西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

「滋賀四寺の住職と歩くウォーキングプラン」第1弾に参加しました!

岩間寺三十三所観音堂

 

 

またまた貴重なイベントに参加することができました!

2025年5月24日に開催された、日本遺産「日本の終活の旅」推進協議会主催の「【日本遺産 西国三十三所観音巡礼×HISTORY collabo ID】滋賀四寺の住職と歩くウォーキングイベント<第1弾 岩間寺~石山寺を巡るプラン>」*1です。

このイベントですが、運営は日本遺産 西国三十三所ウォークイベント事務局(HISTORY collabo ID)のようです。しかし、西国三十三所の方でも全面的に支援をしているようで、第十二番札所正法寺岩間寺)の壁瀬慈峯住職や、第十三番札所石山寺鷲尾龍華座主がこのツアーのためにかなりの時間を割いてくださっています。こんな貴重な体験はなかなかできるものではありません。

このイベントにはまだ続きがありまして、5月31日には<第2弾 石山寺~三井寺を巡るプラン>*2が、6月7日には<第3弾 観音正寺を巡るプラン>*3が実施される予定です。第2弾は石山寺鷲尾龍華座主と第十四番札所三井寺園城寺)の福家紀明執事長が、第3弾には第三十二番札所観音正寺岡村遍導住職がご案内くださるようです。ぜひ次回以降のプランにもご参加いただければと思います。

では、私が参加した<第1弾 岩間寺~石山寺を巡るプラン>のレポートをしていきたいと思います。

「滋賀四寺の住職と歩くウォーキングプラン」第1弾

西国三十三所を車で巡礼し、結願してから早くも4年が経過しました。四国八十八ヶ所を歩き遍路で結願している私としては、何とか西国三十三所も歩きで結願したいところです。まあ四国のように通し打ちというわけにはいきませんが、区切り打ちでちょっとずつは歩き始めようと考えていました。

その壮大な第一歩として考えているのが、高野山から熊野古道小辺路を下っていき、熊野本宮から那智山まで歩いたうえで、西国三十三所の歩き遍路をスタートさせるというものです。

実は四国八十八ヶ所の歩き遍路は、当時住んでいた大阪府茨木市の自宅から歩きで南海フェリーの和歌山港まで行き、海を渡って徳島港からスタートさせていました。2021年に四国八十八ヶ所をすべて回った後、2022年に第88番札所大窪寺をスタートして徳島港まで歩き、再度海を渡って和歌山まで帰ってきました。その後、2024年に和歌山市内から高野山まで歩いて登り切ったのです。

つまり、家から港まで歩いて四国に渡り、四国で歩き遍路を終えて和歌山に戻り、高野山まで歩き切った、ということです。

ですので、次はこの流れで西国三十三所を歩いていこうと考えているのですが、熊野古道小辺路はなかなか難しいルートで、宿も少ないという難点があります。計画は立てるのですが、なかなか実現までこぎつけていません。

そうしたなかでたまたま知ったのが今回のイベントです。まあ、いずれ歩くならば予行演習も兼ねて歩いてみてもいいだろう、そんな軽い気持ちで参加を決めました。

では、第1弾のレポートです。

「滋賀四寺の住職と歩くウォーキングプラン」第1弾イベント情報

さて、このイベントの詳しい情報はHISTORY collabo IDのホームページ*4に掲載されています。概要をまとめていきます。

イベント概要

開催日:2025年5月24日(土)

開催場所:岩間寺・石山寺(大津市)

定員数:20名

参加費用:14,800円

当日スケジュール

  8:50 JR石山駅集合

10:00 岩間寺にて

    壁瀬住職のお話、境内案内、本堂にてご祈祷
    ★三十三所観音堂の特別拝観
    「ご朱印帳」、岩間寺の「浄土の鳥」、「いわまの甜水」をお渡し
    NFTアートの取得・記念撮影

10:50 壁瀬住職と共に岩間寺を出発

12:30 石山寺 正面到着(鷲尾座主がお出迎え)
   (昼食1時間・自由行動)

13:30 石山寺にて

    鷲尾座主のお話(明王院にて)記念撮影
    境内案内、本堂にてご祈祷
    ★毘沙門堂の特別拝観
    NFTアートの取得
    石山寺の「浄土の鳥」、「Self Journeyはがき」をお渡し

15:15 終了・解散

メッセージ

西国三十三所第十二番札所 岩間寺 壁瀬慈峯かべせじほう住職

※壁瀬慈峯住職

一緒に歩きながら、自分が楽しいと感じる巡礼を体験してみてください。汗かき観音や拝むと心と顔が美しくなる白姫龍神など、岩間寺にはたくさんの見所がありますよ

※HISTORY collabo IDのホームページ*5より引用

西国三十三所第十三番札所 石山寺 鷲尾龍華わしおりゅうげ座主

※鷲尾龍華座主

「あなたは一人ではないよ」と、ずっと言い続けてくれる優しい存在が観音様です。どうぞ気軽な気持ちで西国を巡り、観音様に会いに来てください

※HISTORY collabo IDのホームページ*6より引用

イベントの様子

自宅から集合場所であるJR「石山駅」までの交通手段ですが、1週間ほど前からずっと悩んでいました。自宅の最寄り駅が阪急電鉄「西山天王山駅」なので、どこでJRに乗り換えるか、ということです。

選択肢はいくつかありました。

一度大阪方面に進み、阪急電鉄「大山崎駅」で降りて、260メートルほど歩いてJR「山崎駅」から乗るパターン。素直に京都方面に進み、阪急電鉄「東向日駅」で降りて、550メートルほど歩いてJR「向日町駅」から乗るパターン。同じく阪急電鉄「洛西口駅」で降りて、700メートルほど歩いてJR「桂川駅」から乗るパターン。阪急バスで「円明寺ヶ丘」バス停からバスに乗り、JR「長岡京駅」まで向かってから、JRに乗り換えるパターン。

どれもこれも心配だったのは、JRの遅延です。JRは複雑に路線がからみあっている関係上、どこかの路線がストップするとすべての路線に影響が出ます。週に1回ぐらいは京都・神戸間で何らかのトラブルが発生しているように思います。

そこで前日あたりに急浮上してきたのが、車という選択肢です。

最後は石山寺で解散するということですから、石山寺観光駐車場に停めておけば、帰りが非常にスムーズです。また、雨ということも予想されていたので、場合によってはウォーキング終了後、着替えることも可能になります。

ということで、車で行くことにしました。

5月24日(土)、朝5時に起床し、準備を整えます。いつもどおり結構時間がかかってしまい、7時15分ごろの出発となりました。

石山寺方面までのルートは、名神高速道路を通って「瀬田西IC」で降りるルートと、京滋バイパスを通って「石山IC」で降りるルートの2つがあります。京滋バイパスは混むイメージがあったので、名神高速道路で行くことにしました。

この日は高速道路も結構空いており、7時45分ごろには「瀬田西IC」を降りることができたでしょうか。その後、有名な瀬田の唐橋を渡り、瀬田川の右岸を通って南下、何と8時前には石山寺観光駐車場に到着しました。どうやら先に2台停まっていたようで、その間に停めるように言われました。ここは素直に従います。ちなみに駐車場代は600円です。

車を停めた後、トイレに寄ってから北の方に向かいます。山門は駐車場の北側にあります。

※石山寺東大門

閉まっている山門というのも、あまり見ることはありませんね。この時点で7時54分、開門は8時でしたので、間もなく開門という状況でした。ちなみにこの門は東大門と言います。 

ここからは、山門前を通過してどんどん北上します。JR「石山駅」に行くためには、いくつか方法がありました。時間が早かったので、歩いていくことも可能でしたが、温存できる体力は温存する主義です。京阪電鉄を利用することにしました。

東大門から京阪電鉄「石山寺駅」までは、850メートルほどです。瀬田川を右に望みながらの、快適な散歩です。気温は前日までとは打って変わって肌寒いほどでした。

※瀬田川沿いの景色

8時過ぎ、京阪電鉄「石山寺駅」に到着です。着いてすぐに電車が到着してきて、8時9分発の電車に乗ることができました。

※「松喜屋」のラッピング電車

単なる広告だとは思うのですが、もはや広告を通り越してラッピング電車です。ちなみに車内の吊り広告も、ほとんどが松喜屋でした。

京阪電鉄の「浜大津駅」から「石山寺駅」まではもうほとんど路面電車に近い感じです。一応ほとんどの区間では一般道と隔離されていると思いますが、車両も細長い印象で、前の座席との距離が近いですね。

8時13分、京阪電鉄「京阪石山駅」に到着しました。結構乗降客が多いですね。まずはトイレに行きました。そこからコンビニで飲み物とハンカチを買おうと思い、JR「石山駅」構内のセブン–イレブン ハートインJR石山駅南口店に行ってみたのですが、店舗がせまいうえに人が多く、とても選べる状況ではありませんでした。

そこでいったん外に出て、駅の北口の方に行ってみました。何でしょうか、とても駅前と思えないような景色です。広大な空き地が広がっています。どうやらマンションを建築するようで、完成したらそれなりに便利なので、そこそこの値段で売れると思います。

北口はあきらめて、南口へ向かいます。ちょっと離れたところにセブン–イレブンが見えますが、その手前にはファミリーマートが見えます。私はセブン–イレブンよりはファミリーマート派なので、迷わずファミリーマートに向かいます。駅直結のペデストリアンデッキからどこで降りるか、ちょっと分かりにくかったです。初めて来たところですので、まあ土地勘がないわけです。

何とか無事に降りることができ、ファミリーマート石山駅前店に行くことができました。ハンカチとポカリスエットを買います。ここで間違えたのが、ポカリスエットの900mlを買ってしまったことです。結果的に半分くらいは残ったので、500mlを購入すれば十分でした。しかも、自分で水筒に温かい飲み物も入れてきていたのですから。

集合場所が改札口だったので、改札方面に戻ります。このJR「石山駅」と京阪電鉄「京阪石山駅」の間には大きなペデストリアンデッキが広がっています。ちょっとした広場のようです。その広場の南側には、何と松尾芭蕉の像がありました。

※松尾芭蕉像

石山寺境内にも芭蕉庵がありますし、岩間寺には松尾芭蕉が「古池や」の句を詠んだと伝えられている池があります。この界隈は松尾芭蕉に所縁があるということですね。松尾芭蕉も歩き旅のプロでした。大先輩として、尊敬しますね。

8時30分ごろには改札口前に戻りました。ここで集合となっていたので、集合の声がかかるまで待っていることにします。たまたま3人掛けの椅子の端が空いていたので、座りました。

今回のツアーは定員20人でしたので、おそらく旗かパネルのようなものを持った方が集合の号令をかけてくださるのだろうなと思っていました。何人かはリュック姿の方がいらっしゃいましたので、あの方たちも参加者かなと思いながら待ちました。

8時45分ごろ、女性の方に声をかけられました。この方もリュックを背負っていらっしゃいます。すぐに名前を聞かれたように思います。どうやら主催者の方のようで、何となく目星をつけられていたようです。

その理由はすぐに分かりました。何と、ツアーの参加者は3人しかおらず、男性は私だけだったのです。

この段階で8時48分ごろで、もう1人がまだということだったのですが、そういう話をしている間に改札口から出てこられました。私の印象としては、その方は驚くほど軽装でした。

今回のツアーでは一応山の中を歩くことがあるかもしれないということで、私は少しばかりの食糧も持ってきていました。カロリーメイトなどですね。それでいつも荷物が多くなってしまうのですが、最後に来られた方は町中を歩く感じでしたね。

もう1人は西国三十三所を回っている途中という方で、もうお仕事も退職されている女性の方でした。しかしまだまだお元気な感じです。

そして運営の方が、私に声をかけてこられた背の高い女性、もう一人が私と同じくらいか少し若い感じの男性の方です。

つまり、今回の旅は参加者が3名、運営が2名ということになります。参加者にとってはとても手厚い体制ということになりますね。

ちなみに車担当の方で、俳優の野間口徹さんに似た方もいらっしゃったので、何と運営側は最終的に3名ということになりました。

人数も少ないので、和やかなムードで出発します。京阪バスに乗り込み、岩間寺方面に向かいます。バスはまあまあ混んでいましたが、滋賀大学のところでほとんどの人が降りました。その後、程なくして我々が降りる「中千町」バス停に到着です。このバス停で、乗客全員が降りてしまいました。

ここで車担当の野間口さん似の方が合流されました。もともとの計画では、この「中千町」バス停近くにあるファミリーマートから車に分乗して、岩間寺まで20名をピストン輸送することになっていました。

岩間寺の職員の方もわざわざアルファードクラスの車を出してくださっていたのですが、結局その車に広々と乗ることができました。運転手は若い女性の方です。運営の車担当の方はご自分の?(会社の?)車で追いかけてこられます。まあ10分ほどでしょうか、9時45分ごろには岩間寺に着いていたように思います。

ここでは、きちんと法衣をまとって袈裟を着けた岩間寺のご住職、壁瀬慈峯師にお出迎えいただきました。

岩間寺にて

岩間寺では、最初に鐘楼堂で鐘を撞かせてもらいます。西国三十三所の札所では、鐘を撞けるところは珍しいです。その後、ひととおり境内をご案内いただきました。逐一ご住職から説明していただけるのがありがたいです。

白姫龍神では、美人になれるということで女性お二人に参拝をお勧めしておられました。運営の方に私も勧められたのですが、石山寺には美男子になれるところがあるということを憶えていたので、そっちで参拝しますと答えて、やめておきました。ちなみにそれが石山寺のどこだったか忘れてしまいましたが、確認すると御影堂でした。自分の記事「西国三十三所 第十三番札所 石山寺 ~日本一美しい多宝塔と天然記念物の奇岩の絶景~」にも書いてありました。

その後、本堂横の池に案内されました。この池には、松尾芭蕉がこの地に滞在していた際、「古池や 蛙とびこむ 水の音」の句を詠んだという伝説があります。

※「古池や」の句碑(2021年4月8日撮影)

この句碑、最初の文字が何だろうか、ということがまったく分からなかったのですが、今回、壁瀬住職にご教示いただきました。「婦る池や 蛙とびこ無 水の音」と書かれているようです。達筆過ぎて分かりませんし、その当て字適当過ぎる!

その後、境内の奥、上醍醐に近い方に移動します。

一番奥のところに、日本一の長寿桂がありました。

※日本一の長寿桂

この桂の木は、宇治市名木百選の一つに選ばれているようです。高さは27.4メートルもあり、樹齢は500年以上とされています。

ちなみにこの桂の生えているところは大津市ではなく、宇治市になります。そして、この桂が望めるところを現在ご住職が整備しておられ、昨年あじさいの苗木を100本植えられたそうです。数年すればキレイに花が咲き誇ることでしょう。

その後本堂に戻り、内陣に入らせていただきました。壁瀬住職の唱導で勤行がおこなわれます。私も輪袈裟をつけて、般若心経を唱和させていただきました。

さらに焼香したのち、ご住職による加持祈祷もおこなわれました。

※壁瀬住職による加持祈祷

写真を撮ってもよいとご住職がおっしゃってくださったので、写真を撮らせていただきました。なかなか普通は写真に撮れないと思います。これは貴重ですね。

ご加持のあとは、ご住職とご一緒に写真撮影となりました。こんな機会もめったにありません。

最後に、西国霊場札所会推薦の新しい納経帳をいただき、白雁びゃっこうの土鈴といわまの甜水てんすいをいただきました。

※いわまの甜水、白雁の土鈴、西国三十三霊場納経帳

あと、岩間寺のインスタグラムのQRコード付き名刺もいただきました。

※岩間寺の名刺

つづいて、ご住職と記念撮影をおこないました。これもなかなかレアな経験ですね。

最後に、普段は非公開の三十三所観音堂を拝観させていただきました。観音さまたちは比較的最近修復されたようで、金ピカに輝いておられました。

これで岩間寺でのプログラムは終了です。つづいて、壁瀬住職とともに、石山寺まで歩いていくことになります。

岩間寺~石山寺ウォーキング

岩間寺をおそらく11時ごろに出発して、石山寺東大門には12時40分ごろに到着したと思います。思っていたよりも遅いペースだったかもしれません。

壁瀬住職が作務衣にお着換えになりました。ご住職の先導のもと、参加者3名、運営の方2名とともに歩いていくことになります。車担当の方は万一に備え、車で並走される感じです。

おそらく11時ごろ出発したでしょうか。最初はとにかく下りですので、楽なものです。私とご住職は結構スタスタと歩いていきますが、ちょっとペースが他の方よりも速かったように思います。時々、待つ必要がありました。

そういうこともあり、結構ご住職とはお話させていただきました。

話の内容は多岐におよび、ご住職が僧侶になり、岩間寺のご住職になった経緯や岩間寺本山にあたる醍醐寺の話、岩間寺の水の事情などです。一番出た話が鹿の話で、実は岩間寺境内や山内も鹿の食害がひどいという話でした。

これは山の途中や麓でも同じで、麓の田畑は厳重に柵で守られていました。「歩いている途中で鹿を見なかったので、今日は珍しい」というお話でしたので、この地域は相当鹿に悩まされているようですね。

壁瀬住職のお話では、岩間寺も昔は花のお寺としても知られていたようですが、鹿のせいでほとんどやられてしまったということでした。あじさいを植えられたことでも分かりますが、それを少しずつ復活させようとしておられるわけですね。

また、「古池や」の句にちなんでカエルによるブランディングも進めておられるようで、岩間寺境内にはあちこちにカエルの像がありました。

※カエルの像

さて、ここで私の大きな誤解を一つご紹介しましょう。すでに上述したとおり、私は少しくらいは山道があると思っていたんですね。岩間寺から出たら少しは山道があるだろうと思っていたわけです。

ところが、今回の行程はすべてアスファルトでした。万が一遭難した時に食べようと思っていたカロリーメイトが、恥ずかしい感じです。ただ、靴をASICSGT2000にしたのは正解でした。コロンビアの山用の靴と迷ったのですが、アスファルトが多いと予測してGT2000にしてよかったです。足への負担が全然違いますからね。まさかすべてがアスファルトとは思いませんでしたが。

ただ、アスファルトとはいえ岩間寺からの道は一応東海自然歩道に指定されています。

下山時、少し開けていて景色がいいところがありました。

※下山中の景色

真ん中やや左側の一番奥、うっすらと見えているのが近江富士ではないかということで論争になっていました。この段階ではまだ琵琶湖が見えていないですね。ここで11時19分でした。

そこからさらに下り、中千町のファミリーマートでトイレ休憩をするかどうかという話になったのですが、参加者がみんな行かないということで、そのまま進んでいきました。やや斜めに行って、ショートカットする感じになりました。

その後バス通りに合流し、ひたすら北上します。滋賀大学教育学部の前を通っていく感じですね。歩道が右側にあったり、左側になったりで、面倒な感じでした。歩道を作った人間は、ぜひ一度自分で歩いてみて欲しいものです。

※光林寺前

滋賀大学教育学部がバス通りの東側で、この光林寺は滋賀大の手前、西側にあります。ここで11時49分でした。

ちなみにこのバス通りの部分は県道106号線で、北東方向に1.0kmあるのですが、Googleマップでは徒歩を推奨していない区間になっています。それゆえ、上の地図では滋賀大学の東側を迂回するルートになっています。

「石山寺三丁目西」交差点で右に折れます。ここからは、瀬田川に向かって東進することになります。この区間は550メートルほどです。

途中、ファミリーマート大津石山寺南店でトイレ休憩となりました。2、3分ほどでしょうか。

歩きを再開して、「石山寺三丁目東」交差点に到着です。ここで12時9分でした。

ここはT字路になっていて、南北を国道422号線が走っています。ここで左に折れて、国道を北上していきました。

※「石山寺三丁目東」交差点

瀬田川を右に望みながら北上します。550メートルほどで、石山寺観光駐車場の南端に到着しました。もう東大門は指呼の距離です。

12時40分ごろだったでしょうか。無事に石山寺に到着しました。すぐに鷲尾龍華座主がお出迎えしてくれました。あいにく、雨が強くなってきました。

壁瀬住職が傘も財布も持たずに、スマホだけ持って歩いてこられた、という話をすると、驚いておられました。また、私の菅笠を目ざとく見つけてくださり、四国遍路のお話などをすることができました。とても光栄でした。

ここでいったんお昼休憩となります。人数が少ないので、全員で同じお店に入ることになりました。洗心茶寮もありましたが、私が景色がいいということで推薦した石柳に入ります。ところが、お店は明らかに斜陽を迎えておられるようで、店員さんもおばあさんがお一人だけ、しじみめしももはや作っていないという状況です。ちょっと推薦した責任を感じました。

お客さんも、私たちより先に来られていた4人連れの家族だけでした。明らかに流行っていません。しかも、私たちの入店後に閉店の札をおさげになったようです。おそらく、お一人ではさばききれないからでしょう。

みなさん、お蕎麦かうどんを頼まれたなかで、私だけ鰻丼を頼みました。2,800円です。味は……。まあ空腹に勝る調味料なしというところでしょうか。何度か申し上げていますが、四国八十八ヶ所の第10番札所近くのうどん亭八幡の鰻丼が最高においしいです。

昼食後、私は車に戻って、リュックをやめて先達用のさんや袋に替えました。かなり身軽になりました。さあ、改めて石山寺参拝です。

石山寺にて

13時30分、東大門前に集合します。石山寺の寺務職の田中さん?が出迎えてくださいました。田中さんの先導のもと、東大門をくぐり、中に入っていきます。

左側の公風園という庭園の説明をしてくださいました。要するに松や楓が植えられているので、木へんをとって公風園にしたということでした。昔の方の諧謔というか、お洒落な精神を感じますね。

その後、すたすたと進んで大坂の登り口の向かいにある、明王院に入っていきました。この段階で雨は本降りですので、室内に入れるのはありがたいですね。

靴を脱いでスリッパに履き替えます。板敷きの広間のようなところに通されました。

ここでお待ちくださっていたのが、鷲尾龍華座主です。

我々参加者3名が座主の向かいに座り、講義を受けるような形になりました。お話によると、この明王院は1月までは大河ドラマ館になっていたそうです。そう、2024年のNHK大河ドラマは「光る君へ」で、主人公の紫式部(※ドラマでは藤式部またはまひろが何度か石山詣をおこなっていました。

ドラマでは石山寺藤原道長紫式部が男女の仲になる描写があり、石山寺の公式Xでも「そんなことしてはいけません」と突っ込みが入っていました。

ちなみにこの石山寺の公式Xですが、「光る君へ」の時代背景を学ぶツールとしても最適でして、『石山寺縁起絵巻』をもとに的確な解説をしてくださっていました。どなたが書いておられたのかお尋ねしようと思っていたのですが、結局そのチャンスはありませんでした。

大河ドラマ館になる前は明王院は畳敷きだったそうですが、椅子の方が楽だろうということで、板敷きにされたそうです。まだ何回も使っていないということで、非常にキレイな広間でした。緞帳も新しくしたのかキレイで、『石山寺縁起絵巻』の一場面が描かれているそうです。

参加者が3名しかいないということもあり、鷲尾座主もフランクにお話しくださいました。私にもお遍路のことなど尋ねてくださいました。「結願して何か変わりましたか」と聞かれたので、率直に「何も変わりませんでした」と答えてしまいました。そうなんですよね、大きく何かが変わるわけではないんですよね。ただ、補足として「何かあったときに、あまり動じなくなったと思います」とお答えしました。これは事実で、気持ちが大らかになったように思います。

ちなみに私が坊主頭であったということもあり、「お坊さんですか?」とも聞かれてしまいました。ややこしい頭で申し訳なかったです。

残りの2名の参加者の方にも、今回のプランに参加されたきっかけなど、お尋ねになっていました。こんな風に座主とお話できるというのは、貴重な経験ですね。

座主ご自身も大学在学中にコアな趣味のお仲間と西国三十三所をいくつか回っておられたそうです。レンタカーを借りていかれたということで、アクティブな面もお持ちなんですね。ところが、石段でこけて何段か転落してしまわれたとか! ただ、大きな怪我などはなかったということで、観音さまのご加護をお感じになったようでした。

その後、石山寺の歴史などを少しお話しくださりました。まあこれは石山寺のホームページ*7や私の記事「西国三十三所 第十三番札所 石山寺 ~日本一美しい多宝塔と天然記念物の奇岩の絶景~」にも書いてあることで、真新しい話ではありませんでした。

お話のあと、石山寺のNFTアートをいただきました。

このNFTアートとやら、まだちょっと私には価値が分からないのですが、要するに自分のスマホにご本尊のお姿を映し出すことができるというものです。数に限りがあるので、希少性もあります。ただ、自分で鑑賞する用途にしか使えませんので、ここに掲載するわけにはいきません。

さて、いよいよ鷲尾座主のご案内で本堂へと向かいます。大坂石段)を70段ほど登りました。そこが伽藍の中枢で、正面には硅灰石の岩場、その上には日本一美しいとされる多宝塔が建っています。

※硅灰石の岩場と多宝塔

鷲尾座主がここでもご説明をしてくださいました。まあ、源頼朝が1194年に建立したという話は、真新しい情報ではありません。ただ、「雨に濡れると石が黒くなって、また景色が違って見えます」というのは新しい情報でした。確かに、晴れているときは白っぽい印象でした。

※晴れているときの硅灰石(2021年4月8日撮影)

この後、本堂へ向かいました。ちょっと水たまりも大きくなってきており、歩きにくかったです。そう言えば、私はASICS GT2000ですので、濡れてやむなしの靴でしたが、鷲尾座主はちょっと変わった草履を履いておられました。草履の前面、鼻緒の上の部分が透明のビニールで覆われているのです。やはり、雨用の草履なんだろうと思いました。

本堂に入ると、礼堂側から内陣に入っていきました。これはやはり特別ですね。そこでもまた椅子が用意されており、今回は印刷した般若心経のプリントもありました。一緒にお唱えしていい、ということですね。

さんや袋から輪袈裟と数珠を出し、準備します。導師は鷲尾龍華座主です。こんな機会はめったにないでしょうね。座主の唱導のもと、参加者全員で般若心経をお唱えしました。

お経の音階というか音程は決まっていると思うのですが、私は我流なので、なかなか合わない方もいらっしゃるんですね。ところが、鷲尾座主の音程とはぴったりと合うことができました。非常に美しいお声で、合わせやすかったです。音程が合うと、ある種のハーモニーを奏でることができるので、とても気持ちがいいものです。

ここでは、加持祈祷はありませんでした。勤行で終わりです。

つづいて、内陣をご案内していただきました。座主自らご案内していただけるとは、光栄の極みですね。

ご本尊のご説明、脇侍の仏さまのご説明がありました。ご本尊は勅封で、33年に1度か、天皇の代替わりの翌年にしかご開帳がないそうです。本当に勅封で、皇室にお伺いを立てて、きちんと勅使の方に来ていただいて開けるそうです。すごいですね。

ところで、ちょっと気になったことがあったので質問してみました。本堂内は菊の御紋のような文様で覆われているので、「これは菊ですか?」と聞いたのです。すると、菊は菊でも、裏菊紋だと教えてくださいました。天皇家の御紋はもちろん菊ですが、石山寺の紋は菊を裏側から見た裏菊紋だそうです。ただし、ご本尊のお扉にはきちんと表の紋がつけられているそうでした。やはり皇室との所縁が深いのですね。

内々陣の左側は、護摩壇になっています。何と、国宝本堂内で護摩を焚くそうです。これ、めちゃくちゃ怖いですね。さすがに防火対策は気をつけておられると思いますが、万が一がないことを祈ります。おかげで、天井などは真っ黒に煤けてしまっていました。

本堂の右奥側には、2メートルを超える大きな毘沙門天像と等身大くらいの増長天像、持国天像がありました。いずれも平安時代の作ということでした。あまりの珍しさに、思わず質問してしまいました。「同じ時期にこのように違う大きさで造られたのですか?」と聞いたのですが、それはやはり、違う、ということでした。もしかする東大門の仁王像よりも大きいかもしれないですね。

これ、もしかすると東大門は元来仁王像が祀られていたのではなく、この大きな毘沙門天をはじめとする、四天王像で護られていたのかもしれないと思いました。というのは、東大門は表側だけではなく、裏側にも仏さまの入れるスペースがあるんですね。これは、今後の研究成果が待たれます。

その後、本堂の外へ出て、いわゆる「源氏の間」の前へ行きました。昨年、大河ドラマのブームにあわせて十二単を新調したそうで、紫式部像はきれいなお着物を着ておられました。

ここで、記念撮影です。一番左に鷲尾座主、その次に軽装の女性、真ん中奥に紫式部像、その隣に西国三十三所巡礼途中の女性、そして私と並びました。やはり座主のお隣に行くのは気おくれしてしまったのと、女性を中心に据えるのがいいだろうと思ったからです。石山寺は女流文学者と縁のあるお寺ですからね。

ここで、鷲尾座主とはお別れです。田中さんがまた案内に立ってくださいます。

最後に、これも普段は非公開の毘沙門堂を拝観させていただきました。入口のところでお坊さまがお待ちくださっていて、扉を開けてくださいます。中に入らせていただき、奥の方に座りました。

こちらの毘沙門天像は、先程よりも小さいですが、十分迫力があります。左に奥さんとされる吉祥天像、右には子どもとされる善膩師童子像が並んでいます。家族円満の図であるとか。また、毘沙門天が悪鬼をふみつけているのではなく、土地の神さまによって支えられている造形になっていました。これも特徴だということです。いやあ、これも貴重ですね。

これで、石山寺での特別な体験は終了です。この後、最初の明王院に戻りました。

ここでは、何と自分への手紙を書くということになりました。実はいただいたものの中に絵葉書が入っていたのですが、自分に書く用だったのですね。そう言えば、この旅のタイトルに“self journey”と書いてありました。それが旅のテーマなんでしょう。

※石山寺の絵葉書

別に自分宛でなくてもいいようですが、何も見ずに住所が分かる人など、自分くらいしかいません。というわけで、私は自分宛に書きました。スペースがあるので、俳句?を最初に書きました。

 

石山に 雨がしたたる 青葉かな

 

いかがでしょう。

他に、石山寺でいただいたものはこれです。

※石山寺でいただいたもの

そう言えば、鷲尾座主が三井寺には孔雀がいるとおっしゃっていました。しかし、なぜか土鈴は石山寺が孔雀になったそうです。デザインや割り当てなど、誰が考えたんでしょうね。

これ、西国三十三所の滋賀県の6か寺でお授けしているようですので、あと4か寺分も欲しくなりましたね。コンプリートしたい!

私たちが絵葉書やアンケートを書いている間に、田中さんが納経帳記帳・押印してきてくださいました。私は先達用の掛け軸にも書いていただきましたので、別に500円お支払いしています。

これで、この石山寺でのプログラムも完全に終了です。

西国巡礼中の女性は納め札本堂に持っていくということで、それ以外のみんなで連れだって東大門の外まで歩き、そこで少しお話しした後、解散しました。少人数のプログラムになったため、参加者と運営者の壁も少なく、とても気楽で楽しいプランとなりました。参加してよかったです。

この後、私はすぐに車に戻り、濡れた靴下や靴は履き替えました。トイレにも行っておきます。あと、気になっていた石山プリンもをお土産に買いました。

※石山プリン

プリンの賞味期限は、購入日を含んで3日間です。おいしくいただきました。

帰りは京滋バイパス「石山IC」から高速道路に乗り、そのまま京都縦貫道につながって「長岡京IC」で高速をおりました。1時間もかからず、16時半までには家に帰ったと思います。本当に、いい経験ができました。

最後に

今回のプランは、西国三十三所第十二番札所岩間寺壁瀬慈峯住職、第十三番札所石山寺鷲尾龍華座主と直接お話しできるなど、本当に貴重な機会を提供してくれたと思います。それぞれの本堂内陣で、ご住職や座主とともに勤行ができたのも、素晴らしい経験です。

運営の女性からは、「ウォーキングがあった方がいいか」聞かれましたが、やはりウォーキングはあった方がいいと思います、と答えておきました。私自身、ウォーキングがあったからこそ参加したと思います。ウォーキングなしでは、参加しなかった可能性もあります。実際問題、特別拝観などもほとんど行けていませんし。

参加者が少なかったことに関して、認知度などいくつか問題を挙げておられましたが……。事は至極単純だと思います。参加費用が高いのだと思います。

これ、参加者が少ないことを見越して14,800円という価格設定にしたのか、20名参加して14,800円でペイできるという計算で価格設定したのかは分かりません。しかし、日帰りツアーで現地集合、現地解散で、バスツアーでもないのに10,000円を超えるのはやはり価格設定としては高いと思います。

ただ、私のように今回の体験の価値が分かるコアな人間には響くものがあるでしょう。私は本当に楽しかったですし、また同じ感じのツアーがあれば参加したいと思いました。めったにできない体験をさせていただいたと思っております。

とはいえ、最近多忙ですので、次回の5/31(土)の参加は無理、6/7(土)の参加は検討中です。大阪市立博物館で開催されている「日本国宝展」の会期終了も近づいていますからね……。

まあとにかく、値打ちの分かる人には本当にオススメできる、素晴らしいツアーです。

ぜひぜひ、みなさんも参加をご検討ください!