四国に渡って0日目から、自宅から考えると-7日目からスタートした歩き遍路の旅も、ついに結願の日を迎えました! 達成感で涙するのか、四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、39日目のレポートです!
歩き遍路 39日目 「大川バス本社前」バス停から「大窪寺」バス停まで
歩き遍路39日目、8月28日(土)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。
いよいよ結願けちがんの日を迎えました。7月20日に不安を抱えながら大阪を出発し、ここまで徳島県、高知県、愛媛県、香川県と歩いてきました。38日目までに86番の札所まで打ち終わっており、あと2か寺を残すのみです。果たして結願後はどのような気持ちになるのでしょうか。
計画ではこの日結願後も歩きをつづけ、白鳥温泉に宿泊することにしていました。しかし、ここへ来てお腹の調子がまた悪くなってきており、部屋にトイレのない白鳥温泉はちょっと避けるべきではないか?と計画を見直しました。結局、この日は大窪寺で結願後、バスで高松市内に戻り、3連泊していたドーミーイン高松中央公園前にもう1泊することにしたのです。
大窪寺からは、さぬき市のコミュニティバスが出ています。高松まで戻る大川バスとの連絡のことを考えると、どうやら14時に「大窪寺」バス停を出発する便に乗り、「ハローワークさぬき」で降りて「大川バス本社前」まで歩いて乗り換えるのがよさそうだという結論に達しました。
そこから逆算すると、この日も結局朝一番のバスで出発する必要がありました。朝一番と言っても、7時36分です。
ということで、この日は平常の5時に起床し、前日にファミリーマート高松亀井町店で購入していた朝食を食べました。また、荷物は翌日帰宅後に受け取れるように、この日の朝に発送することにしていたので、準備を整えます。実はここでまたやらかしてしまっていたのでした……。
「大川バス本社前」バス停から87番札所長尾寺まで
8時10分ごろに「大川バス本社前」バス停に到着し、87番札所長尾寺に到着したのは8時13分でした。短い距離ですが、Googleマップと同じくらいの速さですね。なお、Googleマップでは表示できませんでしたが、長尾街道から北側の道に出るのに、バス停すぐ横の道を北上しました。
7時ごろ、ホテルのフロントに行き、大きい荷物の発送をお願いしました。大阪でも、翌日の夕方には着くそうです。日本の宅急便は素晴らしいですね。しかし、これに救われました。
7時5分ごろ、天然温泉玉藻の湯 ドーミーイン高松中央公園前を出発して、まずはファミリーマート高松亀井町店に行きました。ここももう馴染みになってきました。スナックパンと飲み物などを購入します。
つづいて、北側にある「県庁通り」バス停に行きました。前の2日間は「中新町なかじんちょう」バス停からの出発で、バス停がホテルから400メートルくらい離れていましたが、この日はホテルからすぐのバス停です。早くホテルを出過ぎてしまい、7時10分過ぎにはバス停に到着していました。
7時36分、定刻どおりにバスがやって来ました。乗り込みます。あまりお客さんは乗っておられなかったように思います。
バスは前日とは逆のルートを通り、8時10分ごろに「大川バス本社前」バス停に到着しました。西行きのバス停は本社ビル前でしたが、東行きのバス停はきちんとしたバス停があります。
バス停からすぐ東側に北に入っていける道があったので、そこを北に進みました。90メートルほどで、長尾寺の山門前に面している道に出ます。ここで右に曲がりました。
右に曲がってから150メートルほどで、長尾寺の山門前です。
8時13分、長尾寺に到着しました。
※山門
山門の手前に、小屋のようなもので保護されているものがあります。これは経幢きょうどうと呼ばれるもので、写経を埋めた上に建てるものです。東側のものには「弘安九年五月」、西側のものには「弘安六年七月」の銘があり、鎌倉時代の元寇後に建てられたものと考えられているそうです。国の重要文化財に指定されています。
※経幢(右)
※経幢(左)
境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*1をご覧ください。
山門をくぐり、境内に入ります。境内におじいさんがおられ、「逆打ちですか?」と聞かれたので「順打ちです」と答えました。逆打ちに思われたのは、小ぎれいに見えたからでしょうか。おじいさんが「あと二つ。頑張ってください」と言ってくださったので、かなり元気が出ました。こういう些細な交流が、パワーをくれるのです。
まずは、本堂で納経をします。
※本堂
本堂につづき、大師堂へ行きます。大師堂は本堂の右隣りです。
※大師堂
大師堂でも納経しました。
納経所は本堂の西側にあります。本坊にくっついているような感じです。そこまでのところに、静御前剃髪塚というのがありました。
※静御前剃髪塚
静御前というのは源義経の愛妾で、源頼朝に捕らえられた後、鶴岡八幡宮で義経を思う舞を舞ったと伝えられている人物です。香川県終盤のお寺には、源平合戦に関連する遺跡が多いですね。
納経所は若いお坊さまでした。記帳・押印していただきます。いよいよ、あと1か寺となりました。
この後、荷物の整理をしていると、自転車遍路らしき人がやって来ました。前日に会った人とは違い、本格的なウェアを着ておられます。そして、この方には後ほど抜かされることになりました。
出発前にトイレに行っておきます。トイレは、駐車場にあります。
これで準備は整いました。いよいよ結願のお寺、88番札所大窪寺へ向けて出発です。
結願の道 87番札所長尾寺から88番札所大窪寺まで
8時40分ごろ87番札所長尾寺を出発し、88番札所大窪寺には12時19分に到着しました。ここもGoogleマップとそれほど大きな差はありませんね。最後だったので、頑張っていたと思います。
8時40分ごろ、長尾寺を出発します。まずは山門前から南へ南へと向かっていく感じです。ただ、後半は山道を行くか車道を行くかで分かれていきます。女体山越えの山道を行く人が多いそうですが、そちらは本来の遍路道ではないとも聞きます。前日に見た案内板のマップでも、車道を通って国道377号線からアクセスするのが正しい遍路道と書いてありました。
※へんろ道の案内板 前日に撮影
ということで、距離は延びますが私は国道377号線の方からアクセスする道を選びました。
まずは山門前の道からすぐ東側を南北に走る道に出て、500メートルほど南下しました。県道10号線に出るところに、秋田清水九兵衛の地蔵坐像がありました。8時49分です。
※秋田清水九兵衛の地蔵坐像
前日にはこの清水九兵衛の建てた道標を見ましたが、ここには供養のためにお地蔵さまを建てたようです。
県道10号線を横断し、さらに南下していきます。600メートルほど進むと、今度は弁慶の馬の墓というものが出てきました。8時57分になっています。
※弁慶の馬の墓
おそらく宗林寺の敷地だと思います。それにしても、今度は弁慶の馬の墓ですね。弘法大師と武蔵坊弁慶にちなむ伝説は全国各地にありますよね。まあ、この近くの屋島で合戦があったので、あながち眉唾とは思えませんが。
宗林寺の前から550メートルほど南下しました。すると、鴨部川にぶち当たります。川にかかる、新塚原橋を渡りました。
川を渡るとすぐに「塚原」交差点です。このまま県道3号線を南下しても行けますが、川沿いの1本東側の道が遍路道となっていて、「旧へんろみち」の案内標識がありました。たこ焼き屋さんを挟んで、右が県道3号線、左が遍路道です。
遍路道に入ると、やはり歴史ある家並みがつづいていました。遍路道を南下すること750メートル、右側に釈迦堂が出てきました。9時13分です。
※釈迦堂
「お釈迦様の石像は数が少なく珍しいものである」と書いてあります。周りにも、江戸時代に造られたと思しき道標や供養塔などが建っています。本来はこういうところでも合掌したり読経したりするのでしょうが、私は歩くのに集中していて、写真を撮っただけで精一杯でした。
3分後、一心庵を通過します。旧へんろ道の説明板がありました。
※旧へんろ道の説明板
「四国八十八ヵ所のへんろ道は、大師と共に、心の旅をつづけるところに意義があります」と書いてありました。この後、「♬あー、だから今夜だけは~」と歌いながら歩いていきました。
この旅で歩いていたときに歌った歌も、いろいろ変遷してきました。最初徳島では、ゴダイゴの「ガンダーラ」や「モンキー・マジック」を歌っていましたが、高知の寂しいところでは荒井由実さん(※現松任谷由実さん)の「ひこうき雲」なんかを歌っていました。ここで、チューリップ登場というわけです。
一心庵から400メートルほど南下します。高地蔵というところに出ました。岩には、不動明王が彫られています。9時21分でした。
※高地蔵
高地蔵を過ぎると、道はいったん県道3号線に合流しました。しかしそれも180メートルほどのことで、すぐにまた1本東の遍路道に入りました。ここにも、遍路道の案内標識があります。案内標識は、大窪寺ではなく前山おへんろ交流サロンを示していますが。
遍路道に入ってから850メートルほど南下します。再び、県道3号線に合流しました。ここからは、県道3号線を歩いていきます。途中、左に入っていく道が出てきますが、無視しましょう。
県道3号線を700メートルほど進んだところが、前山ダムです。ここが重要な分岐点になっています。
四阿あずまやもあり、四国の道の案内板もありますので、ここは腰を据えて冷静に判断しなければいけないところです。
どういうことかと言うと、遍路道が直進と左折に分かれているのです。これは、案内標識に説明が書いてあり、両方を示しているので間違いありません。
実際、四国遍路 聖地巡礼のマップ*2でも、ここが遍路道の分岐点となっています。
前山ダムで左折してダムの上を通り、鴨部川の北岸を東進して来栖神社方面に進むのは、標高774メートルの女体山越えのルートなのです。
一方の直進は、私が事前に想定していた国道377号線からアクセスするルートです。距離的にはこちらの方が3kmほど遠いと思われますが、道はすべて舗装されているので歩きやすいです。
まあ私はすでに直進と決めていたので、真っ直ぐ進みます。迷った方は、短いけど山道というメリット・デメリット、舗装されているけど遠いというメリット・デメリットを、天秤にかけてください。
前山ダムを左手に見ながら直進します。この日訪れることを楽しみにしていた前山おへんろ交流サロンまで700メートルとなりました。9時40分になっています。
※前山ダムの横を通る県道
少し先で工事をしており、車線が規制されていたのでちょっと危なかったです。
この日はお天気もよく、写真で見るかぎりではとても気持ちよさそうでした。結願にふさわしい日ですね。暑いですが。
※前山ダム
ダム湖の外周をぐるっと回っていきます。
9時50分、前山おへんろ交流サロンに到着しました。向かいは道の駅 ながおです。
※前山おへんろ交流サロン(左)
この交流サロンでは、歩き遍路で結願された方(※大窪寺を残すだけの結願見込みも含む)に四国八十八ヶ所遍路大使任命書を作ってくださいます。これはやはり欲しかったので、ここに寄ることを楽しみにしていたのです。
ただ、ここまではお接待所といったところがことごとく閉鎖していました。それでちょっと心配していたのですが、ここはどうでしょうか。遠目には、車が停まっています。開いていることを信じましょう。
ところが……。
※おへんろ交流サロン臨時休業のお知らせ
ゴーン……。やはり閉まっていました。しかも、8日前までは開いていたのです。何というタイミングの悪さでしょうか。しかしここまでの旅も結構ギリギリの距離を歩いてきていますので、8日前にここに来ることは無理だったでしょう。
ただ、貼り紙はまだありました。
※遍路大使任命書の交付方法に関する貼り紙
名前や住所などを書いて投函しておけば、後日遍路大使任命書が送られてくるそうです。とりあえず、最低限のところはクリアできました。できれば他の方やサロンの方と交流したいところでしたが、まあしょうがありません。
そして、9月1日(水)に届いたのがこちらです。
※四国八十八ヶ所遍路大使任命書
驚いたことに、この交流サロンの代表の方のお名前が私と1字違いです! 運命ですか~って感じですね。しかし、すいません! まだDVD見てないです!
それにしても、自宅に意外と早く届いたので、正直びっくりしました。一筆箋に手描きのメッセージまで書いてくださっていて、大変ありがたいです。
さて、歩き旅に戻りましょう。おへんろ交流サロンが開いていなかったので、向かいの道の駅 ながおに行きました。トイレをお借りします。飲み物も、補充しておきました。まずまずにぎわっています。
ここで地図を確認します。どうやら、このままこの県道を進むのではなく、少しだけ戻ってから山の方へと入っていくようです。
道の駅のトイレから、160メートルほど西側に戻りました。戻ったところは、県道3号線が南向きから東向きへとカーブしているところです。そこに、山道への入口がありました。10時2分です。
※旧へんろ道大窪道入口
山道ではありますが、すべてアスファルトで舗装されています。
700メートルほど登っていくと、丁石が出てきました。10時11分です。
※武田徳右衛門と読まれている丁石
「是より於くぼ迄二里」と書いてあるようです。大窪寺まで8kmくらい、ということですね。
離合が困難なためか、ところどころ待避場所というのがあります。ここで車同士がすれ違うのでしょう。しかし、私が歩いていたときは車は1台通ったか通らなかったかくらいでした。
また、序盤から結構登りはキツイです。どうやら一山越えていくようですね。ただ、ほとんど木陰だったので、暑さはしのげました。
二里の丁石からさらに登っていきます。道はより細くなっていきました。2kmほど進んだところに、休憩所がありました。10時40分です。
※休憩所と「古道と砦」の説明板
阿波に上陸した源義経軍が、この道を通って屋島に向かったそうです。いやあ、これぞ歴史のロマンですね。
ちなみに、休憩はしませんでした。
2分後、七十丁の地蔵の地点まで来ました。ここら辺から、道は下りになります。ちょっと楽になりました。
※七十丁の地蔵
七十丁の地蔵から550メートルほど進むと、六十六丁の丁石です。10時49分でした。
※六十六丁石
ここからさらに降りていくと、道は南東に向かって走る道と合流します。合流地点から160メートルほど進むと、県道3号線に合流しました。前山ダムのところから、一山越えてきた形です。
県道3号線との合流地点には、六十五丁の丁石がありました。10時51分になっています。
※六十五丁石
ここはT字路になっています。右に曲がりました。
ただ、このレポートを書きながらストリートビューを見ていると、どうも直進して山道に入っていくのが正しい遍路道のようです。明らかに山道ですから、私は入らなくて正解だったと思います。
県道3号線を350メートルほど南下しました。するとここにも、謎のへんろ道の案内標識が出てきました。10時56分です。
※県道沿いのへんろ道案内標識
ちなみに標識の指す先はこんな感じです。
※へんろ道?
明らかにヤバそうな道なので、私はやめておきました。県道を直進します。
この辺は山の中とは言え、県道沿いに結構家も並んでいます。少し集落になっているようです。
さらに300メートル南下すると、左に分岐する道が現れました。国指定の重要文化財である細川家住宅へと進む道です。私はこれも無視しました。
どんな建物か知りたい方は、さぬき市のホームページ*3をご覧ください。
真っ直ぐ県道を進みます。分岐から450メートルほど進みました。
すると、左側にまた道が分岐しています。分岐の先には、小さな橋が見えました。
このまま県道3号線をあと450メートルほど進み、国道377号線に出てもよいのですが、Googleマップで見るかぎりではここで左に入った方が近そうです。というわけで、曽江谷川の東側の道を南下していくことにしました。これは、細川家住宅からつづいている道です。
橋を渡ってから450メートルほど進むと、いきなり国道377号線に出ました。国道に出たら左折ですが、道路の向かい側には天体望遠鏡博物館があります。廃校になった小学校を利用した施設のようです。11時13分でした。
※天体望遠鏡博物館
お遍路が利用できるトイレなどもあったようですが、私は無視して進んでいきました。
国道はすぐに歩道がなくなってしまいます。交通量も少ないので、危ないということはほとんどないのですが、1回だけややこしい車がいました。
私が登っていると、上から黒いミニバンが降りてきました。「車は左、人は右」の交通ルールに従って私は道路の右側を歩いていたのですが、ぶつかるギリギリまで車を寄せて来たのです。
本当にスレスレでした。向こうはそこそこのスピードでしたので、当たればこちらは吹っ飛ばされていたでしょう。おそらく歩いている私を馬鹿にしてそのようなことをしているのだと思いますが、とんでもない奴です。
ミニバンなど、大きな車(とくに黒!)に乗っている男というのは、たいてい自分が強い、エライと勘違いしています。大きな車に乗ることで、そのような錯覚を起こしてしまうのです。しかし、そもそも本当にエライ人は自分のことをエライと思うことはありませんし、自分で運転することもありません。勘違いした態度は、自分が愚かなしょうもない人間だということを周りに誇示していることになりますよ。
余程追いかけていってやろうかと思いましたが、戻らないといけないのでやめました。進行方向に進んでいたら、追いかけたかもしれません。とりあえず、お杖を振って大声で「バカヤロー」と叫んでおきました。
天体望遠鏡博物館から1.5kmほど歩くと、また休憩所がありました。ここでも休憩はせずに、写真だけ撮っておきました。11時33分です。
※三十丁石の説明板と休憩所(右)
ここで三十丁なんですね。いよいよカウントダウンという感じでしょうか。
さらに国道を750メートルほど進みます。また左に分岐が出てきました。ここは案内標識が左に進むように指示してくれています。左に入りました。
ところが、この辺からまたお腹の調子が悪くなってきました。最後の最後で、かなりヤバイ波です。とりあえずストッパをなめて様子を見ます。しかし、相変わらずストッパは屁の突っ張りにもなりません。耐えながら歩きます。
脇道に入ってから750メートルほど進んだところに、簡易な水道設備があり、そこにまた説明板がありました。十六丁や十五丁くらいまで来ているようです。11時51分でした。
※「蹴切り岩を見越す二つの丁石」の説明板
この後は、この丘を越えれば大窪寺か、と何度も思いながら進んでいきました。もうお寺に着いたら、すぐにトイレに行くしかなさそうでした。
12時4分。
※大窪寺までの道1
12時6分。
※大窪寺までの道2
12時9分。
※大窪寺までの道3
3枚目の民家が見えたところが最後の丘でした。ここを越えると、山門前に下っていけます。
そして、実は12時10分には山門前に着いていたはずです。しかし、もうこの辺では走らないとトイレに間に合わない状況になっていました。
本当は一歩一歩噛みしめながら歩き、結願までのウィニングランになるべきところが、トイレへのヴィクトリーロードとなってしまいました。
トイレの場所は前年に来たときに知っていました。山門から境内の下の道を進んだところです。
※トイレ
人間の尊厳とお金とどちらが大事でしょうか。やはり人間の尊厳ですよね。ということで、リュックはトイレ前のベンチに放り出し、トイレに駆け込みました。ところが、タイミングが悪く老夫婦と息子の3人連れがトイレにやって来ていたのです。夫の方が私より一歩先にトイレに入ってしまいます。この人が個室に入ったら、アウトでした。
老人は小でした。何とか個室に駆け込みます。水が茶色くなっているので、びっくりして一度流しましたが、どうやら中水という完全には下水処理がされていない水が使われているようです。山の中ですから、仕方がありませんね。
ちなみに和歌山大学のトイレの水も、この中水が使われています。
何とか間に合いました。この旅を通じて何度もピンチが訪れましたが、最後の最後も何とか人間の尊厳を守ることができました。一度死んで、生き返ったような心地です。
さて、せっかくの結願寺なのに、到着の瞬間を味わう余裕はありませんでした。また山門まで戻り、やり直すことにします。
ベンチで笈摺おいずるを着て、輪袈裟を着けました。いよいよこれから、歩き遍路のゴールとなります。
山門まで戻っていると、向こうから立派なカメラを持った父親らしき人と、その娘さんらしき人がやって来ました。娘さんらしき人はきちんと白衣も着ていて、お遍路さんとして必要なものをすべて装着しておられますが、なぜかとても恥ずかしがっておられるようでした。とりあえず挨拶をしてすれ違いました。
大窪寺の駐車場は、山門の手前右側に数台分があります。あとは、国道377号線から入ってきて100メートルほどのところに、大きな第1駐車場があります。
※駐車場(右奥) 赤い車が停まっている
さあ、山門前まで戻ってきました。
12時19分、正式に大窪寺に到着です。
※山門
結願を祝ってくれているかのような、雲一つない青空です。愛媛県を回っていたときの天気とは、大違いです。
お寺は結願のお寺にふさわしく、なかなかの規模を誇っています。再度トイレの前を通り、まずは本堂の方へと向かいました。
※本堂
本堂には、何人か参拝者もいらっしゃいました。先程の父娘らしき方もいらっしゃいます。ここで気づいたのですが、どうやら娘さんではなく、モデルさんのようでした。父親らしき人はカメラマンだったようです。
まあ、モデルさんと言ってもプロの方ではないと思います。眼鏡をかけておられたので、市役所であるとか観光協会であるとか、そういったところで勤めておられる方なのでしょう。恥ずかしがっていたのも、プロではないからなんでしょうね。可愛らしい方でしたが。写真はきっと、市の広報とか何かに使われるのでしょう。
お線香を何本立てたらいいのか分からないご様子だったので、「過去・現在・未来の分の3本を立てるのですよ」と教えてさしあげました。
私はここで知ったかぶりをして「線香を3本立てる」、「過去・現在・未来の分」と書きましたが、これには異説があります。
まず、「線香3本」に関しては、四国八十八ヶ所霊場会のホームページ*4にとくに本数の記載はありません。しかし、公益社団法人香川県観光協会のホームページ「うどん県旅ネット」*5には、明確に「3本」と記載されています。
一方、「3本」の意味については、定説がないのが正直なところのようです。阪急交通社のホームページ*6には、以下のように書かれています。
現在、過去、未来の三世の仏様にお供えする、仏・法・僧に帰依(弟子になる、従うという意味)するという意味から、線香は3本立てます。
この一つ目の説を私は唱えていたわけですね。
また、ネットでは他にも三密の行に由来しているという説も散見されます。「三密」とは、コロナ禍において提起された「密閉・密集・密接を避けましょう」の「三密」ではなく、真言宗における「身・口・意」の行を指します。具体的には、身に印契をまとい、口に真言を唱え、意に仏を思い浮かべる、そうすることで即身成仏できるというのが三密の行です。
また、他には先祖・自分・子孫のために3本立てるという説もありました。これらの説も誰かが言い出したことをバラバラに伝えていったため、統一的な見解がない、というのが正直なところではないでしょうか。
話が逸れたので、元に戻しましょう。
本堂は中に入ることができます。中で、納経を済ませました。
つづいて、大師堂に向かいます。大師堂は本堂の左側にあり、石段を登っていかないといけません。
大師堂は簡易な向拝のようなところで納経をします。
※大師堂
大師堂でも、納経を済ませました。
大師堂の右側には寶杖堂があります。
※寶杖堂
大窪寺は結願寺となるため、弘法大師さまの化身としてこれまで自分を守ってくれた金剛杖が、今後は不要となるわけです。そこで、この大窪寺にお杖を奉納される方がたくさんおられます。有料ですが、奉納されたお杖は毎年2回、山伏修験者によって焚き上げられるそうです。
境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*7をご覧ください。
さあ、これで今回の歩き遍路の旅における納経は、すべて終わりました。最後の記帳・押印をしていただくため、納経所に向かいましょう。
納経所はまた本堂の脇にまで戻らないといけません。何か寺か、大師堂に行ってからまた戻らないといけないお寺がありますが、この大窪寺はとくに移動が多いように感じます。並びとしては、ざっくり言うと山門・大師堂・納経所・本堂と並んでいるのに、山門→本堂→大師堂→納経所と行かなければいけないわけです。
というわけで、本堂脇の納経所まで戻りました。納経所ではおばさんが、記帳・押印してくださいました。ここでは、有料ですが結願証明書を発行していただくことができます。前年の車遍路の際には発行していただきました。卒業証書のような筒と合わせて、おそらく3,300円くらいだったと思います。
今回は、おへんろ交流サロンで遍路大使任命書をいただきますので、結願証明書はいただかないことにしました。
私が大師納経を購入したので、納経所の方が手続きについていろいろ説明してくださろうとします。しかし、以前善通寺でパンフレットもいただいているので、やんわりとお断りしました。製本申込用紙と送付用シールは八十八ヶ所中で、1番札所霊山寺と75番札所善通寺、そしてこの88番札所大窪寺でのみ配布されています。そういうことから、ご丁寧にも説明してくださろうとしたのでしょう。
情報収集能力があることからこういうのを断ってしまうのが私の悪いところですが、それよりもむしろ私が欲しかったのはねぎらいの言葉でした。「歩きですか? ご苦労様でした」のような言葉が欲しかったんですよね。
これで、歩き遍路の旅もすべて終わりとなりました。しかしイマイチ達成感がありません。それは、歩き遍路の喜びや苦しみを共有した仲間がいなかったからだと思います。
歩き遍路で結願したらきっと大きな達成感を得られるんじゃないか、と思っていました。もちろん、達成感はあります。しかし、それは思っていたほど大きなものでもなく、88分の1のお寺を参拝し終わったなあ、という程度のものでした。それもこれも、この旅は基本的に「孤独のRunaway」だったからでしょう。達成感も、共有できる仲間がいてこそ得られるものなのですね。
ということで、参拝を終えて本堂の近くにあるベンチに腰掛けました。この段階で13時ちょっと前です。バスは14時ですので、まあのんびりと過ごすことにしました。
ベンチは木陰なのですが、気をつけないと毛虫の害を蒙ります。実際、横にある小さな建物には、毛虫が取り付いていました。
ベンチに座っていろいろ考えていると、それでもジワジワとこみ上げてくるものがありました。こういうのは、客観的に考えないとスゴさが分からないものなんですね。
スナックパンをかじります。バス停を探す必要もあるので、13時30分にはお寺を出ようと思っていましたが、あと30分近くはボーッとするしかありません。
お寺には、いろいろな方がやって来られました。ちょっとやんちゃなおっさん2人組、大学生くらいの男性2人組、他には歩き遍路らしき方もいらっしゃいました。しかし、話しかけようという雰囲気ではありませんでした。
結局、13時30分までウダウダと過ごしてしまいました。
88番札所大窪寺から「大窪寺」バス停まで
88番札所大窪寺を13時30分ごろに出発し、「大窪寺」バス停には13時35分ごろに到着しました。なお、「大窪寺」バス停はGoogleマップでは表示されません。
本堂から真っ直ぐ下に降りていくと、もう一つの山門が現れます。四天門です。
※四天門
四天門をくぐって、下に降りていきました。
少し過ぎたとは言えお昼時でもあり、門前町の飲食店はにぎわっていました。何か食べようかな?とも思いましたが、トイレが心配だったのでやめておきました。
まずはバス停を探さなければなりません。バス停があることは事前の調べで分かっていましたが、どこにあるかまでは分かりませんでした。また、Googleマップでも表示されなかったのです。
下手をすると国道まで戻る場合もあります。下に降りてから、キョロキョロと周囲を見回しました。
すると、意外にすぐに発見できました。野田屋というお店の向かい、大窪寺のさざんかの隣です。
13時35分ごろ、「大窪寺」バス停に到着しました。
※野田屋
※「大窪寺」バス停
歩きを終えて
バス停の横は広場のようになっていて、ベンチもたくさん設置してありました。公衆トイレもあります。思っていたよりもまだまだ時間があるので、ベンチに座ってくつろぎます。屋根もあるので、涼しいです。
※ベンチからバス停を望む
13時50分ごろ、バスはまだ来ていませんでしたが、しびれを切らして並ぶことにしました。すると、左、つまり国道の方からバスがやって来ました。コミュニティバスらしく、ワゴン車です。
バスはそのままいったん通り過ぎ、奥の大窪寺第2駐車場でUターンして戻ってきました。扉が開いてから、乗り込みます。
運転手さんはもしかすると、前日に大川バス本社のところでお見かけした女性ドライバーの方かもしれません。ちょっとぽっちゃりした方ですが、とても愛想のよい方です。
乗客はあと男性もう一人でした。二人とも行先を聞かれます。もう一人の男性の方はJR「造田駅」まで行かれるそうでした。
私が「ハローワークさぬき」で降り、「大川バス本社前」から高松行きに乗り換えることを伝えると、運転手さんはこのバスが「大川バス本社前」まで行くことを教えてくださいました。私が事前に調べていた時刻表では、そのように書いていなかったので、これは意外です。
しかし、時間が結構ギリギリであることが判明しました。私が「大川バス本社前」から乗るつもりだったバスは14時40分発です。このバスが「大川バス本社前」に戻るのは、その2分前ということでした。
これだと、途中で何かあった場合に乗り遅れる可能性がありますよね。そこで、当初の予定どおり「ハローワークさぬき」で降りることにしました。
また、「ハローワークさぬき」から「大川バス本社前」までは600メートルあり、10分弱時間がかかることもあり、「ハローワークさぬき」から一番近い「長尾学校前」から大川バスに乗り換えることにしました。
運転手さんの話だと、「ハローワークさぬき」と「長尾学校前」は同じ交差点の別々の角にあるということでした。
バスは先払いで、500円でした。定刻どおり、14時に出発します。私が歩いてきた道をあっという間に戻っていきます。
運転手さんは急いでくださったのか?、予定より1分早く「ハローワークさぬき」バス停に到着しました。ここから東向きに信号を渡れば、大川バスの「長尾学校前」バス停だそうです。
ちょうどバスが信号で停まっていたので、運転手さんに会釈しながらバスの前を横切りました。
14時25分、「長尾学校前」バス停に到着です。
※「長尾学校前」バス停
ここはベンチもありますし、日陰になっているのでゆっくり待つことができました。時刻表を見ると、ここは14時37分に来るようです。
※「長尾学校前」バス停時刻表
この時間は比較的連絡がついている方だと思いますが、「大窪寺」からの他の便10時発、12時発、16時発のすべてが大川バスとの連絡がついていません。この時間だけが奇跡の乗り継ぎ可能時間というわけですね。
14時37分、定刻どおりにバスがやって来ました。乗り込みます。数名乗客がいらっしゃったと思います。
その後バスは40分近くかけて高松市内へと帰っていきました。前日の反省から、「県庁通り」の一つ手前のバス停「南新町」で降りることにしました。「南新町」で降りてファミリーマート高松亀井町店に寄り、翌日の朝食を買うことにしたためです。
15時15分、「南新町」バス停に到着しました。バスを降りて、ファミマに行きます。
いつもながらのパンを買い、宿泊している天然温泉玉藻の湯 ドーミーイン高松中央公園前に帰りました。15時25分ごろでした。
こんな時間にホテルに帰ってきたのは久しぶりです。まずは念入りにトイレに行きます。それから大浴場に行き、疲れを癒しました。本当に旅は終わったんだなあと感慨深くなります。
このホテルは町中にあり、半露天もあるのでかなり開放的な気分になれます。明るい時間に入るのは初めてだったので、なおさらそのように感じました。
18時少し前、さすがに最後の晩餐ということもあり、お店を探しにホテルを出ました。これまで3泊はホテル着が遅かったということもあり、コンビニ飯で済ませていましたが、最後くらいはちゃんとしたものを食べたいところです。部屋で、何軒か調べていました。このホテルは高松の繁華街瓦町に近く、お店はいっぱいあります。
まずはホテルから歩いて5分ほどのところにある、kitchen ROADに行ってみました。肉系のものが食べたかったのです。ところが行ってみたところ、どうもやっていない感じでした。高松市には2021年8月7日からまん延防止等重点措置が出されていましたので、その影響でしょうか。
そこからまた別方向の本場讃岐うどん たも屋 高松女道場に行ってみましたが、ここは何ともう閉まっていました。この後もうろうろして何軒か探してみましたが、敷居が高かったり、油ものだったりで入ろうと思う店がありませんでした。
結局、ファミリーマートまで戻り、そこで夕食を買うことになりました。4日連続でファミマの夕食です。この日は塩カルビ焼きそばと鮭わかめおにぎりにしました。
食後は、また大浴場に入ります。洗濯をし、荷物の整理をしました。
いよいよ翌日は大阪に帰ります。何と、翌々日から仕事なのです。40日歩き旅をつづけて、休みなくすぐ仕事とは、何ともタフな感じですね。これ、やはり40代後半のおじさんには、かなり堪えました。せめてあと3日ほど休みがあればなあ、というところでした。
翌日は、乗り換えもなく一番手っ取り早い高速バスで、大阪まで帰ることにします。ダイヤを調べて早めに就寝しました。
歩き遍路振り返りデータ
歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。
札所情報
札所:2か寺
納経代:600円
大師納経代:600円
宿情報
天然温泉玉藻の湯 ドーミーイン高松中央公園前
禁煙ダブルシングルユース(※連泊割)
宿泊費:6,150円
室内に冷蔵庫・シャワー・トイレあり
WiFiあり
大浴場あり。温泉
洗濯機・乾燥機あり(4台ずつ? 女性用は不明)
洗濯機無料、乾燥機300円(20分で100円)
アクセス:琴電「瓦町駅」から徒歩5分
コンビニ:徒歩2分
スタッフの対応は丁寧でよい。大浴場が広くてとても快適である。また、飲み物やアイスバーなどのサービスもよい。前日に比べてこの日の宿泊費が1万円以上安かったことに驚き! というか前日高過ぎ!
バス情報
行き:大川バス 「県庁通り」~「大川バス本社前」 610円
帰り:さぬき市コミュニティバス 「大窪寺」~「ハローワークさぬき」 500円
大川バス 「長尾学校前」~「南新町」 640円
距離と歩数
ASUS VivoWatch BP(HC-A04)
カロリー:1,562kcal
距離 :21.3km
歩数 :30,823歩
※31日目からスマホアプリの記録なし
歩き遍路 38日目 ◁ 歩き遍路 39日目 ▷ 歩き遍路 40日目
*1:四国遍路 聖地巡礼「香川編 | 歩き遍路のための「四国遍路」巡礼マップ『87番札所長尾寺』」2022.2.11閲覧
*2:四国遍路 聖地巡礼「香川編 | 歩き遍路のための「四国遍路」巡礼マップ『87番札所長尾寺』」2022.2.11閲覧
*3:さぬき市ホームページ「文化施設『重要文化財細川家住宅』2022.2.11閲覧
*4:四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「参拝方法」2022.2.12閲覧
*5:公益社団法人香川県観光協会ホームページ「うどん県旅ネット『参拝方法』」2022.2.12閲覧
*6:阪急交通社ホームページ「四国八十八ヶ所お遍路の旅『参拝基礎知識』」2022.2.12閲覧
*7:四国遍路 聖地巡礼「香川編 | 歩き遍路のための「四国遍路」巡礼マップ『88番札所大窪寺』」2022.2.12閲覧