※花山院菩提寺花山法皇殿
西国三十三所の番外札所の三ヶ寺目は、東光山とうこうざん花山院菩提寺かざんいんぼだいじです。西国三十三所札所会のホームページでは番外札所についてとくに説明がありませんが、札所会推薦の納経帳にはあらかじめ番外札所のページが設けられています。いつごろから番外札所とされたのかははっきりとは分かりませんが、西国三十三所の中興とされる花山法皇かざんほうおうのご廟があるお寺であり、二十四番札所の中山寺と二十五番札所の播州清水寺のほぼ中間にあることから、あわせてお参りする人も増え、番外札所となったのでしょう。
花山院菩提寺の巡礼情報
花山院菩提寺は、兵庫県三田市の山中にあるお寺です。花山法皇が晩年をこの地で過ごされたことから、菩提寺となりました。麓には花山法皇を追ってきた女官たちが尼となった暮らしたということで、尼寺という地名が残っています。
花山院菩提寺の縁起
花山院菩提寺の成立縁起は、花山院菩提寺のホームページに簡単に記載されています。
www.kazanin.jp(2021.6.16閲覧)
ただ、「※当山の由緒を詳しく知りたい→由緒pdf もっと詳しく探求したい方は当山縁起書お求め下さい。」と書いてあるのですが、ちょっと力不足で由緒pdfがどこにあるのか発見できませんでした。また、縁起書は購入していませんでしたので、残念ながら詳しい縁起は分かりません。
ですので、分かる範囲で簡単に書かせていただきます。
まず、お寺の創建ですが、これは花山法皇ではありません。実はかなり古い時代にさかのぼり、孝徳天皇の白雉2(651)年、法道仙人なる人物が創建したことになっています。
この法道仙人ですが、兵庫県立歴史博物館のホームページ*1によると、推古天皇の時代にインドからやってきたとされる人物で、鉄の宝鉢を持っていたことから空鉢仙人からはちせんにんとも呼ばれたかなり伝説的な人物のようです。
4世紀か5世紀ごろに一番札所の青岸渡寺を開いたとされる裸形上人ですら仏教徒らしく「上人」と呼ばれているのに、「仙人」と呼ばれているので余計に胡散臭さが増します。
しかし、彼が開いたとされるお寺は播磨国には数多く、兵庫県下には110もあると言われているそうですので、相当信奉されていた人物であることは間違いありません。代表的なお寺としては、西国三十三所の二十六番札所である法華山ほっけさん一乗寺いちじょうじが挙げられる、ということでした。
その後、西国三十三所の巡礼を終えられた花山法皇が余生を過ごすところとしてこのお寺を選ばれ、寺号も花山院菩提寺と呼ばれるようになり、西国三十三所の番外札所となったのでした。三田市のホームページ*2によると、戦国時代の古文書にはすでに菩提寺という名前が見えるようですが、番外札所として位置づけられるようになったのは江戸時代後半以降のことではないかと考えられているそうです。
花山院菩提寺の見所
花山院菩提寺の見所をご紹介します。
山門
※山門
山門です。左右を金剛力士像がお守りしています。
花山法皇殿(本堂)
※花山法皇殿
二つある本堂のうちの一つで、花山法皇をお祀りしています。西国三十三所番外札所としては、こちらが本堂になります。
薬師堂(本堂)
※薬師堂
二つある本堂のうちの一つで、薬師如来をお祀りしています。西国薬師四十九霊場第21番札所としては、こちらが本堂になります。
幸福しあわせの七地蔵
※幸福の七地蔵の一つ賢者地蔵
家庭から幸福になり、さらには自分も世の中も幸福になるように願う地蔵尊です。それぞれのお地蔵さまが差し出されている救いの御手を両手でしっかりと握り、「お力」を頂戴することが求められます。七地蔵とは祖父(舅)地蔵、祖母(姑)地蔵、父(夫)地蔵、母(妻)地蔵、子供地蔵、結び地蔵、賢者地蔵の七つです。
花山法皇御廟所
※花山法皇御廟所
花山法皇のご廟所です。ご陵は京都市の紙屋上陵ですが、この地で晩年を過ごされた花山法皇の菩提を弔うために建立されました。
荒神堂
※荒神堂
仏法の守護神である三宝荒神をお祀りしています。
鐘つき堂
※鐘つき堂
鐘楼です。
不動堂
※不動堂
不動明王をお祀りしています。
花山院菩提寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられていますが、番外札所はそうとは限らないようです。
ありまふじ ふもとのきりは うみににて
なみかときけば おののまつかぜ
(有馬富士 ふもとの霧は 海に似て
波かときけば 小野の松風)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*3によります。
当寺花山院のある阿弥陀が峰の西には、霊峰富士山さながらの山容をした端麗な山があり、有馬に近いところから、昔より有馬富士と呼ばれてきました。そこで御詠歌の心に迫ってみましょう。
「早朝起きいでて、花山院の門辺に立ちて、向こうの方、有馬富士を眺めると、麓に立ち込めている霧は海のようにも見え、小野の里より吹き上げてくる風の、松の梢を渡る音は、有馬富士に打ち寄せる波音のようにも聞こえるよ」
という光景が詠まれています。
観音さまのお住まいになる補陀洛山は海の彼方にあるとされ、そこから那智の補陀洛山寺の補陀落渡海の伝説が生まれました。それと合わせて考えると、有馬富士が霧の中に浮かび上がっている様子は、まさに海中に補陀洛山がそびえ立っているような、そんな印象を与えたことでしょう。小野は地名で、松がたくさん植えられていたのかもしれません。
花山院菩提寺のアクセス
花山院菩提寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
www.kazanin.jp(2021.6.16閲覧)
公共交通機関
JR「三田駅」から神姫バス「乙原バレイ」行に乗車、「花山院」下車徒歩約25分(「三田駅」から約40分)。
お車
中国自動車道「神戸三田IC」から北東へ約25分。
駐車場あり。約20台。参道通行料(参道維持費)として500円。
花山院菩提寺データ
ご本尊 :薬師如来
宗派 :真言宗
霊場 :西国三十三所 番外札所
西国薬師四十九霊場 第21番
所在地 :〒669-1505 兵庫県三田市尼寺352番地
電話番号:079-566-0125
拝観時間:9:00~17:00(3月~10月)
9:00~16:30(11月~2月)
拝観料 :無料
花山院菩提寺の境内案内図
下記サイトに案内図があります。
www.kazanin.jp(2021.6.16閲覧)
第二十四番 中山寺 ◁ 番外 花山院菩提寺 ▷ 第二十五番 播州清水寺
南坊の巡礼記「花山院菩提寺」(2021.4.22)
中山寺を打ち終えた後、JR「中山寺駅」でスタンプをもらってから花山院菩提寺を目指します。はじめは裏道で山越えと思っていましたが、少し手間取ってしまったので国道176号線をひた走ることにしました。だいたい中国自動車道に沿っていますが、まあ少しお金をケチることにしたのです。
1時間程度走ると、花山院菩提寺へ登っていく山道の入口まで着きました。お寺の標高は400メートルくらいあるそうですので、ここからは結構登っていく感じでした。あくまで体感ですが、40度くらいの斜度があったと思います(※個人の感想です)。大きなバスは入っていけないようで、団体の方々はここでマイクロバスに乗り換えるようです。ホームページでは下から徒歩25分でお寺まで着くと書いてありましたが、かなりしんどいと思います。14時35分ごろ、花山院菩提寺に到着です。
車は2~3台停まっていたと思います。私と入れ替わりで帰ろうとされていた40代くらいの女性の2人組は、中山寺でもお見かけしたように思います。
※山門
駐車場は山門のすぐ脇にありますので、車で参拝する場合は、かなり楽です。
※山門をくぐってすぐの様子
しかし山門をくぐると、石段を登っていく必要があります。それほど高くはないですが。
※境内の様子
石段を登っていくと、まず伽藍の東側ゾーン(右側)の方に目がいきます。左手前に花山法皇殿、奥には薬師堂です。
境内には、年配の男女の4人連れの方がいらっしゃいました。お話の感じでは、ご兄弟の方もいらっしゃったような印象でした。彼らがお寺の方と少しお話されていました。紅葉の季節がどうとかいうお話をされていたと思います。
私は順番に参拝していきます。
※薬師堂内陣
花山法皇殿と薬師堂は両方とも中に入ることができました。ただ、小さな建物ですので、人数は入れません。
薬師堂のさらに奥に幸福の七地蔵があります。
※幸福の七地蔵説明碑
七地蔵の全景の写真を撮っていませんでしたので、代表して父(夫)地蔵だけ載せさせていただきます。父は厳しい顔をしておられます。
※父(夫)地蔵
そしてこれらの南側には花山法皇のご廟所がありました。
※花山法皇ご廟所
ここは階段を登り、ぐるっと回って南側に行けます。西側に説明板がありました。
※花山法皇ご廟所説明板
うーん、かすれていて読みにくいですね。というか、読めないところもあります。三田市が作ったようですが、金属製のものに変えて欲しいですね。
※花山法皇ご廟
上の宝篋印塔が花山法皇の慰霊のためのものとされているようです。しかし天皇のご陵墓に近い存在であるにも関わらず、かなり簡素なものだと言えます。賀名生で見た北畠親房の墓所を思い出しました。
東側ゾーンはこれで終わりで、階段からの西側ゾーンへ進みます。途中に荒神堂などがありましたが、そこは軽く済ませて納経所へ向かいます。
※寺務所入口
納経所はこの寺務所の中にあるようです。
※不動堂
こちらには鐘楼や不動堂がありました。それよりも、スゴイのは景色です。
「ひょうごの景観ビューポイント150選」に入っているようですが、実際に景色はとても素晴らしいです。
※有馬富士
真ん中の黒っぽい山が有馬富士です。これが雲海から顔を出していたら、ものすごく幻想的な風景に見えるでしょう。11月末から12月にかけての早朝に雲海が見えることがあるようです。
納経所では、先程の4人がまだいらっしゃり、いろいろとご住職の方とお話しておられました。巡礼のことなどを教えていただいておられたようです。また、掛け軸と納経帳と両方ご朱印をいただいておられたので、少し待つ感じになりました。そして私が待っている間に結構並ぶ人が増えてきました。MAX5~6人くらいでしょうか。年齢、性別も様々でしたが、私より少し若いくらいのお坊さまらしき方や、ゴシックロリータ風の服装をした若い女性など、比較的若い方が多かったと思います。 ご朱印ブームは本物ですね。
ご住職は割とお話好きな方らしく、私にもいろいろ話しかけてくださいました。東京でコロナの1日の新規感染者が1,000人を超えたことなどを教えてくださいましたが、このころは3度目の緊急事態宣言が出るか出ないか言われ始めていたときでしたから、関心が高い話題でしたよね。
ご朱印では、「花山法皇殿」と書いてくださっていました。西国三十三所の番外として来た場合はそうなるのでしょう。薬師霊場として回った場合には薬師堂と書かれるのだと思います。
ご朱印も無事にいただけたので15時過ぎには出発し、家路に着きました。帰りはさすがに中国自動車道を通り、帰ります。高速を使うとあっという間ですね。
花山院菩提寺は花山法皇が隠棲の地として選んだだけあって、言葉が適切かどうか分かりませんが、鄙びた静かな山寺でした。有馬富士の絶景も拝めますし、季節ごとにいろいろな表情が楽しめるのでしょう。
というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「中山寺」(2021.4.22) ◁ 南坊の巡礼記「花山院菩提寺」(2021.4.22)
南坊の巡礼記「花山院菩提寺」(2021.4.22) ▷ 南坊の巡礼記「播州清水寺」(2021.4.23)
最終更新:2021.6.17
*1:兵庫県立歴史博物館ホームページ「デジタルミュージアム」2021.6.16閲覧
*2:三田市ホームページ「三田市史だより(2010年3月1日号)」2021.6.16閲覧
*3:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)