小塩山おしおざん十輪寺じゅうりんじは善峯寺に行く山道の途中にあるお寺ですが、様々な伝説に彩られた由緒あるお寺です。平安時代きっての美男と称えられる在原業平ありわらのなりひらが晩年を過ごしたお寺とされ、墓所も存在しています。
十輪寺の巡礼情報
実は十輪寺は西国三十三所との関わりも深く、巡礼を終えられた花山法皇が、笈おいの中に背負っていた観音像をこのお寺に納められたとされます。随筆家の白洲正子さん*1によると、西国三十三所の巡礼者は善峯寺に参拝したついでに必ずこのお寺に寄ることになっていたとされます。そう考えると、西国三十三所の番外札所に入れてもおかしくないお寺だと思います。
十輪寺の縁起
十輪寺の縁起は、京都市観光協会のサイト「京都観光Navi」に簡潔に記載されています。
ja.kyoto.travel(2021.6.4閲覧)
また、拝観時にいただいたパンフレットに少し詳しいことが掲載されていました。
それらによると、平安時代前期の嘉祥3(850)年、文徳天皇が染殿そめどの皇后(藤原明子あきらけいこ)の世継ぎ誕生を祈願し、伝教大師(最澄)作の延命地蔵菩薩像を安置されたことからお寺が創建された、とされます。おめでたいことに皇子(後の清和天皇)がご誕生されたので、文徳天皇の勅願所となりました。その後、染殿皇后のご出身である藤原北家のとくに花山院家(※明子の父藤原良房の8世の孫家忠から始まる)が帰依され、菩提寺とされたとのことです。
なお、花山法皇が西国三十三所の巡礼の際に背負っていたとされる草分観世音(おいづる観音)が祀られており、巡礼者は最初にこの観音さまにお参りしなければならない、とされているようです。さらに、花山法皇の御手判もお寺に伝わっています。
また、民俗学者の五来重さん*2も西国三十三所の善峯寺との関わりについて述べておられます。
二代目の観性という源算の弟子は、もう一つ奥に往生院という隠棲の場所をこしらえます。往生院は、現在、善峰寺から少し西北に行って山を一つ回ったところにある三鈷寺です。善峰寺から三鈷寺を回って、三鈷寺から下におりていきますと、灰方に出ます。灰方に在原業平の寺と称する十輪寺という寺があって、ここで精進料理を食べて帰るというコースになっています。
これらのことから考えても、かなり西国三十三所の霊場との結びつきが強いお寺だったことがうかがえます。
十輪寺の見所
十輪寺の見所をご紹介します。
本堂
※本堂
創建当時の伽藍は室町時代の応仁の乱で焼失してしまい、現在の建物は江戸時代中期の寛延3(1750)年の再建とされます。屋根は鳳輦型と呼ばれるお神輿をかたどった非常に珍しいものだそうです。京都府の指定文化財となっています。
三方普感さんぼうふかんの庭
※三方普感の庭
江戸時代中期の寛延3(1750)年、右大臣藤原常雅が本堂の再興時に造営した庭とされます。三方とは、南側の高廊下、北側の茶室、東側の業平御殿を指します。また、普感とは、仏さまのおわします大宇宙を感じとる、という意味とされます。庭には仕掛けが施されており、高廊下から見ると雲海に見え、茶室から見ると小塩山となって見え、業平御殿から見ると極楽浄土に見えるということです。
鐘楼
※鐘楼
江戸時代前期の寛文6(1666)年の建立とされ、京都府の指定文化財となっています。梵鐘も同年の製作とされ、不迷梵鐘まよわずのかねと呼ばれています。
大樟樹おおくすのき
※大樟樹
樹齢が800年を数える大きな樟です。ご本尊が樟で作られており、その分身として、地蔵菩薩像の神力で一夜にして大木となったとされます。願かけ樟とも呼ばれ、ご神木とされています。
在原業平卿之墓
※在原業平卿之墓
在原業平の墓と伝えられています。十輪寺は在原業平が晩年を過ごしたお寺とされ、通称「なりひら寺」とも呼ばれています。清和天皇の女御であった二条后(藤原高子)が、この近くの大原野神社にお参りした際、業平は次の和歌を詠んで恋人時代を懐かしんだと言われています。
大原や 小塩の山も けふこそは
神代のことも 思ひ出づらめ
在原業平朝臣塩竃
※在原業平朝臣塩竃
在原業平が十輪寺に閑居していた際、難波の海水を運んで塩を焼くという風情を楽しんでいたとされます。二条后が大原野神社に参拝された際、ここで紫の煙を立ち上らせて想いと託したとも言われているそうです。なお、旧跡はそのままですが竃自体は数十年前の復元で、毎年11月23日に「塩竃清めの祭」が行われるとのことです。
十輪寺へのアクセス
京都府観光連盟公式サイト「京都府観光ガイド」に詳しいアクセス情報が掲載されています。
www.kyoto-kankou.or.jp(2021.6.4閲覧)
公共交通機関
JR「向日町駅」から阪急バス「善峯寺」行に乗車、「小塩おしお」下車徒歩約2分(「向日町駅」から約30分)。
※「善峯寺」行は1月6日から2月末日の期間は、「小塩」止となります
お車
京都縦貫自動車道「長岡京IC」から北西に約15分。
駐車場あり。約20台。無料。
※十輪寺駐車場
十輪寺データ
ご本尊 :延命地蔵菩薩
宗派 :天台宗
霊場 :京都洛西観音霊場 第3番
所在地 :〒610-1133 京都市西京区大原野小塩町481
電話番号:075-331-0154
拝観時間:9:00~17:00
拝観料 :400円
南坊の巡礼記「十輪寺」(2021.4.21)
善峯寺を10時15分ごろに出発し、10時25分には着いていました。本当に、善峯寺の山裾にあるという感じのお寺です。このお寺のことはまったく知らなかったのですが、事前の予習で五来重さんの『西国巡礼の寺』と白洲正子さんの『西国巡礼』を読んでいたところ、両著にこのお寺のことが記載されており、これは行くべきだと思い訪れることにしました。
駐車場は善峯寺から降りてくる府道208号向日善峰線の左側に看板が出ているので、すぐに分かります。上記のアクセスのところに十輪寺駐車場の写真を載せていますが、無断で駐車すると罰金10,000万円をとられてしまいます。
この記述、いくつか解釈が分かれるところですが、「1万円」と書きたかったところ、頭の中で「10,000円」と「1万円」のどちらにしようか迷っていたら、両方書いてしまったという説がまず挙げられます。
もう一つの説は、本当に10,000万円、つまり1億円をとろうという考えである、という説です。善峯寺もそうでしたが、この周辺の山にハイキングに行く方がこの辺の駐車場を利用されるらしく、十輪寺もその対策のためにあえて高い金額を設定しているのかもしれません。実際、駐車場には数台の車が停まっていましたが、参拝していたのは私だけでした。
また、ここのご住職は気さくでユニークな方のようで、「左馬頭さまのかみ?」というお名前でブログも開設しておられます。工夫を凝らしたご朱印もつくっておられるようで、お寺の維持・運営に心を砕いておられるのが分かります。
※駐車場からの参道
駐車場からは、木々の生い茂る方に分け入っていくことになります。花山法皇の笈仏も「草分観世音」と呼ばれていますので、何となくそんな雰囲気が味わえます。
なお、駐車場からの参道はいわば裏道であり、府道208号線に面したところにきちんとした入口があります。
すぐに山門に着きますが、大きいメインの方は閉められており、脇の小門から入っていきます。
※十輪寺の小門
すると正面に建物があります。これが業平御殿なのか、寺務所なのか本坊なのかはちょっと分からないのですが、拝観受付にもなっています。私が入ったときはご住職が熱心に男性の方とお話されており、お話を中断して受付をしてくださいました。拝観料400円をお支払いし、パンフレットをいただきます。簡単にお寺の見所を紹介してくださいました。私は観音巡礼なので、例の草分観世音を見ることができるのかうかがうと、秘仏でお厨子の中に入っているので見られないとのことでした。業平御殿の襖の奥に安置されているそうです。
境内の方に進んでいくと、本当に木々が豊かに生い茂っていて、晩年の隠居所としては最適なお寺ではないかと思いました。建物は江戸時代以降のもののようですが、雰囲気は在原業平のころからこんな感じだったのではないでしょうか。
※本堂
オレンジの服を着て作業されているのはおそらく先代のご住職だと思われます。パンフレットやお寺で見た写真では、この方が護摩焚きなどをしておられるご様子が写っておりました。今でもお掃除などをされているようです。ご親切にも、手を止めてくださり、いろいろとお寺の見所や由来などを教えてくださいました。
※境内の様子
本当に木々がキレイに繁茂している境内です。ちょっと「密」過ぎるかもしれませんが。
本堂は中に入ることができます。中でお祈りをさせていただきました。
※境内の奥にあった石仏群
境内の一番奥には、古い石仏がたくさんありました。由来などは分かりませんが、もしかするとすごいものもあるかもしれません。
そして、この右側の方には、裏山に登っていく道が続いています。裏山に在原業平のお墓と、塩竃があります。
※裏山へと続く道
裏山と言っても、そんなに歩くわけではありません。丘の子どもみたいな程度です。上の写真から下の写真まで、1分も経っていません。
※裏山の道
最初の案内板から1分経ったところで、道は左右に分かれます。もう登る必要はありません。
※裏山の案内板
伽藍のところから少しだけ上っていることが分かります。右が本堂の屋根です。
※裏山から見た伽藍
在原業平のお墓です。
※在原業平の墓
私のイメージでは、とにかく美男子でプレイボーイという感じですよね。リアル光源氏のような存在でしょうか。しかし六歌仙にも三十六歌仙にも名を列ねており、かなりの和歌の名手でもあったようです。
反対側に行くと塩竃があります。
※塩竃
※正面?から見た塩竃
上の穴のところに釜を載せて、海水を煮沸するのだと思います。説明板によれば紅葉を用いて焚くと書いてありましたので、下の空いているところに紅葉の葉っぱをくべていくのだと思います。一度は見てみたいものですね。
さて、ここで行き止まりですので、本堂の方へ降りていきます。本堂から業平御殿まで渡り廊下が伸びており、そちらの方に入ることができたようでしたので、行ってみることにしました。
掃除が終わったのか、先代のご住職はもうおられませんでした。
本堂の中に入り、そのまま奥の渡り廊下を進んで行きました。渡り廊下から見る中庭は、こんな感じです。この庭は、業平御殿の方から見ると高さを変えてあるらしく、遠くが小さく見えないようにする工夫がしてあるとのことでした。
※中庭(三方普感の庭)
※茶室
半分しか見えていませんが、右側の屏風はどうやら六歌仙が描かれているようで、真ん中のオレンジの狩衣姿の人物が在原業平です。
※塩竃の屏風絵
右の部屋にあった屏風絵は、諸葛孔明が赤壁の大戦を前に東南の風を祈る、の場面ではなく、どうやら塩竃の祭祀を描いているようです。
ちなみに本堂と業平御殿は写真撮影が禁止されているので、かろうじて大丈夫な渡り廊下(高廊下)から写真をとっています。下は渡り廊下の写真です。
※高廊下
業平御殿には多くの写真や絵などが飾られています。ぜひご自身でご覧ください。
本堂へと戻り、靴を履いて外に出ます。ご住職はまだ男性とお話中でしたが、ご朱印をお願いしたら快く引き受けてくださいました。
少しコロナのことや花山法皇の観音さまのことなどについてお話してくださりながら、ご朱印を書いてくださいました。と、「間違えた!」とおっしゃいましたが、どうやら「腹帯地蔵尊」と書くべきところを、「草分観世音」と書いてしまったとのことでした。私は観音巡礼ですので、むしろ「草分観世音」と書いていただいた方がありがたかったです。西国三十三所のご朱印は建物の名前を書かれることが多いですが、ここでは仏さまのお名前を書かれるようです。
私と入れ替わりに子ども2人を連れた若いご夫婦が参拝に来られました。それまではどなたも参拝者がいらっしゃらなかったので、急に人口が増えました。
ご住職にお礼を申し上げて、山門から外へ出ました。府道に面した入口も確認しておきたかったので、そちらの方へと行ってみます。
入口はこんな感じでした。真ん中の柵のところで、右に曲がって上がっていく感じです。
※十輪寺入口
上に見えているのはおそらく本堂の屋根だと思います。元々はここから真っ直ぐ上がっていくようになっていたのでしょう。拝観料を徴収しやすいように入口が変わったのかもしれません。
※十輪寺説明板
結構年季の入った案内板も建てられていました。
これで十輪寺のレポートは終了です。だいたい30分くらいで拝観が終わりました。しかし、西国三十三所の番外札所にすらなっていないとはいえ、かなり見応えがあるお寺だったと思います。また、独特の行事もいくつかあるようですから、それに合わせて参拝してみたいと思いました。
駐車場まで戻り、西国三十三所の次のお寺、第二十一番札所の穴太寺を目指します。
南坊の巡礼記「善峯寺」(2021.4.21) ◁ 南坊の巡礼記「十輪寺」(2021.4.21)
南坊の巡礼記「十輪寺」(2021.4.21) ▷ 南坊の巡礼記「穴太寺」(2021.4.21)
最終更新:2021.6.5