西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 歩き遍路 24日目(2021.8.13) 「西予市役所前」バス停~ホテル AZ 愛媛内子店

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番外札所永徳寺十夜ヶ橋

愛媛県に入ってから3日連続の雨の中、この日と翌日は札所のない移動日となります。お盆休みの真っ只中をひたすら突き進む四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、24日目のレポートです!

歩き遍路 24日目 「西予市役所前」バス停からホテルAZ愛媛内子店まで

歩き遍路24日目、8月13日(金)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。

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43番札所の明石寺から次の44番札所大宝寺までは、約70kmの道のりとなります。さすがに札所間の距離が50km以上を超えるのは最後となりますが、2日は完全な移動日となる距離です。

泊まっていた宇和島第一ホテルからバス停が離れているので、朝はいつもより15分早い4時45分に起床しました。ローソンで購入した朝食を食べ、準備を整えます。

「西予市役所前」バス停からホテル AZ 愛媛内子店まで

8時8分ごろに「西予市役所前」バス停を出発して、ホテル AZ 愛媛内子店に到着したのは15時30分ごろでした。Googleマップより1時間ほど多く時間がかかっています。しかし雨中に約32kmを8時間かからずに歩いているのは大したものだと思いますよ。

宇和島第一ホテルを7時にチェックアウトします。荷物の発送もお願いしておきました。これで身軽に前進することができます。

まずは「宇和島駅」の南側にあるローソン宇和島錦町店に行き、飲み物等を購入しました。この辺は前日と同じ流れです。

そのまま「宇和島駅」の前にあるバスターミナルに向かいます。

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※JR「宇和島駅」

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※松山方面行のバス停時刻表

当初の予定では7時4分の「松山」行に乗ろうかと思っていましたが、この日は歩く距離も短く、札所もないのでそれほど急ぐ必要はありません。前日には、7時34分のバスに乗ることに決めていました。

「歩く距離が短い」と書きましたが、一応32kmほど歩く予定です。歩き遍路の旅では32kmが短く感じるなんて、距離感覚がおかしくなってきています。

7時24分ごろにバス停に到着しましたが、ここは屋根もベンチもあるので安心です。バスを待っていると、前日ご一緒したKさんから電話がかかってきました。

「今どこですか」ということで、「宇和島駅」前のバス停にいるということをお伝えします。Kさんはまだホテルにいらっしゃったようでした。話を聞くと、この日バスか電車で松山まで行ってしまうそうです。前日の記事でもお伝えしたとおり、お遍路に必要なものがなくなってしまっていたので、新しいのを買おうとしておられたのでした。前日は売っているところがなく、ビジネスホテルのご主人に相談したところ、松山市まで行くのが無難だということで、そのように決めたそうです。お互いに励ましあって、電話を切りました。

私が松山に入るのは4日後のことですから、もうお会いすることはないでしょうね。やはりいろいろな面で、歩き遍路を通し打ちで貫徹するというのは難しいようです。しかしKさんが何を買おうとしておられたのか、まったく思い出せません。わざわざ予定を大幅に変更してまで買いに行かれるくらいですから、相当大事なもののはずなのですが。

定刻どおりにバスはやって来ました。ルートは違いますが、前日に歩いた分をバスはあっという間に進んでいきます。8時8分ごろ、「西予市役所前」バス停に到着しました。

さすがに市役所はまだ開いていませんでしたが、軒下のスペースで装備を整えます。カッパを着用して、出発です。建物が開いていなかったはずなのですが、出発前後でトイレをどうしたのかちょっと憶えていません。

まずは国道56号線を松山方面に向けて歩いていきます。ゴールの内子までの途中に、大洲という大きな町があります。

国道56号線を歩き始めて1.8kmほどで、右に行く分岐点が出てきました。ちょうどタイヤショップ東和の手前になります。右側は、下松葉下池という池の土手になっているところです。

このルートは、四国遍路聖地巡礼のマップ*1でも遍路道になっています。この道のどの辺だったか忘れましたが、車に乗った女性の方が励ましの声をかけてくださったように思います。

この脇道に入ってから650メートルほど進むと、やたらと細い建物が出てきました。2本の道に挟まれていて、細く建てるしかなかったようです。一応宇和自動車教習所の建物のようでした。

さらに750メートルほど進むと、左側に休憩小屋が設置してあります。休憩するつもりはなかったのですが、とりあえずマップを見るために屋根をお借りしました。

Googleマップで見るかぎりでは、このまま進んでいって大丈夫なようです。この休憩小屋から850メートルほど進むと、国道56号線に合流しました。ここからしばらくは国道56号線を歩いていきます。

雨も3日以上降りつづいているので、道路には水たまりもいっぱいありました。この日国道を歩いていて、3回水をかけられました。2回は大きなトラック、1回はプリウスです。私の進行方向とは逆に進んでいったので追いかけませんでしたが、進行方向が同じなら走って追いかけたかもしれません。何しろ、顔にまでかかるくらいでしたから、かなり腹が立っていました。歩きだと思ってなめてますよね。

もちろん、スピードを落として通ってくれる車の方が多かったです。水たまりの手前でスピードを落としてくれれば、水をはねることはありません。ほとんどの方はきちんと気をつけてくださっていました。

私も車に乗りますが、車だと歩いている人間がどれだけ大変かということに対して想像力が働かないんですよね。ところが、実際にこうやって歩いてみると、歩きが本当に大変であるということが身にしみます。四国から帰ってから、歩いている方や自転車の方には相当配慮して車を運転するようになりました。

ただ、バイクは別です。茨木市周辺は原付やバイクが多いのですが、車の右側を通って追い越していったり、前に割り込んできたりするバイクが非常に多いです。何とかしていただきたいものです。

話は戻りますが、私は仕事でも何でもなく言わば遊びで歩き遍路をやっているわけです。ですから、仕事で急いでいる車に対しては文句を言えた筋合いではないなあ、とは思います。

国道56号線を2km以上歩いていくと、またまた分岐点が現れました。上述のマップでは、ここも右側の脇道を進んでいくのが正しい遍路道のようです。ただし、このときはただGoogleマップを見て、近そうということで進んでいきました。

国道よりちょっと高くなった道を進んでいきます。遍路道ということで旧街道らしい、風情のある町並みです。

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※遍路道の風景

上の写真で9時48分です。脇道に入ってから1kmくらいのところです。

1分後、右側に東多田番所跡が出てきました。

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※東多田番所跡

宇和島藩内の番所だったようです。説明板によると、結構厳しい交通制限がかけられていたそうで、通行手形がないと通れなかったそうです。やはり歴史のある道というのはこういう見所があっていいですね。

写真に撮ってはいませんでしたが、上の番所跡の少し手前には遍路道の道標と四国の道の道標もありました。

番所跡から150メートルほどで再度国道56号線に合流しました。ここからはひたすら国道56号線を進みます。

国道に合流してから1.5kmほどのところに、ヘンロ小屋49号ひじ川源流の里が出てきました。いつもながら、休憩はしません。

この辺から国道は段々山へと向かっていきます。歩道も細くなり、側溝のふたが歩道という状態になってきました。とても歩きにくいです。

さらにジワジワと登っていきます。ヘンロ小屋から900メートルほどで、鳥坂隧道までやって来ました。ここで10時26分です。

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※鳥坂隧道

鳥坂隧道に関しては正確な開通情報は分かりませんが、長さは1,117メートルもあります。歩道はなく、長さもあるうえに交通量も多いことから、相当危険なトンネルです。トンネルの30~40メートルほど手前のところに反射タスキのボックスが設置されていますので、必ず反射タスキを着用するべきです。

ということで、私も初めて反射タスキを使用しました。メモには「初めて利用した」と書いてあったのでそのように記述したのですが、「四国八十八ヶ所 歩き遍路 16日目(2021.8.5) 37番札所 Hotel バンダガ~美馬旅館はなれ 木のホテル」では高知県の焼坂トンネルで使用したことになっています。ちょっと記憶が曖昧になっていますね。

トンネルでは、反射タスキだけでなく例のチカチカと光るキーホルダーを持って歩きます。とにかく車に轢かれたら大変ですからね。できる自衛策は、すべてやっておくべきでしょう。前日に歯長隧道を通ったときにはカバンの中からすぐに見つからなかったのですが、この日はすぐに出てきました。Kさんのことが思い出されます。前日はKさんがライトを出してくださったのでした。

メモを見るかぎりでは、鳥坂隧道で危険な思いをしたというわけではなかったようです。ただ、ライトをつけていない車が多かったようで、ライトをつけるように合図を送ったことを書いていました。右手をクイクイっとひねって見せたのですが、まあライトをつける合図として普及しているわけではありませんから、伝わったかどうかは分かりません。以前にただの旅行で来たときにも思いましたが、四国の方はトンネルでライトをつけない方が多いように思います。

この日はお盆休み1日目であったため、交通量がそれほど多くなかったのだと思いますが、交通量が多かったら本当に命の危険を感じるトンネルだと思います。他の方のブログを見ていても、危険な難所だと書いておられる方が多かったです。

そこで、この鳥坂隧道を通らない遍路道もご紹介しておきましょう。実は右の歩道を歩きつづけていると見落としてしまう可能性があるのですが、ヘンロ小屋49号ひじ川源流の里をちょっと過ぎた左側に分岐点があります。そこから昔の遍路道に入っていくことができます。

そこにある案内標識によると、「峠道(へんろ道) 5.5km 約60分」と「56号(トンネル利用) 2.1km 約25分」と書いてあります。なお、「鳥坂トンネル(L=1117m) トンネル内歩道狭し」とも書いてありますので、どちらかと言うと峠道をお勧めしているように思います。より正確には、「歩道狭し」ではなく「歩道無し」だと思いますが。

峠道には峠道の危険がありますので、選択は難しいところではありますが、どちらを選んでも自己責任でお願いしたいと思います。

鳥坂隧道を過ぎてからもしばらくは歩道がありませんでした。いわゆるグリーンベルトのところを歩いていきます。「三本松」バス停のところでようやく歩道が復活しました。

ところが、この後また札掛橋の辺りではグリーンベルトだけになります。橋に歩道がないところも結構多いですね。トンネルだけでなく、橋も危険な難所の一つになり得ます。

この後も歩道はあったりなかったり、あっても側溝のふたであったりということで、歩き遍路にとっては歩きにくい旅がつづきました。山間の国道を、ひたすら進んでいきます。

最後の山を下っていくと、遠くに松山自動車道の高架が見えてきました。この辺が大洲の町の最南部になります。トンネルを出てから、すでに5km近く歩いてきました。

この辺りから国道は少しトリッキーな動きをしていきます。松山自動車道、嵩富川に挟まれてまずは北東方面に800メートルほど進みます。そこから松山自動車道と嵩富川と別れ、大きく蛇行を繰り返しながら、概ね北方向へと進んでいくのです。

ちょうど分岐点のところにショッパーズ大洲店があったので、トイレをお借りしたように思います。飲み物を購入したことは確実なのですが、ちょっとこの日はトイレの記憶が定かではないですね。

北上を開始して700メートルほどのところに「柚の木」バス停がありました。そこから、右に入っていく道があります。何となくそちらを通った方がショートカットできそうな気がして、そちらに入っていきました。

ところが、左を走る国道はどんどん高くなっていき、高低差が出てきます。とても合流できるところはなさそうでした。

というわけで、戻ります。10分弱、まったく無駄な動きをしてしまいました。

国道が登っていくのも道理で、大洲の町中の山を突っ切っていくようです。12時14分、大洲ずい道に出ました。

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※大洲ずい道

大洲ずい道に関しても正確な開通情報は分かりませんが、長さは270メートルあります。歩道はなく、町中のトンネルで交通量も多いので、危険なトンネルです。

大洲ずい道を抜けると、大洲市の中心街に降りていきました。

すでにお昼時に入っていましたが、あまりお店に入ろうという気にはなりません。前日は大丈夫でしたが、ここのところお腹の調子が悪いことがつづいていたので、お昼は食べたくなかったんですね。お店も結構ありましたが、パスして前進しつづけました。

程なく、肱川にかかる肱川橋に出ました。工事中でちょっとややこしかったです。左を見ると、お城が見えます。大洲城ですね。

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※肱川橋から望む大洲城

大洲城管理事務所が運営するホームページ「大洲城」*2によると、大洲城天守閣は1888年に取り壊された後、2004年に再建されたそうです。木造で史料を元に忠実に再現したそうで、歴史的にも価値ある天守閣となっています。安全性に問題があったからだそうですが、解体していなかったら現存12天守ならぬ13天守になれたかもしれないので、惜しかったですね。しかし、四つの櫓はいずれも江戸時代に建てられたものだそうです。

肱川橋を渡っても、まだまだ市街地がつづいていきます。何もない山中を歩くのと違い、緊急時の対応には困りませんが、上述のとおり、車に水をはねられるのがイヤですね。

また、川が結構大変なことになっているのが気になりました。どこの川を見ても、水位がかなり上昇しています。確か大洲市には洪水注意報が発令されていたので、川が増水していたのでしょう。大雨警報も各地に出ていたはずです。

橋を渡ってからしばらくして、国道は北東方向へと針路を変えます。道なりに4km以上進んでいきました。

大洲の町を南東側から迂回してきた松山自動車道が北向きに走り、高架となっています。その下を矢落川に注ぎ込む用水が流れていました。そこが有名な十夜ヶ橋で、その手前に永徳寺がありました。それがトップの写真で、13時19分になっています。

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※永徳寺

この横断歩道を渡ろうとしていたのですが、交通量が結構多く、なかなか車は停まってくれませんでした。以来、私は横断歩道の手前でなるべくちゃんと停まれるように気をつけています。

永徳寺境内では、とりあえずまずトイレをお借りしました。この日のトイレではっきりと憶えているのはここだけですね。

つづいて、本堂で参拝をします。しかし、いわゆる番外札所としてはここは十夜ヶ橋になるので、橋の下に行くべきなのでしょう。

そう思い、橋の下の様子を見てみました。すると……。

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※十夜ヶ橋

絶句しました! 橋の下には、ローソク立て納札入れなど、札所として必要なものが一通り設置されているのですが、完全に水に浸かっています!

四国別格二十霊場 第八番 十夜ヶ橋のホームページ*3を見ていただくとお分かりのとおり、この橋の下には人が立てるスペースがあり、そこで祭事なども行われているのです。それが、完全に水没してしまっています。

大自然の猛威に身震いしながら、永徳寺を後にしました。十夜ヶ橋を渡り、先へ進むことにします。

ちなみに十夜ヶ橋とは、弘法大師さまが四国を巡錫中この橋の下で野宿をされたところ、あまりの空腹に一夜が十夜の長さにも感じられたことから、「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほゆ」と詠ったことにちなんで十夜ヶ橋という名前がつけられたそうです。

お遍路のガイドブックでは、橋の上ではお杖を地面につかないように書いてあります。橋の下で弘法大師が寝ておられたところ、橋を通る人のの音で寝られなかったという逸話があり、そこからそのような不文律ができたとされます。何となく十夜ヶ橋のエピソードとごっちゃになってしまっているようですね。上記のホームページには、「お遍路さんが橋の上を通る時、杖をつかないという風習はお大師様を「上から杖でつかない、杖の音で起こさない」という思いから起こったものです」と書いてあります。これが正しい由来なのでしょう。

さて、十夜ヶ橋を後にしても、ひたすら国道56号線を進むだけです。2.4kmほど進むと、右側にJA愛媛たいき新谷支所までやって来ました。

この支所はありがたいことに軒下のスペースがかなり広く、またベンチもあったので休憩させてもらうことにしました。

本格的な休憩はこの日初めてだったかもしれません。何しろ雨ですので、休めるところが限られているのです。

前日に買って残っていたミレービスケットを食べました。塩もついているので、夏場の歩きには最適です。消化もよさそうですから、お腹にも心配なさそうでした。

ちょっとベンチが面白かったので写真を撮っていました。ここで13時56分でした。

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※新谷支所のベンチ

「銀河鉄道999」の文字とイラストが描かれています。

産経新聞のウェブサイト*4によれば、この「新谷駅」周辺は『銀河鉄道999』の作者松本零士さんの疎開先だったそうで、この駅で蒸気機関車を見た幼いころの記憶が、『銀河鉄道999』の誕生につながったそうです。ということで、この新谷周辺は町おこしのために「『銀河鉄道999』の始発駅」というアピールをしているんですね。

さて、ベンチの上にあるビニール袋にご注目ください。これはA/D2のシューズレインカバーです。前日ずっと雨の中歩いていて靴が濡れて気持ち悪かったことから、この日初めて使用したものでした。

それがなぜビニール袋の中に入っているかと言うと、はっきり言って役に立たなかったからです。

楽天市場では4件のレビューで平均☆4.00となっていますので、使う局面によってはかなり役立っていることが分かります。しかし、大雨の中30km以上歩くお遍路にとっては、あまり役に立ちませんでした。あまりの大雨ですと、足首のところからどんどん水が入ってくるのです。車がはねる水もありますし。すると、水を通さないビニールであるがゆえに水が出ていくこともなく、結果として水溜まりをぶら下げて歩いていくことになってしまうわけです。

もちろんこれはメーカーさんの責任というわけではなく、歩き遍路がただ過酷で商品がそれに見合っていなかった、というだけのことです。今回はまた、大雨だったり水をはねられたりという想定外のことも重なっていたということもあります。どこのメーカーでもいいので、足が絶対に濡れない靴カバーを作っていただけないでしょうか。発売をお待ちしております。

この雨のとき靴が濡れる問題というのは、出発前の準備段階からかなり頭を悩ませていた問題です。世の中には、雨は通さずに空気だけ通すというゴアテックスの靴もありますが、どの程度の性能なのか、イマイチ分からずじまいでした。

一応ゴアテックスのトレイルラン用の靴も買っていましたが、重いのと窮屈なのとで、1日30km以上歩くには適していないと判断し、この旅では使用していませんでした。

また、真夏の歩きお遍路です。やはり通気性は相当重要だと思われました。

その辺のところを勘案した結果として、高知市のイオンモールでASICSGT-2000 9 EXTRA-WIDEを購入していたわけです。これにしたのはここまでは大成功で、比較的軽いし通気性もいいので、かなり快適に歩いてくることができました。私は「晴れ男」でもあるので、雨も降らないだろうと楽観していたので、それで問題なかったわけです。

ところが、ここへ来ての大雨続きです。靴の中はズブ濡れとなり、めちゃくちゃ気持ち悪くなります。足を痛めていたこともあり、化膿したりしたらイヤだなあという心配もありました。なるべくなら、濡れないに越したことはないわけです。

最終的にゴールした身から言わせてもらうと、やはりASICSGT-2000 9 EXTRA-WIDEが正解だったと思います。確かに、雨を避けることはできないので、歩いている間中、ズブ濡れになってしまいます。しかしこの靴は、新聞紙を詰めるといったメンテナンスをとくにしていなくても、翌朝には完全に乾いていました。1日ごとにリセットすることができたので、本当に助かりました。

歩き遍路を悩ませる一番の問題は靴と言っても過言ではないと思います。季節にもよると思いますが、やはり軽くて、クッション性が高く、通気性がよい製品を選ぶのがベストだと思います。私はほとんどマメに悩まされるということがありませんでしたから。

大幅に話が逸れてしまいました。この日は札所もなく、雨で写真も少ないので、話題が乏しいのです。

国道はこの辺りでは概ね東に針路をとっています。JR予讃線の高架下をくぐり、そのまま進んでいきます。だいぶ内子町に近づいてきました。ここで15時9分です。

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※五十崎周辺の国道56号線

正面の丘の上に櫓のようなものがあります。おそらく龍王公園の龍王の砦だと思います。詳しくは内子町のホームページ*5をご覧ください。

この後国道56号線は高架になってしまうので、歩行者は右下の側道へと降りていかなければなりません。ところが面倒なことに、一度降りてからまた坂を登り、そしてまた下っていくのです。

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※大宝寺・岩屋寺への案内標識

上の写真の高架は、国道56号線ではなく松山自動車道の高架です。ここで15時15分でした。

ここを過ぎて下っていくと、もう内子の町に入っていきます。飲食店やコンビニも出てきました。内子五十崎ICも過ぎていきます。

ICを過ぎると、変わった建物が出てきました。内子交番です。ここで15時23分でした。

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※内子交番

うーん、交番というと平屋の建物で、かろうじて車2台くらい停められるようなスペースが外にある小さな建物というイメージですが……。3階建ての交番は初めて見ました。交番ではなくもはや内子分署と名乗った方がいいのではないでしょうか。

15時30分ごろ、ホテル AZ 愛媛内子店に到着です。かなり早い時間に着くことができました。

歩きを終えて

ホテルに着いたので、まずはチェックインです。すると、フロントのところにお遍路さんが。何と30代くらいの父親と小学校高学年くらいの男の子の親子お遍路さんでした。

うれしくなって「歩きですか?」と声をかけます。「区切りなんですけど」とのことでした。いやいや、区切りでも歩きだったら大変ですよ。しかもこの雨の中ですからね。

ちなみにこのお二人とは、もう1回お会いしました。44番札所大宝寺から45番札所岩屋寺へと向かう途中のことで、お二人はかなり速いペースで歩いておられました。ストックを両手使いして、スポーツ遍路?というくらいの速さです。

若い男性の方が窓口対応しておられたのですが、私が待っていたため中から若い女性の方が出てこられました。しかし、この方は休憩時間だったのか、かなり愛想が悪く、隣の男性の対応が終わると、交代してさっさと中へ戻っていかれました。せめて最後まで対応したらいいと思うのですが、どうでしょうか。

ホテルの外に出るのが面倒だったので、夕食のことを男性に相談します。レストランのバイキングは申し込み可能、とのことでした。メインのおかずは事前に頼んだ方がよいらしく、いろいろと考えた末に銀ハラスの煮つけにしました。お魚の煮物なら消化がいいだろうと考えたからです。お値段は990円でした。

コンビニが近くにあるかうかがったところ、コンビニよりもスーパーのフジの方が近い、とのことでした。ホテルのちょっと手前にあったスーパーです。

とりあえずいったん部屋に入ります。ゆっくりとトイレを済ませ、スーパーに行くことにしました。

ホテルからフジ内子店までは280メートルほど、歩いても5分程度です。これならホテルに着く前に買ってきておいたらよかったな、と思いつつ、翌日の朝食などを購入しました。

夕食は18時にお願いしておきました。駐車場が混んでいたので、夕食会場も混むかもしれない、と思ったからです。ところが、ちょっと早めに行ってみると夕食会場は閉まっており、どなたもいらっしゃいませんでした。

18時きっかりに扉が開きます。先程の女性です。極めて表面的な挨拶をしてくださいました。

メニューは、女性が喜びそうなおしゃれなものはなかったように思います。お腹の調子が悪いので、あまり食べ過ぎてはいけません。しかし、焼きそばが大好きなので、ついつい焼きそばを多めに食べてしまいました。銀ハラスの煮つけはおいしかったです。あっさりしていて、ご飯ともよく合いました。これで翌日も頑張れそうです。

食事が終わると、次は洗濯です。4台ずつありましたので、余裕を持って使うことができます。

翌日は旅程の関係上、40km歩かなければいけません。しかもタイムリミットが決まっています。JR四国バスの「久万高原」バス停に17時に到着しなければいけないのです。

実はこの日ホテルに着いてから、JR四国バスに電話をしていました。翌日が8月14日ということでダイヤがどういう扱いになっているかということと、バス停がどの辺にあるのか、ということを確認したかったのです。

やはり休日ダイヤになっていました。最終は18時40分はあるものの、ちょっと遅いですよね。できるかぎり、17時に乗りたいと思います。遅くなればなるほど、翌日に差し障りが出ますからね。

また、バス停は久万高原の役場前から出ている、とのことでした。

これで安心です。翌朝は4時起床ということもあり、早く就寝しました。

歩き遍路振り返りデータ

歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。ただ、この辺りでは雨天が続いており、1日3~4本の消費に減っていたと思います。

札所情報

札所:なし

納経代:0円

大師納経代:0円

宿情報

ホテル AZ 愛媛内子店

シングル(全室禁煙)

宿泊費:5,280円

室内に冷蔵庫・バス・トイレあり

WiFiあり

大浴場なし

洗濯機・乾燥機あり(4台ずつ)

洗濯代200円、乾燥代200円

アクセス:JR「内子駅」から徒歩10分

コンビニ:徒歩6分

新しいホテルであり、設備はキレイ。男性スタッフの対応はよかったが、女性スタッフの対応が終始残念だった

バス情報

行き:宇和島自動車バス 「宇和島駅前」~「西予市役所前」 490円

帰り:なし

距離と歩数

ASUS VivoWatch BP(HC-A04)

カロリー:4,520kcal

距離  :32.9km

歩数  :47,471歩

スマホアプリ

歩数  :51,744歩

 

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最終更新:2022.1.5