西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 歩き遍路 27日目(2021.8.16) 46番~49番札所 「久万中学校前」バス停~たかのこのホテル

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49番浄土寺

前日に久万高原の2か寺を打ち、この日はついに松山市に入ります。4か寺打つのも高知市以来で、久しぶりの都会にやって来ました。四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、27日目のレポートです!

歩き遍路 27日目 「久万中学校前」バス停からたかのこのホテル停まで

歩き遍路27日目、8月16日(月)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。

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この日は平均標高800メートルの久万高原を出発して、まずは下界へと下っていくことになります。松山市は少し変わった形をしており、南に細長く伸びた部分があって、これが久万高原町と接しています。ですから、いきなり松山市に入ることができます。

この日も4時45分に起床し、前日にフジで購入した朝食を食べました。この日は荷物を送ってもらう日だったので、念入りに荷物の準備を整えます。

「久万中学校前」バス停から46番浄瑠璃寺まで

8時1分ごろに「久万中学校前」バス停を出発し、46番札所浄瑠璃寺には11時54分に到着しました。Googleマップより30分近く時間がかかっています。山道がかなり危なかったので、慎重に進んでいたことも時間がかかった理由の一つでしょう。

この日も朝から雨です。フロントで荷物の発送をお願いし、6時50分ごろに南道後温泉ホテル ていれぎ館を出発しました。

7時5分には「高尾田たこおだ」バス停に到着です。この日も7時19分のバスで久万高原を目指します。

バスは4分ほど遅れてやってきました。早速乗り込みます。平日ということもあってか、この日は数人のお客さんが乗っておられました。マスクをしていないおじさんが一人いたので、離れたところに座りました。砥部町内で降りられるお客さんもいらっしゃいました。

ノーマスクおじさんは久万高原に入り、中心街の少し手前で降りました。降りてすぐにバス停傍の家に入っていきます。ご自宅なのでしょうか。下手をすると、前日に松山市内で飲んでいて朝帰りなのかもしれません。

8時1分ごろ、バスは「久万中学校前」バス停に到着しました。目の前にローソン久万高原町久万店があったので、飲み物やパンなどを購入しました。この際、店員さんが大きい袋に入れてくれたのですが、この袋が濡れたカッパを暫定的に入れておく袋として最後まで非常に役に立ちました。ありがとうございました。

レジ袋をもらっているのか、とご批判の向きもあるかもしれませんが、私は普段地元のスーパーに行くときにはレジ袋をもらわず、マイバッグを使用しています。ジョーシンでもらったリラックマの保冷トートバッグです。牛乳や冷凍食品をよく買うので、保冷バッグは便利です。

ただ、やはり外出時にコンビニなどで何か買う場合には、レジ袋をなるべく買うようにしています。なぜならば、ゴミをひとまとめにしておけるからです。

プラスチックの利用によるマイクロプラスチックの問題というのは、プラスチックゴミを川や海に流したり、その辺の草っ原に棄てたりすることによって生じるものだと思います。一人一人が、自らのゴミを適切な処理サービスにアクセスしていれば、プラスチックゴミの問題は防ぐことができるはずです。

ちょっとどこだったか忘れたのですが、国道で峠を越えた際、沿道がゴミだらけだった、ということがありました。これらのプラスチックゴミはやがて紫外線や風によって小さく分解されて、マイクロプラスチックの問題を発生させるわけです。

しかしきちんとゴミ箱に捨て、その自治体で適切に焼却処分が行われたならば、マイクロプラスチックの問題などは起こらないでしょう。焼却の際、それを利用して発電しているゴミ処理場だったら、なおのこと環境によいと思います。

ローソンで買い物を済ませた後、道路の反対側に渡って前日にも訪れた道の駅天空の郷さんさんへと行きました。トイレをお借りするためです。

その後ベンチでカッパを着用し、8時10分ごろに道の駅を出発しました。

やすらぎの宿でんこを過ぎて少し進むと、北向きの西側の歩道がなくなってしまいました。東側に渡り、北上を続けます。

途中に仰西渠こうさいきょという用水路があり、説明板のところに少し立ち寄った記憶があったのですが、写真を撮っていませんでした。雨が激しかったのかもしれません。

代わりに、仰西渠から150メートルほど行ったところにある、高殿神社こうどのじんじゃの写真を撮っていました。ここで8時33分です。

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※高殿神社

バスに乗っていると「高殿宮」というバス停がありましたが、ここに由来しているのでしょう。

高殿神社から1.1kmほど進むと、久万高原町立明神小学校があります。この辺から歩道がとても細くなり、例によって排水溝のフタが歩道となります。とても歩きにくいです。

また、標高はすでにかなり高いはずですが、この辺はジワジワと登っていきます。平均標高が800メートルということらしいですが、平均より高いところに向かっているのでしょうか。

明神小学校からさらに1.3km歩くと、面白いところに出ました。お接待サロン カヨちゃんちというそうです。ここで9時6分でした。

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※お接待サロン カヨちゃんち

やはりコロナ禍ということもあり、休止しておられるようです。本当に、地元の方とのふれあいができない遍路旅です。

ここからさらに7分ほど歩きます。集落もなくなり、松山方面へ向かうバイパス三坂道路との分岐点が見えてきました。

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※遠くに三坂道路の分岐点が見える

9時17分、三坂道路との分岐点に到着しました。

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※三坂道路分岐点

ご覧のとおり、三坂道路は自動車専用道路となっています。歩行者、自転車はもちろん、原付バイク(※125cc以下の二輪車)、さらにリヤカー等は通行禁止となっています。

わざわざリヤカーを断らなくてもいいように思いますが……。リヤカーで通ろうと思いますかね? なお、馬は通行可能です。

……嘘です。馬や牛はきちんと道路交通法に記載されていて、軽車両扱いになっています。三坂道路は軽車両を通行禁止としているので、当然通ることはできません。

この分岐点から200メートルほど登っていくと、レストパーク明神に出ます。高速道路のパーキングエリアのようになっていて、トイレがあります。9時19分でした。

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※レストパーク明神

ちなみに四国遍路聖地巡礼のマップ*1によると、正しい遍路道はこの手前を右の山に入っていくようです。しかしこの雨の中ですから、私は国道440号線を進んでいくことにします。

国道440号線は北向きから大きく方向を変え、西北西に進んでいきます。国道沿いには、民家もぱらぱらとありました。

レストパーク明神から国道440号線を進むこと2.1km、ここで分岐点に出ました。この辺りはずっとGoogleマップを見ながら歩いていたのですが、何とGoogleマップが示す道は立派な山道ではありませんか!

なお、Googleマップの示す入口の30~40メートルほど手前に、遍路道の案内標識がありました。そちらから入っても同じ山道に出るようです。

Googleマップでは、通るべき道に松山街道(※土佐街道とも書いてある)と書いてあります。昔からの交通路だったのでしょうが、舗装された道を想像していたので、かなり衝撃を受けました。

しかも、山道に入っていくところには、「近くにスズメバチの巣」と書いてあります。

大変なことになってきました。ここから山道を通った場合は浄瑠璃寺まで7.9km、国道440号線を通ってもう少し西に回ってから北上した場合は13.5kmかかります。およそ6km近く距離が変わってくるわけです。

今までGoogleマップの道を信じ切っていたので、西に迂回するルートは想定すらしていませんでした。この段階では、どれくらい遠回りしないといけないのか考える余裕もなかったです。

大いに不安はありましたが、結局山道に突撃することにしました。最短ルートですから、やむを得ないでしょう。この日は4か寺打つ予定でしたから、あまり余裕がありません。

案の定、山道は大変なことになっています。また傾斜もかなり急で、滑り落ちたら怪我をしそうです。道は人間にとっても道ですが、水にとっても道になっています。山道は川のようになっており、所によっては滝になっていました。

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※川のようになっている山道

写真を撮っているところは比較的安全なところです。もっとサバイバル感があふれているところは、写真を撮る余裕がありませんので。しかし写真で見ると水溜まり程度にしか見えませんが、水は勢いよく流れています。

あまりに道が大変なので、ハチのことはすっかり忘れてしまいました。幸い、遭遇もしませんでした。

ただ、やはり歴史ある道らしく、すぐに三坂峠の説明板が出てきました。ここで9時53分です。

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※三坂峠の説明板

標高が約720メートルということですから、ちょっと降りてきているのでしょう。江戸時代初期に久万の商人山之内仰西によって拓かれたそうです。ちなみにこの山之内仰西は、久万高原で見た仰西渠を掘削させたのと同一人物です。

さらに10分弱下っていくと、今度は久万街道の説明板が出てきました。土佐街道の中でも、この辺は久万街道と言うのでしょう。

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※久万街道の説明板

「むごいもんぞや久万山馬子はヨー、三坂夜出て夜もどるヨー、ハイハイ」と歌われたそうですが、夜に峠道を歩いていたということなのでしょうか。かなり危ないですよね。

10時26分、一ノ王子社跡に到着しました。四阿あずまやもあります。

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※一ノ王子社跡

へんろ道の説明板もありました。

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※伊予路のへんろ道の説明板

ここまではかなり蛇行して急激に下ってきた久万街道ですが、ここからは大きなカーブはなくなります。また、道は荒れてはいますが、アスファルトで舗装されていました。かなり歩きやすくなりました。

どんどんと下っていきますと、森の中を抜けて左の谷に面したところに出ました。雨は小止みになっています。10時32分でした。

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※谷の様子

10時39分、ついに山道を抜けました。

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※山道を抜ける 振り向いて撮影

ここからは人里に入ったようで、道路の舗装もきちんとしていました。上の写真の家は、昔何か動物の牧場をしておられたのでしょうか。このときは人の気配も動物の気配も感じませんでした。

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※左側にはビニールハウスが

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※道はつづく

しかし田んぼもキレイに手入れされていますし、ビニールハウスもありますので、この辺から人里であることは間違いないでしょう。さらに進みます。

3分歩きましたが、どなたともお会いしませんでした。

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※山間の風景

さらに3分歩くと、Googleマップにも掲載されている坂本屋です。

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※坂本屋

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※坂本屋説明板

坂本屋は、明治時代末期から大正時代初期に建てられた遍路宿だったそうです。昭和初期まではにぎわいを見せていたということです。何でも正岡子規もこの地を旅したらしく、「旅人のうた のぼりゆく 若葉かな」という句を残しているとのことでした。

ちなみに現在は、地元の坂本屋運営委員会の皆さんによってお接待所として開かれているということですが、コロナ禍ではこのような状況です。

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※坂本屋運営委員会からのお知らせ

何と、貼り紙が貼られたのは8月14日のことですから、わずか2日前ではないですか! 2日前にここに来ていたら、開いていたのかもしれませんね。残念です。

坂本屋から170メートルほど進むと、第1のショートカットが出てきました。ここは遍路道の案内標識もあります。まあ、ここのショートカットは50メートル弱くらいです。そして、このショートカットしない本道の方は、坂本屋近辺から県道207号線となります。

第1のショートカットを抜けて170メートルほど県道207号線を進むと、第2のショートカットです。ここも遍路道の案内標識があります。

第2のショートカットを抜けるとすぐに第3のショートカットが左側に出てきます。ここは左に下っていった方が100メートル以上近いのですが、四国の道の道標が直進を指しているように思えたので、ショートカットに入らずに真っ直ぐ進んでしまいました。

第3のショートカットと県道207号線の合流地点からは、県道は御坂川沿いに北へと進んでいきます。割と蛇行しているところもあり、まだまだ下っていっている感じです。

合流地点から550メートルほどで、一度御坂川を渡ります。桜橋という小さな橋がありました。

さらに210メートルで、今度は名も無き橋を渡ります。

名も無き橋から230メートル進むと、左側に少し大きな橋が出てきました。由来は分かりませんが、銅釜橋と書いてあります。

遍路道の案内標識は左に進むように示しています。一方、県道207号線はこのまま直進していきます。

結論から申し上げますが、この後の遍路道は大変ややこしく、川を渡ったり戻ったりしますので、県道207号線をこのまま直進した方が分かりやすいと思います。実際、県道を2.2kmほど直進すると、左の側道がへんろ道だと示す案内標識が出てきます。伊予鉄バスのバス停で言うと、「中之坂」を過ぎてすぐのところです。

私は、銅釜橋を渡ってしまいました。渡ってから270メートルほど進むと、網掛け石大師です。ここで11時9分でした。

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※網掛け石大師

何でも弘法大師が網で大きな石を担いで歩いておられたということで、その石が落ちたこの地にお堂を建てたということです。どのくらい大きいのか分かりませんが、網で石を担ぐというのもなかなか面白いエピソードです。弘法大師のことですから、治水用の石を持ち歩いていた可能性はありますが、日常的に担いでなくてもいいように思います。

ここから190メートルほど進むと、また道が分岐しています。左は少しだけ登る道で、右は少しだけ下る道です。右の道の方が御坂川に近いところを進んでいきます。距離的にはほとんど変わりません。

上に載せている地図にもあるとおりGoogleマップは左を推奨しているのですが、私は右側の道を進みました。右と言っても、実質的には直進です。少し進むと、庭に佇んでおられるおじいさんがおられ、挨拶を交わしました。

私の服装で歩き遍路だとお分かりになったのでしょう、笑顔で話しかけてくださいます。三坂峠を下ってきたことは明らかなので、そういう話になりました。そこでおじいさんが、「うるさくなかった?」ということを尋ねられたのですが、最初は意味が分かりませんでした。セミが鳴いていてうるさいということを言っておられるのかな?と思い、「うるさくなかったです」と答えたのですが、おそらく「うるさい」というのは方言ですよね。

これは後から想像したのですが、「うるさい」=「大変だ」ということなのではないでしょうか。

このころはお遍路の方も少なく、山道も整備されていませんでした。ましてや大雨が数日降りつづいていたわけです。山道が大変だということは、この遍路道沿いにお住まいの方ならば、容易に想像ができたでしょう。おそらく、「大変じゃなかった?」とねぎらってくださっていたのだと思います。

とりあえず意味は通じなかったものの、笑顔でおじいさんとはお別れしました。この日コンビニを出てから、最初にお話した方でした。某番組ならば、第一村人ということでしょうか。

ここでおじいさんが外に出ておられたということは、雨は完全に止んでいたということですね。どの辺で完全に止んだか、ちょっとはっきりと憶えていません。

この後、左右の道が合流してから、850メートルほど進みます。すると、T字路に出ます。ここにも案内標識があり、ここは右折です。

右折して140メートルほど進むと、上関谷橋です。また御坂川を渡ります。

この後が問題で、Googleマップは渡ってすぐに左の道を歩いていくように指示していました。ところが、左の道は川沿いの舗装されていない土の道になっていて、水溜まりがあちこちにできています。山道よりもむしろ、こちらを歩いたときに靴が濡れてしまいました。

この土の道を190メートル進みます。最後は上り坂になっていますが、登り切ったところが県道207号線から遍路道に分岐するところでした。ですから、上述のとおりここまでは県道207号線をずっと進んできてもよかったわけです。距離的には県道の方が100メートルほど多くなってしまいますが、道は直進で分かりやすいと思います。

この側道に入ってから、500メートルほど進みます。左に出口橋が現れました。御坂川を渡るのは、5回目です。

出口橋を渡ってからは、県道194号線を道なりに進んでいきます。およそ1kmほどで右側に長珍屋という大きな旅館が出てきました。ここからもうすぐ左側が、浄瑠璃寺です。

11時54分、浄瑠璃寺の下のところに到着しました。

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※浄瑠璃寺入口

浄瑠璃寺山門がありません。

なお、車の場合は入口を過ぎると左に上がっていくところがあります。そこを上がっていって北側に回ると、駐車場が現れます。

入口のところに、正岡子規の句碑がありました。

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※正岡子規の句碑

「永き日や 衛門三郎 浄瑠理(璃)寺」という句を詠んだのですね。

それにしても、正岡子規がやたらと推されているのを見ると、松山市に入ったんだなあと思います。『坂の上の雲』(※NHKのドラマでしか知りませんが)を思い出しますね。

境内に入ると、正面の奥が本堂になります。このお寺は面積は小さいながらも面白いものがいろいろあり、納経所の正面にはもみ大師というものがあります。

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※籾大師

後ろの大きな木はイブキという木で、樹齢は千年を超え、弘法大師に加持されたと伝えられています。境内案内図や見所については、四国遍路聖地巡礼のホームページ*2をご覧ください。

納経所の前のベンチでまずは準備を整えました。本堂へ行き、納経をします。

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※本堂

大師堂本堂の右隣りです。

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※大師堂

大師堂でも納経を済ませました。

本堂の手前に仏足石があります。へこんだところが、水溜まりになっていました。

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※仏足石

前年に車遍路で来たときには靴も靴下も脱いで足を置いてみたのですが、この日はちょっとやる気になりませんでした。

さて、納経所へ行きましょう。どなたもいらっしゃらなかったので、ベルを鳴らすと、ご住職の奥さんでしょうか、おばさんが出てこられました。ちょうどお昼時でしたから、もしかすると奥で食事をしておられたのかもしれません。この規模のお寺にとっては、ちょっとご迷惑でした。

記帳・押印をしてもらいます。奥さんは私の小汚い格好を見て?歩き遍路と思われたのか、「歩きですか?」と聞いてくださいました。共に歩く仲間がいない私は、納経所の方のこの一言を待っているのです。

「そうです」と答えると、三坂峠を越えてきたかどうかという話になります。私が越えてきたこと、道が大変だったことを伝えると、前日に訪れた歩き遍路の方は国道の方を回ってきたらしい、ということを教えてくださいました。

また、昼食のことを聞かれたので、とくに予定していないことをお伝えします。すると、「ちょっと待っててね」ということで、何と奥からヤマザキのジャムパンとアンパンを持ってきてくださいました!

前日が終戦記念日でお供えがいっぱいあるから、とのことでしたが、とてもありがたいです。さらに、飲み物のことまで心配してくださり、野菜生活100まで持ってきてくださいました。こんなに至れり尽くせりの納経所は初めてです。

さらにさらに、食べ終わったらゴミをもらうからまたここに来るように言ってくださいました。そうです、歩き遍路にとってはゴミも荷物になるんですよね。よく分かってくださっています。

ということで、納経所前のベンチでありがたくパンをいただきます。ところが、三坂峠で悩まされなかったハチに、なぜかここで悩まされることになってしまいました。

ハチは手で払ったりすると、攻撃されたと思い反撃してきます。逃げるのが一番です。ちょっとだけその場を離れると、ハチはどこかへ行ってしまいました。

無事に食べ終わり、納経所で奥さまに丁重にお礼を言います。ゴミも引き取っていただきました。もしかするとこの旅で一番うれしかったお接待だったかもしれません。むちゃくちゃありがたかったです。

念のためお断りしておきますが、浄瑠璃寺納経所で必ずお接待があると思ってもらっては困ります。私はまったくお接待を期待してたわけではありませんし、たまたまタイミングがよかっただけなのです。本当にこれは特別なことだったと思ってください。

いくつか特別なことが起こった原因を挙げておきます。

・前日が終戦記念日、お盆でパンが余っていたこと

・コロナ禍で歩き遍路が少なく、珍しかったこと

・大雨がつづいていたなか、難路である三坂峠を下ってきたこと

・私がイケメンだったこと(※嘘です)

ただ単に僥倖だっただけですので、皆さまはお接待を期待して浄瑠璃寺納経所を訪れないようにしていただきたいと思います。

さて、荷物をまとめて出発しましょう。次は、47番札所八坂寺になります。

46番札所浄瑠璃寺から47番札所八坂寺まで

12時35分ごろに46番札所浄瑠璃寺を出発し、47番札所八坂寺に到着したのは12時46分ごろでした。Googleマップと同じペースです。ここは札所間の距離が愛媛県では最も短いところです。

浄瑠璃寺から北側に出ます。

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※浄瑠璃寺を北側に出たところ

駐車場が奥にあります。

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※駐車場入口

駐車場までは、1分もかかりません。

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※駐車場 左上に写っているのは私の指

左が広めの駐車場で、右側にも数台停められます。前年に来たときは駐車場がいっぱいで、何とか1台が出たところに停めさせてもらいました。9月の連休のときでした。

駐車場から120メートルほど西に進むと、十字路になっています。そこを右に曲がりましょう。キレイな案内標識があるので、間違えないと思います。

そこから北に50メートルで、今度は左折です。ここもキレイな案内標識があります。

左折してから260メートル進みます。するとT字路となっていて、正面に四国の道の道標があります。左が八坂寺0.4km、右が浄瑠璃寺0.6kmとなっています。

このT字路に着くまでのところに、石?でできたお城のようなものがあります。ここで12時40分でした。

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※石でできたお城?

まあ人間から見たら小さいものですが、石の置物としては大きいです。

四国の道標のところから220メートル道なりに進んでいきます。正面に八坂の常夜灯がある辻に出ます。ここを左折です。ここは、ミラーに小さな案内標識があるだけです。

しかし左を見るとすぐに四国の道の道標が出てきました。

後はこの道を170メートルほど西に進んでいくだけです。

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※奥に八坂寺が見える

途中、左側に生目神社への案内標識が出てきます。

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※生目神社参道

ここから南に下っていくとどうやら生目神社に着くようですが、Googleマップで見るかぎりでは浄瑠璃寺よりも緯度的には南にあるようです。

八坂寺の少し手前にお遍路さんを紹介する説明板がありました。ちょっと薄くなっていて見にくいですが……。

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※お遍路さんの説明板

「足固めはしっかりとしておきましょう」と書いてありますが、説明板中の図ではわらじと地下足袋を履いています。濡れた石畳や木の上など、滑りやすくて大変だったでしょうね。

と思っていたのですが、2022年1月8日に放送されたTBSの「日立 世界ふしぎ発見!」では、特殊な草鞋は石畳でも滑らずに歩けるということを紹介していました。さすが、先人の知恵です。

12時46分、八坂寺山門橋門)前に到着です。

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※山門(橋門)

なお、駐車場は左に上がっていったところになります。

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※駐車場への登り口

白い車が停まっているところが駐車場です。割と台数が停められます。

橋門をくぐると、驚きました。境内のど真ん中に、ネコが寝転がっています。

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※ネコが寝転がっている

ここは納経所のレベルで、本堂大師堂は石段を少し登ったレベルになります。

ベンチはどれも濡れていて使いにくかったのですが、とにかく準備を整えました。他に参拝者はいらっしゃいません。まずは本堂納経をします。

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※本堂

つづいて、左側の大師堂納経をしました。

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※大師堂

本堂大師堂の間には、閻魔堂があります。

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※閻魔堂

左右にトンネルがありますが、左側の地獄の途から入って右側の極楽の途から出てくると、死後に極楽に行けるそうです。境内案内図や見所については、四国遍路聖地巡礼のホームページ*3をご覧ください。

下に降りて、納経所へ行きました。ご住職らしき方が記帳・押印してくださいます。外に出ようとすると、扉のところにネコがいました。また少し雨が降ってきたようで、建物の中に入ろうというのでしょう。ご住職の方を見ると、「入れてやってください」とのことでしたので、扉を開けてしばらく待ちます。ネコは悠々と入ってきました。

駐車場にトイレがあることを知っていましたので、駐車場の方に向かいます。駐車場の西側には、いやさか不動尊が祀られています。

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※いやさか不動尊

駐車場の東側がトイレです。とてもキレイだったことを憶えているのですが、この日はあまりキレイではありませんでした。不潔というわけではなく、葉っぱや小枝などが少し落ちていたのです。雨風で中に入ってきたのでしょう。

トイレを済ませ、橋門の前へと戻っていきます。次の48番札所西林寺へは、橋門の前の細い道を北へと上がっていくことになっていました。案内標識が出ていたのです。

橋門前にベンチがあります。そこには、先程納経所へ入っていったネコが寝転んでいました。

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※橋門前の民家の軒下のベンチで寝転ぶネコ

目を開けてブスっとした表情で写っていますが、撮ろうとしたときは目を閉じていました。何じゃいという感じでしょうか。

雨がやや強くなってきたように思えたので、カッパを着用しました。次の48番札所西林寺を目指します。

47番札所八坂寺から48番札所西林寺まで

13時15分ごろに47番札所八坂寺を出発し、48番札所西林寺には14時20分に到着しました。Googleマップより10分近く時間がかかっていますが、初め道を間違えて反対側に進んでしまいましたので、その分時間がかかったのでしょう。

ネコちゃんに別れを告げて、八坂寺を出発しました。用水路沿いの細い道を北へ向かって進みます。120~130メートルくらいで、2車線の道路に出ました。

ここからが問題で、出てすぐのところには何も次の案内がありません。実はえばら湖という用水池の東側にひっそりと案内標識があるのですが、ちょっと分かりにくいです。四国遍路聖地巡礼のマップ*4でも、えはら湖の東側を北上していくのが正しい遍路道となっているのですが、予備知識がなかったら見落としてしまうかもしれません。

案の定私は気づかずに、そのまましばらく西へ進んでしまいました。すると南側(※左側)に八坂霊園の入口が出てきました。13時17分です。

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※八坂霊園入口

ここは憶えていました。前年に車遍路で訪れた際、ナビに従ってここから八坂寺に向かおうとしたのです。実際、上の写真にも八坂寺という標識があります。

ところが、ここにガードマンの方が立っておられて、八坂寺に行くには県道194号線を南下して東からアクセスしてください、と誘導されました。ちょうど八坂寺橋門前に出ますので、歩いた道と途中から重なります。

秋のお彼岸の時期だったので、霊園がかなり混雑していたようです。そこで、ここから上がる道を一方通行のようにしていたのだと思います。

いずれにしろ、ここでちょっとおかしいな?と思い始めます。Googleマップを見ると、やはり見当違いの方向に進んでいました。大雑把に言うと北に進むべきところを、西に進んでいたわけです。

というわけで戻ります。戻った際にも遍路道の案内標識には気づかず、そのまま東へ進みました。Googleマップによると、県道207号線を北上していけば西林寺に辿りつけそうです。というわけで、まずは県道207号線に出ることを優先しました。

八坂霊園の入口から東へ600メートルほど進みます。途中の県道194号線は無視しました。

県道207号線の1本手前の道を北に進みます。260メートルほど進み鳥ヶ成とりがなるという変わった名前の橋を渡ると、斜めに県道207号線に合流しました。ここからは、この道をひたすら北上するだけです。

なお、雨はこの辺でまた止んでしまいました。止んだ方がありがたいのはもちろんなのですが、いったん降るというフェイントはやめて欲しかったですね。カッパを着たり脱いだりが大変なのです。というわけで、濡れているカッパを暫定的にローソンのレジ袋の中に入れました。

県道207号線は歩道もきちんとあり、歩きやすい道でした。合流地点から1.8km進むと、左側に稲荷神社が出てきました。13時54分になっています。

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※稲荷神社

稲荷神社から200メートルほど北に上がっていくと、右側に小村町内会の公民館らしき建物がありました。その敷地内に、句碑が建てられています。

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※森薫花壇の句碑

松山は本当に俳句の町ですね。

句碑から160メートルほど歩いた、ファミリーマート松山小村町店のある交差点で県道207号線は終わり、ここから北は県道40号線になっています。

県道40号線を300メートルほど歩くと、大きな川に出ました。西流して海に注ぐ、重信川です。久谷くたに大橋を渡ります。

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※久谷大橋から下流を望む

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※久谷大橋から上流を望む

上の写真で14時6分です。

橋を渡り終わると、目の前に松山自動車道の高架があります。くぐりましょう。

高架をくぐってから220メートルほど進むと、右側に八ヶ所大師堂が出てきました。14時13分です。

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※八ヶ所大師堂

Googleマップには八ヶ所大師堂と書いてありますが、正しくは四国八十八ヶ所番外大師堂だと思います。なぜかお堂の向拝の柱に「四国八十 八ヶ所 番外」と書いてあるので、Googleが誤解したのでしょう。字の大きさのアンバランスさったらないですね。

ここには案内標識もあり、右側の細い道を進むことになっています。さすがにここは右に入りました。

ところが、150メートルほど進むと、2車線の県道193号線にぶち当たってしまいます。ここには横断歩道がないので、交通ルールを守るならば、結局県道40号線の方へ戻るしかありません。ここで14時15分でした。

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※遍路道を県道193号線が横切っている

さらに遍路道を北上すると、48番札所西林寺山門が見えてきました。

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※西林寺の山門が見える

右手前の建物は、長善寺大師堂です。ここも番外札所を名乗っています。

西林寺橋を渡り、14時20分、西林寺山門前に到着しました。

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※山門

実はこの山門前でタクシーの運転手がウロウロしていたので、ちょっと待ってから写真を撮っています。どうやらタクシー遍路の方の運転手だったようです。しかし、山門前でウロウロしていたら写真撮影の邪魔ですよね。それくらいの配慮は欲しいものです。

山門仁王門)は江戸時代後期の天保14(1843)年の再建ということで、なかなか歴史ある建物です。西林寺橋を渡ってから境内までは、石段を降りるという珍しい参道になっていますが、地獄を意識してそのようになっているそうです。

境内案内図や見所については、四国遍路聖地巡礼のホームページ*5をご覧ください。

山門をくぐり、境内に入ります。山門の裏手にベンチがあったので、準備を整えました。チラホラと参拝者の方がいらっしゃいます。

まずは本堂納経をします。

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※本堂

つづいて大師堂です。大師堂本堂の隣にあります。

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※大師堂

ここの境内の雰囲気は憶えていましたが、本堂大師堂の他にも阿弥陀堂など、多くのお堂があることには気づいていませんでした。

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※阿弥陀堂

納経所境内の西側にあります。納経所の前には池があり、福授地蔵が祀られています。

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※福授地蔵

納経所はおばあさんでした。後から、私より少し年上くらいのおばさんも来られました。

西林寺の駐車場は、山門の西側に広がっています。駐車場内には、境内の案内図もありました。

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※境内案内図

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※駐車場入口 北から撮影

県道40号線を北から来た場合は、左側に上の写真のような案内標識が出ています。

さあ、この日最後の札所である49番札所浄土寺を目指しましょう。

48番札所西林寺から49番札所浄土寺まで

14時42分ごろに48番札所西林寺を出発し、49番札所浄土寺に着いたのは15時24分でした。Googleマップよりも4分遅れですが、上出来でしょう。

西林寺の駐車場は県道40号線に面しています。ここから北上していきます。

ここも四国遍路聖地巡礼のマップ*6によれば、正しい遍路道は少し西の道を北上するようです。

広島お好み焼き 鉄板焼き 大地の母 髙井店の交差点を左に入り、用水に沿って西北に進み、松山リハビリテーション病院の西側を北上するのが正しい遍路道のようでした。しかしややこしそうだったので、思い切って無視します。

県道40号線を1.7kmほど北に進むと、国道11号線にぶち当たりました。この国道11号線も後々お世話になる道です。

国道11号線を横切ってさらに450メートルほど進むと、踏切に出ました。伊予鉄横河原線です。すぐ東には、「鷹ノ子駅」もあります。

踏切を渡るとすぐに県道334号線に出ますので、ここからは県道334号線を西に進んでいきます。500メートルほど進むと、左前にセブンイレブン松山鷹ノ子店が出てきますので、その手前にある横断歩道を渡りましょう。なお、この道は歩道がないところが多く、Googleマップも1本南側の道を推奨しています。

また、この辺はまったく写真を撮っていなかったので、Googleマップのストリートビューを参照しながら読んでいただければと思います。

横断歩道を渡ろうとしますが、やはりなかなか車が停まってくれません。横断歩道の手前での停車率が全国ワースト1位の愛媛県ですからね。かろうじて停まってくださった車に頭を下げながら、横断歩道を渡りました。

横断歩道を渡ったところには四国の道の道標がありました。さすがにこれに従います。この後も道標や案内標識に従って280メートルほど進むと、ようやく49番札所浄土寺の門前に到着です。15時24分でした。

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※山門

私が門の前に到着したのとほぼ同時に、男の子を連れた30歳代くらいの夫婦が出てこられました。

山門をくぐり、中に入ります。左側にあった建物の庇が長く、その下にベンチがあったので、そこで準備を整えました。やはりベンチが濡れていると座りにくいですからね。

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※庇の長い建物

何と、西林寺で見かけたタクシー運転手らしき人が、ここにもいました。どなたが乗っておられるのかはっきりと分からなかったのですが、足が弱そうなおじいさんが一人おられたので、その方でしょうか。

まずは本堂納経をします。

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※本堂

本堂室町時代の文明14(1482)年に建てられたそうで、国指定の重要文化財になっています。境内案内図や見所については、四国遍路聖地巡礼のホームページ*7をご覧ください。

他にも、木造空也上人立像が同じく国の重要文化財に指定されているそうです。町中にあって敷地は小さいですが、なかなか寺宝に恵まれているお寺です。

本堂につづき、大師堂納経しました。

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※大師堂

納経所山門を入ってから右奥の方にあります。四ツ足門をくぐっていったところです。納経所の手前には、七福神が祀られています。

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※七福神

納経所では、若いお坊さんが記帳・押印してくださいました。

浄土寺の駐車場は山門前にあります。また、山門前の駐車場から家1軒半くらい南に下ったところに、臨時駐車場があります。

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※臨時駐車場

前年に車で回ったときは、この臨時駐車場に停めました。

さあ、これでこの日の参拝は終了です。ホテルを目指しましょう。

49番札所浄土寺からたかのこのホテルまで

14時48分ごろに49番札所浄土寺を出発し、たかのこのホテルには16時ちょうどくらいに到着しました。途中、セブンイレブンに寄っています。なお、下のGoogleマップは歩きではなく車になっていますが、県道334号線を危ないと判断するのかその上を通るルートを設定できないので、車として設定しています。

浄土寺山門を出て、そのまま南に向かいます。すると、駐車場と臨時駐車場を経て、県道334号線に出ます。

190メートルほど東に進み、またセブンイレブン前の横断歩道を渡りました。しかしこの横断歩道はセブンイレブンの店舗を大分行き過ぎてしまっているので、渡ってからまた西に戻ってセブンイレブン松山鷹ノ子店に入りました。

翌日の朝食などを購入します。夕食は、ホテルに併設されている温泉施設のレストランで食べる予定でした。実は1年前に車遍路をした際にもたかのこのホテルに泊まっており、どんな様子かはよく分かっていたのです。

セブンイレブンを出て、踏切を渡るともうすぐにたかのこのホテルたかのこの湯の駐車場です。敷地を歩いていきました。

私はすぐには気づかなかったのですが、駐車場に停まっていた車の中で男の子が一所懸命に手を振ってくれていました。気づいてから慌てて手を振り返します。純粋な子どもというのは本当にかわいらしいですね。母親はやめておきなさいという様子をしておられたのですが、常識的な大人の態度とは、そういうものでしょう。しかし男の子は、一所懸命やっていたら思いが届くということを学んだのではないでしょうか。

ほぼ16時ちょうど、たかのこのホテルに到着しました。

歩きを終えて

まずはフロントに行きます。

実はこの日から、たかのこのホテルに2泊する予定でした。前年に宿泊しキレイなホテルだと知っていましたし、何より温泉があるのがポイントだったのです。

予定では、翌日の8月17日に50番札所繁多寺から51番札所石手寺、52番札所太山寺、53番札所圓明寺と松山市の北西方面へ進み、そのまま伊予北条まで歩いておくつもりでした。伊予北条からは、バスでたかのこのホテルまで戻ってくることにしていました。

ところが、この時期コロナウィルスが愛媛県でも猛威を振るい、8月11日には県でも警戒レベルを最大の「感染対策期」へと引き上げていました。また、8月13日には県内の感染者数が91人となり、過去最高を更新しています。早晩、100人に手が届くことは確実でした。

なかでも、松山市内で感染が拡大しているということがニュースで報じられていました。伊予北条からバスでたかのこのホテルに戻ってくるためには、「松山市駅」を経由する必要があります。危険の多い都心部にわざわざ突っ込んでいくことになるわけです。

ということから、南道後温泉ホテル ていれぎ館に泊まっていた8月14日に予定変更を決意し、伊予北条ではシーパMAKOTOという宿に泊まることにしていたのです。これならば、わざわざ松山市の中心街を経てたかのこのホテルにまで戻ってくる必要がありません。移動時間が短くなり、休養時間も長くなるわけです。

というわけで前置きが長くなりましたが、フロントのお姉さんに2泊目をキャンセルしたい旨を伝えます。最悪お金が返ってこなくても仕方がないな、と思っていましたが、後日、規定どおりにお金が返ってきました。きちんとしています。

さて、部屋へ行きます。夕食にはまだ早かったので、シャワーを浴びて翌日の予習をしました。

18時ごろ、敷地内に併設されているたかのこの湯に行きます。そこにはレストランがあり、いろいろメニューが充実しています。この日は、宇和島鯛めし定食1,100円をいただきました。宇和島の鯛めしは、鯛のお刺身にタレをつけて、ご飯に載せて食べます。炊き込みご飯にする松山の鯛めしとは、ちょっと違います。

その後温泉に入り、ゆっくりとしてから部屋に戻りました。ホテルの2階にあるランドリーで洗濯をし、早めに就寝しました。

歩き遍路振り返りデータ

歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。ただ、この辺りでは雨天が続いており、1日3~4本の消費に減っていたと思います。

札所情報

札所:4か寺

納経代:1,200円

大師納経代:1,200円

宿情報

たかのこのホテル

シングルルーム(禁煙)

宿泊費:9,500円

室内に冷蔵庫・バス・トイレあり

WiFiあり

大浴場あり(敷地内別館)。温泉

洗濯機・乾燥機あり(台数を忘れてしまいました……)

洗濯代200円、乾燥代200円(30分あたり100円)

アクセス:「鷹ノ子温泉前」バス停から徒歩1分

コンビニ:徒歩3分

新しいホテルであり、設備はキレイ。別館ながら温泉の大浴場がある。スタッフの対応も普通で問題ない

バス情報

行き:JR四国バス 「高尾田」~「久万中学校前」 1,020円

帰り:なし

距離と歩数

ASUS VivoWatch BP(HC-A04)

カロリー:3,850kcal

距離  :28.0km

歩数  :40,442歩

スマホアプリ

歩数  :44,081歩

 

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最終更新:2022.1.14