満願・お礼参りを目指す四国八十八ヶ所歩き遍路の旅ですが、前日は大阪から四国に移動しただけでしたので、この日から本格的な歩きの再開となります。約1年ぶりに長距離の歩きとなりますが、はたして無事に歩けるのでしょうか。満願への2日目のレポートです!
歩き遍路 42日目 満願への2日目 「大窪寺」バス停から「上下島」バス停まで
歩き遍路42日目、8月15日(月)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。
久しぶりの歩きです。計画段階では24.6kmとなっていますが、これだけ暑いなか、無事に歩ききることができるでしょうか。不安いっぱいのスタートです。
なお、スタート地点は前回最後に到達した「大窪寺」バス停となります。そこまでは、前回に帰宅したのと逆ルートでバスを乗り継いでいきます。それにしても大川バスというのは大変貴重な路線バスですね。「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」の第5弾で田中要次さん、羽田圭介さん、小野真弓さんも利用されています。引田と高松を1本で結ぶというのは、スゴイことです。
ちなみにさぬき市のコミュニティバスも大川バスが委託運行されていますが、さぬき市コミュニティバスは、この日はなぜか平日ダイヤでした。乗る便は変わらないのでどうでもいいのですが、運賃は大きく変わってきます。平日200円、休日500円ですからね。前回の最後に利用したときは、500円を支払いました。
さて、いつもどおりに5時に起床し、いつもながらの朝食をいただきます。サラダを忘れていたのでサラダなしですが、ヨーグルトドリンクがあります。これで歩いている途中にお腹が痛くなることもないでしょう。朝食後は、出発の準備を整えました。
「大窪寺」バス停から88番札所大窪寺まで
「大窪寺」バス停を9時16分ごろ出発し、88番札所大窪寺には9時20分ごろに到着しました。なお、「大窪寺」バス停はGoogleマップでは表示されません。
7時10分ごろ、ホテルをチェックアウトします。そのまま天然温泉玉藻の湯 ドーミーイン高松中央公園前を出発して、向かいにあるファミリーマート高松亀井町店に行きました。飲み物等を購入するためです。ところが、品ぞろえを見てビックリです。前日がお祭りだったからでしょう。商品棚が軒並みスカスカになっています。水やスポーツドリンクもありません。パンもろくなものがありませんでした。
ちょっとこれでは心許ないということで、ここでの購入をあきらめます。周辺にはまだいくつかコンビニがあるようでしたので、北に200メートルほど進んだ大通りに面している、セブンイレブン高松南新町店に行ってみました。するとここは品物の補充が早いのか、昨日あまりお客さんがなかったのか、十分な品ぞろえでした。早速、水、スポーツドリンク、凍ったスポーツドリンク、スナックパンを買いました。前回の旅で前半かなりお世話になったのがウィダーインゼリーですが、これを買うという発想が頭の中からなくなってしまっており、買いませんでした。
「県庁通り」バス停に戻ります。7時23分に到着しました。前日に確認しなかった時刻表です。
※「県庁通り」バス停時刻表
このバス停はことでんバスや高速バス、空港へのリムジンバスなど、いろんなバスの共用となっています。先に高速バスがやってきましたが、スルーしました。
つづいて大川バスらしきカラーのバスがやってきましたが、大川バスではなくフットバスでした。大川バスは緑色のボディカラーとなっていますが、定刻の7時36分になっても姿が見えません。
7時40分、4分遅れでようやく大川バスがやってきました。おそらくほとんど乗る人がいないのでしょうが、私が手を挙げてもバスは半信半疑の様子でそろそろと近づいてくるだけで、停まる意欲が感じられませんでした。そこで、再度手を挙げます。ようやくバスは停まってくれました。
案の定、乗客は私だけです。貸し切りのバス旅のスタートだ!と思いきや、2つほど先の「瓦町」バス停でサラリーマン風の男性が乗ってきました。〇〇というバス停に停まるか聞いておられましたが、どこのことを言っているのか、よく分かりませんでした。そして彼は、その3つくらい先のバス停で降りていきました。大川バスでなくてもよかったように思います。
さて、私は唯一無二の大川バスに乗り続けます。予定より6分遅れて8時16分、「大川バス本社前」バス停に到着です。本社社屋の向かい側にきちんとしたバス停があります。ここで8時40分発のさぬき市コミュニティバスに乗り換えです。
※「大川バス本社前」バス停
とりあえず時刻表を確認しましたが、コミュニティバスの乗り場はここではないようです。本社の方に行ってみます。
本社前のベンチには、3人のご老人が座ってお話をされておられます。どうもバスを待っておられるわけではないように思いますが……。
そのベンチの向かい側に、「大窪寺」方面と書かれたバス停らしきものがありました。時刻表を見ていると、運転手さんらしき方が奥に停まっているバス停から歩いてこられました。「ここで待っていればいいですか?」と聞いたのですが、お返事がよく聞き取れませんでした。おそらく、奥のバスを指して「あれです。もう乗れますよ」と言ってくださったのだと思います。
発車までまだ20分以上ありましたので、まずはトイレをお借りしました。外は暑いので、待合室に入ります。ここで8時35分くらいまで待っていましたが、とくに案内等もないので、外に出てみます。奥に停まっているバスをよく見てみると、何と、すでに人が乗っておられる様子でした。行ってみることにします。
すると、ドアも開いており、すでに数人の乗客が乗っておられるではありませんか。皆さん、ここで20分以上根気強く待っておられたわけですね。私も空いている席に座りました。
しかしなぜか、8時40分になっても運転手さんが来られませんでした。ただ、他のお客さんもとくに何を言うでもなく、辛抱強く待っておられます。結局2分遅れで運転手さんがやってこられ、始発地点から遅延状態で出発しました。
ちなみに私以外のお客さんはほとんど「行基苑」というバス停で下車されました。老人ホームやゴルフセンターがあるようです。
私はそこからまだ20分以上乗り続けます。昨年私が歩いた道を通り、おへんろ交流サロン・前山の前も通過しました。外から見たかぎりでは、今年はやっているようでした。さらに古い小学校を改造した天体望遠鏡博物館や、野田屋 竹屋敷の前を通り、9時12分に「大窪寺」バス停に到着しました。結局最後は時間どおりになっています。
大窪寺に参拝するかどうか少し悩んでいたのですが、結局参拝だけはしておくことにしました。せっかく香川まで来ているわけですからね。少し広場のようになっているところにベンチがありますので、そこで装備を整えました。ちなみに運転手さんはバスを降りてすぐにトイレに行っておられましたので、体調が悪かったのかもしれません。
装備を整え、すぐに大窪寺の四天門に向かいます。トップの画像がそれですね。
※大窪寺入り口
早速、本堂へ向かいます。境内にはどなたもいらっしゃいませんでした。本堂で納経を済ませ、大師堂へと向かいます。このお寺は割と広く、大師堂は本堂の左の一段高いところにあります。少し歩かないといけません。
大師堂に行き、ここでも納経を済ませます。相変わらず、どなたともお会いしませんでした。
大師堂の右側には、金剛杖をご奉納するお堂があります。結願後に不要となったお杖をこちらで護摩のように焚いていただくわけです。昨年の長雨のせいで菅笠がかびているので、こちらで菅笠をご奉納しようかどうか迷ったのですが、今回はやめておくことにしました。
※寶杖堂
ちなみに手前に「原爆の火」と書いてありますが、福岡県の山本さんという方が叔父さんの形見として、広島に投下された原爆の火を持ち帰られたものだそうで、今でも大切に灯し続けられているということです。実はこれまで2回このお寺に訪れていながら、まったく気づいていませんでした。しかし、とてもふさわしい終戦の日に気がつくことができました。
さて、境内を後にして出発します。バス停近くの広場まで戻り、トイレに行っておきます。事前に練習した時はトイレの頻度が割と高かったので、出し切っておこうと思ったからです。トイレから出て準備をしていると、ようやく、観光客らしき夫婦が大窪寺に入っていく姿が見えました。
準備を整え、出発です。出発前に飲み物を購入しようかどうか迷ったのですが、まだそれなりに残っていたので、購入するのはやめておきました。この判断が誤りだったことに気がつくのは、もう少し先のことです……。
88番札所大窪寺からうどん亭八幡まで
88番札所大窪寺を9時45分ごろに出発して、うどん亭八幡には13時45分ごろに到着しました。下りが多かったとはいえ18.7kmを4時間で歩いていますので、Googleマップよりは遅いですが、まずまずの速さだと思います。
事前に昼食を食べる店をいろいろ調べていましたが、結局切幡寺方面に向かうのであれば、うどん亭八幡で食べるのが一番お遍路らしいなあと思い立ちます。ということで、Googleマップの行き先をうどん亭八幡にセットして、歩き始めました。ちなみにこの日の目的地は、「上下島」バス停です。
大窪寺からは、前の道を東へ向かいます。やはりうどんで有名な八十八庵や、これもお遍路宿として有名な八十窪の前を通っていきます。道は南にカーブしていきますが、350メートルほど歩くと、国道377号線に合流しました。ここからは、3.9kmほど国道を歩いていくことになります。
※国道377号線との合流地点
※合流地点を振り返ったところ
国道をひたすら東へと歩いていきます。700メートルほどで、はらいがわトンネルに着きました。ここで9時56分でした。
※はらいがわトンネル
はらいがわトンネルは2012年1月の完成で、長さは172メートルあります。歩道は狭いですが、交通量は多くないので、それほど危険ではありません。
トンネルを出てから650メートルほど進むと、キノコのような休憩小屋がありました。ここで10時6分です。
※休憩小屋?
なお、この東側で道路が分岐しており、分岐している方が四国の道となっています。少し遠回りにはなりますが、そちらに進んでも切幡寺方面への遍路道に合流できると思います。
国道は四国遍路 聖地巡礼のマップ*1でも遍路道となっています。私も直進しました。
ということもあり、ところどころに丁石があります。
※二十九丁の丁石
※三十一丁の丁石
距離はおそらく大窪寺からの距離だと思われます。明和四年というのは江戸時代中期の1767年ですね。ちなみに二十九丁の丁石は道路の南側、三十一丁の丁石は道路の北側にあったと思います。
二十九丁地点が10時24分、三十一丁地点が10時29分です。5分で二丁進んでいました。一丁は約109メートルですから、むしろ遅いペースのように感じます。
意外とこの辺は畜産農家が多いのか、牛を飼っておられました。10時33分です。
※牛小屋
さらにしばらく進むと、三十五丁の丁石がありました。
※三十五丁の丁石
ここで10時34分でしたので、今度は同じ5分で四丁進んでいます。もはや丁石の間隔がおかしいような気もします。
この丁石からわずか3分ほどで、左に長野屋という直売所が出てきます。
※長野屋 通り過ぎてから撮影したので右側にある
ここを通り過ぎると、すぐに分岐点です。国道から右の細い道に入っていきましょう。
※国道からの分岐点
納屋のような建物の横を右に入っていきます。こちらが遍路道で、切幡寺への案内が出ています。道路の標識としては、徳島県の市場町を指しています。
なお、国道の奥にも青色の道路の標識がありますが、ここから五名トンネルを含み850メートルほど国道377号線を東に進めば、県道2号津田川島線という広めの道にぶち当たりますので、そこを通って徳島県の吉野川市の方に行くこともできます。実は、後々、遍路道もこの県道2号線と合流することになるのです。
遍路道には、遍路道の案内標識が出ています。手前と奥にありますね。ここで10時38分でした。
※遍路道入り口
納屋の脇に立っていた石碑は、切幡寺への案内標識となっていました。
※切幡寺への案内標識となっている石碑
遍路シールも貼られています。距離は18kmということですので、まだまだですね。普通に歩けば4時間半かかるわけですから、うどん亭八幡には15時ごろの到着ということになりますか? お店は開いているのでしょうか。
やや薄曇りではありましたが、気温はかなり高くなっており、どこかで見た温度計では32度となっておりました。山の方でこれですから、里の方はもっと暑くなっていることでしょう。
ところで、この辺で飲み物を購入しようと思ったのですが、残念ながら自動販売機がありません。上に写真を載せてある長野屋さんでは、野菜などの直売はやっておられましたが、飲み物は売っていませんでした。
ないと思うと余計に喉が渇くものです。ただ、どうしようもありません。先へと歩いていくことにしました。
日開谷川沿いの道を歩いていきます。ところどころ、日陰にもなっています。5分ほどで、徳島県との県境が見えてきました。
※徳島県と香川県の県境
飲み物がないと思うと余計にしんどくなってきました。自販機~と思いながら歩いていきます。
県境から280メートルほど進むと、道が左右に分かれています。案内標識によると、右は「ニイヤ」、左が「県道津田川島線」となっています。遍路道の案内標識も左を指しています。当然、左に進みました。
この後、ちらほら住宅も出てきました。しかし、自動販売機はありません。また、道を歩いている人もまったくいませんでした。
ひたすら唾を飲みながら歩みを進めます。
先程の分岐点から550メートルほど進むと、また右に分岐する道が出てきました。左側にカーブミラーがあり、そこには遍路道の案内標識や遍路シールが貼ってあります。右に入っていくようです。
ところが私は、あまりに喉が渇いていたからかそれにまったく気づかず、そのまま直進してしまいました。まあ、だからと言って大した問題ではありません。この先で、自然に合流できますので。
間違った方の道は大影神社の敷地の外をぐるっと回るような形になります。すると、右側に松尾餃子店が見えてきました。ここはGoogleマップではレストランの扱いになっていますが、冷凍餃子の販売のみをやっておられます。出発前には昼食場所の候補にも考えていたところです。まあ、うどん亭八幡に変更しましたが。
ここで気づきます。道を間違えていたことに。Googleマップを見ると、先程の右折ポイントを見落としていたということに気づきました。ただ戻らなくてもいずれ合流できるので、ここでほぼ180度折り返すような形で右折し、松尾餃子店の前を通過します。この店をやめた理由の一つが、通り道ではなかったからなのに、結局通る羽目になってしまいました。
ただ、現在は冷凍餃子の販売しか行っておられませんでしたので、いずれにしろここで食べることはできませんでした。しかも、お休みされていました。
なお、180度折り返すような形で右折すると松尾餃子店の前の道になりますが、ほぼ直進に当たる左折をすると、県道2号線に出ます。大影小学校のある交差点を右折し、県道2号線を南下していけば、最終的に遍路道に合流します。
私は松尾餃子店の前の道を南下し、500メートルほど先で県道2号線に出ることにしました。
この辺はひまわり畑が多く、機械でひまわりを刈り取っておられるところもありました。ひまわり油にでもするのでしょうかね。ここで10時59分でした。
※ひまわり畑 奥が県道2号線
なお、松尾餃子店前から280メートルほど南下すると、私が見落としていた正しい遍路道が合流してきます。
※やや古い道標
奥から来る道が正しい遍路道です。道標には、「右しろとり 左大くぼじ」と書いてあります。私は右方向から歩いてきました。11時2分です。
昨年の歩き遍路の旅では、大窪寺での結願後、白鳥温泉に泊まることを予定していましたが、お腹の調子が悪かったため部屋にトイレのない白鳥温泉を断念していました。豪華な牡丹鍋を食べたかったのですが……。
さらに200メートルほど進むと、県道2号線に合流しました。右折して、南下します。
すぐに、切幡寺12kmと書かれた遍路の案内標識が出てきました。切幡寺を直接目指しているわけではありませんが、それより少し南にあるうどん亭八幡まではまだ3時間近くかかるというわけですね。
※川島まで17kmの交通標識
※切幡寺まで12kmの案内標識
ここで11時4分でした。
この後も喉の渇きと戦いながら歩き続けます。350メートルほど先に屋根付きの休憩所があったので、そこで休憩することにしました。炎天下のアスファルト道ですから、結構キツイものがあります。
ここで、予備用に購入していた冷凍されたスポーツドリンクをクーラーバッグから取り出しました。少しだけ溶けています。口に流し込むと、生き返りました。そのままリュックの横のポケットに差し込みます。クーラーボックスから出してしまえば、どんどん溶けていくでしょう。
また、首からかけているタオルと頭に載せているタオルを冷水で冷やしました。これはいいですね。ボーっとしていた頭がすっきりします。まだまだ歩けそうです。
ちなみに自動販売機は、ここから350メートルほど南下したところにありました。大窪寺を出発してから、実に7kmほど自動販売機がなかったことになります。ですから、遍路道を歩かれるお遍路さんは、飲み物の準備をしっかりと行ってから大窪寺を出発されることをお勧めします。
実は、国道377号線から遍路道にすぐ入らずに、もう50メートルほど国道を進めば、左側に自動販売機があるようです。Googleマップで確認しました。知っていれば何てことない知識ですが、歩いている時は必死ですから、なかなかそこまで思い至らないですよね。
繰り返しますが、大窪寺を出発される際には、飲み物の準備にご注意ください。
私はとりあえず、大窪寺を出発してから初めて見た自動販売機で、アクエリアスを買っておきました。リュックのポケットは押し込めば500mlのペットボトルが2本入りますので、無理やり押し込んでおきました。
さらに南下を続けます。1.9kmほど歩くと、岩野トンネルです。ここで11時46分です。
※岩野トンネル
岩野トンネルは1998年12月の完成で、長さは104メートルあります。歩道は広く、交通量も少ないので安全なトンネルです。
なお、このトンネルの手前には湊庄市記念碑公園があります。昔バスが走っていたのか、バス停の跡らしきものもありました。また、割とキレイそうなトイレがあります。大窪寺を出発してから2時間ほどになりますが、とくに行きたくなかったので、トイレには行きませんでした。
岩野トンネルを出てからさらに1.1kmほど歩いていきます。右側に、鈴江組市場採石工場が出てきました。左側を走る日開谷川は、ダムのようになっていました。ここで12時1分です。
※日開谷川
※鈴江組市場砕石工場
私が確認した限りでは、2番目の自動販売機です。
この横を通っている時に、ふと思い出しました。この日は8月15日だったのですよね。前年の8月15日は45番札所の岩屋寺で正午を迎え、黙禱を捧げていたのでした。しかし、この日はうっかりと正午を過ぎてしまいました。おそらく甲子園でも黙禱が行われていたはずです。そこで、路傍で歩きながら黙禱することにしました。時間を過ぎたうえに、簡便な形で申し訳ないです。
砕石工場から1kmほど歩いていきます。2度、日開谷川にかかる橋を渡りました。大変のどかな道を歩いていきます。
※県道2号線の景色
上の写真の奥、砕石工場から1.7kmほど歩いたところに、犬墓大師堂への分岐点が出てきました。左側にあります。ここで12時20分でした。
※犬墓大師堂への分岐点
ちなみに犬墓大師堂とは、弘法大師が山中でイノシシに遭遇した際、弘法大師を守ってイノシシと戦い、命を落とした愛犬を、弘法大師がお墓をつくってお祀りした故事にちなむそうです*2。
いつもどおり、道を逸れるのはキツイのでスルーします。スルーするのです。
ただ、近くに犬墓大師堂の説明板がありましたので、写真を載せておきます。
※犬墓大師堂説明板
大窪寺から13km来ているようです。また、切幡寺まで7kmとなりました。
この分岐点から150メートルほど南下すると、四麺祖価 山里というお店に着きます。四麺というのはどうやら、うどん・そば・ラーメン・ソーメンの四つの麺のことを指すようです。脇には伊笠製麺所とも書いてありますので、自家製麺を使っているのかもしれません。ここも出発前は昼食場所の候補の一つでした。
四麺祖価という店名は、「四面楚歌」の故事にちなんでいると思われます。四面楚歌とは、『史記』巻七項羽本紀を出典とする故事成語の一つで、漢軍に垓下に追い詰められた項羽が、包囲軍から楚の歌が歌われているのを聞いて、慨嘆するというお話です。
項王軍壁垓下,兵少食盡,漢軍及諸侯兵圍之數重。夜聞漢軍四面皆楚歌,項王乃大驚曰:「漢皆已得楚乎?是何楚人之多也!」項王則夜起,飲帳中。有美人名虞,常幸從;駿馬名騅,常騎之。於是項王乃悲歌慨,自為詩曰:「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可柰何,虞兮虞兮柰若何!」歌數闋,美人和之。項王泣數行下,左右皆泣,莫能仰視。
『史記』巻七項羽本紀(出典:維基文庫)
私が高校生の頃、漢文の先生曰く、「高校生の3人に1人は司馬遼太郎先生の『項羽と劉邦』を読んでいる」とおっしゃっていました。今から30年前ですが、現在はどうでしょうか。現在の高校生の方で、『項羽と劉邦』を読んだことのある方はいらっしゃいますかね? ちなみに私はこれを読んでいたお蔭で、1浪時のセンター試験の小説が50点満点でした。何と、センター試験に出題されたのですよね。出題者の意図まで透けて見えるような、完璧な解答ぶりでした。
いちおう、上記の漢文を訳しておきましょう。
項羽の軍は垓下に籠城し、兵は少なくなり兵糧は尽きようとしていた。漢軍と諸侯の兵はこれを数重にも囲んでいた。夜間、四方の漢軍は皆楚の歌を歌っていた。項羽は大いに驚き、「漢軍はすでに皆、楚を支配下に収めたのだろうか? 何と楚人の多いことだろうか!」と言った。項羽は夜中にもかかわらず起き、帳の中で酒を飲んだ。美人(※役職のようなもの)で名を虞という者があり、常に行軍に従っていた。また、駿馬で騅という馬があり、常にこれに騎乗していた。ここに至って項羽は歌が聞こえてくるのを悲しみ、自ら詩をつくった。「力は山を抜き気は世を蓋う 時に利あらず騅逝かず 騅逝かざるをいかにせん 虞や虞や汝をいかにせん!」。歌を数回繰り返し、虞美人もこれを唱和した。項羽は泣いてしばしば歌をとめ、左右の者は皆涙し、項羽を仰ぎ見ることはできなかった。
歴史に詳しくない方のために概説しておきます。中国には戦国時代(※日本の戦国時代の名はこれにちなむ。紀元前5世紀~紀元前221年)というのがありました。ちょうど世間ではそこそこブームになっている『キングダム』の時代ですね。あれに登場する政という人物が中国を統一する秦の始皇帝です(※知らなかった方はすいません。ネタバレ注意。……遅い)。ちなみに、主人公の信は後に相当なことをやらかします。ネタバレを避けるためにここでは「やらかす」ということだけを予告しておきましょう。
よく評などで『キングダム』は史実を踏まえていて歴史の勉強になる!などと言う人がいますが、私に言わせると『キングダム』は荒唐無稽な作品です。この時代のことを漫画で知りたい方は、王欣太先生の『達人伝~9万里を風に乗り~』*3を一読されることをお勧めします。
秦の始皇帝の死後、天下は再び乱れます。そのなかで最終的に台頭してきたのが、農民出身の漢の劉邦と、楚の名門出身の項羽です。一時は項羽が優勢に立ち、天下を治めることになりましたが、自らの才を恃みすぎた項羽は優秀な人材を活用することができず、黥布や陳平、韓信といった逸材が次々と劉邦側に寝返ります。そして最後は劉邦・黥布・韓信の軍に追い詰められ、垓下の戦いを最後に敗死したのでした。詳しくは司馬遼太郎先生の『項羽と劉邦』*4か、川原正敏先生の『龍帥の翼 史記・留侯世家遺伝』*5をご覧ください。
さて、話が大幅に逸れました。昼食場所候補であった四麺祖価はあいにく休業でしたので、ここでは食べられませんでした。もっとも、すでに昼食はうどん亭八幡と決めていましたが。
ただ、自動販売機がたくさんありましたので、ここでも飲み物を購入しました。
※四麺祖価 山里 南側から撮影
四麺祖価から1kmほど歩くと、左側に阿波アスコンが出てきました。
※阿波アスコン入口
コンクリートの会社でしょうね。12時35分でした。
さらに7分ほど歩いて、ようやく目印の一つだった徳島自動車道の高架が見えてきました。
※遠くに徳島自動車道の高架が見える
ここから2分も歩くと、もう高架下にまでやってきました。ここで12時49分です。
※徳島自動車道の高架<
それにしても、人も車もまったく見えません。
高架をくぐってから350メートルほど進むと、切幡寺への遍路道の案内標識が左折するように示しています。案内標識は街灯についています。Googleマップでは、コスモス畑がある交差点です。
ちなみに、さらに90メートルほど進んで左折する県道2号線をそのまま歩いても問題ありません。すぐに合流します。
先程のコスモス畑のところで左折した場合は、斜めに曲がっていく道を400メートルほど歩いていきます。すると、左側に市場石油ガソリンスタンドが出てきます。ここで県道2号線と合流します。
合流したらすぐに、日開谷川にかかる上喜来橋です。橋を渡ります。
すでに、13時2分になっていました。
ここから道が少しややこしくなります。橋を渡るとすぐに、切幡寺が左だと示す案内標識が出てきますが、これはおそらく車用です。確か歩き用の案内標識もあり、直進を示していたと思います。
橋を渡ってから550メートルほど直進すると、左に吉川園というお茶っ葉の販売店が出てきます。切幡寺への遍路道の案内標識はここでも直進を指しています。
この後、100メートルほど歩くと道が左右に分岐しています。左は少し上っていく道になっており、切幡寺への遍路道の案内標識もあります。右は少し下っていく道で、うどん亭八幡へと向かう近道となっています。右に下ります。
右に下って200メートルほど進んだところに、石碑がありました。13時14分になっています。
「市場飛行場滑走路西端の地と書いてあります。「以東千三百メートル」とも書いてありますので、1,300メートル級の滑走路があったのでしょう。
まあ、関西国際空港の滑走路は3,500メートルと4,000メートルですから、比較にならない長さです。小型のプロペラ機などが発着していたのでしょうね。
少し調べてみると、どうやら太平洋戦争末期に急ごしらえで造られた飛行場のようです。読売新聞の2021年8月12日の記事*6に記載がありました。下手をすると、ここからも特攻機が飛んでいったかもしれないそうです。終戦の日にふさわしい石碑を見ていたんですね。
石碑から230メートルほど、2つ目の辻を右に曲がります。さらに110メートルほど進んだところに、左に分岐する道が現れます。明らかに本道ではなさそうなそちらに進みました。
また230メートルほど進むと、県道139号線に合流します。合流してから70メートルほどで左、北側に天満神社が出てきました。13時22分です。
Googleマップでは天満神社となっていますが、扁額を見ると天満宮の方が正しそうです。
天満宮から400メートルほど進むと、また道が左右に分岐しています。ここでも左の道は少し上っていく感じになっています。右の道はお墓の方へと続いています。私は、右へと進みました。
道は南東方面に進んでいきます。途中、左側を見ると亀井仏壇と、遠くに切幡寺らしきお寺が見えました。13時33分です。
山の中腹に塔らしきものが見えます。徳島自動車道の向こう側、上にありますので、おそらく切幡寺で間違いないでしょう。
右に分岐してから900メートルほど進みました。溜め池の南端に出ます。道が、左右に分岐しています。右へ進むと、早めに県道12号線川北街道に出ます。ただ、うどん亭八幡に行くには少し遠回りになりますので、私は左に進みました。溜め池沿いに進むような感じです。
すぐに少し大きな道路に出ますが、そこを横断し、横断してから40メートルほど先でぶち当たった道を右に曲がりました。右に曲がると道が左右に分岐していますが、右の方を進みます。
右側を進むと、150メートルほどで八幡交通タクシーの前を通ることになります。
タクシー会社から140メートルほどさらに直進し、現れた四叉路を斜め右の方に進んでいきました。110メートルほどで県道12号線川北街道に合流です。
県道12号線は割と交通量の多い道路です。1番霊山寺から9番法輪寺までの札所は、この道に沿った形で東から西に点在しています。
合流した際に撮った写真がこれです。すでに13時44分でした。
奥にはビジネスホテル八幡とうどん亭八幡が見えます。ようやく着いたな、という感じです。
13時45分ごろ、念願のうどん亭八幡に到着しました。さすがにこの規模のお店ですから、お盆休みの真っ只中といえども開店しておられます。お店はそこそこ混んでいましたが、入ってすぐにあるカウンターのような席にすぐに通されました。
実は、このお店には1年前に来ていました。2021年7月22日以来のうどん亭八幡です。その日は8番札所熊谷寺から10番札所切幡寺まで歩き、翌日の12番札所焼山寺に備えて11番札所の藤井寺近くのバス停まで歩いて終わった日です。
この日の出発時にここに行こうと決めていたのは、ここで食べたうなぎが忘れられなかったからです。うなぎを食べて元気を出そう!ということで、1年前と同じうなぎ丼と冷やしうどん御膳を頼みました。
このブログを書くために1年前の記事を確認すると、何と1年前は1,408円で提供されていました。今回は1,518円ということで、110円も値上がりしています。うなぎのせいか、うどんのせいか、まあ両方でしょうね。値上げ値上げのイヤな時代です。
思っていたよりも時間がかかって、料理が運ばれてきました。すると、少し不思議な光景に戸惑いを覚えます。というのは、普通うな丼やうな重に乗っているうなぎは、身の方を上にして、皮の方を下にして盛りつけていると思うのです。しかし、見事に身が下、皮が上になっています。
まあ、私は味さえよければ盛り付け方にはとくにこだわりはありません。丼一面に広がるうなぎを、お箸で少し割ってから口に運びました。ここで、ようやく盛り付け方が違っている理由が分かりました。焼き過ぎてしまっていたのか、身の方が真っ黒けになっていたのです。どうりで時間もかかるわけです。焼き過ぎたくらいですから。
しかし、味は問題ありません。焦げているので少し苦味もありますが、ほんの少しでしかなく、うなぎの身のふわふわ感と皮のパリパリ感がはるかに勝っていました。輸入もので変な飼料を与えられているうなぎは皮がゴムのようになっており、食感もぶよぶよしていてイマイチですが、ここのうなぎは本当にふわふわ、パリパリです。これで焦げてなかったらもっとおいしかったでしょうね。
まあ、細かいことは気にしません。あっという間に完食です。おいしかったです。歩き始めてから初めてのトイレを済ませ、出発の準備を整えました。
うどん亭八幡から「上下島」バス停まで
うどん亭八幡を14時25分ごろに出発して、「上下島」バス停には16時ごろに到着しました。Googleマップとそれほど変わらないペースで歩けていると思います。
14時25分ごろ、うどん亭八幡を出発しました。ここから先の道しるべは、11番札所の藤井寺への案内標識となります。遍路道を歩いていく感じなので、道は結構分かりやすいです。
まずは、うどん亭八幡から80メートルほど北東方向に県道12号線を歩きます。交差点を右折して、県道237号線に入りましょう。しばらくは県道237号線を道なりです。
300メートルほどで違う道にぶち当たりますが、ここから左、東側が県道237号線の続きとなっています。迷わず、左折しました。ちなみにこの辺は1年前も通った道です。
※左折ポイントの道標や遍路道案内標識
上の写真では、右下から南下してきました。今度はここで左折して、左下の方に進んでいきます。14時30分でした。
90メートルほど進んだところに笠井理髪店があり、右の道に入っていくと阿波市立八幡小学校の方に進むことになります。遍路道らしき道標もあります。14時31分です。
※笠井理髪店脇の道標
Googleマップがそちらを示していたように思い、小学校の方に進もうかどうかタブレットで地図を見ていると、1台の車が通りかかりました。おじさんが、窓を開けて話しかけてこられます。私が道に迷っていると思われたのでしょう、「迷ってる?」とのお言葉でした。
まあ、今時Googleマップがあればどこでも行けるので、「いや、そうでもないです」とお答えしたのですが、菅笠と金剛杖を持っているので、どう見てもお遍路さんと思われたご様子で、「神社までまっすぐ進んで、神社から右に入って南に進むといいよ」と教えてくださいました。わざわざ車を停めて教えてくださったので、こちらも丁重にお礼を述べます。実は藤井寺に向かっていたわけではないのですが。
少し先の八幡神社ではなく、この笠井理髪店のところで曲がろうかなと思っていたのは、Googleマップがそちらを示していたことと、前回とは違う道を歩きたいなと思ったことの二つの理由がありました。まあ、教えられた道を行くことにしましょう。
ちなみに上の写真の道標をよく見ると左を指しており、「ふじい(ゐ?)寺」と書いてあります。
教わった道を道なりに230メートルほど進みます。途中、右手に八幡郵便局がありました。
14時35分、教えられた八幡神社前に到着しました。
※粟島神社
八幡神社と書いてきましたが、鳥居の扁額は粟島神社となっています。まあとにかく、粟島神社の前を、右折します。神社の敷地に、藤井寺への右折ポイントを示す案内標識が立っています。ちなみにこの神社、その右折ポイントの近くにも鳥居があり、そこには八幡宮の扁額がかかっています。やはり八幡神社でもあるわけですね。
4分ほど歩くと、用水路に出ました。
※用水路が見える
昨年は、この用水路沿いに進み、阿波中央橋を渡って「上下島」バス停へと進んだのでした。
※用水路
今年は、直進する方の遍路道を進むことにします。
用水路を渡ったすぐ右側に、中務茂兵衛の碑があったようですが、まったく気づきませんでした。Googleマップで見ても、ガードレールの陰にかくれているような感じです。また、少し大きなお堂のような建物もありますので、かなり注意していないと見落とすでしょう。
用水路を渡って90メートルほどで、お遍路さんのご休憩所が出てきました。14時43分です。
※お遍路さんのご休憩所
おそらく、須見肥料店が作られた休憩所だと思います。私は外のベンチを使わせてもらいました。クーラーバッグに入れてある冷水で、タオルを濡らしました。
まだうどん亭八幡で休憩したばかりなので、ここではすぐに出発します。お遍路さんのご休憩所から450メートルほど南下すると、堤防に突き当たりました。吉野川の堤防です。14時49分でした。
※堤防へと上がる道
Googleマップはこの階段を認識できないようで、右に行ってから堤防上を戻るように指示していますが、私は階段を登れます。四国の道の道標や遍路道の案内標識、石の道標などフルサービスの案内に従い、階段を登りました。
堤防に登ると、すぐに今度は階段を下りていきます。下ったところに、善入寺島の説明板がありました。これから入っていくところです。
※善入寺島の説明板
説明板によりますと、善入寺島というのは吉野川の中州の一つで、東西約6km、南北約1.2kmで川の中にある島としては日本で最大とされているそうです。全島の70パーセント程度、350haが農地となっていますが、1915年までは506戸約3,000人の人口があったようです。まあ、水害が起こると大変ですから、国の方針として今は無人島になったとのことでした。
これから、大野島橋という沈下橋を渡って、善入寺島に入りたいと思います。河川敷には、うれしいメッセージもありました。
※うれしいメッセージ
本当に、いつまでも元気でいたいものですね。大野島橋を目指して歩いていきます。14時51分でした。
※奥に見えるのが大野島橋
車1台が通るのがやっとの道です。橋もそうで、ところどころに待避所が設けられていました。しかしなぜか橋の写真を撮っていませんでした。
※大野島橋から下流を望む
白い鳥はサギですね。
大野島橋を渡っていた時は、1台だけ車とすれ違ったように思います。
橋を渡り、善入寺島に上陸しました。実は歩いている道は、県道237号線の続きとなっています。
道なりに、450メートルほど進みました。途中、右側にトイレを示す案内標識が出ていましたが、行きませんでした。Googleマップで確認しても、それほど大したトイレではない(失礼!)ように思います。農作業をされている方が、自分が使うトイレをお遍路さんにも開放してくださっている、という感じでしょうか。
450メートルほど進んだところが分岐となっていて、右へ進むように道標がありました。ここで15時ちょうどです。
※藤井寺まで5.9kmの道標
新しい道標の隣には、古い道標もありました。
※古い道標
また古い道標の横には、草で埋もれていますが、おそらく宝幡寺の跡を示す石碑もありました。
この後は、1kmほど道なりに進んでいきます。右側には、ひまわり畑が広がっていました。15時3分です。
※善入寺島のひまわり畑
さらに6分ほど歩いて右の山の方を見ると、中腹の方におそらく切幡寺と思われるお寺が見えました。
※山の中腹に切幡寺が見える
1kmほど歩き終わったら、今度は川島潜水橋を渡ります。13時14分でした。
※川島潜水橋
このように、ところどころに待避所があります。ここでは、数台の車とすれ違いました。意外と皆さん、ビュンビュン通っていかれます。
※待避所
※川島潜水橋から下流を望む
※川島潜水橋から上流を望む
橋を渡り切ったら、また堤防に上がる階段です。そして、遍路道の案内標識や道標がありました。また、行政区分上は吉野川市に入っていくようです。15時19分になっていました。
※吉野川市側の堤防へと上がる階段
登り切ったところで、どちらに進んだらいいのかよく分からなかったのですが、とりあえず右に進んでみました。50メートルほど進むと、堤防の下の道に下りるところが出てきます。そこには、遍路小屋もありました。
※遍路小屋 通り過ぎてから撮影
堤防から、この小屋を右手に見ながら下っていくと、道は左右に分かれています。藤井寺は左となっています。15時21分でした。
※藤井寺への道
左に入ってから150メートルほどで右側に自動販売機が出てきました。ちょうど車を停めて購入しておられた女性がおられましたが、私も続いて購入させていただきました。
この自動販売機のあるところを右に登っていくと、川島城に着くようですが、この時はまったく気づかずに直進しました。
400メートルほど進むと、T字路にぶち当たります。そこには四国の道の道標がありました。15時31分です。
※踏切手前のT字路
カーブミラーには、遍路道の案内標識も貼ってあります。ここを左折しました。
実はここに来るまでに電車の音が聞こえ姿が見えていたのですが、左折するとすぐに踏切がありました。
※神后踏切
線路はJR徳島線のようです。
踏切を渡り、200メートルほど直進します。すると2車線の大きな道に出ました。初め私はこれが国道192号線だと思い、左折してしまったのですが、すぐに間違いに気づきました。どうやらこれは県道122号線のようです。振り返ってよく見ると、南側に国道192号線を示す道路標識が出ています。このポイントを左折せずに右折しても国道192号線に出れますが、私は直進して少し先で国道に合流することにしました。
県道122号線を横断して170メートルほどで、ようやく国道192号線に合流しました。この後はもう道に迷うことはありません。目的地の「上下島」バス停は、この国道沿いにあります。
この後、国道を90メートル弱進むと、「鴨島町西麻植」交差点に出ます。車だとおそらく見落としてしまうでしょうが、歩きで藤井寺を目指す人は、ここで右折です。ちなみに「麻植」は「おえ」と読むようです。絶対読めないですよね。
私は藤井寺を目指していませんので、直進します。
どうしても車が映り込むので、通り過ぎてから分岐点の写真を撮りました。15時38分です。
※藤井寺への遍路道の分岐点
手前が国道で、黒い車の奥、稲井商事株式会社の前の道を通っていけば、藤井寺方面です。
この後は、退屈な国道歩きとなります。
「鴨島町西麻植」交差点から国道を1.8km、時間にして42分ほど歩いて16時ちょうど、「上下島」バス停に到着しました。
※「上下島」バス停
ダイヤを確認します。次は、16時17分ですね。まあ、うどん亭八幡を出発する前にこれくらいに着くだろうと目星をつけて歩いてきたので、当然なのですが。
1年前に来た時には、奥に住友犬猫専門病院の看板があったのですが、なくなっていました。つぶれてしまったのでしょうか。Googleマップの口コミを見ると☆が5か1かで両極端に分かれているので、かなり特殊な病院のように思います。
それよりも、バス停に着いて程なく、小粒の雨が降ってきました。この程度なら耐えようかな~と思っていると、どんどん雨が本降りになっていきます。ついには、暴風雨のようになってしまいました。折り畳みの傘を差したのですが、風で何度も骨が裏返ってしまいます。幸い、そんな程度で壊れない傘だったので助かりました。
歩きを終えて
16時17分、定時にバスがやって来ました。しかし、手を挙げているのに停まりそうな気配がありません。もう一度手を挙げて、ようやく方向指示器をつけて寄ってきてくれました。傘を押さえるのに必死で、手を挙げるのも大変なのですが……。
無人のバスに乗り込みます。雨はさらに強くなっていきました。ギリギリセーフ、だったように思います。
途中途中のバス停にも、濡れネズミとなった方がいらっしゃり、バスに乗り込んでこられました。傘を持っていない方が多かったようで、大変です。
本当に土砂降りというかスコールというか、ものすごい降り方でした。このバスに乗れていなかったら、雨の中を歩くことになっていました。やばかったです。
バスは1時間ほどかけて「徳島駅前」バス停まで進みました。この日は阿波踊りの最終日で、徳島の中心地に行く人が多かったようでした。バスは雲と共に移動していきましたが、徳島駅前に着いた時には、雨がほぼ止んでいました。
17時15分、「徳島駅前」に到着しました。
念のため翌日のダイヤを確認します。1年経っていたので、正確なバス乗り場を忘れてしまっていました。やっと見つけて時刻表を確認します。
※「徳島駅前」時刻表
うーん……。乗るバスのダイヤが、完全に隠されてしまっています。どうなんでしょう、これ、太川陽介さんがご覧になったら、怒り出すレベルだと思います。もうちょっとうまいやり方はないのでしょうか。確かに、この8月15日は休日ダイヤなので、平日ダイヤと間違われたら困ります。しかし、翌朝のダイヤを調べたいと思っても、これでは無理ではないですか。
仕方なく、窓口で問い合わせることにしました。私の事前の調べでは、7時15分と7時55分だったと思うのですが。窓口のおばさんに事情を話すと、快く教えてくださいました。徳島バスはこういうところは丁寧です。また、「時刻表を差し上げましょうか」と言ってくださったのですが、それはお断りしました。荷物になっちゃいますので。
ダイヤも確認できたので、すぐにホテルサンルート徳島に向かいます。もはや徳島における私の常宿です。バス停から信号を渡るとすぐにホテルです。フロントは3階にあるので、エレベーターで上がりました。
慣れたものですから、チェックインもすぐです。すぐに自分の部屋まで入りました。ただ、宿泊客は結構多そうでした。
先に温泉に行こうかな?とも思い、テレビの画面で大浴場の混雑状況を確認しました。すると、「混雑」となっています。やめておきます。食事の後に入ることにしました。
18時少し前に、ホテルの近くの駅前ビルに入っている支那そば よあけに行きます。徳島では泊まるところはサンルート、食べるところはよあけというのが私の定番です。
少し混んでいたのか、よく座っていた店舗手前の席ではなく、奥の席に通されました。また、おばさんも見たことのない方だったように思います。注文したのは、支那そば並680円とギョーザ・ライスのセットで、しめて980円です。安いです。
18時30分ごろ、ホテルに帰りました。大浴場は相変わらず混んでいるようで、少し様子を見ることにしました。19時になって見てみると、「混雑」から「やや混雑」に変わっています。急いで大浴場へと向かいました。このホテルはタオルを浴場の受付でもらえます。ここが他のホテルよりもサービスのいいところです。
実際大浴場に着いてみると、入っているのは私の他に1人しかいませんでした。ズコーっという感じです。まあ、タイムラグがあるのでしょう。おそらく、多くの人は一っ風呂浴びてから外に飲みに行くのだと思います。増してやこの日は阿波踊り最終日です。あちこちに演舞場がありますから、そこへ見に行く方も多いことでしょうね。
私は洗濯をしないといけませんので、それどころではありません。このホテルには洗濯機・乾燥機が一体となっている機械が3台しかありません。この規模のホテルとしては少ない方だと思います。
残念ながら入浴後すぐには機械が空かず、しばらく様子を見て、空いた瞬間にダッシュでランドリーに向かいました。同じことを考えていた方もおられたようで、私のすぐ後にやって来られた方もいらっしゃいましたが、タッチの差で私の方が早かったです。
それよりも問題は、終了後ずっと放置している方がいることです。この問題はかなり重大な問題であるということは、このレポートを定期的に読んでいただいている方ならよくお分かりのことだと思います。
実際、この時は終了後30分以上放置されている機械が2台あり、私は運よく合間にねじ込めた状態でした。さらに1台はその後しばらく故障してしまったようで、調整中という状態がしばらく続いていました。洗濯難民が大勢出たのではないでしょうか。
おそらく洗濯を仕掛けたまま外に食事に出かけたか、阿波踊りを見に行ったかなんでしょうが、他の方の迷惑をしっかりと考えていただきたいと思います。
私は終わる前に機械の前に行き、きちんと終わった瞬間を見届けてすぐに洗濯物を取り出しました。やはり間髪を入れずに使おうとされる方がいらっしゃいましたので、これが正しいマナーです。洗濯ものほったらかし、ダメ、絶対!
無事に洗濯を終えたので、部屋に戻り就寝します。21時半ごろに就寝しました。しかし、阿波踊りの簡易なステージが近くにあり、うるさくてすぐには寝つけなかったように思います。
前日に泊まったドーミーイン高松 中央公園前は気密性が高いのか窓が分厚いのか、まったく外から音が入ってこなかったのですが、サンルートは音には弱かったようです。
歩き遍路振り返りデータ
歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。
札所情報
札所:なし
納経代:0円
大師納経代:0円
宿情報
ホテルサンルート徳島
禁煙シングル(セミダブル)ルーム
宿泊費:8,800円
室内に冷蔵庫・バス・トイレあり
WiFiあり
大浴場あり。温泉
洗濯機・乾燥機あり(3台)
洗濯機300円、乾燥機100円
アクセス:バス停から1分
コンビニ:1階に併設
フロントスタッフ、温泉のスタッフともにホスピタリティが高く、私にとっては徳島の常宿。ただ、外からの音には弱かった
バス情報
行き:大川バス 「県庁通り」~「大川バス本社前」610円
さぬき市コミュニティバス 「大川バス本社前」~「大窪寺」 200円
帰り:徳島バス 「上下島」~「徳島駅前」 470円
距離と歩数
ASUS VivoWatch BP(HC-A04)
カロリー:1,887kcal
距離 :27.4km
歩数 :39,638歩
歩き遍路 41日目 ◁ 歩き遍路 42日目 ▷ 歩き遍路 43日目
*1:四国遍路 聖地巡礼「香川編 | 歩き遍路のための「四国遍路」巡礼マップ『88番札所大窪寺』」2022.8.29閲覧
*2:阿波市観光協会ホームページ「あわレポ『犬墓大師堂』」2022.8.29閲覧
*3:王欣太『達人伝~9万里を風に乗り~』第32巻 双葉社
*4:司馬遼太郎『項羽と劉邦』上 新潮社
*5:川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家遺伝』第23巻 講談社
*6:読売新聞オンライン「市場飛行場 埋もれた歴史」2022.8.29閲覧