満願・お礼参りを目指す 四国八十八ヶ所歩き 遍路の旅、最終章の3日目です! この日はついに高野山に登ります。7時間はかかると言われる町石道、しかも一部崩落しており迂回を余儀なくされています。果たして無事に登り切ったのか、満願への6日目のレポートです。
歩き遍路 46日目 満願への6日目 「東京屋前」バス停から宿坊 一乗院まで
歩き遍路46日目、2024年8月9日(金)のレポートです。この日は高野山麓の九度山町から、町石道を約7時間かけて登り、高野山内にある宿坊を目指します。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。
この日はまず、橋本市のコミュニティバスに乗り、高野山の登り口近くまで戻っていきます。そこから九度山町に入り、町石道と呼ばれる高野山の参詣道を登り、高野山内の宿坊 一乗院に泊まる予定です。町石道登山は7時間はかかると言われているうえに、途中2箇所の迂回路が設定されています*1。
しかも、宿坊 一乗院を予約した際、「九度山駅から歩いて高野山まで来られると言うことですが、現在町石道が通行止めの箇所がございます。迂回路等あるようですが、時間的にもよりかかると思います。ご確認の上、余裕を持ってお登りくださいませ」という、心配されるメールをいただいておりました。実はこのため、宿坊到着時は、九度山から歩いてきた人、ということでちょっとした有名人になっていました。
便宜上「九度山駅」から歩くと伝えていましたが、実際の出発点は「東京屋前」バス停です。
それはさておき、この日も5時に起床し、早速朝食をいただきます。ホテルの朝食ビュッフェは6時45分から、私が乗るバスは7時15分ということで、とてもビュッフェでは間に合いません。
ということで、昨日購入したおにぎり、サラダ、ヨーグルトを食べました。おにぎり3個は多いかな、と思っていましたし、実際に食べる時は少々無理して食べました。しかし、やはり後々のことを考えると、食べておいて良かったと思います。
食事の後は、山道に入ることを考えて念入りにトイレに行っておきました。
7時ごろ、例によってボックスにカードキーを入れてチェックアウトします。徒歩1分ほどで、「ルートイン橋本前」バス停に到着です。
バスを待っていると、定刻1分ほど前に少し先にある車庫から車が出てくるのが見えました。どうやら、JR「橋本駅」から来るわけではないようです。誰も乗らないかと思っていましたが、白いワイシャツを来た50代くらいの男性が来られました。
私が先になり、バスに乗り込みました。念のため降りる場所を運転手さんにお伝えしたのですが、「放送が入りますから、それで降りてください」との返事でした。
そんなことは分かっていますよね。四国の経験で、田舎のバスはしばしば放送を飛ばすことがあることから、念のために私はお伝えしているわけです。こんなことを言っておいて、もし放送のタイミングを間違えたらどうしてくれるんでしょうか。人間は誰だってミスをしますからね。
それから、私は完全にアウェーな人間なわけです。景色を見て、どこで降りればいいか分かっている常連さんならば、何の心配もなく目的地で降りることができるでしょう。しかし、とにかく私はそれができないから、わざわざ降りる停留所をお伝えしているわけです。
さて、バスはほぼ予定どおりに「東京屋前」バス停に到着しました。ここから、慈尊院まではGoogleマップによれば2.1kmの道のりになります。
なお、慈尊院から高野山までは、町石道を通ることにしています。
町石道に関しては、和歌山県公式観光サイトのホームページ「街道マップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。
www.wakayama-kanko.or.jp(2024.8.17閲覧)
ただ、あわせて上記の迂回路を通らなければなりません。
「東京屋前」バス停から神田地蔵堂まで
「東京屋前」バス停を7時23分ごろに出発し、神田地蔵堂には11時36分に到着しました。Googleマップよりも30分ほど速いペースですが、Googleマップでは町石道を通るルート設定ができていませんから、実際に私が歩いた時間よりも余計に時間がかかっています。
「東京屋前」バス停はまだ橋本市にあります。高野山町石道を登るためには、まずは九度山町に入る必要があります。
「名倉東」交差点から、県道4号線を南下します。昔はこの4号線が高野山へのメインストリートだったのでしょう。何となく門前町のような雰囲気もあります。しかし、今は寂れていますね。
※県道4号線
県道4号線を700メートル南下すると、ファミリーマート 高野口町小田店です。ここで、今日はたくさん購入しないといけません。
まず、昼食ですね。昔は俵むすび弁当という、おかずも充実したお弁当があり、私もしばしば購入していたのですが、もうないのでしょうか。仕方なく、大きなおにぎり2つのお弁当にしました。おかずはたくあんだけです。
行動食として、生スコーン4個入り、ウィダーインゼリー2個、カロリーメイト1個を購入します。さらに、凍ったスポーツドリンク、麦茶を1本ずつ買いました。さらにさらに、凍っていない水とスポーツドリンク1本ずつです。しめて1,745円も使っていました。
しかし、山を舐めてはいけません。できる準備はしておくに越したことはないのです。
ちょっと閉口したのが、蚊か羽アリのような虫が店内にもいっぱい入ってきているようで、商品に結構虫がついていることでした。もうちょっと掃除を徹底するとか、外に虫よけを置くとか、工夫しないといけないように思います。まあ、ここしかコンビニがないので、みんな文句も言わないのでしょうが。
コンビニを出て、慈尊院を目指します。90メートルほどで、「九度山橋北詰」交差点です。この九度山橋を渡れば、いよいよ九度山町です。ここで7時41分でした。
※「九度山橋北詰」交差点
赤い欄干?がとても映えます。やはり真田の赤備えを意識しているのでしょうね。
※九度山橋から下流を望む
橋を渡り切り、150メートルほど進んだところ、「丹生橋東詰」交差点に道標がありました。7時47分です。
※大和街道の道標
丹生橋を渡ります。「丹生橋西詰」交差点で、道は左右に分かれており、ここにも道標がありました。
※「丹生橋西詰」交差点すぐの道標
この公園には、何人かお年寄りの方がくつろいでおられました。この奥、左右の道に挟まれたところが道の駅 柿の郷くどやまです。ここにも以前、車で来たことがあります。ちょうど、NHK大河ドラマ「真田丸」が放映中だった時です。もう8年ほど前になりますか。
※道の駅 柿の郷くどやま
町石を意識したシンボルになっているようですね。
道の駅ではトイレを借りました。道の駅だと、誰にも断ることなく使えるのが、気軽でいいですね。しかし結局、場所がよく分からず、ゴミ回収しておられた係員のおばあさんに聞くことになってしまいました。ただ、とても気さくに教えてくださいましたので、良かったです。
水道があったため、そこでタオルを濡らしました。いつの間にか、お年寄りの方はいなくなっておられました。
では、上掲の道標に従い、慈尊院を目指しましょう。ここからは、850メートルほどのところです。
なぜか「東京屋前」バス停から慈尊院までの距離を5km強と勘違いしており、何とか8時半までには慈尊院に到着したい、と考えていました。
慈尊院までの道は、迷うことはありません。とても分かりやすいですし、随所に案内があります。
※右奥に見える建物は九度山町立文化スポーツセンター
上の写真ですでに8時7分になっていました。少し急がないといけませんね。
240メートルほど進むと、右側に能光尊之史跡が出てきました。
※能光尊之史跡
能光尊というのは、どうやら仏師のようですね。何と高野山中門の多聞天、持国天の二天王像を彫刻したそうです*2。
写真が斜めになってしまったのは、ご愛敬ということで。
ここから160メートルほどで、慈尊院橋です。何となく、気分が高まってきました。
※慈尊院橋
ちなみにここに来る途中、左側にスムージーを売っている店があり、「こんなところでスムージー売っている!」と思わず声が出てしまったのですが、お店の方が窓から覗いておられました。少し気まずかったです。
すぐに、慈尊院の石柱も出てきました。8時13分です。
※慈尊院石柱
1分後、慈尊院の山門前に到着しました。
※慈尊院山門
この山門(北門)、築地塀は和歌山県の指定文化財になっていますが、天文9(1540)年にはすでに建てられていたそうです。
境内には3組ほどの参拝者がいらっしゃいました。皆さん、車で来られているように思います。
山門入ってすぐ右手には弘法大師を祀る大師堂があります。
※大師堂
大師堂は四国堂とも呼ばれるらしく、四国八十八ヶ所を歩いてきた私にはとてもふさわしい場所です。
本堂、大師堂で納経を済ませ、いよいよ町石道に入ります。しかし、はっきりとした案内が見つからず、納経所の方に聞くことにしました。
納経所のお坊さまらしき方は、非常に丁寧に教えてくださいました。この本堂が町石道の始まりであること、奥の神社へと続く階段のところに180町の町石があること、179町は神社の駐車場付近にあること、などです。
お話をうかがって少し残念だったのは、神社とは完全に一線を引いておられたことですね。今は管理している組織も完全に分かれているのでしょうが、昔は一体となっていたはずなので、返す返すも明治時代の神仏分離が悔やまれます。
境内には、こんな記念石碑もありました。
※紀伊山地の霊場と参詣道
2024年は世界遺産になってからちょうど20周年になりますから、この石碑も建てられてから20年になるのでしょう。
では、丹生官省符神社の方に昇っていきましょう。
※丹生官省符神社石段
ありました、180町の町石です。
※180町石
本来、漢数字で示すべきだとは思いますが、このブログが横書きであるということ、数字が大きくて分かりにくいという観点から、アラビア数字で表記させていただきます。
石段を昇り、珍しい形の朱色の鳥居をくぐると、奥に本殿が出てきました。
※朱色の鳥居をくぐる 珍しい形に思える
六脚鳥居とでも言うのでしょうか。寡聞にしてよく分かりません。
本殿では、軽く参拝しておきました。
※丹生官省符神社本殿
ここで祀られているのは、いわゆる狩場明神です。
※「狩場明神と空海の出合」絵看板
本殿には、町石道登山口と書かれています。慈尊院の主張とは違い、こちらはこちらで登山口の本家を主張しているようです。
※高野山町石道登山口の看板
さあ、あまり長居はできません。本殿の右脇を通り、駐車場の方に出ます。そこには、179町の町石がありました。8時34分でした。
※179町石
これで、町石道の全行程の180分の1を歩いたことになります。
この後、50メートルほど進んだところが公園のように開けていて、トイレがありました。次、いつ行けるか分からないので、念のため、お借りしました。
※おしょぶ池の公衆トイレ
この先の道に関しては、案内標識が頻繁に出てくるので、問題ありません。トイレを終え、ここで8時38分です。
※町石道案内標識
この辺はなかなかの傾斜です。ただ、木陰になっているため、陽射しによるしんどさはありません。
※遍路道の印
うれしいことに、遍路道というなつかしい案内標識もありました。
すぐに、178町石です。8時39分でした。
※178町石
漢数字の「八」なのか、割れ目なのかよく分かりませんが、おそらく178町でしょう。
私が写真などを撮っていると、同じくらいの年代でしょうか、青いリュックの男性に抜かされてしまいました。私は山歩きにはまあまあ自信がある方なのですが、荷物の重さが違いそうです。向こうの方がかなり軽装でしたね。
※青いリュックの男性
町石道は世界遺産でもあり、ちょうど登録20周年でもあることから、もしかすると大勢の外国人の方がいらっしゃり、互いに励ましあいながら登っていくのではないか、と最初は予想していたのですが、この日の全行程で、結局山中でお会いしたのはこの男性だけでした。この男性も、この先の展望台で追いついて以降、お会いすることはなくなりました。私よりだいぶ速かったようです。
ややこしいところも、必ずと言っていいほど、案内標識があります。
※右に行くと貯水池になる
ちょっと摩耗が激しく、読めない町石です。8時46分でした。
※紀の川フルーツライン手前の町石道
ここから50メートルも行かずに、車も通る道に出ました。県道4号線のようです。
※県道4号線を横切る
奥に見えるのは、紀の川フルーツラインですね。
※紀の川フルーツライン
ここを通る車は結構スピードが出ていますので、気をつけてください。ここで、8時48分になっていました。
また山道に入りますが、分岐点では迷わないようにきちんと案内標識があります。
※再び山道へ
いい雰囲気の道です。
※竹林を進む
この町石は、いつの間にか172町でした。8時50分です。
※172町石
2分後、どうやら171町石のようです。
※171町石
記念すべき170町石ですね。8時53分でした。
※170町石
ここですでに18分の1をクリアしたことになります。何だか余裕のような気がしてきましたが、この先しばらくがまたキツイ登り坂になります。
※キツイ登り坂
しかし、写真ではなかなか登りのキツさが伝わりません。
8時55分、169町石です。
※169町石
この後、木陰がなくなって陽射しが降り注ぐ中、キツイ坂を登っていきました。ここら辺がだいぶしんどかったように思います。街道マップには168町、167町、166町の町石があるようなのですが、気づかずに通り過ぎたようです。
9時3分、展望台に到着しました。Googleマップでは、石道展望台となっているところだと思います。
※展望台
ここに私が到着した時に、青いリュックの男性がちょうど出発されるところでした。この男性とは、二度とお会いすることはありませんでした。どこまで行かれたのでしょうかね。
※展望台から望む九度山町中心部
下に見える橋が、朝渡ってきた九度山橋です。わずか1時間半ほどで、ここまで来たわけですね。人間の力って、思ったよりスゴイです。
しかし、展望台にあったイラストマップを見ると、なかなか絶望的に遠いです。まだまだ、序盤の序盤ですね。
※九度山町イラストマップ案内板
例によってここでタオルを濡らし、先を急ぐことにしました。
この後の道は、こんな感じでした。暑いです。
※キツイ傾斜の町石道
果樹園の中にあったのが、164町石だと思います。
※164町石
ここで9時7分で、次の163町石は2分後でした。
※163町石
さらに2分後、果樹園の方が使うのであろう車の通れる道を横断します。奥にきちんと案内標識があるので、安心です。
※奥の道、木陰に案内標識が見える
この先はまた木陰に戻り、涼しくなりました。紫陽花でしょうか、まだ咲いています。
※紫陽花?
少し開けていたので、写真を撮りました。ここで9時10分です。
※紀ノ川が見える おそらく妙寺方面
ここは、一見まっすぐ進みたくなりますが……。
※まっすぐ進む?
大門方面へ向かう町石道は、左上でした。
※左上へ進む
ここは今までで一番の注意ポイントですね。ここまではメインの道を進めば良かったように思いますが、ここだけ明らかに、分岐している小道の方へ進まないといけません。ここで9時14分でした。
脇道を登り、6分ほど進むと、銭壺石ぜんつぼいしなるものが出てきました。
※銭壺石
説明板によると、この石は北条時宗の外戚であった安達泰盛(※妹が時宗に嫁ぐ。2001年放送のNHK大河ドラマ「北条時宗」では、柳葉敏郎さんが演じられる)が人夫のための給金をこの壺に入れ、自由につかみ取りさせて士気を高めたように書いてあります。
※銭壺石説明板
文永2(1265)年の覚斅かくきょう上人の発願から始まり、、その後20年かけて町石道が整備されたそうですが、険しい山道のため、人夫の不満がたまりやすかったのでしょうね。
いや、まあそれはちょっとおいておいて……。ちょっと気になる記述がありますよね。
「熊出没注意」と書いています。え、熊出るんですか? 実際、この注意情報を貼り出してくれているかつらぎ町のホームページ*3を見てみると、クマの目撃情報は時々あるようですね。ただ、このページ自体は2021年の掲載のようですが。
それより、結構この辺ではハチが気になっていました。山道を歩いていると、しばしばウォーンという羽音を立てて、ハチが頭の周囲を飛び回っていたのです。おそらく群れの斥候のようなヤツですので、ここは逃げるにかぎります。振り払ったりすると危険ですから、気をつけてください。
あまりにもしつこいヤツがいた場合は、山道を走ることになります。とにかく、振り切らないといけません。
ハチにヒヤヒヤしたのは、前半に集中していたように思います。
9時21分、156町石です。
※156町石
9時24分、154町石です。
※154町石
上が千切れている古い町石もあります。
この後、天引山への分岐点があったようですが、写真に撮っていませんでした。
9時32分、150町石です。
※150町石
ここで、全行程の6分の1を消化したことになります。実は数字を勘違いしていて、この直前でまだ10分の1かよ、とか思っていたのですが、ここで冷静に確認することができました。
1分後、149町石です。
※149町石
その2分後、148町石に到着です。
※148町石
何でこんなに町石の写真ばかり載せるんだ、とお思いでしょうが、後続の方のために町石の間でどれぐらいの時間がかかるのかを、分かるようにしているのです。あとは、単純に面白い写真がないからです。
148町石の近くに、接待場がありました。
※接待場の弘法大師像
弘法大師が835年の3月21日に入定されたことから、毎年3月21日に高野山で行われる法会を「御影供みえく」と呼び、大正時代末期までは人々は歩いて高野山を目指していたそうです。その方々のために、近郊の教良寺村の有志の方々が、ここで握り飯や湯茶の接待を行ったとか。
接待する方もここまで登ってくるのは大変だったでしょうね。
ここで9時35分でした。登山を開始して、2時間ほどが経っています。
9時37分、147町石です。
※147町石
9時39分、ちょっと読めません。
※146町石?
9時41分、一里石と、144町石でしょうか。
※手前が一里石
1分後、分岐点に出ましたが、左だったと思います。
※分岐点
左側の木に案内標識がありました。やはり、左側ですね。
※案内標識
六本杉方面に進めば、町石道を進むことになります。
9時43分、143町石です。
※143町石
9時45分、142町石です。
※142町石
9時40分、140町石でした。
※140町石
ここまでで全行程の9分の2が終わったことになりますか。冷静に考えるとまだまだですね。
この先は、スゴイ切り通しの道があったり
※スゴイ切り通しの道
ちょっとだけ石畳みの道があったりしました。
※石畳みの道
石畳みが残っているのは、ほんの数メートルでした。
9時54分、137町石です。
※137町石
9時57分、重要な分岐点である六本杉のところまで到達しました。
※六本杉地点
本来、この後の道は左の町石道を通り、大門を目指していくわけです。途中、二ツ鳥居という名所があります。
かつらぎ町観光協会のホームページ*4によれば、オリジナルの鳥居は、高野山に弘法大師が丹生明神・神谷明神を勧請した弘仁10(819)年5月3日、木材で建立されたものだそうです。
ここが思案のしどころで、私が出発前に建てたプランでは、丹生都比売神社にうつひめじんじゃには10時半までに到着しないといけませんでした。六本杉の段階でほぼ10時ですから、ここは急いで丹生都比売神社を目指した方が良さそうです。
しかし、このプラン、前提が間違っていて、丹生都比売神社の後、二ツ鳥居に行ってからそのまま町石道を登り続けることにしていたのですが、例の迂回路では、二ツ鳥居から先が通れなくなっているわけです。
つまり、本来のルートはこのまま町石道を登り続け、二ツ鳥居で山を下って、丹生都比売神社に戻ってくるというルートなわけです。
ただ、実際正しいルートがよく分かっていなかった部分もあったのと、丹生都比売神社に10時半までに到着という目標があったことから、ここで右に行き、直接丹生都比売神社を目指すことにしました。二ツ鳥居を見れなかったのは残念ですが、まあ歩いて高野山を登ったという価値が減じるわけではありません。
というわけで、ここからは丹生都比売神社を目指し、天野の里方面に下っていきます。下っていくということは、また登ることになりますので、面倒です。
天野の里に関しては、義母と家内がサイクリングを楽しんだことがあるところです。義母はここをとても好きだとおっしゃっていました。
下りは非常に早く、10時16分、天野の里に入りました。
※天野の里
確かに、キレイなところです。秋になったら紅葉する山肌と、黄金色に輝く稲田が非常に映えるでしょう。
降りてきたところは、こんな感じです。
※六本杉への登山口
私は里の奥の方、丹生都比売神社を目指します。
道中、案内標識も充実していました。
※天野の里の案内標識
10時19分、神社の鳥居が見えてきました。
※丹生都比売神社の鳥居が見える
車で参拝に来られている方々が、何組かいらっしゃいました。
1分後に、鳥居前に到着です。
※鳥居
ここも六脚鳥居とでも言うべきものなのでしょうか。説明板によれば、両部鳥居の形式となっているらしく、屋根と台輪、前後の稚児脚が附属しているそうで、神仏習合の特色を表している、とのことです。なるほど、稚児脚と言うんですね。
奥に目を遣ると、太鼓橋でしょうか、すごい反り橋です。
※横から見た輪橋
説明板によると、どうやら輪橋と呼ばれるようで、豊臣秀吉の側室淀殿の寄進だそうです。この橋を渡らなくても、脇を通り抜けることができます。
※楼門
一般人はここまでしか行けません。本殿ではなく、実はただの楼門でした。
ただし、この楼門は立派な建物で、室町時代の1499年に建立されたらしく、入母屋造で屋根は檜皮葺きになっています。国指定の重要文化財だそうです。
旅の無事を祈願しました。慈尊院でもそうでしたが、納経帳がリュックの一番下になってしまっているので、この日はどこでもご朱印をいただいていません。
この後、しばらく休憩しました。おそらくウィダーインゼリーを1つ食べ、新しい飲み物を購入しました。トイレもお借りしています。飲み物の自動販売機がすぐに見つけられず、ちょっと手間どりました。社務所の脇にしかなかったんですね。一方のトイレは中鳥居の外側でしたので、無駄に往復してしまいました。
10時40分ごろでしょうか。丹生都比売神社を出発します。外鳥居まで戻り、車の通れる道まで戻りました。
丹生都比売神社を脇目に、奥の方へと進んでいきます。十字路になっているところに、宝篋印塔がありました。10時43分です。
※大念仏一結衆宝篋印塔
説明板によると、応永23(1416)年に大念仏を行う人たちが、秋の彼岸の中日に建てたものだそうです。600年以上前のものですね。スゴイです。
県道4号(109号)線を南へ60メートルばかり進みます。ここでまた分岐です。
※県道沿いの分岐点
ここを左に入っていきます。
120メートルほど進み、右の方、道なりに進みます。
※右へ進む
さらに150メートルほど進みます。左に上がっていく道がありますが、案内標識に従って直進です。
※分岐点の案内標識
ここで迂回路の案内標識も出てきました。二ツ鳥居から迂回路を通って降りてきた場合、いったん丹生都比売神社を参拝する方も多いでしょうからね。
この後、100メートルほど進んだところ、左手に登山口が出てきました。
※八町坂登山口
この八町坂を登れば、二ツ鳥居に到着します。まあここは無理をせず、直進して神田こうだ地蔵堂を目指しました。
もし迂回路、二ツ鳥居から八町坂を下ってきた場合は、標識がこんな感じに見えます。
※迂回路側からの案内標識
案内標識は迂回路を含めて、きちんと整備してくださっています。地図などなくても、安心して歩けます。
ここから90メートルほど南下したところ、また案内標識がありました。
※右へ進むべき案内標識
上の案内標識から120メートルほど進むと、今度は左です。ここはきちんとした案内標識は死んでいて、迂回路の案内のみが生きています。
※迂回路の案内標識
ここから200メートル少々進んだところで、少し大きな道にぶち当たります。
※紀北高原GCへの道
どうやら、ここからしばらくは完全な車道を歩いていくようです。ここで10時56分でした。
こんな感じで、距離表示も出てきました。
※町石道まで1.4kmの案内標識
うねうねとした車道をどうやら1.8kmほど歩いたようです。上の案内標識から8分後、紀伊高原GCの入口にまでやってきました。何と、ゴルフ場内を歩いていくようです。
※紀伊高原GC入口
実際にゴルフをする方はもっと南下したところに駐車場やクラブハウスがあります。私は、ここからゴルフ場内に入っていきます。ここで11時20分でした。
もう本当にゴルフ場の中を歩いていく感じで、プレイしておられる方も結構いらっしゃいました。キレイに整備されているので、気持ちよさそうです。……暑くなければ。
※紀伊高原GC内の様子
場内にも案内標識は随所にあります。
※ゴルフ場内の案内標識1
※ゴルフ場内の案内標識2
上の案内標識2のところが、おそらくゴルフ場内に入って300メートル弱のところです。ここから50~60メートル歩くと、林を抜けて、神田の里に入ります。
谷を挟んで、反対側にそれらしき建造物が見えました。おそらく、あれが神田地蔵堂なのでしょう。地蔵堂らしき建物の少し下には、トイレらしきものもあります。
ここも、抜かりなく案内標識を設置してくださっています。
※神田の里の案内標識
おばあさんが畑で作業をしておられましたが、私にはまったく気づかれませんでした。
手前に左折できる道があるのですが、私道か生活道路になっているのか、通らないように誘導されます。神田に入ってから140メートルほど進んで、ようやく谷を降ります。
※谷を降りる案内標識
谷を下り、東に100メートルあまり進みました。T字路になっていて、神田地蔵堂は左になります。せっかく南に進んだのに、北に戻る形になりますね。
※神田の里のT字路
この辺の田んぼや畑は電気ネットで覆われています。どうやらイノシシの獣害があるようですね。ところどころマシンがあって、側を通ると、ウオンウオンという甲高い音を立てて警報を知らせます。ちょっと申し訳ない気分でしたが、誰かが出てくることもなかったので、問題ないでしょう。
神田地蔵堂下のトイレです。11時32分に到着しました。
※神田地蔵堂下のトイレ
こんな鄙びたところにあるトイレですが、とてもキレイにしてくださっています。地元の方々に感謝ですね。
この後、階段と坂を少しだけ登ると、神田地蔵堂です。11時35分までには着いたでしょうか。
※神田地蔵堂
町石道を歩いた他の方のブログを拝見した時、ここで少し早いけれども昼食にした、という記述がありました。私の場合もここで昼食にすることに決めていましたので、早速お弁当を開きます。
クーラーバッグに入れていたので、冷たくなっていましたが、おにぎり弁当を頬張りました。おかずがたくあんしかなかったので、ちょっと足りないように感じました。しかしこの後、60町辺りまで行けば矢立茶屋があり、そこで何か食べれるだろうという期待もありました。いったん、昼食はそこまでにします。
12時少し前まで休憩して、念のためもう一度トイレに行き、いよいよ町石道に戻ります。
神田地蔵堂から高野山大門まで(町石道)
神田地蔵堂を12時ごろに出発して、ほとんど町石道を通り(※34町石から32町石間は国道480号線を迂回)、高野山大門には15時47分に到着しました。Googleマップは町石道を通っていませんので、ルートはデタラメになっていますが、通過したポイントを把握してもらえれば、と思います。
さて、ある程度元気は回復しました。後半戦、頑張っていきましょう。後半戦とは言うものの、まだ90町までは来ていません。かなり頑張らないといけないですね。
ちなみに、二ツ鳥居方面の道はこのように封鎖されています。
※二ツ鳥居方面への町石道
高野山側から降りてきた場合も、ここからきちんと迂回路に誘導されます。ちなみに横に走っている2本の線は、イノシシ除けの電流線だそうです。うっかり触れないようにご注意ください。
再び、杉林の方に入っていきます。
12時6分、107町石です。
※107町石
12時9分、103町石です。いいペースですね。
※103町石
12時13分、102町石でしょうか。
※102町石
町石間の距離はちゃんと正しいのでしょうかね。
12時15分、101町石です。だいたい2~3分ぐらいで1町進んでいますかね。
※101町石
記念すべき100町石を見逃してしまい、99町石になってしまいました。12時18分です。
※99町石
倒木で道が塞がれているところもありました。
※倒木
これだけひどかったのはここだけでしたかね。
12時22分、97町石でしょうか。
※97町石
12時23分、96町石です。
※96町石
96町石以降は、ゴルフ場の脇をまた通っていくことになります。登り坂になっていました。和歌山県の街道マップ*5でもゴルフボールに注意と書いてありましたが、そんなことあるかね~と思っていたのですが、
※紀伊高原GCの看板
実際にゴルフボールが落ちていました。
※町石道に落ちていたゴルフボール
こういうのってどうしたらいいんですかね。ゴルフ場側に投げ返しても危ないですし、かといってここに放置しても転ぶ人がいるかもしれませんし……。このブログをご覧になったゴルフ場関係者の方、回収をお願いいたします。
12時26分、95町石でしょうか。
※95町石?
12時28分、93町石でしょうか。何か、神々しい感じがします。
※93町石
12時30分、92町ですかね。93町とも読めますが……。
※92町石?
12時33分、90町石です。
※90町石
12時38分、87町です。
※87町石
12時39分、86町石です。
※86町石
この後、12時40分、笠木峠に到着しました。
※笠木峠説明板
実は和歌山県の街道マップ*6だと、この辺に「小屋」と書いてあり、休むところがあるのかな?と考えていたのですが、小屋というよりはただの物置でした。ここで昼食と考えてしまうと、とんでもないことになってしまいますので、ご注意ください。やはり、神田地蔵堂で食べておいて正解でした。
※笠木峠分岐点
ここで分岐しており、南海電鉄の「上古沢駅」に下っていくこともできます。ただし、街道マップ*7では「途中道が荒れている」と書かれており、あまり推奨していないようです。
それよりは、矢立まで行ってから「紀伊細川駅」へ出る方が退避ルートとしては適切かもしれません。まあ矢立まで行けば、国道480号線に出ているわけですから、最悪タクシーを呼ぶこともできます。
私の目標では、矢立を14時半までに出発する、ということになっていました。矢立はだいたい60町辺りなので、もう30町はありませんね。
この後も切り通しもかなりスゴイところでした。
※切り通し
ここもなかなか傾斜がすごかったのですが、まだ土の斜面なのでそれほど滑りませんでした。
実は結構、前半の方に多かったと思うのですが、石が道になっているところがあり、若干湿り気を帯びているため、よく滑りました。1回だけこけたのですが、なぜか半回転してうまく受け身をとれました。
町石道はまあまあの山道ですので、ハイキングシューズや登山靴のようなものの方が安全かもしれません。私はその前2日間のアスファルトの旅もありましたので、ランニングシューズを履いていました。
ASICSのGT-2000 12 EX WIDEですね。
四国を歩いていた時はこれの9を履いていたのですが、あれから3年経ち、クッション性がかなり下がっていました。練習で西国街道を歩いた際、足にダメージが残るくらいです。
それで、出発直前にスポーツオーソリティを2軒はしごし、何とかその店舗にあった、私の足のサイズに合う最後の1足を購入することができたのでした。スポーツオーソリティ 京都桂川店と、スポーツオーソリティ イオンタウン久御山店のスタッフの皆さん、ありがとうございました。
話が逸れました。町石道はまだまだ続きます。
12時49分、80町石です。読みにくかった町石の写真2つは割愛しました。
※80町石
12時51分、79町石です。
※79町石
12時53分、78町石でしょうか。
※78町石
12時58分、76町石です。
※76町石
13時2分、74町石です。ちょっと奇数は飛ばしています。
※74町石
13時5分、72町石です。
※72町石
72町石の傍には、三里石がありました。慈尊院から約12km歩いてきた、ということでしょうか。
※三里石
13時9分、70町石です。
※70町石
手作りの距離案内板もありました。ここで13時12分でした。
※距離表示の案内板
13時13分、67町石です。
※67町石
13時17分、65町です。
※65町石
65町石から2分後、左側に国道370号線が見えました。
※国道370号線
こちらは下っていく感じ、向こうは登っていく感じで、矢立で合流するわけですね。
13時20分、63町です。今度は偶数を飛ばしています。
※63町石
13時23分、61町石です。
※61町石
61町石の直後、いよいよ国道との合流地点が見えます。
※国道との合流地点が見える
上の写真で左側に見える茶色い建物はトイレです。
13時24分、矢立に到着しました。まずはトイレをお借りしました。
※60町石
トイレの反対側には、60町石が建っていました。
ここには矢立茶屋という茶屋があります。おそらく、昔から高野山参詣の方のための休憩所であったのでしょう。私も、町石道を歩いた他の方のブログを拝見して、ここで休憩しようと考えていました。確かその方は生ビールを飲んでおられたと思うのですが、まあ私は休憩さえできればいいです。
お店の外側にはやきもちという名物が書いてありましたので、やきもちをいただきたいなあと思い、茶屋に入ります。
すると、入ってすぐにお店の女性の方が、「すいません、売り切れなんです」とおっしゃいました。がっくりきて私が「他に何か食べるものはありませんか?」と聞きます。ソフトクリームとかアイスクリームとかがあれば、食べたかったんですよね。「何もないです」と、ぞんざいな返事でした。一人ご主人らしきおじいさんもおられましたが、その方は何も口を開かれません。
最後に私が、「中で休ませてもらえますか?」と聞くと、それも断られました。「コロナ以来、外で休んでもらってます」と女性はおっしゃられます。さらに、「ちょっと上にドライブインがありますよ」とおっしゃられました。
うーん、要するにこれって、店に入ってくれるな、ということですよね。確かに、私はずっと山道を歩いてきたので、汗くさいです。男性の汗の臭いが苦手な女性の方は多く、それに関する発言で女性フリーアナウンサーが解雇されたこともありました。
しかし、おそらく十把一絡げにされているのか誤解されているのかは分かりませんが、私は野宿遍路ではありません。毎日お風呂にきちんと入っていますし、前日は2回もお風呂に入りました。
あまつさえ、靴、ズボン、Tシャツは新品をおろして来ていたわけです。また、ポリシーとして地べたに座ること、リュックを地べたに置くことはおこなっていません。臭いに関してはどうしても否定できないところですが、衛生面ではかなりキレイなはずです。
まあ、仕方ありません。外のベンチで休憩することにしました。これはかなり惨めな気分でしたね。要するに、汚いとか臭いとか言われてるのと同じですから。
ウィダーインゼリーを1個食べ、自動販売機で飲み物を買いました。15分ほど休憩し、鋭気を養いました。何だかテンションは下がりましたが。
13時46分、残り60町の町石道歩きを開始します。
※矢立からの出発点
ここから出発すると、2時間程度のちょうどいいハイキングになるかもしれません。私にとっては、最後の3分の1です。
歩き始めてすぐ、遍路シールが貼られていました。ちょっと勇気づけられます。
※遍路シールが貼られている
13時48分、59町石と六地蔵です。
※59町石と六地蔵
和歌山県の街道マップ*8では、六地蔵と書いてありますが、明らかに七地蔵ですよね。一番右の像は少し大きいので、後から祀られたものなのでしょうか。
鯖大師のご住職でしょうか、一句?をつけておられます。
※鯖大師沙門明善師の句
「心をあらい心をみがく へんろ道」と書いてあります。
13時55分、55町石です。近くに袈裟掛石もありました。
※55町石
※袈裟掛石
13時57分、54町石です。
※54町石
1分後、押上石に到着しました。
※押上石
弘法大師の母君が清浄結界を越えて高野山に入山しようとした際、激しい雷雨が襲ったそうで、大師がこの岩を押し上げ、母君をかくまったそうです。こういう話、どこかで聞きました。
13時59分、53町石です。
※53町石
隣は何だったか、きちんと写真を撮っていませんでした。
14時5分、50町に到着です。
※50町石
14時9分、48町です。
※48町石
14時46分、44町石です。
※44町石
14時19分、42町石です。
※42町石
14時22分、車道に出ました。
※国道480号線
ここがちょうど40町のようですね。なぜか町石の写真を撮っていませんでした。
※40町の説明板
車道を横断したところに、町石道が続いています。
※国道480号線を横切る
さらに登ること3分、展望台に到着しました。
※展望台の町石道マップ
マップの横に見えるのが展望台の東屋です。
※展望台からの景色
山の稜線を見ても、どれがどれやら分かりませんね。
ここで、少し休憩することにしました。やきもちもソフトクリームも食べれなかったので、少しスタミナ切れになっていたのです。矢立茶屋で生スコーンを食べようかどうか迷ったのですが、歓迎されていなかったので、遠慮して食べませんでした。そこで、ここで食べることにしたわけです。
生スコーンを4つ食べ、5分ほど休憩したでしょうか。出発してからしばらくして、また国道と邂逅しました。ここで14時37分でした。
※奥に37町石が見える
確か30番台の町石のところで、迂回路があったはずです。実際に歩いていた時にはうろ覚えでしたので、そろそろかなあという感覚でした。しかし、案内標識はまだ山道を指していますので、そちらに進みました。
14時40分、35町石です。
※35町石
この1分後、ついに迂回路に到着しました。ここからいったん、国道に出ないといけません。
※迂回路
これ、まあまあ急ですよね。年配の方だったら厳しいかもしれません。
※迂回路最後の階段
最後の階段、とてもキレイに整備してくださっていますが、しんどいです。
国道には、臨時の歩道のようなものができています。
※国道を通る迂回路
14時46分、どうやら迂回路のゴールが見えてきたようです。
※迂回路の国道最後の地点が見える
ここから下りるようですね。
※町石道に戻る地点
ここはさっきよりもかなり急ですよ。
※町石道への道
14時50分、ようやく町石道に戻ってきました。
※奥が通行止めの部分
ここに戻るところ、最後の階段はめちゃくちゃ急で、かなり危なかったです。カニ歩きのように降りてきました。
※迂回路の最後の階段
写真ではあまり急に見えませんが、階段の幅が狭く、かなり急だったことは確かです。こんなところで怪我をしたら大変ですからね。
14時52分、31町石です。町石道に戻ってきたなあ、という感じです。
※31町石
14時54分、読みにくいですが、おそらく30町石でしょう。
※30町石?
残るは6分の1ということですね。しかも、大門は1町ではなく、1町は壇上伽藍になりますから、かなりゴールが近づいてきました。
14時57分、28町石です。
※28町石
「二十」という漢字が、「廿」で書かれています。
1分後、鏡石に到着しました。
※鏡石説明板
石碑は上の部分が折れていますね。
ちなみに鏡石はこれではなく、反対側、右手にあるものだそうです。
※鏡石
15時1分、橋を渡ります。
※木の橋
この後、しばしば木でできた橋が現れますが、かなり危険な橋もありました。後ほど、登場すると思います。
15時2分、26町です。
※26町石
15時7分、24町石です。
※24町石
15時10分、22町石です。
※22町石
2分後、危険な橋ランキングベスト3に入る橋が登場です。
※危険な橋ランキングベスト3入りの橋
腐ってますよね。ズボっといかないとも限りません。結構揺れますし、慎重に渡りました。
15時15分、おそらく20町石だと思います。
※20町石
残るは9分の1ですよ。いやあ~頑張りましたね。
15時17分、19町石です。
※19町石
19町石から2分後の橋です。ここもまあまあ危険な橋です。
※危険度ランキングベスト3に入る橋
15時20分、17町石です。
※17町石
2分後の橋は、全然大丈夫ですね。
※まったく危険がなさそうな橋
15時23分、16町石です。
※16町石
もうカウントダウンですねえ。かなりテンションは高まってきました。
ここからすぐの橋も安全そうです。
※安全な橋
しかしさらに2分後、かなり危なっかしい橋に出ました。
※土砂に埋もれた橋
これは危険度ランキングベスト3に入る橋ですね。今までの橋は桁が腐っていて危険でしたが、ここは違う意味で危険です。欄干が曲がってますね。
15時27分、14町石です。
※14町石
15時29分、13町石です。
※13町石
その直後、また橋です。これは割と安全でしょうか。
※まあまあ安全な橋
しかし、全般的に橋の老朽化は否めないですね。世界遺産登録20周年を機に、作り直して欲しいものです。
15時31分、12町石です。
※12町石
15時34分、11町石です。だんだん明るくなってきました。
※11町石
2分後、少しだけ石畳みの道が現れました。
※石畳みの道
15時36分、ついに残り10町です。
※10町石
もうあの辺がゴールなんでしょうか。期待に胸が高鳴ります。
※もうすぐゴール?
いや、これはもうゴールでしょう。
※ゴール?
15時47分、大門に到着です! ゴールです!
※高野山大門
ついに、到着しました。いやあ、遠かったですね。「紀伊駅」を出てから歩くこと3日、ようやく高野山内に入ります。歩き遍路を始めてから46日目、自宅を出てからは53日目ということですか。
何はともあれ、ここまで頑張りました。
大門前には、外国人のカップルが1組いらっしゃいました。なぜか日の当たる方のベンチに座っておられましたが、私は日陰のベンチの方に座り、ちょっと休憩することにしました。
宿坊 一乗院の方が心配しているかもしれないと思い、電話をしようとしたのですが、なぜか最初は実家にかかってしまいました。特に用がないことを伝え、改めて宿坊 一乗院にかけ直します。
案の定、心配してくださっていたようで、電話に出られた方は安堵してくださっていたように思います。到着してから分かりましたが、どうやらお坊さまだったようです。「5時半からお食事ですので、その前にお風呂に入っていただけたらと思います。なるべく早くお越しください」とのことでした。これは純粋に、汗を流してすっきりしてください、という気遣いを示してくださっているように思いました。
水やヨーグルトのことがあったので、コンビニに寄ろうかと思っていたのですが、そうなると急いだ方がよさそうです。念のため、自動販売機があるかどうか聞きますと、ある、とのことでした。ならばコンビニは省略しましょう。
大門の周りには、8町石、7町石があるはずですが、見つけられませんでした。
高野山大門から宿坊 一乗院まで
高野山大門を15時57分ごろに出発し、宿坊 一乗院には16時23分には到着しました。コンビニに行かないと言っていましたが、どうしてもソフトクリームが食べたくて、ヤマザキショップに寄ってしまいました。その割には、なかなか速いペースで来ています。
15時57分、大門をくぐってすぐ左側に、6町石がありました。
※6町石
大門から降りていき、車道に出ると5町石です。15時58分でした。
※5町石
県道53号高野天川線を140メートルほど進むと、4町石に出ました。16時ちょうどでした。
※4町石
16時2分、3町石です。
※3町石
そして何とこの後、2町石と肝心の1町石を見落としてしまいました。
2町石、1町石は県道53号線の北側、山王院の敷地内にあり、生垣に紛れてしまっているのです。コンビニに行こうかどうか結局少しの迷いがあり、注意力が散漫になっていたようです。何か、ここまでの歩き旅の苦労がパーみたいな感じですね。
この後、中門をくぐって壇上伽藍に入り、境内を進んでいきました。参拝は明日に回します。それほど人が多いわけではありませんでした。
※壇上伽藍境内
実はここに1町の町石があり、これかな?と何となく喜んでいたのでした。
※1町の町石
この1町の町石は、ここから奥之院まで町を重ねていく、町石だったようです。翌日に分かったことですが、奥之院までは36基建てられているようでした。
16時10分、どうして3町なんだろうと思って写真を撮っていました。
※3町の町石
16時12分、金剛峯寺も参拝せずにこの日はスルーしました。
※金剛峯寺
この後、100メートルほど進んだ右手に、ヤマザキショップが現れました。ヤマザキショップ勝間屋ですね。
お店の外にソフトクリームのオブジェが立っていたので、どうしても心動かされてしまいました。チョコのソフトクリームにしましたが、濃厚でおいしかったです。コーンもワッフルコーンで、カロリーに飢えた身にはありがたかったですね。
ここで少しだけ休憩した後、残り250メートルを歩き切ります。
16時23分、宿坊 一乗院に到着しました。
※宿坊 一乗院
車が何台か停まっていましたので、車で来られている方も多いようです。
歩きを終えて
中に入ると、すぐに係の方が出てきてくださいました。声の感じから、先程電話に出てくださった方のように思います。お坊さまでした。
さすが、お杖はそのままお部屋までお持ちください、と誘導してくださいます。これは普通の宿とは違いますよね。
私が建物の中に入ると、2,3人の方がわらわらと出てこられ、「暑かったでしょう」とか、「お疲れ様です」と労ってくださいました。九度山から歩いて来たもの好きということで、ちょっとした有名人になっていたようです。
部屋に行く前に、簡単に坊内の案内をしてくださいました。翌朝の勤行が行われる本堂や、自動販売機の位置、大浴場などですね。
最後に部屋に案内されました。楓の間でした。一乗院公式ホームページ*9を見る限りでは、下から2つ目のランクのようです。
それでも、部屋食、布団の敷き、たたみもすべてやってくれますし、サービスも申し分ありませんでした。また、ハエが部屋に侵入した際もこちらが頼む前に気づいてくださり、虫捕り網で捕ってくださいました。
もちろん、価格はこれまでに泊まった宿と比べても格段に高いですが、素晴らしいホスピタリティです。
大浴場もキレイで、食前、食後と2回入ってしまいました。しかも、2回ともどなたもおられず、完全な貸し切り状態でした。また、浴場に剃刀がなかったので食事の時に頼んだところ、使い捨ての剃刀を部屋まで持ってきてくださいました。
ちなみに、食事は完全な精進料理です。精進料理ですが、お膳の数が多く、かなりのボリュームです。事前にキノコが苦手ということをお伝えしていたのですが、きちんと抜いていてくださいました。ご飯は希望しないと持ってきてくださらない感じでしたので、必要な方は申し出たらいいと思います。しかし、私も普通の状態だったらご飯がいらないくらいのボリュームはありました。
※夏の「花山吹」御献立
この日、テレビを見ていると何とまた地震の警報が流れました。19時57分、神奈川県西部でマグニチュード5.3(暫定値)の地震が起こったのでした。
前日は宮崎県、この日は神奈川県です。いよいよ南海地震か?と色めき立ちますよね。
ただ、ニュースを詳しく見ていると、神奈川県西部は南海トラフの範囲ではないらしく、両者の地震は関連性がない、ということでした。
しかしまあ心がざわついたのか、あまりにも疲れすぎていたのか、この日はなかなか眠りにつけませんでした。ベッドでなかったので、慣れていなかったのかもしれませんが。
翌朝は壇上伽藍、金剛峯寺と参拝して、奥之院をお参りする予定です。その後は家に帰るだけなので、まあそれほどしんどくはないでしょう。とにかく、目を瞑って時間を過ごし、自然と眠っていたと思います。
歩き 遍路振り返りデータ
歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は500mlのペットボトルを7~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円近くかかっていたと思います。
札所情報
札所:なし
納経代:0円
大師納経代:0円
宿情報
一乗院
【楓・柊・木蓮】〔禁煙ルーム〕(定員1名)
宿泊費:27,000円
室内に冷蔵庫・トイレあり
WiFiあり
大浴場あり
洗濯機・乾燥機なし
アクセス:南海りんかんバス「千手院橋」停留所から徒歩3分
コンビニ:徒歩4分(ただし24時間営業ではない)
宿坊だが、サービスのクオリティは高級旅館レベル。坊内も清潔で、とても気持ちがいい。大浴場もキレイで、水差しまで用意してある。トイレ・冷蔵庫が室内にあったのもうれしい誤算だった
バス情報
行き:橋本市コミュニティバス「ルートイン橋本前」~「東京屋前」200円
帰り:なし
距離と歩数
ASUS VivoWatch BP(HC-A04)
カロリー:2,058kcal
距離 :29.9km
歩数 :43,229歩
*1:九度山町教育委員会ホームページ「九度山町の文化財『町石道の通行状況について(6月22日更新)』」2024.8.17閲覧
*2:九度山町観光情報ホームページ「見どころ」2024.8.17閲覧
*3:かつらぎ町ホームページ「観光・農林・商工『林業』」2024.8.17閲覧
*4:かつらぎ町観光協会ホームページ「見所『天野の里』」2024.8.17閲覧
*5:和歌山県公式観光サイト「わかやま観光『街道マップ』」2024.8.18閲覧
*6:和歌山県公式観光サイト「わかやま観光『街道マップ』」2024.8.18閲覧
*7:和歌山県公式観光サイト「わかやま観光『街道マップ』」2024.8.18閲覧
*8:和歌山県公式観光サイト「わかやま観光『街道マップ』」2024.8.18閲覧
*9:高野山別格本山一乗院ホームページ「宿坊のもてなし『客室』」2024.8.18