西国三十三所の第十番札所は、明星山みょうじょうざん三室戸寺みむろとじです。古くは御室戸寺と書いたこともあり、西国三十三所観音巡礼の結願けちがんのお寺とされた時代もあったようです。今では平等院鳳凰堂の勢いに押されて影が薄くなっていますが、三天皇の離宮ともなっていた、由緒正しいお寺です。
三室戸寺の巡礼情報
三室戸寺は平安京と平城京の中間地点に存在し、古来多くの人々の信仰を集めてきました。東側には山が迫っており、宇治の山裾にあるお寺です。近年は庭園の整備を進めておられ、季節ごとのお花が咲きこぼれる美しい境内が魅力となっています。
三室戸寺の縁起
三室戸寺の成立縁起は、三室戸寺のホームページに記載されています。
上記ホームページによりますと、縁起は以下のようなものになります。
奈良時代後期の宝亀元(770)年、光仁天皇が宮中に毎夜金色の霊光が差し込むのをご覧になり、右少弁の藤原犬養*1に勅を下され、霊光の源を探させました。
犬養が宇治の山中に分け入っていくと、水が青く澄んでいる淵があって、そこから千手観世音菩薩さまが出現されたのでした。犬養が喜びのあまり淵に飛び込んで仏さまを抱き上げてみると、わずか一尺二寸の二臂の尊像となっておられたのでした。
犬養が事の顛末を光仁天皇に申し上げたところ、光仁天皇が離宮(御室)をこの地に移してこの尊像をご本尊としてお祀りし、御室戸寺を建立されたのでした。
次の桓武天皇は延暦24(805)年に尊像を開扉して大供養を営まれ、自ら二丈一尺の千手観世音菩薩像を彫刻され、ご本尊を胎内に納めて、大悲閣を造立されたとのことです。
後には花山法皇も離宮を設けられ、さらに白河天皇も離宮を設けられたことから、三つの御室のお寺ということで、三室戸寺と称されるようになりました。その後、三井寺の長吏となっていた隆明大僧正が、白河天皇が三井寺に建立されていた羅惹院を三室戸寺に移転されたことで、三室戸寺が隆盛に向かったということです。
この隆明大僧正の伝記は『寺門高僧記』*2内に見ることができます。それによると、隆明大僧正は承徳2(1098)年4月に三井寺の長吏に補せられています。ただ、同年の8月に京都の一乗寺と御室戸寺が諍うようになり、御室戸寺側の隆明僧正(当時)に対し、一乗寺側の増誉権僧正ぞうよごんのそうじょうが互いに非難を応酬したようです。ただ、隆明僧正はこの間に嵯峨別当寺(淳和院?)の寺務を司ることになり、釈迦像の写しを造られて御室戸寺に安置されたそうです。
康和2(1100)年に衆徒の争いがおこり、あるお寺の衆徒が喧嘩を始めて収拾がつかなくなり、羅惹院も打ち壊されました。そこで隆明僧正は三井寺の貫主をお辞めになり、一乗寺の増誉権僧正が貫主に就任されたということです。両者は叔父と甥の関係ですが、激しい争いを繰り広げたようです。
また、上記の経緯を見ていただいてもお分かりのとおり、三室戸寺は滋賀県の三井寺(園城寺)と深い関わりがあります。三井寺のホームページに掲載されている「新羅神社考—「新羅神社」への旅」内の「京都府の新羅神社(5)」*3には、三室戸寺の境内にある新羅神社に関する論考があります。非常に興味深いものですので、一部引用させていただきます。
三室村の辺りは古来、神在ますところとして信仰されてきた。御室の里と言われ、三室戸寺も御室、御室堂といわれた。三室戸の戸の文字は堂の転化したものか、または場所・入り口を指し、神座を意味するといわれる。その神座は「みむろ山」と呼ばれた明星山を指している(『宇治市史』)。井上香都羅『みむろ物語』によれば、「みむろ」の意味は三室山にある岩室からきており、弥生時代に一族の長など首長級の者が死んだ場合、山の岩室に葬った。この死者の霊の宿る岩室を「み室」と呼び、子孫たちは祖霊の宿る山の正面を祭祀の場に定め、年に一度か二度祖霊の祭りを行った、という。現在この山の山頂付近には盤境らしい露岩の点在が見られ、この山を神の降臨する所として古代の住民の信仰の跡がうかがえる。またそこには康和年間(1099―1104)に三室戸寺を中興したと伝えられる三井寺の僧隆明の墓があるとされ、聖域となっている。
西国三十三所の札所の多くが、山岳信仰と関わりのある霊場となっており、実はこの三室戸寺も現在の山裾ではなく山の上にあったことは、白洲正子さんも言及されているとおりです*4。つまり、三室戸寺の来歴はこの死者が祀られていた岩室、つまり「み室」が大本であり、山そのものを信仰対象とした古代人の素朴な心が原点となっていると言えるのです。隆明大僧正のお墓がその地に祀られているのも、その素朴な信仰とは無関係ではないでしょう。
三室戸寺の見所
三室戸寺の見所をご紹介します。
山門
※三室戸寺山門
三室戸寺はあまり建築物の説明に力を入れられておらず、成立年代は不詳です。しかし、小さな山門ながら屋根は両端が高くなって反り返る形をしており、朱色の材木部とあいまって味わいのある山門です。
宇賀神像うがじんぞう
※宇賀神像
狛犬ならぬ狛蛇です。耳を触ると福が来て、髭を撫でると健康長寿、しっぽをさすると金運がつくそうです。三室戸寺の下記ページに詳細が載っています。
それによると、次のような言い伝えがあるそうです。
山城の綺田かばた村に、三室戸寺の観音さまを深く信仰している娘がいました。娘も、娘の父親も、ともに殺生をきらい命を粗末にしない性格でした。あるとき、娘は村人に殺されそうになっているカニを助けました。またある時、父親は、カエルを飲み込もうとしているヘビを見つけ、カエルを助けてやろうと思いました。そこでヘビに、カエルを助けてくれたら娘を嫁にやると約束してしまいました。ヘビが人間と結婚できるわけがないと考えたのでしょう。ところが何と、そのヘビは人間の姿になって娘を迎えに来たのです。そこで娘は部屋に閉じこもり、一心に観音経を念じました。ヘビは娘をもらい受けようと正体を現して部屋に巻き付き、怨嗟の声を上げていましたが、ついには静かになりました。何と、以前娘に助けられたカニが現れてヘビを退治してしまったのでした。翌日娘は三室戸寺の観音さまにお礼参りに行った、ということです。
その娘がヘビの供養のために奉納したと伝えられている宇賀神の木像が三室戸寺には伝わっているらしく、非公開の木像の代わりにこの石像を建立されたそうです。
西国三十三所の第三十番札所である竹生島宝厳寺の弁才天坐像の頭の上にも宇賀神は乗っておられます。
宝勝牛像
※宝勝牛像 勝運の牛
狛犬ならぬ狛牛です。この牛の口の中にある玉を触ると勝運がつくと伝えられています。また、牛のお腹には小さな穴が開いていますが、そこから牛のお腹の中に納められた牛の木像を見ることができます。これに関しても、三室戸寺の下記ページに詳細が載っています。
それによると、次のような言い伝えがあるそうです。
富右衛門というお百姓がお金を貯めて子牛を買ったところ、虚弱体質で農作業には使えませんでした。何とか観音さまの霊験にあずかろうと毎月三室戸寺に連れて行って境内の草を食べさせました。あるとき、牛が急に苦しみだして丸い玉のようなものを吐き出しました。富右衛門がこの牛玉ごおうを大事にしまっておくと、みるみる牛が元気になり、力強くなりました。その噂を聞いて、権兵衛という者が自分の牛と闘牛をさせようと働きかけてきます。富右衛門は夢で何度も牛が闘いたいと言うので、闘牛勝負に挑戦しました。すると富右衛門の牛があっさり勝利し、100貫文もの賞金を手に入れ、富右衛門は豊かになったのでした。
福徳兎
※福徳兎
狛犬ならぬ狛兎です。兎が持っている球の中に玉子が入っており、それを立てることができれば、運気が上がって足腰健全となるとされています。
仁徳天皇の弟、菟道稚郎子うじのわきいらつこがこの宇治に来た際、兎が道案内したという伝承があります。本堂裏の古墳はこの菟道稚郎子のものだとされているそうです。
また、三室戸寺所蔵の摩尼宝珠曼荼羅に記されている生身不動明王は、月を神格化したもので、足元に兎が描かれているそうです。
本堂
※本堂
三室戸寺の堂宇は江戸時代中期には廃頽していましたが、その後多くの人々の尽力で復興に向かいました。現在の本堂は江戸時代後期の文化11(1814)年に再建されたもので、京都府の指定文化財となっています。なお、ご本尊の千手観世音菩薩は二臂という珍しいもので、十字架のような文様の衣をお召しになったまるでキリスト教の聖母マリア様のようなお姿です。
阿弥陀堂
※阿弥陀堂
親鸞聖人の父日野有範のお墓の上に、親鸞聖人の娘の覚信尼が阿弥陀堂を建立したと伝えられています。このとき納められた阿弥陀三尊像は、平安時代の制作とされ国の重要文化財となっています。現在、釈迦三尊像は宝蔵庫に安置されています。「四十八願寺」という扁額は有範が隠棲していたお寺の額だったとされます。なお、現在の建物は江戸時代の再建で、京都府の指定文化財となっています。
鐘楼
※鐘楼 奥は三重塔
江戸時代に再建された鐘楼です。京都府の指定文化財になっています。
三重塔
※三重塔
境内の東北隅にひっそりと建っています。やはり江戸時代の再建で、京都府の指定文化財となっています。
三室戸寺庭園
※石庭
※池泉
※ツツジ園
作庭家の中根金作氏が設計したもので、平成元年に竣工しました。回遊式の庭園になっています。本堂に近い方からモミジ園、石庭、池泉が続き、下には広大なつつじ園とあじさい園があります。京都宇治茶伊藤久右衛門のホームページ*5には「与楽園」という名称が記載されていますが、三室戸寺のホームページには特に名称が記載されていません。
三室戸寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。
よもすがら つきをみむろと わけゆけば
うじのかわせに たつはしらなみ
(夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば
宇治の川瀬に 立つは白波)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*6によります。
月を見るの「み」と三室戸の「み」が掛け言葉となっています。三室戸の「と」は法皇がお泊まりのお宿の「戸」に掛かっており、「わけゆけば」は「戸を明けて見れば」となりましょう。「わけゆけば」を「山路をわけ行き」と解する向きもあるようですが、それもあながち間違いとはいえません。
さてそこで、巡礼して、ここに宿泊しておられた法皇のお気持ちになって、この歌を考えてみましょう。「夜通し中天に掛かる美しい月を見たいものと、戸を開けていたら、宇治川の瀬に立ち騒ぐ波頭が、月光をあびて白く光って見える」というのがこの歌の表面の意味かと思います。
三室戸寺をひらがなで書けば「みむろと」となりますので、「月を見む」と読めるでしょう。「月を眺めよう」ということだと思います。「わけゆけば」はどうでしょうか。「山路をわけ行く」の方が自然なような気はします。三室戸寺からもう少し登ってみないと宇治川は見えないかもしれません。ただ、私は歌の解釈は素人ですので、あくまで私見として述べさせていただきます。
三室戸寺へのアクセス
三室戸寺ホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
公共交通機関
京阪「三室戸駅」下車徒歩約15分。
お車
京滋バイパス「宇治西IC」から南東へ約15分。
山門前に駐車場あり。300台。500円。
※駐車場入口
三室戸寺データ
ご本尊 :十一面観世音菩薩
宗派 :本山修験宗
霊場 :西国三十三所 第十番札所
神仏霊場巡拝の道 第124番
所在地 :〒611-0013 京都府宇治市莵道滋賀谷21
電話番号:0774-21-2067
拝観時間:8:30~16:30(4~10月)
8:30~16:00(11~3月)
拝観料 :大人500円 小人300円
つつじ・あじさい園開園期間中
大人800円 小人400円
URL :https://www.mimurotoji.com/
第九番 興福寺南円堂 ◁ 第十番 三室戸寺 ▷ 第十一番 上醍醐 准胝堂
境内案内図
上記サイトに案内図があります。
南坊の巡礼記「三室戸寺」(2021.4.7)
この日も非常にお天気がよく、絶好の巡礼日和です。ナビに従い宇治西ICで京滋バイパスを下りましたが、そこから南に行くのにうまく右折することができませんでした。なかなか初めての道は難しいですね。仕方なくいったん左折してから態勢を整え、南へ向かうことにしました。するとタイミングよくセブンイレブン宇治黄檗公園店が右手にあります。トイレをお借りし、飲み物も購入して今度はうまく南下に成功しました。あとは道なりに進めば三室戸寺の駐車場に到着です。道に面してすぐに駐車場に入れますので、迷うことはありません。しかも、駐車場は大きいです。
第七番の壷阪寺と同じくゲートタイプの駐車場ですね。帰りにお金を投入するタイプのようです。しかし駐車場にはトイレがないようでした。
※駐車場から山門までの参道
参道もキレイにしておられます。
※入山受付 奥が山門
駐車場からここまで2~3分くらいでしょうか。奥には山門も見えています。
※「みむろどう」の案内板がある
山門をくぐって5分程度歩いていくと、ここに到着します。ちなみに右側は庭園が続いていました。なお、本堂に行くにはこの石段を登るようです。
※本堂前の石段
「ようおまいり」と味のある字体で書いてあります。ありがとう。人間だもの。
※手水舎? 霊泉不動水と書いてある
石段を上がり、伽藍の中心部に到着です。正面に本堂があり、その他様々な建物が立っています。本堂の左手前に建っていたのがこの建物です。手水舎と呼ぶにはもったいない、風情のある建物です。どう呼んだらいいのか、ちょっとよく分かりません。下の方に小さなお不動さまがいらっしゃいます。
この周辺には見所がいっぱいあって、宇賀神像、狛兎、宝勝牛などがあります。
そして、宝勝牛の横には!
※若乃花関・貴乃花関の手形
何と若乃花、貴乃花の手形が! いやあ、若貴ブームを知る世代としたら、これはかなりテンションが上がるものですねえ。二人とも横綱まで務めたわけですから、勝運のご利益はお墨付きですね。ただ、現在はちょっとややこしい感じになってしまっていますが。ピース綾部は何をしているのでしょうか。
さて、本堂で納経をします。本堂は内陣に入れず、外陣からお参りするだけです。中もよく見えませんので、お前立ちのお姿もよく分かりませんでした。
ここのお前立ち像はちょっと変わっていて、衣の文様が十字架のようになっています。二臂ということもあってキリスト教の聖母マリア様のようなんですよね。
写真はありませんが、書籍などで確認する限り、圓教寺で撮ったこの写真のお姿に近いと思われます。
※圓教寺参道にある西国三十三所各札所のご本尊像 写真は三室戸寺の千手観世音菩薩像
お姿を拝見したかったのですが、残念です。
納経所は本堂の手前、石段を上がってすぐの左手にあります。
納経所でご宝印をいただき、本堂の右奥の方へと進んで行きます。阿弥陀堂と三重塔が見えます。
※阿弥陀堂の説明文 かなりかすれている
阿弥陀堂は近づいてみるとかなり傷んでいますね。まあ、古いものですから仕方ありません。三重塔はなかなかいい感じですね。あまりこちらの方には人が来られませんので、ゆっくりと見ることができます。
だいたいこれで伽藍は見終わったでしょうか。庭園の方へ行ってみます。
※モミジ園の様子 写真で見ると何てことないが、現地で見るとすごくキレイ
まずはモミジ園を下っていくような感じになります。春の陽光にモミジが映えてキレイです。それから石庭と池泉を回ります。
ところが、そこから下へは行けないようになっています。あじさい園・つつじ園は整備中のようで、園丁の方が一所懸命手入れをしておられました。きっと4月下旬にはツツジがキレイに咲くのでしょう。
※あじさい園・つつじ園の看板
※シャクナゲはキレイに咲いています
※参道から望む庭園
桜がキレイに咲いているのに、近づくことができないのが残念でなりません。ツツジと同時には咲かないですからね。まあ、お花がキレイに咲いているときはかなり密になるときだと思いますので、避けた方が無難でしょう。「君子危うきに近寄らず」ですね。
今は花の庭園をアピールポイントの一つにしておられる三室戸寺ですが、境内にはパワースポットがいくつもあり、見応え十分です。
というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「興福寺」(2021.4.2) ◁ 南坊の巡礼記「三室戸寺」(2021.4.7)
南坊の巡礼記「三室戸寺」(2021.4.7) ▷ 南坊の巡礼記「醍醐寺」(2021.4.7)
最終更新:2021.5.27
*1:京都宇治茶 伊藤久右衛門ホームページ「第334回 三室戸寺『極楽浄土を彷彿させる、色どり豊かな花の寺』」2021.4.29閲覧
*2:所収 塙保己一編『続群書類従 第28輯上 釈家部』八木書店(2013)
*3:三井寺ホームページ「京都府の新羅神社(5)2021.4.29閲覧
*4:白洲正子『西国巡礼』講談社(1999)
*5:京都宇治茶 伊藤久右衛門ホームページ「第334回 三室戸寺『極楽浄土を彷彿させる、色どり豊かな花の寺』」2021.4.29閲覧
*6:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)