西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

街道を行くぞ!簡略版 西国街道 調子八角~安満新町だりや公園

総持寺

久しぶりの歩き企画、街道を行くぞ!のコーナーです。

実はこの夏、和歌山市内から高野山まで3日かけて歩く予定になっています。四国八十八ヶ所の歩き遍路を達成された方の多くが、高野山奥之院にお参りになっているのですが、歩いて行かれる方は非常にまれです(※寡聞ながらあまり例を存じ上げません)

その前哨戦として、旅の安全祈願のために西国三十三所第二十二番札所の総持寺まで歩こうというのが今回の計画です。

さて、結果はどうなったのでしょうか。以下、そのレポートです。

西国街道 調子八角から安満新町だりや公園まで

西国街道に関しては、大阪府のホームページ「歴史街道ウォーキングマップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。

www.pref.osaka.lg.jp(2024.8.6閲覧)

上記サイトからマップをダウンロードしていただき、参考にしていただければ、街道歩きがスムーズに運ぶことでしょう。

以前、自宅からJR「紀伊駅」までは歩いていましたので、この夏は「紀伊駅」から高野山奥之院まで歩きます。「紀伊駅」から南海フェリーの和歌山港までも、「街道を行くぞ!第7弾 南海道 紀伊駅~大年神社」ですでに歩いています。

まとめると、私のここまでの歩き遍路はこのようになっています。

・自宅 ~ 和歌山港

・徳島港 ~ 四国八十八ヶ所 第1番札所 霊山寺

・四国八十八ヶ所 第1番札所 霊山寺 ~ 第88番札所 大窪寺

・第88番札所 大窪寺 ~ 徳島港

・和歌山港 ~ JR「紀伊駅」

それぞれの旅の詳細については、「街道を行くぞ!」シリーズ、「四国八十八ヶ所歩き遍路」シリーズをご覧ください。

残るはJR「紀伊駅」から高野山奥之院までの道のり、ということになります。以前、高野山の麓までの約30kmを1日で歩く計画を立てていましたが、最近歩けていないことと、猛烈な暑さの中ということになることから、ちょっと身体を慣らしておく必要があるな、と考えた次第です。

そこで、自宅から総持寺まで西国街道を中心に歩くことを考えたのでした。

9時10分ごろ、大山崎町の自宅を出て西国街道の目印となっている調子八角を目指します。自宅から15分もかかりません。コンビニで飲み物を購入し、9時24分には調子八角に到着していました。

さあ、ここからスタートです。

西国街道 調子八角から「萩之庄」バス停まで

調子八角を9時35分ごろに出発し、イオンモール高槻には11時45分ごろに到着しました。Googleマップより少し時間がかかっていますが、実は西国街道が工事中で、迂回を余儀なくされたということと、異常な暑さにやられていたということが関係していると思います。いやあ、暑かったですね。

調子八角で写真をとり、菅笠すげがさなどの準備を整えました。ここには立派な道標も立っており、ちょっとした公園のようになっています。

※調子八角の道標

西国街道の説明板もあります。

※西国街道の説明板

西国三十三所のお寺が、第二十二番の総持寺と第二十三番の勝尾寺の2か寺も掲載されています。なぜか最寄りの第二十番善峯寺が載っていませんが。

まあとにかく、この総持寺を目指しましょう。

ここで、1つ目のトラブルが発生しました。四国を歩いていた時には、暑さ対策として冷たい水をコンビニで購入し、クーラーバッグに入れてタオルなどを濡らして冷やして使っていたのでした。何と、その水を買い忘れていたのです。

ただし、この問題は割とすぐに解決しました。この公園には、馬池の水という地下水の蛇口が存在していたのです。

※馬池の水説明板

なぜか蛇口の写真を撮っていませんでした。直接口をつけて飲む人がいたということで、注意喚起されていました。ちょっとイヤな気分ですが、タオル等を水で濡らし、首に巻く分と頭に被る分を装着しました。

ちなみにこの説明板は英語・中国語(簡体字)・ハングルの4か国語対応になっていますね。それだけ、街道歩きの人気があるのかもしれません。

さあ、出発です。青の信号が終わりかけでしたが、急いで渡ろうとしたのですが……。

ここで、2つ目のトラブルに気づきました。金剛杖がない!

そうです、コンビニの外に立てかけたまま、忘れていたのでした。慌ててコンビニまで戻り、を回収しました。

調子八角まで戻るとロスが多いので、その反対側、西国街道に合流できる地点から旅を再開します。阪急電鉄京都線の調子踏切から南東方向に130メートルほど進んだ地点です。再開というか、本格的なスタートですね。

再スタート地点から250メートル進むと、小泉川にかかる小泉橋です。ここで9時40分でした。

※小泉橋

実は「西山天王山駅」周辺は長岡京市になっており、今ここで大山崎町に戻ってきた、ということですね。私の現在の住まいは大山崎町ですから。

小泉橋から350メートルほど進むと、JR京都線の高架下を通ることになります。9時45分でした。

※JR京都線高架橋

ここら辺は西国街道でも一、二を争うほどの道の狭さです。

さらに350メートル、3分ほど進むと、今度は名神高速道路の高架下になります。

※名神高速道路高架

淀川(※この地点はまだ合流前であり、北西側から桂川、宇治川、木津川が並流している)右岸のこの辺は山が川に迫っていて平地が狭く、交通の要衝になっていることがよく分かります。阪急電鉄「大山崎駅」の辺りまで行くと、北西側からJR京都線、阪急電鉄京都線、国道171号線、桂川が、200メートルの幅もないところを並んでいます。

名神高速道路の高架をくぐると、すぐに大山崎町役場です。9時51分になっていました。

※大山崎町役場 通り過ぎてから撮影

役場から500メートルほど進むと、右手に聞法寺が出てきました。9時58分になっていました。

※聞法寺

さらに130メートルほどで、観音寺鳥居です。これも右手にあります。

※観音寺鳥居

お寺なのに鳥居というのは珍しく思うかもしれませんが、もともと神仏習合が進んでいましたので、お寺と神社が一体になっていたところがほとんどだったのですよね。

なお、観音寺山崎聖天宮とも呼ばれているようですが、ここから200メートル以上奥に進まないといけません。今回はパスですね。ただ、Googleマップで見たところ、山門楼門であり、なかなか立派なお寺です。四国八十八ヶ所の札所と比べると、標準レベルのお寺だと思います。

ここから700メートルほど進み、阪急電鉄「大山崎駅」前に到着しました。

※阪急電鉄「大山崎駅」

駅前にはセブンイレブンがあります。セブンイレブン 阪急大山崎駅前店で買い忘れていた水を購入しました。

ここまでですでにかなり暑さにやられていました。せっかく冷たい水を購入したので、タオル等を濡らしたいものです。残念ながら駅前にはベンチ等がありませんでしたので、離宮八万宮を目指します。最近、NHK大河ドラマ「光る君へ」の光る君へ紀行でも紹介されました。

駅から50メートルもいかないところ、右手にまたお寺の石柱です。10時12分でした。

※寶寺の石柱

どうやらこの奥にある宝積寺石柱のようです。現在の山号は「天王山」となっており、実際に天王山の登り口もあるようですが、当時の山号は「銭原山」だったようですね。通称は「寶寺」だったようです。まあ、四国八十八ヶ所の第25番札所津照寺も通称は「津寺」ですから、こういう例はままあるのでしょう。

10時15分、無事に離宮八幡宮正面に到着しました。

※離宮八幡宮

ベンチを期待して境内に入ります。ありました。右の奥の方ですね。ただ、これならば途中で見た東門から入った方がよかったように思います。

本殿の方はこんな感じです。中門の奥にあるのですが、今回の旅の趣旨から外れるため、中には入りませんでした。

※離宮八幡宮鳥居 奥にあるのは中門

ベンチはありました。御神馬の近くでした。セブンイレブンで購入した冷水をタオル等につけます。生き返りますね。以前、何かの番組で見たのですが、人間が疲れる原因の最大のものが、脳が熱を持つ、ということらしいです。つまり、頭を冷やすということは疲労回復にも効果があるということですね。昔から言われている頭寒足熱も、合理的だったということになります。

離宮八幡宮の説明板も載せておきましょう。

※離宮八幡宮説明板

「離宮」と名前がついているのは、嵯峨天皇の離宮があったからで、「八幡宮」は石清水八幡宮として創建されたからだそうです。実は現在対岸の男山にある石清水八幡宮はここから分祀した八幡宮だということで、こちらが本家だということになります。マジですか?という感じですね。石清水八幡宮のホームページ*1には、当然ながらそのようなことは書かれていません。まあ、どこも自分が一番!と主張するでしょうからね。

離宮八幡宮から道は大きく直進と左折に分かれています。西国街道はもちろん直進ですが、この先、道がかなり細くなりますので、自動車の場合は左折した方が通りやすいです。実際、私も車の時はそうしています。

ただ、西国街道も道なりですが右に曲がり、左に曲がります。左に曲がってすぐのところにあるのが、関大明神社です。10時20分でした。

※関大明神社

社の左側にはまた京都府大山崎町の案内板が出ています。一方で、右側には大阪府島本町の掲示板が立っています。実は大山崎町の案内板の左側に立っているのが、国境を示す石柱です。

ここには、西国街道関連の案内板もありました。

※西国街道史跡案内板

この後、道は350メートルほどほぼ真西に進んでいきます。渡る必要はありませんが、JR西谷踏切に出ます。ここで10時24分でした。

※JR西谷踏切と西国街道の道標

ここから街道は南西方向へ続いています。踏切から550メートルほどで水無瀬橋に出ました。10時32分です。

※水無瀬橋

水無瀬橋を渡って300メートルほど進むと、水無瀬神宮石柱が出てきました。ここで10時35分です。

※水無瀬神宮石柱

ここを左に入り、170メートルほど進むと、水無瀬神宮鳥居に出ます。今回は、パスします。

実はここからすぐのところ、街道沿いに私の母方の祖父母の家があります。祖父母だけでなく伯父もすでに亡くなっていますが、現在は伯母さんだけが住んでおられるはずです。従兄弟がすぐ近くに住んでいるらしく、その点は安心ですね。

水無瀬神宮石柱から200メートルほど進んだところで、街道は少しだけ右にカーブを描きます。さらに、T字路になっています。10時38分でした。

※T字路 西国街道の道標がある

左に行くと国道171号線や阪急電鉄「水無瀬駅」の方に出ることができます。直進方向、つまり右の方に街道がつづいています。

T字路から150メートルほど進んだところに、阿弥陀院というお寺がありました。10時40分でした。

※阿弥陀院

コンクリートを使った、近代的な造りになっていますね。

阿弥陀院から220メートルほどで、また高架橋が出てきます。これは、Googleマップではとくに名前がついていませんね。10時43分でした。

※道路の高架橋 手前にある橋は中堤橋

手前にある橋は、中堤橋と読めるように思います。橋を渡ってすぐのところにまた道標がありました。

※中堤橋の傍の道標

このまま西国街道を直進し、とりあえずは桜井駅跡を目指します。

橋を渡ってから90メートルほど進むと、また道標が出てきました。古い道標も立っています。

※街道の分岐点 古い道標もある

※道標の写真

古い道標には、「右 柳谷」と書かれています。楊谷寺、つまり楊谷観音までの道標のようです。「左 西後?久?街???」でしょうか。当て字で「西国街道」と書いているように思うのですが……。左側の面には、「右 京???」とは読めます。

この道標から100メートル足らずで、史跡桜井駅跡に到着しました。10時47分になっていました。家を出発してから、およそ1時間半が経っています。

※「櫻井驛址」の石碑

ここはGoogleマップを見ていても、いろいろな碑や説明板が立っています。歴史好きにとっては、宝の山ですね。

北側から桜井駅跡に入ると、すぐ右手に明治天皇御製碑が立っています。

※明治天皇御製碑

子わかれの 松のしつくに 袖ぬれて 昔をしのふ さくらゐのさと」と書かれているそうです。しかも、石碑の表の字は何とあの日本海海戦の英雄、東郷平八郎海軍元帥のものだそうです。「子わかれ」とは何ぞや、ということですが、すぐに謎が解けます。

それはつまり、楠公父子の別れということですね。それに関連する石碑や石像が立っています。

※楠公父子訣別之所の石碑

※楠公父子別れの石像

楠公、つまり楠木正成公が足利尊氏との戦に向かう途上、この地で息子の楠木正行と別れ、後事を託した場所だということですね。楠木正成尊氏軍には到底勝てず、討ち死にすることが確実だったため、息子を逃がしたわけです。実際、楠木正成はこの後の湊川の戦いで敗死しています。

この史跡公園には他にもいろいろなものがありますが、まあ、もういいでしょう。

※国指定史跡 桜井駅跡案内図

この史跡は公園になっており、ベンチもありました。そこで、またタオル等を冷水で濡らすことにします。これは、熱中症を避けるためにかなり重要です。

公園から信号を渡り、街道歩きを再開します。右手にはJRの「島本駅」があります。正面右手には、お寺のような建物がありました。時刻は10時53分です。

※島本町立歴史文化資料館

完全にお寺だと思っていたのですが、Googleマップによると島本町立歴史文化資料館だそうです。建物自体は以前、麗天館と呼ばれていたらしく、扁額はかの近衛文麿公の書かれたもののようです*2

歴史資料館前から120メートルほど進むと、右側に青葉ハイツという団地が出てきました。青葉ハイツは14号棟まであります。なかなか大きな団地です。

その7号棟のところに、また西国街道道標がありました。10時57分になっていました。

※青葉ハイツ7号棟側の道標

ただ、それよりも横の標語の看板の方が気になりますね。「みんなで 美化美化 ピカピカタウン」と書かれています。看板設置当時は「これええやん!」とみんなが賛同したのでしょうか。

この道標から450メートルほど進むと、道が二又に分かれています。左は新しい道で、高槻市道上牧島本線、右が西国街道です。

※街道の分岐点

この写真だと、左から右に続いているのが新道です。右手前方向に、西国街道が続いています。

くねくねとした街道を220メートルほど進むと、JR京都線の下をくぐる形になります。

※JR京都線の下をくぐる

くぐってから160メートルほどで、また西国街道道標が出てきました。

※西国街道の道標

ここで11時11分になっていました。位置的には、西国街道と並行する阪急電鉄京都線の「上牧駅」付近です。阪急電鉄の駅で考えると、「西山天王山駅」から目的地最寄りの「総持寺駅」までは、6駅存在します。「大山崎駅」、「水無瀬駅」、「上牧駅」、「高槻市駅」、「富田駅」、そして「総持寺駅」ですね。つまり、駅の数で言えば半分まで来た、というところでしょうか。家を出発してから2時間近くが経っていました。

この先、ちょっとだけJR京都線と街道は並走します。

※JR京都線と並走

奥に見えているのは、新名神高速道路の橋脚になります。

そして何と、街道歩きにはまったく関係ないと思われた新名神が、思わぬ影響を私に与えます。そうです、通行止めです。ここで11時18分でした。

※新名神高速道路建設のための通行止め

ちょうど梶原と呼ばれる辺りですが、ガードマンの方に聞くと、人間は通れるとのことでした。

迂回路は結構整備されているようで、逆にここを通るだけの人にとっては、行きやすいかもしれません。

遠くから橋脚を眺めると、諌山創先生の『進撃の巨人』の「地ならし」のように見えてきます。

※地ならし?

迂回路の入口から100メートルも進んでいないと思います。西国街道の重要な見所の一つである、梶原一里塚跡に到着しました。時刻は11時20分でした。

※梶原一里塚跡

※梶原一里塚跡説明板

今は塚にはなっておらず、中にお地蔵さまが祀られているようです。

しかし、人間は大丈夫です、通れます、というのは全部ではなかったようです。ついに人間も迂回路に回る時が来ました。橋脚のたもとに到着したのです。

※新名神高速道路工事区域

※迂回路の案内図

結局、人間もここから迂回路に回ります。おそらく、最初から迂回路に入っておいた方が歩く距離は短くなったと思います。まあ、一里塚に行けなくなってしまいますが……。ここで11時23分でした。

その後、日陰も何もなく、目ぼしいものも何もない迂回路をしばらく歩きます。橋脚は、さすがにスゴイ迫力でした。

※新名神高速道路の橋脚

迂回路を回ると、一乗寺には行けないようです。この後、130メートルほど迂回路を歩き、「梶原中」バス停辺りから北へ向かって街道に戻ります。

※街道との合流地点

東を向くと、この先通行止めだ、ということが分かります。11時27分になっていました。

この辺は、とても街道らしい風景になっています。

※西国街道の様子

蔵のある邸があったり、松が植えられているお宅があったり、いかにも街道沿いですね。

合流地点から190メートルほど進んだところ、右手に畑山神社がありました。ここで11時30分です。

※畑山神社

なお、この地には神社創建前の7世紀後半ごろに、梶原寺というお寺が建てられていたそうです。

※梶原寺跡の石碑と道標

さらに街道を2分ほど進むと、また道路の高架が出てきました。

※府道79号線の高架

この高架道路は府道79号伏見柳谷高槻線で、国道171号線と新名神高速道路高槻ICの間を信号なしに結んでくれています。私も実家が高槻で今の住まいが大山崎町なので、よく利用しています。

この橋の下にも、迂回路の案内がありました。

※高架下の迂回路の案内板 通り過ぎてから撮影

※国道から来た場合の迂回路案内板

ここから300メートルほど進むと、T字路になっています。直進か、左に行くか、ですね。ここには道標とバス停があります。

※「萩之庄」バス停付近の道標

さて、ここでいったん街道旅は中断です。昼食をとらないといけないわけですね。実はすでに昼食場所も決まっており、イオン高槻店に行くことにしていました。まあ汗だくの人間でも、イオンのフードコートならばそれほど周りに迷惑はかからないでしょうからね。

ということで、T字路の左の方に進んでいきます。イオンまでは意外と遠く、750メートルもあります。往復すると1.5km増えるわけですから、ばかになりません。

JR京都線の高架下をくぐり、阪急電鉄京都線の高架下をくぐります。

※JR京都線の高架下

※阪急電鉄京都線の高架下

11時45分ごろ、イオン高槻店に到着しました。幸い、入ってすぐにフードコートに行けたので、よかったです。トイレもすぐ近くにありました。

空いている席に座り、荷物を置きます。食べたのは……はなまるうどんですね。確か塩豚ぶっかけ冷の中サイズと、鮭おにぎり、コロッケを食べたように思います。ただ、私がトレイを持って揚げ物を物色していると、店のおばさんが揚げ物の整理を始めました。私は一応それが終わるのを待っていたのですが、普通はお客さんが来たらそういうことをしないと思いますよね。どうやら、歓迎されていなかったようです。まあ、真夏の街道歩きで汗だくでしたから、迷惑な客であることは確かでしょうが……。何だかなあ、という感じでした。はなまるうどん イオン高槻店です。皆さん、ご注意ください!

あまりにも暑かったこともあり、ここでは12時半まで休憩しました。その間、スマホのNHK防災アプリで天気の状況を確認します。

ここのところ、入道雲が多く発生し、急な雷雨というのが頻発していました。この日もその心配があったのです。

すると、この後14時ごろから雨が降る予報になっています。

今回の歩きはあくまで高野山までの歩きの練習という位置づけであり、荷物が濡れることはあまり望ましくありません。出発を2日後に控えています。

また、雨よりも怖いのは雷です。雷は命を落とす危険性もあります。四国八十八ヶ所を歩いていた際、愛媛県はほとんど毎日雨でしたが、不安定な天気ではありませんでした。雨で安定している、という状況ですね。

ですので、ここはあまり無理をしない方がよさそうです。状況を見て、早めに切り上げる必要もありそうでした。

とりあえず、高槻の中心部までは進むことにしました。そこからだと、阪急電鉄もJRもあります。濡れる前に総持寺に参拝し、家まで帰ることもできるかもしれません。

ということで、12時30分ごろ、出発です。

西国街道 「萩之庄」バス停から安満新町だりや公園まで

萩之庄」バス停を12時37分に出発し、安満新町だりや公園には13時ちょうどに到着しました。時間的にも、距離的にも大したことはありませんでした。Googleマップよりもかなり速いペースで到着しています。

12時37分、「萩之庄」バス停に戻ってきました。ここから街道歩きの再開です。

※「萩之庄」バス停 奥にイオン高槻店が見える

歩きだしてすぐに、成就寺参道が右手に出てきました。

※成就寺参道

ここから250メートル進むと、檜尾川橋です。12時41分でした。

※檜尾川橋

西国街道のマップでも、ここは目印になっています。

橋を渡って160メートルほど歩くと、右側に春日神社参道が出てきました。

※春日神社参道

神社までは、ここから300メートルほど山の方に登らないといけません。スルーするしかないですね。

そこからすぐ、今度は左側に瑞應寺があります。

※瑞應寺

さらに、100メートル少々進むと大泉寺があります。ここには、山手町薬師堂もありました。

※大泉寺と山手町薬師堂

この薬師堂に祀られている薬師如来坐像は、像高86.0cm、平安時代後期の作とされます。春日神社の別当寺なのでしょうか、養楽寺というお寺に安置されていたそうですが、後にこちらに移されたようです。説明板には、詳しい経緯は書かれていませんでした。

ここから先は左右にお店も登場するようになり、町中に入っていく感じになります。天気も心配ですし、そろそろ打ち止めでしょうか。

大泉寺から1.1km歩いたところで、安満新町だりや公園のある、府道79号伏見柳谷高槻線の高架下に到着です。

※安満新町だりや公園の近く

写真には写っていませんが、この右側が安満新町だりや公園になります。

ここまで来て考えてみると、家に帰る際、また、今回の旅を再開する際、阪急電鉄を利用する方が明らかに便利です。最初はJRの「高槻駅」を目指そうと思っていましたが、阪急電鉄の「高槻市駅」を目指すことにしました。

この後、JR京都線を越えるために高架橋へと昇っていきます。

※高架橋への登り口

これ、失敗したなあと思いました。反対側の方が、しっかりした階段になっているのです。この階段は、上り下りともに錆び錆びで、いつ壊れてもおかしくないように思いました。私のブログを読んでいただいている方はご存知と思いますが、私は高所恐怖症であり、こういうところは本当に苦手なのです。

※高架橋からJR「高槻駅」方面を望む

ここで13時1分でした。

この後、13時10分過ぎには阪急電鉄「高槻市駅」に到着し、電車に乗り換えました。

南坊の巡礼記「総持寺」(2024.8.5)

おそらく13時16分の電車に乗り、13時20分に「総持寺駅」に到着したはずです。

しかし、ここで困った事態が!

雨を避けるために早めに参拝を終えようと、電車に乗ってショートカットしたわけですが、何と、すでに雨が降っているではありませんか!

仕方なく、菅笠にビニールカバーをかけ、歩いていくことにしました。傘はささなかったように思います。

13時27分、総持寺に到着です。

※総持寺

あまりよくはありませんが、とにかく急いで参拝します。雷もゴロゴロと鳴っていますので、コワイですね。

※総持寺山門

この暑さ、この天気ですから、人影もほとんどありません。山門前も無人でした。なかなか珍しいことです。

総持寺は無料で入れますので、親子連れが散歩していることも多いです。しかし、とにかくこの暑さですからね。36度か37度の予報でしたから、うろうろしている人はまれです。

というわけで私も大急ぎで本堂大師堂高野山奥之院遙拝所参拝し、納経所へ行きました。マスクなど、買えるものがあれば買おうと思っていたのです。

納経所は、外から見ると閉まっているような雰囲気でした。そうっとドアを開けると、無事に開いていました。しかし、何だかいつもより寂しい感じです。ご朱印帳数珠など、グッズが売っているところの電気が暗く、納経所内にはお客さんが1人もいなかったのです。

記帳・押印してくださるお坊さまは3人もいらっしゃいました。手前の方にお願いします。「500円でしたかね?」と私が確認すると、「そうです」と答えてくださいました。

何でしょう、値上がりの影響で納経所に閑古鳥がないているのでしょうか。実はこのレポートを書いている段階では高野山の壇上伽藍金剛峯寺奥之院もすでに参拝しており、納経もしてきたのですが、以前ほど納経所に行列ができていなかったように思います。おそらく、多くの納経所ご朱印所が値上がりをした影響で、ご朱印ブームが終わってしまったのかもしれません。

にわかご朱印マニアの人からすると、300円だったものが500円になるということで、負担感がとても大きくなっているのかもしれません。1,000円あれば3か寺もらえてお釣りもあったものが、2か寺しかもらえないわけですからね。

まあ、これは私のような「巡礼ヤー」からすればありがたいことです。納経所で並ぶ時間が減るわけですからね。ただ、お寺の収入としては結果として減少することになるので、文化財保護という観点からすると良くないことかもしれません。

この後、「総持寺駅」まで戻って自宅最寄りの「西山天王山駅」で降りたのですが、雨は結局総持寺を参拝していた間しか降りませんでした。まあ、得てしてそういうものですよね。結局、「西山天王山駅」から自宅まで炎天下を歩いて戻ったわけです。あまりの暑さに、途中のコンビニで買ったアイスがボトボト溶けて大変でした。

さあ、これで今回の街道歩き、参拝は終了です。2日後からの高野山までの歩き旅の無事も祈願することができました。

次回からは、高野山歩き旅の様子をレポートしていきます。

どうかお楽しみに!