西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

街道を行くぞ!第5弾 熊野街道 南近義神社~波太神社遙拝の鳥居

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波太神社遙拝の鳥居

お待たせしました!

街道を行くぞ!第5弾、2021年6月25日に行ってきました! いろいろ忙しくて隔週になってしまっており、申し訳ありません。

この日は寒気の影響で暑さが少しマシになった1日でしたが、一方で突発的な雷雨の心配もありました。日焼け対策は前にも増して慎重に行ったつもりでしたが、帰宅すると顔が真っ赤になっていました。コントの酔っ払いのような感じです。やはり次回はサングラスも必須でしょうかね。私の場合、つぶらな瞳だけが怪しい人間ではないことを伝える唯一の武器なのですが、サングラスをしてしまうとそれすらなくなってしまい、怪しさがMAXになってしまうことが心配です。しかし背に腹は代えられないですよね。

今回も正確な距離ではありませんが、 Googleマップでポイントをチェックして距離を確認したところ、片道何と15.5kmでした! Googleマップには入れていないポイントも寄っていますので、往復で32kmは歩いていると思います。時間は休憩をあわせて最短の8時間となりました。スマホのアプリでは48,093歩でした。前回よりかなり短くなっています。

また、ASUS VivoWatch BP(HC-A04)によると距離は34.8km、歩数は50,284歩、消費カロリーは4,788kcalという結果で、これも前回よりもかなり少なかったことを裏づけています。

熊野街道 南近義神社から波太神社遙拝の鳥居まで

熊野街道に関しては、大阪府のホームページ「歴史街道ウォーキングマップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。

www.pref.osaka.lg.jp(2021.6.26閲覧)

私はさらに、山と渓谷社から出ている『世界遺産の参詣道をめぐる旅 特選10コース&完全踏破 熊野古道を歩く旅』(※以下、『熊野古道を歩く旅』を参考にさせていただきました。

www.yamakei.co.jp(2021.6.26閲覧)

今回も中断地点まで車で移動します。8時ちょっと過ぎに出発し、「摂津北IC」から近畿道に乗り、「貝塚IC」で高速道路を降りて府道40号岸和田牛滝山貝塚線を北上すれば、「和泉橋本駅」近辺に到着します。目星をつけていたスペースeco和泉橋本駅前ですが、前回の旅の際に工事をやっていて使用できるかどうか微妙だということをお伝えしていました。今回行ってみると、工事は少し南側をやっており、駐車場を使うことはできました! というわけで、24時間最大300円という破格値のスペースeco和泉橋本駅前に車を停めて出発です。

なお、この駐車場は先払いで駐車券を車のダッシュボードに置いておかないといけなかったのですが、うっかりしており行きは何もせずに出発してしまいました。帰りにはきちんとお金を払っていますので、ご安心ください。

熊野街道 南近義神社から佐野王子跡まで

南近義神社の前に、正福寺に寄ってから出発しました。正福寺を9時27分に出発し、佐野王子跡には10時27分に到着していました。Googleマップよりだいぶ時間が経ってしまっています。実は南近義神社から最初は、あさっての方角(※この場合は北西)に進みだしてしまい、正規の街道ルートに戻るまでに500メートルほど余計に歩いてしまっていました。それで時間がかかっています。 

スペースeco和泉橋本駅前の南側で工事をやっていましたが、人間は通れるということで通していただき、右側の踏切を渡って「地蔵堂」の交差点の方を目指します。途中でイオン貝塚店に寄らせていただき、おトイレをお借りしました。コンビニのトイレと違い、何も触る必要がないというのが、このコロナ禍ではありがたいですね。また、おトイレの前にはベンチもあり、荷物も置いておけるのが助かります。

イオン貝塚店の西側出口を出て、前回ポカリスエットを買わせていただいたセブンイレブン貝塚地蔵堂店の西側を通って南近義神社を目指します。あと、正福寺にも行ってみたいとも思っていました。ウォーキングマップには、鞍持王子がこの正福寺付近にあったという説があると、書いてあったからです。

すると何と、そのまま正面に正福寺が出てきました。探す手間が省けました。

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※正福寺ぢぞうばし

ヒサヤ大黒堂が監修した可能性のあるぢぞうばしを渡って正福寺境内に入りました。

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※正福寺境内

うーん、今はただの公園のような雰囲気ですね。一応お堂なんかもありますが、お寺、という感じがかなり薄いです。

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※正福寺説明板

このお寺も昔は大きかったそうで、地蔵堂というこの地域の地名の元になっているようです。それにしても、1+21くらい暗算せいよって思います。

9時31分に南近義神社の前に到着です。前の通りは工事をやっており、女性のガードマンの方がいらっしゃったので、ちょっと至近距離からの撮影になってしまっています。

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※南近義神社

本殿で、今回の旅の無事を祈願いたしました。

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※南近義神社本殿

前回も掲載しましたが、説明板を今回も載せておきます。

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※南近義神社説明板

これも前回記載しましたが、ここに近木王子鞍持王子が合祀されているということですので、九十九王子のうち15番目の王子まで来たことになります。まだ6分の1にも満たないですね。

それでここからが問題で、本来は南に進んで突き当りを右に進むべきだったところを、「人間は通れますか?」などと工事の方とお話していてそちらの方向に進んでしまったわけです。

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※南近義神社からまっすぐ伸びる道

奥に車が停まっているところが、工事しているところです。それにしても、この時は旧街道らしく古い立派な家があると思って、写真を撮っていたわけです。アホですね。

そのまま工事しているところの横を通らせていただき、前進すると大きな通りにぶち当たりました。国道26号線です。ウォーキングマップを確認して、おかしいな?とようやく異変に気がつきます。

タブレットでGoogleマップを確認したところ、道を間違えていたことに気がつきました。ただ、すぐ左にある「王子北」の交差点から南に向かえば、被害を最小限に食い止めることができるということが分かりました。というわけで、南に向かいます。

次の信号で右に曲がれば、熊野街道に合流です。すでに9時43分になっていました。

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※街道と合流したポイントのお地蔵さま

この上の方角が南になります。街道は、左から右、方角的には東から西に向かっています。

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※信号からやや西にあるお地蔵さま

合流ポイントから少しだけ西に進むと、もう一体のお地蔵さまがおられました。「左 かいづかみち」と書いてあるように思いますが、右はちょっとよく分かりません。この写真は東を向いて撮影しています。上の信号が、街道と合流したポイントです。

そのまま進むと、小さな橋、貝田橋に着きます。ここで9時45分です。

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※貝田橋

左上の白い大きなものは日焼け除けの白い手袋をつけた私の指です。

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※貝田橋標識

貝田橋は、何と昭和6(1931)年の竣工ということですから、すでに90年近く経っています。どうりで鉄がサビサビなわけです。

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※貝田橋の上から撮影

それでここからが少しややこしいです。橋を渡ると、道が四叉路になっていますので、右から2番目の道を進んでください。上の写真だと、右上の方に続いていく道です。右に行く道は、川沿いの道と、川から離れていく道とがありますので、川から離れていく道が正解です。なお、上の写真は帰りに撮影しています。

その道を250メートル弱進むと、題名のない音楽会、いや、信号のない交差点に出ます。

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※信号のない交差点

上の交差点の角、民家の生垣に埋もれているのは、子安地蔵尊でした。時刻は9時50分でした。

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※子安地蔵尊

さらにしばらく街道を進みます。

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※四角池

この辺は本当に溜め池が多いですよね。

街道はさらにこのまま真っ直ぐ進むのですが、日新小学校に近づいたころにハッと気づきました。この辺にあったとされる、鶴原王子を見落としていたんですよね。とてもではありませんが戻れる距離ではなかったので、例によって帰りに寄ることにしました。

ということで、帰りに撮影した写真を掲載しておきますので、鶴原王子跡までの正しいルートをご確認ください。

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※四角池手前の辻

街道は左下から右上に向かっています。右上に四角池があります。鶴原王子跡は、ここを左折、つまり左上の方に進みます。

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※左折したところ

左奥に見えているフェンスのところが鶴原王子があったと考えられる、貝田町会館です。

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※貝田町会館

グラウンドに石碑が建っていたので、すわ王子跡の石碑か?と思って見てみたら、違いました。

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※用地寄附の石碑

どうやら、この敷地を会館や道路のために寄附したということを記した石碑のようです。立派な石を使っていたので、非常に紛らわしいです。以上、帰りに撮影した写真によるレポートでした。

なお、行きのこの段階ではまだ鶴原王子の見落としに気づいていませんでしたので、暢気に先に進んでいました。

しばらくして、少しややこしい交差点に到着です。

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※府道64号線との交差点

この交わっている道は府道64号和歌山貝塚線で、今回の旅ではしばしば合流することになる道です。いよいよ和歌山が近づいている感じが増しますね。ここは、正面に見える第三中圏域包括支援センターホライズンという社会福祉法人の建物のところを左に入り奥に進みましょう。

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※第三中圏域包括支援センターホライズンの脇から続く街道

上の写真で9時56分になっていました。

さらに250メートルほど街道を進みますと、左側にパチンコ屋の駐車場があり、駐車場越しに正覚寺の屋根が見えてきました。

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※正覚寺の屋根

かなり大きな屋根ですので、立派なお寺だと思います。

ふと、右側を見ると民家の出窓のところに白黒のネコちゃんがいて、こちらをじとっと見ていました。自分の縄張りを見張っていたのでしょう。手を振ると、私が白い手袋をつけていたので、目で追いかけていました。体は動かしません。ネコですから。

そのまま道なりに進むと、国道26号線にぶち当たって、「大薮池」という交差点に出ます。確かに、歩いていると目の前に大きな池が出てきていました。

信号を渡って国道26号線を横切ります。そのまま進み、次の信号で左に曲がりましょう。

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※府道64号線との交差点

上の写真の交差点を左です。ここでは府道64号和歌山貝塚線を横切らずに、合流する形になります。ここで10時3分になっています。

そして、正しいルートとしては曲がってから50メートルくらいで左の脇道に入り、道ノ池の側を通っていくべきなのですが、ここでも間違えてしまいました。うっかり、直進してしまったのです。

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※府道64号線から街道に入っていくところ 左上は私の指

右の建物の手前を左に入ります。これは、見落としますよね。でも、一応、道になっているのです。

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※溜め池の横に続く道

で、実際の私はうっかりして真っ直ぐ進んでしまい、「佐野川」交差点で道を間違えていることに気がつきました。1筋南側の通りまで下り、街道に合流します。ここで10時11分でした。

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※「佐野川交差点」南の街道との合流ポイント

なぜかこの日は、すべてにおいて精彩を欠いていました。ともあれ街道に戻れたので、そのまま進みます。正面左側に松浪建設工業が見えていれば大丈夫です。

しかし、この街道も200メートル足らずでまた府道64号和歌山貝塚線に合流します。

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※府道64号線との合流ポイント

合流点のすぐ手前右側に、戦没者関連の石碑が建っていました。時刻は10時15分です。

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※戦没者関連の石碑

府道に合流するとすぐに佐野川にかかる佐野川橋というそのまんまなネーミングの橋を渡ります。

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※佐野川歩道橋から見る景色

なお、佐野川橋の両サイドには佐野川歩道橋というこれまたそのまんまな名前の橋があります。私は下流側の橋を渡りました。10時17分です。

そこから100メートルほど南下すると、「日新小学校前」の交差点です。ここには秩父橋と書かれていました。

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※秩父橋

さらに150メートルほど進むと、左側に鉄塔が出てきます。ウォーキングマップでも、「赤と白の鉄塔を左へ」と書かれていますので、ここを左に曲がります。この時点で10時23分になっていました。

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※府道64号線からの左折ポイント

左折してすぐはこんな感じです。なお、この写真は帰りに撮影したものですので、雲が増えてきています。

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※左折してすぐの写真

左折して一つ目の十字路を右に曲がりましょう。すぐ右側に佐野王子趾があります。10時27分に到着しました。

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※佐野王子趾

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※佐野王子跡説明板

何枚か写真を撮っていたのですが、ことごとく失敗していました。かろうじて使えた写真がこの2枚です。

ここは街道のすぐ側にあるので助かりました。

佐野王子跡から籾井王子跡まで

佐野王子跡を10時27分に出発して、籾井王子跡には11時28分に到着しています。ここはGoogleマップとほぼ同じペースで進めていますね。頑張っています。 

佐野王子跡を出発し、街道を南下します。400メートル弱で再び国道26号線にぶち当たりました。困ったことに街道を直進しようとしても、信号も横断歩道もありません。すぐ東の「市役所前」交差点を渡りました。

この交差点の南西角にはお地蔵さまの小さな祠があります。しかし、ここを進むのが正規の街道ではありません。国道に沿って50メートルほど南西に進み、斜めに入っていく道を進みましょう。auショップ泉佐野の横を、大阪府立佐野高等学校の方に向かって進む感じになります。

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※国道26号から左に入った街道

左奥に見える建物は、佐野高校の校舎です。ここで10時35分です。

100メートルほどで「佐野高校前」交差点です。

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※創立百周年記念碑

佐野高校の創立百周年の記念碑などが建っていました。私は最初、道標か何かだと思って写真を撮っていました。時刻は10時37分です。

そしてこの交差点からは、街道は府道64号和歌山貝塚線となっているようです。府道64号線が突然ここにワープしてきました。

しばらく進むと、左側に市場町会館が見えてきました。

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※市場町会館

水利会館としても兼用されているようです。10時41分でした。

そこから50メートルほど南に、道標がありました。

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※道標

このタイプの道標はずいぶん久しぶりですね。

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※道標のアップ

「すぐ 和歌山道」と書いてあります。「すぐ」とは、真っ直ぐという意味ですね。「左 ふどうみち」と書いてありますが、どの不動尊を指しているかはちょっと分かりません。

300メートルくらい進むと、左側に石常という石材店があります。「心と石の店」と看板には書いてありました。ここで10時46分です。

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※石常

さらに進むと、関西空港自動車道の高架が見えてきました。

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※関西空港自動車道の高架

街道は高架に向かって大きくカーブしています。時刻は10時55分です。

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※高架手前のカーブ

長滝北」という交差点で高架下をくぐっていきます。高架下では、おじさんが一人でたくさんの空き缶を一所懸命につぶしておられました。空き缶を売って生計を立てているのでしょう。運ぶときにかさばらないように、つぶしているのだと思いました。

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※高架下を渡ったところ

高架下は同時に国道481号線にもなっています。そこを渡り、街道を直進します。上の写真のような感じで奥に進みましょう。なお、急に暗くなっていますが、これは帰りに撮影した写真だからです。

街道は途中で二又に分かれていますが、道なりと言える方、左側を通りましょう。するとすぐに交差点があり、南西側にまほろばというカフェがあります。ここで11時4分でした。

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※右奥の壁がログハウス風の建物がまほろば

ちなみにこのページに掲載しているGoogleマップでは、なぜかこの付近の府道64号線を通ることを頑なに拒んだために遠回りをしていますが、皆さんは普通に直進してください。イヤな思い出でもあったのでしょうか。

まほろばから400メートルくらい進むと、左側に日根神社御旅所が出てきます。御旅所というのは、神社の神さまを載せたお神輿などが一時的に休息されるところです。なお、日根神社からここまではGoogleマップによると3.8kmくらいあるようです。

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※日根神社御旅所

ここで11時11分になっていました。そろそろ昼食のことが気になり始めます。

街道はこのまま南西に20メートルほど進み、突き当りを左折して「長滝西」交差点に出ます。

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※左の信号のところが「長滝西」交差点

長滝西」交差点に出たら今度は右折です。上の写真では、奥を右上に進む感じですね。ここから南の「安松南」交差点までの1区間は、府道248号日根野羽倉崎線と府道64号線が一体となっています。今までよりは少しだけ大きな道になりますが、周辺には何もありませんね。ウォーキングマップではコンビニがあると書いてあるのですが、そのコンビニすらなくなってしまっているようです。

これは昼食を食べるには国道26号線沿いまで行かなければダメだな、と決心して、もうしばらく前進することにしました。この辺は少し見所が多い場所になっているのです。

まずは、八丁畷地蔵です。これは『熊野古道を歩く旅』に載っています。ここで11時17分です。

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※八丁畷地蔵

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※安松八丁畷の石地蔵説明板

なわてというのは、田んぼのあぜ道のことを指します。高槻市にも「八丁畷」という交差点がありますが、おそらく広大な田園地帯だったのでしょう。

このお地蔵さまは泉佐野市立長南中学校のすぐ北東側にあります。Googleマップだと道路の東側にありますが、正確には西側にあります。南を向いて進んでいた場合には、右手に出てきますのでご注意ください。

そこから150メートルくらいで、左右両方に四角い溜め池が出てきます。もしかすると道路が後からできたのかもしれませんが。

この辺でGoogleマップを確認していると、何と国道26号線沿いに希望軒泉佐野店があることが分かりました。これは行くしかありません。そのためには、この辺の見所を先に見ておく必要がありそうです。

というわけで、籾井王子跡を探して進みます。

池から100メートル強進むと、左側に塙団右衛門の墓が出てきました。これも見たかったポイントです。時刻は11時25分でした。

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※塙団右衛門直之の墓

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※塙団右衛門の五輪塔説明板

塙団右衛門ばんだんえもんという人物ですが、出自はよく分からないそうです。関ヶ原の戦い以前は伊予の大名加藤嘉明かとうよしあきのもとで1,000石の知行を得ていたようですが、関ヶ原の戦いで嘉明の勘気を蒙り、以後、一時的に仕官したり浪人したりしていた、ということです。大坂の陣では人生一発逆転を狙って豊臣方につき、この後出てくる樫井古戦場跡での戦いで、残念ながら討ち死にしたそうです。大河ドラマ「真田丸」では、小手伸也さんが演じておられました。名刺を配りまくるというキャラ設定が面白かったです(※なお、この設定は徳川方に夜襲を仕掛けた際、名前を書いた木札を置いていったという史実が元になっているようです)

ウォーキングマップでは、塙団右衛門のお墓籾井王子跡はすぐ近くにあるということでしたが、少し探してみても見当たりません。かなり行きすぎましたが、そんなに離れているわけはないということで、お墓まで戻ります。そしてよくよくマップを見ると、どうやらダイハツの代理店であるいづみモータースの敷地内にあるようです。

中に入らせていただくと、本当にもう、普通の人の家の敷地内にあるような感じです。人がいらっしゃる場合は、お断りしてから入った方がよさそうです。11時28分になっていました。

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※籾井王子跡

ちょっとこれ以上は近づきませんでした。説明板もあるようにも見えますが、何しろ本当に人の家の庭のような感じです。皆さんもここに行かれる場合はご注意ください。

籾井王子跡から信達宿の野田藤(梶本邸)まで 

籾井王子跡を11時28分に出発して、信達宿の野田藤(梶本邸)には12時48分に到着しています。Googleマップの倍近い時間がかかってしまっています。昼食を食べていたというのはありますが、それにしても少しペースが遅かったようです。

何とか無事に籾井王子跡も確認できたので、いよいよお昼です。「大正大橋」という交差点で一時街道を離れて、国道26号線へと向かうことにしました。

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※籾井王子付近の街道の様子

しかしこの辺はなかなか街道風情のあるところです。

と、ここでまたお墓が出てきました。今度は右側です。淡輪六郎兵衛重政たんのわろくろうべえしげまさのお墓です。

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※淡輪六郎兵衛重政の墓

誰?という感じですが、説明板を読むと塙団右衛門の同僚だということが分かります。

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※淡輪六郎兵衛の宝篋印塔の説明板

淡輪というのは大阪府の南端にある泉南郡岬町の地名ですが、六郎兵衛はどうやら元々その辺りの出身のようです。時刻は11時32分になっています。早く昼食を食べなければ。

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※正法寺

お墓のすぐ隣にお寺があったので、写真を撮りました。西国三十三所第十二番札所正法寺岩間寺)とは何の関係もないと思われます。

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※昼食前の「大正大橋」交差点

大正大橋」の交差点を右折して、国道26号線「樫井」交差点に出てからまた右に曲がれば、すぐに希望軒泉佐野店に到着です。

時間が早いためか店内はまだ空いていて、2組、3人しかお客さんはいらっしゃいませんでした。メニューを吟味したところ、ここは何種類かあるラーメンに、何種類かのセットをつけることができるようです。ラーメン屋さんに来ると、ラーメンとチャーハンとギョーザを食べたい私は、迷わずラーメン、半チャーハン、ギョーザのセットにしました。ちなみにお値段は少し高めの1100円です。一番安いラーメンを頼んでこれです。意外と高いですよね。

しばらく待っていると、来ました。チャーハンは少し黒めですね。醤油の加減でしょうか。ラーメンはごくごくシンプルなヤツで、メンマがかなり多いです。それにしても、ちょっと困ったのがギョーザでした。

希望軒には初めて来たので、元々こういうギョーザなのかどうか分からないのですが、「半生じゃないか?」と疑われるくらい中が汁っぽかったんですよね。肉の感じがまったくありません。旨味を出すために脂のかたまりを入れていて、熱でそれが融けてそのようになっているならかまわないのですが、半生疑惑は個人的に払拭できませんでした。何しろ、肉っぽさがまったくないのです。というわけで、ギョーザは残すことにしました。お店の方からすれば、欲張って注文したのに全部食べ切れなかった変な人に映ったことでしょう。

一応お店の名誉のために付言しておきますが、ギョーザの仕様がそうなっているという可能性もあります。ですので、あくまで個人の感想と思っていただきたいと思います。

気を取り直して、街道歩きを再開します。「大正大橋」交差点には、12時9分に戻ってきました。

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※昼食後の「大正大橋交差点」

ところで皆さん、ポストにはお気づきになりましたか。今回の街道歩きで気になったのですが、ここから南の方にかけて、やたらとこの旧式ポストが設置されていました。味わいがあっていいのですが、お金がないのか?という疑いも少しあります。

ポストは日本郵便の管轄だと思いますので、泉佐野市だから、というわけではないとは思いますが、泉佐野市は財政状況が苦しい自治体の一つです。ダイヤモンドオンラインの記事*1によると、財政状況の悪さでいうと泉佐野市は全国で5位に入るということです。2012年ごろには飼い犬税の導入も検討していたとかで、話題になりました。

しかし確かに、犬のフンは道路上に結構落ちていました。街道を歩いていて今までもゴミが落ちていることは多かったですが、犬のフンに関しては今回の旅が一番多かったように思います。

大正大橋」から南の、街道のこの辺は、正面にゴルフ練習場のネットを見ながら進んでいく感じになります。立派な家もところどころあります。

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※ゴルフ練習場のネット 白いものは私の指

さらにしばらく進むと、明治大橋が見えてきました。

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※奥に見える明治大橋

この橋の手前の左側に、樫井古戦場跡がありました。12時17分です。

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※樫井古戦場跡

ここで塙団右衛門淡輪六郎兵衛徳川方の浅野軍と戦ったわけですね。大坂城から考えると、かなり出張ってきていたことが分かります。堀を埋められてしまっていましたので、豊臣方も撃って出るしかなかったわけですね。

樫井川にかかる明治大橋を渡ります。橋を渡ると、泉南市になります。

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※明治大橋

さらに進むと、今度は明治小橋です。12時21分になっています。

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※明治小橋

橋を渡って100メートルくらいで、左側に立派な建物が見えてきます。ここが、泉南市の古代史博物館です。

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※古代史博物館

開館中だったとは思いますが、中には入りませんでした。2階?から入る感じのようです。

向かいの公園のようなところは、国の史跡で海会寺かいえじとなっています。

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※海会寺跡の石碑

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※国史跡海会寺跡説明板

その隣には一岡神社がありました。この辺は文化的なところですね。時刻は12時24分でした。

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※海会寺跡から見た一岡神社

とりあえず神社には寄らずに進むことにしました。すぐ左側に大苗代の地車車庫がありました。

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※大苗代地車車庫

右側には一岡神社の正面鳥居です。

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※一岡神社正面鳥居

街道はここから60~70メートルほど進むと左から来る道と合流します。信号があり、そこからすぐ左に信達大苗代郵便局があります。ここで12時29分です。

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※信達大苗代郵便局

通り過ぎてから、振り返って北向きに写真を撮っています。またもや旧式のポストです。レターパックとか出せないんじゃないでしょうか。

そこから20メートルほどで、四叉路に出ます。街道は、ここを左、南西方向に進みます。

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※信達大苗代郵便局西の街道の分かれ道

かわいらしい案内板がありました。これは初めて見るタイプです。

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※熊野街道案内板

大阪府全体を大阪ミュージアムとして考える、府が主導する基金によって建てられたようです。泉佐野市には1枚も建っていなかったように思いますが……。

「熊野まであと215kmだー! やったー!」と喜んでいたら、またやらかしました。この案内板に従って左に急いだところ、だいぶ経ってから厩戸王子を見落としていたことに気づいたのです。本日2回目の見落としです。かなり不調ですね。

で実際には、このまま案内板どおりに進んで150メートルばかり先の右手にある了安寺の方へと進んでいきます。

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※了安寺参道

上の写真で12時33分です。

しかし、案内のうえで分かりにくくならないように、帰りに寄った厩戸王子も先に紹介しておきましょう。

先ほどの案内板のあった四叉路を、右に曲がります。

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※厩戸王子への道

上の写真では、右上の方に入っていく感じです。5分ほど歩くと、厩戸王子跡に到着です。

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※厩戸王子跡

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※厩戸王子跡説明板

しばらくゴルフ練習場のネットを見ながら歩いてきましたが、まさにその練習場の隣にありました。きちんと整備されています。なお、神さまは一岡神社に合祀されたということです。ですから、帰路では一岡神社に参拝することにしました。

了安寺から先の街道へ戻りましょう。路面に埋め込まれている、とても小さな案内標識もありました。ここで12時34分でした。

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※路面に埋め込まれている熊野街道案内標識

しばらく進むと、「一丘団地口」という交差点に着きます。この交差点の南西側に、信達宿の案内地図がありました。12時37分になっています。

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※信達宿案内地図

行くべきところに目星をつけます。本陣跡や、常夜灯が気になります。あと、信達宿の野田藤(梶本邸)は和歌山在住時代に、ちょうど藤の花の季節に行ったことがあります。

まず、ここから200メートル弱進むと、右側に弘誓寺がありました。

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※弘誓寺

中には入らず、先を急ぎます。なお、Googleマップではこのお寺は、お寺としてではなく仏教徒向け用品店として認識されています。

さらに進むと、信達宿本陣跡です。12時42分でした。

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※信達宿本陣跡

この辺りは紀州街道熊野街道が一つになっており、ところどころ紀州街道とも書かれています。Googleマップではここは紀州街道信達宿本陣跡と記載されています。

ちなみに上の写真は通り過ぎてから北向きに撮影しています。実は今も普通に住んでいらっしゃるようで、表札に家族のお名前が並んでいたので、表札が映らないようにしたのです。ですから、北から来た場合は右側に見えてきます。

今度は左手に、常夜灯が出てきました。

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※常夜灯

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※信達宿の常夜灯説明板

どうやらここは昔の街道の交差点となっていたようですね。

そこから200メートルくらいで、右側に信達宿の野田藤(梶本邸)が現れました。

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※信達宿の野田藤(梶本邸)

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※梶本邸の藤棚

こんな感じで藤棚になっています。ピークのときには、邸の外にも花の香りが漂ってくるくらい、立派な藤です。しかも何と、木は1本ということですので、藤の生命力の強さに驚きます。

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※信達宿の「野田藤」説明板

ここで12時48分でした。この信達宿の辺りは旧街道の風情が残っていて素晴らしいですね。住民の方々の努力もうかがえます。大変だと思いますが、ぜひこのまま残していっていただきたいと思います。

信達宿の野田藤(梶本邸)から波太神社遙拝の鳥居まで

信達宿の野田藤(梶本邸)を12時48分に出発して、波太神社遙拝の鳥居には13時50分に到着しています。ここでもGoogleマップよりかなり時間がかかっています。なお、実際のルートでは街道を真っ直ぐに進んだわけではなく、寄り道して林昌寺に行っていましたので、余計に時間がかかっていたと思われます。 

信達宿の野田藤(梶本邸)から30~40メートルほど南に、泉南石綿の碑がありました。

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※泉南石綿の碑(左奥)

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※「泉南石綿の碑」由来の説明板

どうやらこの辺の地域は戦前、石綿の製造が盛んで、「いしわた村」と呼ばれたこともあったようです。今では石綿の危険性が周知のこととなっていますが、知らずに働いて健康被害に遭われた方も大勢おられたことでしょう。

ここからしばらく行くと「信達牧野」の交差点です。さらに南下を続けます。

往生院の手前に、バス停と熊野街道の案内板がありました。

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※「牧野中」のバス停と熊野街道の案内板

すぐ横が往生院山門です。ここで12時58分でした。

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※往生院山門

次の「大鳥居」の交差点を過ぎると信達一ノ瀬王子が近いはずです。

しかし、なかなか見えてこなかったので、焦りました。いよいよ、またまた見落としたか、という気持ちにうち沈みます。

と、そうこうしているうちに林昌寺の看板まで見えてきました。ここはマップでも『熊野古道を歩く旅』でも推奨されているスポットです。しかし、この時点ではあまり行く気はありませんでした。それよりも、信達一ノ瀬王子のことが気がかりでした。

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※「大鳥居」交差点を過ぎてからの街道

すると、100メートルほど進んだでしょうか、右側に王子社が見えてきました。ほっとします。

13時5分、信達一ノ瀬王子跡に到着です。

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※伝信達一之瀬王子跡

ここはきちんとお社まであります。いい感じですね。熊野街道の案内板もありますし、至れり尽くせりです。右と左、二つお社がありますが、一方には馬頭観音さまがお祀りされています。

この王子社のところがちょうど分かれ道になっており、左に行くと林昌寺に行けるようです。道標がありました。なお、この林昌寺への道標はこの地域のいろいろなところにありました。

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※林昌寺への道標

最初、行く気はなかったのですが、この道標を見て気が変わりました。「迎四國八十八所 躑躅山林昌寺」と書かれています(※「寺」は埋もれている)。四国八十八ヶ所と何か関係があるようです。というわけで、行ってみることにしました。

Googleマップでは450メートルの距離ですが、道はじわじわと登っています。

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※木々の間に見えてきた林昌寺

ようやく林昌寺らしいものが見えてきたときには、すでに13時12分になっていました。最後は体感60度くらいの急坂を登り、林昌寺境内に到着です。私は裏手から入ったような恰好になりました。

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※林昌寺境内

境内は躑躅山の名にふさわしく、とてもキレイにツツジが剪定されていました。美しいお寺で、来てよかったと思いました。運動をしている若い男性2人組に挨拶をしていただいたので、こちらもお返ししました。挨拶をしていただけるのは、とても気持ちがいいですね。

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※林昌寺本堂

久しぶりにローソクやお線香に火をつけました。実は5月6日の比叡山以来かもしれません。

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※林昌寺境内から見た風景

境内の上の方にあるお堂のところからは、泉南市内が一望できます。遠くに見える山々はもしかすると淡路島のものかもしれません。方角が正確に分からないので、何とも言えませんが。なお、『熊野古道を歩く旅』ではこの林昌寺付近に次の長岡王子跡があったとされます。

それから、四国八十八ヶ所との関わりですが、どうやら200年以上前に勧請して八十八ヶ所の祠を建立したようです。山内にこのような祠があるみたいですね。

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※四国八十八ヶ所番外大師の祠

さて、街道に戻りましょう。道を外れていますが、同じところを戻らなくても、南西に山を降りていけば街道に合流できそうです。というわけで、山門から出ます。上に登る道、下に降りる道、右に進む道があります。右は私が来た道と合流する道でしたので、下に降りる道を選択しました。私の方向感覚では、降りながら右に曲がっていく感じだったので、外れた!と思いました。人里に降りてからGoogleマップで現在地を確認します。すると何と、これが大正解の道でした! この日はここで運を使い果たしたように思います。

少し進むと林昌寺へと案内する石灯籠がありました。ここにも四国八十八ヶ所と書いてあります。13時25分の撮影です。

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※四国八十八ヶ所の石灯籠

ここから南西に少し進むと、街道に合流です。街道は、北西方向からこちらに向かっています。街道との合流地点には、またもや林昌寺への道標がありました。かなり影響力のあるお寺だったのでしょう。ここで13時27分です。

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※街道との合流地点にある林昌寺への道標

そして街道はそのまま約90度右に曲がり、南西方向に向かいます。

この辺も街道らしい風情が残っています。

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※金熊寺川にかかる名も無き橋(奥)

橋を渡ると100メートル弱で大きな道にぶち当たります。府道63号泉佐野岩出線です。和歌山県岩出市の人がイオンモールりんくう泉南店に行くときに必ず通る道です。

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※府道63号線

新しくてキレイなローソンがあったので、ここでポカリスエットを補給することにしました。ローソン泉南信達岡中店です。イートインスペースがあったのでリュックを降ろさせてもらい、ポカリスエットを購入、THERMOSに移し替えます。なお、写真は帰りに撮影しました。

街道はそのまま続いていますので、休憩はせずにすぐ出発です。実はゴールは目前です。ここで13時38分です。

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※府道63号線南側の街道

地味に少しずつ登っています。13時44分になりました。

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※さらに進んだ街道

右の家と比べると高くなっていることが分かります。上の写真の木々を抜けたところの左側は溜め池になっています。おじさんが除草作業をしておられました。

溜め池の南端が分かれ道になっていますが、ここは右に進みましょう。JRの駅から流れるアナウンスの音も聞こえてきます。すぐにJR「和泉鳥取駅」です。時刻は13時47分でした。

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※溜め池南端の分かれ道

13時50分、波太神社遙拝の鳥居に到着です。すぐ裏はJR「和泉鳥取駅」です。

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※波太神社遙拝の鳥居

念のため裏側にも回ってみました。すると石碑があったので、すわ長岡王子跡か!と思いましたが、違っていました。

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※「南無阿弥陀佛」と書かれた石碑と鳥居

裏手は駐車場になっていて、「南無阿弥陀佛」と書かれた石碑がありました。ちょっと謂れは分かりませんでした。

これで、本日の往路のゴールに到着です。

帰り道

ちょっと休憩したいところでしたが、周辺にはカフェなど何もありませんでした。仕方なく、帰り始めます。また、若干雲行きも怪しくなってきています。この日は天気予報では曇りということでしたが、ところどころで雷雨、となっていました。ちょっと心配です。

事前の予報で確認していたため、この日は折り畳み傘をやめて大きな傘を持ってきていました。しかし、出発時に車に忘れてしまっていたのです! 合羽も持っていないため、言わば徒手空拳で雷雨と向き合わなければならない可能性がある、ということです。

そこで、帰路を急ぐことにしました。

すぐに、おじさんが除草作業をしていた溜め池に戻ってきます。13時58分でした。

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※溜め池(正面)

そしてそのまま真っ直ぐ戻りますが、二又になっている道で間違えて右に進んでしまいました。府道63号線にぶち当たるところ、ローソンのあったところより1本東側の道を戻ってしまったのです。まあ、焦らずに戻ります。

ローソン泉南信達岡中店にもう1回入ってもよかったのですが、30分ほどしか経っていないので変な人だと思われると思い、やめておきました。ひたすら戻ります。

そこから北東に進むと、道は途中で北西方向に折れ曲がります。しばらくして、JR阪和線の高架が見えてきます。この辺からは行きは通っていない道です。

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※JR阪和線の高架

高架をくぐると、右手に林昌寺詣道の道標が出てきました。

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※林昌寺詣道の道標

さらに進むと、「岡中」という交差点で府道64号線に合流します。ここが正規のルートです。

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※南東から見た「岡中」交差点

交差点を通り過ぎてから振り返って見ると、こんな感じです。

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※北から見た「岡中」交差点

右が府道64号和歌山貝塚線、左が熊野街道です。北から街道を通ってきた場合は、左に曲がってください。すでに14時20分になっていました。

ここから150メートルほど進んだところの右側に、運送会社の駐車場らしきものがあり、自動販売機があったのでGEORGIAのLATTENISTAを一気飲みしました。甘くて疲れがとれます。

そこから70~80メートルほどで、信達一ノ瀬王子のところ、林昌寺への分かれ道に到着しました。14時24分です。

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※街道左手の信達一ノ瀬王子

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※街道右手の林昌寺への道標

この辺からまた信達宿の風情が漂う町並みです。梶本邸や本陣跡を通り過ぎます。右手に大正12年創業という北庄司牛乳処理場がありました。すでに14時51分です。

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※北庄司牛乳処理場

大正12年ということは西暦1923年、関東大震災が発生した年ですね。約100年前に牛乳製造の会社を創業されたわけです。スゴイですね。

そして、実際のルートはそのまま街道を北に進み、右折すべきところを直進して厩戸王子跡に行ったわけです。厩戸王子跡では時刻はちょうど15時になっていました。

厩戸王子跡から街道に戻ると、すぐに一岡神社です。厩戸王子跡の説明板に、王子は一岡神社に合祀されている、と書いてありましたので、行ってみることにしました。

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※一岡神社本殿

近年建て替えたと思うのですが、かなり新しい建物です。マニアの人にとっては、ちょっとつまらないと思うのでしょうね。ここで15時7分になっています。

境内には他にも、知恵乃神が祀られていました。

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※知恵乃神

くぐるべきだと思い、くぐらせていただきました。間違っていたらどなたか教えてください。

休憩していないのでいい加減疲れていましたが、休憩できるところもなく、ひたすら進みました。樫井古戦場跡に着いたのは、15時17分でした。

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※樫井古戦場跡

大正大橋」の交差点を過ぎて、籾井王子跡の近くまで戻ってきました。白い塀の立派な邸宅があったので、写真に撮っています。15時27分でした。

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※奥家住宅

その邸宅の前まで行くと、何と説明板がありました。

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※奥家住宅説明板

文字がかすれていてよく読めません。しかし、どうやら奥家住宅という国指定の重要文化財のようです。泉佐野市観光協会のホームページ「泉佐野市観光サイト*2によるとどうやら江戸時代初期に建てられ、すでに築400年は建っているようです。家というのはこの地区の豪農だったとか。

その後、この辺を歩いているときに、前から来た小学校低学年くらいの自転車に乗った女の子が「こんにちは」とニコニコしながら挨拶してくれました。これはうれしいですね。純粋な子どもは善人と悪人を見分ける力を持っているのでしょう。

ここからはひたすら街道を北東に向かって進みます。泉佐野市内は案内板もまったくありませんので、この後、見るべきものはほとんどありません。

と思っていたら、道を間違えてしまいました。「長滝西」交差点で左に曲がるべきところを、直進してしまったのですね。すると左手にスーパーの松源が見えてきたのですが、行きに見た記憶がなかったんですね。Googleマップで調べると松源長滝店です。間違いに気づきます。まあ、松源にイートインスペースがあれば休憩するか、と思い行ってみましたが、ありませんでした。

さらに進むとセブンイレブン泉佐野長滝店もあったのですが、ここのイートインスペースも閉鎖されているような感じでした。休憩を諦めます。道は、このまま真っ直ぐ進んで関西空港自動車道の高架まで進んでから北上してもよかったのですが、距離的にセブンイレブンから北上した方が近そうだったので、このまま北上しました。

北上して関西空港自動車道の高架にぶち当たったところは「長滝」の交差点で、少しだけ北西に進むと「長滝北」の交差点です。これで正規のルートに戻ってきました。

しかし、この辺りからはいよいよ天気が怪しくなってきていました。もはや黙々と先を急ぐのみです。

石常のところまで戻ってきました。16時14分です。

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※石常

そして、石常を過ぎた辺りからついに降ってきました。出川哲朗さんのように「うわ、最悪だ」という言葉が口をついて出ます。

しかもタイミングが悪いことに今までたくさんあったコンビニもこの辺にはまったくありません。傘を買うこともできないわけです。

佐野高校の前の辺りでは本降りのようになってきました。近くに、農夫が農業用のフォークを持った絵の看板があるお店がありましたので、ホームセンターだとうれしいなと思いよく見ましたが、焼き肉屋でした。

仕方がありません。前進です。すぐに国道26号線にぶち当たります。ほぐし処安堵というマッサージ店があるビルの1階が駐車場になっていたので、少し雨宿りをさせていただきます。コンビニがないかGoogleマップで探しましたが、まだ10分以上は歩かないといけないようでした。

しかし、奇跡が起きました。何と、雨が止んだのです! ほーっと大きく息をついて、再び歩き始めます。ただ、歩き始めてよく見ると国道26号線の「市役所前」交差点は、北東側には横断歩道がありません。仕方がないので、嫌いな歩道橋を渡って横断しました。

渡ってみるとあまり見覚えがなかったところだったのですが、少し歩くと思い出しました。交差点から600メートルほど進むと、府道64号和歌山貝塚線に合流です。さらに400メートルほど進むと、佐野川にかかる佐野川橋です。

佐野川橋を渡ると、街道は右に入っていきます。ここで16時45分になっています。

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※街道入口(右) 左は府道64号線

ここは行きに少し道に迷ったところですね。ここから府道20号枚方富田林泉佐野線にぶち当たるところまでは行きも通りましたが、そこから北は初めて通ります。

早速発見がありました。

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※頌魂碑?

おそらく頌魂碑しょうこんひと書いてあると思います。大戦で亡くなった方の鎮魂のために建てられたのでしょう。帰りにこの道を通っていたからこそ、発見できたわけです。

さらに進むと、街道は道ノ池の横を通ります。

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※奥のフェンスが道ノ池

コンクリートで作られた鳥居です。ここで16時53分です。

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※道ノ池

いや、鳥居のように見えるものです。

ここからまた少し行くと50メートルほど府道64号線に合流します。すぐ次の信号を右折すると、国道26号線と交わる「大薮池」交差点です。だいぶ戻ってきました。

四角池という溜め池の近くに鶴原王子があったと考えられる、ということで貝田町会館をすでにご紹介しました。私が帰りに寄ったときには、時刻は17時12分になっていました。

この後、街道は緩やかに東向きに変わっていきます。見出川にかかる貝田橋を17時19分に通過しました。

そして、次の信号の先がまた、行きは通っていないところです。何しろ最初はあさっての西北方面に進んでいましたから。

まず、善正寺がありました。

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※善正寺

すでに17時23分です。

そこから1分ほど進んだところにお地蔵さまがありました。

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※街道沿いのお地蔵さま

そしてよく見ると、ここは左に上がっていけるようになっています。

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※吉祥園寺

説明板が見えたので、行ってみることにしました。

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※吉祥園寺説明板

何と、ここでお祀りされている吉祥天立像は、もともと西国三十三所第四番札所の槇尾山施福寺にあったそうです。ここで西国三十三所と、まさかのランデブーです。

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※吉祥園寺本堂

この赤い屋根のお堂に吉祥天立像がお祀りされているのでしょう。最後の最後にいいところを発見することができました。

そして、ここから南近義神社鳥居前に出るには、30メートルほど進んで左折しなければなりません。左折してから振り向いて撮ったのが下の写真です。

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※街道の右折ポイント

南近義神社鳥居前を南下してきた場合、街道はここで右折しないといけません。Googleマップでは奥の家などはまだ建っておらず、突き当りを右折でよかったのですが、道が南に延びてしまっていますので、この辻を右に曲がりましょう。

南近義神社鳥居前には、17時29分に到着です。今回も無事にゴールできました!

私はもう少しだけ歩いてイオン貝塚店に行き、そこのフードコートで少し休憩してから帰ることにしました。今までで一番、歩いた距離と時間は少なかったのですが、何だか今までで一番疲れたようにも感じました。

なお、家に帰ってから足を確認しましたが、発疹は今回はまったくありませんでした。靴は今の SKECHERS MAX CUSHIONING ELITE で大丈夫そうですね。まだまだ整えないといけない装備もありますので、次回までに用意できるものはしておきたいと思います。

次はいよいよ山越えです。往復の旅ですので、山を2回越える計算になります。どこまで行けるでしょうか。頑張ります。

皆さんも、ぜひ街道歩きに挑戦してみてください!

 

 熊野街道 等乃伎神社~南近義神社 ◁ 熊野街道 南近義神社~波太神社遙拝の鳥居

熊野街道 南近義神社~波太神社遙拝の鳥居 ▷ 熊野街道 波太神社遙拝の鳥居~力侍神社

 

最終更新:2021.7.12