西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

街道を行くぞ!第4弾 熊野街道 等乃伎神社~南近義神社

f:id:nanbo-takayama:20210612085654j:plain

南近義神社

お待っとさんでございました!(※キンキン風。これが分かる方はおそらくオーバー40)

街道を行くぞ!第4弾、2021年6月11日に行ってきました!

前週の金曜日は雨でしたので、1週パスしてしまっていましたが、2週間ぶりに行ってまいりました。前日までかなりの暑さでしたが、この日は比較的涼しい一日だったと思います。それでも家に帰って見てみると、ヤバイくらい日焼けしていました。まだ夏は始まったばかりですが、こんな感じで日本は大丈夫なのでしょうか。

今回も正確な距離ではありませんが、 Googleマップでポイントをチェックして距離を確認したところ、片道何と17.3kmでした! 帰りは少しだけルートを最適化しましたが、往復で34kmは歩いていると思います。時間は休憩をあわせて今回もおよそ9時間半となりました。スマホのアプリでは53,461歩でした。前回よりは少し長くなっています。実は実際の出発地点は等乃伎神社ではなく、少し離れたOnePark上という駐車場だったので、Googleマップでの距離よりも往復で1.4km近く増えることになるからでしょう。

また、前々回から導入したASUS VivoWatch BP(HC-A04)によると距離は37.94km、歩数は54,825歩、消費カロリーは5,220kcalという結果で、これも前回よりも多かったことを裏づけています。

熊野街道 等乃伎神社とのきじんじゃから南近義神社みなみこぎじんじゃまで

熊野街道に関しては、大阪府のホームページ「歴史街道ウォーキングマップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。

www.pref.osaka.lg.jp(2021.6.12閲覧)

上記サイトからマップをダウンロードしていただき、参考にしていただければ、街道歩きがスムーズに運ぶことでしょう。

私はさらに、山と渓谷社から出ている『世界遺産の参詣道をめぐる旅 特選10コース&完全踏破 熊野古道を歩く旅』(※以下、『熊野古道を歩く旅』を参考にさせていただきました。

www.yamakei.co.jp(2021.6.12閲覧)

今回も中断地点まで車で移動します。8時ちょうどくらいに出発し、「摂津北IC」から近畿道に乗り、「堺JCT」で堺泉北有料道路に乗り換え、9時過ぎにOnePark上に到着しました。24時間最大500円は魅力的です。ここから西に700メートルほど歩き、等乃伎神社から旅の再開です。

熊野街道 等乃伎神社から平松王子まで

等乃伎神社を9時18分に出発し、平松王子には10時14分に到着していました。Googleマップよりだいぶ時間が経ってしまっていますが、実は等乃伎神社から府道30号大阪和泉泉南線に出るまでに少し道に迷ってしまい、時間が余計にかかってしまったからだと思います。

前回の旅の終わりにリサーチしていたのが、OnePark上という駐車場でした。その周辺にはどうやらトイレがなさそうだったので、駐車場までの途中にあったセブンイレブン高石取石7丁目店でトイレをお借りしました。ついでに、ドライバーズ手袋という白手袋を購入しました。実は紫外線の影響か指にひび割れ等ができており、悪化を防ごうと思ったのです。できれば滑り止め付がよかったのですが、ここには売っていませんでした。また、コーナンなどで探してみようと思います。ちなみにお値段は207円です。

OnePark上に車を停め、住宅街を西に向かいます。等乃伎神社には9時15分に到着しました。

f:id:nanbo-takayama:20210612102745j:plain

※等乃伎神社説明板

と、ここで衝撃的な事実が判明しました。今まで、Googleマップの読み方に従って「とのぎじんじゃ」と読んできましたが、正しくは「とのきじんじゃ」だそうです。

うーん、しかしこれはなかなか難しい問題で……。古文では濁点を使用していませんので、濁るのか濁らないのかは区別ができないんですよね。例えば、西国三十三所の札所会の公式ホームページのURLは https://www.saikoku33.gr.jp/ ですから、「さいこくさんじゅうさんしょ」と読むのを正しいとされているように思いますが、これも実は「さいごくさんじゅうさんしょ」と読むのが正しいのではないのかと個人的には思い始めています。ご詠歌のCDでは歌い手の方がはっきりと「さいごく」と発音されていますし、「さいごく」「さいごく」と人口に膾炙していることを考えると、表記は「さいこく」でも発音は「さいごく」とするのが正しいように思います。

余談が長くなりましたが、本殿で旅の無事をお祈りし、出発します。ここは賽銭箱の前にお参りに立つと、雅楽のプアーという音が聞こえてくるという仕掛けがしてあります。

f:id:nanbo-takayama:20210612104503j:plain

※等乃伎神社本殿

西側入口から入ったので、正規の南側の鳥居から出ます。

f:id:nanbo-takayama:20210612104643j:plain

※祓岩

おっと、正しい参拝方法は、この祓岩はらいいわで穢けがれをお祓いすべきだったようです。

f:id:nanbo-takayama:20210612104819j:plain

※等乃伎神社鳥居

最後に、振り返って鳥居の写真を撮りました。いよいよ出発です。鳥居のすぐ近くには、地車だんじりの倉庫があります。

f:id:nanbo-takayama:20210612104926j:plain

※富木地区の地車の倉庫

ちなみに左上に写っているのは心霊ではなく、白手袋をつけた私の指です。

ここから少し南に行くと、薬師堂があります。

f:id:nanbo-takayama:20210612105324j:plain

※富木薬師堂

今は独立していますが、昔はこの辺も神社の境内だったのかもしれません。

ここから府道30号線に出るまでに、道に迷ってしまいました。神社の外周を進んでいくべきところを、南に向かっているつもりでそのまま西の方に進んでしまったんですね。ちょうど民家の工事もやっていたので、そちらに気をとられてしまった、というのもあります。しかし、その工事現場の前を2回も通る羽目になってしまったので、変な人だと思われたことでしょう。

結局、「富木」交差点から西に200メートルほど行ったところに出てしまい、戻る形になってしまいました。まあ、仕方がありません。しかしこの辺の道は結構入り組んでいてダンジョンのようになっているので要注意です。

気を取り直して、再開です。「富木」交差点からは、府道30号大阪和泉泉南線を南下します。ウォーキングマップでは「富木南」交差点で斜め左に行くことになっていますが、「富木南」という交差点名は掲げられていません。要は、一つ南の、信号のある交差点を斜め左に入っていきましょう。ここですでに9時29分になっています。

f:id:nanbo-takayama:20210612110256j:plain

※「富木」の一つ南の交差点

見えている煙突は泉北クリーンセンターのものです。いい目印になりますね。

そのまましばらく南下します。「クリーンセンター前」という交差点を過ぎると、次の交差点を過ぎたところで斜め右に入っていく道が出てきます。この時点で9時36分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210612110716j:plain

※街道への入口

上の写真の右側が熊野街道になります。この辺では、小栗街道という呼称もよく使われています。

ここから先はかなり街道の雰囲気が漂う道となります。しばらく進むと、古い石の欄干が使われている四ッ橋です。9時38分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612111127j:plain

※四ッ橋

さらに進むと、建立が新しいと思うのですが、「嶋田直栄生誕の地」と書かれた石碑が出てきました。

f:id:nanbo-takayama:20210612112058j:plain

※「嶋田直栄生誕の地」の石碑

誰?という感じですが、少し調べると嶋田安治郎という名前で知られている教育者の方だということが分かりました。すごく真面目な先生だったそうで、親や師匠を大事にした方のようです。ここで9時40分でした。

さらに南下すると、朝に車で通った堺泉北有料道路が見えてきました。

f:id:nanbo-takayama:20210612112240j:plain

※堺泉北有料道路の高架

下は府道36号泉大津美原線になっていますが、その交差点にはこのタイプの案内板がありました。

f:id:nanbo-takayama:20210612112512j:plain

※交差点にある熊野街道案内板

かなり風化してしまっています。ここで9時41分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210612125041j:plain

※木の道標

南側には木の道標もありました。第2弾のときに訪れた八軒屋から7里(約28km)も来たんですね……。思えば遠くへ来たもんだ。

ここから先は街道らしい立派な家がたくさん並んでいます。

f:id:nanbo-takayama:20210612125534j:plain

※街道沿いの家並み 立派な松の木が植えられている

少し進むと、右手に立派な蔵のような建物がありました。井阪硝子製作所と書いてあります。時刻は9時48分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210612125645j:plain

※井阪硝子製作所

150メートルほど進むと、右手に光受寺がありました。

f:id:nanbo-takayama:20210612130042j:plain

※光受寺

光受寺のすぐ先の左側には、太町地車車庫がありました。やはり和泉の国は地車の国ですね。この時点で9時56分になっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210612130629j:plain

※太町地車車庫

さらに200メートルほど進むと、左側に中央寺が出てきました。雰囲気のあるお寺です。

f:id:nanbo-takayama:20210612130851j:plain

※中央寺

そこからすぐに聖神社一の鳥居に到着です。

f:id:nanbo-takayama:20210612131225j:plain

※聖神社一の鳥居

神社まではここからさらに10分以上歩かなければいけないらしく、今回はパスします。ウォーキングマップによると、この一つ南の路地に篠田王子があるようです。

f:id:nanbo-takayama:20210612132417j:plain

※篠田王子跡への案内板

左のレンガ造りのお宅の塀に、篠田王子跡への案内板がひっそりと出ています。本当に細い路地で、こんなところにあるのか?と疑いたくなるくらいです。しかも、レンガ造りのお宅の裏のお宅では、侵入者除けのセンサーがあって、近くを通ると反応するようになっています。ちょっとビビりました。

奥へ進むと、ありました。石碑の字体が特徴的な、篠田王子跡です。9時59分になっています。

f:id:nanbo-takayama:20210612131903j:plain

※篠田王子跡

f:id:nanbo-takayama:20210612132126j:plain

※篠田王子跡説明板

もともとこの地に祀られていた熊野権現は、今では信太森葛葉稲荷神社に合祀されているようです。

元の道に戻り、そのまま南下を続けていくと、右側に小栗地蔵、続けて八阪神社が出てきます。

f:id:nanbo-takayama:20210612133232j:plain

※小栗地蔵

f:id:nanbo-takayama:20210613145619j:plain

※八阪神社 帰りに南側から撮影

八阪神社で10時3分になっています。この神社の左側に永尾緑地がありますが、ここの入口に小栗判官の笠かけ松照手姫てるてひめの腰かけ石がありました。写真の松と石がそうだと思います。

f:id:nanbo-takayama:20210612133722j:plain

※永尾緑地入口

f:id:nanbo-takayama:20210612133829j:plain

※笠かけ松と腰かけ石の説明板

こういうものは、最初に誰かがいちびって「小栗判官が笠かけたんやで」とか、「照手姫がお座りになったんや」とか言い出すんでしょうね。純粋な子どもたちがそれを信じて子や孫に伝え、いつしか歴史となっていくという……。

その伝説にちなみ、和泉市が運営する公衆浴場小栗の湯もあります。温泉ではないようです。

f:id:nanbo-takayama:20210612134317j:plain

※和泉市立小栗の湯

和泉市のホームページ*1によると、何と利用料は大人250円となっています。実はこの辺は市営団地になっていて、もしかするとお風呂がついてない物件もあるのかもしれません。今時、普通の銭湯でも400円近くしますからね。市営ならではの安さですが、それには理由があるのでしょう。

f:id:nanbo-takayama:20210612135121j:plain

※熊野街道案内板

そしてこの交差点からが少しだけややこしいのですが、上の写真の案内板を右に見ながら、また、すぐ左に団地を見ながら、少し登っていくような形になります。細い街道らしい道を抜けて、また左側に団地の建物が見えてくると、左側に「明坂団長」と書かれた石碑のある公園、右側に小池之地蔵尊が出てきます。

f:id:nanbo-takayama:20210612135736j:plain

※放光池1号公園

f:id:nanbo-takayama:20210612135832j:plain

※小池之地蔵尊

この段階で10時10分ですが、ここまでくれば平松王子はもう目と鼻の先です。

f:id:nanbo-takayama:20210612140034j:plain

※平松王子跡

この平松王子跡なのですが、よく見ると「是より北北西七十米」と書かれています。よって、真の平松王子跡を探します。

大きな道を右に曲がって、下っていく感じになります。下るということは、帰りは登るということになりますので、「うわマジか……」と思いながら下っていきました。次の信号を右に曲がれば、団地内の公園のようなところに石碑が建っています。

f:id:nanbo-takayama:20210612140422j:plain

※平松王子 後鳥羽院歌碑

「平松は まだ雲ふかく 立ちにけり 明け行く鐘は なにはわたりか」と書いてあるようです。NPO法人信太の森FANクラブのホームページ*2の記述を参考にさせていただきました。

裏側にも何か書いてあるかもしれないと思い、公園の中に入りましたが、大変でした。何が大変かと言うと、全然手入れされていないんですね。和歌山時代の私の家の庭のようです。説明板もこんな感じです。

f:id:nanbo-takayama:20210612140950j:plain

※説明板

ちょっと手で避ける勇気がなかったのですが、変な虫が出てきたらイヤだなと。実は私は毛虫や芋虫の類が嫌いで、今、西国三十三所を結願してからお寺を回っていないのは、この梅雨前後の時期、山寺=毛虫が鉄板だからなのです。実際に西国三十三所の圓教寺成相寺では、かなり毛虫に悩まされました。というわけで、毛虫が出てきたら怖いので木を避けることができなかったのです。

歌碑の裏面は何とか写真に撮ることができました。ここで、10時14分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612141048j:plain

※歌碑裏面

頑張って写真に収めて道路まで戻りましたが、足がチクチクします。見てみると、何かの植物の種だと思うのですが、尖ったヤツが無数にズボン、靴下、靴についています。これがチクチクしていたわけです。慌てて必死で取り、何とか無事に歩けるようになりました。

平松王子跡から小栗橋まで 

平松王子を10時15分ごろに出発して、小栗橋を11時8分に通過しています。この辺は休憩らしい休憩はしていなかったと思うのですが、Googleマップよりも7分ほど時間がかかっていますね。 

平松王子後鳥羽院歌碑を出発して、坂を登り、元の街道に戻ります。放光池1号公園の南半分で少しだけ休憩しました。ベンチがいくつかあったのですが、日陰のところは年配の女性が占領しておられたので、日の当たるところで少しだけ休憩します。公園の南の端には、立派な石燈籠がありました。

f:id:nanbo-takayama:20210612144407j:plain

※石燈籠 白いのは私の指

f:id:nanbo-takayama:20210612144450j:plain

※石燈籠説明板

公園の南の角に当たる「伯太町4丁目」交差点は直進です。

しばらく進むと今度は前奈池1号公園が見えてきました。ここで10時26分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612144718j:plain

※前奈池1号公園(左)

この公園の南の端に交番がありますが、その交差点の東南側が陸上自衛隊信太山駐屯地になっています。

f:id:nanbo-takayama:20210612145048j:plain

※陸上自衛隊信太山駐屯地

隊員の方が守衛として立っておられますが、意外と出入りがあります。その度に敬礼しておられました。

南に向かう道はここで二又に分かれますので、右側を進みましょう。少し下っていくような形になります。街道らしい、細い道です。

そして、相変わらず街道沿いの旧家らしい立派な邸宅がところどころ現れます。もしかすると、今までの街道歩きで一番そういったお宅が多かったかもしれません。この写真は10時40分に撮影していますので、街道をだいぶ進んでいたようです。

f:id:nanbo-takayama:20210612145331j:plain

※街道沿いの邸宅

左側に道標も出てきました。

f:id:nanbo-takayama:20210612145644j:plain

※小栗街道の道標

さらに進むと、右側に泉井上神社鳥居が出てきました。写真に撮ろうと思ったのですが、不思議なことに自転車の方がやたらと入っていかれるので、正面から撮れませんでした。何か縁日でもあったのでしょうか。

f:id:nanbo-takayama:20210612150021j:plain

※泉井上神社

自転車の方々が写らないように、南側から撮影しました。ここで10時43分になっています。

そのまま南へ進むと、府道38号和泉中央線にぶち当たりました。この交差点に、例の案内板が建っています。10時48分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612150347j:plain

※熊野街道案内板

できた当時はどんな色だったのでしょうか。木の板なので、劣化も激しいですよね。

信号を渡り、そのまま真っ直ぐに進みます。また、街道らしい家もあります。

f:id:nanbo-takayama:20210612150600j:plain

※街道沿いの家

奥に見えている信号は府道30号大阪和泉泉南線との合流地点で、そこに井ノ口王子跡があります。

f:id:nanbo-takayama:20210612150801j:plain

※井ノ口王子跡

近づいてみると、お地蔵さんのお堂となっているようです。Googleマップでは地蔵御堂と書かれていますが、堂内の石碑には子宝地蔵尊と書かれていました。

f:id:nanbo-takayama:20210612150935j:plain

※地蔵御堂

ここで、10時55分でした。

そこから府道30号線の西側歩道を南下し、槇尾川にかかる柳田橋を渡ります。

f:id:nanbo-takayama:20210612151229j:plain

※槇尾川の下流を望む

ここで次の「和気」の交差点まで行ったら、府道30号線を外れて西南方面へ向かいます。ここが正確には分からないのですが、「和気」交差点から1本西側を南に入るのか、それとも「和気」交差点から1本南側を西に入るのか、定かではありませんがどちらに行ってもとりあえずお地蔵さんに着きます。11時1分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612151642j:plain

※地蔵堂

この左側の道を南下していくのが正しい小栗街道のルートのようです。なお、ウォーキングマップも『熊野古道を歩く道』も「和気」交差点からそのまま南下していますが、こちらを通って、小栗橋は絶対に行くべきです。

そのまま南下して次の西川橋を渡ると、松尾川緑道に並行して右に歩いていきましょう。

f:id:nanbo-takayama:20210612152332j:plain

※西川橋 橋を渡ったら右へ進む

しばらく進むと、松尾川に突き当たり、右側に小栗橋が見えます。

f:id:nanbo-takayama:20210612152521j:plain

※小栗橋 白いのは私の指

橋はこんな感じでとてもキレイです。

f:id:nanbo-takayama:20210612152619j:plain

※小栗橋

橋の床の上には、熊野街道の起点や和泉市内の各王子などを紹介するタイルが埋められています。

f:id:nanbo-takayama:20210612152740j:plain

※熊野街道起点のタイル

f:id:nanbo-takayama:20210612152806j:plain

※信太王子(篠田王子)のタイル

f:id:nanbo-takayama:20210612152829j:plain

※平松王子のタイル

f:id:nanbo-takayama:20210612153247j:plain

※井の口王子のタイル

f:id:nanbo-takayama:20210612152921j:plain

※熊野三山のタイル

橋を渡ると、すぐ右側に小栗街道の説明板がありました。ここで11時8分になっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210612153603j:plain

※小栗街道説明板

小栗橋から三和製作所まで

小栗橋を11時8分に通過して、三和製作所前には12時54分に到着しています。Googleマップよりも30分くらい遅いペースになっていますが、途中で昼食を食べていたので、妥当なペースだと思います。まずまず快調になってきました。

小栗橋を渡ると左側にホテルMIYUKI、右側は少し暗い雰囲気の公園となっていました。ウォーキングマップだと少し南下してから左に曲がっていく感じだったので、右か左か迷いました。しかし、左側に南へ行けそうな道らしきものが見えたので、行ってみることにしました。すると、単にホテルMIYUKIの入口でした。私にとっては外れです。なお、このホテルはいわゆる宿泊を目的としないホテルですので、ご注意ください。

戻って小田公園の外周を巡るような形で進んでいきます。公園なのに誰もいません。近くにそういうホテルがあるのと、大通りに面しておらず人通りがないからなのか、使い勝手が悪い公園になっているようです。グラウンドも、あまり整備されていませんでした。

ようやく「小田町」という交差点で、府道30号大阪和泉泉南線に合流します。ここから「作才町」という交差点までは街道というよりは普通の道路になりますので、いささか面白味に欠けます。また、車の通行量の割には歩道があったりなかったりで、少々危険も伴います。何だったら、パスしてもいい区間だと思います。

私はそろそろ昼食の心配も始めていました。このペースだと、JR「久米田駅」周辺で探すことになりそうです。ウォーキングマップに書いてある交差点、「西大路町」「西大路町南」を次々と通過します。信号で待っている間に調べると、どうやら「大町」が「久米田駅」の北側の交差点で、そこを右に曲がって国道26号線の方に進んで行くと、餃子の王将やラーメン横綱などがあるようです。池田王子のことも調べないといけないですし、そちらに行こうと思いました。

今、改めてGoogleマップをよく見ると、ここは岸和田市総合体育館の近くなんですね。昨年度は剣道部の試合の引率で何度かうかがわせていただきました。引率と言っても、私はただ着いていっただけなんですが。

というわけで「大町」の交差点を目印にズンズン南下していくと……。何と、ちょっと先にマクドナルドの看板が! 実は国道までは800メートルほど離れているので、結構遠いんですよね。正規のルート上にマクドナルドがあるなら、迷う必要はありません。11時30分ごろ、マクドナルド岸和田久米田店にお邪魔させていただきました。

中は空いているのですが、ドライブスルーの方が結構並んでいるようで、お店の方はてんやわんやしています。「少々お待ちください」と何度か言われたので待っていましたが、正直「待つ」以外にできることは何もありません。自分でレジのパネルを触るわけにはいきませんので。

平日限定のてりやきチキンフィレオバリューランチが550円で、てりやきチキンフィレオバーガーとポテトのMサイズ、飲み物のMサイズがセットになっています。私はいつもイモばっかりあんなに食べたくないので、チキンナゲットに変えてもらっています。このポテトをナゲットに変える方式は、いつから再開したのか分かりませんが、数年間はやってなかったと思うんですよね。しかし、去年久しぶりに行ってみると再開していることが分かったので、月に1回くらいはマクドナルドに行くようになりました。コロナ禍で逆に好調な飲食店の一つだと思います。もともとお酒の売り上げを当てにした業態ではありませんからね。

それだけだと足りないように思ったので、単品でチーズバーガーも一つ頼ませてもらいました。合計690円です。前回の旅で中華ランチとしての最安値を更新していた秀秀の780円よりも、さらに安い値段となっています。

12時ごろにマクドナルドを元気いっぱいに出発し、そのまま南下します。ただ、この辺は歩道がないため注意が必要です。また、とくにめぼしいものもなかったため、粛々と歩く感じになりました。そして、例によって池田王子のことはすっかり忘れてしまっていました。

額町会館の少し北側のところ、道路の左側にお地蔵さまがありました。12時8分になっています。

f:id:nanbo-takayama:20210612162900j:plain

※額町会館付近の地蔵堂

そこからすぐに、積川神社つがわじんじゃ遙拝鳥居に到着です。12時10分になっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210612163107j:plain

※積川神社遙拝鳥居

積川神社はここから6kmほど南東に行ったところにありますので、さすがに熊野詣の巡礼者たちもそこまではとても行けなかったようです。

f:id:nanbo-takayama:20210612165657j:plain

※積川神社遙拝鳥居の説明板

なお、鳥居左手前の小さな黒い石碑には、「白河上皇 後鳥羽院 遥拝旧蹟地」と書かれています。

また、その少し南の左側には、淨行寺の案内碑が建っています。

f:id:nanbo-takayama:20210612170003j:plain

※淨行寺の案内碑

「碁石山」という山号がちょっと気になります。

さらに少しだけ進んだ武井自転車店の角の用水路には、なぜか田山稲荷神社道標らしきものが刺さっています。12時14分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210612170427j:plain

※田山稲荷神社の道標?

Googleマップで調べてみると、田山稲荷神社は阪南市にあるようなので、かなり先になります。どういう経緯でここにぶっ刺さっているのでしょうか。

そのまま200メートル強進むと、下を春木川が流れる交差点に出ます。この交差点には名前が着いていないうえに、府道30号線と交わっている割と大きなの道路の名前もよく分かりません。しかし、交差点の北東側に小さな公園のようなスペースがあり、東屋の下に椅子もあって少し休憩できます。自動販売機もあったので私はポカリスエットをTHERMOSの水筒に補給させてもらいました。ここでは、帰りにも補給させていただきましたが、この日はポカリスエットを合計で2リットル飲んだことになります。

この交差点から1kmほど南下すると、「作才町」という交差点に出ます。ここからまた街道は府道30号線と分かれる形になります。ここで12時34分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612171557j:plain

※「作才町」交差点から南を望む 街道は左側

この写真のところを、左側に入っていきましょう。で、この時は気づいていなかったのですが、ウォーキングマップではこの辺に和泉式部筆塚石碑和泉式部碑がある、ということになっています。帰りの出発前に地図を見返していて気づきました。行きは街道を間違えないためにこの「作才町」交差点を必死で探していたので、見落としていたのでしょう。

しかしここも600メートルほどで終わり、セブンイレブン岸和田土生町8丁目店のある交差点を右に曲がりましょう。

f:id:nanbo-takayama:20210613103650j:plain

※セブンイレブン岸和田土生町8丁目店のある交差点 帰りに撮影

すぐにまた府道30号線に合流して、「土生」交差点に到着です。

交差点の南西側は泉州ホーム株式会社の土地だと思いますが、古い石灯籠が置かれていました。時刻は12時43分になっています。

f:id:nanbo-takayama:20210612173331j:plain

※泉州ホーム株式会社の土地にある石灯籠

ここからまた1kmくらいひたすら南下です。やはり大きな道のところは街道としての面白味が欠けるので、あまり写真を撮っていません。

それで1km行くと何があるかと言うと、浅宇川王子麻生川王子あそがわおうじ)があったとされる三和製作所です。これはウォーキングマップも『熊野古道を歩く旅』も同じところを示しています。

12時54分、三和製作所に到着です。

f:id:nanbo-takayama:20210612211222j:plain

※三和製作所

王子社を再現してくださっているわけではないと思うのですが、入口入ってすぐのところに小さな祠があります。稲荷社だとは思うのですが……。なお、三和製作所は右側にあり、この写真は通り過ぎてから撮影しています。

三和製作所から石才の地蔵堂まで

三和製作所前を12時54分に通過し、正確な名前が分からない石才の地蔵堂には13時20分に到着しました。ここはGoogleマップとほとんど同じ時間で行けてますね。いい感じです。 

三和製作所前からは200メートル強南の「堂ノ池」交差点を目指しましょう。ここで左の堂ノ池の方に上がっていきます。

交差点を入って少し進むと、右側にこのように溜め池らしきものが出てきます。これが堂ノ池なのでしょう。時刻は13時1分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210612212732j:plain

※堂ノ池 ここを右に上がっていく

f:id:nanbo-takayama:20210612213121j:plain

※右上に上がっているところ 左が堂ノ池

ここを上がっていくと、池沿いにぐるりと回っていくような感じになります。ここで13時3分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612213227j:plain

※西側から見た堂ノ池

池の横から住宅地に入ると、すぐに半田一里塚が左側に現れます。13時6分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210612213935j:plain

※半田一里塚

f:id:nanbo-takayama:20210612214054j:plain

※半田一里塚説明板

このフェンスの向こうにある、大きな木の辺りが一里塚なのでしょう。まったく見えませんが。道標もなかなか古くて、いい味を出しています。

さらに進むと貝塚市立中央小学校が左手に出てきますが、その西端の角にまた小さな地蔵堂があります。ここで13時13分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612214414j:plain

※小さな地蔵堂

街道はこの地蔵堂の左側です。ここまで南下という言い方をしてきましたが、実は今回の旅は正確に言うとほぼ南西に向かって進んできています。で、ここも南西方向に進みます。

2分ほどで道は突き当りになり、北西方向へ進むか南東方向へ進むか、分かれる形になります。振り向くと、小さな神社があります。

f:id:nanbo-takayama:20210612214931j:plain

※小さな神社

神社の南側は麻生中地区の地車の倉庫になっています。後ろの大きな建物がそうです。さらにその南側には、戦前に建てられたと思われる忠君碑が建っています。これらの写真は北向きに撮っています。時刻は13時15分です。

f:id:nanbo-takayama:20210612215022j:plain

※忠君碑

ここを右、つまり北西方向に曲がります。するとすぐに府道30号線に合流します。そしてここからが少しややこしいです。

府道30号線にぶち当たったら、西側に渡ってから右、つまり北東方向に曲がります。

f:id:nanbo-takayama:20210612215834j:plain

※西側に渡ってから来た方を振り向いて撮影

すると左側にセブンイレブン貝塚麻生中店があります。そこに向かって進み、セブンイレブンの南側を今度は左、西南西方向に曲がります。

f:id:nanbo-takayama:20210612215558j:plain

※セブンイレブンの西側にある溜め池

左に曲がってから北を向いて撮ったのが上の写真です。フェンスの向こう側は、溜め池になっています。この辺は溜め池だらけです。

ルートとしては、そのまま道が弓なりに曲がって西北方向に進んでいく感じになります。とりあえず、とりあえず吾平の駐車場の裏側を通っていれば大丈夫です。なお、「とりあえず」と2回書いているのはタイプミスではありません。

f:id:nanbo-takayama:20210612220259j:plain

※とりあえず吾平の駐車場裏側

そのまま進むと、石才の地蔵堂のところに出ます。正確な名前が分からないのですが、最寄りの交差点が「石才」ですので、とりあえず石才の地蔵堂(※仮称)と呼ばせていただきます。この時点で、13時20分になっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210612220457j:plain

※石才の地蔵堂

f:id:nanbo-takayama:20210612220846j:plain

※石才の地蔵堂の説明板

地蔵堂の左側の壁に説明板が貼られていました。しかしこれはお地蔵さまの一般論について書いてあるようで、ここのお地蔵さまの由来などではないようです。最後の方がかすれて読めなくなっているのが残念でした。

石才の地蔵堂から南近義神社まで

石才の地蔵堂を13時20分に通過して、南近義神社には13時55分に到着しました。Googleマップと比べると5分遅れとなります。最後に少し道に迷いましたし、Googleマップと違いこちらは信号待ちもありますので、結果的にはちょうど同じくらいの速さだと思います。

石才の地蔵堂前を通過して、そのまま西北方面に進みます。少し大きな道にぶち当たりますので、そこを今度は南東に戻っていきましょう。そのぶち当たったところには松源貝塚鳥羽店がありました。

f:id:nanbo-takayama:20210612221510j:plain

※松源貝塚鳥羽店 少し大きな道まで出てから撮影

松源、懐かしい響きです。北摂の方はご存知ないと思いますが、和歌山で一番勢力のあるスーパーがオークワで、その次に勢力があるのが松源(マツゲン)です。お肉が充実していて、結構安い値段でいい品が買えるので、和歌山在住時代は私もよくお世話になりました。どんどん昔の生活圏に戻ってきているように思います。

そしてこの先の道がややこしいです。南西側に渡って、ほぼ西向きに進む道を入っていく感じになります。入っていける道が二つあり、私は北側が正解だと思って入っていった(※実はこの時点ではもう1本の道の存在に気づいていなかった)のですが、もしかしたら間違っていたかもしれません。

f:id:nanbo-takayama:20210613102611j:plain

※私はここを右下の方に入っていった 帰りに撮影

と言いますのは、帰り始める前に見落としたポイントを『熊野古道を歩く道』で確認していたところ、石才会館について触れられていたからです。記述によると、石才会館の入口に牛神がいると書いてあったのですが、私は結局、石才会館と違う道を通ってしまっていました。何と、私は違う建物を石才会館だと思い込んでしまい、このレポートを書くまでそのことにすら気づいていなかったのです。正しく石才会館に行くには、少し大きな道からもう1本南側の道に入っていき、また新たな溜め池の周りを回っていく感じになります。

ですが、私の通った道も旧街道のような、味わいのある道でした。玉龍をお祀りする祠です。13時25分になっています。

f:id:nanbo-takayama:20210612222629j:plain

※玉龍大神を祀る祠

家並みもこんな感じで旧街道らしさがあります。正解かどうかは分かりませんが。

f:id:nanbo-takayama:20210612222822j:plain

※旧街道っぽい家並み

私はこの建物を石才会館だと思ってたんですよね。閉まってるから牛神は見れないんだな、と思ってました。なお、建物の全体が写っているこの写真は帰りに撮りました。行きの写真では、13時28分となっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210612222947j:plain

※石才の町内会の建物?

後ろのフェンスの向こうが溜め池です。

f:id:nanbo-takayama:20210613090853j:plain

※右折ポイント

石才の町内会の建物らしきものを過ぎると、すぐに右折ポイントです。上の写真の場所を、右の方に曲がってください。なお、溜め池に近い方の道を通っていた場合は、ここを左から右に進んでいく感じになります。

右折すると、目の前に府道40号岸和田牛滝山貝塚線の高架が現れます。

f:id:nanbo-takayama:20210613091320j:plain

※府道40号線の高架 白いものは私の指

今回は指の映り込み率が高かったですね。

f:id:nanbo-takayama:20210613091632j:plain

※府道40号線の高架下をくぐる

高架の下をくぐっていきます。実はこの写真は帰りに撮っています。なぜかというと、行きは大勢の方が防災訓練らしきものをやっておられたからです。この右側が公園のようなスペースなのですが、同じ制服を着た20人くらいの方々が、一所懸命にものを広げたり確認したりしておられました。市役所とか公的機関の方々なのかな、と思いました。

高架下をくぐり、そのまま緩やかに左に曲がりながら進むと、貝塚中央病院のある交差点に出ます。ここで13時32分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210613091951j:plain

※貝塚中央病院

ここでは信号を渡り、上の写真で軽トラックが信号待ちをしている道の方へ行きます。急に、森に向かうような感じになります。

f:id:nanbo-takayama:20210613092845j:plain

※福永橋

ここでもうっかりして気づいていなかったのですが、掲示板と橋の間に説明板が1枚立っています。Googleマップで確認すると、積善寺しゃくぜんじ城跡の説明板だったようです。

なお、この辺の道はかなり細いです。

f:id:nanbo-takayama:20210613093405j:plain

※森に挟まれた街道

ペットボトルのゴミ収集車が後ろから来たのですが、ギリギリかわすことができる程度でした。横に避けていたら、お礼を言ってくださいました。この譲り合いの精神は素晴らしいですよね。写真を撮っているとクラクションを鳴らしてくる車もいますので、見習って欲しいと思います。

この森の先は築地が続いています。

f:id:nanbo-takayama:20210613093732j:plain

※長く続く築地

築地の先には、時代劇に出てきそうな立派なお屋敷がありました。漆喰がはがれてしまっているようですが、旧街道ならではのお屋敷だと思います。

f:id:nanbo-takayama:20210613093930j:plain

※時代劇に出てきそうな屋敷

そのお屋敷の端まで行くと、左側に清水大師堂への案内板と小さな祠がありました。時刻は13時36分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210613094227j:plain

※清水大師堂への案内板と小さな祠

清水大師堂というのは、どうやら弘法大師が訪れて清水を湧き出させたという伝説があるところのようです。

実はこの辺はもうゴールに程近いところです。次に信号のある交差点で府道239号線にぶち当たったら、右に曲がりましょう。すぐにJR「和泉橋本駅」の北側に出ます。踏切を渡って、「橋本」という交差点を左に曲がれば、イオン貝塚店が見えてきます。

イオン貝塚店の角にあたる「地蔵堂」という交差点を右に曲がり、すぐに左に入っていけば、3分ほどで南近義みなみこぎ神社の外周にたどり着きます。工事をやっていたので、少し遠慮しながら、警備員の方に誘導されながら歩いていきました。さらに100メートルほど歩くと、本日のゴール、南近義神社の入口に到着です。13時55分の到着でした。

f:id:nanbo-takayama:20210613095752j:plain

※南近義神社鳥居

無事に到着したので、中でお参りさせていただきました。

f:id:nanbo-takayama:20210613095943j:plain

※南近義神社本殿

本殿は新しい建物です。賽銭箱が外にあるので、外で参拝させていただきましたが、中に入ることもできます。中で荷物を降ろし、1~2分ほど休憩させてもらいました。

f:id:nanbo-takayama:20210613095905j:plain

※南近義神社説明板

『熊野古道を歩く旅』によりますと、鞍持王子近木王子南近義神社に合祀されているということでしたが、説明板でもそれが裏づけられます。これで、池田王子を飛ばしているとはいえ、九十九王子のうち、15番目の王子社まで参拝したことになります。

帰り道 

まずはイオン貝塚店を目指します。しっかり休憩してから帰ろうと思ったからです。来た道をもどりますが、工事しているところの手前で右に曲がると、イオン貝塚店の南西側に出ます。角にあったセブンイレブン貝塚地蔵堂店でポカリスエットを購入し、イオンに入りました。

入ってみると、どうやら2階にフードコートがあるようです。いい感じで座れます。ただ、やっているショップはサーティワンアイスクリームイオン貝塚店だけで、カレーのお店は休業中のようでした。

まあ、飲み物の自動販売機がたくさんありますから、それを購入して座って飲んでいても大丈夫なはずです。GEORGIAのLATTENISTAシリーズは甘いので疲れているときには最高です。キャラメルラテが飲みたかったのですが、なかったので普通のカフェラテを飲みました。トイレにも行けましたし、14時30分ごろまで休憩させてもらいました。

さあ、元気も回復したので出発です。とりあえず、イオン貝塚店の北側の「地蔵堂」交差点を右折し、南東方向に向かいます。次回の駐車場を確認するためです。「和泉橋本駅」の南側の踏切を渡り、線路沿いに北上します。スペースeco和泉橋本駅前という駐車場がありまして、そこをマークしていたんですね。何と、24時間最大300円という破格の値段です。この辺の方がJRで大阪方面まで通うのであれば、はっきり言って車で駅まで来た方がバスより安いのではないでしょうか。

ただ、一つ問題が。工事をしておられて、駐車場の出入りがしにくそうだった、ということです。何の工事か分かりませんが、次回もまだ工事中なら、違う駐車場を探す必要がありそうです。

そう思って、とりあえずそのまま線路沿いに駅の北側に出ると、こちらにも安い駐車場がありました。P・ZONEという駐車場で、24時間最大350円です。50円高いですが、まあ十分でしょう。 

結局、行きに通った道をそのまま戻ります。貝塚中央病院の前を過ぎ、私が勝手に石才会館だと思っていた緑の小さな建物の前を過ぎて、専念寺の前を過ぎます。行きは写真に撮っていなかったのですが、帰りは写真に撮りました。時刻は14時53分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210613103211j:plain

※専念寺

石才の地蔵堂の前では、学校帰りの子どもたちが遊んでいました。

セブンイレブン貝塚麻生中店からは、ルートを最適化してしばらく府道30号線を通ります。すると、800メートルほど先の「堂ノ池」交差点からは行きのルートと重なります。

さらに20分弱歩くと、「土生」交差点です。ここからは1本南東側の街道を「作才町」の交差点まで戻り、再び府道30号線に合流します。このすぐ近くに、見落としポイントの一つ和泉式部歌碑があるはずです。

すぐに見つかった、と言いたいところですが……。うーん、これなんでしょうね……。

f:id:nanbo-takayama:20210613104535j:plain

※和泉式部歌碑

案内板もかなり自主制作感があります。

f:id:nanbo-takayama:20210613104723j:plain

※奥にかろうじて石らしきものが……

気づかないはずです。平松王子後鳥羽院歌碑のようなものを想像していましたので、ちょっと想像の域を出ていました。この時点で15時36分です。

そこから1kmほど北上すると、春木川と交わる名前のない割と大きな交差点まで来ます。この北東側の公園のようなスペースで、行きと同様にポカリスエットを補給させていただきました。

さらに5分ほど歩いたところ、株式会社大國屋という中古車販売の会社の駐車場に、なぜか道標らしきものがありました。

f:id:nanbo-takayama:20210613110125j:plain

※菅原神社参道の道標

Googleマップで調べると、岸和田市内に少なくとも3社の菅原神社があるようですので、どの菅原神社のものかはちょっと分かりませんでした。時刻は16時1分になっていました。

ここからは、JR「久米田駅」の近くにある池田王子の痕跡を探さないといけませんので、「大町」の交差点まで直進します。1kmくらいです。

大町」の交差点で左折して、JR「久米田駅」の北側の踏切を渡りました。踏切を渡ると、ここにも懐かしい紀陽銀行が!

f:id:nanbo-takayama:20210613110836j:plain

※紀陽銀行久米田支店

紀陽銀行は和歌山県民のメインバンクと言っても過言ではなく、和歌山の事業者の多くが給料の振り込み等に紀陽銀行を使っています。私もまだ口座を持っています。

ウォーキングマップには地図に漠然と「池田王子 碑なし」書いてあるだけですし、『熊野古道を歩く旅』でも「この付近池田王子跡(痕跡ない)」と書いてありましたので、あまり期待せずに行ったのですが……。何と、案内碑が!

f:id:nanbo-takayama:20210613111400j:plain

※池田王子案内碑

紀陽銀行久米田支店の前で道は二又に分かれていますが、左側の細い方の道を進みましょう。200メートルくらい進んだところで左に入っていけるようになっているのですが、そこに上の写真の案内碑がありました。私は裏側から見て、何か道標っぽいなあと思って回り込んで見たら、この案内碑だったわけです。ここを右(※来た方向から見れば左)、つまり南に進みます。

f:id:nanbo-takayama:20210613114406j:plain

※地蔵堂と池田王子案内碑

すると右側に地蔵堂があるな、と思ったらまたもや案内碑が! 左上に進めばよさそうです。

すぐに、出てきました。久米田保育園の外縁沿いにあります。アジサイがキレイです。16時22分の到着でした。

f:id:nanbo-takayama:20210613114635j:plain

※池田王子跡

f:id:nanbo-takayama:20210613114826j:plain

※池田王子跡説明板

平成20年に説明板を設置していますので、ウォーキングマップも『熊野古道を歩く旅』も情報がアップデートできていなかったようですね。わざわざ来た甲斐がありました。後はもう帰るのに集中するだけです。

大町」の交差点まで戻り、府道30号線をひたすら北上します。帰りは小栗橋を割愛したので、「和気」の交差点まで30分ほど歩き続けました。

和気」の少し北の、槇尾川にかかる柳田橋を渡ったときには、16時58分になっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210613130929j:plain

※柳田橋から槇尾川の下流を望む

井ノ口王子からは、旧街道の方に入っていきます。

帰りは泉井上神社鳥居もしっかりと写真に撮れました。時刻は17時9分です。

f:id:nanbo-takayama:20210613131216j:plain

※泉井上神社鳥居

さらに7分ほど歩くと、左側に大阪府立伯太高等学校が出てきます。と、ここでも行きは気づかなかったのですが、何と熊野街道の説明碑が建っています。17時8分になっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210613131618j:plain

※熊野街道の説明碑

f:id:nanbo-takayama:20210613131702j:plain

※説明碑

縦書きだと思っていたら、まさかの横書きでした。

そこからまたしばらく歩き続けます。少し登りになっているので、身体に応えます。陸上自衛隊信太山駐屯地に着いたのは17時24分でした。

f:id:nanbo-takayama:20210613131917j:plain

※薄暮の陸上自衛隊信太山駐屯地

興味深いことに、ここに来るまでに迷彩服を着た3人の自衛官の方とすれ違いました。お一人は小柄だなと思っていたら、女性でした。帰宅、されているということなのでしょうか? 私のイメージでは、自衛隊の方は基地に寝泊まりされているようなイメージだったのですが、まあよくよく考えたらそんなわけないですよね。

この北側にある前奈池1号公園でも、行きは見落としていた熊野街道の案内板を発見しました。

f:id:nanbo-takayama:20210613132443j:plain

※前奈池1号公園にある案内板

実はイオン貝塚店で休憩してから本格的な休憩はしていなかったので、どこかで休憩したかったのですよね。トイレもかなり前から行きたかったのですが、むしろピークを過ぎて今は収まってきていたくらいです。しかし、ここは休みませんでした。ベンチに人がいて、休みにくかったのです。

そのまま放光池1号公園まで行き、往路でも少し休んだベンチで休むことにしました。子どもたちの自転車がいっぱい停まっていましたが、ジャングルジムのようなところで一所懸命遊んでましたので、距離は十分に離れています。公衆トイレもありましたので、お借りしました。正直、前奈池1号公園のトイレの方が外観はキレイでした。

10分程度休憩して、平松王子跡のところに戻ってきた時には、17時41分になっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210613133127j:plain

※平松王子跡

そこから八阪神社前を17時45分に通過し、聖神社一の鳥居には17時50分に到着しました。

f:id:nanbo-takayama:20210613133326j:plain

※聖神社一の鳥居前

堺泉北有料道路と交わる交差点のところでは、行きにも写真に撮っていた案内板をまた撮りました。ここで18時2分になっていました。

f:id:nanbo-takayama:20210613133530j:plain

※交差点にある熊野街道案内板

さあ、ラストスパートです。このまま街道を進み、府道30号線に合流します。少し行くと「クリーンセンター前」交差点です。

そこからさらにしばらく進むと、またしても行きに見落としていたものを発見しました。府営富木南住宅の脇にあった熊野街道の説明板です。18時12分となっています。

f:id:nanbo-takayama:20210613134815j:plain

※熊野街道説明板

この説明板は高石市が設置してくださっているようですね。今までに見たことがないタイプだと思います。

府道30号大阪和泉泉南線に合流し、「富木」交差点から住宅街の方に入っていきます。出発地点の等乃伎神社鳥居が見えてきたのは、18時21分でした。これで、今回の街道旅はゴールです。

f:id:nanbo-takayama:20210613135059j:plain

※等乃伎神社の鳥居が見える

なお、私はまだここから10分ほど歩いてOnePark上に戻らなければなりません。戻ったときには、18時32分になっていました。

さて、前回、前々回と足の発疹のことをお伝えしていたかと思います。それで今回から靴を変えてみました。今回使用したのは、イオンモール四条畷にあるSKECHERSで購入した、SKECHERS  MAX CUSHIONING ELITE です。商品にはGoRUNと書いてあるとおり、ランニング用の靴らしいのですが、足が幅広になっているうえにクッション性・通気性がとても高く、軽いというのが特徴です。

昨年に普段使いの靴でSKECHERSを1足買ってからかなり気に入ってしまい、今では通勤用の革?靴もSKECHERSです。山歩き用にゴアテックスのSALOMONの靴も購入してみたのですが、あまりにも重くて30km歩くには向いてないと思いました。

それで結局SKECHERSです。私は足のサイズが25.5cmで、念のため26.0cmのものを購入しました。長い時間歩くと足がむくむので、1サイズ大きい方がいいと思ったのです。購入後、近所を歩いてみてちょっとブカブカかな?と思っていたのが、いざ35km歩いてみるととてもしっくりしていたように思いました。今までは足首が痛くなっていましたが、その痛みはほとんど感じなくなりました。

発疹に関してですが、なぜか左足は発疹なし、右足は発疹ややあり、という状態でした。まあ、前までに履いていた靴(※実はこれもSKECHERSですが、通気性などは考慮されていないモデル)よりははるかに良い、ということが実証されましたので、これからもこれを履いていきたいと思います。

今回は高石市に始まり、和泉市、岸和田市、貝塚市と進んできました。次回は、大阪と和歌山の境目の手前まで行きたいと思っています。次々回、いよいよ峠越えです。

皆さんも、ぜひ街道歩きに挑戦してみてください!

 

熊野街道 住吉大社~等乃伎神社 ◁ 熊野街道 等乃伎神社~南近義神社

 熊野街道 等乃伎神社~南近義神社 ▷ 熊野街道 南近義神社~波太神社遙拝の鳥居

 

最終更新:2021.6.30