西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 番外札所って何? お礼参りとは?

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高野山金剛峯寺

 

西国三十三所には三十三所にはカウントしないながらも、大変所縁が深いことから番外の札所とされているお寺が三つあります。それらは番外札所とよばれ、それぞれ西国三十三所の観音巡礼の起源に深いかかわりがあります。

また、西国三十三所を巡り終わったあと、お礼参りに行く方もいらっしゃると思いますが、お礼参りはどのお寺に行けばよいのでしょうか。

ここでは、番外札所お礼参りについて説明していきます。

西国三十三所 番外札所・お礼参りについて

西国三十三所というくらいですから、三十三所も回らないといけないうえに、さらに番外札所が三つもあるなんて、大変だなあと思う方もいらっしゃるかもしれません。

また、そのうえにお礼参りもあるなんて……。ちなみにお礼参りといっても、卒業式後にムカツク先生を体育館裏に呼び出して云々、というものではありません(当然ですね)。無事に三十三所の札所を回ることができました、ありがとうございました、という感謝の念を申し上げるのがお礼参りです。ですから、実は最後の札所でお礼を申し上げていればそれで問題ありませんし、究極的には、毎回札所ごとにお礼を申し上げていれば何の問題もありません。しかし、一応広く伝わっている番外札所お礼参りについて説明していきます。

番外札所

それでは、番外札所を順にご紹介していきましょう。なお、番外札所は西国三十三所札所会から公式に認められているわけではありませんが、西国三十三所札所会が推薦する納経帳には、それらのお寺のページがあらかじめ用意されています

奈良県の番外札所

番外 豊山ぶざん 法起院ほうきいん

西国三十三所の観音巡礼を始めた長谷寺徳道上人が、晩年に暮らしたお寺です。伝承では、法起菩薩になって遷化したとされています。

最寄りの札所である長谷寺から徒歩6分のところにあります。 

京都府の番外札所

番外 華頂山かちょうざん 元慶寺がんけいじ

西国三十三所を再興した花山法皇が天皇から出家されたお寺です。

最寄りの札所である清水寺から徒歩1時間弱です。

兵庫県の番外札所

番外 東光山とうこうざん 花山院かざんいん(菩提寺ぼだいじ

西国三十三所を再興した花山法皇が、京都に戻るまでの晩年を過ごしたお寺です。

徒歩圏内には札所はなく、播州清水寺から何と5時間弱かかってしまいます。

番外札所に入れてもよさそうな寺院

補陀洛山寺ふだらくさんじ

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※写真は補陀落山寺本堂

西国三十三所の歴史の項でも述べましたが、青岸渡寺と一体的なお寺です。熊野三社権現熊野那智大社飛瀧神社などとともに那智山を構成しており、不可分な関係です。現在は那智山にもかなり人界が進出してしまい、青岸渡寺補陀洛山寺との間に侵入してしまっていることから、関係性が薄れているように思えますが、実際はそんなことはありません。札所の零番としてもよいくらいの、西国三十三所とも所縁の深いお寺だと思います。

 

叡福寺えいふくじ

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※写真は叡福寺 左が本堂

花山法皇が出家されて得度を受けようとされた際、『中山寺由来記』によれば「河州石川寺」の佛眼上人から受戒されたとされています。その「石川寺」にあたるのがこの叡福寺です。言わば西国三十三所の再興の地であり、番外札所に定められていても何ら不思議はない、むしろ定めた方がいいのではないか、というお寺です。聖徳太子の御廟もあることから、人生で一度は参拝する価値のあるお寺だと思います。

お礼参り

実は、上に挙げた三つの寺院以外にも、番外とされている寺院がいくつかあります。そして、それらはいわゆるお礼参りと密接にかかわっています。

ここでは、自ら番外札所と名乗っている(札所と言わずに番外とだけ名乗っている場合を含む)寺院、およびとくに自らは名乗っていない寺院を紹介します。

番外札所と名乗っている寺院

番外札所 信州しんしゅう 善光寺ぜんこうじ

古来「一生に一度は善光寺参り」「牛に引かれて善光寺参り」などとうたわれた、中日本一の名刹です。ホームページでは、自ら西国三十三観音霊場の番外札所と名乗っています。また、坂東三十三観音霊場秩父三十三(三十四)観音霊場番外札所とも名乗っており、いわゆる百観音お礼参りのお寺ともされています。

ただ、これも多くの碩学が分析されているとおり、巡礼者が伊勢参りから西国三十三所の第一番札所である那智山に赴き、三十三所の最後の札所である華厳寺まで巡礼するとそのまま中山道を通って関東まで戻るのが自然な道順となってくることから、その流れで善光寺にてお礼参りをするという運びになったと考えられます。また、善光寺のご本尊は阿弥陀如来であり、観音さまが宝冠の上に戴いておられる仏さまであることも、観音霊場との親和性の高さをうかがうことができ、お礼参りのお寺としてふさわしかったと考えられます。

ですから、関西の人間がわざわざ無理してまで善光寺お礼参りに行く必要はありません。

番外と名乗っている寺院

番外 比叡山ひえいざん 延暦寺えんりゃくじ

言わずと知れた日本の仏教の総本山、比叡山延暦寺です。ホームページでは、根本中堂を西国三十三所の番外と定めています。

西国三十三所の札所のうち、8か寺が天台宗であり、さらに6か寺が天台宗系ですから、西国三十三所の札所内での有力派閥が天台宗です。京都近郊の人間が西国三十三所の巡礼に出発した場合、華厳寺を回ってから京都に戻ってくるとするとほぼ通り道に比叡山延暦寺は存在します。お礼参りの場所として、これほどふさわしいお寺はないのではないでしょうか。

 

番外 四天王寺してんのうじ

聖徳太子が創建したと伝わるお寺で、日本最初の官寺とされています。ホームページでは、金堂を西国三十三所の番外と定めています。

西国三十三所の札所のうち、十八番六角堂 頂法寺、二十四番中山寺、三十一番長命寺、三十二番観音正寺の4か寺は聖徳太子が開基と伝えられています。その聖徳太子が創建した最初の官寺とされていることから、四天王寺も畿内における有力なお寺の一つです。大阪の人間が西国三十三所に出発した場合、華厳寺から尾張方面へ出て海路で戻ってきたとすると、四天王寺あたりへ出てくることになります。やはりお礼参りのお寺としてふさわしいと言えるでしょう。

番外になっていない寺院

番外にはなっていませんが、昔からお礼参りのお寺とされてきた寺院が二つあります。

 

高野山こうやさん 金剛峯寺こんごうぶじ

弘法大師がひらいたお寺であり、多くの日本人がこの地に墓所を建てることを願ってきました。実際に戦国武将の多くのお墓が存在しています。

高野山金剛峯寺として、ホームページで公式に西国三十三所の番外等を名乗っていませんが、お礼参りよりはむしろ発願のお寺としてふさわしいように思います。

関西の人間がお伊勢参りをせずに那智山に赴く場合、高野山から本宮を経て行く(いわゆる「小辺路」)のが自然なルートです。それゆえ、昔から西国三十三所とあわせて参拝する巡礼者が多かったのでしょう。こういった経緯から、お礼参りのお寺となったのではないでしょうか。

 

東大寺とうだいじ 二月堂にがつどう

東大寺も日本では歴史あるお寺の一つです。有名なお水取りが行われるのが、この二月堂です。本尊は大観音、小観音と呼ばれる二体の十一面観音像で、絶対秘仏となっています。

関東の人間が仮に札所を順番通りに回らなかったとすると、奈良や大阪南部で巡礼を終えることになると思われます。仮に船で帰るとするならば、お礼参りもこの辺で、ということになるでしょう。ついでに大仏さまでも見ていくか、ということになるのも自然な流れだと思われます。こうして観音さまを祀っている二月堂お礼参りの対象となったのでしょう。

最後に

いかがでしたでしょうか。西国三十三所の番外札所お礼参りについてお分かりいただけたでしょうか。これは三十三所も含めてではありますが、すべて「絶対に行かなければならない」というわけではありません。あくまで信仰の問題ですから、行きたい人は行けばよいですし、物理的に困難ならば無理をしてまで行く必要はない、ということです。

ですから、杓子定規に考えるのではなく、柔軟に考えてもらいたいと思います。

というわけで皆さん! Let's start the Pilgrimage West!

 

最終更新:2021.5.27