ついに新シリーズ始動です!
西国三十三所は終わったの?と突っ込みをいただきそうですが、実はすでに西国三十三所は結願して、比叡山へのお礼参りも済ませております。しかしレポートの方はまだ十四番札所ということで、遅くなってしまっており、申し訳ありません。
しかし今さら焦ったところで時間がかかるのはもはやどうしようもありませんので、新シリーズを始めることにいたしました! 全国一千万の西国ファンの皆さまは、完結まで今しばらくお時間をください!
というわけで全国的に夏日のところが多くなった2021年5月14日、阪急茨木市駅近くの茨木別院から枝切街道を南下し、寝屋川市で京街道を下って(※現代と違い大阪方面はおそらく「下る」)きました!
正確な距離ではありませんが、Googleマップでポイントをチェックして距離を確認したところ、片道何と18.8kmでした! 帰りは少しルートを最適化したので、15kmほどだったと考えると、往復で34km、時間は休憩をあわせておよそ10時間かかっております。スマホのアプリでは56,287歩、歩いていました。人生で一番歩いたかもしれません。四国のお遍路さんは毎日これくらい歩く、ということを繰り返しておられるわけですよね。改めて考えると、すごいですよね。
枝切街道・京街道 茨木別院から関目神社までの旅
京街道に関しては、大阪府のホームページ「歴史街道ウォーキングマップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。
www.pref.osaka.lg.jp(2021.5.15閲覧)
こちらを参考にしていただければ、街道歩きがスムーズに運ぶことでしょう。
しかし困ったのは、このシリーズに枝切街道がないことです。ただ、茨木市教育委員会が編集した『わがまち茨木』「街道編」を見れば詳しいルートが分かるようです。ただ、入手するのが面倒だった(コラ!)ので、これを参考にしてコラムを書いておられる茨木みのり幼稚園のホームページ*1を参考にさせていただきました。地図自体はありませんが、写真も掲載されていることから、大変分かりやすい記事です。率直に申し上げて、クォリティもかなり高いですね。
というわけでいざ、出発です!
枝切街道 茨木別院から鳥飼の渡し跡まで
茨木別院を9時ちょうどくらいに出発して、鳥飼の渡し跡には10時50分ごろに到着しました。距離は、6.5kmです。途中道に迷ったりもしていたため、Googleマップよりも少し時間がかかっていますね。
8時40分ごろに自宅を出発して、茨木別院まで20分弱かかっています。下の写真は8時57分の撮影です。
※茨木別院
※茨木別院案内板
何と、茨木別院の本堂・太鼓楼・鐘楼は国の登録有形文化財になっているとのことで、実はスゴイということを始めて知りました。本堂の建立は江戸時代後期の安永6(1777)年ということです。本堂の中に入りましたが、広い空間です。別院というのは要するに本山の代わりになったくらいの拠点ということですから、本堂も100人以上は収容できるでしょうか。金色に輝く阿弥陀如来さまがお祀りされていました。
なお、現在の茨木別院には、認定こども園いばらき大谷学園という保育園・幼稚園が一体化した施設が併設されています。私が本堂から出てくると若い女性の先生方から、ご挨拶されました。おそらく、私が坊主頭なので、お寺の方と勘違いされたのでしょう。
この日は天気が良く、気温が高くなるというお話でしたが、この段階でわずかばかりの霧雨が降っていました。すぐに止みましたが。
※枝切街道付近にあるマツモト・ミシン
まずは茨木別院より西にある枝切街道の入口に行きます。100メートルほど西に行ったところ、北側にこのマツモト・ミシンがあります。前々から思ってましたが、ここの店名のロゴは某ドラッグストアの大手チェーンのロゴと雰囲気がすごく似ています。
南側に今はやっておられない柏木サイクルという自転車屋さんがあり、そこを南下していきます。
※枝切街道
街道に入ってすぐ、9時5分の段階です。
ズンズンと南下していきますと、茨木高校(通称「いばこう」)の東側入口のところに灯籠と祠があります。
※柳谷観音献燈籠と茨木童子貌見橋の案内板
※茨木童子貌見橋の案内板
茨木童子貌見橋ということで、「橋」となっていますが、現在は埋め立てられているのか暗渠になっているのか、橋は見当たりませんでした。この時点で9時17分です。
※阪急京都線の高架
さらに2分ほど歩くとこの阪急のガード下に着きます。ここをくぐって、さらに南下を続けます。
※水尾池の石碑
10分ほど歩いて、水尾公園に到着です。茨木川は現在埋め立てられていますので、その姿を見ることができませんが、水尾池というのもあったのですね。
※水尾公園と灯籠
水尾公園の南の端です。公園内はさすがに親子連れが大勢いらっしゃったので、写真を撮っていません。なお、この写真は9時28分撮影です。
※茨木みのり幼稚園
この旅の案内人、茨木みのり幼稚園に着きました! ここなんですね。時刻は9時33分です。
※玉櫛公民館
この玉櫛公民館付近で一度左に折れて、少し街道は入り組んでいきます。往路では写真を撮っておらず、この写真は復路で撮った写真なので夕日に照らされています。
※東に折れた枝切街道
旧街道の特徴として、街道沿いには立派な家が多い、というのが挙げられると思います。塀であったり、石垣であったり、やはり古くてしっかりしたお宅が多いですね。
※西方寺
西方寺到着、9時46分です。枝切街道はここでまた南へ折れるということです。ただ、この辺りの道は消失しているとのことで、とりあえず葦分神社を目指します。
※北側から見た葦分神社
こんなに木があったら、きっと神社に違いないですよね。
※葦分神社
神社には裏の入口がないようで、ぐるりと外周を半分回って、表側に出ました。ここからは、ひたすら府道15号線八尾茨木線を南下していきます。この段階で9時58分です。少し暑くなってきていたので、神社の外にある大理石?のベンチに荷物を降ろし、上着を脱ぎます。給水もしました。Thermos の水筒にポカリスエットを入れていたのですが、実はこの日1日で合計1.5リットルも飲むことになります。
車通りの多い道に出ましたので、安全面にも気を使いながらズンズン進みます。バイパスのようになっている府道14号線との交差点からは、本当に近代的な道路となります。
※安威川にかかる宮鳥橋 上流を向いて撮影
堤防があるのでこのように川を渡る橋は高さがあるんですよね。ですので、橋の高さまで登るのが結構しんどいです。このときは全然平気でしたが、帰りはかなりこたえました。この橋の上が10時16分でした。
この後は、淀川沿いまで退屈な道のりでしたので、写真もとくに撮っていませんでした。
さて、淀川まで来ますと、目の前には有料の鳥飼仁和寺大橋とりかいにわじおおはしがそびえ立っています。字は同じですが、京都の仁和寺にんなじとは無関係だと思います。なお、人間と自転車(※自転車は2022年3月31日までの期間限定)は無料です。今は橋で簡単に?渡ることができますが、昔は船で渡っていたはずです。鳥飼の渡し跡を探しましょう。Googleマップによると、ここから下流の方に500メートルほど行ったところになります。途中、お寺や神社の鳥居などがあります。
※妙楽寺
※善勝寺
※藤森神社鳥居
藤森神社の鳥居を過ぎると、急に現れました。案内板です。
※鳥飼の渡し跡案内板
これを読むといくつかの渡し場があったことが分かります。有名なところでは大坂の陣の直前の慶長19(1614)年、豊臣家を離れざるを得なくなった片桐且元かたぎりかつもとがここを渡って枝切街道を走り、茨木城に入ったということです。もしかすると当時は大坂城も見えていたかもしれませんが、その無念はいかばかりだったでしょうか。
ここで10時46分です。宮鳥橋からちょうど30分かかった計算になりますね。
京街道 鳥飼の渡し跡から正迎寺まで
鳥飼の渡し跡を10時50分ごろに出発して、正迎寺には12時50分ごろに到着しました。距離は、6.6kmです。途中で昼食をとったり、佐太天神宮に寄ったりしましたので、かなり時間がかかっています。Googleマップでは1時間23分となっていますので、30分以上オーバーしていますね。しかしこのGoogleマップは徒歩のスピードを時速何kmと設定しているのでしょうか。ざっくり計算してみると、時速4.3km/hという感じでした。一般的に言われている人間の時速よりは少し早めです。
鳥飼の渡し跡から堤防に上がると、淀川が見えます。
※堤防から淀川を望む
……と言いたいところですが、結構木々に阻まれていて川がはっきりと見えませんね。
しかし、時間があまりありませんので、戻ります。鳥飼仁和寺大橋はかなり高さがあり、階段で3階か4階相当の高さまで登らないといけません。
※鳥飼仁和寺大橋から見た淀川 下流方面を望む
登り終わって橋を渡り始めます。橋長387.5メートルあるそうです。しかし、怖いですね……。私は高所恐怖症で、ロープウェイというものにはとくに乗らないようにしているのですが、この橋もなかなかの怖さです。こんなに薄い橋なのに大丈夫なんだろうか、と余計な心配をしてしまうんですよね。なるべく下を見ないようにして渡り切りました。
京街道のマップを見ると、ここからは堤防の上を歩くことになっていますので、堤防まで上がっていきます。
※文化と歴史のネットワーク散策コース(淀川コース)の案内板
この案内板は、とりあえず今回の旅とは無関係のようです。日本で最初の堤とされる茨田堤まんだつつみが近くにあるようなので行ってみようかとも思いましたが、マップで確認すると淀川新橋まで1km近くもどらないといけないようなので、断念しました。また次の機会を待ちましょう。
堤防を歩き始めて思ったのですが、そろそろ昼食のことを考えなければ……。12時になれば混みますので、12時前にお店を出たいですよね。堤防を150メートルほど歩くと、国道1号線、寝屋川バイパス沿いに大きくラーメンの看板が出ています。というわけでラーメンに即決し、堤防を下りてラーメン屋を目指しました。大阪ふくちぁんラーメン仁和寺店というのがありましたが、私が見た看板はさらにその奥にあります。そこでさらに進むと、ありました。河童ラーメン本舗寝屋川店です。
外観は昔コンビニだったような雰囲気です。外から中が見えるのは安心感がありますね。すでにお客さんもいらっしゃいます。中に入ると、少し変わった雰囲気で、細長いテーブルが何列か並んでおり、みな同じ方向を向いて食べるようになっています。コロナ禍における対策の一つでしょうか。椅子は学校で使われている木の椅子ですね。初期コストを抑えるためにいろいろ工夫しているのでしょう。平日限定のランチでラーメンとチャーハンのAセット1000円をいただきました。汗をかいた体には中華スープが染み渡るんですよね。めちゃめちゃおいしかったです。11時40分ごろには食べ終わったように思います。
お店を出て、佐太天神宮を目指します。天神宮の辺りはお寺や陣屋の跡などがあり、歴史的な雰囲気が残っているようです。
※裏手から入った佐太天神宮の境内
裏手、南側の方から佐太天神宮の境内に入ります。なかなか歴史を感じさせてくれる境内です。
※子宝の樹
※本殿
写真には映っていませんが、牛の像もあります。天神さんですから、牛もお祀りされてるんですよね。下の写真は、行きでは気づかず、帰りに撮影しました。
※佐太天神宮の説明板 西門にある
神社の西門から出て、いったん陣屋を目指します。天神宮・来迎寺・陣屋跡が並んでいる感じです。
※来迎寺
※来迎寺案内板
中には入りませんでしたが、案内板を読むかぎりでは、結構立派なお寺であることが分かります。この辺は昔の町の中心部だったのでしょう。
お寺の敷地のすぐ隣に佐太陣屋跡の案内板があります。
※佐太陣屋跡案内板
美濃国加納藩3万2千石の大名永井氏の飛び地1万2千石相当がこの地にあったようです。その中心部がこの陣屋跡で、加納藩における大阪の蔵屋敷の役目を果たしていたそうですから、物流センターのような感じだったのでしょう。
※佐太陣屋跡?
現在は守口市立佐太老人福祉センターが建っていますが、おそらくこの辺が佐太陣屋のあったところなのでしょう。
佐太天神宮の西門から再度境内に入り、北側の表門の方から出ます。振り返るとこんな感じです。
※佐太天神宮表門
※間宿佐太の幟
東海道五十三次を勝手に?延長して五十七次になっています。五十三次は京都の三条大橋が終点ですが、実はそこからさらに大阪の高麗橋までの五十七次を数えることがあるようです。藤沢市のホームページ*2にそのことが記載されています。
※東海道五十七次 間宿・佐太の案内板
※京街道と佐太天神の案内板
往時は京街道と淀川の渡しの交点であったことから、かなりにぎわっていたのでしょう。実はこのすぐ近くに渡し場跡の石碑があったのですが、行きは気づかず、帰りに写真をとりました。その写真が下です。
※淀川筋佐太渡船場跡?の石碑
いい感じで木が生い茂っており、文字が完全には読めません。ネットで調べると、「淀川筋佐太渡船場跡?」と書いてあるようです。最後の「跡」はちょっと不明瞭なので、「?」をつけています。
行きはこの石碑を真横から撮っていました。
※上の石碑を真横から見たところ
これも何か書いてあるのですが、ちょっと何と書いてあるか分かりません。というわけで、あまり気に留めずにスルーしてしまったようです。
ここから堤防に戻り、堤防の上を歩いていきます。写真では時刻は12時4分でした。
ひたすら堤防を進み、庭窪レストセンターを目指しました。レストセンターと名乗るくらいですから、冷房も効いていてインフォメーションのようなものがあって、しばらく休憩できるのではないかと期待がふくらみます。
鳥飼大橋をくぐると、道なりに堤防から下りていく感じになり、それっぽい建物のところに到着します。淀川河川公園庭窪レストセンターと書いてありますので、公園自体の管理所のようなものなのでしょう。
しかし、見たところ……。
閉まってますね。敷地の中には入れるようになっていますが、レストセンターなる建物は閉まっています。あと、私が想像していたよりは、センターっぽくないです。休憩所といった程度のものでしょうか。幸い、外にベンチと机がありましたので、荷物を降ろして休憩します。ポカリスエットが心許なくなっていたので、今ある分を飲み干して、新しいものを購入し補充させてもらいました。ここの自動販売機では、ポカリスエットが160円もしました。売れるがゆえの強気の価格設定なのでしょう。
そこからは少し道が入り組んでいるのですが、とりあえず正迎寺の南東側に出れば間違いありません。ここで12時44分です。休憩を少しはさんだとはいえ、結構時間が経ってますね。
※正迎寺
旧街道の旅では、お寺や神社がいいランドマークになってくれます。
正迎寺から守居神社付近まで
正迎寺を12時50分ごろに通過して、守居神社付近は13時30分ごろに通過していました。距離は、2.8kmです。ここはGoogleマップとそんなに変わらないスピードですね。休憩もしていませんので、スムーズだったのでしょう。
正迎寺からは、ひたすら南下です。阪神高速12号守口線の下をくぐり、守口市立八雲小学校の横を通り抜け、府道155号線にぶち当たるまで進みます。ちょうど日本通運大阪東支店営業センターがあります。そこから府道155号線を南下し、大阪府立守口東高校の横を通りつつ、二つ目の信号のところを斜め左に入っていく細い道があります。そこが京街道です。
そこをしばらく進むと、右側に一里塚跡があります。時刻は13時ジャストです。
※一里塚跡の案内板
※一里塚跡石碑
国道1号線の浜町交差点を渡り、そのまましばらく進むと、左手に盛泉寺じょうせんじがあります。
※盛泉寺案内板
※盛泉寺の明治天皇聖跡
で、この盛泉寺を過ぎてすぐに難宗寺なんしゅうじがあります。
※北から見た難宗寺
※難宗寺の門
京街道はここでいったん西に折れて、国道1号線の方へ戻ります。
※難宗寺の四つ角にある道標
「左 京」と書いてありますが、そのとおりに左側から来ました。
それで、八島という交差点でまた斜めの道に入っていきます。この斜めの道は、昔の堤防の跡なんですよね。安土・桃山時代の文禄5(1596)年に豊臣秀吉が毛利輝元・小早川隆景・吉川広家など西国の大名に命じて造らせたとのことです。伏見城と大坂城を結ぶ最短の陸路として築かれたそうですが、淀川治水の役割も果たしたそうです。
下の写真は帰りに撮った写真です。少し登っているのが分かりますでしょうか。
※文禄堤入口
※文禄堤の案内板
※堤の東側へ降りる石段
ここはかなり風情のある道で、結構古い町屋風の家屋が立ち並んでいます。
※街道沿いの古い家並み
こういった町屋でおしゃれなカフェや美容院などもありますので、観光スポットとしても十分機能しそうですね。
※文禄堤の案内板part2
上の写真の段階で13時13分です。
このまま行くと京阪守口市駅の脇を通っていくのですが、ここで道を少し間違えてしまいました。マップだと降りていくような感じだったので降りていったのですが、どうやら降りる必要はなかったようです。この守居橋というのを渡ります。
※守居橋
橋とはいうものの、下は川ではなく道路です。昔は川だったのかもしれませんが。ここで13時20分です。少しロスしてこれなので、結構頑張っています。
※橋を渡ったところにある古そうな灯籠
この灯籠は雰囲気的には文禄堤ができたころからありそうな気がします。勝手な想像ですが。
※義天寺
そのまましばらく行くと、右側にこの義天寺があります。本門佛立宗という珍しい宗派ですし、義天寺という寺号も珍しいですね。
※京街道の碑
そのまま進むと、上の碑のところで道は道なりに右に折れていきます。この段階で13時22分です。
そこから道は降るような感じになっていて、まず三叉路があり、次に四つ角に出ます。ここが少し分かりにくいです。マップには道標の印があるのですが、駐車場があるだけで、道標は見当たりません。どうやら、移転したか廃棄したかされたのでしょう。
四つ角を左に曲がれば後はまたしばらく真っ直ぐです。日吉公園という公園の南東側を南西に向かって進んでいれば正解です。私は少し迷いましたが、何とか正解を進むことができました。日吉公園には日陰にベンチがあったのですが、十数羽のハトが我が物顔で占拠していたので、スルーしました。
そのまま進むと、京阪東通商店街というアーケードに入ります。アーケードが日射しを遮ってくれるのが、ありがたいです。
※京阪東通商店街アーケード入口
京阪沿線にはたくさんの駅があるはずですが、京阪東通という非常にざっくりした名前の商店街です。ここで13時29分でした。
この商店街に鼓屋という楽器店がありますが、この南側に守居神社という神社があります。そちらに行くには次の辻を左に曲がるのですが、そちらにもアーケードが続いており、アーケードから神社に入っていく面白いスタイルになっています。
守居神社付近から関目神社まで
ようやく最後のブロックです。守居神社付近を13時30分ごろに通過して、関目神社には14時40分に到着しました。距離は2.9kmですが、最後の最後でマクドナルドで休憩をしたため、時間がかかってしまいました。
歴史街道のマップでは、商店街のアーケードが終わる一本前の通りで北西に折れ、国道1号線に出るようです。丸京呉服店や日吉新温泉の並びです。私はここが分からずに、そのままアーケードの終点まで行き、国道479号線にぶち当たりました。いずれにしろ、そこから国道1号線方面へ出て、しばらくは1号線沿いに進みます。
今市というそんなに悪くない名前の交差点を過ぎてから、「今市」というバス停の付近でまた斜めの道に入っていきます。
これも帰りに気づきましたが、一応道標と案内板がありました。
※今市バス停脇の道標
※今市バス停付近の案内板
どうも大阪側から来た方が気づきやすいように思います。京街道という名前も京都を目指していると考えられますし、道標などもそれを意識していたのかもしれません。
私は1本道を間違えてしまい、寶龍寺というところに来てしまいました。
※寶龍寺の裏側?
どうやらこの寶龍寺というお寺はなかなかスゴイお寺のようですが、今回の趣旨と外れるうえに、道も間違っているのでパスさせていただきます。ここで13時45分です。
帰りにも同じくらいの時間がかかると考えると、あんまり時間をかけていられません。急ぎましょう。
国道1号線側にもう1本道がありますので、そちらに進みました。正解でした。目印にしていた福島病院が右側に程なく見えてきました。
※千林商店街のアーケード
そこからすぐに短いアーケード街に入ります。この千林商店街は地下鉄千林大宮駅と京阪千林駅の間を東西に結ぶ商店街になっています。ですので、私が通っている南北の部分は短いです。ちなみにこの写真も帰りに撮りました。
商店街を出てすぐに角屋という昔ながらのアイスクリーム屋さんがあります。何と、ソフトクリームが120円で売っていました! 残念ながら人だかりができていたので、行きも帰りも購入は断念しました。
この辺りは、京街道を売りにしたアピールをしているようで、おしゃれな幟がかけられています。なお、この時点で13時55分です。
※京街道 とうばい整骨院付近
ここから250メートルくらい進んだところの左側に、細長い公園があります。この公園の手前からは道も2車線になり、急に街道というよりは道路という感じになってきました。公園の横にまたまた案内板がありました。
※京街道の案内板
ここまでくればゴールは目前です。阪神高速12号守口線の支線森小路出口の高架下を流れる、城北川にかかる古市橋を渡ります。これも帰りに撮った写真です。
※古市橋
もう少し進むと、右側に本門佛立宗の清現寺があります。この写真は振り返って京都側を向いて撮っています。とても近代的な建物で、お寺とは思えない雰囲気です。この写真を撮ったのが14時4分です。
※清現寺 南から撮っている
そこからすぐに京街道、国道1号線、国道163号線などが交わる関目5丁目の交差点に出ました。京街道の道標もありました。14時6分です。
※関目5丁目の京街道の道標
北西側にマクドナルド国道関目店があります。ちょっと休憩させてもらいましょう。アイスコーヒーのMサイズを頼みます。スッキリしますね。渇いた体に染み渡ります。Lサイズにすればよかったです。
ここで14時30分まで休憩してから、関目神社に行きました。京街道は関目5丁目の交差点から国道1号線を南へ向かい、関目5丁目南という交差点を西へ向かいます。深草温泉という銭湯の横を通り過ぎれば、しばらくすると右側に関目神社が見えて来ます。この日の往路のゴールです。
トップの写真が関目神社です。とてもキレイな神社ですね。しかしとくに参拝もせず、写真に撮るだけにいたしました。また次回来たときにゆっくりと参拝させていただこうと思います。次回があるのか、ということですが、これにはこの神社をゴールにした理由がからんできます。この理由は、何点かあります。
一つ目は、次回の再開時にこの関目神社の横の駐車場に車を停めることができる、ということです。この辺の駐車場をいくつかリサーチしましたが、1日最大600円というこのSPARK関目神社前駐車場が、安くてたくさん停められるところだということが分かりました。
二つ目の理由は、ちょうど地図の切れ目であったということです。歴史街道の地図を私は半分に折って、首からぶらさげるフォルダーに入れているのですが、そのちょうど折り目に当たるところがこの関目神社の辺りでした。
また、お寺からスタートしていますので、神社で終わるのはふさわしいように思います。
というわけで、この日のゴールは関目神社となったのでした。次回は、この関目神社の横の駐車場に車を停めて、関目神社を参拝させていただき、スタートしたいと思います。
帰り道
なお、私はここからまた歩いて茨木別院を経て家に帰ります。バスに乗ろうかとも考えたのですが、コロナ禍ですので、なるべくリスクを避けた行動をとろうと考えました。すでに時間が夕方にさしかかってきており、バスも混雑し始めると予想されます。それに、行きに見落としたものがいくつかありましたので、それをピックアップしながら帰ろうと思ったのです。これまでのところで、「帰りに撮影しました」という写真がいくつかあったと思いますが、それらはすべて帰り道に撮影しています。しかし、進行方向としては大阪に向いて撮影していますので、大阪を向いて旅をされる方の参考にしていただけると思います。
大きいポイントとしては、淀川の左岸(南岸)にあたる渡し場を見つけられていなかったんですね。それを見つけようと思い、マクドナルドで調べていたところ、実は行きに通っていることに気がつきました。それは佐太天神宮から北に淀川の堤防に向かうところだったんですよね。すでに写真を掲載して、説明させていただいたところです。何とも間抜けでしたが、役に立つ写真を撮るために、戻るしかありません。
帰り道はさすがに少しだけショートカットしていますが、大きく違うところは八島の交差点からそのまま府道155号線を進み、途中で休憩地点を探して大阪市水道局庭窪浄水場の南を通って国道1号線に出たところくらいです。結局そこから佐太天神宮に行くまでのところは旧街道と異なる道を通りましたが、それ以外はほぼ旧街道を通っていますね。エライもんです。
佐太天神宮から北へ出て渡し場の写真を撮ったときには、すでに16時34分になっていました。そこにあるマエダ建設工業の前にベンチがありましたので、少しだけ座って休みました。座って休んだのは実はまだ3回目(※昼食時の1回を除く)です。
渡し場跡から堤防に出て、堤防を北東へ黙々と進みます。一人なので当たり前なのですが。鳥飼仁和寺大橋を渡るころには、16時57分になっていました。
※鳥飼仁和寺大橋仁和寺側料金所
日が傾いているのですが、淀川にキラキラと反射してキレイでしたね。写真を撮るのは忘れていましたが……。あと、行きは高所恐怖症ゆえに怖いと思った橋でしたが、帰りは怖いと思う余裕もありませんでした。「疲労は恐怖をしのぐ」という名言が誕生しました。
そこからひたすら府道15号線を北上し、さすがに少し休憩が必要だろうと思い、ガスト茨木島店に入ります。17時半を少し過ぎたところでちょっと気が引けましたが、お客もおじさんが一人いただけでしたので、問題ありませんでした。ドリンクバーとソフトクリームをいただきました。ドリンクバーは1杯だけにしようと思っていたのですが、コーヒーフロートがおいし過ぎて、ミニッツメイドのオレンジジュースも飲んでしまいました。生き返ります。人間の身体の60パーセント以上は水でできているというのは、本当にそのとおりだと思いました。
少し回復したので、ラストスパートです。行きは青空のもとにあった葦分神社も、8時間もすると黄昏れています。ちなみに時刻はすでに18時4分です。
※葦分神社夕景
最後の最後で力を振り絞ります。ここはGoogleマップの予想よりも私の力の方が勝っていました。18時40分、マツモト・ミシン前です。
※帰ってきたマツモト・ミシン
18時42分、茨木別院に到着です。しかし、日が長くなりました! まだ割と明るいですよね。
※夕闇に沈む茨木別院
この後、もう少しだけ踏ん張り、何とか19時過ぎに自宅に帰り着きました。
いやあ、人間ってやれば何でもできるんですね。とくにこれといった運動を毎日やっているわけではありませんが、急に35km近く歩こうと思っても何とかなるもんです。
かなり序盤で少し右膝が痛くなったり、往路の3分の2ほど進んだ辺りで左足の小指付近に豆ができた(ような気がした)り、体のトラブルもありましたが、結局それらはいつの間にか克服できていました。ただ、足首はかなり痛めてしまいました。まあ、本格的な痛め方ではなく、一時的なものだと思いますので、心配はしておりません(※実際、2日後にはかなり和らいでいます)。
できれば1週間に1回くらいチャレンジしていきたいのですが、これから結構雨の予報が続いております。梅雨入りも例年よりかなり早くなるかもしれない、ということですので、ちょっと次回がいつになるか予測がつきませんね。
また、チャレンジしたらご報告します。
皆さんも、ぜひ街道歩きに挑戦してみてください!
枝切街道・京街道 茨木別院~関目神社 ▷ 京街道・熊野街道 関目神社~住吉大社
最終更新:2021.5.27
*1:茨木みのり幼稚園「歴史とロマンを伝えるまち」2021.5.15閲覧
*2:藤沢市ホームページ「東海道五十三次(五十七次)とは」2021.5.15閲覧