコレクション『枕草子』所収『日本文学大系:校注 第3巻』

*2:五来重『西国巡礼の寺』角川書店(1996)

*3:国会図書館デジタルコレクション『続日本紀』所収『国史大系 第2巻』

*4:白洲正子『西国巡礼』講談社(1999)

*5:所収 塙保己一編『続群書類従 第28輯上 釈家部』八木書店(2013)

*6:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)

*7:五来重『西国巡礼の寺』角川書店(1996)