西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 歩き遍路 29日目(2021.8.18) 54番~55番札所 シーパMAKOTO~今治国際ホテル

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55番南光坊

2日連続で4か寺打ってきましたが、この日は今治まで大移動をしなければなりません。都会から都会への旅がつづく、四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、29日目のレポートです!

歩き遍路 29日目 シーパMAKOTOから今治国際ホテルまで

歩き遍路29日目、8月18日(水)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。

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松山市と今治市は隣接していますが、この日は松山市の北端である伊予北条の町から今治の中心街までの20km以上の移動となります。中心街に入ってからは札所も2か寺打つので、忙しい1日となりそうです。

この日も5時に起床し、前日にフジ北条店で購入した朝食を食べました。荷物はここから今治市を飛ばして、南に隣接する西条市のターミナルホテル東予まで送ってもらいます。そのために準備を整えました。

シーパMAKOTOから54番札所延命寺まで

7時ごろにシーパMAKOTOを出発して、54番札所延命寺に到着したのは12時39分でした。5時間40分ほど時間がかかっています。しかしGoogleマップによると24.2kmも歩いているので、まあ妥当なところでしょう。

7時ごろ、シーパMAKOTOをチェックアウトします。ここは着払いでのみ荷物の発送を承るということなので、着払いでお願いしました。出発時にフロントにいた方は豪快な女将さん風の方ではなかったので、電話で確認をとってくださいました。ここはいろいろ人情味のある宿でよかったです。

さて、出発です。靴を履いてみましたが、何と完全に乾いていました! 恐るべし、ASICSGT-2000 9 EXTRA-WIDE! 通気性を重視してこの靴を購入したのですが、大成功だったというわけです。

この日は弱い雨でしたが、今治までかなりの距離を歩くこともあり、カッパを着用して出発です。

上に載せてあるGoogleマップの地図と少しルートが違いますが、まずは東へ300メートルほど進みます。ちょうど運河の端っこのような場所に出ました。7時9分です。

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※運河の端 県道179号線に面している

伊予北条は河野水軍の本拠地だったのですね。

ここで左に曲がり、県道179号線を北上していきます。550メートルほど進んで、立岩川にかかる立岩橋を渡りました。橋の手前には、四国の道の道標があります。四国遍路 聖地巡礼のマップ*1でも、ここが正しい遍路道になっています。

橋を渡って少し進むと、大きな交差点に出ました。「下難波交差点」です。

ここは国道196号線との接点となっていて、北行きも東行きも国道196号線となっています。ちょうど国道196号線がここで直角に折れ曲がっている感じです。

歩き遍路のルートとしては、このまま国道196号線を海岸に沿って進むこともできます。おそらく、比較的平坦な道だと思います。途中に道の駅 風早の郷 風和里もありますので、そこで休憩することもできるでしょう。

一方、正しい遍路道は鴻の坂峠を越えてJR「浅海駅」の方に抜けていくことになっています。Googleマップがそちらを示していたこともあり、私は峠越えのルートを選びました。

そこで、まずは「下難波交差点」から東へ400メートルほど進み、ファミリーマート北条下難波店へと向かいます。ここで、飲み物などを購入しました。飲食物だけでなく、このファミリーマートではメモ帳も購入しました。ファミリーマートのメモ帳はリング式になっていて、使いやすいのです。これまで使っていたメモ帳が、ついに空きページがなくなってきていたのでした。

ファミリーマートから歩道のない2車線の道を北上していきます。ところが、300メートルほど進んだところで不穏な看板を見つけてしまいました。

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※鴻之坂頂上付近全面通行止のお知らせの看板

何と、鴻の坂峠が通行止めになっているという看板です。マジか!という感じです。

看板の簡易な地図で見ても、迂回すればかなり距離が増すことが分かります。困りました! ちなみにこの段階で7時37分でした。

ここで、私自身驚くべき行動力を発揮しました。看板に書いてある電話番号に電話をかけたのです。朝早かったのでつながるかどうかちょっと心配でしたが、工事関係の会社は8時くらいからお仕事が始まりますから、つながるだろうという期待もありました。

案の定、つながりました! 電話に出られたのは、女性の方です。そこで、自分が歩き遍路であること、これから鴻の坂峠を越えるつもりであることを伝えます。さらに、歩行者は通ることができるのか聞きました。

すると、ちょっと待っていてください、ということで上役らしき方に状況を聞いておられるようでした。結果として、工事はしているけれども歩行者は通ることができる、ということでした。よかったです!

いやあ聞いてみるもんですねえ。私は何事も自分で完結させることが多いので、あまり人に聞くということがないのですが、今回ばかりは人に聞こうという気持ちが起こってきてよかったです。聞いてなかったら、暗い気持ちで迂回路に回っていたことでしょう。

ということで、安心して峠に向かい進みます。450メートルほど進むと、鎌大師堂との分岐点が出てきました。7時42分です。

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※鎌大師堂との分岐点

左は2車線で歩道もある道ですが、すでに上り坂が始まっていきます。一方の右はまだ平地を行くようでした。右側が鎌大師堂のある集落を通る道です。

いつものことながら寄り道をせずに左のルートを直進します。坂はどんどんキツくなっていきました。ただ、右を行ってもそれほど距離は変わらずに合流しますので、右に行かれるのもいいと思います。

600メートルほど進むと、鎌大師堂から来る道との合流地点まで来ました。登りはまだまだつづきます。

合流地点から270メートルほど登っていくと、T字路に出ました。右側に北条育成園・北条あかつきの郷という福祉施設の看板が出ています。そこには53番圓明寺から約16km、54番延命寺まで約20kmと書いてあります。また、「茶菓のお接待はできませんがトイレはご自由にお使いください」とも書いてありました。ありがたいですね。こういうお接待文化は、歩き遍路を本当に勇気づけてくれます。

T字路は右に進むと浅海方面に行けるようです。右に曲がりました。ちょっと鬱蒼と木々が生い茂っているところを進んでいきます。

ちなみにGoogleマップによるとT字路の左側に中務茂兵衛道標があったらしいのですが、右にばかり気を取られてまったく気づきませんでした。

松山市の上水道の配水池を通り過ぎ、少し進んでいくと工事地帯に出ました。

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※鴻の坂峠の工事地帯 左上の黒いものは私の指

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※工事地帯からの景色

これだけ雨がつづいていると、土砂の流出の心配もありますし、工事の人は大変ですね。ここで8時1分だったのですが、工事はまだ始まっていませんでした。機材の準備をされている方を一人二人お見かけしただけです。

8時2分、鴻の坂峠の休憩所に到着しました。

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※鴻の坂峠休憩所

ここにはトイレもあり、休憩できるようになっています。しかし、工事の方がいらっしゃるので、ちょっと使いづらいですね。実際私はスルーしています。

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※鴻の坂峠から北西方向を望む

写真を撮っていませんが、ここには古い道標も建っています。また、気をつけないといけないのは、峠からは直進ではなく左折しないといけない、ということです。上の写真で右側に見える道を降りていくことになります。

これに関しては案内標識がありますので、見落とさないようにしましょう。仮に見落としても、かなり遠回りにはなりますが結局同じ人里に降りることはできます。

ということで左に曲がり、道を下っていきます。結構急な下り坂です。しかし200メートルも下れば、もう民家が出てきました。

味栗の集落を500メートルほど進むと、味栗集会所の前に出ました。ここにも興味深い道標があります。8時12分でした。

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※味栗集会所

「松山札辻より五里」と書いてあります。

現在でも「札ノ辻」や「札の辻」と表記する地名は残っていて、松山城のお堀の北西端、伊予鉄の「本町三丁目駅」のある辺りになります。そこの交差点は「札ノ辻交差点」です。

そこまで五里、つまり約20kmということですが、わざわざ距離を示す道標があるということは、ここは昔は交通の要衝だったということですね。

この道標から700メートルほど北上すると、JR予讃線にぶち当たります。8時21分、味栗踏切を横断しました。

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※味栗踏切

するとすぐに国道196号線に出ます。もし迂回していたらどれくらい時間がかかっていたのでしょう。Googleマップで距離を測ると、2km近く増えるようですので、30分くらいですか。意外と大したことないように思いますが、こういうのは後でジワジワと効いてきます。

国道に合流してすぐのところに、お堂が建っていました。ここで8時22分です。

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※関所跡・風早四国番外第十七番

通ったときには何か分からなかったのですが、Googleマップによれば関所跡・風早四国番外第十七番だそうです。ここに関所があったということでしょう。やはりこの遍路道は主要な交通路でもあったのですね。

この後、国道を2kmほど北東に向かって進んでいきます。すると、砥鹿山トンネルが出てきました。しかしこのトンネルは歩道がなく、交通量も多いのでさすがに通れる雰囲気ではありません。

歩道はトンネルを迂回するように海側に回っていきますので、そちらに進みました。すると、小さなお堂のような神社が出てきました。ここで8時49分です。

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※三穂社

これもGoogleマップによると、三穂社というそうです。

トンネルのところを過ぎてから、さらに2kmほど進んでいきます。今治市の菊間という集落にさしかかってきました。ここは瓦の製造で有名な地域です。

瓦工場がいくつも並んでいて、西高製瓦、吉井製瓦とつづいたそのすぐ後に、お接待所がありました。9時25分です。

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※菊間の集落内のお接待所

ここも相変わらずの無人です。ただ、他の方のブログを拝見したところでは、常に無人なのかもしれません。

ここで、ぶじかえるの焼き物をいただきました。自由にいただいてよいことになっています。

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※ぶじかえるの焼き物

ホテルで撮影したので、ちょっと暗くなっています。しかし本当に無事に帰るということは大事なことですね。

実はお遍路を始めて最初のころ、お寺では自分の世俗的な願望をお祈りしていました。しかし、だんだんと考え方が変わってきていました。ここまで無事に歩いてこれたのも丈夫な身体に生んで育ててくれた両親のおかげですし、旅の資金に困っていないのもこれまでお世話になった方々のおかげです。感謝の気持ちの方が強くなってきていたたわけです。

それゆえ、お寺でお祈りするのも自分のことではなく、周囲のみなさんの健康などをお祈りするようになってきました。この旅を通じて、成長してきたということでしょう。普通ではない極限状態にあるからこそ、見えてくるものがあるということですね。

お接待所から450メートルほど国道を進むと、遍照院というお寺が出てきました。ここで9時30分です。

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※遍照院

弘法大師巡錫伊予二十一霊場の第八番札所であり、厄除大師としても人々に親しまれているようです。

この辺りではまあまあ雨が降っていました。ずっとトイレに行けてなかったので、こちらでトイレをお借りします。昔ながらのトイレですので、逆にカッパを着たまま気兼ねなく入ることができます。小の方をさせていただきました。

この後、ひたすら国道196号線を歩いていきます。2.3kmほど歩くと、左側に「葉山」というバス停が出てきました。そこで左の脇道に入っていくことができます。

遍路道の案内があったのだと思いますが、ここで左に入りました。

350メートルほど進むとSOLATO、つまり太陽石油の四国事業所が出てきます。4階建ての立派なビルです。このまま直進することもできますが、何を思ったか脇道に入り、脇道から駐車場の方に回ってSOLATOのビルの正面玄関の方に進んでいきました。駐車場から階段があります。

階段を登ると、国道の歩道に出ます。そこから、SOLATOの正面玄関に回っていけるわけです。すると、ここにもお遍路さんのお接待所と書いてありました。ありがたいですね。

私はほとんど休憩をしないスタイルなので、そのまま歩いていきました。

ここからさらに1.4kmほど国道を進みます。左手に住宅が並んでいたのですが、そのほんの少しの隙間に神社の参道がありました。貴布禰神社です。10時23分でした。

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※貴布禰神社参道

京都に貴船神社きふねじんじゃがありますが、貴船神社貴布禰総本宮と表記されますので、この神社も貴船神社なのでしょう。

下から見上げるとなかなか迫力のある参道です。当然登っていく余力はありませんので、先を急ぎます。

この後も国道196号線を1.5kmほど歩き、「高城」というバス停を過ぎたところで左の道に入って少しだけショートカットしました。400メートルほどでまた国道に合流します。

ここからはショートカットルートは通らず、2.1kmほど国道を通りました。2.1km先には星の浦海浜公園があります。

初めは公園には寄らず、右の脇道に入っていきました。お馴染みの案内標識があったからです。ここで11時16分です。

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※延命寺まで5.7kmの案内標識

しかし、この道を260メートルほど進むと北側を走る国道に信号が出てきました。信号を渡ったところが公園の端になっており、トイレの建物があります。遍照院から2時間近く経っていますので、ここでトイレに行っておくことにしました。

公園のトイレは、更衣室なども併設されています。清潔にはしてくださっていますが、新しくてキレイという感じではありません。広いので、カッパを着て入っても問題ありませんでした。

トイレを済ませて、元の脇道へと戻りました。県道15号大西波止浜港線というようです。国道196号線ができるまでは幹線道路だったのでしょう。歩道もない細い道ですが、交通量も少なく、歩きやすい道です。

線路の点検か何かをしておられる方々がいらっしゃいました。JRの職員さんでしょう。

県道15号線は、400メートルほど進むと国道の下をくぐっていきます。さらに850メートルほど進むと、今度はJR予讃線の踏切が出てきました。

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※大西踏切

JR予讃線の大西踏切です。

県道はまだまだ国道と並行してつづいていきます。踏切から400メートルほどで、右側に大きな神社が出てきました。大井八幡大神社です。11時44分でした。

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※大井八幡大神社

ここからだと参道は国道196号線を横断しています。神社の方もよくまあ国道建設の際に用地買収に応じられたものです。

県道はこの後右へ左へとカーブしていきますが、気にせず道なりに進んでいきます。ただ、どこかで国道に出ないといけないな、とは思っていました。前年の車遍路の際の記憶では、国道から延命寺へと入っていく道があったように思います。

大井八幡神社鳥居前から進むこと500メートル、これ以上この道を進むと国道から離れてしまうぞというところに、道標がありました。四国の道の道標と、古い遍路道の道標です。

四国の道の道標には、延命寺まで4.1kmと書いてあります。あと1時間くらいで到着できそうですね。

道標に従って右に曲がり、450メートルほど進むと国道196号線に合流しました。しばらくは国道を進みます。品部川を渡る手前に横断歩道があったので、反射的に南側に渡ってしまいました。これまで国道を歩いていて横断歩道が出てきた場合、ちょっと先で歩道がなくなっていることが多かったからです。

しかし結論から言うと、ここはそんなことはなく、北側を歩きつづけることもできました。しかも品部川を渡ってからは国道が急に4車線となり、渡るのが大変になります。信号もありますが、かなり長い間待たなければなりません。

歩きの場合、ちょっと先に見えている信号は、そこに到着するころには青が赤に、赤が青に変化することが多いです。ですから、何となく余計に長い間待つような気持ちになりますね。

品部川を渡ってから600メートルほどで、延命寺まで2kmの案内標識が出てきました。少し先で道路が分岐しており、左が今治市内、右が国道196号線となっています。案内標識は左を示していました。

「宅間交差点」という分岐点を左に入っていきます。この道は品部川を右手に見る今治街道という道です。しかし、歩道がないためちょっと危ないです。交通量もかなり多いです。品部川の南側の道を歩いた方が安全かもしれませんね。

歩きにくい道を1.3km進みます。右側にコスモスの看板が出てきたら、左側に延命寺への案内標識も出てきました。

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※延命寺への入口

ちょっと天候が悪くなっていますが、実は行きに撮影を忘れていたので、帰りに撮影しました。

上のポイントを左に入っていきます。道は細く車の離合は困難なので、車の方は要注意です。

150メートルほど進むと、また分岐点に出ました。12時36分です。

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※延命寺への分岐点

ちょっと分かりにくいですが、奥で道が右と左に分岐しています。左側へと進みましょう。電柱にそのような図が掲示してあるのですが、ペンキがかすれてきていて、分かりにくいかもしれません。

左に入っていくと、往時はにぎやかだったであろう遍路関係の店の廃墟がありました。

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※遍路関係の店の廃墟

廃墟と言っていいのか分かりませんが、今はやっておられないと思います。いつごろからこういうお店が立ち行かなくなったのでしょう。通信販売が普及してからでしょうか。菅笠白衣金剛杖も何もかも今は通信販売で買えますからね。

なお、大型バスやマイクロバスはここまでしか入ることができません。

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※今は大型バス・マイクロバスの駐車場となっている

このお店に関しては、前年に来たときのことをよく憶えていました。少し廃墟感は増していますが。しかし、この後の道をあまり憶えていませんでした。

下の写真のように「マイクロバスは進入禁止」と書いてある案内標識があり、木々が茂るなか池の傍らをどんどん進んでいきます。

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※延命寺駐車場の案内

すぐに、山門の前のところに出ました。

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※山門前

車で来た場合、山門の右側を通って奥の駐車場に停めることができます。繁多寺とごっちゃになっていたのはどうやらこのお寺のようです。ここに来るまで忘れていました。

12時39分、延命寺に到着しました。

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※仁王門

なお、上の写真の門は正しくは山門ではなく仁王門だそうです。この仁王門から駐車場エリアを挟んで、正規の山門が現れます。

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※山門

この山門は総欅造りで、今治城の城門の一つを譲りうけたものだそうです。境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*2をご覧ください。

山門をくぐり、境内の中に入ります。このお寺は墓地は広いのですが、伽藍の中枢は小ぢんまりしています。

納経所前のベンチで準備を整えました。

まずは、山門から正面にある本堂納経をします。

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※本堂

写真にも雨が写り込んでいるので、結構降っていたようです。

つづいて、大師堂です。大師堂は、本堂手前の左側にある石段を登っていったところにあります。石段にも水が溜まっており、少し歩きにくかったです。

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※大師堂

大師堂での納経を終えて、納経所へ行きました。

納経所は建て替えたのか、新しい建物でした。お遍路用品や仏教用品のショップも併設されています。おばさんが記帳・押印してくださいましたが、愛想のない方でした。

時間がすでに13時前になっていたので、ここで軽くパンを食べました。Googleマップを見ると次の南光坊に行くのに、イオン今治店に寄ることができそうです。イオンで軽く何か温かいものを食べてもいいですね。

というわけで、次はイオン今治店を経由して南光坊を目指すことにしました。

54番札所延命寺から55番札所南光坊まで

13時12分ごろに54番札所延命寺を出発して、55番札所南光坊に到着したのは14時35分でした。Googleマップよりも30分近い時間がかかっていますが、イオン今治店に寄っていたので、時間がかかったのでしょう。

延命寺からイオン今治店までは、通ってきた今治街道をそのまま東の方へ進んでいくだけです。上に載せているマップは中の道を推奨していますが、私は今治街道を進みました。この辺りでは今治街道は県道38号線になっています。

県道38号線今治街道に出たのが13時17分でした。

230メートルほど歩いたところに、JAおちいまばり乃万支店があります。その角に、また例の道標が出てきました。13時21分です。

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※松山札之辻より十里の道標

松山藩主の加藤喜明が里程標識として1本の松を植えたそうですが、さらに江戸時代中期の寛保元(1741)年に「松山札の辻より十里」と書いた道標が設置された、ということです。なお、現在のものは戦後の復元ということでした。松山の中心部から40km歩いてきたということですね。

ここから170メートルほど進むと、南側に歩道が出てきました。安全に歩くことができます。それはいいのですが、パンを食べた影響かお腹の調子が悪くなってきました。もはやイオン頼みです。

700メートルほど進むと県道38号線は左に曲がっていきます。真っ直ぐ進める道もあるので、そちらに進みます。ここには、遍路道の道標も建っていました。

この細い道、県道156号桜井山路線を550メートル進むと、イオンのある交差点に出ました。ここからだと56番札所泰山寺の方が近いです。

イオンの入口の軒下でカッパを脱ぎ、例のビニール袋に入れました。中に入ります。

大きいイオンを想像していましたが、ここは小さいイオンです。前はジャスコなどの違う店舗だったかもしれません。ぱっと見たかぎり、フードコートはありませんでした。まあいいです。それよりもまずはトイレです。

商業施設のトイレは2階以上のトイレの方がキレイであるという経験則に従い、エスカレータで2階に上がりました。トイレはフロアの端っこにあります。前に椅子もありますし、荷物を置いておけます。

トイレは確か和式だったと思います。コロナ禍ですので、和式の方が安心です。この日も何とか人間の尊厳を保つことができました。

これで一安心です。1階に降りました。まあご飯はもういいや、という気分でしたので、違う用事を済ませることにしました。

まず、正露丸があってもお腹の調子を根本的に改善できていないことから、ビオフェルミンを購入します。対症療法に加えて、原因療法ができれば最善です。

また、お線香も購入しました。イオンモール高知で14日目に購入していましたが、ここへ来て少なくなっていましたので。

さあこれで問題はなくなりました。カッパを着て、南光坊を目指します。

イオン今治店からは、イオンの前を走るバイパスを北に向かって進んでいくのが早いです。「北に向かって」と書きましたが、正確には北東方向です。今治の町は45度傾いた碁盤の目のようになっています。

900メートルほど進んでいくと、お城が見えてきました。今治城でしょうか。ここで14時16分です。

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※今治城?

真横から写真を撮ってみました。

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※真横から撮った今治城?

きっと今治城ですね。……嘘です。今治城はここから2kmほど離れた海沿いにあり、藤堂高虎が海城として建造したお城です。

結局この建物は何かと言うと、Googleマップで調べたかぎりでは高井城城山ハイツという集合住宅のようでした。造形にかなり力を入れていますよね。

高井城のすぐ北側は、姫坂神社というかなり大きな神社でした。

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※姫坂神社

このバイパスからさらに進んでから右に曲がったところに南光坊があるのですが、曲がる場所がどこか正確に把握していませんでした。そこで、何となくこれくらい広い道だったぞということで、「今治北高校前」交差点で曲がってしまいました。本当は750メートル先のその名も「南光坊西交差点」で曲がればよかったのです。

しかし曲がってしまったものは仕方がありません。すぐに間違っていたことに気がつき、Googleマップで検索し直します。セブンイレブン今治学園通り店の東側を北上すればよさそうです。

ということでそこで左に曲がり、北を目指します。250メートルほど進むと、JR予讃線の高架下をくぐることになりました。さらに北上します。

450メートルほど進むと、かなり立派なお堂のあるところへ出てきました。南光坊にこんな大きなお堂はあったかな?と思いながらも、近いことは予想されました。

60メートルほど進んで国道317号線まで出てみると、黒住教の建物だということが分かりました。ここで14時35分です。

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※黒住教今治大教会所

黒住教の教会から西に100メートルで、南光坊山門に到着しました。14時35分でした。四国八十八ヶ所の霊場で、「〇〇寺」ではなく「〇〇坊」と名乗っているのはここだけです。

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※山門

山門は実は新しく、1998年に再建されたそうです。そうは思えないくらいの侘び感があります。ちなみに山門を守護しているのは仁王(金剛力士)ではなく四天王です。表面右に多聞天、左に持国天、裏面右に増長天、左に広目天が祀られています。

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*3をご覧ください。

このお寺は山門を入った後、境内の中に駐車場があります。私が着いたときには車も停まっておらず、参拝者もいらっしゃいませんでした。

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本堂の脇にあったベンチで準備を整え、まずは本堂納経をしました。

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※本堂

写真を見るかぎりでは、ここもまあまあ雨が降っていますね。

つづいて、本堂の右側、かなり手前にある大師堂納経しました。

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※大師堂

1945年の空襲で、南光坊の建物は金毘羅堂大師堂を除いて焼失してしまったそうです。大師堂は1916年の建立ということで、均斉のとれた美しい建物ですね。

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※金毘羅堂

南光坊の最古の建物が金毘羅堂で、江戸時代後期の文化年間(1804~1818)に建立されたということです。

納経所は少し離れています。建物の中に入らないといけないので、菅笠とカッパをに載せるのに苦労しました。若いお坊さんが記帳・押印してくださいました。

さあ、これでこの日の札所は終了です。55番札所を参拝しましたたので、ようやく8分の5が終わったということになります。8分の3の33番札所から8分の4の44番札所までは12日間もかかりましたが、44番札所から55番札所までは3日で来れています。

納経所を出た段階でまだ15時前で、次の泰山寺までは3.1kmしか離れていないため、十分参拝できます。しかし、そこまで行ってしまうとこの日のホテルまでまた戻ってこないといけません。この日は、南光坊から南東に900メートルの今治国際ホテルに泊まる予定でした。

もともとの計画ではたかのこのホテルから北条までバスで移動し、そこから出発する予定でした。予定を変更したことによって、北条からの出発時間が計画より2時間近く早くなったわけです。そのため、日程に余裕ができたということでした。

まあ早めにホテルに入って休養する分には問題ありません。もう直接ホテルに向かいましょう。

55番札所南光坊から今治国際ホテルまで

55番札所南光坊を14時55分ごろに出発して、今治国際ホテルには15時10分ごろに到着しました。結構時間がかかっていますが、途中の信号がかなり長かったことが影響していると思います。

南光坊納経所から、遍路道の案内標識に従って南東方面に出ました。この後も道標がつづいていきますが、私は次の56番札所泰山寺ではなく、今治国際ホテルを目指します。そこで、道標を無視して国道317号線に出ました。

角にファミリーマートがある大きな交差点の信号が少しややこしく、順番的に次は青だと思ったところで一歩踏み出しかけます。ところが、こちらが青ではなく、私の前を横切る車の方が青になったのでした。白い軽トラックが停まっていましたが、ものすごく警笛をビーっと鳴らして走り去っていきました。だいたいこのような度量の狭い人間はおじさんと相場が決まっています。案の定そうでした。

走って追いかけてやろうかと思いましたが、こちらはすでに30km近く歩いてきてかなりハンデがあります。やめました。

しかし、同じ警笛を鳴らすにしても鳴らし方があると思います。プッと軽く鳴らせば分かることです。あんなに躍起になって警笛を鳴らすというのは、ちょっと人間としてどうなのでしょう。お遍路のことを快く思っておられないのかもしれませんが、それにしても神経を疑います。水溜まりの水をかけられることも多かったですが、車のマナーというのは今回のお遍路において悩まされた問題の一つですね。

私が歩き遍路で学んだことの一つが、歩行者は交通弱者であり、保護されるべき対象であるということです。それゆえ、大阪に帰ってから私の運転マナーは劇的に変わりました。横断歩道など、かなり注意を払って運転しています。

もう1箇所大きな交差点がありましたが、その名前がユニークでした。「ドンドビ交差点」と言うのです。今治市産業部営業戦略課が発行している『今治スタイル Vol.4』*4によると、漢字では「呑吐樋」と書くそうで、外堀の水位を調整するために金星川の水を呑んだり吐いたりする樋(※水門)から来ているそうです。

外から来た私たちが驚くのは当然ですが、地元の人は由来をきちんと分かっておられるのでしょうか。

「ドンドビ交差点」を過ぎると、右側に立派な建物が見えてきました。まさかあれが今治国際ホテルなんだろうかと、予想外の立派さにちょっとビビります。ここで15時7分でした。

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※今治国際ホテル?

やはり、私が泊まる今治国際ホテルでした。相当立派なホテルです。

15時10分ごろ、今治国際ホテルに到着しました。正面まで行けばよかったのに、なぜか姫宮2号線で曲がってしまい、北西側の入口から建物に入ってしまいました。建物内にもいくつも高級なテナントが入っており、かなり格式の高いホテルのようです。

ようやくフロントにたどり着きます。さすがに対応もスマートで、きちんとしておられます。すぐに手続きをしてくださいました。

歩きを終えて

まずは部屋に入ります。部屋は広いです。ここはシングルルームのないホテルですので、私が泊まるのもモデレートダブルです。めちゃくちゃゆったりとしています。

とりあえずまずはトイレを済ませ、荷物を整理しました。

時間が結構早いので、まずは大浴場に行くことにします。3階に大浴場があるのですが、4階にはプールやジムもあります。私がこの旅で泊まったホテルの中では、最もグレードが高いホテルだったように思います。

大浴場でもさすがのサービスです。コロナ禍以前から私が気になっていたのが、「大浴場で人のスリッパを間違えて履いて帰る奴がいる問題」です。増してやコロナ禍では、この問題は余計に深刻となっています。間違えて履いて帰られてしまった場合、誰のものか分からないスリッパを履いて帰るしかないわけですから。

そこで私は、こういった大浴場では、自分のスリッパをわざわざひっくり返し、棚の一番取りにくいところに置くようにしています。それでも間違えて履いて帰る奴がいたときには、もう呆れかえって開いた口が塞がりませんでしたが。

しかしこのホテルでは、そういった間違いを防ぐために、スリッパに番号をつけてキープしておいてくれるのです。これならば間違えることはありませんし、安心安全です。しかもこういった作業をすべて従業員の方がやってくださいます。さすがのクオリティでした。

また、脱衣所でも清掃スタッフがかなり頻繁にチェックしてくださいます。ホテルリビエラししくいでは脱衣所にゴミが落ちていて放置されていた、ということをすでに書きましたが、今治国際ホテルではそういった心配もありませんでした。完璧なサービスです。

大浴場は開いたばかりだったのですが、常連さんと思しきおじいさんたちが何人かいらっしゃいました。しかし空いていたので、かなり快適に過ごせました。

さて、夕食です。お腹の調子が悪いので、あまりガッツリとしたものは食べられません。そこで。ホテルから南東に130メートルほどのところにある、丸亀製麺今治で食べました。確かきつねうどんにしたと思います。サクっと食べてホテルに戻りました。

このホテルは高級ホテルなので、ランドリーサービスはありますがランドリールームはありません。それはもともと分かっていたことですので、この日は洗濯なしです。かなり休養に専念できました。

翌日はまた4か寺打ちます。58番札所の仙遊寺は山寺でもありますし、西条市まで移動しなければなりません。予習を済ませて、早めに就寝しました。この旅では、もうやることがなくなれば21時ごろにも就寝しています。

歩き遍路振り返りデータ

歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。ただ、この辺りでは雨天が続いており、1日3~4本の消費に減っていたと思います。

札所情報

札所:2か寺

納経代:600円

大師納経代:600円

宿情報

今治国際ホテル

モデレートダブル(禁煙)

宿泊費:9,150円

室内に冷蔵庫・バス・トイレあり

WiFiあり

大浴場あり。温泉

洗濯機・乾燥機なし

アクセス:JR「今治駅」から徒歩10分

コンビニ:徒歩5分

これぞ真の3つ星ホテルという感じ。部屋も広く、キレイである。スタッフの対応もさすがとしか言いようがない。この旅で宿泊したホテルの中では最高級。しかし値段は最も高かったわけではない(※宿泊日によると思いますが)。今治に宿泊することがあれば、絶対にまた泊まりたい

バス情報

行き:なし

帰り:なし

距離と歩数

ASUS VivoWatch BP(HC-A04)

カロリー:2,117kcal

距離  :30.8km

歩数  :44,466歩

スマホアプリ

歩数  :49,238歩

 

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最終更新:2022.1.25