西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第十三番札所 石山寺 ~日本一美しい多宝塔と天然記念物の奇岩の絶景~

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多宝塔と硅灰石

西国三十三所の第十三番札所は、石光山せっこうざん石山寺いしやまでらです。その名前のとおり、境内で目を引くのが天然記念物に指定されている硅灰石の奇岩です。ご本尊の如意輪観世音菩薩も岩の上に直接鎮座されているということで、「石山」の名前にふさわしいお寺です。

石山寺の巡礼情報

石山寺は、奇岩が生み出す絶景とともに、平安時代の女流文学者に愛されたお寺としても有名です。紫式部がこのお寺に籠って『源氏物語』の着想を得たとされ、本堂には源氏の間と呼ばれる一室が設けられています。また、『更級日記』の作者である、菅原孝標の娘が参籠中にご本尊の夢を見たこともあったそうです。古来、男女を問わず多くの参詣者を惹きつけてきたお寺だと言えるでしょう。

石山寺の縁起

石山寺の成立縁起は、石山寺のホームページに詳しく記載されています。

www.ishiyamadera.or.jp(2021.5.7閲覧)

それによりますと、石山寺は天平19(747)年に聖武天皇の勅願で、良弁僧正ろうべんそうじょうが建立された寺院である、とのことです。

お寺には『石山寺縁起絵巻』が伝わっていますが、絵が欠落した形の『石山寺縁起』*1に従って、この経緯を詳しく見ていきましょう。

 

良弁僧正は前世で修行者として舎衛国コーサラ国のことと考えられる)に行こうと思っていましたが、お金がなくて川を渡れませんでした。悲嘆にくれながら数日を過ごしたところ、渡し守がかわいそうに思って川を渡してくれました。「お金がないのにあなたは私を渡らせてくれました。後世を祈りましょう。このご恩に報いるために君臣となりましょう」という誓いが深かったため、修行者は良弁僧正として生まれ変わり、渡し守は聖武天皇として生まれ変わりました。

時に聖武天皇東大寺を建立され、十六丈(約48メートル)の金銅毘盧遮那仏像を鋳造されようと思われましたが、日本では金がとれないことから、良弁僧正に勅命を下し金峯山にお祈りさせました。蔵王権現が夢のお告げでおっしゃるには、「私の山の金は弥勒菩薩さまが世に降臨なさったときに地面に布くためのものである。近江の国志賀郡琵琶湖の南岸に一つの山がある。仏さまが訪れになったところである。そこでお祈りしなさい」ということでした。

そこで僧正がこの山に訪ね入ったところ、巖いわおの上で釣り糸を垂れている老翁に会われました。僧正が「あなたは誰ですか。あと、ここに霊所はありますか」と尋ねると、老翁が答えて、「この山の上に大きな巖があります。八葉の蓮華のようです。紫雲がつねにたなびき、瑞光がしきりに輝いています。観音菩薩さまのご利益があるところで、地形も勝絶の境地です。私はこの山の地主比良明神なのです」と言って、掻き消えるようにしていなくなってしまいました。

古老が伝えて言うことには、「天智天皇の御代、この山に紫雲がつねにかかっていた。天皇が怪まれて勅使を派遣されてお訪ねになったところ、山の中腹に八葉の巖があった。珍しい雲がそびきたっていて、帯のようになっていた。まことに仏さまが訪れになった勝地である」ということでした。僧正が見ると前に池があり、八功徳池の流れを受けており、弘誓の深い法を教えているようです。後ろに山があり、補陀落山の形を写しており、観音さまの高い恵を表すものでした。

良弁僧正(この時はまだ大法師)が事のいきさつを奏上し、天皇のご念持仏をもらい受けて、この山に草庵をかまえて岩の上にご本尊として安置なされ、密教の秘法を勤修したところ、春3月に陸奥の国から砂金が掘り出されて国庫に納入されました。蔵王権現の瑞夢はうそではなかったのです。霊験が本当にあらたかであるということで、年号を改めて天平勝宝と名づけられました。

この秘法がすでに結願した後、ご本尊をお堂にお納めしようとしたところ、石の上を離れませんでした。そこで、比良大明神にこの地をもらい受けて、仏閣を建てようとして荊棘を切り払い、砂石をけずって平地を造ったところ、五尺(約15cm)の宝鐸を掘り出しました。古仏の聖地であり、伽藍の旧跡であったことをまことに知ったのです。とうとう東大寺に先立って石山寺を建立して、累代の勅願寺として、天地長久をお祈りしました。

およそ日本に観音さまの垂迹の地は多いけれども、霊験のあらたかさにおいて石山寺に過ぎるところはありません。~

 

また、上記の石山寺のホームページには、東大寺造立の際の、大量の木材の集積地となったのがこの石山の地で、瀬田川から淀川へと下り、大和川をさかのぼって運んだと考えられている、と述べておられます。『縁起』でも物語として東大寺との関わりが述べられていますが、地理学的にも東大寺との関わりが大きいことが証明されるようです。

石山寺の見所

石山寺の見所をご紹介します。

東大門

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※東大門

石山寺仁王門に当たります。瀬田川に向かって東面しており、鎌倉時代源頼朝によって寄進されたとされます。焼失を繰り返したとのことで、慶長年間に淀殿が新築に近い大規模な修理を行ったそうです。国指定の重要文化財となっています。仁王像は、運慶湛慶父子の作とされます。

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※阿形

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※吽形

比良明神影向石

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※比良明神影向石

良弁僧正がこの山を訪れた際、『縁起』に登場する老翁が座っていたのがこの石とされます。明王院の前に位置し、この上に奇岩が連なっています。

龍蔵権現社

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※龍蔵権現社

本堂へ上がっていく大坂(石段)の途中、左側にあります。宝治元(1247)年、勧進沙門祐円が再興したそうですが、江戸時代半ばには老朽化が著しく、明和(1764~1772)年間に再興されたそうです。

毘沙門堂

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※毘沙門堂

江戸時代後期の安永2(1773)年の建立で、堂内には兜跋毘沙門天とばつびしゃもんてんと吉祥天、善膩師童子ぜんにしどうじの三尊が祀られています。和歌山の藤原正勝が施主、大棟梁は大津の高橋六右衛門治郎兵衛、大工は大阪の大西清兵衛が担当したそうです。滋賀県の指定有形文化財となっています。

御影堂

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※御影堂

室町時代の建立とされ、真言宗の開祖弘法大師石山寺第3代座主淳祐内供御影みえいを安置しています。お参りすると美男子になるとも言われているそうです。国指定の重要文化財になっています。

蓮如堂

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※蓮如堂

安土・桃山時代の慶長7(1602)年の淀殿による復興の際、三十八所権現社本殿拝殿として建立されたとされます。ただ、明治時代以降は蓮如上人6歳の御影や遺品をお祀りするお堂として使用され、蓮如堂と呼ばれるようになりました。

石山寺硅灰石

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※硅灰石 奥は多宝塔

硅灰石の露岩です。国指定文化財であり、天然記念物になっています。石灰岩が花崗岩となる際、一般的には大理石になりますが、一部に硅灰石となるものがあるそうです。ここまで雄大な硅灰石は珍しいとのことです。

本堂

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※本堂

現在の建物は、平安時代後期の永長元(1096)年に建立されたもので、国宝です。礼堂相の間は、慶長7(1602)年に淀殿によって建て替えられました。本堂内陣宮殿くうでんに安置されるご本尊は、日本で唯一の勅封の秘仏で、本来は33年に一度と、天皇陛下ご即位の翌年に開扉されるそうです。

源氏の間

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※源氏の間

本堂相の間の東端にある二間続きの部屋で、この部屋に籠って紫式部『源氏物語』を書き始めたと言われています。鎌倉時代末期の正中(1324~1326)年間に成立した詞書によれば、この部屋は鎌倉時代にはすでに「源氏の間」と呼ばれていたそうです。人形は、有識人形司十世伊東久重氏の作です。これらの部屋はもともと高貴な身分の方が参籠される際に使用されていたということですので、『更級日記』の作者である菅原孝標の娘もここに参籠していたのかもしれません。なお、『石山寺縁起絵巻』に描かれた菅原孝標の娘の夢を見ている様子は、NHKの関西ブログ*2にて見ることができます。ここで渡邊佐和子アナウンサーが持っておられるのが、西国三十三所札所会推薦の水彩画付納経帳です。

三十八所権現社

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※三十八所権現社本殿

天智天皇までの歴代天皇をお祀りする石山寺の鎮守社です。屋根は檜皮葺ひわだぶきとなっています。慶長7(1602)年の建立で、国指定の重要文化財となっています。

経蔵

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※経蔵

高床式の校倉で、淳祐内供しゅんにゅうないぐ筆で、国宝の聖教などを収蔵した経蔵です。安土・桃山時代の16世紀後半の建立と考えられています。全国でも類例が少ない切妻造の校倉で、国指定の重要文化財となっています。

安産の腰掛石

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※経蔵の床下にある安産の腰掛石

高床式の経蔵の束つかの一部は、露出した岩肌に直接建てられています。その束を抱くようにして硅灰石の岩に座ると安産になるとされています。

紫式部供養塔

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※紫式部供養塔

紫式部供養塔と伝えられているそうです。宝篋印塔の笠を三つ重ねた珍しいもので、最上部は相輪ではなく宝珠となっています。鎌倉時代中期の作品ではないかと考えられており、美術史においても特異な存在として評価されているそうです。

芭蕉の句碑

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※松尾芭蕉の句碑

江戸時代後期の嘉永2(1849)年に信濃の国の松岡斎梅朗によって建立されたそうです。「曙は まだむらさきに ほととぎす」の句が刻まれた円柱です。

鐘楼

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※鐘楼

源頼朝が寄進したとされる鐘楼です。ただし、細部の手法から鎌倉時代後期の建造と考えられ、袴腰全体が白壁の漆喰塗という古式で造られています。国指定の重要文化財となっています。また、梵鐘は平安時代の制作で、これもまた別に重要文化財に指定されています。

多宝塔

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※多宝塔

鎌倉時代初めの建久5(1194)年に源頼朝によって建立されたと伝えられています。現存する多宝塔としては国内最古であり、上下二層のバランスや軒の曲線が美しく、日本一美しい多宝塔とも称されています。国宝です。ご本尊として祀られている大日如来像は鎌倉時代を代表する仏師快慶の作であり、国指定の重要文化財となっています。またご本尊を囲む四天柱には金剛界の諸仏と五大尊が描かれており、こちらも重要文化財に指定されています。

めかくし石

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※めかくし石(石造宝塔)

多宝塔の西側に立つ石造の宝塔で、鎌倉時代の制作とされています。由来は分かりませんが、目隠しして塔を抱きとめることができれば願いごとがかなうそうです。

源頼朝供養塔・亀谷禅尼供養塔

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※源頼朝・亀谷禅尼供養塔

多宝塔の北西に並んで立っている2基の宝篋印塔です。右が源頼朝、左が亀谷禅尼供養塔と伝えられています。亀谷禅尼は、石山寺の毘沙門天に戦勝祈願をした中原親能の妻で、頼朝の娘の乳母でした。剃髪後石山寺に住したことから石山の尼と呼ばれ、頼朝伽藍の再興を勧めたそうです。亀谷禅尼供養塔室町時代前期のものと考えられ、国指定の重要文化財になっています。源頼朝供養塔はそれより時代が少し下るようです。

大湯屋

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※大湯屋

妻を正面とする切妻造の建物で、前室、脱衣場、浴室の三室構成となっているそうです。湯屋が残っているのは全国的に例が少なく、貴重な遺構の一つだそうです。和辻哲郎先生の『古寺巡礼』*3によると、お寺に大規模な浴室があるのは、僧侶が利用していたというわけではなく、福祉事業としての「施浴」から来ているようです。これがそれに当たるのかは分かりませんが、境内の最下層のところ、東大門からも近いところに位置していることから、少なくとも僧侶のためのものではなかったと考えられます。

大黒堂

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※大黒堂

建物は鎌倉時代の様式の再建で、お祀りされている大黒天は弘法大師が制作されたものとされます。万寿元(1024)年、石山寺の3人の僧に同じ夢でお告げをし、琵琶湖から出現したとのことです。右手親指を内にして握る拳印大黒天で、福招・出世のご利益で有名です。

石山寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

のちのよを ねがふこころは かろくとも

 ほとけのちかひ おもきいしやま

(後の世を 願う心は かろくとも

   仏の誓い 重き石山)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*4によります。

後の世とはどういう所でしょうか。私たちがこの世での命脈が尽きて後におもむく世のことと考えるべきでしょう。「後の世を願う心」とは、信心深き人は、後生善処といって、死んだらお浄土へ往生したいという願いを抱くものです。しかし信心薄き者や、死ぬことなど考えたこともない若い人たちには、「後の世を願う心」はそれほど重きものではありません。この世でおいしいものが食べられ、日々がおかしく過ごせればそれでよいという人が多いのではないかと思われます。また知識人といわれる人たちの中には、「後の世」を信じようとしない人が多いといわれます。

(中略)

しかしながら、観音さまの心はただ一つです、人々を諸々の苦しみから救い、極楽浄土に導こうとしておられるお誓いの心、多くの人々に世の真実の姿を気づかせようとなさる心は、石山寺の大きくて重い石にも負けぬほど重たいものです。

上の句は私たち人間の心、下の句は観音さまや阿弥陀さまといった仏さまの心を表しています。「おもきいしやま」というのは、「石山寺」の重い石と、仏さまの重いお誓い、「意志」が掛けられているのでしょう。

石山寺へのアクセス

石山寺ホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

www.ishiyamadera.or.jp(2021.5.7閲覧)

公共交通機関 

京阪「石山寺駅」下車徒歩約10分。

お車

名神高速道路「瀬田西IC」または「瀬田東IC」から南西へ約10分。

石山寺観光駐車場あり。140台。600円。駐車場から東大門まで徒歩2~3分。

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※駐車場出口 ここから石山寺の東大門まで歩く

石山寺データ

ご本尊 :如意輪観世音菩薩

宗派  :東寺真言宗大本山

霊場  :西国三十三所 第十三番札所

     近江西国三十三所 第3番

     びわ湖百八霊場 第1番

     神仏霊場巡拝の道 第146番

所在地 :〒520-0861 滋賀県大津市石山寺1-1-1

電話番号:077-537-0013

拝観時間:8:00~16:30

入山料 :大人(中学生以上)600円 小学生250円          

URL   :https://www.ishiyamadera.or.jp/

石山寺の境内案内図 

www.ishiyamadera.or.jp(2021.5.7)

上記サイトに案内図があります。

 

第十二番 正法寺(岩間寺) ▷ 第十三番 石山寺  ▷ 第十四番 三井寺(園城寺)

南坊の巡礼記「石山寺」(2021.4.8)

11時30分ごろに岩間寺を出発し、ほんの15分ほどで石山寺の駐車場に到着です。瀬田川沿いで、雰囲気がいいところです。駐車場は石山寺観光駐車場という名前ですが、石山寺のホームページに掲載されていますので、オフィシャルな駐車場なのでしょう。私は南から行ったのでスムーズにここに行けましたが、北から来た方はここまで来る前に、民間の駐車場に停めてしまうかもしれません。また、石山寺参道駐車場というところが無料で停められるらしいです(ただし、口コミによるとほとんど満車になっているそうです)。しかし、お寺の収入を増やすためにも、オフィシャルな駐車場に停める方が望ましいと私は思います。

というわけで石山寺観光駐車場に車を停めて、トイレに行きます。

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※駐車場内のトイレ わりと新しい

比較的キレイなトイレでしたので、よかったです。さて、時間的にはだいたい12時前です。お寺の参拝には最低でも1時間はかかるでしょうから、先に昼食を食べることにしました。駐車場内?にお店が二つあります。洗心寮石柳です。 〇〇寮は何となく敷居が高く感じた(日本テレビ「ぐるぐるナインティナイン」内の「グルメチキンレース・ゴチになります!」で京都の下鴨茶寮が舞台となったことがある)ので、石柳さんにしました。早速中に入ります。しかし、お店の人がいらっしゃいません。「すいませーん」と声をおかけして、ようやく出てこられました。左側がお土産屋さんになっており、そちらにいらっしゃったのでしょうか。店員さんが少ないようですので、少し心配になりましたが、席に案内していただき、川が見える一番景色のいいところに座らせていただきました。

メニューを見て、考えます。正直に申し上げて、観光地価格ですね……。醍醐寺雨月茶屋は高いと思って入って、思ったよりも安かったですが、こちらは逆パターンでした。しかし、今さら仕方がありません。何にするか考えます。「しじみめし」というのが売りのようです。しかし、定食にすると2500円(?記憶が定かではない)もかかってしまいます。特別な日でもない昼食に2000円以上出す胆力は、私にはありません。単品のしじみめし、1400円にすることにしました。消極的な選択でしたが、結果的にこれが大正解でした! 老夫婦がしじみめし定食を頼んでおられましたが、結構いろいろな小鉢がついてきていて、量的に多いように感じました。一方、単品のしじみめしは、単品とはいうものの、しじみ汁プラス小皿がついてきます。この小皿がいい意味で曲者で、普通にハンバーグ定食などにも使えそうな大きさのお皿に、4種類以上のおかずが載っています。どれもおいしいものでした。また、釜飯としてつくられているしじみめしも味がよくしみていておいしく、大変満足しました。逆にこれで1400円なら納得です。

さて、ようやく本題です。食事を終えて駐車場で身支度を整え、石山寺へと向かいます。

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※境内案内図

東大門までの途中に境内の案内図がありました。さすがに石山寺を擁する石山、大津市ではなく独自の観光協会があるようです。 

3分ほどで東大門に到着です。さすがに観光名所、結構人が多いです。門をくぐり中に入ります。

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※拝観時間の案内板 もしかすると季節によって変更があるのかも

参道の左右にも、塔頭らしき院がいくつかあります。

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※参拝コース案内図

入山受付となっている志納所の脇に参拝コースの案内図がありました。申し訳ありませんが、本日はショートコースにします。この後、三井寺に行かなければいけませんので。

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※くぐり岩案内板 左が入口

まずはくぐり岩です。那智大社にも樟の胎内くぐりがありますが、こういった行場はあちこちにありますね。世俗の垢に塗れて、汚れてしまっている我が身を生まれ変わらせるという、呪術的な願望がこもっているのでしょう。もちろん、私もくぐりました。菅笠を被り、リュックを背負っていると頭と背中に気をつけないといけません。しかし一方で、菅笠はかなり防御力が高い装備でもあります。水、虫、岩、いろいろなものから頭をガードしてくれます。

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※鯉にえさをあげてはいけない

この池は天平時代からのもののようです。鯉がいっぱい泳いでいます。このころはカープも調子がよかったのですが……。

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※石山寺石段

参道を一番奥まで行くと、右側にこの石段があります。なお、左側にはキレイなトイレ、正面左側には島崎藤村所縁の密蔵院の案内板があります。

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※トイレ 案内図で見る限りは境内にはここしかない模様

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※島崎藤村遺跡の案内板 かなりかすれていてよく見えない

石段を登っていきます。左側に龍蔵権現社がありました。さらに登ります。

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※伽藍の中枢 正面が多宝塔 右奥が御影堂 手前は毘沙門堂

階段はたいしたことありません。登り終わると、伽藍の中枢に到着です。正面に多宝塔が見えます。国宝です。日本一美しいと称されるのもうなずける、優美さを漂わせています。

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※本堂への参道 左は蓮如堂

この場所には右側手前から西国三十三所のご本尊の写しをお祀りする観音堂、毘沙門天がお祀りされている毘沙門堂、少し離れた奥に弘法大師さまと淳祐内供さまがお祀りされている御影堂があります。左側の手前には蓮如堂があり、その奥に本堂があります。本堂は南面しているので、見えているのは東側の入口です。

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※本堂東側入口

階段を登り、本堂へ入ります。本堂は南側の崖にせり出している外陣と、岩盤の上に屹立する内陣が合体した様式です。長谷寺とほぼ同じような造りでしょうか。

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※本堂回廊 南西から北東に向かい撮影

もちろん、中は写真撮影禁止です。まずは、納経をいたします。内陣をのぞくことができますので、外から垣間見えるご本尊お前立ちを拝顔いたします。納経を済ませ、左側にある納経所ご宝印をいただきます。ここはいろいろな霊場となっているようです。

さて、レポートが大変遅くなってしまいましたが、実は4月18日までは特別拝観中だったのです。早速本堂内陣に入り、ご本尊のお前立ちに直接お会いしに行きます。内陣の受付で500円をお支払いし、中に入ります。と、そのとき! 突風が吹いて、堂内の電気が消えてしまいました。間抜けなことに、促されて電動の消毒液噴霧器に手をかざした瞬間の出来事でした。この行き場のない手よ。

停電ではなく、どうも単にコンセントが抜けただけのようです。どのように電気を供給しているのか分かりませんが、一つ抜けるとすべて電気が止まるシステムのようです。

すぐに復旧しましたので、改めて手を消毒し、中に入らせていただきます。このお前立ちは、いつの造立かわかりませんが、金色に輝いており、とても福々しいお顔をしていらっしゃいます。正座して、しばらく拝ませていただきます。静かにお参りすることができました。

後から『西国三十三所をめぐる本』*5で写真を見たら半跏像でした。そこのところはちょっと記憶から欠落しています。もう一つ憶えていないのが、特別拝観になっている十一面観世音菩薩像のことです。内陣をぐるりと回ることができたようにうっすらと憶えているんですが、どの辺りで拝顔したのか、思い出せないんですよね。これでは何のために特別拝観期間を狙ってお参りに行ってるんだか、分かりませんね。十一面観世音菩薩の写真は、こちらのホームページでご覧ください。

www.ishiyamadera.or.jp(2021.5.7閲覧)

さて、本堂を出て先に進みます。本堂の脇の部屋が、例の紫式部の部屋です。

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※源氏の間の紫式部像

いただいたパンフレットやホームページでは後ろに黄色い衣を着た方もいらっしゃるのですが、私が行ったときにはいらっしゃいませんでした。引退されたのでしょうか。

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※上から見た伽藍 右は毘沙門堂 左は御影堂

本堂の裏手から上へあがっていきます。経蔵の前あたりから撮りました。

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※案内板 芭蕉庵と月見亭はこのときは回らず

経蔵鐘楼のあるレベルからさらに上にあがるとようやく多宝塔があります。下から見上げていたときは近いと思っていましたが、意外と登ります。

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※多宝塔正面

縦にも横にもうまく撮れていないですね。建物自体はずっしりとした感じなのですが、上の相輪が意外と高さがあります。結構遠くからでないと、すべてをうまく収めることができません。それにしてもこの屋根の反り具合がとても素晴らしいですね。他のお寺で見る朱塗りされた多宝塔も美しいですが、ここのように塗り替えずにそのままの状態にされているのも、侘びたたたずまいになっていい感じです。屋根が檜皮葺とのことですから、もともと朱塗りではなかったのかもしれませんが。

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※心経堂を下から望む

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※月見亭(左)と芭蕉庵(右)

後から見返すと、どうやら芭蕉庵月見亭も行っていたようです。説明板を写真に撮っていなかったので、気づきませんでした。

まだまだ上があるみたいなのですが、今日はこの後さらに三井寺をお参りする予定です。この時間的余裕の無さはスマホを忘れたことに起因しています。これで2時間近くロスしていますので。

というわけで、下に降りていきます。

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※帰り道にある鐘楼

まあ、「かえり道」と書いてあるくらいですから、ショートコースとしては正解なのです。スタスタ下りていきましょう!

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※宝篋印塔 右の建物は毘沙門堂 下のピンクは私の指

室町時代に造られた宝篋印塔です。この周りが四国八十八ヶ所のお砂踏みになっているそうです。結構いろんな霊場にお砂踏みはありますね。

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※本堂 破風が外陣と内陣をつないでいる 手前左は蓮如堂

後ろを振り返ると、こんな感じです。本堂の屋根はこんな造りだったんですね。

帰りは来た道とは違うところを下りていきます。平地まで下りてくると、大湯屋がありました。ちょうど和辻哲郎先生の『古寺巡礼』を読んでいて浴場の話のところを読んだばかりだったので、興味深かったです。中を見たかったですねえ。

最後に大黒堂でお参りして、参拝は終了です。

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※大黒堂

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※大黒堂説明板

東大門をくぐり、外に出ました。いやあ、立派なお寺でした。全体的に華美ではなく、侘びた雰囲気の建物が多かったと思います。それがまた奇岩の織り成す絶景とマッチしていて、本当に霊場と呼ぶにふさわしいと思いました。今度は、境内のすべてを回りたいと思います。

というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「正法寺(岩間寺)」(2021.4.8) ▷ 南坊の巡礼記「石山寺」(2021.4.8)

南坊の巡礼記「石山寺」(2021.4.8) ▷ 南坊の巡礼記「三井寺(園城寺)」(2021.4.8)

 

最終更新日:2021.5.27

*1:所収 塙保己一編『群書類従 第24輯 釈家部』八木書店(2013)

*2:NHK関西ブログ(2019年6月12日)「物語に魅せられて 更級日記・平安少女の秘密」(2021.5.7閲覧)

*3:和辻哲郎『古寺巡礼』岩波書店(1979)

*4:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)

*5:『西国三十三所をめぐる本』京阪神エルマガジン社(2014)