
レポートが遅くなりましたが、2025年11月2日、奈良にある西大寺に行ってきました!
大学の文学部で同じクラスだった同窓生たちの集いで、何と仏教美術を研究している大学教授がおりまして、彼女の案内で奈良のお寺を回るというぜいたくな旅です。
というわけで、1か寺目は近鉄「大和西大寺駅」近くにある駅名の由来となっているお寺、西大寺です。
正確な人数は忘れましたが、同窓生は男性4人、女性6人、そして高知からの同窓生のご友人とそのお二人のそれぞれのお子さん、あわせると13人ほどの集まりでした。大学時代にそんなに親しくなかった人もいますが、意外と何十年も経つと気軽に話ができるもんですね。不思議です。
西大寺の巡礼情報
西大寺は南都七大寺の一つで、珍しい真言律宗のお寺です。
西大寺の縁起
西大寺の縁起は、西大寺のホームページ*1に記載されています。
それによりますと、お寺の創建は奈良時代にさかのぼります。
天平宝字8(764)年9月11日、藤原仲麻呂(恵美押勝)の反乱が発覚し、孝謙上皇はその当日に反乱鎮圧を祈願して、『金光明経』などに鎮護国家の守護神として登場する四天王像を造立することを誓願されたそうです。翌年の天平神護元(765)年に孝謙上皇は重祚して称徳天皇となり、誓いを果たして金銅製の四天王像を鋳造されました。これが西大寺の起源となっています。称徳天皇のお父さまである聖武天皇は平城京の東郊に東大寺を創建されましたが、娘に当たる称徳天皇は勅願によって都の西に西大寺の伽藍を創建したのでした。
このことは、『西大寺資材流記帳』*2や『西大寺光明真言縁起』*3に記載があります。
しかしその後、都が平安京に遷り、天台宗や真言宗などが勃興したこともあり、西大寺も廃れていったようです。『西大寺光明真言縁起』には、こう記載されています。
雖然星霜年舊生往異滅理、盛者必衰習、名耳在元(之カ)
要するに、何十年何百年と時が過ぎ、栄えていたものも衰退するのは世のならいであり、西大寺の名前だけが人々の間に残っていて実際に顧みる者はいなかった、ということでしょう。以下も、『西大寺光明真言縁起』の記述によります。
~ところが、草創から469年を経た鎌倉時代の嘉禎元(1235)年、興正菩薩叡尊が35歳の時、このお寺の宝塔院に移り住み、金堂の中に一丈六尺(※約4.65メートル)の十一面観音像をご本尊として安置し、その周りに称徳天皇の四天王像を置きました。
こうして、西大寺が再興し、ただの律宗ではなく、真言律宗のお寺として再出発することになったそうです。
西大寺の見所
西大寺の見所をご紹介します。
東門

※東門
近鉄「大和西大寺駅」からアクセスした場合、この東門に到達します。大伽藍に似合わない小さな山門です。南門もあり、南門の方が立派な山門です。
四王堂

※四王堂
西大寺の起源となったお堂です。元来は四天王像を祀るお堂でしたが、叡尊の時代に十一面観音像が移され、ご本尊となりました。現在の建物は江戸時代前期の延宝2(1674)年のもので、寄棟造となっています。お堂の周囲には、創建当初の規模を伝える基壇が残っています。
なお、四天王像はたびたび罹災し、奈良時代に建造されたまま残っているのは、四天王が踏む足元の邪鬼像のみだそうです。
十一面観音立像(平安時代)、四天王像ならびに邪鬼(邪鬼:奈良時代、本軀:室町時代)、行基菩薩坐像(江戸時代)はいずれも国の重要文化財に指定されています。
本堂

※本堂
元々は鎌倉時代に東塔の北側に建てられた光明真言堂の後身で、江戸時代中期の寛政年間(1789~1801年)に完成したそうです。一重の寄棟造で、土壁を一切用いない独特の建築技法となっています。国の重要文化財に指定されています。
また、本堂内部にあるご本尊釈迦如来立像(鎌倉時代)、文殊菩薩騎獅像ならびに四侍者像(鎌倉時代)、弥勒菩薩坐像(鎌倉時代)はいずれも国指定の重要文化財となっています。
東塔跡

※東塔跡
西大寺の東西の両塔は、当初八角七重塔として設計されたそうですが、実際には四角五重塔として創建されたようです。その後、焼失したと伝えられており、鎌倉時代になって叡尊が東塔を中心とする宝塔院という区画を西大寺復興伽藍の中核としました。その東塔も1502年に焼亡し、その後は再建されないまま塔跡のみが遺っています。昭和31年の発掘調査で塔跡周辺に八角に掘込地業が施されていることが判明し、当初の八角塔の伝承が裏付けられました。
愛染堂

※愛染堂
本堂の西南に東面している仏堂で、入母屋造、桟瓦葺き、向拝を備える大きな仏堂です。叡尊上人の住房であった西室にしむろの跡地に、江戸時代中期の明和4(1767)年に京都の近衛家邸宅の御殿の寄進を受けて移築してきたそうです。建物は奈良県指定文化財となっています。内部は三区画に分かれており、北側が客殿、中央を内陣、南側を御霊屋おたまやとして、歴代先師尊霊の位牌を祀っています。ご本尊は秘仏の愛染明王です。
興正菩薩坐像(鎌倉時代)は国宝で、秘仏の愛染明王坐像(鎌倉時代)は国指定の重要文化財となっています。
西大寺へのアクセス
西大寺のホームページ*4に詳しいアクセス情報が掲載されています。
公共交通機関
近鉄「大和西大寺駅」から徒歩約3分。
お車
第二阪奈道路「宝来IC」から近鉄「大和西大寺駅」方面へ約5分走行し、奈良西大寺郵便局前から西に入る。
駐車場あり。約50台。1時間300円(その後1時間経過ごとに200円)。
西大寺データ
ご本尊 :釈迦如来立像
宗派 :真言律宗
霊場 :神仏霊場巡拝の道 第23番
真言宗十八本山 第15番
大和十三仏霊場 第2番
西国愛染十七霊場 第13番
大和北部八十八ヶ所霊場 第25番
所在地 :〒631-0825 奈良市西大寺芝町1丁目1-5
電話番号:0742-45-4700
拝観時間:8:30~16:30
拝観料 :800円(本堂・四王堂・愛染堂三堂共通券)
境内案内図
https://saidaiji.or.jp/precinct/(2026.2.1閲覧)
上記サイトの当該箇所に境内の案内図があります。
南坊の巡礼記「西大寺」(2025.11.2)
近鉄「大和西大寺駅」前で大学の同窓生と集合します。我々は、ガヤガヤと旧交を温めながら西大寺へ向かって歩きました。なお、集合は10時半だったのですが、神戸方面からの電車が遅れており、5分ほど遅れて全員集合となりました。阪神電鉄と近鉄が相互乗り入れを行っていて、三宮から奈良まで電車1本で来れるのはすごく便利ですよね。
駅から西大寺までは呆気ないくらいに近いです。すぐに到着しました。
何しろ大学教授という専門家がいらっしゃいますので、中に入ると丁寧な説明が始まりました。西大寺の来歴や見所など、さすがの知識です。みんな、フムフムとうなずきながら説明を聞きます。
その後、まずは四王堂に入ることになりました。しかし、一気に10人近くが入ろうとしたため、受付の方がパンクしてしまい、本堂の方で拝観券を購入して欲しい、ということになりました。窓口の数が少なかったわけですね。
ということで、先に本堂へ回ります。
兵庫県庁に務める友人がご朱印帳を出して、受付で申し込んでいました。500円ですね。私も、神仏霊場巡拝の道のご朱印帳を取り出します。私調べですが、霊場会が公式に発行しているご朱印帳の中で、日本で一番大きなご朱印帳だと思います。
本堂の中にはご本尊の釈迦如来立像が祀られています。友人の一人がガンダーラ仏のようだと言っていました。確かに、仏像の元祖はガンダーラですからね。
右側の離れたところには、これまた立派な弥勒菩薩坐像が祀られています。こちらは釈迦如来像と違って螺髪ではありません。私はあまり仏像に詳しくありませんが、螺髪になるのは如来クラスの仏さまだけなんですね。釈迦如来、薬師如来、大日如来といった仏さまです。
その後、本堂の南西側にある愛染堂に行きました。ここは秋の特別拝観が行われていて、秘仏の愛染明王坐像が特別公開されているのです。どうやら年初と秋の2回、特別公開があるようです。
ただ、遠目にはがっかりするかもしれません。像高が31.8cmしかなく、本堂の立派な仏さまを見た後だと、小さく見えてしまうのです。しかし、近づいてよく見てみると、ものすごくよくできていることが分かります。造形が細かく、丁寧ですね。憤怒の相と言いながらも、どこか優しさを感じさせてくれます。確かに、秘仏にふさわしい品格でした。ちなみに国指定の重要文化財です。
また、愛染堂にはもう一つ目玉となる像があります。興正菩薩坐像、つまり西大寺中興の叡尊上人の坐像です。
これは国宝にも指定されているとおり、まさに生き写しのような写実性に富んだ坐像となっています。顔の造形がとにかくリアルで、こういうおじさんいるよな、と現代に当てはめても思えますし、叡尊上人の面影をダイレクトに受け取ることができます。貧者や弱者に寄り添った活動をつづけただけあって、本当に柔らかな表情をしておられます。
いろいろ仏像の説明も聞きながらになるのですが、細かいことは忘れてしまいました(こらこら!)ので、詳細はここには書きません。まあ、専門書レベルの話でした。
なお、愛染堂を出ると本堂との間に、興正菩薩の菩提樹が植えられていました。樹齢700年とのことです。

※菩提樹
その後、聚宝館を訪れ、様々な文物を見学した後、最初に訪れた四王堂に行きました。ここの四天王像が、もともとこのお寺の始まりになっているわけですね。ただ、四天王像は何度か焼失したらしく、現在のものは室町時代に再建されたもののようです。ただし、四天王が踏みつける邪鬼の像は奈良時代のものだということでした。確かに、色というか質感というかが、四天王像と邪鬼像とでは微妙に違っています。なかなか私のような仏像素人はそういうところまで気がつきませんが、さすが、専門家はそういうところにこそ関心を持つわけですね。
参拝を終えて、外に出ました。東門の前で、記念写真を撮ります。女性お一人と、高知組が、ここでお別れとなるからです。
ただ、結構人や車の往来が多く、なかなか写真を撮れませんでした。最後は通りすがりの方にシャッターをお願いし、全員で撮ることができました。
さて、昼食です。この時点で12時半はとうに過ぎていました。この後、秋篠寺も参拝することになっていたので、まずは腹ごしらえですね。
とりあえず、駅の北側に回りました。私は土地勘がありませんが、ある人たちの口からは「奈良ファミリー」という言葉が出てきます。そういう商業施設があるんですね。
「大和西大寺駅」の周辺は再開発が終わったところらしく、かなりキレイになっていました。例の、元首相が暗殺されたところはこの辺かな、という話をしながら進んでいきます。
実際には、ならファミリーではなく、サンワシティ西大寺という商業施設の地下に入ることになりました。席数が多いところということで、鮨・酒・肴 杉玉 大和西大寺店に入りました。ちょうど8人になっていたと思いますので、4人4人に分かれて座りました。
いろいろ悩んだ末、うちのテーブルはみんなラーメン・寿司セット(竹)を頼んだはずです。割とお腹が空いていたので、みんなボリュームのあるラーメンを食べたくなったわけですね。
このチェーン店、私は初めて入りましたが、寿司の酢飯がちょっと黒っぽい色になっていて、面白い味でしたね。何でも、バルサミコ酢をブレンドしているとか。
何だかんだといろんな話で盛り上がり、お店を出たのは13時半は過ぎていたと思います。この後は、秋篠寺まで歩くことになりますが、その模様はまた次回のレポートでお届けしましょう。
*1:西大寺ホームページ「西大寺の歴史」2026.1.31閲覧
*2:所収 塙保己一編『続群書類従 第27輯下 釈家部』八木書店(2013)
*3:所収 塙保己一編『続群書類従 第27輯下 釈家部』八木書店(2013)
*4:西大寺ホームページ「拝観案内『アクセス・駐車場案内』」2026.1.31閲覧