西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 歩き遍路 5日目(2021.7.25) 18番~19番札所 ホテルサンルート徳島~「加茂谷」バス停

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19番立江寺

拠点となっていた徳島市を離れ、いよいよ次の拠点である阿南市に出発です。四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、5日目のレポートです!

歩き遍路 5日目 ホテルサンルート徳島から「加茂谷」バス停まで

歩き遍路5日目、7月25日(日)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。

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5泊もしたホテルサンルート徳島を離れ、この日は阿南市方面へと南下します。ということで、この日も5時に起床し、いつもどおりの朝食を食べます。この日はチェックアウトしないといけないので、荷物もきちんと整理して詰めました。

ホテルサンルート徳島から18番札所恩山寺まで

ホテルサンルート徳島を7時に出発し、18番札所恩山寺には10時12分に到着しました。Googleマップよりも30分程度余計に時間がかかっています。ただ、国道55号線から遍路道に入ってから、かなり正しいルートを外れてしまったので、仕方がないでしょう。実は遍路道に入らず国道55号線をギリギリまで歩いた方が距離的に短くなると思いますので、実際に歩かれる場合はご注意ください。

7時少し前に、6日間お世話になったホテルサンルート徳島をチェックアウトします。大きな荷物は宅急便で送ることも当初考えていたのですが、荷物を持った状態でどの程度歩けるのかも確認する必要があると思い、持っていくことにしました。0日目にはリュック状態で背負ってきましたが、この日はキャリーバッグ状態で転がしていくことにしました。

ホテルからはまず南西方面に向かい、国道438号線沿いに進んでいきます。0日目に寄らせてもらった瀬戸内しん仏具店の前を通る感じです。大きな道を歩いているので、しばしば信号に引っかかりますし、また信号が割と長いのでかなり時間をロスします。国道438号線沿いにある金刀比羅神社の前を通過したときには、すでに7時26分になっていました。

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※金刀比羅神社

ここまででまだ1kmも来ていないと思います。大きな道なので歩道が広く、歩きやすいのが助かります。

真っ直ぐ南下していた国道438号線は、ここから400メートル足らずで西へと折れていきます。前日に歩いた神山方面へ向かうわけです。私は四国遍路聖地巡礼のホームページ*1に掲載されているマップに従い、ここからもう少し南下しました。

分岐点から100メートルほど先に、並行して走っているJR牟岐線の「二軒屋駅」があります。「二軒屋駅」の南側にある新開第1踏切を渡り、住宅街の方へ入っていきました。

そこからは右折、左折を繰り返して若宮神社から東へ進み、国道55号線を目指します。

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※北側から見た若宮神社

この若宮神社で7時48分でした。

国道55号線に出てからは、日陰を求めて信号を渡り、東側を南下することにします。国道55号線のこの区間は徳島南バイパスと呼ばれ、片側3車線の幹線道路になっています。ケーズデンキやニトリなど、郊外型の大規模店舗が建ち並んでいます。

ちなみに歩き遍路にとっては、序盤でひたすら歩くことになるのがこの国道55号線です。何と高知市までつづいており、徳島県南部や高知県東部の主要な交通路になっているのです。

恩山寺までの遍路道にもなっている国道55号線のこの区間は、そこそこ大きな橋をいくつも渡っていきます。まずは冷田川にかかる沖須賀橋、次に園瀬川にかかる大野橋、さらに新川・多々羅川にかかる三軒屋橋、大松川にかかる大松川橋と続きます。最後が勝浦川にかかる勝浦川橋です。

勝浦川橋を渡るとすぐに右折して、遍路道に入りました。ここは案内標識がしっかりとあります。堤防沿いの道を少し歩くと、左に分岐があり、県道136号線を進んで住宅地の方へ降りていく感じになります。この辺は街並みは古くはありませんが、遍路道らしく、街道のような雰囲気がありました。

ここから先の正しい遍路道は、県道136号線をそのまま進み、小松島病院の近くを通って再度国道55号線に出ることになっています。しかし、私はGoogleマップと照らし合わせて、方向的に遠回りになると考えてしまい、小松島病院の手前で右折し、小松島市立児安小学校の前を南下する形になってしまいました。それゆえ、ここからは案内標識もなく、度々Googleマップを参照しながら進むことになってしまい、時間がかかったわけです。

それでも散歩しているおばさんが道を教えてくださったこともあり、正規の道を外れ大幅にロスをしながらも着実に恩山寺には近づいていきました。だいたいあの辺の山だろうと当たりがついていたこともよかったようです。

下の写真で、9時24分になっていました。

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※恩山寺の方にある山

しかし怪我の功名で、遠回りしたことによって弁慶の岩屋という史跡を発見することができました。9時54分です。

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※弁慶の岩屋

小松島市のホームページ*2によれば、実は名前と無関係の横穴式石室古墳で、かつては「大師の岩屋」や「平家窟」とも呼ばれたそうです。「弁慶の岩屋」と呼ばれることになったのは昭和期に入ってから、とのことですが、だいたい大きいものは弁慶に結びつけられたのでしょう。西国三十三所のあちこちにも弁慶にちなむものがありますしね。信憑性の高いものもあれば眉唾ものもあり、玉石混淆といったところですね。

弁慶の岩屋古墳は一つの小山のようになっており、その小山を避けて少し南へ進むと、源義経上陸の地というのがあります。ここで9時57分でした。

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※源義経上陸の地

一ノ谷の戦いに敗れた家は四国に渡り、讃岐の国の屋島で兵力を養っていました。義経はこの家を背後から討つべく、この辺りに上陸したわけですね。

ちなみに屋島寺は四国八十八ヶ所の84番札所です。このときの私はまだ18番札所を目指しているところですので、まだまだはるか遠い存在ですね。

しかし、ここまで来るともう恩山寺はすぐです。いつの間にか正規のルートにも戻っていたようで、案内も各所に見られます。9時59分、ようやく恩山寺へと登っていく坂の入口付近に到着です。

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※恩山寺の道標 車道の上には案内標識もある

上の案内標識のところを右に曲がると、急に坂道となります。民宿ちばの横を通り、坂を登ります。途中、脇の山道に入っていくように遍路道の案内がありましたが、明らかに草深く道が整備されていない感じだったので、敬遠しました。そのまま車道を上がります。キャリーバッグを転がしているので、その方が無難です。

車道の脇に、恩山寺山門が現れました。10時4分です。

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※山門

遍路道を通っていたら、ここの正面に出てきたわけです。道はさらにその奥に続いています。しかし、こちらも山道ですね。私はそのまま車道の方を進みます。

最後はかなり傾斜がキツくなり、キャリーバッグを引きずるのもかなり大変でした。

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※駐車場とトイレ

上の写真では、右上の方から登ってきました。左の建物がトイレで、この辺りが少し平たくなっており、駐車場になっています。10台前後が停められるでしょうか。ここで10時10分でしたので、山門から6分程度登ってきたということです。

さらに最後の登りはこんな感じです。

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※最後の登り

坂を登り終わると、弘法大師さまがお迎えしてくださいます。

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※修行大師像

左を向くと、境内の入口です。

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※恩山寺入口

上の写真の階段を登り、伽藍の中心となるレベルにあったベンチで、準備を整えます。老夫婦が何組かいらっしゃったのと、私と同じくらいの年代の男性とその母親という2人組もいらっしゃいました。

ここは弘法大師のお母さまが出家されたお寺でもあり、そのお堂もありました。

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※弘法大師御母公御剃髪所

境内案内図や見所については、四国遍路聖地巡礼のホームページ*3をご覧ください。

まずは本堂納経をします。本堂境内の一番高いレベルにあります。

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※本堂

つづいて、下の大師堂へ行きました。

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※大師堂

納経所へ向かうと、本坊から喪服を来たグループが出てこられました。どうやら法事か何かがあったようです。ご住職らしき方もいらっしゃいました。納経所はおばさんでしたので、ご住職の奥さまかお手伝いの方だったのでしょう。

これで恩山寺の参拝は終了です。ベンチで準備を整えた後、次の19番札所立江寺へ向けて出発しました。

18番札所恩山寺から19番札所立江寺まで

10時50分ごろに18番札所恩山寺を出発して、19番札所の立江寺には11時58分に到着しました。ここもGoogleマップより時間がかかっています。

遍路道は坂を一段階降りてから直進して山道を進むようになっていますが、やはりキャリーバッグが難点です。そこで私はさらに車道を下り、民宿ちばの横を通って県道136号線まで戻り、そこを南下していくルートを選びました。車遍路の人とほぼ同じルートになります。

非常にのどかな道を歩きます。暑さと荷物がなければとても楽しい道だったでしょう。11時5分、小松島市立芝田小学校の東側を通ります。

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※芝田小学校

遍路道沿いにはコンビニもなく、水分補給に少し困ったのですが、湯浅商店という自称コンビニエンスストアで買うことができました。ベンチもあったので、座って少し休みます。何か買うのでしょう、ウキウキしながら小さな女の子が歩いてきましたが、一緒にいたお父さんが挨拶してくれました。

5分弱の休憩を終えて、さらに南下します。右側にキレイに整備されているところがありました。ここで11時42分です。

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※市山煙火商会第2作業場

どうやら打ち上げ花火の会社のようです。

この近くにはヘンロ小屋がありました。

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※お京塚とヘンロ小屋

お京というのは江戸時代後期の女性で、浮気男とともに夫を殺して、この四国に逃れてきたそうです。しかに死にきれず、四国遍路を始めて19番札所立江寺に来たところ、髪の毛が鐘に巻き付いてしまいました。悪事は隠しきれないと観念したお京は時の住職に懺悔をした後に出家し、この地に庵を結んだということです。

この先、このまま県道136号線を歩いていくこともできますが、マップでは一つ南の白鷺橋を渡るのが遍路道のようです。また、少し先に歩くとお接待所があるという看板もあったので、そのまま白鷺橋方面を目指します。しかし、結局そのお接待所は見つかりませんでした。

白鷺橋は北側に歩道があります。ここで11時54分でした。

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※白鷺橋

この辺はもはや参道のようで、橋を渡ってすぐに団子屋さんもあります。そのまま奥に進むと、19番札所の立江寺です。なお、車の場合は橋を渡ってすぐ右折しないといけません。ここから50メートルほど南東方面に進むと、駐車場に着きます。

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※歩きは左(橋から直進) 車は上へ

この参道沿いにキッチンゑみという喫茶店のような食堂のようなお店がありました。お店の外には、ロシア料理の写真が並んでいます。こんなところでロシア料理が食べられるんですね。

さらに奥へ進むと立江寺に突き当たりますが、山門はここを少し右に行ったところです。

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※立江寺

11時58分、19番札所立江寺に到着しました。

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※山門

入ってすぐ左側にある本堂は左右に脇堂が付属しており、かなり立派な建物です。

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※本堂

1977年に再建された本堂の天井画は、東京芸術大学の先生方によって描かれたそうです。境内案内図や見所については、四国遍路聖地巡礼のホームページ*4をご覧ください。

本堂納経を済ませ、大師堂へ向かいます。恩山寺で会った母と息子のコンビをここでもお見かけしました。

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※大師堂

納経を済ませ、納経所へ向かいます。納経所山門の正面奥にあります。

納経所ではおじさんが対応してくださいました。ただ、ちょっと気になったことが。実は納経所の外側が喫煙所になっていたのですが、一人のお坊さまがそこでタバコを吸いながらスマホをサクサクといじっておられたのです。

いやいやもちろん、お坊さまとて人間ですのでタバコを吸うのも分かりますし、スマホもいじるでしょう。しかし、できれば人目につかないところでやっていただきたいですよね。暑いなか歩き遍路で頑張っている方(※私も)もいらっしゃるわけですから、そういった方の目にはつかない方がお寺にとってもよろしいのではないかと。少し興ざめしますよね。

まあとにかくこれでこの日の札所は終了です。ここからは、翌日の20番鶴林寺へのアクセスを考えて「加茂谷」というところを目指します。

19番札所立江寺から「加茂谷」バス停まで

12時30分ごろに19番札所立江寺を出発して、「加茂谷」バス停には15時55分に到着しました。立江寺を出てすぐにキッチンゑみで昼食をとっていたので、Googleマップより30分ほど時間がかかっています。

さて、立江寺を出た時点ですでに12時30分ごろになっていました。この後はどんどん田舎の方に歩いていくことになります。どうやらこの辺りで昼食をとっておいた方がよさそうです。参拝前に目星をつけていた、キッチンゑみに行ってみることにしました。

やたらとロシア料理の写真ばかり飾っているので、ロシア人女性がやっておられるのかと少し期待していたのですが、私より若いくらいの普通のおじさんがマスターでした。

メニューもロシア料理オンリーというわけではなく、普通に喫茶店のようなメニューもあります。私はサラダ・スープ付のオムライスを頼みました。お値段は何と700円です。

オムライスは調理に少し時間がかかりますので、しばらく待ってからマスターが持ってきてくださいました。うむ、普通においしいオムライスです。そこそこボリュームがありますが、歩き遍路の身には大した量ではありません。あっという間に食べ終わりました。この後、トイレをお借りしましたが、キレイなトイレでした。

お店の壁には結構な数の納札が貼ってあったのですが、とくにお接待があったわけでもないので、私はお渡ししませんでした。

身支度を整え、出発です。しばらくは、20番札所鶴林寺へ向かう遍路道を通っていきます。再度白鷺橋を渡りました。

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※白鷺橋の由来石碑

白鷺橋を渡ってからは左に曲がり、しばらく南下していきます。13時9分、天満神社前を通過です。

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※天満神社

この遍路道は県道28号線上を通っています。県道28号線はそのまま南西方面へと向かいます。櫛渕小学校の隣に櫛渕八幡神社がありました。立派な楠です。ここで13時43分でした。

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※櫛淵八幡神社(右)

この後、県道28号線はT字路にぶち当たります。右は県道22号線で20番鶴林寺へ向かう正しい遍路道で、私は左につづく県道28号線を進みます。

しかし、歩道がなくて危ないということとGoogleマップがそちらを指し示すということもあって、突き当りから奥へ入っていく細い道へと進んでしまいました。ところが道はどんどん細くなっていき、舗装されているかどうかも怪しくなってきたので、結局戻ることにしました。10分程度ロスしたでしょうか。

戻って県道28号線を持井橋方面へ進みます。持井橋が見えてきたのは14時24分でした。なお、ここでは橋は渡りません。

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※持井橋

この橋が見える少し手前で、橋を渡ってきた軽自動車がクラクションを鳴らしてきました。何事かと思い見てみると、こっちへ来いと合図しているようです。行ってみると、窓が開いて私と同世代くらいの男性が「冷たいものでも飲んでください」と500円をお接待してくださいました。お遍路さんにはお接待をするように心がけているそうです。ありがたいことです。

納札をお渡しする間もなく行ってしまわれましたが、初めて受けたお接待でした。

この後私は持井橋を渡らずに、上の写真の右側の方へと進みます。那賀川の北岸を西に進む感じです。ここも歩道がありませんが、交通量が少ないのでまだマシです。

少し歩くと、おばさんに話しかけられました。どこへ向かっているのか、ということだったので、宿に行くためのバス停がある「加茂谷」へ向かっていると答えると、「うちも宿やってるよ」とのことでした。確かに、Googleマップではここはお遍路宿&お食事処にしむらとなっています。ただ、外観だけ見るとお店や宿という印象はあまり受けませんでした。おばさんには「もう予約しているので」と、お断りして先へ進みます。お遍路さんが少ないので、大変なのでしょう。

県道28号線はこの後しばらく川沿いを進みます。工事のせいで少し細くなっているところもありました。ここで14時33分でした。

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※県道28号線の工事箇所 南側から撮影

蛇行している那賀川の内側の集落にさしかかると、歩道も復活して歩きやすくなりました。楠根トンネルを通って加茂谷橋へと向かいます。14時54分です。

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※楠根トンネル

楠根トンネルは2010年3月の完成で、長さは293メートルあります。歩道が広く、また柵もあるので、とても歩きやすいです。

トンネルを抜けるとすぐに加茂谷橋です。15時2分です。

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※加茂谷橋

大きな荷物を引きずっているのと暑いなか歩いているのとで、この日はかなりへばってきていました。事前に調べていたバスの時刻は16時55分が一番早いものだったので、まだ2時間近くあります。「加茂谷」バス停まではまだもう少し時間がかかるとしても、1時間くらいは余裕がありそうです。トイレも行きたかったので、どこかで休憩したい気分でした。

とりあえずそのまま橋を渡り、突き当りの大通りまで出ました。実はここから西側も県道28号線です。正面には料亭まちだがあります。さすがに料亭まちだでコーヒーだけというわけにはいかないと思い、Googleマップで他の候補を探します。すると、まちだの裏側におしゃれなカフェ、ボスコベルというのが見つかりました。これはいいですね。アイスクリームなんかもありそうです。

県道28号線から少し外れて、ボスコベルに向かいます。近づいてみると車も何台か停まっており、割と流行っているようです。期待が持てます。敷地に入ってからは砂利になっていたのでえっちらおっちらとキャリーバッグを引いて近づきます。

入口近くに立ててあるボードを見ると……。ガーン、ラストオーダーが15時となっています。この時点で時刻は15時20分ごろ、タッチの差で入れません。閉店が16時ということですから、せめて30分前がラストオーダーだったら……。仕方なく、後ろ髪を引かれる思いでトボトボとボスコベルを後にしました。もしかするとお店の方が気づいてくださり、「お遍路さんどうぞ」と言ってくれるのではないかと少し期待していたのですが、まったくそんな声はかかりませんでした。

仕方ありません。前進です。実は先程Googleマップを確認したときに、少し先にYショップJAアグリあなん加茂谷店というコンビニがあることが分かっていましたので、方針を転換してそこに行くことにします。ボスコベルから250メートルくらいです。

ところが、ここでもショックな出来事が! 何とYショップは日曜定休ではありませんか! つくづくこの日は運に見放された日でした。

こうなったらもうヤケクソです。「加茂谷」バス停に向かうしかありません。バス停の近くにお松大権現という神社がありますので、トイレくらいはあるでしょう。

Yショップからは道が少し登りになります。しばらく歩くと、「中央橋南」というバス停が出てきました。どうやら、「加茂谷」の一つ手前のバス停のようです。

そこから300メートルほどで、この日2つ目のトンネルに遭遇しました。加茂谷トンネルです。15時35分でした。

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※加茂谷トンネル

加茂谷トンネルは1992年3月の完成で、長さは233メートルあります。歩道は広めで、柵がついているので安全です。

トンネルを出たらすぐ県道28号線を外れ、左の脇道に入ります。200メートルほど進んだら「加茂谷」バス停です。15時50分ごろの到着でした。

ところが、Googleマップ上では「加茂谷」という名前になっているバス停が、現地で見てみると「お松権現前」となっています。ちょっとパニックになってしまいました。

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※「お松権現前」バス停 翌日の朝に撮影

目指していたバス停は「加茂谷」で、地図上で確認できる位置にあるバス停は「お松権現前」です。もしかすると「加茂谷」バス停は移動していて、もう少し南か西に位置しているのかもしれません。翌日のことを考えると、鶴林寺へのアクセスが少しでも近いところからスタートしたいところです。そこで、「加茂谷」バス停がこの近くにないか探してみることにしました。念のため「お松権現前」の時刻を確認すると、調べていたものよりも1本早い16時19分のバスがあります。

まずは真南かと思い、少し南へ歩いていきます。目視できる範囲には、なかなかバス停が出てきません。ちょうど畑の方から家へと戻っていたおばさんがいらっしゃったので、バス停のことを聞いてみます。すると、少し考えてから先程のバス停が「加茂谷」だ、とおっしゃいます。

お松権現前」と書いてあるバス停の前には阿南市立加茂谷中学校があり、少し広いスペースになっていて、そこでバスが回転したり待機したりしている、とのことです。つまり、ここより先にバス停はないということです。

うーん、でもバス停の名前が違うよなあ、とは思いながら、教えていただいたのを疑って探し回るわけにはいきません。仕方なく「お松権現前」に戻ることにしました。神社にはトイレもありますし、ベンチもありましたので、諦めて休憩することにします。それなりに有名な神社なのでしょう、家族連れの姿もありました。

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※お松大権現

やたらとネコを推してくる神社だなあ、と思っていたら、どうやら化け猫伝説があるようです。

江戸時代前期の天和・貞享(1681~88)のこと。阿波国那賀郡加茂村は凶作が続き、庄屋惣兵衛は村の窮状を救うために私有の田畑5反を担保にして近在の富豪野上三左衛門にお金を借りました。このお金で加茂村は何とか急場をしのぐことができました。その後、ちょうど返済期限が近づいたころにたまたま道端で三左衛門と遭遇した惣兵衛は、借りていたお金をその場できちんと返しました。しかし道の上でのことで、三左衛門は借金の証文を持っておらず、惣兵衛に証文は返されませんでした。その後証文を受け取らないまま折悪しく惣兵衛が病死してしまい、これをいいことに三左衛門はお金を返してもらっていないと主張、さらには担保の田畑までも取り上げてしまいました。惣兵衛の妻のお松は困りきって奉行所に訴え出ますが、お松の器量に心を奪われた奉行は助けるどころかお松を口説くのに必死になります。お松がそれを断ったことから、三左衛門と奉行は結託してしまいました。

万策尽きたお松は死罪を覚悟して藩主蜂須賀公への直訴を企てましたが、結局言い分は通らず、処刑されることになってしまいました。お松は事前に、日頃可愛がっていた三毛猫に後事を託していました。やがて三左衛門の家や奉行の家には化け猫が出るようになり、両家は断絶することになった、ということです。

さて、神社で休憩した後、16時19分のバスに乗るために「お松権現前」バス停に戻ります。JR「阿南駅」方面はバス停の反対側で待つように書いてありますので、加茂谷中学校側の広いところでバスを待ちました。

すると時間どおり、バスが来ます。こういうバス停では手を挙げないとそのまま行ってしまう可能性があるので、要注意です。無事にバスに乗り込むことができました。

歩きを終えて

16時19分に「お松権現前」からバスに乗り、16時43分に「阿南市役所前」バス停に到着です。この日と翌日の2連泊するホテルは、スーパーホテル阿南・市役所前です。バス停から歩くと5分くらいかかってしまいます。昨年もこのホテルに泊まったことがあるので今回もここを選びましたが、一番近いコンビニも歩いて10分弱かかるので利便性はあまり高くないですね。前は車だったので何とも思わなかったのですが。

バス停で翌日のバスの時間を確認します。

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※「阿南市役所前」バス停時刻表

翌日は、20番札所鶴林寺と21番札所太龍寺の2つの山寺に挑戦です。ですので、なるべく早めに出発する必要があります。「加茂谷」行6時37分、一択ですね。

この後16時55分ごろにホテルにチェックインし、荷物を宅急便で送る場合どうなるかということを尋ねました。やはり中1日必要であるということは変わらないようです。

前にこのホテルに泊まったときはホテルから1kmくらい離れているカレーハウスCoCo壱番屋フジグラン阿南店に車で行ったのですが、この日は足がありません。また、歩いていくのも面倒だなあ、という感じでした。

翌日の朝食も購入しないといけなかったので、コンビニを目指して少しブラブラしながら飲食店を探します。しかし、さすが地方都市。もちろんコロナ禍の影響もあるでしょうが、日曜休日の店も多く、また開いているお店も敷居が高く感じたので、結局夕食もコンビニで購入することにしました。高リコピンのトマトサラダと肉の旨味感じるビーフハンバーグ弁当です。あわせて900円くらいでしょうか。コンビニで買うとサラダも別に買うことになり、結局割高になってしまいますよね。なるべく夜はコンビニ飯を避けようと思っていたのですが、この旅ではこの後もしばしばコンビニ飯を食べることになりました。

夕食を買ってホテルに帰ってくると、大変なことが起こっていました。30人くらいの少年野球の集団がホテル前で点呼をとっているのです。引率の大人も5~6人いますし、これはお風呂や洗濯機が絶対混むに違いありません。

部屋に戻って慌てて夕食を食べます。なるべく早くお風呂に入り、洗濯を始めないといけません。お風呂の混雑状況はテレビで確認できるのですが、予想どおり混雑がしばらく続いています。ようやく空いたと思って行ってみると、実は全然空いていませんでした。タイムタグがあるんですよね。

ここのお風呂は洗い場も6箇所ほど、湯船も小さいのでイモを洗うような感じです。幸い洗い場が1箇所空いていたので、何とか体を洗うことができました。湯船の真ん中で野球少年たちに囲まれている方がいたので監督か何かかと思って様子を見ていると、まったく関係ない方でした。その方も私と同じ気持ちだったでしょう。

この後の洗濯がまた大変です。5台ある洗濯機がすべて使用されています。どうやら野球少年たちのもののようです。1台くらいは空けておいて欲しかったですね。まあ、引率でついているお母さま方も大変です。泥だらけのユニフォームを何十人分も洗濯するわけですからね。結局少し待つと洗濯機が空いたので、無事に洗濯・乾燥まで済ませることができました。

翌日は6時台のバスに乗るので、用事が終わったらすぐに就寝しました。

歩き遍路振り返りデータ

歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。

札所情報

札所:2か寺

納経代:600円

大師納経代:600円

宿情報

スーパーホテル阿南・市役所前

禁煙お部屋タイプお任せ(※シングルルーム)

宿泊費:7,300円

室内に冷蔵庫・バス・トイレあり

WiFiあり

大浴場あり。温泉

洗濯機・乾燥機あり(5台)

洗濯機200円、乾燥機無料

アクセス:バス停から約5分

コンビニ:徒歩約10分弱

フロントスタッフなど人員は少ない

バス情報

行き:なし

帰り:徳島阿南バス 「お松権現前」~「阿南市役所前」 500円

距離と歩数

ASUS VivoWatch BP(HC-A04)

カロリー:2,274kcal

距離  :33.1km

歩数  :47,758歩

スマホアプリ

歩数  :49,574歩

 

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