西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 歩き遍路 38日目(2021.8.27) 84番~86番札所 「一宮」バス停~「大川バス本社前」バス停

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86番志度寺

この日は山寺2か寺を打ち、翌日の結願に向けてさらに移動距離も長くなります。残り2日を残すのみとなった四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、38日目のレポートです!

歩き遍路 38日目 「一宮」バス停から「大川バス本社前」バス停まで

歩き遍路38日目、8月27日(金)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。

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いよいよ結願まで残り2日となりました。もう香川県に入ってからはこの旅の終わりが見えてきて何となく寂しくなってきていました。過酷な旅であるにもかかわらず、永遠につづいたらいいのになあという境地です。

また、レポートの方も徳島県や高知県を書いているころはいつ終わるんやろ、という先が見えないしんどい気持ちの方が大きかったですが、愛媛県の後半に入ってからはカウントダウンの心情になっていました。一つやるべきことが終わるので、ようやく新しいことに挑戦できそうです。

この日は7時6分のバスに乗る予定で、少し早い4時45分に起床しました。ホテルからバス停までは少し距離がありますからね。前日にファミリーマート高松亀井町店で購入したパンを食べ、荷物の準備を整えました。

36日目から天然温泉玉藻の湯 ドーミーイン高松中央公園前に連泊しているので、最低限必要なものだけ持って出ればいいので、かなり楽です。皆さんもお遍路さんを計画されるならば、私のように公共交通手段を活用した連泊プランがお勧めですよ。

「一宮」バス停から84番札所屋島寺まで

7時26分ごろに「一宮」バス停を出発して、84番札所屋島寺には10時40分に到着しました。Googleマップの1枚目と比べると、少し速いペースです。ただし、屋島寺に登っていく山道をGoogleマップでは表示できず、最後は車道を通るルートになっているため、実際に私が歩いた時間との間に差異が生じています。また、山の麓までの実際に歩いたルートは、2枚目と3枚目の地図になっています。経由地点を多く設定しなければならず、マップが2枚に分かれてしまいました。

6時40分ごろにホテルを出発します。向かいのファミリーマート高松亀井店で、飲み物やスナックパンを購入しました。400メートルほど南にある、「中新町なかじんちょう」バス停を目指します。

6時49分、「中新町」バス停に到着しました。

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※「中新町」バス停

ベンチに座り、バスを待ちます。実はこの段階ですでに、お腹にイヤな感じがありました。しかし、バスの時間があるので仕方がありません。

7時8分、2分遅れでバスはやって来ました。乗り込みます。

香川中央高校」行のバスなので、高校生が結構乗っていました。後ろの方に座ります。

7時26分ごろ、「一宮」バス停に到着しました。北行きの方にはバス停がありますが、道路の南行きの方にはバス停がありません。反対側のバス停の向かいのところで、降ろしてもらいました。モバイルSuicaが使えるのがありがたいです。

一宮」バス停から290メートルほど県道172号川東高松線を北上します。四国遍路 聖地巡礼のマップによると、正しい遍路道はここからさらに県道172号線を北上するようですが、この道は歩道もなく結構交通量が多いので危ないです。そこで私は県道12号三木国分寺線との交差点に出たところで、右に曲がりました。

歩いていくと北側に天然温泉きららが出てきました。看板にはお遍路さんの影の絵も描かれていて、「宿泊できます!」とも書いてあります。素泊まりの場合、大人が4,950円で宿泊できて温泉も入り放題ですから、結構いいお宿かもしれません。

400メートルほど県道12号線を歩いていきます。国道193号線との「高松市三名町」交差点に出るので、そこで信号を渡ってから左折しました。ここからは、国道193号線を北上していきます。

さすがに高松市内の中心を走る国道です。道の両側にはいろいろなお店が建っていました。まあどこにも寄ることはなく、ひたすら北上していきます。2.7kmほど北上して、国道11号線にぶち当たりました。「上天神町」交差点です。

ここは4車線同士の国道が交わる大交差点です。さらに国道11号線の上には高松自動車道も走っていて、かなり立体的な交差点でした。

この交差点をさらに立体的にしているのが、歩道橋です。信号にすると交通事故など危ないからでしょう、横断歩道はなく、歩行者も自転車も横断歩道を渡らないといけません。

しかも、何と驚くなかれ! 横断歩道にはエレベーターまで付いているのです! 今回の歩き遍路の旅では初めて見ました。8時9分になっています。

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※「上天神町」交差点の横断歩道

左の黒い筒状の建物が、エレベーターです。これは、四つの角すべてにあります。駅前の歩道橋にエレベーターがある、というのは大阪でもありますが、普通に国道のところにエレベーターがある、というのは大阪にもないかもしれません。高松恐るべし、と思いました。なお、私は歩き遍路なのでエレベーターは使用していません。

歩道橋から奥に見える台地が、おそらく屋島だと思われます。

歩道橋を渡り、さらに650メートルほど北上しました。右側に、ゆめタウン高松が出てきました。ゆめタウンというのは、中国・四国地方に多いイオンのようなショッピングモールです。このゆめタウンの前には、高速バスの乗り場もありました。

ゆめタウンから100メートル弱進むと、御坊川に出ます。実は正しい遍路道は、橋を渡ってから川沿いの道を進んでいくことになっています。しかし、私はここで橋を渡る前に川沿いの道に入ってしまいました。

川沿いの道を600メートルほど進むと、県道280号線にぶち当たりました。ここで橋を渡って、遍路道に戻ることをお勧めします。

私は愚かにも、そのまま川の南側の道を直進してしまいました。

すると、道が徐々に川から離れていきます。250メートルほど進むと、道は南行きに曲がってしまいました。

まあ、慌てずに右に曲がり、南に進みます。25メートルほどでまた左に曲がるところが出てくるので、左に曲がりました。

左に曲がると、すぐに踏切です。琴電琴平線の下所川第一踏切です。8時31分でした。

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※下所川第一踏切

踏切を渡ってから60メートルほど進むと、T字路に出ます。ここは奥が御坊川の支流になっており、それで行き止まりになっているのです。左に曲がって少し北上し、小さな橋を渡って東側の道に出ました。そこからまた北上します。

橋を渡ってから60メートルほど進むと、支流が御坊川と合流しました。ここからは、御坊川の東岸をひたすら北上していきます。

1.3kmほど北上すると、4車線の道に出ました。県道43号線です。

しかし、このまま川沿いの道を歩きたいのですが、近くには信号も横断歩道もありません。合間を見て、走って県道を渡りました。

さらに150メートルほど進むと、今度は2車線の道路に出ます。左は楠上橋です。Googleマップだとここから先の川の東側の道は途切れているようだったので、東に40メートルほど歩き、県道43号線を北上することにしました。

300メートルほど進むと、今度は琴電長尾線の踏切に出ます。御坊川第二踏切です。ここで8時57分でした。

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※御坊川第二踏切

写真は、踏切を渡ってから振り返って撮っています。奥に見える高架はJR高徳線の高架です。

この後、信号を渡ってさらに北上します。信号を渡ってからの道は、県道43号線ではなくなりました。伊達病院の東側を上っていきます。

信号を渡ってから250メートルほどで、県道155号牟礼中新線に出ました。ここも4車線の道路です。

横断歩道が東に50メートルほど進んだところにあったので、そちらから道路を渡りました。

道路を渡ると、御坊川沿いの道から1本外側の道が斜めにつづいています。そこを進んでいくことにしました。この辺まで来ると、道は北東方向に進んでいます。

270メートルほど進んで、多賀橋の南側で川沿いの道に移動しました。190メートルほど先の千代橋を目指します。

千代橋のちょっと手前に、ご自宅でやっておられると思われる歩き遍路接待所がありました。9時9分です。

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※歩き遍路接待所

まあ私は休憩しないスタイルですし、人影もありませんでしたので先へ進みます。

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※接待所付近から見た千代橋

接待所から北を望みます。千代橋が見えました。奥に見えるダイソーは国道11号線沿いに建っており、そこまで北上しないといけません。

千代橋のほとりは、五叉路になっていました。川沿いの道を、北東に240メートル進んでいきます。ようやく、国道11号線に出ました。

ここからは、国道11号線を東に向かって歩いていきます。いずれにせよ北側にある屋島を目指すので、北側の歩道に渡っておきました。

すると、300メートルほど東の南側に、セブンイレブン高松木太町店が出てきました。ここで飲み物を補充しておくことにしました。トイレも行きたかったのですが、トイレは北側の公園のようなところにある公衆トイレをお借りしました。小です。

ここからは、道が緩やかに登っていきます。詰田川にかかる、新詰田川橋を渡っていくのです。さらに、春日川にかかる新春日川橋、新川にかかる新川大橋と渡っていきました。

新春日川橋を渡っているときに、写真を撮っていました。ここで9時37分です。

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※新春日川橋から屋島を望む

前年の車遍路の際には、新春日川橋新川大橋の間にあるルートイン高松屋島に宿泊しました。いいホテルでした。

新川大橋を渡ってから100メートルほど進むと、歩道橋のある「屋島西町」交差点です。ここを左に入ります。Googleマップではここの手前の角にお遍路サロン・屋島西町があるようですが、私は気がつきませんでした。やってなかったのかもしれません。

ここには、遍路道の案内シールだけが貼ってあります。

曲がってから180メートルほど進むと、琴電志度線にぶち当たりました。潟元踏切を渡ります。ここは写真に撮っていませんでした。今まで、踏切は必ず写真を撮っていたのですが……。

踏切を渡ると道が三叉路になっています。一番右の道、「潟元駅」の北を通る道を通っていきます。

350メートルほど狭い住宅街の道を通っていくと、県道14号屋島公園線に突き当たりました。遍路道の案内シールが貼ってあるので、左に曲がります。

この後、240メートルほど県道14号線を北上していきました。すると右側に堤防が出てきます。道池の堤防です。堤防の上に四阿あずまやらしきものがありますが、ちょっと登るのが面倒です。

堤防沿いに遍路道の案内板がありました。10時1分です。

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※遍路道案内板

ちょっと字が小さいですし、よく分からないですね。

タヌキが2匹描かれており、名前がポンちゃんとポコちゃんになっています。実は屋島寺に祀られている太三郎狸は、高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』のモデルとなったタヌキでもあり、案内板のタヌキはそれにちなんでポンちゃんとポコちゃんになっているのではないでしょうか。

この後少し登っていくと、道の反対側に仲池が出てきました。そこにも四阿があったので、そこで休憩することにしました。「一宮」バス停を出発してから約2時間半、椅子に座る本格的な休憩は初めてです。ビスケットをかじりました。

5分ほど休んで出発します。この後、県道の傾斜は徐々にキツくなっていきます。200メートルほど進むと、右側に遍照院といういかにも弘法大師に所縁がありそうなお寺が出てきました。しかし、写真すら撮っていませんでした。

遍照院を過ぎると、道は道なりに左に曲がっていきます。しかし、一応直進が県道14号線のようです。ここから先の道は傾斜がキツイので、普通のアスファルトの舗装ではなく、スーパーの屋上駐車場までの坂道のように円状の穴が開いたコンクリートの舗装になっていました。10時14分です。

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※屋島寺への登山道入口付近

木陰になっているところには少し広いスペースもあり、車が何台か停まっていました。ここまで車で来て、屋島寺までの道をハイキングする人も結構いるのでしょう。

実際、私が登り始めるとすぐに子ども2人を含む4人家族を追い抜かしました。こちらから挨拶をすると、きちんと返してくださいました。子どもたちは小学生だと思いますが、結構速く登っていきます。しかし、山に強い私の相手ではありません。

5分ほど登ったところに、加持水というものがありました。

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※加持水

弘法大師がこの水で加持を行われたそうで、どんな干ばつでも涸れることがないそうです。ちなみに横の石碑の字は「弘法大師さまが書かれた」そうですが、多分違うと思います。

ここにはベンチもあり、休憩しておられる方もいらっしゃいました。お遍路さんではないようでしたが、私より少し年上らしき男性もいらっしゃいました。

先に進みます。7分後、今度は不喰梨くわずのなしが出てきました。

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※不喰梨

弘法大師が屋島登山中に、この木に梨が生っているのを見て、持ち主に所望されました。それを渋った持ち主が「この梨は不喰梨で食べられないのだ」と告げて弘法大師を追い払うと、生っていた梨はすべて石のように固くなってしまい、本当に食べられなくなってしまったそうです。

弘法大師の奇蹟譚の一つですが、しかしこういう度量の小さいエピソードは、かえって弘法大師さまを貶めてしまっているということに気がつかないのでしょうか。こういうお話を考えた昔の人は、自分の物差しで弘法大師さまを測っていますよね。衛門三郎の件もそうですが、お大師さまはその名のとおりに、きっと心の広い方だと思いますよ。

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※ 不喰梨の石像

上の写真のとおり、道は九十九折になってどんどんと登っていきます。上を歩いておられる方が、かなりへこたれていることがお分かりいただけると思います。

この後、私の前をおばあさん、小学校低学年くらいの孫娘、犬のトリオが歩いておられました。結構速く歩いておられ、なかなか追い抜かすことができません。

確か不動明王が祀られているところがあり、その付近で最後は抜かしたと思います。

追い抜かす際、おばあさんと少し言葉を交わしました。割と頻繁に登っておられるそうで、「もうすぐですよ」と教えてくださいました。「ワンちゃん頑張ってますねえ」と私が返すと、「老犬なんですけどねえ」とのことで、「もうちょっとしたら抱っこします」とのことでした。犬が頑張っている姿は健気で元気づけられますね。

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※屋島寺登山道

ちょうど上の写真のようなところを歩いていて、2人と1匹を追い抜かしました。

さらに登っていきます。

10時40分、屋島寺山門に到着しました。

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※山門

山門をくぐって境内に入ります。左側は芝生の広場が広がっていて、公園のように整備されています。犬を連れてきた場合、ここで遊ばせることができるでしょう。

しかし、犬はさらに奥の境内にも入っていいようです。私の前に白い大きな犬を連れた6~7人の家族連れがいらっしゃいましたが、つづく四天門もくぐっていかれました。

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※四天門

四天門は、その名のとおり四天王によって守護されています。山門は、仁王門でした。

境内に入ると、白い犬はさすがにハアハア言っています。お父さんらしき人が手水舎の水を手で汲み、犬に上げようとしていましたが、犬は飲みませんでした。

うーん、私も経験ありますが、犬ってあんまりこういうときは水を飲まないんですよね。やっぱり呼吸がしんどいときは呼吸に専念するのでしょうか。もしかすると息が整ったら水を飲むのかもしれませんね。

納経所の建物の横にベンチがあったので、そこで参拝の準備を整えました。まずは本堂納経をします。

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※本堂

本堂鎌倉時代後期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

また、本堂の横には蓑山大明神がありました。天気がいいので、赤・青・緑のコントラストが生えますね。

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※蓑山大明神

蓑山大明神は日本三大名狸の一人?、太三郎狸を祀っています。変化の術で日本一とされ、弘法大師が屋島で道に迷った際、蓑をかぶった老人として現れて大師を山頂まで導いたそうです。

それにしても、日本三大名狸というものがあるとは……。あとの二つは、佐渡の団三郎狸淡路の芝右衛門狸というそうです。また、江戸時代には阿波狸合戦なるタヌキの大抗争事件が勃発し、太三郎狸はそれにも登場するそうです。

いやあ、世の中知らないことがいっぱいありますねえ。もっと勉強しないと!

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*1をご覧ください。

つづいて、大師堂でも納経しました。

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※大師堂

納経所大師堂の斜め向かいにあり、建物の中に入る形です。おじさんがいらっしゃり、記帳・押印してくださいました。

事前に他の方のブログを見ていた感じでは、ここから東に下っていく遍路道が結構急で危ないということが書かれていました。そこで、納経所のおじさんに実際のところを聞いてみます。

やはり、急で危ないということでした。しかし、この日は結構歩く距離が長く、また違う道を降りていくとなるとかなり距離が延びそうでした。突撃することにします。

納経所の横のベンチで、荷物の整理をします。時間があれば、立派な建物であるここの宝物館も見てみたいところなのですが、この日はとにかく余裕がありません。

東門から、出発します。お寺の方では、東大門と呼称しておられるようです。

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※東大門

東大門から出て少し左へ進むと、トイレと駐車場が出てきます。この後も歩きは長いので、トイレに行っておくことにしました。

特別キレイなトイレではありませんが、十分です。お腹の方は、何とかここでは大丈夫でした。

トイレから出てくると、ちょうど自転車遍路の方が自転車を停めておられるところでした。「自転車で回っておられるんですか」と聞くと、「キツかったです」と答えられました。この屋島寺のある山はテーブル状の台地になっていますが、傾斜は結構急なんですよね。

ちなみにこの自転車遍路の方とは、次の次の志度寺でもお会いすることになります。

さあ、とりあえず次の八栗寺を目指しましょう。

84番札所屋島寺から85番札所八栗寺まで

11時10分ごろに84番札所屋島寺を出発して、85番札所八栗寺には13時18分に到着しました。1枚目のマップは基本的に車道を通っているのでこのようなルートになり、時間も多くかかっています。私は屋島寺から山道を2枚目のマップのスタート地点まで降りてきて、そこからうどん本陣 山田家まで2枚目のマップのルートを通って進みました。山田家で昼食をとり、最後は3枚目のマップのように進んでいます。3枚目のマップも、八栗寺までの山道の入口までしか表示できていません。

11時10分ごろに屋島寺東大門前を出発します。少し北東方向に進むと、血の池に出ました。

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※血の池(瑠璃宝の池)

源平合戦の際、ここで武士たちが刀を血を洗ったことから「血の池」とも呼ばれますが、もともとは瑠璃の宝珠が納められたことで「瑠璃宝の池」と呼ばれていたそうです。

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※血の池の様子

どういうわけか分かりませんが、この池沿いの道を私が歩き出そうとすると、軽自動車2台がやって来て、私の方が道を譲る羽目になってしまいました。何人ものおばあさんが乗っておられます。おばあさんはこの先の広場になっているようなところで車を停めて、集まっておられました。俳句か短歌の会だったでしょうか。

何でもいいのですが、こちらは道を譲っているのですから、会釈くらいはしてくれてもよさそうなものです。

ちょっと見晴らしのいいところに出ました。これから山を降りていきます。ここで11時18分でした。

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※八栗寺の山が見える

これからこの屋島の山を下りていき、つづいてあちらの山を登るわけです。最後の最後までなかなか楽はさせてくれませんね。

この見晴らしのいいところには、かつてホテルか何かであったろう建物の廃墟がありました。

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※廃墟

この廃墟ホテルの前を少し降りていくと、左側に山道の入口が出てきました。確かに、のっけからかなり険しい下りです。お遍路さんに注意を促す貼り紙もありました。ここで11時20分です。

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※お遍路さんへの注意喚起の貼り紙

以下に引用しておきます。

歩きお遍路さんへ

長い巡礼の旅、お疲れさまです。

これから下る遍路道は、傾斜が急です。段差の大きい階段や、木の根っこが出ている所、土が滑り易い所もあります。特に、雨の後などは大変滑り易いのでご注意ください。

また、イノシシが路肩などを掘り返し、落石や傷んだ所もあります。

足元には十分にご注意してください。

結願の大窪寺まであと4ヶ寺です。

お気を付けてお歩きくださいませ。

実際、序盤はこんな感じの道です。

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※序盤の山道

確かに結構急な下りで危ない道でしたが、序盤だけだったと思います。中盤からは、かなり歩きやすくなりました。

11時36分、イノシシ侵入防止策が出てきました。遠目には通れなさそうですが、人間は問題なく通れます。

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※イノシシ侵入防止策

扉を開けて通り過ぎたら、必ずきちんと扉を閉めておきましょう。

ここまで来たら、山道に終わりはすぐです。急な傾斜ではありましたが、正味20分弱歩いただけでした。

山道は抜けても、この後もしばらくは細い急な坂道になっています。どんどんと下っていきました。

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※山道が終わった後の坂道

向こうにこれから登る五剣山が見えます。

さらに少し降りると、左側に佐藤継信の墓の説明板がでてきました。11時44分です。

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※佐藤継信の墓の説明板

江戸時代前期の寛永20(1643)年に、初代高松藩主の松平頼重公がこの遍路道沿いに墓を建立されたそうです。

佐藤継信と言えば源平合戦で活躍した源義経の腹心中の腹心で、奥州藤原氏3代当主藤原秀衡義経に付けた家臣として知られています。この屋島の戦いで、平家方の大将平教経の放った矢を、義経をかばって身代わりになったとされています。

2005年放送のNHK大河ドラマ『義経』では宮内敦士さんが演じられましたが、今年放送されている『鎌倉殿の13人』では誰が演じられるか、今のところ(※2022年2月9日現在)は発表がありません。源義経の郎党はまだ武蔵坊弁慶の配役しか発表されていませんね。

ここから120メートルほど下ると十字路に出ます。そこを右に曲がりました。右に曲がって90メートルほど進むと、左側に安徳天皇社が出てきました。11時48分です。

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※安徳天皇社

この辺は「壇ノ浦」ならぬ「檀の浦」と呼ばれていて、平家の棟梁平宗盛がここに安徳天皇のために行宮を造ったとされています。この安徳天皇社のあったところが、行宮跡だそうです。

源平合戦好きにはたまらない遍路道ですね。

安徳天皇社から450メートルほど道を南下していくと、県道150号屋島屋島公園線に合流します。合流してから650メートルほど県道150号線を進むと、左折です。マルナカ八栗店の方に進んでいく形です。

なお、この左折ポイントには四国の道の道標もありました。

県道150号線を歩いていると、歩き遍路らしき方がいらっしゃったのですが、そちらの方は公園で休憩に入られたので、お話をすることができませんでした。何しろ、私はほとんど休憩しませんので。

また、この県道沿いにも菊王丸の墓や義経弓流しといった説明板があったのですが、いずれもスルーしてしまいました。私は県道の東側を歩いていたので、西側にあったものに気がつかなかったようです。なお、この県道は歩道がありません。

左折して、相引川にかかる橋を渡ります。左側にマルナカ八栗店を見ながら、東へと進みます。

橋を渡ってから最初の信号を直進し、次の十字路で右折しました。ここには古い道標も、遍路道の案内シールもあります。

ちょうど洲崎寺の敷地の外側を歩いていくような形で、50メートルほど歩いたら今度は左折しました。ここも遍路道の案内シールは貼ってあります。

左に曲がると60メートル弱で、県道36号高松牟礼線に出ました。実は載せてある2枚目のGoogleマップではここを右折して、すぐ次のところを左折していますが、正しくは松本石材店の横の細い道を直進です。ここにも、遍路道の案内シールは貼ってあります。

70メートルほど進んだら左折です。ここで、Googleマップでは表示できなかった道と合流します。道は蛇行していますが、210メートルほど北東に進みました。

すると高松市立牟礼北小学校に突き当たります。ここを右折するのですが、ガードマンの方がいらっしゃり、工事で通れない感じでした。

ところが、幸いなことにちょうど昼休みになっていて工事をしていなかったので、通ることができました。ラッキーでした。

突き当りを南東に130メートルほど進みます。今度は県道146号八栗牟礼線に出ました。後は、この道をずっと登っていくだけです。

ここから500メートルほど登ったところに、うどん本陣 山田家といううどん屋さんがあります。前年に車遍路でこの県道を通った際、途中の電柱にやたらと「山田家」と書いてあったので、気になっていました。Googleマップの口コミでも★4.3、しかも件数は3,402件もあります。こんなに口コミがあるお店は初めて見たかもしれません。

そこで、前日のうちに時間が許せばここに寄ってみようと考えていました。幸い、まだ12時を回ったところですから、寄ったとしても何とかなりそうです。

12時20分ごろ、うどん本陣 山田家に到着です。

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※うどん本陣 山田家

時間も時間ですし、さすがは有名店。駐車場には車がたくさん停まっているではありませんか。うーん、これは無理かな?と思いつつも、一応お店の方に行ってみました。

何人か並んでおられます。しかし、人数を聞かれるとすぐに案内されていきました。私も、1人だと伝えてもイヤな顔をされることなく、4人席に案内してくれました。

それにしても店構えにちょっと驚きます。香川のうどん屋さんというと、掘立て小屋のようなところでやっておられるお店も多いと思いますが(失礼!)、このお店は料亭のような店構えです。ちょっと驚きました。

さて、メニューです。この日も朝からお腹の調子がイヤな感じでしたので、肉うどんや天ぷらうどんはやめておいた方がよさそうです。きつねうどんといなり寿司という、どんだけお揚げ好きやねんというメニューを選んでしまいました。きつねうどんだけだと足りないような気がしたんですよね。

ちなみに、数年前に見たNHKの『ガッテン!』で、大豆系のたんぱく質を摂ると運動しなくても筋肉量が増えるというのをやっていました。こうして歩き遍路をして筋肉を使っているとはいえ、さらに筋肉を増やすことは完走するためにも重要なことだと思います。

私の席の隣は大テーブルになっていて、欧米人らしき方を含めた十数名の方がテーブルを囲んでおられました。どうもサイクリングをしておられる方々のようでした。四国はサイクリストも多いですね。

程なく、きつねうどんといなり寿司が運ばれてきました。早速口に運びます。うどんはやはりコシがありますね。そしてお揚げは……。

これがまた絶品でした! このお揚げを食べるためだけに、香川県に来てもいいくらいのおいしさです。いなり寿司のお揚げとはまた全然違います。本当に柔らかくてホクホクしていて、おいしかったです。

食後はトイレをお借りしました。広いお店にトイレは一つしかないようで、ちょっと気兼ねしますが、大きい方も念のためしておきました。

お値段は850円で、安いなあと思いながらお支払いしました。

12時50分ごろ、うどん本陣 山田家を後にします。

山田家から県道146号線に戻ります。この辺はもうかなり坂になってきています。350メートルほど登っていくと、八栗寺を示す案内標識が出てきました。12時56分です。

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※八栗寺を示す案内標識

奥には、鳥居とケーブルカー乗り場が見えます。

1分もかからずに、ケーブルカー乗り場に到着しました。

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※ケーブルカー乗り場

このケーブルカー乗り場の右側は駐車場になっています。50台以上は停められるでしょうか。一般的な八栗寺参拝は、ここに車を停めて、ケーブルカーに乗り換えるというスタイルです。

しかし、私は歩き遍路です。ここからさらに歩いていきます。

実は前年の車遍路の際も、ここに車を停めて歩いていきました。私は高所恐怖症でロープウェイが嫌いなので、21番太龍寺も66番雲辺寺もロープウェイを利用しなかったのですね。その流れで、八栗寺のケーブルカーも乗るのを止めたのでした。補足しておくと、ケーブルカーは別に嫌いではありません。

ロープウェイという乗り物は、何年かに1回、途中で停まって何時間も待たされた上に、より怖ろしい方法で救出されるというニュースを見ることがあります。これはロープウェイという乗り物の構造上の問題で、あらゆる乗り物のうちで危険度はかなり高い方だと思います。

しかし、ケーブルカーは安全です。仮に途中で停まったとしても、地面の上のケーブルを登っているだけですから、傾斜はキツイでしょうが降りてもすぐに地面があります。

ということで、ロープウェイは利用しなかったのですが、その流れで前回の車遍路では乗り物に制約を課していたのでした。今回は歩き遍路なので、もちろん歩いて登ります。

前回登った記憶では、確か歩いても30分はかからなかったはずです。飲み物を補充しようと思い、ケーブルカー乗り場の方へ向かいます。

自動販売機で飲み物を買っていると、中からお姉さんが出てこられて、「乗りますか?」と聞かれました。ケーブルカーの出発が近いのでしょう。私が「歩きます」と答えると、「頑張ってください」と言ってくださいました。こういう声かけがうれしいですし、元気が出ます。

早速登り始めます。道は細いですが舗装されていて、車も登っていくことは可能です。実際、山道の途中で工事をやっており、工事関係者の方の車が路肩に停まっているところもありました。

登り始めてすぐに仁庵という接待所がありましたが、ここもやっていないようでした。

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※仁庵

仁庵から4分後、二の鳥居?が出てきました。扁額には「歓喜天」と書いてあります。八栗寺には歓喜天をお祀りする聖天堂がありますからね。この辺も神仏習合の名残りでしょうか。

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※二の鳥居?

さらにキツイ傾斜の山道を登ること10分、お迎え大師のところまでやって来ました。

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※お迎え大師

実はこのお迎え大師のすぐ下には、数台車を停めることができる駐車場があります。しかし、八栗寺はホームページにその存在を載せておられませんので、関係者優先と考える方がよいでしょう。

また、このお迎え大師は展望台になっています。

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※屋島の台地を望む

屋島と高松市内が一望できます。84番屋島寺のある屋島の山と、85番八栗寺のある五剣山は非常に対照的な山ですね。屋島はテーブル状の台地になっているのに対し、五剣山は本当に剣が並んだような険しい山となっています。

お迎え大師まで来ると、キツイ登りはもうほとんど終わりです。右側に進んでいくと、境内の入口になります。13時17分でした。

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※境内入口

この後、鳥居山門とつづきます。

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※三の鳥居?

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※山門

ここの山門は、とくに二天門と言われています。四天王のうち、持国天と多聞天のみが門を守護しているそうです。そうすると、また別のところを広目天と増長天が守っているのかもしれません。

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*2をご覧ください。

境内案内図も載せておきます。ちょっと字が小さいので分かりにくいかもしれません。

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※境内案内図

二天門をくぐると境内の中心部はスペースが開いていて、随所にベンチがありました。ここで参拝の準備を整えます。おそらくロープウェイで来られたのだと思うのですが、私が準備をしている間におじさんがやって来られ、結構熱心に参拝しておられました。

おじさんがあまりに長いので、私は先に石段を登って、中将坊堂に行くことにしました。

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※中将坊への登り口

石段を5分登らないといけないようです。結構キツかったです。

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※中将坊堂

さぬき三大天狗とされる、中将坊が大権現として祀られています。

この後、石段を下りて本堂納経をしました。

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※本堂

高松藩松平家の庇護を受けたことから、葵の紋を使用することが許されています。

本堂の左には、歓喜天を祀る聖天堂があります。

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※聖天堂

檜皮葺ひわだぶきでとても味のある建物です。

大師堂は、聖天堂正面の鳥居から外に出たところにあります。

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※大師堂

大師堂でも納経をしました。納経所聖天堂の横の、護摩堂に付属しています。また鳥居をくぐって戻っていきました。

納経所はおじいさんで、次の志度寺への道を聞くと、割と丁寧に対応してくださいました。ご住職らしき男性はお寺の中でいろいろ作業をしておられました。

ベンチで荷物の整理をします。他にも6人くらいの家族連れや、40代くらいのカップルなども来ていました。おそらく皆、同じケーブルカーで来たのだと思います。彼らは帰りも自由に帰れないので、境内をウロウロしていました。

私はトイレに行きましたが、6人家族のおじいさんと同じタイミングになりました。

これで八栗寺での参拝は終了です。次の志度寺を目指しましょう。

85番札所八栗寺から86番札所志度寺まで

13時55分ごろに85番札所八栗寺を出発して、86番札所志度寺には15時22分に到着しました。ここもGoogleマップとそれほど時間差があるわけではないですね。よく頑張っていると思います。

八栗寺伽藍の中心を13時55分ごろに出発しました。また鳥居をくぐり、大師堂の前を通り過ぎます。ケーブルカー乗り場の方に向かう感じです。

ケーブルカー乗り場の近くにある、本坊の前を13時56分に通り過ぎています。

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※本坊

本坊の前を通り過ぎると、道路に車止めがしてあって、そこから先が県道145号線となりました。

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※県道145号線に出る

これも推奨されないやり方ですが、ここに車を停める方も多いようです。Googleマップのストリートビューを見ても、何台か停まっています。しかし、これも裏ルートとでも言えるもので、ケーブルカーを維持していくためにも、歩かない場合はケーブルカーをご利用ください。

県道145号線はきちんと舗装されていますし、また傾斜もそれほど急ではないので、歩きやすいです。屋島寺から降りてくる道は最初の方が大変でしたが、ここは楽勝ですね。

2.2kmほど進むと、注意すべき左折ポイントが出てきます。そこまでは、道なりに直進です。

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※左折ポイント

この左折ポイントで14時24分でした。30分弱かけて降りてきたことになります。

左折ポイント右側は二ツ池と呼ばれる池で、左には植え込みをキレイに整えられておられるお屋敷があります。県道145号線はこのまま道なりに池沿いを右に曲がっていきますが、遍路道はこの植え込みを過ぎたら左折になります。

奥のガードレールには、遍路道の案内標識やシールが貼ってあります。ちょうど鉄道のスイッチバックのような感じで左の道を降りていきました。

そこから250メートルほど進むと、十字路になっています。お地蔵さんの手前に古い道標があり、右を指しています。14時28分でした。

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※お地蔵さんと古い道標

この十字路を右折しました。

右折した後は、220メートルほどまた道なりに進みます。県道36号線との一つ目の十字路は無視して、二つ目の十字路まで進みました。

この十字路には、四国の道の道標があります。なぜか裏まで回らないと方向が分からないのですが、この十字路を右折しました。

右折して350メートルほど南下します。小さな橋の向こう側に、公園が見えてきますが、その向こう側がお遍ろさんお休み処となっていました。14時38分です。

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※お遍ろさんお休み処

Googleマップによると、OMACHI PIZZAとエイティエイトというお店になっています。

「すいません、ピザじゃなくてピッツァなんですけど」というサンドウィッチマンのギャグが頭に思い浮かびました。ちなみにサンドウィッチマンのお二人とは、私は同学年になります。

ほとんど休憩しないスタイルの私は、ここでも休憩せずに先へと進みました。

550メートルほど進むと、琴電志度線にぶち当たりました。塩屋踏切を渡ります。14時45分でした。

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※塩屋踏切

なお、載せてあるGoogleマップだとこの塩屋踏切を歩いて横断するルートが設定できず、100メートル弱西側の小さな踏切を渡るルートが表示されています。実際には、直進して塩屋踏切を渡りました。

踏切から50メートルほど進むと、国道11号線に出ます。愛媛県の西条市から何度も通ってきた道ですね。

しかし今回は、わずか350メートルほど進むだけです。途中、左に道の駅 源平の里むれが出てくるので、トイレをお借りしました。

「房前」という交差点で信号を渡り、左に曲がります。空き地に休憩所のようなものもありますし、道標もあります。すぐに道が二又になっているので、右に入りました。

右の道はGoogleマップでは讃岐街道と書いてあります。細い道ですが、歴史ある道なのでしょう。

650メートルほど進むと、またもや琴電志度線にぶち当たりました。原踏切を渡ります。14時59分でした。

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※原踏切

踏切を渡ってから550メートルほど進みました。また、道が二又に分かれています。どちらかと言うと、左の道の方が太いのですが、讃岐街道は右のようです。Googleマップも右を示していました。また、「平賀源内旧邸」と書かれた案内板もあります。

右に入って150メートルほど進みます。右手に、平賀源内旧邸が出てきました。平賀源内さんは讃岐の方だったのですね。15時8分に撮影しています。

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※平賀源内先生旧邸

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※平賀源内先生旧邸正面

生家がこの志度町にあったそうです。いつの間にか高松市を抜けていて、さぬき市志度に入っていました。

この辺りはかなり歴史的な遺跡も多く、歩いていて見所がたくさんありました。ところが、だんだんとまたお腹の調子が悪くなってきていました。

旧邸の少し先は道が蛇行しています。そこに、自然石の石灯籠がありました。

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※新町自然石灯籠

石灯籠から200メートルほど進むと、左側に地蔵寺が出てきました。志度寺奥の院だそうです。15時13分でした。

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※地蔵寺

地蔵寺山門の右側に、「そうだったのか!?源内さん」の掲示板がありました。

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※「そうだったのか!?源内さん」の掲示板九番

実は石灯籠のところにも、旧邸のところにもありました。この辺にはあちこちに設置されているようです。

さらに500メートルほど進みます。ようやく山門が見えてきました。15時20分です。

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※志度寺山門が見えてきた

途中、平賀源内記念館もありましたが、パスしました。お寺でトイレを借りようと思い、結構この辺は急いでいました。

1分後、横断歩道を渡ります。もうお寺は目の前です。

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※志度寺手前の横断歩道

この横断歩道のある道路を左、北側に60メートルほど進んだところが、志度寺の駐車場になります。

前年に車遍路で来た際には、駐車場に停めてから山門までの案内がないので、隙間のようなところから境内に入ってしまいました。この駐車場と志度寺山門との間に、塔頭たっちゅうの圓通寺があるので、少しややこしいのです。

横断歩道を渡り参道を進みます。左側が塔頭圓通寺、右側がやはり塔頭自性院です。

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※自性院

自性院には、平賀源内の墓所があります。

15時22分、志度寺に到着しました。

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※山門

この山門仁王門で、運慶作とされる仁王像が守護しています。仁王門は、江戸時代前期の寛文10(1670)年に高松藩松平頼重が寄進したそうで、国指定の重要文化財になっています。

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*3をご覧ください。

仁王門をくぐり、境内に入りました。トイレに行きたかったのですが、トイレは何と納経所の建物の中にあるようです。このパターンは初めてですよね。ちょっと感じが悪いかなと思い、まずは参拝の準備をしようとしました。

しかしいよいよ限界が来たように感じ、納経所に入りトイレをお借りします。比較的新しくてキレイだと思います。

まあ何とか今回も助かりました。納経所を出て外のベンチで参拝の準備をします。

まずは本堂納経しました。本堂仁王門と同じ年に寄進されたもので、同じく国指定の重要文化財になっています。

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※本堂

私が納経を終えると、84番屋島寺でお会いした自転車遍路の方がいらっしゃるではありませんか! お遍路の数も少なく、本当に孤独な旅なのでこういう偶然の出会いは本当にテンションが上がります。

彼はもう帰り際だったようで、「この後長尾寺ですか?」と聞かれました。しかしこの段階で15時半をかなり過ぎていて、残念ながら人間の足では長尾寺の納経時間には間に合いそうにありません。「イヤ、歩きだと間に合わないので……」と答えます。宿のことも聞かれたので、「バスで高松市内まで戻ります」と伝えました。「大変ですね」と言ってくださったので、かなりうれしくて元気が出ました。お互いしんどい思いをしているからこその、声かけですよね。

つづいて、大師堂納経を済ませました。

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※大師堂

大師堂から納経所に戻ります。他にも熟年夫婦や女性2人組もいらっしゃいました。

納経所はおじいさんでした。お坊さまなのかもしれません。

納経所の中に休憩スペースがあったので、そこで荷物を整理します。思ってもいなかったのですが、ここから無染庭むぜんていを覗くことができました。ガラス越しですが、割とキレイに撮れています。

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※無染庭

無染庭は、7つの石と白砂で海女の玉取り伝説を表現した枯山水の庭園です。

これでこの日の参拝は終了しました。後は、87番札所長尾寺の近くにある「大川バス本社前」バス停まで移動するだけです。

86番札所志度寺から「大川バス本社前」バス停まで

16時ごろに86番札所志度寺を出発し、「大川バス本社前」バス停に到着したのは17時50分ごろでした。山寺2か寺を打ち、すでに30km歩いてきていたので、かなりペースダウンしています。

当初の計画段階では、この志度寺付近から高松市内のホテルに帰ろうと思っていました。ところが、志度寺から高松市内の中心部に帰る路線バスが存在しないのです。

そこで、最初の計画では、志度寺から2km弱歩いたところにある、高速バスの「高速志度」バス停から高松市内に帰ることを考えていました。しかし、高松方面の路線は、「高速志度」では降りることはできても、乗ることはできないのではないか?と不安になります。

確証はありませんが、スマホの乗換案内アプリだと「高速志度」で乗ることはできないようでした。そりゃそうですよね。志度から高松市内に行くんなら、琴電に乗れよ、という話ですから。

そこでこの区間をどうするか、最悪琴電もありだなと思いしばらく放置していたのですが、その後、長尾寺付近を通るバスが存在することに気がつきました。大川バスです。

この大川バスの路線は、香川県東端の「引田駅」からJR「高松駅」までを結ぶ超優良路線なのです。40km近く走るのではないでしょうか。

ちなみにテレビ東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」では、田中要次さん、羽田圭介さん、小野真弓さんの3人がこの路線を利用しておられました。高松まで行けるということに驚いておられたと思います。

というわけで、私もこの路線を使うことにしました。しかし、そのためにはこの日中に87番札所長尾寺近辺にあるバス停まで行っておかなければなりません。そこで修正した計画では、志度寺から県道3号志度山川線を6.7km南下したところにある、「長尾学校前」バス停まで進んでおくことにしていました。

ただ、志度寺出発前に考えたのですが、大川バスの本社が近くにあり、「大川バス本社前」の方が何となく本数が多いような気がしました。そこで、長尾寺からちょっと西に進んだところにある「大川バス本社前」バス停まで行くことにしました。7.3kmありますが、2時間かけて18時5分のバスに乗れれば十分です。

ということで、志度寺を16時ごろに出発しました。山門前からすぐに南北に走る道に出ます。ここを左に曲がりました。なお、右に曲がったら志度寺の駐車場です。

350メートルほど進むと、国道11号線に出ました。横断します。

国道を渡ってから100メートルほど進むと、今度はJR高徳線にぶち当たりました。長尾街道踏切を渡ります。16時9分でした。

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※長尾街道踏切

国道11号線を渡ってからは、この道は県道3号線になりました。そのまま県道を南下していきます。

1kmほど歩いていくと、高松自動車道の高架が出てきました。高架下を、くぐっていきます。道は少しずつですが、登っていっていました。

高松自動車道を過ぎてから450メートルほど進むと、左側に長行池が出てきました。そこから斜め左前方には、オレンジタウンというちょっとハリウッドを意識したような新興住宅地がありました。

さらに1.7kmほど進みます。67番志度寺奥之院と称する、玉泉寺の入口が出てきました。16時57分です。

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※玉泉寺入口

ここから「大川バス本社前」バス停までは3kmでした。さすがに1本前の17時25分には乗れそうにありません。

この後、1km南下していくと、道が道なりに左へカーブしていきます。そして、鴨部川にぶち当たりました。

ここまで通ってきた県道3号線では、ガレージから車道に出ようとしていた車が、歩道を歩いている私を見て引っ込んでくださったことが2回もありました。また、年配の方も何人も挨拶してくださいました。いよいよ最後が近づいてきて、そういう雰囲気が出てくるのでしょうか。『西遊記』だったら天竺はもうすぐ、という感じでしょうか。

鴨部川にかかる橋を渡る手前に、キレイな案内板が出ています。橋の手前を、川沿いに西に進んでいくことになっていました。そちらへ進みます。

かなり細い道で、離合が困難どころか、人間1人歩いているだけでも車が通れないほどです。しかし、それでも離合しなければいけない状況になってしまい、タイミング悪く私もそれに巻き込まれてしまいました。とりあえず、民家の敷地に入ってやり過ごしました。

川沿いの道を500メートルほど南西に進みます。お遍路休憩所が出てきました。17時18分です。

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※鴨部川沿いのお遍路休憩所

夕暮れの感じが出ていますね。これまであまりこういう写真はなかったと思うのですが、日が短くなってきているということもあると思います。思えば、四国に来てから5週間以上経っています。

さすがに疲労が厳しく、ここは休憩しました。実は足の痛さもかなりあり、志度寺出発前にロキソニンを飲んでいたほどです。ロキソニンをあまりたくさん飲むのはよくないと思うのですが、まあもう大詰めですからね。

これも字が小さくて読めないと思いますが、休憩所にあった遍路道のマップを写真に撮っておきました。

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※へんろ道案内図

翌日の遍路道の予習ができ、助かりました。

5分ほど休憩して、出発することにします。この辺からは、かなり案内標識や道標がしっかりしているので、道に迷うことはないと思います。

橋を渡るとすぐに、説明板と案内標識が出てきました。17時23分です。

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※京都中井氏の道標

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※へんろ道の案内標識

上の説明板から500メートルほど進んだところの十字路を過ぎると、右側にまた道標と説明板が出てきました。17時30分です。

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※秋田清水九兵衛道標とその説明板

江戸時代中期の明和3(1766)年に、出羽国秋田の清水九兵衛が建てたそうです。「南無大師遍照、これより六丁」と書いてあるとのことです。それにしても、出羽(※現秋田県)の方もお遍路に関心があったわけですね。

さらに600メートルほど南下していきます。すると右側に、長尾寺東門が出てきました。

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※長尾寺東門

なお、この写真は翌日に撮影したものです。この日は疲れていたからか、写真を撮るのを忘れていました。

東門から60メートルほど進み、右折します。山門の方に回っていく形です。

17時41分長尾寺山門前に到着しました。

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※長尾寺山門

納経所は17時までですので、せっかくここまで来ても記帳・押印してもらうことはできません。翌日に、しっかりと参拝したいと思います。

山門の西側に駐車場が広がっていますが、その端にトイレがあります。割と新しくてキレイですので、お借りしました。私の後に、お寺のお坊さまらしき方がいらっしゃいました。トイレの点検だったのでしょうか。

さあ、もう少しです。民宿ながお路を過ぎたらすぐに左に曲がり、細い道を南下します。つぼみ荘の前を通って細い道を100メートルほど進み、2車線の道長尾街道に出ました。

長尾街道を西に160メートルほど進めば、大川バス本社です。

17時50分ごろ、大川バス本社に到着しました。

歩きを終えて

ところが、本社に到着したものの、バス停がどこか分かりません。バス停のオブジェクトがどこにも立っていないのです。

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※大川バス本社待合室入口

待合室の右奥が車庫のようになっているので、そちらに行ってみると、女性ドライバーがバスの洗車をしておられました。バス停はどこか聞くと、この通りに面したところにバスが停まるということでした。

どこに行くのか聞かれたので、「高松です」と答えると、親切なことにバスの時間まで調べてくださいました。皆さん、本当に親切です。ただ、次のバスの時間は知っています。18時5分ですよね。私は事前に調べていますので、知っていました。

待合室で待っていればいい、とのことだったので、中に入って座りました。時刻表も、確かにあります。しかし私のように外部から来た人間のためにも、バス乗り場をもうちょっとはっきりと分かるようにしておいて欲しいですね。

18時を過ぎると、不安だったので、外で待つことにしました。18時5分のバスを逃すと40分待ちになりますので。

バスは1分遅れの、18時6分にやって来ました。早速乗り込みます。あまりお客さんは乗っておられませんでした。

イメージとして、バスは琴電長尾線に沿って進んでいくようです。中心的繁華街である「瓦町駅」から菊池寛通りを西に進み、国道11号線で右に曲がってから停まりました。「県庁通り」バス停です。18時43分ごろだったと思います。

念のため、翌日のバスの時刻表を確認しておきました。

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※「県庁通り」バス停時刻表

もはや時間が19時前と遅いので、この日もファミリーマート高松亀井町店で夕食を購入しました。この日はミートソースのパスタとシーチキンのおにぎり、パンの入ったポタージュスープにしました。ここに寄るなら、一つ手前の「南新町」で降りればよかったですね。

えーこれは個人情報の問題になるので詳しくは書きませんが、ここのコンビニのお姉さんの苗字が、豊臣秀吉を支えた戦国武将の苗字でした。大変珍しいお名前ですので、ちょっと驚きました。

18時55分ごろ、天然温泉玉藻の湯 ドーミーイン高松中央公園前に到着しました。ここで、ちょっとフロントに寄ります。翌日の予定を変更しようと思ったのです。

実は、翌日は88番札所の大窪寺結願してから、白鳥温泉まで歩き、そこに泊まろうと思っていました。しかし、お腹の調子がまた悪くなってきていたので、部屋にトイレがない白鳥温泉はちょっと困るなあという結論に達していたのです。

そこで、翌日もこのドーミーインまで帰ってくることにし、翌々日にこの高松から大阪まで帰ることに変更しようと思ったのでした。しかし、ホテルが空いていなければどうにもなりません。そこで、フロントのお姉さんに翌日も宿泊できるか聞くことにしたのです。

部屋は、余裕で空いていました。コロナ禍がこれだけ大変な状況ですから、混んでいるはずがなかったのです。というわけで翌日の分をお支払いし、部屋に戻りました。部屋は移らなくてもいいそうです。また、3連泊を超えるので部屋の掃除も入ってくれるそうでした。

部屋に戻り、まずはトイレに行きます。そして、すぐに大浴場です。時間が遅くなれば混みますので、早めに入るに越したことはありません。また洗濯物は洗濯機に突っ込んでおきました。

乾燥機を回している間に、夕食をいただきます。まあ冷めていますが、私はあまり気にならない派です。

乾燥が終わったら、後は翌日の予習です。お寺のことも確認しましたが、大窪寺からこのホテルまで戻ってくるバスのルートを確認しました。これまで、ホテルまでのバスは乗り換えなしで来ていましたが、さすがに翌日は1回乗り換えが必要でした。

さぬき市のコミュニティバスで「大窪寺」バス停から「ハローワークさぬき」バス停まで乗り、そこから「大川バス本社前」まで歩いて、この日のように大川バスで帰ってくる、というやり方です。

これでやるべきことはすべて終わりました。いよいよ翌日は結願です。しかし、終わるとなると何か寂しい気持ちがします。ともあれ、翌日に備えて早めに就寝しました。

歩き遍路振り返りデータ

歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。

札所情報

札所:3か寺

納経代:900円

大師納経代:900円

宿情報

天然温泉玉藻の湯 ドーミーイン高松中央公園前

禁煙ダブルシングルユース(※連泊割) 

宿泊費:16,600円

室内に冷蔵庫・シャワー・トイレあり

WiFiあり

大浴場あり。温泉

洗濯機・乾燥機あり(4台ずつ? 女性用は不明)

洗濯機無料、乾燥機300円(20分で100円)

アクセス:琴電「瓦町駅」から徒歩5分

コンビニ:徒歩2分

スタッフの対応は丁寧でよい。大浴場が広くてとても快適である。また、飲み物やアイスバーなどのサービスもよい。ただこの日の宿泊費が異常に高かったのがいただけない

バス情報

行き:ことでんバス 「中新町」~「一宮」 390円

帰り:大川バス 「大川バス本社前」~「県庁通り」 610円

距離と歩数

ASUS VivoWatch BP(HC-A04)

カロリー:5,440kcal

距離  :39.5km

歩数  :57,130歩

※31日目からスマホアプリの記録なし

 

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最終更新:2022.2.12