西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

お遍路読書感想① 白川密成師『マイ遍路―札所住職が歩いた四国八十八ヶ所―』を読みました!

『マイ遍路』 タブレット画面を撮影

以前、映画「ボクは坊さん。」を見てから、映画の原作本『ボクは坊さん。』の著者である白川密成師を、こっそりツイッターでフォローしていました。ちなみに白川密成師は四国八十八ヶ所57番札所栄福寺のご住職であらせられます。

3月17日に白川師が歩き遍路をされた記録が本になるということで、早速その著書『マイ遍路―札所住職が歩いた四国八十八ヶ所―』を購入して読ませていただきました! 大きな本屋にはあると思うのですが、その日は本屋に行く予定がなかったこともあり、楽天koboで電子書籍版を購入しました。後々、また歩き遍路をする際、スマホや小さなタブレットで持ち歩くこともしやすいという計算もあります。では、早速レポートしていきましょう!

白川密成師『マイ遍路―札所住職が歩いた四国八十八ヶ所―』読書レポート

現職の札所ご住職の歩き遍路本ということで、業界注目の著作だったと思います。私は様々な方の歩き遍路のブログを読ませていただき、歩き遍路へ行こうという気持ちが高まりましたが、今後、この著作を読んで歩き遍路に出発される方が多くなると思います。

本について

書誌情報

著者   :白川密成しらかわ・みっせい

読み仮名 :マイヘンロフダショジュウショクガアルイタシコクハチジュウハッカショ

シリーズ名:新潮新書

装幀   :新潮社装幀室/デザイン

発行形態 :新書、電子書籍

判型   :新潮新書

頁数   :286ページ

ISBN   :978-4-10-610987-4

C-CODE   :0215

整理番号 :987

ジャンル :歴史・地理・旅行記、旅行・紀行

定価   :968円

電子書籍 価格   :968円

電子書籍 配信開始日:2023/03/17

著者プロフィール

1977年生まれ。第五十七番札所・栄福寺住職(愛媛県今治市)。真言宗僧侶。高野山大学密教学科卒業後、書店勤務などを経て、2001年より現職。デビュー作『ボクは坊さん。』が、2015年に映画化。著書に『坊さん、ぼーっとする。』『空海さんに聞いてみよう。』などがある。

※株式会社新潮社ホームページより引用*1

紹介

四国にある八十八の霊場を巡礼するお遍路。本書は、そのひとつ第五十七番札所・栄福寺の住職が、六十八日をかけてじっくりと歩いた記録である。四万十川や石鎚山など美しくも厳しい大自然、深奥幽玄なる寺院、弘法大師の見た風景、巡礼者を温かく迎える人々……。それらは人生観を大きく揺さぶる経験として、多くの人々を魅了する。装備やルートまで、お坊さんが身をもって案内する、日本が誇る文化遺産「四国遍路」の世界。

※株式会社新潮社ホームページより引用*2

本を読んで

本を読んで、思ったところを書いていきます。

歩き遍路実行程表(ネタバレあり)

白川密成師の歩き遍路の実行程表をここに掲載します。

・歩いた時間の合計が不明な場合は、「?」と表記しています。出発時刻、宿への到着時刻の双方が明示されている日はほとんどありませんでした。

・距離は著書中の記述から分かる通過点をなるべく拾ったうえで、Googleマップにより計測しています。ただし山道など、Googleマップできちんと計測できないことが自明な場合は、最後に「?」を付けています。

・電車・バスのダイヤに関して、きちんとした言及がない場合は、時刻の最後に「?」を付けています。

・高知など、あまりにも遠方の場合は、すべての交通機関を表記するのはやめて、歩き遍路の中断点となるところだけ掲載しています。

・ホテル欄の宿泊費に関して、青字のものは「Go to トラベル」が適用していると明示されているか、適用されていると推測できるものです。

純粋な感想(ネタバレもあるかも)

あまりにも面白く、実は1日で読破してしまいました。このレポートを書くにあたり、ざっと見直していますが、やはり随所に引き込まれるところがあります。

実は私も2020年に車遍路・区切り打ちを行っており、また、2021年には歩き遍路・通し打ちに挑戦しておりました。残念ながら日程が重なっておらず、道中で白川密成師とお会いできていないのが残念です。また、57番札所栄福寺を参拝した際も、二度ともおばさんだったと記録しておりますので、どうやら白川師のお母さまではないかと拝察いたします。

さて、「純粋な感想」と「巡礼者目線の感想」を分けて書くのが非常に難しいのですが、後述の「巡礼者目線の感想」では、私の実体験と重なる部分についておもに書かせていただこうと思います。

白川師も書かれているとおり、札所のご住職で四国歩き遍路の巡礼をされている方は多いそうです。私もある方のブログで、58番札所仙遊寺のご住職が歩き遍路をされていたということはうかがっております。

ただ、白川師の歩き方はなかなかユニークです。まず、僧衣をご着用になりません。我々一般の巡礼者と同じく、普通の服装に白衣をまとって歩かれておられます。また、当然のことながら霊場会の仲間である各札所のご住職とは昵懇の間柄であるわけですが、事前に知らせてしまうと気を遣わせてしまうからと、あくまでゲリラ的に参拝をしておられるのです。

ところが、やはりオーラやキャラクターは隠せないのか、ほとんどの札所で「栄福寺さん?」と気づかれてしまいます(笑)。四国八十八ヶ所の歩き遍路のファンからすれば、このやりとりだけでもほっこりとしてしまいます。

また、テレビや著作などで面が割れているので、お坊さん以外の方からも正体に気づかれてしまいます。宿、バスの運転手さん、先達さん……。白川師が、それだけ四国中のお遍路関係者から愛されていることが分かります。

失礼になるかもしれませんが、白川師のご容貌は愛らしい丸顔であり、人懐っこさに満ち溢れています。仏さまとは、お坊さまとはかくや、というお顔立ちをされているのです。そりゃ、みなさん気づきますよね。なぜか記念写真では、笑顔でなく真顔の写真も多かったですが(笑)。

私の家内もかなりの丸顔で、本人はそれをあまり好きではなかったのですが、お年寄りの方や子どもたちからは、無条件で好かれていました。これも、ある種の人徳ですよね。

さらに面白いところは、白川師がお遍路の道中や宿で出会われた方々との会話です。本当に、いろいろな方と出会っておられます。

2019年はまだコロナ禍が始まっていなかったということもあり、かなりの外国出身の方と出会われています。ここでも、コミュニケーション能力の高さをうかがわせてくださいます。

また、若い女性から頼られていることも多かったように思います。お坊さんという正体を見破られているということもあるでしょうが、やはり悪い人に見えないというお顔立ちから来ている部分も大きいでしょう。

いろいろ強烈なキャラクターの方も多かったようです。なぜか豪華客船での若い女性の取り合いについて語る年配の男性、女性を口説くのはスナックだと語るやはり年配の男性、遍路を恥知らずとののしるおじいさん、**経について説き始める男性など、ユニークな方々との対話、出会いは我々読者を飽きさせません。

こういったものすべて含めて、歩き遍路というものの醍醐味を教えてくれます。

巡礼者目線の感想(ネタバレあり)

「ご縁」という言葉がありますが、人生のすべてはこの「ご縁」が不思議とつながっているなあと思わせられます。

例えば、白川師が21番札所太龍寺を参拝された時、たまたま旧暦の3月21日で、お大師さん(※大師堂の弘法大師像のことか?)が開帳していたそうです。他にも、29番札所土佐国分寺までの道中で、やはり21日(※10月21日)だったことから大師堂でのお接待が行われていたことなどがありました。作中ではそこで、僧職の方と出会い、白川師は法話を頼まれるのですが、高知県の遍路道で出会った、縁もゆかりもない方々とこうしてお話をする機会が生ずるなど、「ご縁」としか表現しようがないではありませんか。

また、作家の獅子文六氏が執筆活動を行っておられた大畑旅館の同じ部屋で、白川師ご自身も著書の入稿作業の仕上げを行われたり、月に1回しか開かない52番太山寺本堂での護摩行のタイミングに重なったりするなど、奇跡としか言えない「ご縁」もたくさんあったように思います。

そういった「ご縁」は、やはり白川師が日ごろから多くの方々との「ご縁」を大切にしておられるからこそ、生まれてきているように思います。高知県の眞念庵近くの山中で迷われた際、SNSにSOSを発信すると、すぐに先輩の僧侶である東野さんが様子を見にきてくださったり、70番札所の本山寺では副住職の実健師と軽妙なやりとりを交わしたり……。

こういったことはすべて、周囲の方々との白川師の、常日頃からの真心ある交流があってこそだと思われます。正直、非常にうらやましいかぎりです。私も精進せねば……。

少し話が変わりますが、白川師は歩き遍路を行ったことで、「四国仏教」とでも呼べるような信仰形態を見出されました。

確かに、作中では、31番札所の竹林寺では「お大師さまの声を聴いた」ということで大師堂のお掃除を15年つづけておられるおばあさんがいらっしゃったり、お接待をくださったうえで金剛杖を握り「南無大師遍照」と白川師と一緒に唱える女性がいらっしゃったり。また、ポケットの小銭をすべて「お供えにしてください」という高齢のおじいさんがいらっしゃったり。

お大師さまに対する信仰は、四国の至るところに満ちているように思われます。

これは私自身も感じたことであり、結構お若い方からもお接待をいただくこともありましたし、中学生くらいの生徒からもあいさつをしてもらうこともありました。

白川師が「KUKAI IN YOU」(※美術家・宮島達男氏の提唱する概念「Art in You」から着想を得たとのこと)と述べられるのもよく分かります。

作中の随所で白川師は弘法大師のお言葉を引用されており、いくつかの言葉の趣旨は、「ありとあらゆるところに仏さまがいらっしゃる」ということだと私には思われました。まさにその言葉を象徴的に表すならば、「KUKAI IN YOU」になるでしょう。

天台宗の言葉にも「山川草木悉皆成仏」*3という言葉があり、私も倫理で生徒に教えています。ありとあらゆるもの、生きとし生けるものすべてに仏さまがいらっしゃる、ということですが、これは非常に大切な教えだと思います。命を大切にする、ものを大事にするといった、当たり前のことに宗教的な裏づけをくれるのではないでしょうか。

白川師はこのような考え方について、高知県の鹿島を前にして以下のように述べておられます。

四国遍路で「弘法大師に会った」という伝説が絶えることがないのは、自らの心にある仏、大日如来を垣間見た、ということなのだろうか。そしてそれは、自心ばかりでなくこの海、木、草、島にも満ちている。

そしてこの後、白川師は「死」について考えておられます。

お遍路に「死」がついて回るのは、避けられないことです。実際、白川師も供養のために巡礼しておられる方がいらっしゃったことを作中の別の箇所で言及しておられます。

しかし、高野山大学で仏教について学び、著作も多い博学の白川師でも、「死」についてはどう説明すべきか、悩んでおられるようです。ここも、含蓄のある箇所ですので、少し引用させていただきます。

人はいつだって死に得るのだ。それをどこかで認めること。しかし大空と草はここに残ること。死は「生まれる前に戻る」ようなものであるという想像を、最近することがある。その感覚を繰り返し思い浮かべること。それが今、僕にとっての死との付き合い方だ。

「死」は誰も避けることができません。「死」とどのように付き合っていくかは、人間にとっての永遠の課題にように思います。

私もこれまで多くの方の「死」に直面してきました。最も堪えたのは、やはり家内の「死」です。ただ、私が家内のことを忘れないかぎりは、家内は私の心の中に生き続けるように思います。このような考え方は、いつしか自然と私の中に芽生えていたのですが、家内の葬儀を執り行ってくださった、和歌山市、浄土真宗建徳寺中村光男師もそのようにおっしゃっておられました。

これは勝手な想像ですが、白川師のお祖父さまも、白川師の心の中で生き続けておられるのだと思います。人は、故人の思いを受け継ぎ、悲しみに直面しながらも、生きていくのでしょう。

私は一方的に白川師を存じ上げているだけで、白川師は私のことをご存知ありませんが、著書を読ませていただき、いろいろ「ご縁」や「死」について考える機会になりました。

最後に本当に些細な「ご縁」を紹介させていただくと、白川師が愛用しておられた靴は、私も高知県のイオンモール高知で購入して以来愛用している、ASICSGT-2000 EXTRA-WIDEでした。本当にただの偶然だとは思いますが。

白川師も股ずれについては言及がありましたが、足のマメについては言及がありませんでしたので、マメに困っている方は、一度試してみられるとよいかと思います。私もついぞマメができたことはありませんでしたので。

最後に

まだまだ書き足りないことがいっぱいあるのですが、あまり冗長になるのも考えものですので、この程度にとどめておきたいと思います。

この本は令和における歩き遍路のバイブルともなる本だと思います。これまでに歩き遍路を経験された方も、これから歩き遍路をやってみようと思っている方も、ぜひご一読いただけたらと思います。皆さんと感想を分かち合えたら、これ以上うれしいことはありません。

オススメ度:☆☆☆☆☆