西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 歩き遍路 35日目(2021.8.24) 68番~75番札所 かんぽの宿 観音寺~善通寺 いろは会館

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75番善通寺

香川県に入ってから札所ラッシュとなり、この日は7か寺打ってから75番札所の善通寺の宿坊に泊まります。果たしてこの無謀とも言える計画が実行できたのか、四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、35日目のレポートです!

歩き遍路 35日目 かんぽの宿 観音寺から善通寺 いろは会館まで

歩き遍路35日目、8月24日(火)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。

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いよいよ結願まであと4日となったこの日は、33km以上歩き、さらに7か寺の札所を打つ予定です。この旅のなかで、一番厳しい計画になっていました。ということで、4時に起床して準備を整えます。
食事は前日にコンビニに行けなかったこともあり、ちょっとさもしいですが余っていたスナックパンとお菓子でしのぎました。どこかでまた早めに何か食べた方がよさそうですね。

かんぽの宿 観音寺から68番札所神恵院・69番札所観音寺まで

6時5分ごろにかんぽの宿 観音寺を出発して、68番札所神恵院に到着したのは7時9分でした。Googleマップよりも速いペースで来ていますが、この日はやはり気が急いていたのだと思います。

チェックアウトしようと思い、6時にフロントに行きました。発送してもらう荷物には、すでに伝票も取り付け済みです。

ところが、ここで予想外のことが起こりました。フロントにどなたもいらっしゃらなかったのです。

これまでも6時にチェックアウトしたホテルはありましたが、フロントは普通に対応してくださっていました。どなたもいない、というのはちょっと思ってもいなかったです。

「ただいまの時間、ご用の方はこちらの内線にお電話ください」ということが書いてあったので、その番号にかけてみます。年配の男性が出られました。どうやら宿直担当か何かの方のようです。

お金は支払っていること、荷物の発送の件もお願いしていることを伝えますが、どうも要領を得ません。そうこうしているうちに、フロントの奥から別の男性スタッフの方が出てこられたので、チェックアウトをお願いしました。そうすると、大丈夫です、とのことでした。

ところが、これで出発できると思った矢先、先程の宿直担当らしき年配の男性がフロントにまで出てこられ、荷物の件があるから6時半まで待ってもらうように言われている、などとおっしゃいます。

そんな話は私は聞いておりませんし、何時以前にはチェックアウトできないという話も聞いておりません。それに、先程別の男性スタッフの方がチェックアウトして大丈夫です、と言ってくださったばかりです。

この男性、おそらく郵便局が国営だった時代からのスタッフで、定年になったのでパートタイムで宿直などをしておられるのでしょう。しかし、定年まで勤めあげたという実績とプライドがあるためか、自分のやり方から譲歩したり改善したりするのができないのだと思います。

6時半にスタッフが来るから待つように、私に言います。私がそんな余裕はありません、と伝えると、電話して聞いてみるから待っておくように言い、奥に入っていきました。

仕方がありません。電話して聞いてみるとまで言ってくれているのですから、こちらもあまり無下にはできないでしょう。ソファに座って、待つことにしました。

しかし、5分ほど待っても奥から出てくる様子すらありません。つながらないならつながらないでそう言ってくれればいいのですが、何も音沙汰がありませんでした。

ついに私の堪忍袋の緒が切れます。荷物は発送されなくてもいいので、もう出発することにしました。何しろこの日は7か寺の札所を打ち、33km以上歩かなければならないのです。

また、この日泊まる善通寺の宿坊からは、17時までには到着して欲しい、と言われていました。

というわけで、荷物をフロント前に放置して出発します。駐車場を抜け、坂をぐんぐんと下り、前日に通った道路まで出ていきました。

道路りに出たら左に曲がります。290メートルほど歩くと、ミニストップ観音寺池之尻店が出てきました。中に入ります。

ミニストップで、パンとビスケット、飲み物を購入しました。この日からクーラーバッグも復活してカバンの中に入っています。一方で、カッパはお役御免となっていました。ようやく天候が回復してきたのです。

ミニストップからは、同じ道を900メートルほど北西に向かって進みます。赤土池を突っ切ると、やがて県道6号込野観音寺線に出ました。ここからは、この道をひたすら進んでいきます。

350メートルほど進むと、国道11号線にぶち当たりました。東側の角に四国の道の道標があります。ここは国道を横切って直進です。

さらに1.8kmほど進むと、一の谷川に出ました。川にかかる明治橋を渡ります。橋を渡った正面に、三宅産業という会社がありますが、そこが休憩所を設けてくださっていました。ここで6時50分です。

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※三宅産業の休憩所

私が住んでいる北摂では、「太陽光はゴウダ(郷田)、蓄電池はゴウダ」と歌うCMが流れていますが、香川では「太陽光はミヤケ(三宅)、蓄電池はミヤケ」なのでしょう。

橋を渡ったところはT字路になっているので、左に進みました。ところが道はすぐに二又になっていて、遍路道の案内標識がありますが、とても曖昧な感じになっています。

もしかすると左の川沿いの道の方が遍路道なのかもしれませんが、四国遍路 聖地巡礼のマップ*1では右側の方が正しい遍路道とされています。

まあ、私はGoogleマップに表示される最短ルートを進むのみです。右側の道を進んでいくことにしました。

右側の道を900メートルほど進んでいきます。右側に観音寺信用金庫の大きな建物が出てきたところの、信号のある交差点を右に曲がりましょう。県道21号線に入って北上する感じです。

150メートルほど進むと、財田川という大きな川に出ました。三架橋という大きな橋を渡っていきます。7時3分でした。

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※三架橋

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※三架橋から下流を望む

三架橋を渡ると、左の琴弾八幡宮の方に少し進みます。

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※琴弾八幡宮

そこから、八幡宮の敷地に沿って北へ向かっていきます。八幡宮の敷地の北側には、総持寺というお寺がありました。ここで7時7分です。

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※総持寺

私の住んでいる家から歩いて30分くらいのところに、西国三十三所第二十二番の総持寺がありますが、同名のお寺ですね。

最後は、総持寺のものと思われる墓地の外周を左に曲がり、山門の前に出ました。

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※山門

7時9分、山門に到着です。

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※山門

分かりにくいと思いますが、山門の右側には「四国第六十八・六十九番霊場」と、左側には「七宝山 観音寺 神恵院」と書いてあります。そうです、ここは68番札所神恵院と69番札所観音寺が併設されているんですね。それゆえ、両寺院ともに山号は「七宝山」となっており、納経所も一つにまとめられています。

こうなったのは、元々神恵院琴弾八幡宮の中にあった札所であったことに起因しています。明治時代の神仏分離令により、神恵院琴弾八幡宮から弾かれてしまい、この観音寺の敷地に間借りすることになった、というわけです。

山門をくぐり、石段を少し登って本堂のあるレベルに行きました。68番札所も69番札所も同じレベルにあるので、どの建物がどちらのものか、かなりややこしいです。境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*2をご覧ください。

石段を登った左側が、基本的には68番札所神恵院の建物です。まずはベンチで参拝の準備を整えました。

本堂はコンクリートの箱の中にあります。

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※神恵院本堂を覆うコンクリートの建物

中に入ると、2階部分が本堂になっています。

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※神恵院本堂

ここはホールのようになっているため、声が響いて読経のし甲斐があります。納経を済ませました。

もしかするとこの1階部分は何かの遺跡になっていて、保護するためにこのようになっているのかもしれません。あくまで私の勘ですが。

大師堂は、本堂の左側にあります。

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※神恵院大師堂

大師堂でも納経を済ませました。

前年に車遍路した際、まとめて記帳・押印していただけたということを知っていたので、今回は先に観音寺も参拝してしまいます。右奥のゾーンに行きました。

本堂は一番奥にあります。

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※観音寺本堂

本堂納経を済ませました。

この本堂室町時代の部材を残し、江戸時代中期に建立されたそうで、国指定の重要文化財となっています。境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*3をご覧ください。

つづいて、大師堂納経をします。

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※観音寺大師堂

色で区別すると朱塗りの建物が観音寺ですね。

これで両寺院の参拝は終了しましたので、統一納経所で記帳・押印していただきます。若めのお坊さまが、やってくださいました。

ここで、前年の心残りだったことについてお坊さまにおうかがいします。何かと言うと、この山の上から望める銭形砂絵を見ておきたかったのです。

銭形砂絵とは、山の上から望むことができる大きな砂絵です。文字どおり銭形をしているので、銭形砂絵と呼ばれているのです。前年に車遍路で来た際には、どこのお寺にあったのか忘れていて、拝むことができませんでした。

ということで、お坊さまに行き方とどれくらい時間がかかるかうかがいました。すると、このお寺の敷地を抜けて車道に出るということと、5~10分で行けるということを教えてくださいました。

15分くらいまでなら許容範囲かなと思っていましたが、5~10分ならば行くしかないでしょう。

早速、お寺の敷地を北側に抜けて車道に出て、山を登っていきます。確かに時間はそれほどかかりませんが、傾斜は結構キツイです。ヒイヒイ言いながら登っていきました。

7時40分ごろ、象ヶ鼻岩銭形展望台に到着しました。先客に地元の方らしきおじいさんもおられました。少し、言葉を交わします。この方も例にもれず、大変だねえと労ってくださったのですが、「まあ好きでやってますので」と答えておきました。真面目に仕事を頑張っている人からすれば、本当に自己満足で生産性のないことをやっているわけですからね。

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※銭形とその周辺

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※銭形のアップ

「寛永通宝」という江戸時代のお金を模して作られています。藩主の来訪を歓迎するために、領民が作ったという謂れがある、とのことです。この銭形を見ると健康で長生きし、お金に苦労しないという言い伝えがあるそうです。

実際、2021年の私は非常勤講師ながらお金に苦労せずに一年間健康に過ごすことができました。株でも少々利益が出ましたし、年末ジャンボ宝くじも当たってしまいました。なお、当たったのは3,000円分購入して3,300円ですが。しかし、300円、つまり1割増えていますので、スゴイと言えばスゴイです。

さあ、お寺に戻って次の70番札所本山寺を目指しましょう。まずは、山を下って観音寺に戻ります。

お寺から車道の方を降りていくと、古い道標のようなものが出てきました。

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※古い道標

「左さい古く道」と書いてあるように思います。実はこの観音寺には、西国三十三所のミニ巡礼があるので、それを示しているのでしょう。

7時49分、駐車場まで戻ってきました。

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※神恵院・観音寺駐車場

では、次の本山寺に向けて出発します。

68番札所神恵院・69番札所観音寺から70番札所本山寺まで

7時49分ごろに69番札所観音寺を出発して、70番札所本山寺には8時39分に到着しました。約5kmを50分ということで、ここもGoogleマップよりかなり速いペースで来ています。

駐車場から下っていくと第2駐車場が出てきますが、その前をさらに直進していきます。来たときは南から来ましたが、今度は東の方に進んでいく感じです。一つ目の信号を渡ると、四国の道の道標がありました。

この信号からは190メートルほど南東に進んでいきます。県道21号丸亀詫間豊浜線にぶち当たるので、そこを左折です。案内標識もありました。

この後、財田川沿いの県道21号線を東北東方面に向けて進んでいくことになります。

この道は歩道が左側、つまり北側にしかありません。8時前ということで通勤や通学の車も多くなってきていました。

450メートルほど進んだところに、大小路橋という小さな橋がありました。おそらくそこを渡ろうと思っているのでしょう、自転車に乗ったキリッとした女子校生が車が途切れるのを待っています。歩道が北側にしかないのに、横断歩道はありません。ですから、女子校生も車が停まってくれずに困っているようでした。

これも行政の不備ですね。道路行政の担当者には、一度自分の足で隈なく歩いてみることをお勧めします。どこにどのような問題があるかは、歩いて体験してみないと分からないでしょう。

大小路橋から850メートルほど進むと、一時的に歩道がなくなってしまいました。仕方なく、歩道がないところを歩いていきます。交通量は多いので、ちょっと要注意です。

歩道がないところを歩き始めてすぐに、「天空の鳥居」の案内板が出てきました。ここで8時9分です。

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※「天空の鳥居」案内板

おそらく高屋神社のことだと思うのですが、「1km先 丁字路を左折」というのがちょっとよく分かりません。

ここを過ぎると、歩道はすぐに復活しました。どうやら歩行者は左脇の下の道を通るべきだったようです。そして、上の案内板がある手前の信号の交差点から、道は県道49号観音寺善通寺線となりました。

信号のところから、800メートルほど進んでいきます。左にかなくま餅福田というお店が出てきました。

ここを通り過ぎるとすぐに、右側に小さな橋が出てきます。財田川の支流の橋です。コンクリート製のこの小さな橋を渡りました。本山寺への案内標識も出ています。

橋を渡ると、すぐ左です。道が二又に分かれていますが、右側の道、財田川の堤防らしき道を歩いていきます。この道を1.8kmほど進むと、本山寺山門の前に出ます。

堤防を歩き始めて240メートルほど歩いたところで、左側を見て写真を撮りました。8時23分です。

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※堤防からの景色

上の写真から2分後、堤防の道を撮影しました。

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※堤防の道

さらに5分後、JR予讃線の線路が出てきました。ここは、右から下をくぐっていきます。

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※JR予讃線の線路が見える

このような細い道でもあり、車はもちろん通りませんし、人や自転車も滅多に通りません。このJR予讃線の辺りを歩いていると後ろから挨拶されたので、びっくりしてしまいました。私より歩きの速い人がいて、追い抜いていったのです。

道は、最後は住宅地の中に入っていくような形になり、少しだけ曲がります。

8時39分、70番札所本山寺山門前に到着しました。

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※山門

私は山門と書いていますが、お寺的には仁王門と呼んでいるのですね。

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※仁王門

駐車場は、仁王門の手前左側に道路を挟んで広がっています。10台以上停められたと思います。

仁王門をくぐり、中に入ります。前年に車遍路で来た際には、五重塔が修復中で幕に覆われていましたが、今回はきちんと見ることができました。

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※五重塔

本堂の手前のベンチで、参拝の準備を整えました。私が準備をしていると、2人の歩き遍路らしき方々がやって来られました。遠目には大学生か何かかなと思い、若い人が頑張っている姿に励まされます。

準備を終えた私も本堂に行き、彼らの後に納経をしました。

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※本堂

なお、本堂鎌倉時代後期の正安2(1300)年の建立だそうで、国宝に指定されています。以前のレポートで52番札所の太山寺本堂がやはり国宝で四国霊場中2番目に古いと紹介させていただきましたが、最古の本堂はどうやらここのようですね。太山寺よりも、5年古いです。

また、このお寺のご本尊は四国八十八ヶ所霊場で唯一の馬頭観音となっています。それゆえ、境内には馬のオブジェもありました。

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※馬のオブジェ

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*4をご覧ください。

つづいて、本堂の右側にある大師堂納経をします。

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※大師堂

納経を終え、納経所へと向かいました。納経所本堂からさらに奥に進み、小さな門をくぐって行かないといけません。要するに本坊の中にあるということですね。

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※納経所入口

納経所には、先程の2人が先に来られていました。どうやらよく見ると大学生2人組ではなく親子のようでした。子どもの方が記帳・押印してもらっている間に、父親の方と少し話をしました。区切り打ちで、歩いているとのことでした。

私の番になり、彼らは出発していきました。この後、次のお寺以降では彼らとお会いすることはありませんでした。どこかで、昼食をきちんと食べていたのでしょう。

納経所はおばさんだったと思います。念のため、次の弥谷寺までの道を聞いておきました。仁王門からではなく、東門から出た方がよいそうです。

ということで、荷物の整理をして、次の71番札所弥谷寺を目指します。

70番札所本山寺から71番札所弥谷寺まで

9時4分ごろに70番札所本山寺を出発して、71番札所弥谷寺に到着したのは11時22分でした。ここもGoogleマップより少し早いペースで進んでいますね。この日はかなり頑張っています。

17時までに75番札所善通寺宿坊いろは会館に到着するためには、何となく次の71番札所弥谷寺が鍵を握っているように思っていました。71番から72番・73番まで、73番から74番まで、74番から75番までを移動と参拝時間を含めて1時間半ずつくらいでクリアするとすると、12時半には71番弥谷寺を出たいところです。なお、72番と73番はかなり近いので、ここではセットにしています。

というわけで、9時4分に70番札所本山寺東門大門)をくぐり、出発しました。

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※本山寺東門 外側から撮影

門を出たらすぐに左折です。道はくねくねと曲がりながらも一本道で、450メートルほど進むと国道11号線に出ました。ここからは、国道を歩いていきます。

国道に出て少し進むとゆめタウン三豊が出てきました。飲み物の自動販売機などありそうでしたが、駐車場が広くて無駄に歩くことになるので、ここはパスして進みます。

ゆめタウンから5km進んだところに、ヘンロ小屋がありました。「白井眼科」というバス停のある、白井病院のところです。

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※ヘンロ小屋

ここで10時18分でした。ちょっとペースが落ちたかもしれません。

字がかすれていて、第何号かちょっと分からないですね。休憩しないスタイルの私は、無視しました。

ここからは、1.4kmほど先にあるラーメン大学高瀬店の辺りから1本西側の道に入っていくことにしていました。Googleマップがそのように指示していたからです。

ところが、実際にはラーメン大学の500メートルほど手前で、国道を通れなくなってしまいました。歩道が工事していたのです。

仕方なく、ここから左に入りました。まあ、いずれにせよ1本西側の道に行くためには、どこかで左に入らなければならなかったので、大きな問題ではありません。

左に入って150メートルほど進むと、道が二又に分かれています。これは想定外でしたが、ここには古い道標も四国の道の道標もあり、左を示しています。左の道に入りました。

入った先の道は車の離合もできないような細い道ですが、一応県道221号宮尾高瀬線となっています。またしばらくは何も考えずに歩いていきました。

遠くに山が見えますが、おそらくそれが弥谷寺のある山だと思います。山の中腹に建物が見えるのですが、その屋根の感じは前年に車遍路で見たことがありました。道の駅 ふれあいパークみのの建物だったはずです。結構遠いなあとイヤになってきます。

1.3kmほど進むと、左側に七宝屋が出てきました。10時45分です。

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※七宝屋

Hostelと書いてありますが、何というかバックパッカーハウスのようなドミトリーのようなお宿のようです。1泊3,500円ですから、安いですね。

これは聞いた話ですが、外国人の歩き遍路の方が一番困るのが宿の高さだそうですね。たいていの遍路宿は朝・夕食付で5,000円から6,000円なので安いように思いますが、サンティアゴ=デ=コンポステーラの巡礼路だと1泊数ユーロで泊まれるらしいです。1,000円かからないくらいということですよね。それから考えると、確かに高いです。あくまで伝聞なので、参考程度に留めておいてください。

ここには道標もあります。弥谷寺まで2.5kmだったと思います。

この後、550メートルほど進んだところの十字路を、右に曲がりました。曲がる手前には道標もありますし、案内標識もありました。

右に曲がって100メートルほど進んだところが、落合大師堂です。10時53分でした。

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※落合大師堂

おまるではないと思いますが、白鳥のような鳥のオブジェがあります。謎ですね。

落合大師堂から850メートルほど北上します。弥谷寺石柱が出てきました。昔はここまでが境内だったのでしょうか。11時3分です。

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※弥谷寺石柱

この後、遍路道はすぐに県道48号線を横切りますが、さらにもう1本北側の道に出たところで、斜め左に登っていくようになります。四国の道の道標はありました。

ここまでもジワジワと登ってきていましたが、ここからは一段と登りがキツくなっていきます。90メートルほど進むと、2車線の大きな道に合流しました。弥谷寺まで行く場合の、車道です。

120メートルほど登っていくと、歩道がなくなってしまい、左に脇道が現れました。歩行者は脇道を進むべきなのでしょう。私はあまり気にしないのですが、右の車道の方が傾斜がキツかったので、左の脇道に入ってしまいました。

脇道に入ってすぐのところに、八丁目大師堂がありました。11時8分です。

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※八丁目大師堂

こちらの道は完全に山の中を通る道になります。毛虫が心配でしたが、幸いあまりいなかったように思います。

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※山道

傾斜が緩やかだと思ってこちらの道を選んだのですが、よく考えればどちらも同じところに出るはずです。つまり、先にキツイのがあるか、後にキツイのがあるかの違いだけですよね。

しかしこの山は四国八十八ヶ所のミニ巡礼にもなっているようです。とりあえず、第拾番の切幡寺の写真を載せておきます。ここで11時12分でした。

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※第拾番 切幡寺のご本尊の写し

驚いたのは、こんな山道の中に割と立派なお家があったことです。お寺関係の方なのでしょうか。

山道を抜け、車道に合流しました。左側が道の駅 ふれあいパークみのです。出てすぐのところにトイレがあったので、お借りしました。

トイレから右上に上がっていくと、弥谷寺です。

入口に境内案内図がありました。

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※境内案内図

そこから上がっていくと、駐車場になります。

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※弥谷寺駐車場案内板

右に平面駐車場があります。直進すると、坂のところに車を停めることになります。

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※駐車場入口

私は直進して、坂の駐車場の方に進みました。登り口もそちらにあります。自動販売機があったので、飲み物を購入しました。ここで11時16分です。

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※弥谷寺登り口手前

上の写真で奥の右が登り口となっています。そして、前年までなかったように思うのが裏参道です。写真にある案内板には、「裏参道 有料道路(マイクロ以下通行可・普通車優先)」と書いてあります。

私の前年の車遍路の際の記憶では、ここから有料のマイクロバスに乗って、山上の伽藍まで行けたはずです。それがマイクロバスをやめて普通車の通行も可能になった、ということなのでしょうか。すると、山上にも駐車場があるはずですね。この日は時間がなくその辺まではリサーチできなかったので、また後日訪問してみたいと思います。

私は登り口まで進んでいきます。少し休憩したので、11時21分になっていました。

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※弥谷寺登り口

「昇運の石段 五四〇余」と書いてあります。ここからは石段がキツイわけです。

最初の石段を上がると、道が左右に分かれています。今は左に登ることになります。

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※曼荼羅寺道との分岐点

少し進むと、昔はにぎわっていたんだろうなという建物の跡が出てきました。俳句茶屋と書いてあります。

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※俳句茶屋の廃墟

ここから藤棚のようなところをくぐって少し進むと、山門に出ます。

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※山門

この山門のところで、上から降りてきた老夫婦とすれ違いました。私があまりにもフウフウ言っているので、おじいさんは若いのに情けないというような感じで笑っていました。イヤイヤ、私はすでに20km近く歩いた上で登っているんですよ。まったく、人間というのはどうしても、自分の器でしか人を測ることができないのですよね。私が歩き遍路だということは、おじいさんには想像だにできなかったようです。

途中、観音像があるところがちょっとした踊り場のような感じになっています。そこまで来ると、上から小さな女の子を連れた母親が降りてこられました。小さな女の子にはこのお寺は結構キツイと思います。

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※観音像

最後は、究極の階段が待っています。百八階段です。

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※百八階段

横の説明板には、百八という数字には三つの意味があると書かれています。

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※百八階段の説明板

百八階段を登ると、ようやく本坊大師堂などがある伽藍のレベルにまで到達しました。しかし、本堂はまだもう少し上です。伽藍の案内図がありましたので、載せておきます。ここで11時29分でした。登り口から8分かかっています。

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※伽藍の案内図

「もう少し」と書きましたが、意外と上でした。こんな感じの石段を上がっていった最上部が本堂です。

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※本堂までの石段

しかし、この本堂までの石段のところでは貴重な摩崖仏を見ることができます。

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※阿弥陀三尊摩崖仏

脇侍二尊が風化していますが、阿弥陀さまははっきりとお顔を見ることができます。境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*5をご覧ください。

11時37分、本堂まで登ってきました。写真を撮っていたとはいえ、登り口から16分ほどかかっていますね。大師堂からでも8分です。

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※本堂

本堂前のベンチで、参拝の準備を整えました。すぐに納経をします。

それにしても、本堂のレベルからは絶景が広がっていました。

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※本堂からの景色

つづいて、下のレベルの大師堂を目指します。

大師堂獅子の岩屋を守るような形で建てられており、靴を脱いで中に入ることができます。

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※大師堂

私も靴を脱いで、中に入りました。他にはどなたもいらっしゃいませんでした。

とりあえず、先に大師堂ご本尊納経を済ませます。参拝者が他にいないので、正座して声を出して読経することができました。

大師堂の一番奥が、獅子の岩屋になっています。何でも、弘法大師が7歳のころに学問にはげみ、その後再び入山したときに真言密教の修行をした場所だと伝えられているそうです。納経を済ませた後、岩屋も参拝しました。

納経所はこの大師堂の中にあります。おじさんとお坊さまがいらっしゃったのですが、お坊さまは新聞からまったく目を離さなかったので、おじさんに書いていただきます。

この後の道も教えていただきました。私はあまり山道を好まないのですが、ここから曼荼羅寺へと向かう道は「曼荼羅寺道」と呼ばれ、国指定史跡讃岐遍路道となっています。香川県に入ってからは山道がそれほど荒れていなかったので、せっかくだし通って見ようと思っていました。

おじさんは私が持っている四国遍路 聖地巡礼のマップ*6を下さり、道の説明をしてくださいました。私は自分で印刷したのでペラペラの紙ですが、下さったのはビニールでコーティングされたいい厚紙です。こういう形で配布されていたんですね。それにしても、それを下さるとはなかなか気前がいいと思います。

これで弥谷寺の参拝は終了です。12時半ごろ出ればいいかと思っていましたが、この段階でまだ12時ごろでした。ちょっと余裕があったのと、お腹が減っていたので、少し休憩することにします。

大師堂から降りたところにある、ベンチでスナックパンをかじりました。この後、トイレに行こうと思ったのですが、トイレは崖の上にせり出した建物の下の階にあるようで、鉄のボロイ階段を降りていかなければなりません。しかも、少し降りてみるとクモの巣が行く手をはばんでいます。あきらめることにしました。

そこから登り口の近くにあった曼荼羅寺道との分岐点まで降りていきます。12時18分ごろにはそこに到着しました。

71番札所弥谷寺から72番札所曼荼羅寺まで

12時18分ごろに71番札所弥谷寺を出発して、72番札所曼荼羅寺には13時6分に到着しました。なお、私が通った曼荼羅寺道はGoogleマップでは表示されないため、1枚目の地図は実際のルートではありません。2枚目のマップは曼荼羅寺道の出口から曼荼羅寺までのルートを示していて、こちらは実際のルートと同じとなっています。

曼荼羅寺道は、最初は平坦でしたがすぐにアップダウンが出てきました。納経所のおじさんのお話では900メートルということでしたので、頑張って進みます。

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※曼荼羅寺道の様子1

上の写真から2分ほど進んだところは、倒れた竹で道が塞がれていました。

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※竹が道を塞いでいる

よく見ると丁石のような石仏もあります。竹に気をとられて、きちんと見ていなかったように思います。

また、クモの巣のトラップも随所にありました。つまり、私の他には誰も通っていないということでしょう。身をかがめて慎重に進んでいきます。

下りは結構急な下り坂で、冷や汗をかきながら降りていきました。横峰寺からの下りの悪夢が頭をよぎります。とにかくいろいろな意味で慎重に進ました。

しかし山道の900メートルは長いですね。最後は左に池を見ながら進み、舗装された道に出ました。ここで12時36分です。

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※曼荼羅寺道の終点

うーん、900メートルを18分くらいかかっているわけですね。時速にすると3kmくらいになってしまいます。遅いですね。

ここからは挽回しましょう。曼荼羅寺道の終点にある案内標識のとおりに、右に曲がります。すると、少しだけ登ってから、どんどん下っていく感じになります。そのまま下っていき、高松自動車道の高架下をくぐって東側に出ました。

東側に出ると、T字路になっているので、すぐに左折です。かなり細い道を、高松自動車道に沿って北東方向に進んでいきました。

すぐに出てくる上池の北側を回ります。ちょっと下っていて、そこには鳥坂の大地蔵がありました。

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※鳥坂の大地蔵

うーん、大地蔵というほどではありませんね。何かで読みましたが、大仏というのはお釈迦さまの身長として伝わっている、一丈六尺(※いわゆる丈六)の大きさを超える仏像を呼ぶそうです。この一丈六尺というのは中国と日本、また時代によって長さが違いますので、一概に言えないのですが、約4.65メートルというのが現代日本での定説になっています。

この後、上池と大池の間を、南東に進んでいきます。そこからはちょっと登りになっていき、国道11号線に合流しました。  

国道11号線に出たら、400メートルほど国道を進みます。すると右側に県道48号線が分岐してくるので、そちらに入りました。入ってすぐのところに休憩所がありますが、あまりにも木で覆われ過ぎているので無視して進みました。

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※写真左端にあるのが休憩所の四阿 木で覆われ過ぎている

県道48号線を170メートルほど進むと、右手に道が分岐していて、中務茂兵衛の石碑があります。そこを右に入りました。

後は、道がくねくねとしていますが、基本的に道なりに進んでいくだけです。案内標識や道標も随所にあるので、迷うことはないでしょう。

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※途中の案内標識

中務茂兵衛の石碑から650メートルほど進むと、73番札所出釈迦寺との分岐点が出てきました。出釈迦寺は右、曼荼羅寺は左奥です。ちなみにここにも中務茂兵衛の石碑があるのですが、私はどちらも注視しておりませんので、どんなことが書いてあったかは分かりません。

最後は左奥の方、いつやっているのか分からないさぬきうどんのお店の前を下っていけば、曼荼羅寺です。

さぬきうどんのお店のすぐ裏手に曼荼羅寺の小さな駐車場があり、そこから境内へと降りていくこともできます。しかし、私はもう少し下って、山門の方へと進みました。

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※曼荼羅寺駐車場

下っていくと、広い駐車場に出ます。写真の左上の道を下ってきました。

駐車場の右側に、山門があります。13時6分、72番札所曼荼羅寺に到着しました。

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※山門

ここの仁王像も小さくて迫力がないですね。

中には、珍しい半跏のお地蔵さまがいらっしゃいました。

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※延命地蔵

先程の老夫婦が参拝しておられました。私はトイレに行ってから、前のベンチで準備を整えました。

まずは、本堂納経します。

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※本堂

つづいて、大師堂納経しました。

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※大師堂

境内には、笠松大師というものがあります。

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※笠松大師

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※不老松の碑と説明板

樹齢およそ1,200年の「笠松」という松がこのお寺にあったのですが、残念ながら2002年に松くい虫によって枯死してしまいました。そこでこの松の幹の部分で、一刀彫りの弘法大師像が作られました。「笠松」という名称は、菅笠を2つ伏せたような形だったことからそう呼ばれたそうです。弘法大師お手植えだったとも言われていて、往時はさぞや見事な松だったのでしょう。

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*7をご覧ください。

大師堂から納経所へ向かいました。納経所笠松大師の左側です。ちょっと記憶が曖昧ですが、おじさんに記帳・押印して頂いたと思います。

さて、次は73番出釈迦寺です。ここからだと近いので、笈摺おいずるを着たままで歩いていくことにしました。

72番札所曼荼羅寺から73番札所出釈迦寺まで

13時25分ごろに72番札所曼荼羅寺を出発して、73番札所出釈迦寺に到着したのは13時35分ごろでした。Googleマップとほぼ同じペースですね。

72番札所曼荼羅寺と73番札所出釈迦寺は500メートルほどしか離れていません。こういう近い札所はありがたいですね。

何となく私の感覚では山の方へと登っていくので、北に上がっていくものだと思っていました。しかしこうして改めて地図で見ると完全に南に進んでますね。

曼荼羅寺山門から150メートルほど、中務茂兵衛の碑のあったところまで戻ります。ここには72番曼荼羅寺が左奥、73番出釈迦寺が右と書いてある案内標識がありました。実は、出釈迦寺から74番の甲山寺へ行く際にもここを通るので、74番甲山寺を示す案内標識もあります。

とりあえず、まずは出釈迦寺を目指して山の方へと向かいます。下の写真で13時27分でした。

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※出釈迦寺への道

墓地の右側にある茶色い建物は吉原大師堂です。写真では、吉原大師堂から真上になぞっていくと山が窪んだところになりますが、そのすぐ左側に建物の屋根らしきものが見えます。あれが捨身ヶ嶽なのでしょう。

13時30分、参道の登り口まで到着しました。駐車場は、写真の左側になります。

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※参道登り口

しかし、参道は通行止めとなっています。何でも、傾斜が急な石段を緩やかなものに改修しているとのことです。「徒歩の方も矢印方向にお進みください」と書いてありますので、迂回するしかないようです。歩きにとっては、うへえー、という感じですね。

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※第一駐車場

第一駐車場を左に見ながら坂を登っていきます。この写真だと右側に緑の芝生が見えますが、そこの部分をぐるっと回って登っていかなければなりません。

私が登っていると、駐車場に停まった車から女性とゴールデンレトリバーらしき犬とが出てきて、散歩のために登っていきました。後を追いかける形になります。

しばらく登っていくと、お寺の裏側に着きました。隙間から、境内に入れます。女性と犬は、もっと登っていきました。

13時35分、境内に到着です。山門を裏から撮影しました。

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※山門背面

このお寺の境内はかなり小ぢんまりしています。この日参拝したお寺では一番小さかったと思います。ベンチがいっぱいありますので、荷物を置いて納経します。参拝者は他にはいらっしゃいませんでした。

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※本堂

由来は謎ですが、このお寺はお化けとのコラボ?に力を入れているようで、写真の右側に写っている提灯お化けや唐傘お化けなどが飾られていました。

まずは本堂納経しました。つづいて、大師堂です。

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※大師堂

霊場会で整備されたと思われる案内板のうち、古い方の小僧さんが、一つ目小僧になっています。いいんでしょうか。

納経が終わり、納経所へと行きます。その前に、本堂納経所の間に石段があったので登っていくと、捨身ヶ嶽の遥拝所がありました。

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※捨身ヶ嶽遥拝所

やはりあの建物が捨身ヶ嶽のお堂だったのですね。

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*8をご覧ください。

下に降りて、納経所へと行きました。ところが、納経所にはどなたもいらっしゃいません。困ったことに、呼び出し用のベルもありません。

扇風機がガンガンに回っていたので、とりあえず涼みます。結構写真が飾ってあって、テレビの企画で来たであろう鈴木福くんや、芥川賞作家のピース又吉直樹先生と加賀まりこさんの写真がありました。このお寺のご住職らしき男性が一緒に写っておられますが、和やかな笑顔を浮かべておられました。

写真をいろいろ眺めていると、しばらくしておじさんが納経所にやって来られました。どうやら写真に写っているご住職のようです。

しかし、「お待たせしました」という言葉もなく、無言で機械的に記帳・押印されます。こちらは負けてはいけないと思い、「ありがとうございました」と言いますが、それにも無言で、終わるとすぐに出ていってしまいました。写真での和やかな笑顔とは、正反対の対応です。

思うに、今回の歩き遍路での全八十八ヶ所霊場中で、このお寺の納経所が一番ひどかったように思います。メモにも「とても残念な人だった」とまで書いてあります。

ただ、以前62番札所宝寿寺のところでも書いたと思いますが、これくらい規模の小さなお寺は、納経所を維持していくのが大変なんですよね。ご住職も他にお仕事をかかえながら私一人のために仕事を中断して、記帳・押印してくださっているわけです。そう考えると、通り一遍の対応になるのも仕方がないですよね。

というように、ご住職に理解を示している点で私の方が仏道にかなっているように思います。以前にも書きましたが、すべての仏法者は、「無財の七施」の一つ「和顔施」を大事にした方がいいでしょう。

これで出釈迦寺での参拝が終わりました。次の甲山寺を目指します。

73番札所出釈迦寺から74番札所甲山寺まで

14時ちょうどに73番札所出釈迦寺を出発して、74番札所甲山寺には14時40分に到着しました。この辺はGoogleマップよりもちょっと遅くなってきています。

出釈迦寺を裏側から出ます。ぐるっと池の周りを回って下っていき、参道のところまで降りていきました。少し上がれるようになっていたので、せっかくなので山門の写真を撮っておきました。ここで14時ちょうどです。

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※出釈迦寺山門正面

結局通れないのはこの山門の前後だけだったので、ここからは参道を降りていきました。参道には、安産地蔵などもあります。

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※安産地蔵

参道を下り、道路に出て吉原大師堂の横を通り過ぎます。例の中務茂兵衛の碑のところまで戻りました。ここには甲山寺が右と示す案内標識が出ていますので、右に曲がります。曼荼羅寺へと戻っていく形です。

曼荼羅寺の駐車場ところまで戻ってくると、四国の道の道標があり、直進を示しています。そのまま直進していきます。

500メートルほど直進すると、T字路に出ます。そこを左に曲がりました。ここには道標はなく、遍路道の案内シールだけがあります。

左に曲がった先の道は、歩道が細いです。団地の建物の脇を110メートルほど進みました。

十字路に出ますが、そこには四国の道の道標があります。右折です。

右折したら290メートルほど直進していきます。ちょうど弘階池に向かっていく形です。その途中で、写真を撮っていました。

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※弘階池に向かう道

ここで14時15分でした。

弘階池の堤防に突き当たったところには、また四国の道の道標があります。道なりですが、左折しました。

道はこの後180メートルほど池の堤防に沿って進みます。進んだ先がまた道なりにカーブになっているので、左へと進んでいきました。

そこから120メートルで、県道48号線にぶち当たります。ここにも道標があり、県道を横断して、少しだけずれている道をそのまま北上していきました。

県道を渡ってから30メートルほどで、すぐまた右折です。ここにも四国の道の道標があります。この辺りは道標が多く、とても分かりやすい道でした。

この後は、道なりに850メートルほど進んでいきます。途中、道がやはりずれているところもありますが、基本的に直進です。

最後は小山の北側をぐるっとカーブを描き、T字路に出ました。ここにも四国の道の道標と古い道標があります。

ここで右に曲がってから80メートルほど進むと、甲山寺の裏口に出ました。ここで15時34分です。

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※甲山寺裏口

せっかくなので裏口から入ります。しかし、やはり山門には行っておかないといけません。

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※山門

中で準備をしたりトイレに行ったりしたので、山門前で写真を撮ったのが14時40分でした。駐車場は山門前に広がっています。結構な台数を停められます。

甲山寺もあまり意味のない中門があります。

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※中門

中門と書きましたが、こちらの方がオリジナルの山門なのかもしれません。境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*9をご覧ください。

私の前に、さんや袋だけ身に着けたカジュアルなお遍路おじさんがいらっしゃいました。しかし、一応ローソクなどはちゃんと立てています。その方が終わってから、私も本堂へ行きました。

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※本堂

本堂納経を済ませ、より高いところにある大師堂へと向かいます。

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※大師堂

大師堂でも納経を済ませました。

大師堂のさらに奥には、岩窟の毘沙門天がありました。

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※岩窟の毘沙門天

もともとは岩窟しかなく、弘法大師が石を割って彫ったとされる毘沙門天が祀られていたそうです。現在は、立派なお堂も併設されました。甲山寺の開山は、この岩窟が起源だということです。

納経所に向かいます。お坊さまが記帳・押印してくださいました。

納経所から出た後、トイレの前のベンチでこの後の作戦を考えました。朝早くから頑張った甲斐があって、15時過ぎには甲山寺を出発できそうです。

まずは念のため、善通寺宿坊いろは会館に電話をしておきました。今、甲山寺ですということを伝えたので、17時までには到着できるということを察していただけるでしょう。

6時からほぼ休みなしで動いていますし、お腹もかなり空いていました。せっかく香川県に来ているのですから、どこかで本場の讃岐うどんを食べたいところです。幸い、通り道に宮川製麺所といううどん屋さんがあります。そこに寄ることにしました。

いろいろ作戦を練っていると、30歳代くらいの女性2人組が通っていかれました。この日はどこのお寺も参拝者が少なかったですが、ここは意外と多かったように思います。

では、宮川製麺所経由で75番札所善通寺宿坊いろは会館を目指しましょう。

74番札所甲山寺から善通寺 いろは会館まで

15時5分ごろに74番札所甲山寺を出発して、いろは会館には15時45分ごろに到着しました。Googleマップよりも20分ほど時間がかかっていますが、これは宮川製麺所に寄っていた時間ということになります。

甲山寺を出発して、まずは四国の道の道標に従いコンクリートの橋を渡ります。

ここでちょっと憶えていないのが、橋を渡ってすぐ右折したか、少し先のT字路を右折したかです。T字路の方には四国の道の道標がありますが、どちらで曲がっても同じところに出ます。

合流地点から工場の方に進み、中谷川という川を渡りました。ちょっと橋の名前が不明瞭ですが、広田中谷橋と書いてあるように思います。

川を渡ったらすぐ左折で、川沿いにしばらく進んでいきます。工場では、フォークリフトで何か運んでおられる方がいました。

川沿いを300メートルほど進むと、またT字路のようになっています。右に曲がりました。

110メートルほど南下すれば、宮川製麺所です。思っていたよりも小さなお店でした。

時間的に15時過ぎという中途半端な時間なので、まずは中を覗いて「やってますか」と声をかけます。「やってますよ」ということだったので、中に入ることにします。菅笠お杖を外に立てかけようとしていたら、若い女将さんが「そのままどうぞ」と声をかけてくださいました。菅笠お杖を持って入ります。

やはり時間が中途半端なので他に客はいませんでした。メニューを探しますが、ありません。女将さんがシステムを説明してくださいます。

ここは製麺所の名のとおり、うどんを作るついでにお店をやっているという感じでしょうか。徹底したセルフサービスになっています。事前に下茹でしてあるうどんを申告して、何玉分かとります。私は1玉にしました。

「温」の場合はお湯で湯がき、「冷」の場合は軽く湯がいてから氷水に浸します。こういった作業を、すべて客がやるのです。私はお腹のことを考えて「温」にしましたが、私のすぐ後に来た男性2人組も初めて来たらしく、システムを聞いて面白がっていました。ちなみに彼らは、「冷」の方にしていました。

記憶では、トッピングもネギやカス玉くらいだったように思います。私は素うどんにしたはずです。

うどんはさすがにおいしく、シコシコとしています。出汁もあっさりとした上品な味で、汗をかいた身体にしみわたりました。サクっと食べ終わり、お会計をお願いします。驚愕の激安価格、190円です。おまけに飴のお接待までいただきました。ありがたいことです。

女将さんに「また来てください」と言われて見送られたのですが、なかなか四国のこのお店にピンポイントでは来れないように思います。しかし、そう言っていただけるのはうれしいですね。

うどんを食べて元気もでたので、ラストスパートです。宮川製麺所の前の道をそのまま南下していけばよさそうでした。

すぐに、四国こどもとおとなの医療センターという大きな病院が出てきました。敷地の横を進んでいきます。

医療センターを過ぎると県道48号線にまた出ました。信号を渡ります。右手には、三村のパンというおいしそうなパン屋さんがありました。

この交差点から110メートルほど南下します。右手に、砂古荒魂神社が出てきました。

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※砂古荒魂神社

通り過ぎてから振り向いて撮影しています。ここで15時41分でした。

この後200メートルほど歩いていくと、見覚えのあるところに出ました。実はもう善通寺に着いたのです。

善通寺弘法大師生誕のお寺らしく、四国八十八ヶ所の霊場中でも随一の規模を誇っています。そのため、現在の境内東院西院に分かれており、その間には普通に公道が走っているのです。

その公道を歩いていたのでした。ちょうど西院仁王門前に出てきたことになります。

ということで、60メートルほど歩くといろは会館に到着しました。15時45分ごろだったと思います。まずはチェックインすることにします。

玄関の左側にはお杖を洗う水道がありました。私も普段は全然洗っていないのですが、この日ばかりは洗わせていただきました。お杖弘法大師さまの化身とされるので、本当は毎日洗わないといけないのですが。

しかし、玄関に入るとお杖立てがあり、部屋まで持ってあがれないようになっています。これも本来は部屋まで持ってあがり、床の間に飾っておくのが正しいやり方とされます。

まあ宿坊がそうしているのですから、それに従うのみです。

靴箱には、私の名前が貼ってありました。他の方の名前が1枚も貼っていなかったのですが、宿泊者は私だけなのでしょうか。

フロントのおばさんにいろいろ教わります。確か21時までは出入り自由だったと思います。お風呂も21時までで、洗濯もそうだったと思います。そして案の定、宿泊者は私だけでした。この広い宿坊を、独り占めできるわけです。

部屋は2階で、普通の畳の部屋でした。布団は出してあるので、自分で敷くようです。

この段階ではまだ16時前でしたので、スケジュールでは翌日に参拝することになっていた75番札所善通寺も参拝しておくことにしました。

ササッと荷物の整理をして、出発します。

いろは会館から75番札所善通寺まで

16時5分ごろにいろは会館を出発して、75番札所善通寺には16時8分に到着しました。わざわざ地図を出すこともないのですが、一応ルートを確認しておきましょう。境内の南の外側の道を歩いていき、東院南大門へと回っていきました。マップでは、最後の目的地を善通寺としたため、南大門側から余計に歩いていくことになっています。

いろは会館を出て、そのままお寺の境内の外周を東へと進んでいきます。この通りは、善通寺の古くからの門前町という感じで、提灯屋さんや喫茶店などが数軒並んでいます。

おそらく3分ほどで、東院南大門前に出ました。

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※南大門

南大門からさらに東の方へと進んでいくと、JR「善通寺駅」に出ます。私は、南大門をくぐりました。

南大門をくぐるとすぐ右手に、五重塔があります。

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※五重大塔

説明板によると、1902年に再建が完成したそうです。

時間も遅いためか、境内には人も少なく、のんびりとした空気が流れていました。母親と一緒にいる小さな女の子が、無邪気にハトと戯れています。

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※境内案内図

まずは正面奥にある金堂に行きます。この金堂というのが、普通の札所における本堂となります。

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※金堂

金堂自体は国の重要文化財に指定されています。金堂は中に入ることができます。祀られている薬師如来像は江戸時代運長という仏師が制作したそうですが、とても立派なご本尊で圧倒されます。

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*10をご覧ください。

金堂納経した後は、西院を目指します。いわゆる大師堂はここでは御影堂と呼ばれ、西院側にあるのです。

中門をくぐり、西院を目指します。

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※中門

中門西院仁王門の間には、塔頭たっちゅうが並んでいます。

南側の塔頭は、観智院です。

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※塔頭の観智院

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※観智院説明板

下手をするとこの塔頭1か寺だけでも、八十八ヶ所の他の小さな札所よりも大きいかもしれません。

東院中門から西院仁王門までは100メートルほどあります。

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※仁王門

橋を渡り、仁王門をくぐりました。西院に入ります。

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※御影堂(大師堂)

仁王門からそのまま回廊を歩いていけば、御影堂に入れます。御影堂も中で納経することができます。

御影堂の中やすぐ外側に納経所っぽいところがありますが、そこは納経所ではなく護摩木やお守りなどを購入するところです。納経所は、西院の北東側に独立した建物があります。

納経所では、おばさん2人組が窓口を独占しておられました。外におじさん1人が待っておられたので、私もその次に並びます。

おじさんのところには、後から中高生くらいの男子がやって来ました。どうやら家族で来ているようです。

10分以上待ったかもしれません。ようやくおばさん2人組が出ていかれました。まあ、長い間待たせてすいませんということでしょうが、会釈してくださいましたので、よしとしましょう。

私の後は誰も並んでいなかったので、ちょっといろいろと教えていただきました。大師納経の申し込み方を聞くと、1枚もののパンフレットを下さいました。これは帰ってから大師納経の製本をお願いする際に、実際に使用しました。

それから、薬局が近くにあるかどうか尋ねます。実はすでに正露丸がなくなりかけていたのです。近辺の案内図をいただき、ひまわりというドラッグストアには売っているであろうことを教えてくださいました。この地図もありがたく受け取ります。

さあ、これで善通寺でやることは終わりました。いろは会館に戻ります。

歩きを終えて

いろは会館に戻ったのは、17時ごろになっていました。部屋に戻って荷物を置き、すぐに出発します。いろは会館からひまわりまでは、Googleマップによると1.2kmもあります。「歩きを終えて」のコーナーに入っているのに、全然歩きを終えられません。

ついでに、善通寺仙遊町郵便局でお金をおろすことにしました。初期に千円札50枚でお金をおろしていましたが、ここにきてようやく千円札が足りなくなってきていました。20,000円を千円札でおろし、30,000円を一万円札でおろしました。ここのATMは17時30分までだったので、間に合ってよかったです。

ここからは230メートルほど県道48号線を進みました。右側に、マルナカ善通寺店が出てきました。

もしかしたら小さな薬局スペースもあるかもと思い、中に入ります。残念ながら正露丸は売っていませんでしたが、翌朝のパンなどは購入しておきました。宿坊には共用の冷蔵庫はありますが、部屋には冷蔵庫がないので、飲み物は朝に宿坊の自動販売機で買うことにしました。

そのままさらに東へ進みます。大きな交差点に出て、左側に善通寺グランドホテルが出てきました。外観からして、かなり古びています。Googleマップの★2.9の評価も、うなずける感じでした。少し口コミを読んでみましたが、何人もの方が「最低最悪」と書いておられるので、宿泊はしない方がよさそうです。

信号を渡ってから150メートルほど進んだところが、スーパードラッグ ひまわり善通寺店でした。ひまわり薬局的なものを想像していたので、結構大きくて驚きます。少し小さなコスモスといったところでしょうか。

さすがにこの規模だと正露丸もたくさん売っています。無事にGETしました。

夕食のことですが、向かいにほっかほっか亭上吉田店があったので、そこで購入することにしました。宿坊を何回も出たり入ったりするのもイヤですし、部屋で食べるのは楽ですからね。

ここはちょっと奮発してステーキ弁当ご飯大盛を注文しました。お値段は何と760円です。安いですねえ~。

夕食前の時間ということもあり、少し混んでいます。最初は椅子も空いていませんでしたが、しばらくしたら空いたので、座りました。さすがにこの日は疲れていました。

10分弱待ってから、お弁当を受け取ります。そのまま真っ直ぐいろは会館に帰りました。

部屋で早速ステーキ弁当をいただきます。お腹に大丈夫なのかとちょっと心配しましたが、問題はありませんでした。ちょっと脂っこい感じではありましたが。

つづいて、お風呂に行きます。宿坊から別棟になっているようで、かなり廊下を歩いていきました。暗かったので、お寺のどの辺になるのかはちょっと分かりませんでした。

大浴場は、「大師の里湯温泉」と呼ばれる立派な温泉です。宿泊者が私一人しかいないので、貸し切りだと思っていたら先客がいました。どうやら、お坊さまのようです。

まずは念入りに身体を洗います。めちゃくちゃ汗をかいていますからね。それから、ゆっくりと温泉に浸かりました。これが大事なんですよね。温泉に入れるのとそうでないのとでは、翌日の身体状況に大きな差が出てきます。

お坊さまは、頭をカミソリで剃っておられました。どうやらもう上がるところだったようで、先に上がっていかれました。

ここは宿坊ですので、私はただの客ではありません。客というよりはむしろ、仏道体験者とでも言うべきでしょうか。お風呂から上がったら、浴室の電気を消し、また脱衣所から出る際にもしっかりと電気を消しました。ただの温泉宿なら、そんなことまでする必要はありませんが、宿坊ではこういうことが大事です。

これまでの教師生活で、引率で青少年の家に何回も泊まった経験が活きたように思います。

今度は洗濯です。ランドリーは地下にあり、さすがにたくさんの洗濯機・乾燥機が置いてありました。ちょっと驚いたのは、洗剤をゴミ箱にぶち込んでいることです。正確には、ゴミ箱として売られているものを洗剤入れとして活用しているということです。それくらい大量に洗剤を使うということなのでしょう。

洗濯を終えたら、布団を敷きます。翌日はもともと75番から80番までの6か寺打つ予定でしたが、75番札所善通寺はこの日に打つことができたので、5か寺でOKになりました。予習を済ませ、早めに就寝しました。

歩き遍路振り返りデータ

歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。

札所情報

札所:8か寺

納経代:2,400円

大師納経代:2,400円

宿情報

善通寺宿坊 いろは会館

和室 

宿泊費:5,000円

室内に冷蔵庫・バス・トイレなし(※冷蔵庫は共用がロビーにある)

WiFiなし(※ロビーのみ使用可)

大浴場あり。温泉

洗濯機・乾燥機あり(6台ずつほど?)

洗濯機・乾燥機ともに無料

アクセス:JR「善通寺駅」から徒歩約20分

コンビニ:徒歩11分

スタッフはみなさんお寺の方で、親切。部屋も広く清潔で問題ない。温泉はかなりよい。貸し切りだったので問題なかったが、宿泊者が多いときはトイレや共用スペースで待たされることもあるかも

バス情報

行き:なし

帰り:なし

距離と歩数

ASUS VivoWatch BP(HC-A04)

カロリー:5,244kcal

距離  :38.1km

歩数  :55,072歩

※31日目からスマホアプリの記録なし

 

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最終更新:2022.2.7