西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

街道を行くぞ!第2弾 京街道・熊野街道 関目神社~住吉大社

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住吉大社

新シリーズ・街道を行くぞ!第2弾 、2021年5月22日に行ってきました!

1週間に1回は何とか行きたいと考えていましたが、あいにくの雨、雨、雨で予定が立たない状態でした。何と、近畿地方の梅雨入りは統計史上最速の5月16日、ということで、これからも雨の日が増えると思います。何とか梅雨の合間をぬって行きたいと思っていましたが、ラッキーなことに土曜日は晴れということでしたので、計画していた第2弾を決行することにしました。

今回も正確な距離ではありませんが、 Googleマップでポイントをチェックして距離を確認したところ、片道何と18.1kmでした! 帰りは少しルートを最適化しましたが、往復で36kmは歩いていると思います。時間は休憩をあわせて今回もおよそ10時間かかっています。スマホのアプリでは53,098歩でした。

さらに、今回からASUS VivoWatch BP(HC-A04)を導入して距離と歩数の計測を開始しました。何と、距離は37.74km、歩数は54,542歩、消費カロリーは5,194kcalという結果になりました。データが複数ある方がより客観性が高まると思いますので、これからは可能なかぎり両方のデータを掲載していきたいと思います。

京街道・熊野街道 関目神社から住吉大社までの旅 

京街道熊野街道に関しては、大阪府のホームページ「歴史街道ウォーキングマップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。

www.pref.osaka.lg.jp(2021.5.23閲覧)

上記サイトからマップをダウンロードしていただき、参考にしていただければ、街道歩きがスムーズに運ぶことでしょう。

私はさらに、山と渓谷社から出ている『世界遺産の参詣道をめぐる旅 特選10コース&完全踏破 熊野古道を歩く旅』(※以下、『熊野古道を歩く旅』を参考にさせていただきました。

www.yamakei.co.jp(2021.5.23閲覧)

この本はもしかすると現在絶版になっているかもしれません。初版第1刷は2008年11月5日、私の持っている第2刷は2010年3月30日となっていますので、少しデータも古いかもしれません。しかし家内にもらった本ですので、大事にしていきたいと思います。

今回から中断地点まで車で移動します。8時過ぎに出発し、8時35分にはもう着いていました。前回4時間かかっていた道のりが、車だとわずか30分少々で着いてしまう……。おそるべし文明の利器。というわけで関目神社から旅の再開です。

京街道 関目神社から大阪メトロ「野江内代駅」近辺まで

出発前日に歴史街道のマップをよく見ると道を間違えていたことに気づいていたので、関目神社を8時45分くらいに出発し、少し戻ってから正しいルートを進みます。ちょっと正確な時間が分かりませんが、9時過ぎには野江内代駅に着いていたと思います。だいたいGoogleマップと同じくらいのペースですね。 

車は前回予告していたとおり、SPARK関目神社前駐車場に停めました。台数も停められますし、24時間最大600円は魅力的です。早速車を停めて神社の境内に入り、旅の安全を祈ります。

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※関目神社本殿

意外だったのは、熱心な参拝者が何人かいらっしゃったことです。私の前に年配の女性と私より少し若いくらいの年齢の男性がいらっしゃったのですが、結構長い時間お参りされていました。しかも、境内にあるお社はすべてきちんと参拝されていました。結構地元の方の信仰を集めている神社のようです。ちなみに境内で作業をされている方が「おはようございます」とご挨拶してくださいました。おそくら禰宜か何か神職の方だと思います。

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※関目発祥之地の石碑

右側の説明碑によりますと、関目という地名は、榎並荘という荘園の時代からあったそうで、目で確認する見張り所、つまり関所のようなものがあったことから関目と呼ばれるようになったそうです。関目の七曲りとして大坂城の防備にも役立ったとのことで、結構昔から交通の要衝だったということが分かります。

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※明治天皇御駐輦之跡

明治天皇が小休止された跡という石碑です。説明板によると、明治天皇のご一行は慶応4(1868)年3月23日、前日の行在所だった守口の難宗寺から出発され、今の大阪市中央区本町にある津村別院北御堂)までの行路の途中、この付近で小休止されたということです。実はこのころはまだ江戸城無血開城が実現しておらず、旧幕府軍と明治政府側との戊辰戦争の真っ只中でした。大阪遷都の可能性を探りながらの行幸だったようです。詳しくは、「新シリーズ始動! 街道を行くぞ! 枝切街道・京街道 茨木別院~関目神社」に掲載してある盛泉寺の説明板をご覧ください。

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※関目神社掲示板 ご由緒が書かれている

夏祭りも中止とのことで、コロナ禍の寂しい時節を感じますね。また、よく見るとこの神社のご由緒はとんでもなくスゴイということが分かります。大坂城の鬼門鎮護として創建されたということですから、往時はかなり力のある神社だったのでしょう。

さて、あまりゆっくりしていられませんので、出発します。どうもウォーキングマップをよく見ると道が間違っていたようですので、少し戻ります。「関目5丁目」の交差点から1筋南側の道、ビッグボーイ関目店の北側を通るのが正解のようです。この旅館水月の前を通っていれば、今度こそ大丈夫です。この写真を撮ったのが8時52分でした。

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※旅館水月の前を通る京街道

ここをそのまま進むと都島通にぶち当たります。そのまま通りの反対側に街道は続いていきますが、真っ直ぐ渡ることはできないので、いったん東側の信号のところまで移動し、再び街道へと戻ります。

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※京街道の道標

街道を20メートルくらい進むと、左側にこの道標があります。逆に言うとこれが見つからない場合、道を間違えている可能性があります。どうでもいい話ですが、左のお宅は車の出し入れの際、相当注意しないと道標にぶつけてしまいそうです。

しばらく進むと都島通に出ますので、そのまま都島通を歩いていきます。300メートルくらい歩くと、右側に斜めに入ってすぐに二股に分かれる道が出てきます。その二股のうち、左側が京街道です。

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※左が京街道 真ん中の電柱の左下に道標がある

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※その道標

上の道標の段階で9時2分です。この道をしばらく進みます。100メートルとちょっとくらいですね。すると、城北筋に突き当たります。道標もあります。この写真で9時4分でした。

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※城北筋との合流地点にある道標

この辺はもう大阪メトロの「野江内代駅」のすぐ北側になっています。ここまでの道は大きな通りに合流したり、また裏道に入ったりで、割と分かりにくいかもしれません。

京街道 大阪メトロ「野江内代駅」付近からJR「大阪城北詰駅」付近まで

大阪メトロ「野江内代駅」を9時過ぎに通過して、JR「大阪城北詰駅」は9時46分ごろに通過しています。Googleマップよりも10分くらい遅いペースですね。坂もなかったと思うのですが、思ったより時間がかかっています。ただ、大きな交差点もいくつか通っていますので、信号待ちにも時間がかかっており、仕方がないでしょう。

城北筋を「野江4丁目」の交差点まで南下します。ここはすぐです。そこから都島通の南側を通り、50メートルほど進むと斜め左側に入っていく道がありますので、そこに入っていきます。万が一ここに入れなくても、1本次のところで左に曲がれば、すぐに合流しますので心配いりません。そのまま南下していくと、左側にファミリーマート城東えなみ店が見えてきますが、実はこの道は間違いで、1本西側の道を南下するのが正しい京街道です。

正しい道を南下すると、50メートルくらいで右側に榎並地蔵が出てきます。迷ったら、榎並地蔵を探してください。9時16分に到着です。

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※榎並地蔵

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※榎並地蔵説明板

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※榎並地蔵石碑と「歩こう京街道」の案内板

昔はこのようなお地蔵さまも大切な道しるべの役割もあったということですよね。

ちなみに、六波羅蜜寺の巡礼記を書いていてふと思ったのですが、観音さまとは言ってもお観音さまとは言いません。しかしお地蔵さまはなぜか「お」をつけますし、お不動さまも「お」をつけるように思います。どうしてなんでしょうか。

榎並地蔵から50メートル弱南下すると、また道標があります。

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※「京かいどう」の道標

上からのぞいているのは心霊ではなく私の指です。この道標の時点で、9時18分でした。

さらに少しだけ南に行くと、商店街のアーケードが見えてきます。京橋中央商店街の入口です。9時20分に撮影しています。

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※京橋中央商店街入口

名前が「リブ・ストリート」と書いてあります。“Live street”ということでしょうか。ちょっといろいろ考えさせられる名前がついています。

京橋中央商店街を抜けると、道が左右に分かれており、右側がアーケード街、左が屋根のない道、というところに出ます。右側のアーケード街を行きましょう。実はここに京街道の碑が建っていたのですが、私は見落としていました。帰り気づくというパターンもあるのですが、人が立っていると気づかずに通り過ぎることがあるんですよね。ちなみに右側の商店街は名前が新京橋商店街と変わります。

アーケード街は最後に国道1号線にぶち当たります。隣り合う「京橋」と「京橋西」の交差点付近です。そこから南西に進めば京阪「京橋駅」にたどり着きます。ウォーキングマップの案内では駅の南側のところに「歩道橋を途中までのぼる」という説明が書いてありますが、「京橋駅」もしばしばリニューアル工事が行われているようですので、果たしてマップのとおりに進めるかどうかは分かりませんでした。私はJRの「京橋駅」と京阪の「京橋駅」の改札の間を通り、そのまま南側に出ていきました。

実はここから三つの道が並行していて正しい道がよく分からないのですが、私は真ん中の道を通りました。京阪電鉄とJR東西線がほぼ並行して走っているのですが、道も三つが並行しています。北から京阪沿いの道、私の通った真ん中の道、一番南の車道と歩道の分かれている道、の三つです。

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※京阪京橋駅南側のお地蔵さま

上の写真のお地蔵さまの左側の道を私は進みました。お地蔵さまがあるので何となく昔からありそうな感じがしたのと、マップではこの後電車の線路とは平行ではなく斜めに進んでいるので、これが正解のような気がしました。この時点で9時35分となっています。出発から約1時間弱経っています。

ただ、この道は最後に京阪沿いの道に合流します。その合流地点に「のだばし趾」という石碑が建っていました。「京街道云々」と書いてありますので、おそらく正解でしょう。9時40分の撮影です。

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※のだばし趾

ここからはとにかく「片町」の交差点に出ます。西南西に進むのか南南西に進むのか、どちらが正解かは分かりませんが、「片町」の交差点に出ましょう。なお、後からGoogleマップを見返してみると、どうやら南南西に進む方が正解だったようです。

この「片町」交差点の地下にJR東西線の「大阪城北詰駅」があります。私は去年の秋に、研修でこの近くにある大阪私学会館に来ていたのですが、さっきGoogleマップを見返すまで、近所まで来ていたことにまったく気がつきませんでした。

京街道・熊野街道 JR「大阪城北詰駅」付近から榎木大明神まで

JR「大阪城北詰駅」を9時46分ごろに通過して、榎木大明神に10時52分に到着しています。Googleマップでは54分となっていますが、少し休憩したので、ちょっと時間をオーバーしていますね。 

さて、ここからは土佐堀通を西へ進んでいきます。大阪城が見えました。残念ながらちょっと天気が悪いですね。ここから少し進んだ交差点で、南側の歩道に渡りました。寝屋川橋までもうすぐです。

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※大阪城天守閣

寝屋川橋の手前に京橋川魚市場跡の碑がありました。

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※京橋川魚市場跡

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※京橋川魚市場跡案内板

ここは川魚の市場だったんですね。京橋川・魚市場跡ではなく、京橋・川魚市場跡ということのようです。

寝屋川橋を渡ります。9時50分です。

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※寝屋川橋

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※大坂橋(上)と京橋(下)

寝屋川橋はそれほど高さはありません。鳥飼仁和寺大橋のように堤防をまたいで建設されておらず、地面とほぼ同じレベルです。ですから、全然高くはないんですが、やはり高所恐怖症が出ますね。横は車がビュンビュン走ってますし、余計に恐怖を感じます。

京阪東口」の交差点で信号を待っていると、何か説明板があることに気がつきました。

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※旧町名継承碑

昔この辺は京橋前之町と呼ばれていたそうですが、区画整理や何やらで町名がついに消えてしまったそうです。私からすると、もう京阪の「天満橋駅」が見えていることの方が驚きです。地名は京橋なのに、「京橋駅」から遠いなあと感じます。

さらに「天満橋」の交差点を過ぎ、スタスタと進んでいきます。70~80メートルくらい進んだでしょうか。左側に永田屋昆布本店という老舗っぽい昆布店があるなあ、と思ったら、そのお店の前にありました! 八軒家舩着場の跡の石碑です。本日の目標地点の一つだったところです。9時59分に到着です。

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※八軒家舩着場の跡

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※八軒家船着場跡の石

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※八軒家船着場の江戸時代の様子

この地は江戸時代に八軒家と称され、淀川を上り下りする三十石船の発着場となっていたそうです。また、京の都を出発した熊野詣の旅人が淀川を船で下り、ここで上陸してから熊野街道を南下したとも言われています。『太平記』楠木正成が鎌倉幕府軍に大勝したのもこの辺りということでした。淀川水運の拠点ともなっていて、交通の要地だったわけですね。

ここから60メートルほど西に進んだところが、熊野街道の起点となります。この時点で10時1分です。

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※熊野街道起点の碑

ここから早速南下してもよかったのですが、京街道の起点となっている高麗橋が350メートルほど西にいったところにありますので、そこも回ることにしました。歩きの旅では、この350メートルの往復が命取りになることもあります……。

途中、日本郵便の近畿支社の前に前島密像がありました。

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※前島密之像

前島密は旧幕臣で、後に日本の郵便制度を創設する中心人物の一人です。NHKの大河ドラマ「青天を衝け」にも登場するのでしょうか。今のところ発表はないようです。

ここで間抜けなことに、道路の北側に渡ってしまいました。実は高麗橋が1本南側にあるということをきちんと理解できておらず、今橋を目指していました。それで、北側に何か石碑のようなものがあったのではないかと渡ってしまったんですね。それでついでに撮ったのが、天神橋の写真です。奇跡的に車も人も写っていません。

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※天神橋

それで今橋の方に行ってみると、当たり前なことに、とくにモニュメント的なものはありません。そこでGoogleマップで確認すると高麗橋が1本南側の橋であることに気がつきました。慌てて南側に渡ります。しかも、ここは気をつけないと高速の入口の方に入ってしまいます。

角のお店に行列ができているので何だろう?と思って見ると、まん福ベーカリーというパン屋さんでした。小さなお店なので入場制限をやっているのと、あとやはりおいしいんだろうと思います。

結局高麗橋到着は10時10分でした。

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※高麗橋

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※高麗橋説明碑

江戸時代明治時代に、距離を測る起点となっていたとのことで、かなり重要な橋であったことが分かります。わざわざ来た甲斐がありました。

京街道の旅はこれで終わりです。私はこれから熊野街道の旅を始めなけれななりません。戻りましょう。

戻る途中で、北浜ネクストビルディングで休憩させていただきました。地下にデイリーヤマザキ北浜ネクストビル店があったので、寄ろうかなと思ったのです。結局デイリーには寄らなかったのですが、地下にはトイレもあり、誰でも借りられます(※多分)。1階には座るところもあり、少し休むくらいならば問題はなさそうです。ただ、1階のエスカレーター前に警備員の方がいらっしゃるので、怪しい挙動をしているととがめられるかもしれません。

5分程度休憩してから、熊野街道の方へ戻ります。郵便局の西側を歩いていますと、紀州邸址という石碑がありました。

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※紀州邸址

江戸時代紀州藩の屋敷か、蔵屋敷の跡でしょうか。京街道熊野街道の起点に挟まれているとは、ものすごい一等地にあったものです。もっとも、和歌山は紀州藩55万石のお膝元として、江戸時代の日本ではベスト10に入る大都市だったと言われていますので、それも宜なるかなということでしょう。

さて、これから熊野街道を南下していくわけですが、熊野詣の道中には九十九王子くじゅうくおうじという社が存在していました。上述の『熊野古道を歩く旅』では101箇所の王子社が掲載されていますので、この九十九も11の倍数という数字に意味があると考えられます。王子社にどのような意味があるのかは諸説あるようですが、参詣者が往路に儀式的なことをやっていたようであり、チェックポイントのような役割を果たしていたのでしょう。この旅でも、なるべく王子社、またはその痕跡をたどっていきたいと思います。 

郵便局の西側から、100メートルほど東に戻ります。土佐堀通に面していないのですが、少し南に入ったところに坐摩神社行宮いかすりじんじゃあんぐうがあります。豊臣秀吉大坂城を建造した際、現在の大阪メトロ「本町駅」付近に遷座したそうですが、元の地に小規模ながら残されたのがこの行宮だそうです。

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※坐摩神社行宮

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※社殿

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※ご由緒説明板

この地に渡辺王子窪津王子)があったということですね。時刻は10時26分になっています。では、熊野街道へ行きましょう。

先程の碑は道路の東側にありましたが、西側の歩道を南下していくことにします。

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※熊野街道スタート直後の上り坂

大阪平野とはいうものの、まったく真っ平というわけではありません。この辺はしばらくアップダウンを繰り返していました。下の道標は10時35分の撮影です。

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※長光寺付近の熊野街道の道標

2つ目の王子を目指します。南大江公園の中に、坂口王子の痕跡があります。

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※朝日神明社跡

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※朝日神明社跡説明板

この地に坂口王子があったと伝えられているわけですね。この時点で10時47分です。

ここから100メートルほど南下したところに、榎木大明神があります。

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※榎木大明神

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※榎木大明神の説明板

今でも地元の方々に大切にされていることが分かります。ビルが建ち並ぶ今ではそれほど目立ちませんが、江戸時代には遠くから見ても分かるランドマークになっていたのでしょう。10時52分に到着していました。

なお、この裏に直木三十五の文学碑があるのですが、行きは見落としてしまっており、帰りに写真に収めました。

榎木大明神から四天王寺まで

榎木大明神を10時52分に出発して、四天王寺石鳥居には12時22分に到着しています。途中昼食をとっていたので、Googleマップよりはスローペースになってしまっています。 

さて、榎木大明神のすぐ南には長堀通が通っています。しかし街道はここから南には抜けず、すぐ北の辻のところまで戻って東に折れます。

ローソン安堂寺町二丁目店の前の道路では、碑が路面に埋め込まれていました。10時54分に撮影しています。

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※地面に埋め込まれた熊野街道の碑

そのまま東進して谷町筋を横断し、セブンイレブン大阪安堂寺町1丁目店の次の筋を南へ折れます。今度は長堀通を横断して、しばらく南に進むと、T字路に突き当たります。右側は空堀商店街のアーケード、左に道標があります。この時点で11時2分です。

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※空堀商店街東端付近の道標 

左、つまり東に曲がり、すぐ右側に南下する道が出てきますので、そちらに入ります。そのまま進むと大阪市立上町中学校が左手に出てきます。道標もあります。11時4分です。

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※上町中学校東側の道標

ここからはしばらくひたすら南下するばかりになります。

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※街道沿いの古民家

旧街道らしいお宅もありました。

千日前通を横断して南下を続けます。

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※千日前通北側にある道標

大阪市立生魂小学校の前を通ります。随分とモダンな雰囲気の校舎です。時刻は11時19分でした。

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※生魂小学校

ここで、そろそろ昼食の心配を始めました。やはり混む12時前にはお店を出たいということから、この近辺で食べることにしました。マップではこの西側を南北に走る谷町筋まで出れば、お店が何軒かありそうです。そのなかでも、らぁめん こらぼるたに目星をつけました。早速コースを外れて向かいます。

すぐにお店に着きましたが、何と11時30分からの営業です。まだ開店前でしたが、すでに20分を過ぎていたので、外で待たせてもらうことにしました。待っている間にお店の方が出てこられて、タバコを吸っておられました。少々気まずい時間です。しかし2分ほど前にはお店を開けてくださり、中に入れていただきます。何とすでに案内された席には水までご用意してくださってました。

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※らぁめん こらぼるた メニュー表

ここはすごいお店ですね。DXセットの選択肢の幅がものすごいです。950円の正規料金のメニューだけでも、ラーメン14種類、ご飯もの7種類のあわせて98種類の組み合わせが楽しめます。毎日違うものを食べても、3か月以上かかるという計算になります。

しかもお客さんも続々と入って来られます。どうやら人気店のようです。清風中学校・高等学校の生徒さんでしょうか。何人かグループで来られました。しかし騒がしくなることもなく、静かに食べておられましたよ。

ちなみにラーメンは長浜豚骨、ご飯はチャーシュー丼の選択をされる方が多かったです。私は長浜豚骨と豚しゃぶ丼(おろぽん)にしました。

トイレもお借りし、元気百倍になって再出発します。しかしここで重大なミスに気がつきます。3つ目以降の王子のことをすっかり忘れてしまっていました。3つ目の郡戸王子こうづおうじはかなり戻らないといけないため、帰りに探すことにしました。ここからですとちょうど上野王子が近いです。早速向かいます。

上野王子はウォーキングマップによると上宮高校のすぐ近くにあるようですので、まずは上宮高校を目指しましょう。上宮高校というと私の少し上の年代の元木大介選手(※2020年から巨人の一軍ヘッドコーチ)が思い出されます。野球の名門校でもあります。

上町筋を横断し、上宮高校の校舎の北側を回って進みます。コロナ対策で窓が開いており、1階の授業の様子が通りからでも見えました。職業柄、生徒の皆さんの様子が気になるのですが、皆さん、真面目に授業を聞いておられるようでした。

王子の跡は、上之宮台ハイツという集合住宅の入口にあります。

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※上之宮址碑

本当にこのすぐ左側がアパートの入口になっていますので、大勢で、あるいは深夜や早朝に訪れるのはやめておきましょう。ここで12時2分になっています。

また、アパートの外壁側には生田花朝女(1889~1978)という女流画家の生誕地という碑もありました。隣には上之宮旧址という石碑があります。

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※生田花朝女生誕地の碑と上之宮旧址の碑

さあ、街道に戻りましょう。

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※上汐公園付近からアベノハルカスを望む

アベノハルカスを眺めながら街道を南下します。400メートルほど南下すると天王寺警察署に出ますので、そこを西に折れて、谷町筋に出ます。そこからまた南下です。

実は、ウォーキングマップでは谷町筋を南下することになっていますが、『熊野古道を歩く旅』では1筋中の道を通り、四天王寺石鳥居をくぐって南大門から南へ出ることになっています。とりあえず往路では谷町筋を南下することにしました。

四天王寺石鳥居には、12時22分に到着しました。

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※四天王寺石鳥居

四天王寺から万代池公園まで

四天王寺を12時22分に出発して、万代池公園には13時22分に到着しています。Googleマップとほぼ同じくらいのペースですね。万代池公園までは休憩をしませんでした。

さすがに日本仏法最初のお寺とされる四天王寺、参拝者も大勢おられます。地図で見ているだけでも大きなお寺です。ただ、今回は街道歩きがメインなので、参拝はまた後日きちんとさせていただくことにして、石鳥居の写真を撮った後はすぐに出発しました。

しばらく谷町筋を歩くとJR「天王寺駅」に出ます。そしてこの辺りからは谷町筋があべの筋と名前を変え、阪堺電軌上町線に沿って歩いていく形となります。大通り沿いで商店も連なっており、旧街道という感じではなくなります。また、南側からおそらく大谷中学校・高等学校の生徒だと思うのですが、ものすごい数の女子生徒とすれ違いました。ちょうど学校が終わった時間帯なのでしょう。

この後、道標写真も撮ってはいるのですが、人の顔や車のナンバーなども映り込んでいるため、ちょっと掲載を見送らせていただきます。

松虫」という交差点まではひたすら南下です。私は12時51分にその「松虫」の交差点に到着しています。それでこの後がややこしいのですが、阪堺電軌とあべの筋の間に細い道があります。そこを入っていきましょう。

入るとすぐ左側に熊野街道の説明碑が建っています。これが12時54分の撮影です。

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※「松虫」交差点付近の説明碑

ここからはまた道なりに真っ直ぐ南下します。しばらく進むと、左側に安倍晴明神社が出てきます。この時点で12時56分です。

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※安倍晴明神社

さらに進むと、5番目の王子、阿倍王子神社に到着です。時刻は12時58分です。

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※阿倍王子神社

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※阿倍王子神社にある熊野街道の説明板

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※遙拝地と書いてある碑

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※阿倍王子神社の説明板

王子社がきちんと残っているのは珍しいようですので、私も自然と写真を何枚も撮っていました。

さらにしばらく進みますと、晴明丘公園に経塚の碑が建っています。13時4分です。

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※経塚の碑と説明板

説明板によると、聖徳太子が一字一石経を埋めたとも伝えられているようです。それよりも私は、説明板に書いてある、この近辺にあったとされる北畠顕家きたばたけあきいえ大名塚が気になりました。後から地図を見ますと、ここから南東の、街道からかなり外れた北畠公園にあるようです。

さらに南下すると、阪堺電軌上町線と合流します。「北畠駅」があるのですが、地名の由来はどうやら北畠顕家にあるようですね。1991年放送のNHK大河ドラマ「太平記」では、北畠顕家後藤久美子さんが演じておられました。少年武将の儚さを描く配役だったのでしょう。実はこの作品には宮沢りえさんも藤夜叉役で出ておられましたので、当時の二大美少女スター(※お二人は生年は違うが学年は同じ)が出演しておられたわけですね。

そのまま「姫松」という交差点まで行きます。ここからが少しまたややこしく、交差点の1本南を左に入ります。するとすぐに右に折れていくようになっています。すぐに道標もありますので、それを目印にしてください。また、路面に下のようなものが埋め込まれています。どうやらこれは旧街道の目印のようです。今までの道中でも、所々確認してきました。ただ、必ずしもすべての場所に埋められているわけではないようですので、あった場合は正しい道を通れていると考えていただき、なかった場合にも直ちに道が間違っているとは言えませんので、ご注意ください。この時点で13時18分になっています。

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※「姫松」交差点から南に行った脇道にある道標

街道沿いらしい旧家もありました。路面には、やはり目印が埋められています。

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※万代池公園の少し北側

13時22分、万代池公園に到着です。ここでベンチに座って給水し、しばらく休憩をしました。子ども連れなどでにぎわっていました。

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※万代池

万代池公園から住吉大社まで

万代池公園を13時30分ごろに出発して、住吉大社東門には13時47分に到着しています。短い距離でしたが、Googleマップよりは少しペースが遅かったようです。

公園を出てすぐのところに道標がありました。 

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※万代池公園近くの道標

ここからは、三度阪堺電軌上町線と合流して、「帝塚山四丁目駅」まで進みます。200メートル程度でしょうか。途中でスポーツドリンクを購入し、水筒に補充しました。

帝塚山四丁目駅」のところでは、道が駅に阻まれて左右に分かれていますので、左側を南へ進みましょう。南海高野線の踏切を過ぎたら、セブンイレブン大阪住吉1丁目店を右に見ながら南西方面へ向かいます。有限会社芋忠本店の脇に街道の碑があります。時刻は13時43分でした。

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※芋忠本店脇の街道碑

さらに少し南下すると、いかにも歴史がありそうな住乃江味噌池田屋本舗にたどり着きます。池田谷本舗のホームページ*1を拝見しますと、創業は何と室町時代の1531年だそうです。もはや国宝レベルですね。なお、写真は西から撮っています。13時46分の撮影です。

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※住乃江味噌池田谷本舗

ウォーキングマップでは街道はこのまま南へ続いていますが、本日のゴールは住吉大社のつもりでしたので、ここから西に向かいます。わずか1分で、住吉大社東門に到着です。

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※住吉大社東門

ここらでマクドナルドでも探して休憩をしようと思ったのですが、住宅街のような感じで見当たりませんので、とりあえず住吉大社を横切って駅の方へ向かうことにしました。

しかし神社の中は土曜日の午後2時ごろとあって、なかなかの人です。結構赤ちゃん連れが多かったのですが、何かの祈願で来られているのでしょう。初宮参りなのかもしれません。待合所か何か、座るスペースがありましたので少しだけ座らせてもらいました。しかし、本格的に休憩できるところは見当たりません。

そこから境内を抜けて南海本線「住吉大社駅」まで行ってみましたが、マクドナルドはないですね。ロッテリアがあったのですが、なぜかシャッターが下りていました。休業中なのでしょうか。

駅の西側に、「真住よし 住吉すみのえの国」の碑がありました。古来平安貴族もここを訪れたようです。

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※「真住よし 住吉の国」の碑

ということでもはや仕方ありません。休憩は少し後回しにして、帰路につくことにしました。次回は、この住吉大社から再開です。

帰り道

住吉大社付近で休憩できなかったので、帰りは結構足取りが重かったです。トボトボと歩いていきます。天王寺周辺で見ておきたいポイントがいくつかありますので、その辺は『熊野古道を歩く旅』のルートを通ろうと思っていました。また、3つ目の郡戸王子こうづおうじを見落としていますので、それも確認しないといけません。

南海高野線の踏切のところに戻る手前の左側に、宝泉寺というお寺がありました。恵心僧都源信の開基ということでかなり由緒のあるお寺です。また、十三仏石仏というのが珍しいと思いました。割と立派な石仏ですので、ぜひご覧になっていただきたいと思います。通りから誰でも拝むことができます。ここは14時11分でした。

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※宝泉寺

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※十三仏石仏

阪堺電軌の「帝塚山四丁目駅」の傍らに帝塚山珈琲館というこじゃれた喫茶店がありました。外から見ると暗かったのでどんなお店か不安でしたが、中をのぞくときちんとした喫茶店でした。飲み物もそこそこしますが、空いていたので中で休憩することにしました。ミックスジュース600円、ソフトクリーム350円です。合計すると昼食と同じ金額です。しかし、さすがに休憩すると力が湧いてきます。15分くらいは休憩したでしょうか。

この後は、万代池の方には戻らず、阪堺電軌上町線に沿って北上します。「姫松」の交差点を過ぎて、「北畠駅」の北100メートルほどのところで街道と電軌が分かれますので、街道を戻っていきます。阿倍王子神社には15時5分に戻ってきました。そこから安倍晴明神社の前を通って「松虫」の交差点まで出ました。

そこからは東側の歩道をひたすら北上です。阪神高速14号松原線の下に熊野街道の案内板がありました。行きも同じところを通っていましたが、どうやらおじさんが立っていたか何かで、気がつかなかったようです。時刻は15時20分になっています。

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※「松原」交差点の案内板

JR「天王寺駅」の北側、玉造筋で行きとは違う道になります。『熊野古道を歩く旅』によれば、東に進みます。どこで北に曲がるべきなのかよく分からなかったのですが、3本目を北に曲がりました。本に載っているおはぐろ地蔵を探していたのですが、それは見つからず、代わりに清水の井は見つかりました。15時37分になっていました。

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※清水の井のある地蔵尊

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※清水の井説明板

後から地図で確認すると、おはぐろ地蔵尊はもう1本東の通りでした。しかし、四天王寺南大門に出るには私が通った道が正しいようです。この後、本に載っているポイントは押さえながら進めました。

庚申堂が15時39分、超願寺が15時41分でした。

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※庚申堂

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※竹本義太夫墓所のある超願寺

四天王寺南大門は、15時44分にくぐりました。

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※四天王寺南大門

四天王寺の参拝は後日と考えていましたので、とりあえず中を通って西の石鳥居へと出て、谷町筋を北上することにしました。そこを歩いていて気がついたのがこの会社です。

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※金剛組

一見普通の、ただ名前が強そうな会社と思われるかもしれませんが、この会社はすごい会社です。金剛組のホームページ*2によりますと、会社の創業は何と西暦578年! 聖徳太子の時代から1400年以上続く、歴史のある企業なのです。おそらく現存する企業としては最古だと考えられます。道を変えたことで奇跡的に見つけることができました。

と、その後すぐに気づいたのですが、四天王寺にあるという熊野権現礼拝石を見てくるのを忘れていました! 熊野街道を歩いているのに、熊野権現礼拝石を見落としてしまうとは……。悩みましたが、少し歩くと右側に四天王寺中之門が出てきました。まだ境内に帰れるということです。苦渋の決断ですが、戻ることにしました。この時点で15時52分でした。

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※四天王寺中之門

境内に入って案内図を見ると、何と熊野権現礼拝石南大門入ってすぐのところにありました。実は南大門を入ったときに次の仁王門のところで若者が動画の撮影をやっていまして、それに気を取られてしまってたんですよね。ですから伽藍の中に入っていくこともなく、スルーしてしまっていたのです。

境内は広いので結構歩きますが、何とか礼拝石までたどり着きました。15時57分になっています。

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※熊野権現礼拝石

どれぐらい南大門に近いかというと、これくらいです。

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※熊野権現礼拝石と南大門

これはしかし、南から入ると気づきにくいんですよね。灯籠が石を隠してしまいますし、説明板も北向きですから。……とまあ言い訳をしながら、休憩をすることにしました。脇に御参詣者休憩所というのがあるということを知っていましたし、無駄に歩きましたので休みましょう。ここでポカリスエットを補充しました。この日も1.5リットル飲むことになります。

さあ、気を取り直して出発しましょう! 本日3度目の石鳥居を通り、今度は谷町筋の西側の歩道を通ることにしました。郡戸王子こうづおうじがあったと考えられるのが高津宮こうづぐう近辺とのことでしたので、とりあえず高津宮に行くことにします。マップによるととくに碑も建っていないようですが。

すると、ここでも運命的な発見が!

かの有名なパインアメの本社があります! 時刻は16時21分になっていました。

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※パイン株式会社

国民のほとんどが知っている?にも関わらず、意外と小さな会社です。

ちょっとした喜びもあったのですが、天気はどんどん悪くなっていきます。雨が降りそうになってきました。

高津宮に着いたことには、ポツポツと降り始めてきました。16時30分のことです。

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※高津宮鳥居

何とか止んでくれ!と祈りながら神社の中に入ります。もはや王子の史跡探しどころではありません。

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※高津宮本殿下

大きい木が茂っているところは大丈夫なのですが、何もないところではもはや防ぎようがありません。面倒ですが、折り畳み傘を使用するしかなさそうです。

本殿に行きお参りしてから、折り畳み傘をリュックから取り出します。ちょうど本殿では何かのご祈祷を始めておられたので、少しガサガサして申し訳なかったです。

高津宮の本殿のレベルからは東に出ることはできなかったので、いったん西北側に出てから東の谷町筋を目指します。

専修院というお寺の前にたまたま地蔵坂という石碑もあり、また交差点には常夜灯もありました。

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※地蔵坂石碑

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※常夜灯

「安政二乙卯歳」と書かれていますので、1855年の建立のようです。今は塀の中に取り込まれてしまっています。下の写真で16時42分です。

そこからは谷町筋の東側をひたすら北上します。

これ、写真では雨がまったく伝わりませんが、まあまあ不快なレベルの雨が降っています。傘なしだとかなり濡れてしまいます。途中で、赤ちゃんを抱いたお母さんが家に電話をかけておられて、「洗濯物を取り込んで欲しい」と頼んでおられたほどです。ご家族の方はどうも「降っていない」と返答されていたようですが。

私の最後のチェックポイントは、谷町筋にあるという近松門左衛門墓でした。「谷町7丁目」交差点の少し南、大阪谷町郵便局の南側にあります。

当然ですが何の前触れもなく出てきました。傘を差しながらの撮影ですので、傾いてしまっています。時刻は16時45分です。

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※近松門左衛門墓説明板

右側にある門はカギがかかっていませんので、中に入ることができます。

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※近松門左衛門の墓所 左側にお墓がある

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※近松門左衛門のお墓

菊が供えられています。きちんと管理しておられる方がいらっしゃるようです。さすが「浪速のシェークスピア」(※私が勝手につけました)、今でも慕う人々が跡を絶たないわけですね。

さて、谷町筋をさらに北上します。榎木大明神の裏手に回ると、直木三十五の文学碑がありました。行きに見落としていたものです。16時59分になっています。

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※直木三十五の文学碑(南面)

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※直木三十五の文学碑(西面)

これで見るべきものは見終わりました! 帰路を急ぎましょう!

しかし、行きと帰りで東西違う歩道を歩いていると、行きに気づかなかったものに気づきます。南大江公園を過ぎてからしばらく行ったところで、太閤下水というものを発見しました。17時5分のことです。

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※太閤下水説明板

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※太閤下水

雨のせいでまったく見えなくなっていますが、透明な板の下に石垣のようなものがあり、用水路になっています。下の方の緑に見えているものは、石垣の石の周りについている苔です。こんなものも残っているとは、大阪は意外と侮れない歴史の街ですね。

熊野街道はそこから10分ほどで終了です。しかし、まだ関目神社まで京街道を戻らないといけません。まだまだ先は長いです。

途中、京橋のマクドナルド京橋店で休憩しようとしましたが、18時前になっていて混んでいたので、スルーするとすぐ近くにドトールコーヒーショップ大阪京橋店がありましたので、そちらで休憩することにしました。アイスのカフェオレとチョコチップクッキーで450円くらいだったと思います。

入るときは空いていると思ったのですが、私が入ってからどんどんお客さんが増えてきました。どうしてそのような格好をしているのか分からないのですが、女の子2人組のうち1人が、くまのプーさんの服を着ていました。そのときは疲れ果ててボーッと見てましたが、今から考えるとこれは「くまのプーさん」と「熊野」がかかっており、何らかの啓示だったのではないでしょうか!?

さあ、ラストスパートです。幸い、雨が止みましたので、傘はリュックにしまいました。荷物が一つ減るのは助かります。そこから京橋のアーケード街を過ぎて、ひたすら北上していきます。行きに見た道標も、雨で濡れてしまっていました。行きは9時18分に見た道標で、帰りは18時27分に見ています。実に9時間ぶりの邂逅ということになりました。

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※9時間ぶりに見た京街道の道標

野江4丁目」の交差点からは、ルートを最適化して都島通を北東に進みます。

18時41分、関目神社に到着です。出発してからほぼ10時間が経過していました。実はリュックサックに入れる荷物を1kgほど増やしたのですが、その影響もあってか前回よりも身体的にはキツかったですね。足の痛みなどは結構慣れてきたのか、マシになっていました。

しかし、帰宅後に気づいたのですが、足がかぶれたのか何なのか分からないのですが、靴下を履いていた部分に発疹ができていました。まあ、2~3日で収まりましたので、大したことはなかったのだと思います。

次回は、熊野街道を堺の方まで行きたいと思います。また、次回をお楽しみに!

皆さんも、ぜひ街道歩きに挑戦してみてください!

 

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最終更新:2021.5.31