西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

街道を行くぞ!第6弾 熊野街道 波太神社遙拝の鳥居~力侍神社

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力侍神社

お待たせしました!

街道を行くぞ!第6弾、2021年7月9日に行ってきました! 隔週定期になってしまっていますが、日程の都合で次回は必ず翌週に行ってきます!

この日は曇り時々雨という予報で、NHKの予報を見ていても泉南市や和歌山市辺りはそれほど雨脚が強まらなさそうな感じだったので、強行することにしました。ずっとぐずついた天気でしたからね。それと、この日のために仕入れたレインポンチョの性能を試してみたい、というのもあったのです。

あと、サングラス問題ですが、これはちょっと悩ましいですね。新しいスポーツサングラスを購入したのですが、マスクをしているのでどうしても曇ってしまうのです。くもり止めを塗るか何かしら対策をしないと、せっかく購入したのに宝の持ちぐされになってしまいます。やはり実際に試してみないと分からないことはいっぱいありますね。

今回も正確な距離ではありませんが、 Googleマップでポイントをチェックして距離を確認したところ、片道何と13.0kmでした! 帰りは一部ルートを最適化したものの、Googleマップには入れていないポイントも寄っていますので、往復でやはり26kmは歩いていると思います。時間は休憩をあわせて最短の7時間40分となりました。歩数はスマホのアプリでは41,940歩でした。前回よりもさらに短くなっています。

また、ASUS VivoWatch BP(HC-A04)のデータなのですが、なぜか12時20分から18時20分までのデータが消えてしまっており、計測できていませんでした。何でしょう? 違うアプリに位置情報を使ってしまうと読み取れなくなるのでしょうか。残念な感じですが、ちょっと気をつけて使っていきたいと思います。

熊野街道 波太神社遙拝の鳥居から力侍神社まで

熊野街道に関しては、大阪府のホームページ「歴史街道ウォーキングマップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。

www.pref.osaka.lg.jp(2021.7.10閲覧)

また、「山中渓駅」以南は、和歌山県公式観光サイトのホームページ「街道マップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。

www.wakayama-kanko.or.jp(2021.7.10閲覧)

和歌山県下に関しては、こちらのマップの方が分かりやすいと思います。

私はさらに、山と渓谷社から出ている『世界遺産の参詣道をめぐる旅 特選10コース&完全踏破 熊野古道を歩く旅』(※以下、『熊野古道を歩く旅』を参考にさせていただきました。

www.yamakei.co.jp(2021.7.10閲覧)

今回も中断地点まで車で移動します。8時ちょっと前に出発し、摂津北ICから近畿道に乗り、泉南ICで高速道路を降りて府道63号泉佐野岩出線をいったん北上します。「岡中西」という漫才コンビのなすなかにしのような名前の交差点で左折して、府道64号線和歌山貝塚線を南下すれば、「和泉鳥取駅」近辺に到着します。前日までに目星をつけていた駐車場はスペースeco和泉鳥取駅前第1です。前回の旅でスペースecoシリーズは先払いだということを学習していますので、今回は抜かりなく先に駐車料金を支払いました。こちらの方が前回のスペースeco和泉橋本駅前よりも50円高くなり、24時間350円です。それでも、破格値であることに変わりはありません。

熊野街道 波太神社遙拝の鳥居から峠の不動明王まで

波太神社遙拝の鳥居を9時35分に出発し、峠の不動明王には11時15分に到着していました。Googleマップより10分少々時間が経ってしまっています。しかしここは山登りにもなっていますので、それを考えると検討しているのではないでしょうか。

和泉鳥取駅」の周辺には何もないことは以前に訪れたときに分かっていましたので、スペースeco和泉鳥取駅前第1に車を停める前にセブンイレブン阪南自然田店に寄りました。まずはトイレをお借りします。また、今回のルートは山越えの練習という意味合いがあったのですが、どう考えてもお昼の時間にご飯を食べるところがないんですよね。そこで、軽く食べられるパンを2個買っておきました。これは我ながら素晴らしい選択でしたね。

ということで、セブンイレブンに寄ってから駐車場に行きました。しかしこのスペースeco和泉鳥取駅前第1なんですが、入口が非常にせまいです。大型車を入れないようにしているのかもしれません。とにかく、ご利用の際はお気をつけください。

車を停めて身仕度を整え、いざ出発です。まずは駐車場から歩いて1~2分の波太神社遙拝の鳥居に行きます。今回の出発点です。

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※波太神社遙拝の鳥居

鳥居だけがよくきちんと残されたものですよね。ここから波太神社までの往復で4kmありますから、熊野詣の人々はさすがに神社には参拝せず、こちらで遙拝して旅の安全をお祈りしたわけです。

9時35分に鳥居前を出発します。ただ、ちょっといろいろと装備を整えるのに手間取り、実際には2~3分ロスしてからの出発でした。40メートルほど南にある山中橋を渡っているのが9時40分ですので、5分も何しとってんという感じです。

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※山中橋

下を覗くと、意外と高さがありびっくりします。

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※山中橋から見た山中川

山中橋から120メートルほど南に進むと、府道64号和歌山貝塚線と合流します。今回の山越えは、ひたすらこの道を通ることになります。

さらに120メートルほど進んだところに、今度は滑下橋があります。「下に滑る」とは、危ない名前ですね。

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※滑下橋

ここで9時44分です。ちょっと出足はスローペースですね。

地蔵堂王子に行くには、この橋を渡って、2つ目の左に行けるところを入っていきましょう。ちょうど、はんなんしコミュニティーバスの「滑下橋」停留所の次のポイントです。

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※地蔵堂王子への左折ポイント 

左折して50メートルほど進むと、左に公園が見えてきます。緑ヶ丘第5児童遊園です。その前に、地蔵堂王子の説明板があります。九十九王子くじゅうくおうじのうち22番目の王子となります。時刻は9時48分でした。

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※地蔵堂王子跡

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※地蔵堂王子説明板

それにしても説明板を立てているのが阪南ライオンズクラブとは……。阪南市や阪南市教育委員会ではない、ということでしょうか。阪南市にはもう少し頑張って欲しいものです。お金はライオンズクラブに出してもらうとしても、情報の正確さはやはり公的機関が担保しないといけないでしょう。

ここから府道64号線に戻ります。阪和道の阪南ICにつながる高架下をくぐるとすぐに双子橋です。9時52分でした。

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※双子橋

この辺りから民家が減ってきます。いよいよ山へ入るな、という感じです。

橋から250メートルほど進むと、左側に馬目王子跡が見えてきました。ここで、9時59分でした。

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※馬目王子跡

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※馬目王子説明板

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※馬目王子跡石碑

「足神さん」とも呼ばれているようですね。また、ご神体は山中宿山中神社に祀られているということです。これは事前に調べたときに知っていましたので、山中神社も参拝しようと思っていました。

馬目王子から100メートルほどで阪和自動車道の高架下をくぐります。いよいよ天気が怪しくなってきました。

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※阪和道の高架下

高架下から少し進むと、左側に忠魂碑的なものが出てきました。

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※忠魂碑?

しかしよく見ると、一番大きいものはこの地域の庄屋を継いだ田中武八翁を讃える石碑でした。田中武八さんはこの地域の学校やお寺、街道の整備に尽力したそうです。熊野古道田中さんが整備してから何十年も後に世界遺産に認定されたわけですが、先見の明があり地域のことをよく考えた立派な方だったようですね。

この頌徳碑から程なく、山中宿の入口に到着です。時刻は10時4分でした。しかし、この辺りから雨粒がポタラポタラと落ちてきました。まだしのげるんじゃないかと、ちょっと楽観的に考えます。

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※山中宿入口

歩道が右側にしかなかったので右側を歩いてきましたが、ここで左側に渡りましょう。横断歩道はありませんが、これは行政の不備ですね。

街道の入口には説明板もありました。

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※紀州街道の説明板

この辺りは紀州街道熊野街道が一体となっていますので、この説明板には紀州街道と書かれています。どうやら熊野古道が世界遺産になる前に立てられた説明板のような気がします。

ここから先は石畳みの道となります。田中武八さんはここを整備されたのでしょう。泉南信達宿もかなり頑張っていて風情のある街並みでしたが、これまでの街道ではここが一番でしょうか。

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※石畳みの紀州街道入口

風情があるのはいいのですが、だんだん雨脚が強まってきました。写真ではお伝えできないのが残念です。

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※街道の家並み

さすがに限界を迎えたと思い、今回テストをしようと思っていたKiUのレインポンチョ(RAIN PONCHO MIGHTY)を着用することにします。ちょうど庇が広い家があったので、そこにリュックを降ろし、ポンチョを取り出して着用しました。リュックもポンチョで覆うことができます。

その庇のあったお宅というのが下の写真です。

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※旧庄屋屋敷

行きは雨から逃れることばかり考えていてまったく気づかなかったのですが、実はこの庇の広いお宅、ただのお家ではなく、旧庄屋屋敷だったのです。しっかり説明板が立っています。なお、この写真は帰りに撮影しています。詳細はまた帰りのところでご紹介しましょう。

庄屋屋敷から50メートルほど進むと、山中渓住民センターがありました。ここには、各種の道標が立っています。

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※紀州街道の説明碑

雨がそこそこ降っているので、山中神社に行く、ということはすっかり忘れてしまっていました。ただ前進する、ということしかできません。本陣跡というのもあるはずなのですが、結局発見できていません。

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※本陣跡

実はこの写真に写っている、左側の立派な土塀のある家が本陣跡になります。行きは知らずに写真を撮っていましたが、帰りに説明板を発見しました。ここで10時13分です。帰りに撮った説明板の写真がこれです。

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※山中宿本陣跡地説明板

心なしか帰りの方が明るいですね。

10時16分、石畳みの最終地点にある道祖神塞之神)に到着です。

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※道祖神(塞之神)

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※道祖神説明板

何でも、紀州藩では毎年12月20日に犯罪者や悪疫の病人を国境の境橋から北側に追放した、ということです。しかしひどい話ですね。隣国に迷惑がかかるというのは考えなかったのでしょうか。今に置き換えると、コロナ患者がこちら側に追放されてくる、というわけですよね。

ここからは府道64号線に再合流します。すぐ右側はJR「山中渓駅」です。阪和線が雨のためにストップするのは、この辺りの雨量計の計測によることが多いです。それだけ雨が多い地域、ということなのでしょう。

ここから100メートル弱で、山中関所跡に着きます。ここも見たかったポイントです。時刻は10時19分でした。

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※山中関所跡

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※山中関所跡説明板

まあ箱根や白河の関所跡と違い、そんなに大したものはありません。

ここからはまた山に入っていく感じで、人家もなくなっていきます。また、歩道もあったりなかったりでなかなか危険な道になります。人が歩いていることはめったにないのでしょう、車が結構なスピードで通っていきます。人がいないならばまだしも、人が歩いているときくらい減速してもばちは当たらないと思うのですが。

ここから600メートルほど歩くとまた阪和自動車道の高架下をくぐります。くぐってから100メートルほどで、山中川にかかる芦屋橋を渡りました。10時29分です。

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※芦屋橋

本来「車は左、人は右」で右側通行すべきところですが、見通しが悪い方を歩いていると危険なので、なるべく見通しのよい方を歩きました。

さらに300メートルほど進むと、今度は赤坂橋です。10時33分になっていました。

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※赤坂橋

この橋を渡ってしばらくすると緩やかな下りになります。300メートルほどで、和歌山県との県境に着きました。10時39分です。

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※和歌山県との県境

これが、境橋なのでしょう。

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※境橋

横にはいろいろなものがあります。

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※日本最後の仇討ち場石碑

この石碑によりますと江戸時代末期の安政4(1857)年、土佐藩広井大六が口論の末、同僚の棚橋三郎に斬り捨てられたそうです。大六の息子の岩之助は幕府に願い出て、翌年「仇あだ討ち免許状」を獲得。その後和歌山の加太にひそんでいた三郎を発見し、紀州藩へ仇討ちを申し出たところ、「境橋から国ばらいとするので和泉の国側にてあだうちをせよ」とのことでした。そこで岩之助は文久3(1863)年、この地で三郎を待伏せし、見事にあだうちを果たした、ということです。

いろいろ突っ込みどころがあるお話ですよね。相手を斬り殺すほどの口論は、なぜ起こったのか。紀州藩の、なるべく関わりたくないです、という態度。土佐藩の多くの若者が国を憂いて奔走するなか、仇討ちという私的なことに拘っていた岩之助。まあ、当事者にしか分からないことではありますが、いろんな意味でひどいお話だと思いました。

境橋を示す金属製の標識のようなものもありました。

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※境橋標識

街道旅ですが、ついに和歌山県に突入です。実はまだ2県目ですね。国としては摂津河内和泉に次いで4か国目の紀伊の国となります。

この境橋からはまた緩やかに登っていくようになります。右側には歩道も復活し、歩きやすくなりました。300メートルほど進むと、右側に道が分かれています。中山王子跡への分岐点です。道標もあります。ここで10時45分でした。

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※中山王子への道標

和歌山市内ではこの道標が多いように思いました。

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※直進は山口王子を指す

ここで右に曲がり脇道に入ります。JRの踏切を渡ってさらに右に進みます。

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※第一滝畑踏切

踏切を渡ると、小さな集落があります。集落に入るとすぐに中山王子跡がありました。実は、最初は気づかずに通り過ぎてしまったのですが、おかしいな?と早めに気づくことができ、戻ってこれました。

10時48分、中山王子跡到着です。

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※中山王子跡

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※中山王子説明板

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※熊野古道案内板

和歌山市はかなり頑張って整備してくれています。

集落はこんな感じでのんびりしています。

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※中山王子の集落

真っ直ぐ進むと道は左に折れており、そちらには踏切があります。第二滝畑踏切です。ここを渡って県道64号線に合流します。この写真には雨粒までしっかりと写ってますね。ここで10時52分です。

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※第二滝畑踏切 黒いものは私の指

本降りの雨のなか、いよいよ本格的な山に入っていきます。山とはいってもこの日越える雄ノ山峠は標高180メートルということなので、たかが知れています。しかもずっとアスファルトの道ですから、足場が悪いということもありません。

県道64号線はここからしばらくJR阪和線と並行しています。200メートルも経たずにJRとは離れてしまいますが、その離れるところのやや大阪側、左側にまた塞之神道祖神)がありました。10時55分です。

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※塞之神(道祖神)

ここから先は雨脚が強かったのと、とくに見るべきものもなかったからか、写真をほとんど撮っていませんでした。阪和自動車道を並走する峠の最高地点は、雨が止んでいた帰りに撮っています。

なお、この最高地点に着くちょっと前に岩出方面への分岐点があります。何となく街道は左っぽい雰囲気がありますが、ここも直進しないといけませんのでご注意ください。ちなみにこの写真も帰りに大阪側から振り返って撮影したものです。

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※岩出方面への分岐点 帰りに撮影

というわけで、行きの道で次に写真を撮っていたのが峠の不動明王です。旧街道としてはここが峠だったのでしょう。すでに11時15分になっていました。

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※峠の不動明王

普段ならばそろそろお昼の心配を始めるところですが、何もない山中ですし、雨宿りできるところも皆無なので、とにかく進むしかありませんでした。

峠の不動明王から山口王子まで

峠の不動明王を11時15分に通過し、山口王子跡には11時38分に到着しました。Googleマップでは車で3分となっていますが、人間の足だと7倍以上の23分かかるということですね。Googleマップはここを人間が通ることを推奨していないらしく、県道64号線を歩くルートが設定できないので、この区間は車で設定しています。

マップでは、峠の不動明王から「急な下り坂」と書いてあり、実際かなり急な下りとなります。普通に歩いているとスピードがつき過ぎてしまうので、ブレーキをかけるように足を踏ん張りながら下りましょう。坂というものは実は登りよりも下りの方が難しいのです。しかし、急な下りがあるということは、帰りは急な登りということですよね。

水煙の中、前方に京奈和自動車道につながる高架が見えてきました。ものすごく高い谷間を渡っていますので、地震が起きても大丈夫なのか、といつも心配になってしまいます。

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※京奈和道の高架

2箇所のヘアピンカーブを過ぎると、下りの傾斜もマシになります。このヘアピンは本当にキツイところだと思います。そしてよくよく見るとマップがそろそろ終わりになっていて、マップの紙を入れ換えないといけない状態になっていました。防水性のあるケースに入れているのですが、1度出して入れ換えます。屋根のあるところがまったくありませんので、マップの紙がかなり濡れてしまいました。

紙を入れ換えた2つ目のヘアピンカーブを過ぎて100メートルくらいで、右側に幸福地蔵がありました。11時25分です。

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※幸福地蔵

雨は本降りですが、KiURAIN PONCHO MIGHTY はなかなか優秀です。水がしみ込んでくることはありません。気温自体がそれほど高くない、というのもあるでしょうが、そんなに蒸れて暑くなるという感じもしません。

そこからさらに下っていくと、マップに目印として書いてある三紀リサイクルが左手に見えてきました。

さらに2分ほどで、山口王子への分岐点に到着です。ここで11時37分です。

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※山口王子(左に入る)への分岐点

ちょっと薄暗い左側に進みましょう。

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※山口王子への道

11時38分、山口王子に到着です。

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※山口王子跡

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※山口王子跡説明板

説明板の横にある木箱は鳥を飼っているのではなく、熊野古道紀伊路押印帳に押すためのスタンプが入っているようです。私はこのときは気づいていなかったので、押していませんが、再開時には押印帳をつくってスタンプを集めていきたいと思います。くわしくは和歌山県公式観光サイトのホームページ*1をご覧ください。

山口王子跡から山口神社鳥居南まで

山口王子跡を11時39分に出発し、山口神社鳥居南には12時15分ごろに到着していました。Googleマップでは17分で行けるということになっていますが、2倍以上時間がかかってしまっています。実は11時40分ごろから20分くらい雨宿りしていましたので、このような結果になってしまいました。

山口王子跡を出発して1~2分くらい進んだところで、雨が大変なことになってきました。本降りを通り越して豪雨になっています。バケツをひっくり返したという形容がぴったりでしょうか。さらに雷まで鳴り始めます。さすがに危険を感じて、どこかに避難することを考えます。民家はありますが、お店などがないためまったく避難できる場所がありません。

仕方なく民家のカーポートに(勝手に)避難させていただくことにしました。その間も、雨はどんどん強まっていきます。タブレットでアプリを開いて雨雲レーダーを確認します。割とヤバイ赤色になっています。しかし、時間を動かしていくと12時ごろには弱まっていくことが分かりました。こちらで12時くらいまで休ませていただくことにします。

ちなみにこの日の和歌山の雨は、NHKのニュースでも映像が取り上げられたぐらいの豪雨でした。どこかのグラウンドにテントが張ってあって、という映像でしたが、風も強くてテントが飛んでいきそうなくらいでした。実際、この後歩き出すと路上にトタンが落ちていたほどです。

下の写真が私の命を救ってくれたカーポートです。この写真は帰りに撮影したものです。

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※避難させていただいたカーポート(右側)

最近のレーダーの性能はスゴイですね。本当に12時くらいには雨脚がかなり弱まり、歩けるくらいになりました。一時はタクシーを呼ぼうかと思ったくらいですから、助かりました。雨の写真も撮っておけばよかったですね。しかしこのときはそれどころではありませんでしたので。

12時過ぎ、再出発です。民家の間を通って街道を南下します。奥にお墓が見えてきましたが、こちらを右折です。

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※街道の分岐点

右へ進むように標識が出ています。ここで12時10分です。

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※墓地の塀にある案内標識

割と細い道を歩いていきます。250メートルくらいでしょうか、しばらく進むと右側に鳥居が出てきました。山口神社鳥居です。12時14分です。

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※山口神社鳥居前の道標

なお、この辺で気づいたのですが、下の写真のような導き石が随所に埋められており、街道を示してくれるようになっています。和歌山に入ってから、道に迷うことはなくなりました。

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※山口神社鳥居前の導き石

左に曲がります。

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※山口神社鳥居 左下の黒いものは私の指

南側に回ってから写真を撮りました。ここから70~80メートルほど南に進むと、県道7号粉河加太線にぶち当たります。左前にはローソン和歌山山口谷店があります。ここは行きは寄りませんでしたが、帰りには寄らせてもらいました。交差点のところに石の椅子のようなものがおいてあり、座ることができます。横断歩道がこのローソンのある「」という交差点まで来ないとありませんので、こちらまで来てから渡りましょう。時間はだいたい12時15分は過ぎていたと思います。

山口神社鳥居南から上野の地蔵堂まで

山口神社鳥居南を12時15分過ぎに通過し、上野の地蔵堂には12時31分に到着していました。Googleマップでは車で2分となっていますが、こちらは歩きです。1.3kmを16分で歩いているとすると、そこそこいいペースではないでしょうか。時速4km/hよりは速いということになりますよね。なお、県道64号線に続き、この県道7号線もGoogleマップは人間が通ることを推奨していないらしく、ここを歩くルートが設定できないので、この区間も車で設定しています。

ここも道は細いのに車は結構通りますので、危険な道です。何だったら車の交通量は64号線の何倍もあります。くれぐれも歩かれる場合はご注意ください。ここは歩くのと分岐点を探すのに専念していて、写真はまったく撮っていませんでした。

また、お昼をかなり過ぎており、ご飯を食べることを考えていました。次回のことを考えた場合、車を停めるのはJR「紀伊駅」周辺の駐車場になると思い、「紀伊駅」には行こうと思っていました。そこで、何だったら入場券を買って駅の中でパンを食べようかな、と作戦を考えていました。

12時31分、上野の地蔵堂に到着です。

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※上野の地蔵堂

道標もあります。300メートルほどで川辺かわなべ王子跡になります。

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※川辺王子への街道

この道を入っていくようです。

しかし、私はとりあえず「紀伊駅」まで進むことにしました。「紀伊駅」まではこのまま県道7号粉河加太線を歩いていきます。750メートルほど歩くと、右側に「紀伊駅」がでてきました。

130円の入場券をスマホのモバイルSuicaで購入して、中に入りました。大阪方面よりも和歌山方面の方が空いているだろうと思い、和歌山方面のホームへ行きます。全体の待合室のようなものはありませんので、とにかくホームまで行くしかありません。

ズバリ的中です。和歌山方面のホームには誰もいませんでした。ベンチに座ろうと思いましたが、ベンチはビショ濡れです。しかし、屋根付きのBOXタイプの待合室がありましたので、そちらに入らせてもらいました。入口で買った GEORGIA の LATTENISTA を飲みながら、朝購入したパンを食べます。雨が多かったせいでお昼は3日連続でセブンイレブンのパンになってしまいました。パンを売っているところで、家から一番近いのがセブンイレブンなのです。

後からお婆さまも入ってこられましたが、結局それ以上人は増えませんでした。私の狙いどおりです。

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※待合室から撮ったホームの様子

上の写真は大阪方面も和歌山方面も紀州路快速が出てから撮影しましたので、閑散としています。私にとってはとてもありがたいことでしたが。

上野の地蔵堂から力侍りきし神社まで

上野の地蔵堂を13時13分に出発し、力侍神社には13時41分に到着しました。Googleマップでは23分で行けるということになっていますが、ちょっとそれは速すぎるように思います。1.9kmを28分、まあ普通ではないでしょうか。 

紀伊駅」を13時過ぎに出発します。この日は日射しがなかったせいもありますがあまり喉が渇かず、水分補給もしていなかったからかトイレもまったく行きたくなりませんでした。結局、「紀伊駅」でも行っていません。

上野の地蔵堂に戻ってきたのは13時13分でした。

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※上野の地蔵堂再び

なお、勝手に地蔵堂と呼んでいますが本当のところはよく分かりません。ただ、休憩もできるように整備されているようです。

4分ほど歩いてマップ上にある西蓮寺を通り過ぎました。

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※西蓮寺 通り過ぎてから振り返って撮影

この辺が少し分かりにくい道でした。ただ、随所に導き石が埋め込まれています。

13時18分、川辺王子跡に到着です。

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※川辺王子跡

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※川辺王子旧跡説明板

王子社というほど立派なものではありませんが、小さなお社を建てておられるようです。

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※小さなお社のようになっている

なお、ここの神さまは力侍神社に合祀されています。
九十九王子のうち、26番目の王子まで来ました。この日だけでも5つ目の王子です。

ここから先の道は、細い田舎の道を進んでいくことになります。川辺王子から120メートルほど南に行ったところにある十字路を左に曲がります。導き石が手前側と進行方向側の両方にあるので、ありがたいです。ここで13時21分です。

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※手前と左側に導き石が埋まっている

この後は田んぼに挟まれたあぜ道のようなところをしばらく進みます。神波自治会館で右折して南に向かわないといけません。

最初の二又は右に進みます。ここも導き石があるので大丈夫です。そこから100メートルほどで十字路に出ますが、2つ目の十字路のところが神波自治会館です。

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※1つ目の十字路 正面のツートンカラーの壁の建物が神波自治会館

分かりやすく熊野古道の提灯を掲げてくれています。時刻は13時27分でした。

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※神波自治会館

ここで右折して南に向かって進みましょう。すぐに小さな川を渡ります。Googleマップで見ると一応紀の川に流れ込んでいます。

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※名も無き橋

橋を渡って100メートルくらい進むと、また左折するポイントです。ここも先程と同じく、手前と左奥に導き石が埋まっています。

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※手前と左側に導き石が埋まっている

30~40メートルですぐに今度は右折です。ここも曲がっていくべき方向の道には導き石が埋まっています。13時31分でした。

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※導き石と県道7号新線の交差点(奥)

奥に現れてきたのは、県道7号の新線である西脇山口線の交差点です。交差点にはまだ名前がついていないようですし、Googleマップのストリートビューだとこの新しい道がまだ反映されていません。実際、私もここまで新道が伸びてきているとは知りませんでした。

この交差点を渡り、100メートルほど南下します。マップにも書かれている、「民家の庭にある高いシュロの木」が見えてきます。

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※車の上に立っているように見えるのが目印のシュロの木

周りに高いものが何もないので、本当にこの木の存在はありがたいです。しかし、逆に言うと台風などでこの木が倒れてしまうと、目印が何もなくなってしまいますね。普通の民家に植えられているなら、家主さんの意向で伐採されるという可能性もあります。和歌山市に道標か何かを立てていただけるとありがたいですね。

このシュロの木のあるところ辺りから道は、道なりに左に曲がっており、曲がってすぐのところにはまた導き石がありました。時刻は13時34分です。

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※導き石

ここから250メートルくらい進むと、左側の田んぼの前に中村王子の説明板が立っています。ポツンと説明板です。13時37分でした。

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※中村王子社跡

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※中村王子社跡説明板

今までのと違うタイプの説明板です。おそらく今までの緑のものを作る前からあったものでしょう。用地買収がうまくいかず、緑のものを作ることができなかったものと思われます。

ここから力侍りきし神社までは200メートルもありません。

13時41分、力侍神社鳥居前に到着しました。

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※力侍神社鳥居前の道標

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※熊野参詣道と川辺王子跡(力侍神社)説明板

熊野街道歩きは次回ここから再開となります。ここなんですが、参道が結構長いです。こちらに近づいてきたときに、絶対ここが神社だ!と分かる感じでした。田んぼの中に木々が茂っているところと言えば、神社が真っ先に思いつきますよね。

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※力侍神社参道

結構奥まで参道が続いていることがお分かりいただけますでしょうか。

まずは、きちんと参拝しておきましょう。境内図にもあるトイレは新しくてキレイです。しかし、奥の社務所横にある昔ながらのトイレは、昔ながらだなあ、という感じでした。

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※力侍神社の本殿手前

拝殿のような建物からのぞいているのが八王子社本殿で、その左側に力侍神社本殿があります。社務所はこの手前右側にあります。ご朱印などをいただく場合は、そちらにお声がけをしましょう。

とりあえず本日のゴールはここに設定していましたので、これで往路のゴールとなります。13時46分でした。

帰り道

無事に力侍神社を参拝できましたので、ここから帰路につきたいと思います。が、その前に、このすぐ東側にイズミヤスーパーセンター紀伊川辺店があることを知っていましたので、そちらで本格的な休憩をとることにしました。この日は「紀伊駅」で休憩した以外、まったく休憩らしい休憩はしていません。

ところが、目の前に見えているにも関わらず、道がないのとイズミヤ側に入口がないのとで、イズミヤには行けないんですね。結局ぐるりと回って、国道24号線和歌山バイパスまでで出てからイズミヤに入ることになりました。14時は過ぎていたかもしれません。

またお店が広くて、入った入口からフードコートまでの距離もそこそこありました。しかし、フードコートは空いていましたし、気兼ねなく利用することができました。紀伊の国に入っているんですが、せんしゅう茶屋というたこ焼き屋さんがあり、焼きそば450円を購入します。温かい食べ物がありがたかったです。

レインポンチョを椅子にかけて乾かし、靴も脱いで靴下に外気が当たるようにしました。また、スマホとタブレットをモバイルバッテリーで充電します。雨のため写真をあまり撮っておらず、バッテリーはあまり減っていませんでしたが。

14時30分過ぎ、十分な休息を終え、イズミヤを出発します。Googleマップを見ながら帰りのルートを考えましたが、行きに寄れていない山口神社山中神社に行くべきだと思いました。そこで、最初はルートを最適化して、イズミヤの裏を走る県道64号和歌山貝塚線に沿って北上することにしました。

1kmちょっと北上して出たところは、「」の交差点です。県道7号粉河加太線との交差点で、ローソン和歌山山口谷店のあるところです。なお、この段階ではまだポカリスエットが THERMOS に十分に入ったままでしたので、ここで補充はせず、山口神社辺りで補充することにしました。実はこの決断が裏目に出ます。

山口神社鳥居の南側には14時53分に到着です。

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※帰路の山口神社鳥居

神社はここから400メートルくらい山の方に進んだところにありました。緩い坂をダラダラと登ります。3分後は、こんな感じです。

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※山口神社参道

さらに3分後、山口神社二の鳥居に到着です。

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※山口神社二の鳥居

中に入ると意外と薄暗く、社務所らしき建物もよく分かりませんでした。しかしセミの鳴き声が聞こえてきましたので、梅雨明けたんかな?と思いました。

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※山口神社本殿

本殿まで行ってみましたが、クモの巣が頭に引っかかってイヤな気持ちになりました。写真で見るといい雰囲気の神社に思えるのですが、参拝当時はとにかくクモの巣のことで頭がいっぱいでした。上の写真は15時ちょうどに撮影しています。

さらに、ここで困ったことが発覚します。まったく自動販売機がないのです。帰りの山越えの飲み物を調達しないと、さすがに自殺行為です。しかし、残念ながらこの神社には自動販売機がないようでした。

当初の計画ではここから近道を通って熊野街道の方に戻ろうと思っていましたが、そちらに進んで自動販売機がなかった場合、かなりヤバイことになります。確実性を求めるなら、先程のローソンに戻るのがベストでしょう。

というわけで、参道を下っていきます。ここに関してはかなり徒労感があり、トボトボという感じでした。

7~8分でローソン和歌山山口谷店まで戻ります。ポカリスエットを購入し、THERMOS に補充しました。これで、山越えの準備は万端です。

ここから府道64号線を歩いていってもよかったのですが、歩道のない道でもありますし、リスクをなるべく減らすために街道の方を戻っていくことにしました。必然的に、山口神社鳥居の前を通ります。本日4度目ということになりました。

鳥居の前で右折し、右側に案内標識のあった墓地が見えてきたら、その角を今度は左に曲がります。街道は、そのまま北上していく感じになります。街道沿いの立派なお屋敷を写真に撮っていました。

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※街道沿いの立派なお屋敷

これは通り過ぎて北から撮っています。やはり松が植えられているお家は立派な家という感じがします。

街道を歩いていきますが、例の京奈和道の高架が見えてきました。15時22分になっています。

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※京奈和道の高架

この区間を歩いているとき、郵便局の配達員の方がバイクで回っておられたのですが、自然と抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じることになりました。私が歩いているとバイクに抜かされる、配達員の方がバイクを停めて郵便物を届けている間に私が抜かしていく、という感じです。最終的に結構山の方まで配達員の方は来られていました。

15時30分、山口王子跡です。ここからは人家がなくなります。

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※帰路の山口王子跡

序盤はまだそれほど傾斜がきつくありませんが、徐々に急になっていきます。

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※注意喚起の標識

それにしても、「熊野古道をきれいにしよう」というような標識が随所にあります。よほど汚くする人がいるんでしょうね。

そして最大の傾斜角度のところがこの辺りです。ここで15時44分です。

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※最大の傾斜角

左上の赤い橋桁は阪和道のものです。そして街道は2箇所のヘアピンカーブとなっています。右上に白いガードレールがあるのがお分かりいただけるでしょうか。ここは1つ目のヘアピンカーブです。2つ目の方が急なんですが、息切れしていて写真を撮っていませんでした。

峠の不動明王の辺りで傾斜はかなりマシになります。15時51分になっていました。

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※帰路の峠の不動明王

そしてもう少し歩くと、阪和道と横並びで走っている区間に来ます。行きは雨が強くて写真を撮っていませんでしたが、帰りは写真を撮れました。

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※阪和道と並走する街道

この奥で道が見えなくなっているのは、カーブというだけではなく高さがピークに達しているからです。最高地点である峠をクリアする、ということですね。この写真で15時52分です。

この峠を過ぎると、後は緩やかな下りになります。2kmほど歩くと、行きに見た中山王子への道標に到着です。16時16分でした。

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※中山王子への道標

速いペースで戻れていますので、この段階で18時より前には車に戻れるな、という公算が立ちます。しかし、微妙に雨が降ってきており、迷った末、折り畳み傘を指すことにしました。レインポンチョは出し入れが少し面倒なんです。雨脚が強くなったら出さないといけないでしょうが、このときの雨は本当に微妙な雨で、傘を指さなかったら顔に雨粒が当たってちょっとイヤだな、という程度の雨でした。

そこから5分後、県境の境橋のところまで戻ってきました。行きは工事をやっていましたが、帰りはもう終わっていたようです。

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※帰路の境橋(奥)

上の写真の、境橋の手前にある名前が分からない橋を渡る際、川の方を見ると濁流になっていました。

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※川の様子

境橋を渡ると大阪府です。帰ってきました。「大阪府だぴょーん!」と一人心のなかで呟きながら境を越えました。元ネタはテレビ東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」です。

さらに10分ほど進むと、右側の山に滝ができていました。案内板等もありませんので、おそらく一時的なものだと思いますが。

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※幅員減少の滝

この滝から100メートルほど進むと歩道が復活します。しかしあまりにも利用者がいないからか、苔が生えています。

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※歩道に生えている苔

大量に青海苔をこぼしたわけではありません。ここで16時36分になっていました。

そろそろ「山中渓駅」かな?と思い期待しながら歩きます。飲み物をそこそこ飲んでしまっており、補充したかったのです。和歌山県のマップには自動販売機の場所まで書かれていますが、この区間は「山中渓駅」までありません。

関所跡の前を16時40分に通過し、程なく「山中渓駅」に到着しました。駅前に2軒ほど商店があり、自動販売機があります。ポカリスエットは売っていなかったので、よく分からないスポーツドリンクを買いました。120円だったでしょうか。とにかく安かったです。駅の券売機のところで THERMOS に移し替えます。しかしゴミ箱がなかったため、空のペットボトルを手に持って歩くことになりました。雨は小止みになっていたので、折り畳み傘をたたんでリュックに入れ、ペットボトルを持ちながら歩きます。

駅からすぐに山中宿です。ここで16時45分でした。

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※山中宿入口

雨もほとんど降っていないので行きにスルーしてしまった山中神社に寄っておくことにしました。石畳みに入っていきます。

するとやはり雨の関係でしょうか、行きは雨対策で必死だったので見落としていたものが、帰りはスイスイと見つかります。

本陣跡の説明板はすでに載せましたね。旅籠「とうふや」跡も発見しました。これは山中渓住民センターの左手前です。

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※旅籠「とうふや」跡

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※旅籠「とうふや」跡説明板

説明板によると「とうふや」とはいうものの、豆腐とは無関係のようです。

そこから少し歩くと、こんな感じのところに出ます。左奥の立派な庇のあるお宅が、私がレインポンチョを着用させてもらったところです。

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※街道沿いの立派なお屋敷

実は、そのお屋敷が旧庄屋屋敷でした。行きはこの説明板にもまったく気づきませんでした。

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※旧庄屋屋敷説明板

この庄屋屋敷手前に右に入っていけるところがあります。その入口に山中神社の説明板がありました。

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※山中神社入口

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※山中神社説明板

やはり馬目王子がお祀りされているようです。行ってみましょう。

奥に進むと、鳥居が出てきました。

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※山中神社鳥居

ここでちょっと注意事項があります。この鳥居の右側手前の家で犬を飼っていらっしゃるのですが、外で放し飼いのような感じになっています。中型の猟犬のようなタイプで、結構気性が荒いかもしれません。私が鳥居に近づくとバウバウ吠えて飛び跳ねていました。下手をすると柵を飛び越えて出てきそうな勢いでした。

しかし私は幸いにも慌てることなく、一瞥をくれただけで無視して神社の方へ進みました。犬もどうやら自分の縄張りを荒らすヤツではないと認識したのか、その後は吠えられることはありませんでした。

ただ、犬が怖い方は要注意です。キャーとか言って走って逃げると、追いかけてくる可能性があります。肉食系の動物は背中を向けて逃げるものを追いかける習性がありますから、気をつけましょう。山で熊に遭ったときも同じですよ!

山中神社の由来記です。

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※山中神社由来記

境内がせまいせいか馬目王子社もかわいらしい感じでした。

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※馬目王子社

さあ、これで見るべきものは見たように思います。戻りましょう。

と思って出発するとすぐ、左側の2軒目くらいに下の石碑が立っていました。

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※八王子社観音堂の石碑

観音さまというのは本当にいろいろなところでお祀りされていますね。しかしお堂自体は民家の敷地にある感じだったので、中には入りませんでした。

ここからは山中宿の出口はすぐです。ちょうど出口のところに自動販売機があり、ゴミも捨てられるようになっていましたので、ペットボトルを捨てさせてもらいました。

ゴールはもうそんなに遠くありません。スタスタと歩いていきましょう。

しばらく歩いていると、後ろからやってきた自転車に乗っていた、小学校中学年くらいの女の子が「こんにちは!」と挨拶をしてくれました。後ろからで不意打ちだったので、ちょっとびっくりしてしまいましたが、こちらも大きな声で挨拶をしました。あっという間に遠ざかっていったからです。

それにしても、後ろ姿からでも私の人徳がにじみ出ていたのでしょうかね。なぜか男の子から挨拶されることはなく、女の子から挨拶されますね。

しばらく歩いて、馬目王子跡前を通過します。17時2分でした。

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※帰路の馬目王子跡

この辺から住宅地になってきます。帰ってきたなあ、という感じがしますね。

17時16分、波太神社遙拝の鳥居に到着です。

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※波太神社遙拝の鳥居

距離が短かったこともあり、今までで一番早いゴールでした。

このまま駐車場に戻り、車に乗って家路に着きます。初めは岸和田SAで何か食べて帰ろうかと思ったのですが、途中で考えを改め、何か買って帰ることにしました。そこで思いついたのが、柿の葉寿司です。和歌山や奈良の紀の川沿いの地域のご馳走と言えば、柿の葉寿司なのです。

岸和田SAに17時45分ごろに到着し、トイレに寄ってからお店を物色すると……。ありました。柿の葉すし本舗たなかの、たなかの柿の葉すし*2です。私はサバとサケの2種詰合せ7個入りのものを買いました。

この柿の葉すし、私も和歌山に住むまでは存在すら知らなかったのですが、和歌山に住み始めてから大好きになった食べ物です。お酢の利いたすし飯とサバの相性が抜群で、一口サイズで食べやすく、夏場の食欲がないときにはもってこいの食べ物です。また、常温で保存できるところも長所ですよね。

「寿司を常温で保存?」というところに疑問を感じられる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、現在我々が想像するお寿司はいわゆる江戸前寿司であり、江戸湾で採れた新鮮な魚を寿司として握って食べる、というファストフードだったのです。

一方、関西のお寿司はサバ寿司など、「ハレ」の日に食べるご馳走でした。しかし、紀の川沿いの山地では普通のサバ寿司では保存が効かないため、食べることができません。そこで、保存ができるように殺菌作用のある柿の葉を使った、柿の葉すしというものが考え出されたのです。

まあ、百読は一食にしかずですので、ぜひ一度皆さんもご賞味ください。

おまけで、岸和田SAに停まっていた面白い車をご紹介しましょう。

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※キリンのクレーン車

絶対に子どもが喜ぶと思います。

近畿道の摂津北IC付近が混んでいたので、帰宅は19時ごろになってしまいました。お腹も空いていましたが、この日は結構雨にも降られていたので、先にお風呂に入ることにしました。靴下を脱いで足を見てみると、3つほどマメができていました。うーん、今まで本格的なマメはできたことがなかったのですが……。靴まで濡れてしまっていたので、足はお風呂に何時間も入ったようにふやけてしまっています。どうやらそれが原因のようです。

いかにしてマメを作らないようにするか、それが今後の課題ですね。しかし、翌日には勝手につぶれており、特に痛みもありませんでしたので、杞憂だったようです。何はともあれ、大事に至らずよかったです。

次回はいよいよ和歌山県内、紀伊の国がメインとなります。

皆さんも、ぜひ街道歩きに挑戦してみてください!

熊野街道 南近義神社~波太神社遙拝の鳥居 ◁ 熊野街道 波太神社遙拝の鳥居~力侍神社