
またまた貴重なイベントに参加してまいりました!
2025年6月28日(土)に開催された、「日本遺産 第3回 慈愛の道 ~Camino de Kan-non~ 西国観音巡礼」です。一応、主催は株式会社ジョイックスという滋賀県の近江八幡市に拠点がある旅行会社のようですが、観音正寺の寺務職であるTさん、副住職の全面バックアップがついていますので、お仲間のようなものなのでしょう。
先日、日本遺産「日本の終活の旅」推進協議会主催の「【日本遺産 西国三十三所観音巡礼×HISTORY collabo ID】滋賀四寺の住職と歩くウォーキングイベント<第1弾 岩間寺~石山寺を巡るプラン>」に参加したこともあり、最近は積極的にイベントに参加するようになってきました。
とはいうものの、今回の巡礼は思っていた以上にガチの巡礼でした。前回はシティウォークのような服装の方もいらっしゃいましたが、今回は、そんな心構えではとんでもない!というイベントでした。
では、詳しくレポートしていきましょう。
「第3回 慈愛の道 ~Camino de Kan-non~」
約1か月前、2025年5月24日に「滋賀四寺の住職と歩くウォーキングプラン」第1弾に参加してきました。Xでそれに関する投稿をしたり見たりしていたところ、ある投稿が目に飛び込んできました。
それが、今回のイベントの告知です。私が「日本遺産 西国三十三所観音巡礼」をフォローしていたため、その投稿を目にすることができたわけです。
まあ徒歩の距離は約14kmですが、観音正寺の石段は千二百段、長命寺の石段は八百八段あります。なかなかキツイ巡礼のようです。
というわけで、行くか止めようか散々迷った挙句、申込締切前日の6月8日(日)の夜、メールにて申込書を送った次第です。ただ、きちんと申し込めているか不安だったので、翌日に電話で問い合わせてみることにしました。すると、対応してくださった方は社名も名乗らず、自分は留守番だから分からない、というお話でした。かなり不安になります。
ただ、その後は忙しくて問い合わせもできないまましばらく放置せざるを得ませんでした。まあ、お金を払っていたわけではないので、最悪参加できなくても仕方がないだろう、と思っていたところ、6月18日に株式会社ジョイックスさんからお電話がかかってきました。仕事中で出れなかったため、後ほどかけ直したところ、ここでも社員の方の対応は若干不安のあるものでしたが、上述の観音正寺のTさんとお話することができ、不安は払拭されました。
当日の交通手段をどうするかというご質問だったのですが、車で行く旨をお伝えします。「滋賀四寺の住職と歩くウォーキングプラン」第1弾の時に思いましたが、滋賀って近いよなあということでした。まあ、1時間少々で行けるだろうと見込みを立てておりました。
さて、前置きはそのくらいにして。本レポートに入っていきましょう。
「第3回 慈愛の道 ~Camino de Kan-non~」イベント情報
さて、このイベントの詳しい情報は西国三十三所第三十二番札所観音正寺のホームページ*1に掲載されています。概要をまとめていきます。
イベント概要
開催日 :2025年6月28日(土)
開催場所:観音正寺・長命寺
定員数 :45名(最少催行人員:20名)
参加費用:8,800円
巡礼行程:約14km
当日スケジュール
8:50 「ぷらざ三方よし(五箇荘観光案内所)」にて出発式
9:00 「ぷらざ三方よし」出発・・・結神社・・・
10:00 観音正寺参拝(護摩道中安全祈願、胎内仏特別公開)
10:45 観音正寺・・・桑実寺・・・安土文芸の郷
安土城跡前・・・西の湖すてーしょん・・
12:45 西の湖すてーしょん(昼食・人魚アニメ上映)
15:30 長命寺麓(完歩)~(長命寺参拝 ~ 長命寺麓)自由参拝
==(バスにて)==三方よし 17:00頃解散
巡礼のポイント
古来の巡礼を体験!!
①徒歩にて観音正寺から長命寺の古道を巡礼
②観音正寺で道中安全の護摩祈願
③観音正寺で御本尊胎内千手観音特別参拝
④郷土の味 安土「じゅんじゅん弁当」での昼食
⑤観音正寺縁起 人魚伝説アニメ鑑賞
参加特典
完歩満願之証、道中安全祈願護摩木(焚き上げ)
オプション
要事前申込:住職直筆おいづる(3,000円)、オリジナル巡礼杖(2,500円)
当日受付 :御朱印(500円~)、人魚打ち札(1,000円)、人魚絵馬(1,000円)など
イベントの様子
さて、イベント当日を迎えました。上述のとおり、1時間ちょっとで到着するだろうと考え、7時出発の計画を立てました。それで当日はその通りに出発できたのですが、カーナビによると1時間どころか、1時間半は確実にかかりそうな道のりになっています。
「マジか!」と焦りながらも、とにかく間に合うように急いで行くしかありません。ルートは今回も名神高速道路を通っていくルートにしました。ひたすら滋賀方面へと向かっていきます。
滋賀県って、地図で見ていたら小さく見えてしまいますが、実際に走ってみると意外と大きいですね。まあそれもそのはず、大津市にある石山寺と、近江八幡市にある観音正寺は、50km近く離れています。高速道路を使ったとしても、30分くらいは余計にかかるわけです。
しかしこんな時に限って道は混んでいます。とにかくはやる気持ちを抑え、事故だけは起こさないように気をつけて運転しました。しかも、高速道路を降りるところも実はあまりよく分かっていない状況で走っていたんですよね。前日にGoogleマップで見たところ「蒲生スマートIC」で降りるようになっていたので、とりあえず「蒲生スマートIC」で降りました。この段階で、7時50分は過ぎていました。
しかも、実はここから先もまだ20km以上あったのです。これは間に合わない可能性もあるぞと思いながら道を急ぎました。国道8号線に出て東へ必死に進みます。何とか、8時10分過ぎにはセブンイレブン五箇荘南店に到着しました。ここからは指呼の距離ですので、何とか間に合いそうです。
ここで、飲み物の類を買います。ウィダーインゼリーは事前に購入していました(※前回のイベント時に購入)が、この日の飲み物は一切買っていなかったのです。いつものことですが、すぐに飲むポカリスエット、凍ったスポーツドリンクと麦茶、それから水を買います。凍った飲み物と水はリュックサックに入っているクーラーバッグに入れて置き、冷たさをキープしておきます。そうすることで、頭にのせるタオルや、首に着ける布を冷たい水で濡らすことができるんですね。熱中症を防ぐうえでの知恵と工夫です。
さて、8時13分ごろにそれらしいところに到着しました。しかし、車が1台も停まっていません。また、Tさんのお話では砂利のところに停めるということになっていましたが、私が停めたところはアスファルトで舗装されています。
よく分からなかったのですが、実はお腹の調子が急激に悪くなっており、とにかくトイレに駆け込まなければいけない状態だったので、隣の建物に走り込みます。すると、どうやらこちらが集合地点のようでした。
Tさんに声をかけられましたが、後で受付をしますと述べて、トイレに滑り込みました。何とか間に合いました。良かったです。ちなみにこの後、トイレの心配をすることはまったくありませんでした。この時だけで逆に助かったと言えるでしょう。
さて、気を取り直してTさんとお話をし、車を停め直します。確かに、こちらの建物に「ぷらざ三方よし」と書いてありました。さらに、奥には砂利の駐車場もあります。
車を停め、受付を済ませました。オプションで事前申込していたご住職直筆のおいづるもあわせて、11,800円を支払います。さらに、護摩木をいただきました。観音正寺で副住職による護摩行があるそうです。
しかし、改めて参加者のみなさんの様子を見てみると……。
ガチな方ばかりです! 山伏、修験者の服装をされた方が2名もいらっしゃいます。また、同じTシャツを着ておられる方が大勢いらっしゃいました。後の説明では、サポート隊の方々で、どうやら観音正寺の檀家さんなどのようです。オープンに募集しているとはいえ、ほとんどの方が関係者の方のようでした。浮いていないか心配するばかりです。
私よりも後に受付されていた方も何人かいらっしゃり、少し安心しましたが、後から来た方もお知り合いのようでした。今回のイベントは第3回なので、過去にも参加しておられるのかもしれませんね。
ちなみに、お一人遅刻してこられた女性もいらっしゃいました。この方については、後ほど詳しくご説明しましょう。
さて、8時30分になり、いよいよ出発式となりました。まずはTさんが仕切られ、いろいろとご説明されます。また、ご住職の岡村遍導師は同時に開催されている板東三十三観音の巡礼イベントに参加されているとか。
何でも、このイベントは西国三十三所だけではなく、板東三十三観音、秩父札所34観音霊場も同時に行われているそうです。もちろん、イベント内容はそれぞれ別ですが。
というわけで、今回は副住職がご参加されます。ただし、副住職は観音正寺までは歩かず、車で先に行かれます。護摩行の準備があるためです。
さて、簡単な説明のあと、班分けが発表されます。班?と思いましたが、班長を含めて8人前後のものでした。
山伏の方が2名いらっしゃると述べましたが、お一人は先達の方なのか、副住職ご不在の間は先導されるようです。もう一人の方は女性で、新米の方なのでしょうか。私と同じく菅笠を被っておられたのですが、菅笠の向きが間違っていました。正しくは梵字の部分を前に持ってくるものなのですが、それが分かっておられないようでしたので。この女性も私と同じ2班に入っておられました。
他には、サンティアゴ・デ・コンポステーラを巡礼されたという女性、その女性と巡礼仲間らしき男性、比較的普段着の軽装ハイキング男性もおられました。また、遅刻女性もこの班だったようです。
班長は気さくなおじいさんで、道中もいろいろ話しかけてくださったり、冗談を言われたり、とにかく面白い方でした。
というわけで、準備を整え、9時少し前に出発となりました。
ぷらざ三方よし~観音正寺
ぷらざ三方よしをおそらく8時55分ごろに出発し、観音正寺には10時5分ごろに到着しました。だいたい予定どおりのスケジュールです。なお、Googleマップのルートは、実際に通ったルートではありません。
山伏の方を先導に、出発します。この方は名札をつけておられたので、お名前が分かりました。とりあえずSさんとしておきます。Sさんを先頭に、1班、2班とつづきます。ぷらざ三方よし前の県道202号線を南西方向に歩いていきます。
まずは、結神社に向かいました。結神社では、Sさんから、境内では杖をつかないようにとのお達しがありました。そうなんですね。お遍路では橋の上では杖をつかないというのが不文律になっていますが、修験道では境内など神域では杖をつかないわけですね。勉強になります。
拝殿で般若心経のお勤めをしました。まあ、私なんかは慣れたものですが、みなさんも問題なく唱えておられました。やはり、関係者の方が多いのですね。
私は列の最後尾につけていたのですが、比較的普段着の軽装の男性と話しながら歩いていきました。彼は職場でTさんにお世話になっていたということで、Tさんに誘われてこのイベントに参加されたそうです。私同様、結構みなさんガチであることに驚いておられました。
さて、結神社の境内に登山口がありました。十三丁と書いてあります。まあ余裕ですね。西国三十三所第十一番札所醍醐寺の上醍醐で十九丁、第二十七番札所圓教寺で十八丁ですから、しれています。1時間もかからないでしょう。
その後、10分も歩かないうちに忠霊塔まで到着しました。この忠霊塔を見て、もう駐車場まで来たのかと勘違いしてしまいました。実はこの時まで、表参道の千二百段ある石段を登っていると思っていたんですね。
以前、車で参拝した際には、表参道の途中から石段を登っていました。詳しくは「西国三十三所 第三十二番札所 観音正寺 ~総白檀の千手千眼観世音菩薩 聖徳太子と人魚伝説の寺~」をご覧いただきたいと思いますが、その時に見た駐車場の登り口にあった「観音正寺」の石柱と、この忠霊塔を間違えてしまったわけです。
すると、2班の班長さんが教えてくださいました。ここはいくつかある登山道の一つであり、千二百段の石段の表参道とは違う、ということでした。さすが、やはり地元の方は慣れておられます。
さらにしばらく登っていったところで、いったん休憩となりました。少し開けていたところから撮った写真がこれです。

※開けたところから見た景色
ここにはベンチもありましたので、休憩スポットになっているのでしょう。私は休憩しない人間なのですが、みなさんはそうもいかないでしょう。サポートの方や班長さんたちはおそらく60歳は優に超えておられるはずです。参加者の中では、私も若手の部類かもしれません。
ここで他の方のお話を聞いていた時に、Aさんという女性がサンティアゴ・デ・コンポステーラを巡礼されたことを知りました。スゴイですね。私も行ってみたいですが、お金と時間がありません。
何でも、今回のイベントにお持ちになっている杖は、そちらでお買いになったものだとか。何の木かは分からないそうですが、石突が鉄でできているのが特徴でした。それゆえ、飛行機に載せるのに一苦労されたそうです。
さて、ここからさらに登り続けます。だいたい10時ちょっと前には、車で登ってこれる裏参道に合流したと思います。たくさんの標語を見ながら歩みを進め、ついに10時5分ごろ、観音正寺の境内の入口に到着しました。
観音正寺にて
観音正寺では、まず書いてきた護摩木を焚き上げる行が行われるということでした。参加者全員で護摩堂へと向かいます。私たち参加者も護摩堂に上がらせていただき、正座して護摩行に臨みました。

※護摩堂 護摩行後に撮影
副住職が私たちから護摩木を預かり、まとめて燃やしていかれます。また、我々とは関係ない一般の方々の護摩木もあわせて燃やしておられるようでした。僧衣だと裾が長いので、見ていて燃えることはないのかと、少し心配しました。まあ、慣れておられるはずですので、大丈夫だとは思いますが。
この間、ひたすら不動明王のご真言をお唱えしました。岐阜県にある天台宗不動院不動閣のホームページ*2によれば、不動明王のご真言は「なまく。さまんだ。ばさらなん。せんだ。まかろしゃな。そわたや。うんたらた。かんまん」だそうです。まあだいたいそのように聞こえていたので、私もそのように唱えさせていただきました。
この後、本堂に入ります。本堂の内陣にまで入ることができました。今回の目玉の一つでもあったご本尊胎内千手観音特別参拝です。ご本尊の裏側に回り、拝顔させていただきました。胎内仏ですので、小さなお像です。思っていたよりも丸っこい印象を受けました。
その後、表側まで回ってきて、ご本尊のお身拭いをさせていただきました。これも貴重な経験です。布ではなく、散華のようなものを使ってのお身拭いでした。

※お身拭い用散華
この後は、しばらく自由時間となったのですが、書院で飲み物を提供しますということで素直についていってしまったため、納経帳に記帳・押印していただく時間がなくなってしまいました。まあ、仕方がありません。
書院の前には、ワンちゃんがいました。

※犬と猫
ワンちゃんだけではなく、猫ちゃんもいました。ワンちゃんとは言いますが、ニャンちゃんとは言わないですよね。
この後、念のためトイレにも行っておきました。いくら暑いとはいっても、トイレはいつ行きたくなるか分かりません。こればっかりは水ものですからね。
さて、10時45分ごろに本堂前に集合と言われていたので、正直に待っていたのですが、私とSさん、1班の班長さんしかいらっしゃいませんでした。みなさん、割と自由な感じでしょうか。
しかしそれほど遅刻することなく無事に集まってこられ、集合写真の撮影となりました。これはおそらく近々ジョイックスさんのFacebookとか何かに載ることになるのでしょう。
集合写真撮影後、今度は下山の開始です。おそらく山の反対側に下りていって、桑實寺方面に行くはずです。
また、ここからは観音正寺の副住職の先導となります。
観音正寺~西の湖すてーしょん
おそらく10時55分ごろに観音正寺を出発し、12時50分ごろに西の湖すてーしょんに到着しました。残念ながらGoogleマップでは山道を表すことができなかったので、山道のほとんどは省略されています。また、地図も分かれていて、2枚目は桑實寺山門から西の湖すてーしょんまでの道のりとなっています。
やはり山は登るよりも下る方が怖いですね。割と急なところもあります。2班の中には、山伏の新米女性と、その友人と考えられる、集合時に遅刻された女性もいらっしゃいました。この遅刻女性がなかなか愉快な方で、ものすごくケラケラと笑い、絶えずお話ししておられました。さすがに山伏の新米女性も巡礼にそぐわないとヒヤヒヤしていたかもしれません。
そういう様子を見かねてか、山伏の先達Sさんが、「懺悔懺悔さんげさんげ、六根清浄ろっこんしょうじょう」をお唱えになりました。真似をするようにということで、遅刻女性もお唱えはじめます。私ももちろんお唱えしました。
しかし私は般若心経の読経にも慣れていますし、キリスト教の主の祈りも職場で毎日唱えています。こういう系は得意なんですよね。声の出し方を覚えているというのでしょうか。疲れずに長時間声を出しつづけることができます。というわけで、Sさんがお止めになるまで唱えつづけることができました。これはなかなかの根性だと思いますよ。20分以上は唱えていたと思います。
山道は観音寺城跡からどんどん下っていき、ついに11時35分ごろ、桑實寺に到着しました。山門から入らずに、いきなり本堂前に到着です。

※桑實寺本堂
この本堂は南北朝時代の建立らしく、国の重要文化財に指定されています。入母屋造の檜皮葺ですね。
般若心経のお勤めは外でおこないましたが、中で少し休憩させてもらうことになりました。中は涼しかったですね。クーラーもないのに、ちょっと驚きです。
ここの受付にも猫ちゃんがいました。

※桑實寺受付
ここからは山門に向かって下っていきます。また石段になっているので、少し歩きにくいです。苔が生えていて、濡れていると滑りますからね。
山門を出ると急に人里に下りてきた感じになりました。さらに、何の会社かよく分からない会社の前を通っていきます。しばらく歩くと、安土文芸の郷公園に到着です。どうやら、ここでもしばらく休憩するようです。サポート隊のみなさまが、お茶を配ってくださいました。
ここにはグラウンドもありました。ここで12時8分です。

※グラウンド
グラウンドでは、ソフトボールらしきものをやっていました。野球かなと思ったのですが、打球音が野球ではなかったですね。おそらくソフトボールです。
梅干しをいただいたりしながら、しばらく休憩しました。すると、新米山伏の女性と遅刻女性が何とソフトクリームを食べているではありませんか!
いや、これは確かにうまそうでした。私も買いたくなりましたが、さすがに止めておきました。一応巡礼の旅ですからね。
この後、安土文芸の郷の遊歩道を歩いていきましたが、この間は木々の間を道が通っていたため、非常に歩きやすいルートでした。しばらく北西方面に歩いていき、ついに県道2号線にぶち当たります。ここからは、炎天下のアスファルトの上を歩いていくことになります。
しかし、600メートルほど歩いて県道ともお別れです。安土城址の方を通っていくことになります。
この道を550メートルほど進むと、百々橋という橋が出てきました。これを渡ります。
橋を渡って400メートルほどで、今度は活津彦根神社に到着しました。境内を通り、北西方向へと抜けていきます。すぐに、湖沿いの道に出ました。これが西の湖のようです。思っていたよりも大きくて驚きます。
この後、250メートルほど湖沿いの道、県道511号線を通って、ようやく西の湖すてーしょんに到着しました。おそらく12時50分ごろになっていたと思われます。
クーラーの効いた大きな部屋に通されます。お弁当が置いてあり、みなさん奥から詰めていかれました。私は軽装男性の隣に座りました。実はこの方、巡礼はされていないようですが、登山はされていたそうです。最近は登られていない、ということでしたが、それがゆえの軽装だったのですね。この程度の山は山じゃない!ということなのかもしれません。
何人かがトイレに行かれたりしていたため、「いただきます」に手間取りました。出発は13時半と告げられます。結構時間がないです。
私は「いただきます」をしてから、トイレに行かせてもらいました。お行儀はよくないですが、団体行動ですから、ピークオフに協力しないといけません。
ちなみに珍しく食事の写真を撮っていました。じゅんじゅん弁当という、この地方の郷土料理らしいです。

※じゅんじゅん弁当
なかなかのボリュームです。結構、箱が大きかったです。ちなみに天ぷらの一つがエリンギだったので、それ以外はすべていただきました。“I hate mushrooms.” なんですよ。
「じゅんじゅん」というのは、左上の料理のことのようです。すき焼き風の煮物のことのようで、甘辛く煮てあるため、こういう時にはめちゃくちゃおいしいです。もちろんこういう時でなくでもおいしいでしょうが……。牛肉を使うことも多いようですが、今回は鶏肉でした。赤くて長いのは赤こんにゃくで、これもこの辺の名物です。
またこの赤飯のようなものが謎で、おいしかったです。少し酢飯のような酸っぱさがありました。赤飯ならもち米でしょうが、これは普通のお米でした。
あとは、右上の料理は「丁子麩のからしあえ」、真ん中の豆は「えび豆」のようです*3。
好き嫌いの多い私ですが、警戒しながらもいずれもおいしくいただきました。
昼食後、「ごちそうさま」をしてからまたトイレに行っておき、ちょっと湖の様子を見て見ました。やはり、大きく見えます。

※西の湖
このころからだんだん分かってきたのですが、前年は何とここから船で長命寺のすぐ下まで行ったそうです。何と優雅なことでしょう! 残念ながら今年はその船を頼めなくなったとかで、ここから2時間以上かけて歩いていくわけです。えらい違いです。
まあ、私はもともと歩くつもりで参加していますので、文句もありませんが。
西の湖すてーしょん~長命寺
13時30分ごろに西の湖すてーしょんを出発して、長命寺に到着したのは16時30分ごろだったと思います。ここはGoogleマップよりもかなり時間がかかっています。やはり年配の方々はかなりペースが落ちていたようです。
西の湖すてーしょんで昼食も食べ、元気100倍、再出発です。しかし、ここからはほとんどの方が未体験ゾーンに入ります。何しろ、前年は船だったのですから。
しかし私からみれば10kmなんて、近い、近い! あっという間です。
というわけで、はりきって出発です。
やはり年配の方はどんどん後ろにいってしまい、私と軽装男性はどんどん前へ行くことになってしまいました。やはり、体力があります。軽装男性さんとはここでいろいろなお話をさせていただきました。何でも、豊中から来られたそうです。私の実家からは近いですね。
この辺はまだ琵琶湖ではありませんが、通っていくルートはびわ湖よし笛ロードと呼ばれるサイクリングロードでした。まあこれが正しい巡礼路かどうかは分かりませんが、そんなものはどうでもいいことです。何しろ、昔の道が昔のまま残っているわけではありませんからね。そもそも、この辺は埋め立てられたところも多いらしいですし。
ちなみに、サイクリングの方とは一切出会いませんでした。地元の方で、自転車で通って行かれる方、3~4組くらいでしょうか。それゆえ、こういう集団の巡礼には打ってつけの道だと思われます。
まあとにかく、この道を1時間半以上歩いたでしょうか。副住職が事前に歩かれたところでは、休憩ポイントの百々神社まで1時間半だったそうです。しかし、お若い(※私よりもかなり若いと思われる)副住職と、70歳前後の方々とでは、自ずとかかる時間が変わってきます。しばしば後ろを振り返り、後方集団が追いついてくるのを待たなければいけませんでした。
そうこうしているうちに、びわ湖よし笛ロードを抜け、医療法人ではないヴォーリズ記念病院前を通過します。ここからは、浜街道とも呼ばれる県道26号線を通っていきます。この辺はまあ車通りも多いですし、退屈な道ですね。
おそらく15時10分ごろでしょうか、ようやく百々神社に到着です。ここでまた10分ほど休憩です。大きな神社なのかな?と思ったら、めちゃくちゃ小さな神社でした。
ここでサポート隊のみなさんからまた飲みものをいただきました。おそらくここでだったと思うのですが、ウィダーインゼリーのようなものをもらったと思います。また、自分で用意していた凍ったスポーツドリンクを飲みました。半分凍っており、半分溶けていてフローズン状でおいしかったのですが、実はスポーツドリンクではなくカルピスウォーターでした。間違えて買っていたので、ちょっとびっくりしました。
さあ、ラストスパートです!
ここ百々神社から長命寺の麓までは約2.7kmです。まあ40分ぐらいで到着できるでしょう。この後も私と軽装男性さんは先頭集団に加わり、歩いていきました。さらに、新米山伏女性と遅刻女性も加わります。少しお話しましたが、そうこうしているうちに「長命寺町」の交差点まで到着しました。
すると、しびれを切らしたのか長命寺の副住職が何と交差点で待ってくださっていたのです。作務衣で熊手をお持ちだったので、おそらくお掃除をされていたのだと思われますが。
ここからは、長命寺の副住職の先導で歩いていきます。さすが、元気の有り余る長命寺副住職、ものすごく速いペースで歩いていかれます。後続集団が切り離されてしまっていたので、私が「副住職!」と呼びかけました。待ってもらうためですね。
すると面白いことに、長命寺副住職と観音正寺副住職のお二人が同時に振り向かれました。そりゃそうですよね、副住職ではどちらのことか分からないですよね。
しかしまあ、さすがに早かったことに気づかれたのか、後続集団を待って再出発となりました。
そんなこんなで、麓に到着したのは16時になるかならないかギリギリのころでした。

※穀屋尼寺
上の写真で15時59分です。穀屋尼寺という名前のとおり、穀物を貯めていた場所だったようです。思うに長命寺が女人禁制だったとすれば、麓に尼寺を置くしかないわけで、その尼寺に穀物の管理を任せていたのかもしれません。昔はこのすぐ前まで湖だったそうで、船から穀物を降ろしていたのでしょう。
さあ、長命寺副住職の説明も終わり、いよいよ石段を登っていきます。八百八段あります。副住職のお話では、15~20分ほどだということですので、そんなに時間がかかるわけではありませんね。
ここからは、登る人と、車で登る人に分かれます。私はもちろん石段を登る人です。軽装男性も同じでした。山伏新米女性と遅刻女性もです。意外だったのは、サンティアゴ・デ・コンポステーラを巡礼されたAさんが車組だったことです。登りには慣れていないのでしょうか。
とにかく時間もなくなっているので、長命寺副住職の先導で石段を登り始めます。すぐに、鳥居のような結界に到着しました。

※結界
石段の下から3分の1くらいのところでしょうか。ここで16時12分です。
ここからはひたすら石段を登っていきます。さすがに隊列はもはや成立しなくなってしまい、私も自分のペースで登っていきます。途中、5分の4くらい登ったところに駐車場があります。
すでにAさんたちは到着されていました。私もラストスパートをかけます。軽装男性もここは苦しそうでした。しかし私はそれほどしんどいとは感じませんでしたね。もちろんしんどいですが、休憩しないと登れないほどではなかったように思います。
というわけで、おそらく全体の2番目くらいの順番で山上の伽藍の中心部に到着しました。いやあ、達成感があります。
長命寺にて
まだ到着されている方が少なかったので、私はチャッチャと勝手に納経を済ませ、納経帳に記帳・押印をお願いしました。観音正寺で書いてもらえなかったので、ここでは書いてもらいたかったのです。しかし、掛け軸なので、片づけるときがむずかしいです。
案の定、私が書いていただいている間に他の方も続々と到着され、集合がかかってしまいました。お寺の方(※のちにご住職と判明)に預かっていただき、私も集合します。
ここでは、みんなでまた本堂に入り、内陣に入らせていただきました。ここの内陣に入るのは初めてです。さすがに疲れているということからか、椅子を出していただきました。本日最後の、般若心経のお勤めです。
お勤めの後は、長命寺副住職の案内で内陣内を見学させていただきました。そして、やっぱりどこにでもあるんですねえ、参詣曼荼羅が。長命寺参詣曼荼羅の写真を見せていただき、いろいろ境内について説明していただきました。これも貴重な体験でしたね。
一つ気になったのが、参詣曼荼羅内に立派な滝が描かれたいたことです。質問したかったのですが、残念ながら質問するチャンスはありませんでした。
歩きを終えて
このあと、外に出て再度集合します。みんなで分乗して下へ降りていくということになりました。ただ、一度に車に乗れる人数が実は限られていたため、7人ほど乗れないという状況になりました。そこで、私は歩いて下りることにしました。副住職をはじめ、私以外にも何人かが歩いて下りられました。
副住職は先に急いで行かれましたが、私は自分のペースで降りていきました。私とほぼ同じペースだったのが、前回から参加されているという、無地菅笠を被り、フル白衣を着た男性です。この方、もはや馴染みなのか、日本遺産西国三十三所観音巡礼の幟のぼりを持っておられました。ずっと持っておられたので、結構しんどかっただろうと思います。
少しお話をしながら降りていきましたが、下りはやはり速いですね。おそらく10分程度で降りただろうと思います。
下りたところでは、ジャンボタクシー1台とタクシーが何台か停まっていました。私はそのうち1台に乗り込みました。後ろには、母と息子と思われるコンビがすでに乗っておられました。この母親の方は、おそらく今回の参加者で最高齢だったのではないかと私は推察しています。
まあとにかく、車は速いです。あっという間にぷらざ三方よしに帰ってきました。
私たちのグループは最後の方だったようです。すでにほとんどの方が集まっておられました。
ここで、解散式となります。すでに、時間は17時半くらいになっていたでしょうか。まずは、一人ひとりに副住職から満願之証が授与されました。

※満願之証
その後、副住職からのお話などがあり、解散です。ちなみに次年度の予告ということで、3年くらいかけて第三十三番札所華厳寺まで行く、と宣言されましたが、どうなることでしょう。岡村遍導ご住職が是とされなければ、実現しないと思われます。
とにかく、私もみなさんにご挨拶をして、車に乗り込みました。
この後は逆ルートで帰るだけです。途中、大津SAで食事をとりました。何と、フードコートに大阪王将があるんですね。ここですでに19時になっていました。
おそらく、20時ごろでしょうか。無事に帰宅です。結構日焼けしましたし、この日はかなり疲れました。
般若心経の手ぬぐいと、桑實寺の手ぬぐいをいただいていました。おいづるもあわせて載せておきます。

※ご住職直筆おいづる、般若心経手ぬぐい、桑實寺手ぬぐい、満願之証
この直筆のおいづるですが、普通の墨で書かれているのでしょうか。そうすると、雨に濡れるとにじんでしまいますよね。実際のところどうなのかは、謎です。
最後に
最初はちょっと浮いていたかな?と思いましたが、みなさん優しい方ばかりで、とても楽しいイベントだったと思います。あいにく体調があまりよくなかったのですが、それでも完全に歩き切ることができ、よかったです。
今回のルートは西国三十三所の巡礼ルートとしては、逆打ちということになります。しかし、実際に歩いてみないと、感覚が分からないですからね。
これから先、西国三十三所の徒歩巡礼を始めていくうえで、十分な予行演習になったと思います。いつ始められるかは、ちょっと分かりませんが。
この夏、どこを歩いていくか、そろそろ計画していきたいと思います。また、ここでご報告できたらな、と思います。
というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
*1:観音正寺ホームページ「お知らせ」2025.7.5閲覧
*2:天台宗不動院不動閣ホームページ「諸尊参拝『波切不動明王』」2025.7.5閲覧
*3:農林水産省ホームページ「うちの郷土料理『滋賀県』」2025.7.5閲覧