西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

山上の曼荼羅 高野山金剛峯寺、壇上伽藍、奥之院弘法大師御廟に行ってきました!

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高野山奥之院

記念すべき巡礼レポート第1弾は、和歌山県にある高野山金剛峯寺こんごうぶじです。高野山金剛峯寺弘法大師こうぼうだいし空海)がひらいたお寺で、現在は高野山真言宗しんごんしゅう総本山となっています。高野山では、弘法大師はまだお亡くなりになってはおらず、奥之院おくのいんで入定されているだけである、とされています。それゆえ、毎日お食事も届けているそうですよ。

それでは、高野山金剛峯寺の巡礼情報と、南坊の巡礼記について記していきます!

高野山の巡礼情報

高野山というと金剛峯寺だけしかない、と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、高野山金剛峯寺をふくむ山上の盆地全体が一つの霊地となっています。実は弘法大師壇上伽藍だんじょうがらんをまず整備されました。壇上伽藍奥之院両壇と称される二大聖域とされ*1、とくに壇上伽藍にある根本大塔こんぽんだいとうは、まさに高野山の根本にあたります。『高野山官符』*2(成立年代不明)に収められている高野山の絵図でも、大塔がひときわ大きく、高野山の中心に描かれています。

高野山の縁起

高野山の成立縁起については、いつくかの説が共存しています。井筒信隆さんは「高野山の歴史と弘法大師信仰」*3の中で次の三つの説話を挙げておられます。

伝説には、託宣によって地主神の丹生明神にうみょうじんから高野の地を譲られたとする神領譲渡伝説、空海入唐にっとう留学を終え、日本に帰国する直前の明州の浜から、密教宣揚の根本道場建立地を求めて、持っていた三鈷杵さんこしょに祈念して日本に向かって投げたところ、高野山の樹木にかかる三鈷杵を後に発見し開創されることになったとする飛行三鈷杵伝説、狩人(狩場明神)の教示と猟犬の案内により高野の地を知ったとする狩場案内伝説の三話が基本形として語られている。

さらにこれらの説話は複合されるなどして、少しずつ形を変えて今に至っているようです。実は私も、三鈷杵を投げたあと、白い犬(紀州犬?)に案内されて弘法大師高野山にたどり着いたというお話は、何となく聞いたことがありました。

また、『高野山記』*4(成立年代不明)にも、弘法大師が唐にいたとき、日本における密教にふさわしい霊地を占おうとして三鈷杵を投げたところ、この地に落ちてとどまった、今の三鈷の松さんこのまつがこれである、と書かれています。

どの伝説が正しいのか分かりませんが、歴史的事実としては、弘法大師が弘仁7(816)年に嵯峨天皇に上表してこの地に密教道場を建立することを願い出て、高野山が開かれた、ということがはっきりしています。弘法大師は、都を遠く離れたこの地こそが、秘密の教えである密教の修行場としてふさわしいと考えたのでしょう。王城の鎮護となった比叡山延暦寺が、京都に近すぎたがゆえに時の権力争いにしばしば巻き込まれた事実とは、対照をなしています。

高野山の見所

壇上伽藍だんじょうがらん

大門から徒歩10分のところにあります。中門の目の前に駐車場があります。金堂根本大塔が中心です。

金堂高野山のホームページによると高野山全体の総本堂だということです。もとは弘法大師が811年にお建てになったもので講堂と呼んでいたそうですが、江戸時代前期に類焼し、銅瓦にして再建したということで、金堂となりました。現在の建物は1932年に完成したものです。ご本尊は高村光雲さんが作られた阿閦如来あしゅくにょらい薬師如来)で、秘仏となっています。

金堂データ

ご本尊 :薬師如来

所在地 :〒648-0294

     和歌山県伊都郡高野町高野山152

電話番号: 0736-56-2011(代)

※所在地は壇上伽藍、電話番号は高野山金剛峯寺のもの

拝観時間:8:30~17:00(受付は16:30まで)

拝観料 :大人 500円 小学生以下 無料(団体割引あり)

 

根本大塔弘法大師が819年に建立に着手され、887年ごろに完成したとされています。その後5回の焼失ののち、現在の建物は1937年に完成しました。堂内は胎蔵界大日如来を中心として諸仏が配され、一つの立体曼荼羅となっています。

根本大塔データ

ご本尊 :薬師如来

所在地 :〒648-0294

     和歌山県伊都郡高野町高野山152

電話番号: 0736-56-2011(代)

※所在地は壇上伽藍、電話番号は高野山金剛峯寺のもの

拝観時間:8:30~17:00(受付は16:30まで)

拝観料 :大人 500円 小学生以下 無料(団体割引あり)

金剛峯寺こんごうぶじ

壇上伽藍から徒歩5分ほどのところにあります。駐車場は第1駐車場と第2駐車場があります。本来金剛峯寺とは、弘法大師「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」の深意を象徴するものとして命名されたもので、高野山の全体を指していました。しかし、明治2(1869)年に明治政府による寺社整理の政策に従い、豊臣秀吉が創建した青巖寺金剛峯寺として改称しました。その後、この名前は西国三十三所の第一番札所の青岸渡寺に受け継がれたとも言われています。

別殿の内部の襖絵には、弘法大師入唐の説話が描かれています。また、豊臣秀吉の甥の豊臣秀次が切腹した柳の間や、日本最大級の石庭である蟠龍庭ばんりゅうていなど、見所が多いです。新別殿では、お茶とお菓子のお接待があり、タイミングがよければお坊さまの法話を聞くことができます。 

※2021年2月21日現在、コロナウィルス感染拡大防止の観点から、お接待は中止されています。なお、法話については4月30日から5月5日の期間は再開予定とのことです。 

金剛峯寺データ

ご本尊 :弘法大師

所在地 :〒648-0294

     和歌山県伊都郡高野町高野山132

電話番号: 0736-56-2011(代)

拝観時間:8:30~17:00(受付は16:30まで)

拝観料 :大人 1,000円 小学生以下 300円(団体割引あり)

奥之院おくのいん

金剛峯寺から徒歩で40分ほどのところにあります。最寄りの駐車場である中の橋駐車場からでも徒歩で15分弱かかります。一の橋からだと25分程度かかりますが、ぜひこちらから歩いていただきたいです。

まさに霊地と呼ぶにふさわしく、それまでお土産物屋さんが並んでいた街並みから一歩入るだけで空気が変わります。奥之院までの途中には島津家武田家上杉家など戦国武将の墓所が並びます。御廟までの最後の橋を渡ってからは写真撮影等も禁止になり、完全な聖地となります。弘法大師はこの地で今も入定されておられるとされ、令和の現在も、多くの人々から尊崇を集めています。

奥之院データ

ご本尊 :弘法大師

所在地 :〒648-0294

     和歌山県伊都郡高野町高野山550

電話番号: 0736-56-2011(代)

※所在地は壇上伽藍、電話番号は高野山金剛峯寺のもの

拝観時間:8:00~17:00(5月~10月)

     8:30~16:30(11月~4月)

※納経所受付時間なので、拝観時間は前後する可能性あり

拝観料 :大人 1,000円 小学生以下 300円(団体割引あり)

高野山のアクセス

高野山金剛峯寺のホームページにアクセス情報が掲載されています。

公共交通機関

まず、南海電鉄「橋本駅」方面から「極楽橋駅」までお越しのうえ、南海ケーブルカーにお乗り換えください。

壇上伽藍

南海ケーブルカー「高野山駅」から南海りんかんバス「大門南駐車場」行に乗車、「大塔口」または「金堂前」下車すぐ(「高野山駅」から約15分)

金剛峯寺

南海ケーブルカー「高野山駅」から南海りんかんバス「大門南駐車場」行または「金剛峯寺前」行に乗車、「金剛峯寺前」下車すぐ(「高野山駅」から約11分)

奥之院

南海ケーブルカー「高野山駅」から南海りんかんバス「之院前」行に乗車、「奥之院前」下車徒歩約13分(「高野山駅」からバス・徒歩あわせて約30分)

お車

京奈和道「かつらぎ西IC」から国道480号線を有田川町方面へ南下。約40分。

壇上伽藍

中門前駐車場すぐ。10数台あり。無料。

金剛峯寺

金剛峯寺前第1駐車場すぐ。第2駐車場徒歩5分。あわせて100台程度。無料。

奥之院

中の橋駐車場から徒歩約13分。200台弱。無料。

※2021年2月21日現在、中の橋駐車場は立体部分が閉鎖中のため、駐車可能台数は40台程度となっています。

南坊の巡礼記「高野山」(2021.2.21)

2021年2月21日、和歌山県にある高野山金剛峯寺に行ってきました!

実はまったく知らずに訪れたのですが、弘法大師空海)の命日が21日であるらしく、巡礼着である白衣姿の方々も結構大勢いらっしゃいました。2月ながらも暖かい日で、とてもよいお参りができました!

大阪から車で2時間弱。9時50分ごろ壇上伽藍前の駐車場に車を停めます。高野山は数回訪れたことがありますが、金剛峯寺奥之院の記憶はあれど壇上伽藍だんじょうがらんに来た記憶はありません。実は初めてかもしれません。

中門ちゅうもん

駐車場から中門を見上げます。

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※高野山 中門

中門仁王門ではありませんので、四天王が祀られています。正面から見ると二尊、裏面から見ると二尊が祀られていました。鮮やかな朱塗りが青天に映えます。

実は写真には写っていませんが前週にそこそこの大雪が降っており、日陰にはまだ雪が残っています。門の裏側では、屋根から雪解け水が落ちてきて、帽子などを被っていない場合、頭に滴が垂れてきてかなり気持ち悪かったのではないでしょうか。

門をくぐり壇上伽藍内部に入ります。地面がかなり濡れており、郷ひろみさんと故樹木希林さんの「林檎殺人事件」くらいフニフニとしていました。

金堂こんどう

この壇上伽藍弘法大師が最初に整備された伽藍です。その中にある金堂は、高野山のホームページによると高野山全体の総本堂であるということです。なぜか写真を撮っていませんでした……。

金堂拝観料500円です。自分で勝手に入り、中にある箱にお金を納めます。私自身が初めて来たと言いましたが、観光客もあまり来ないのか中に入ったときは私一人でした。般若心経をお唱えします。残念ながらご本尊は秘仏で、お顔を拝見することはできませんでした。

根本大塔こんぽんだいとう

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※高野山 根本大塔
これまた朱塗りの建物と青天が見事に映えます。

拝観券の説明によると、真言密教根本道場である伽藍の中心たる建物だということです。なるほど、堂々としておりどっしりとした雰囲気です。

これも金堂と同様に拝観料500円です。同じく勝手に入り、箱にお金を納めます。ここも最初は私一人でしたので、般若心経をお唱えさせていただきました。こちらではご本尊の大日如来をはじめ、諸仏のご尊顔を拝することができます。

納経所はなく、御供所にてご朱印をいただきます。金堂根本大塔それぞれ300円でした。

この段階で10時15分くらいでした。ここから弘法大師御廟がある奥之院に向かいます。ここはやはり歩くべきだと考えて御供所のお坊さまに尋ねます。30~40分というお答えでした。全然いけますね。

高野山は山上の盆地全体が一つの霊地となっています。上述の『高野山記』によれば、壇上伽藍から奥之院までは三十七尊の仏さまを表す三十七町の距離があるとされています。1町は約109メートルですから、37町だと4,033メートルということになります。30分では着かないですね。

蛇腹路じゃばらみちと呼ばれる道を通り、まっすぐ奥之院を目指します。高野山は東西に細長い盆地ですので、方向感覚さえ間違わなければ、迷うことなく目的地まで行くことができます。

一の橋

少し広めの駐車場がある金剛峯寺の前をスルーして、ひたすら奥之院を目指します。金剛峯寺の前を過ぎるとあとはお土産物屋さんが連なっています。私のお知り合いの方のごま豆腐のお店があったり、巡礼用品を販売しているお店があったり、いろいろあります。あとは、多くの小さな寺院や神社があります。意外とアップダウンがあり、結構しんどいですね。

歩き出して15~20分くらいでしょうか。ようやく一の橋に到着です。ここからは、まさに霊域となります。

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※高野山 一の橋

霊木に守られた石畳の道に、お杖を突く音がカツカツととても心地よく響きます。島津家上杉家、当時はまだ旬だった明智光秀(NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放送終了直後でした)のお墓など、数々の大名や武将のお墓が並んでいます。戦に明け暮れた武将たちは死んだあとくらいはゆっくりと静かに眠りたかったのでしょうね。

途中で移動中のお坊さまたちに遭遇しました。思わず道を譲り、頭こうべを垂れます。ありがたやありがたや。

奥之院

一の橋から20分近く歩いて、10時50分ごろにようやく奥之院に到着です。トップの写真が奥之院の入り口です。ここから先は、写真撮影が禁止となります。

御廟付近は、そこそこ参拝者がいます。御廟の中に入り小声で読経をします。人が多いので、勤行をするには少し所在もなく、はばかられます。

実は今回の参拝は、四国八十八ヶ所の結願お礼参りでした。これで満願ですので、あとは納経所に行き、ご朱印を書いていただくだけです。四国の八十八番札所の大窪寺ご朱印をいただいたときは、あまりの寒さに達成感や充実感はそれほど感じなかったのですが、今回はかなり胸アツな感じです。と、ここで気がつきました。忘れ物大王の私、何と車に掛け軸を忘れてきてしまいました! 阿呆あほうです。

区切り打ちで香川県の札所に向かっていた際(未レポ)も、山陽道の岡山県内の備前IC付近で掛け軸を家に忘れてしまったことに気づいたことがありましたが、今回もやらかしました。まあ、仕方がありません。

納経所では、おばあさんに書いていただきました。矍鑠かくしゃくとした方でしたが、「満願おめでとうございます」とお言葉をかけていただき、感慨でジーンときました。そこで教えていただいたのが、「今日がお大師さま弘法大師)の命日ですよ」ということでした。それで白衣姿の人も多かったのですね。今回私は何回か参拝していた金剛峯寺にお参りする予定はなかったのですが、このおばあさんにお勧めされたので、金剛峯寺も参拝することにしました。

大門だいもん

奥之院からまた歩いて30~40分、ようやく壇上伽藍まで戻ります。ここに車を停めたまま金剛峯寺を参拝したいと思いますが、その前に大門を目指します。

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※高野山 大門

大きいですね。麓から徒歩で高野山まで登ってきて、この大門を目にしたらその威容に圧倒されたことでしょう。高野山のホームページによるとこの仁王像東大寺南大門に次ぐ大きさとのことです。確かに、すごい迫力です。

ここは近くに駐車場がないため、訪れている方は少なめでした。

金剛峯寺こんごうぶじ

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※高野山 金剛峯寺

12時少し前に金剛峯寺に到着です。

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※金剛峯寺 大主殿

せっかくですので、本堂に入らせていただきます。拝観料1000円でした。なお、ご朱印納経帳を預かってくださり、参拝している間に書いてくださいます。

順路という案内に従い、廊下を進みます。弘法大師の入唐にっとうのお話などが絵伝として襖絵に描かれています。そこそこ疲れていたので、そこはスタスタと進みます。

最奥部に参拝者の接待のための新別殿があります。そこでは、お茶とお菓子のお接待をしていただけますし、タイミングがよければお坊さまの法話を聞くこともできます。

ところが! お腹が空いていてこのお菓子を当てこんでいたのですが、何とコロナ禍の影響でお菓子のお接待はなくなっていました! しかも、お茶も湯呑み茶碗ではなく紙コップでセルフサービスです……。仕方がないこととはいえ、味気なさを感じるのはきっと私だけではないでしょう。

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※金剛峯寺 蟠龍庭

新別殿から大主殿にもどる際、この蟠龍庭ばんりゅうていを目にします。石庭としては日本最大の面積を誇るそうです。敷き詰められている小さな石が雲海を表し、大きな岩で雌雄の龍を表現しているとのことです。

金剛峯寺を出てから、壇上伽藍前の駐車場に戻ります。歩いて5~10分程度でしょうか。大門に行く際に見つけていたcafe&居酒屋丸高で昼食にからあげ定食をいただきました。13時少し前で、他のお店は並んでいるところもあったのですが、ここはすぐに入れましたし、席もかなり空いていました。外の明るさに対し中の照明が暗めなので、外から見ると中の様子がよく分からないんですね。それで、もしかすると入りにくいのかもしれません。実際は、中はおしゃれなお店で、からあげ定食もとてもおいしかったです。お勧めですね!

食事のあとはさすがに歩く気力もなくなり、車で中の橋駐車場へ向かいます。そこから奥之院を目指し、掛け軸にご朱印を押していただくわけです。しかし、コロナ禍で参拝者が減っているからか立体駐車場を閉めておられ、かえって入庫待ちが発生してしまっていました。状況を見て立体駐車場の1階だけでも開けていただければよかったのですが……。とはいえ、10分も待たずに車を停めることができました。

そこから歩いてまた奥之院を目指し、納経所ご朱印を押していただきます。何と午前中と同じおばあさま! 掛け軸に箱書きしてくださるといったことなど、またもやいろいろと教えてくださいました。こういう方に書いていただけると、とてもうれしくなります。

というわけで滞在時間は4時間ほど、1万8千歩近く歩きましたが、お天気もよく、無事に四国八十八ヶ所のお礼参りを済ませることができたので、とても充実した一日でした。

 

南坊の巡礼記「高野山金剛峯寺」(2021.2.21) ▷ 南坊の巡礼記「補陀洛山寺」(2021.2.22)

 

最終更新:2021.5.27

*1:井筒信隆「高野山の歴史と弘法大師信仰」所収「空海と高野山」展図録(2003)

*2:所収 塙保己一編『続群書類従 第28輯上 釈家部』八木書店(2013) 

*3:所収「空海と高野山」展図録(2003)

*4:所収 塙保己一編『続群書類従 第28輯上 釈家部』八木書店(2013)