満願・お礼参りを目指す四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、最終章の最終日、ついに完結編です! 前日に町石道を歩き切って高野山に到着、宿坊に泊まっていました。四八十八ヶ所のお遍路の満願は高野山奥之院にお参りすることで果たされます。ついに、ついに自宅から出発した歩き遍路の旅のすべてが終わります。
歩き遍路 47日目 満願への7日目 宿坊 一乗院から奥之院まで
歩き遍路47日目、2024年8月10日(土)のレポートです。この日は高野山中の宿坊 一乗院を出発し、2.7km先の高野山奥之院を目指します。しかし、壇上伽藍と金剛峯寺も参拝したいと思っているので、歩く距離はもっと長くなります。
まずは、計画表と実行程表をご覧ください。
この日の予定では、奥之院を参拝する前に壇上伽藍、金剛峯寺を参拝しようと思っていました。以前、高野山を参拝した際に、奥之院の納経所のおばあさんが、壇上伽藍と金剛峯寺もお詣りするようにおすすめしてくださったことから、今回は初めから参拝しておこうと思ったのです。詳しくは、「山上の曼荼羅 高野山金剛峯寺、壇上伽藍、奥之院弘法大師御廟に行ってきました!」をご覧ください。
さて、この日も確か5時に起きたように思います。しかし、ベッドではなかったので、あまり眠れませんでした。
6時半から勤行があるということで、なぜか6時15分くらいには本堂に来るように言われていました。理由は、本堂に行ってから分かりましたので、後述します。
私が泊まった楓の間から本堂に行くには、お寺の受付のところ、ホテルで言えばフロントの前を通らなければなりません。フロントの隣は、鑑賞用にキレイに設えられた部屋でした。
※受付隣の部屋
これだけでもなかなかの金額だと思われます。高野山の一塔頭だと思われる一乗院ですが、なかなか集金能力があるのですね。それだけ高野山というブランドの持つ力が大きいのでしょうか。
本堂に入ると、席に案内されました。席は決まっていたようで、私は2列目の一番奥でした。ただし、奥にはまだ席がありましたから、今回の参加人数は満員ではなかった、ということですね。
一応私は「南無大師遍照金剛」と書かれた笈摺おいずるを着て、輪袈裟わげさを着けて臨みましたが、後から来られたおばあさんは完全な白装束で、上回られました。私以上のガチ勢だったようです。
早めに本堂に招かれた理由は、本堂内の見学ができるからでした。ここでも先程と同様の感想を持ちました。本堂内は、かなり煌びやかに装飾されています。相当額の寄付、寄進がないとここまでの造りはできないと思います。高野山内のお寺は、どこもこんな感じなんでしょうか。それとも、一乗院さんだけがこんなにスゴイのでしょうかね。
内陣をぐるりと一回りして、席に戻ります。参加者は、10名程度だったでしょうか。中年のご夫婦が何組か、そして上述のおばあさんと、あと一人、きちんとジャケットを羽織ったダンディなおじいさんがいらっしゃいました。中年のご夫婦とお話されていたので、ご家族か何かだったのでしょう。
6時半を少し過ぎたころ、導師さまが入堂され、4名のお坊さまを従えて勤行を開始されました。昨日、私を応接してくださったお坊さまもいらっしゃいます。
密教独特の作法もいろいろあったと思いますが、お声明というのでしょうか、唄のように節をつけていろいろな真言をつづけておられました。これはなかなか興味深かったですね。そして、見事にハモっておられました。
ただ、以前善通寺で朝のお勤めに参加させていただいた時は、こちらも一緒に般若心経を唱えさせてもらう場面があったのですが、今回はそのようなことはありませんでした。ただ、手を合わせて祈るだけです。
ただし、ご焼香はありました。順番に一人ずつ、前に進み出て焼香していきます。たまたまでしょうが、反時計回りで私のところにも順番が回ってきました。
焼香って、宗派によって作法もちがいますし、1回なのか3回なのかとか、難しいですよね。参加人数がそれほど多くなかったこともあり、私は3回焼香したと思います。
勤行の時間は40分くらいだったでしょうか。その後、導師さまの退場の後、順番に出口に近いところから退場していかれました。必然的に私は一番最後になりました。
どうやら一人用の部屋に泊まっていたのは私とガチ勢のおばあさまだけだったようで、他の方々はより高い部屋に泊まっておられたようです。しかし、基本的にサービスはそれほど変わらないと思います。
部屋に戻ると、布団はもう直してあり、食事の用意ができていました。前日、ご飯のお代わりを頼んだからか、この日は事前におひつが置いてあり、まあまあたくさんのご飯が入っていました。配慮してくださっているようです。
完全な和の料理であっさりしていましたが、なかなかのボリュームでした。しかし残したら仏教的に良くないと思い、ご飯もすべて残さずいただきました。ただし、鍋料理のようなものがあり、それにお餅が入っていたため、それだけは残しました。実はお餅アレルギーなんですよね。
もともとアレルギー体質で、卵や小麦など、いろいろなアレルゲンを持っているのですが、最近ご飯を食べた後ものどがイガイガしたり、咳や鼻水が出たりするようになってきました。お米の完全体とも言えるお餅に関しては、お腹の調子までもが悪くなり、吐き気も催すほどです。それゆえ、お餅だけは残させていただきました。
7時くらいにはお膳を下げに来てくださるかな?と思い、トイレに行くのを我慢していたのですが、我慢できなくなったため、トイレに入りました。すると、トイレに入っている時にお膳を下げに来られました。トイレから、下げてもらって大丈夫な旨を伝えました。ちょっと恥ずかしい状況でしたね。
その後、準備を整え、8時半ぐらいに一乗院を出発したと思います。朝食にはヨーグルト系のものがなかったので、コンビニで買うことにしました。荷物は預かってもらえたので、この日はリュックを止め、エコバッグのようなトートバッグを肩から提げて、身軽な状態で出発しました。
宿坊 一乗院から奥之院まで
8時半ごろに宿坊 一乗院を出発し、奥之院には10時過ぎに到着しました。半時間ほど余計に時間がかかっていますが、壇上伽藍を参拝するなどしていたため、遅くなったのでしょう。
何やかんややっていて、出発時間は8時半ごろになっていたのでしょうか。納経帳を受け取り、荷物を預けて出発しました。
ここからはまずファミリーマート 高野山店を目指します。朝食にはヨーグルト系のものがなかったため、念のためヨーグルト系ドリンクを飲もうと思ったからです。お腹の調子が悪くなるということは、旅においては死活問題ですからね。しかも、今回の旅では正露丸もビオフェルミンも忘れてきていました。
おそらく8時50分ごろでしょうか。ファミリーマート 高野山店に入ります。ここで買うのはヨーグルトドリンクのみです。確かR1を買ったと思います。
ここでうれしくなったのは、レジの方が「頑張ってください」と言ってくださったことです。ファミリーマートというチェーン店で、しかも買ったのはヨーグルトドリンク1本、155円です。それでも応援して声をかけて下さるとは、さすが聖地高野山です。前日の矢立茶屋での仕打ちと比べると、人の情けが身にしみます。
ファミリーマート 高野山店から100メートルほど戻ると、高野山の中門です。ここで9時ちょうどでした。
※中門
※中門正面
中門をくぐると、いわゆる壇上伽藍です。
壇上伽藍は、弘法大師が高野山の中心として定めた場所です。金堂と根本大塔があります。金堂、根本大塔ともに拝観料がかかります。
※金堂
金堂では朝のお勤めらしきものが行われており、お坊さまがたくさんおられたため、私は中には入りませんでした。読経も普段は声を出して行うのですが、ここでは遠慮して止めておきました。
根本大塔は、中に入りました。
※根本中堂
中には数人の方がいらっしゃいました。ここではきちんと納経しました。
この後、根本大塔の正面、境内の南側にある納経所に行きました。やはり納経代が300円から500円になったからか、行列はなくすぐに書いていただくことができました。私は金堂と根本大塔の両方のご朱印をいただきました。これまでならば600円で済んだところ、1,000円になりますから、まあまあの負担感ですよね。これでご朱印ブームは去っていくように思います。
この後、順番的には金剛峯寺を参拝してから奥之院に行くことになりますが、実はこの段階で帰りのバスの時間を決めていました。スムーズに家に帰るためには、12時44分に「千手院橋」バス停発のバスに乗ってケーブルカーの「高野山駅」まで行き、そこからケーブルカーと電車を乗り継いで帰ることになっていたのです。
金剛峯寺の前から奥之院までは歩くと2.7kmありますので、往復すると1時間半くらいかかるでしょうか。参拝の時間なども考えると、2時間は見ておいた方がよさそうです。さらに、昼食も食べてから帰ろうと思っていましたので、思ったより時間がなさそうです。
ということで、金剛峯寺は時間があれば参拝するということにして、先に奥之院に行くことにしました。今回の旅の究極的な目的は奥之院に参拝することですから、本筋から離れて目的が達成されなかったら大問題です。
ということで、納経所を出たら蛇腹路と呼ばれる参道を撮って東に向かうことにしました。
蛇腹路に入ってすぐ左側に、西行桜がありました。これは今まであまり着目したことがありませんでした。ここで9時17分でした。
※西行桜
何と西行は久安5(1149)年から約30年も高野山に草庵を結んでいたそうです。大会堂と三昧堂の造営、移築に尽力した、ということです。
蛇腹路を出てから金剛峯寺の門前を通過し、350メートルほど進むと、南側に「千手院橋(東)」バス停が現れました。
※「千手院橋(東)」バス停
昼食も食べて、12時44分発のバスに乗る予定です。ここで9時26分でしたので、あと3時間少々ですね。
9時30分、十町の町石です。
※十町石
この町石は奥之院まで36基置かれている町石です。前日の記事「四国八十八ヶ所 歩き遍路 46日目(2024.8.9) 満願への6日目 高野山参詣道「町石道」を行く」での慈尊院から壇上伽藍まで続いく180町の町石と区別するために、こちらの町石は漢数字で表したいと思います。
わずか3分後、清高稲荷社のところに、十三町石がありました。
※十三町石
やはり山道と比べると圧倒的に早いですね。
十三町石から230メートルほど進むと、道が左右に分かれています。左が分岐していく方で、右の方が本道という感じですが、ここは左に行くのが正解です。
分岐してから150メートルほど進みました。9時37分、ついに一之橋です。
※一の橋
橋の手前に十七町石がありました。
※十七町石
ここからは、霊域に入ることになります。ここから奥之院までの参道は、やはり空気が違います。
この日は高野山の最高気温が30度行っていなかったので、下界と比べても非常に涼しかったのですが、杉並木の参道に入るとさらにひんやりとしました。
9時40分、十九町の町石です。
※十九町石
1分後、二十町の町石に到着しました。ここには、詳しい説明板もありました。
※二十町石と説明板
※高野山町石道説明板
国指定の史跡であるとともに、世界遺産でもあります。世界遺産の方が後ろに書かれているのは、なぜなんでしょうか。
参道を歩いているのは、外国人の方が多かったように思います。熱心に写真を撮っておられる方もいらっしゃいましたが、私とは撮るポイントが違ってしました。町石を撮っている方はいらっしゃらなかったように思います。
9時43分、二十一町石です。
※二十一町石
「二十」の描き方が、「廿」になっています。
9時44分、二十二町石です。
※二十二町石
この近くに、大師の腰かけ石がありました。
※大師の腰かけ石
六角形の石柱と天井の石で守られているのが腰かけ石ですね。隣の石碑には「弘法大師御こしかけ石」と書いてあるようです。
これもきっと、誰か最初の人がいちびって「この石に弘法大師が腰かけはったんやで~」と言い始めたからのような気がします。こういう都市伝説的なもの、とにかく多いですよね。
9時49分、二十六町石です。
※二十六町石
9時50分、二十七町石です。
※二十七町石
9時53分、二十九町石です。二十八町石は見落としたようです。
※二十九町石
9時54分、三十町石です。
※三十町石
9時55分、お化粧地蔵だと思われます。
※お化粧地蔵
この日は割と地味目のお化粧だったように思います。
10時ちょうど、ついに奥之院の手前、御廟の橋に到着しました。それがトップの写真ですね。この橋より先は完全な聖域となるため、写真を撮ることができません。
確か、奥之院御廟の手前に三十六町石があったように思います。ここまで来るとかなり人が多かったですね。
燈籠堂の中に入り、般若心経をお唱えして納経をしました。この旅では納め札を持ってきていなかったので、読経のみとなります。
燈籠堂を出て、周りの廻廊を左の方に歩いていくと、左奥に納骨堂があります。実は私の家内の分骨がこちらに納骨されています。確か2年前に納骨したように思います。参拝するのも約2年ぶりですね。
さらに、燈籠堂の真裏、弘法大師の御廟に向けて参拝しました。ローソクやお線香は売っていますが、私は自前のものを使いました。納骨堂、御廟前の両所で納経を済ませましたので、後は納経所に向かうだけですね。
御廟の橋を渡って納経所を目指します。橋を渡って左側、すぐのところにあるのが、水行場ですね。よくテレビで修行の様子を拝見します。
※水行場
この後、納経所に並びました。ここでも、行列はなく、待ったのは1人分だけでした。
私の納経帳は四国八十八ヶ所の公式のもので、最初の方に奥之院のページが存在したのですが、私はうっかり後ろの方のページを開いてお渡ししてしまいました。すると納経所のおじさんがちょっと不機嫌そうに確認して、最初の方のページに記帳・押印してくださいました。ただ、その後、車いすで参拝する方法をうかがった際には、とても丁寧に答えてくださいました。
家内の父親、私にとっての義父が、現在車いす生活になっており、車いすで参拝するルートを調べておくという段取りになっていたのです。ただ、おじさんのお話では駐車場はやはり県道53号高野天川線沿いの大きな駐車場しかないそうで、石畳みの参道を車いすを押して歩かないといけないようでした。
ただし、橋を渡ったり階段を登ったりする必要はないようです。下の案内板がありました。
※バリアフリーの案内板
トイレもバリアフリー対応しているようです。
さあ、これで念願の奥之院参拝はついに終了です。四国八十八ヶ所歩き遍路、これをもって満願ということになりました。家を出発してから54日目の満願ということになります。
四国八十八ヶ所で歩き遍路を達成される方のほとんどが、第1番札所の霊山寺最寄りの「板東駅」からスタートされます。そして第88番札所大窪寺を参拝した後は、いくつかのパターンに分かれます。一つ目のパターンは、大窪寺参拝で終了されるというパターンです。二つ目のパターンは、第1番札所まで歩いて戻って満願とされ、終了されるパターンです。三つ目のパターンが、フェリーや電車等を使って高野山奥之院を参拝し、満願として終了されるパターンです。多くの方のブログを拝見しましたが、皆さん、いずれかのパターンで終わっておられます。
しかし、私は大阪府茨木市にあった自宅(※出発当時)から出発し、歩いて南海フェリーの和歌山港まで行き、フェリーで紀伊水道を渡って、徳島港から第1番札所霊山寺を目指しました。霊山寺からは第2番、第3番と順打ちしていって、第88番札所大窪寺まで到達しました。さらに、大窪寺から徳島港まで歩いて戻り、今回の旅で「紀伊駅」から高野山奥之院まで歩いたわけです。自宅から高野山奥之院まで、完全踏破!ということになりました。これはもしかすると、世界でも10人といない快挙なのではないでしょうか。
さて、戻りましょう。幸い、時間は余裕がありそうでしたので、金剛峯寺を目指すことにします。
奥之院から養花天まで
10時25分ごろに奥之院を出発して、金剛峯寺を参拝し、養花天には11時40分ごろには到着していたと思います。金剛峯寺を参拝していたので、当然Googleマップよりは時間がかかっています。
一の橋まで戻ってきたのは、10時46分でした。
※参道側から見た一の橋
一の橋から金剛峯寺前までは、1.1kmあります。急いだ方がよさそうですね。
10時53分、ちょうど半分くらいのところにある持明院前に到着しました。
※持明院前
四国八十八ヶ所のお砂踏みができるようですね*1。横の石碑には、「西国三十三所観音霊場」と書いてありますが、どういうことかはちょっと分かりませんでした。おそらく、西国三十三所もお砂踏みのようになっているか、写しご本尊が祀られているかするのでしょう。
ちなみにこの前後、どの地点だったかは忘れましたが、外国人のおじさんに声をかけられ、写真を撮らせて欲しいと頼まれました。まあ菅笠、金剛杖、笈摺というお遍路のユニフォームを着ていますからね。どこの国の方かは聞かなかったのですが、おそらくXか何かで、私の写真が出回っていると思います。
SNSついでに少し触れておくと、実は朝宿坊を出てから金剛峯寺方面に向けて歩いていた時、スマホで録音か録画をしながら歩いている女性がおられました。そして、その女性ともう一度すれ違ったのがこの辺でした。
10時59分、ついに金剛峯寺に到着しました。だいぶ歩く距離が増えてきました。
※金剛峯寺山門
早速、主殿に入ります。入口は、山門を入って右奥の方です。靴を脱いで入ります。主殿の拝観料は1,000円です。
ご本尊に参拝した後、時間がないのでどんどん進みました。新別殿に入ります。ここは昔は、お茶とお菓子のお接待があったところです。コロナ禍以降でしょうか、今は給茶機で、お茶だけ自分でもらうシステムになっています。ちょっと残念ですね。
※新別殿
ここでお坊さまの法話が行われます。時間があわなかったようでお聴きすることはできませんでした。
代わりに珍しい顔はめパネルを見つけました。こうやくんの顔はめパネルです。
※こうやくんの顔はめパネル
まああまり長居もできませんので、残りもスタスタと歩いていきました。
蟠龍庭の写真も載せておきます。
※蟠龍庭
この後、ぐるっと回って入口のところまで戻ってきました。
ここの納経所は、入殿時に納経帳を預けておけば、帰りに受け取ることができるシステムです。番号札を渡して納経帳を受け取り、主殿を後にしました。
さあ、これで目的はすべて達成されました。後は、お昼を食べて帰るだけです。
食事する場所を探します。メインストリートである県道53号線から一乗院までの間に、3軒ほど飲食店が並んでいます。どこにしようか、軽く外から様子を窺いますが、一応行くお店は事前に決めていました。養花天というお店ですね。
外の看板には、「喫茶 養花天」と書いてあり、その下の看板には「高野山 巡礼の駅」と書いてあります。これはありがたいですね。巡礼ヤーである私としては、入るしかありません。また、Googleマップでリサーチしていた時に、カツサンドに魅力を感じていました。
というわけで、お店に入ります。カウンターに案内されると思っていたのですが、店員の女性は2人用のテーブル席に案内してくれました。外国人のカップル1組と、老婦人2人組が近くにいらっしゃいました。
早速、カツサンドを頼みます。確かコーヒーとあわせて1,500円くらいはしたように思います。しかし、この日の朝食、前日の晩と精進料理が続いていましたので、カツサンドは激烈においしかったです。ちゃんとしたパンを食べるのも久しぶりだったように思います。
12時ごろだったでしょうか、一乗院に荷物を取りに行くため、お会計をしました。すると、何とお菓子の詰め合わせを「お接待です」と渡してくれるではありませんか!
※右側6個のお菓子が養花天でのお接待
これこれ、これですよ! 巡礼者をお大師さまのように歓迎する、それこそがお四国の精神です。高野山にもこの精神があるとは、とても感動しました。前日の矢立茶屋の件があったので、余計にですね。
ということで、私はここで熱烈に養花天を宣伝しておきたいと思います。高野山に行ったら養花天! 高野山での食事は養花天! 巡礼に優しい喫茶、養花天をよろしくお願いします!
この後、一乗院に寄って荷物を受け取りました。庇の下をお借りし、荷物の整理をさせていただきました。最後にご挨拶をして、一乗院を離れます。ここは高かったですけど、おもてなしのレベルはかなり高かったですね。非常に満足できました。もしかすると、また泊まらせていただくことがあるかもしれません。
養花天から「千手院橋」バス停まで
一乗院を12時過ぎくらいに出発して、おそらく公衆トイレに寄り、最後に「千手院橋」バス停に到着したと思います。まあ短い距離ですから、時間はもう関係ないですね。
今回の歩き旅の最終ゴールは、この「千手院橋」バス停になっています。理由は、後述します。まずは千手院公衆トイレに行きました。何か昔来た時よりもトイレの規模が小さくなったような気がしましたが、とてもキレイなトイレでした。
その後すぐ、12時15分ごろでしょうか、トイレの向かい側にある「千手院橋(東)」バス停に到着しました。この「千手院橋」バス停は、「千手院橋(東)」と「千手院橋(西)」があって、それぞれ行き先が違うので要注意です。
歩きを終えて
バス停では、すでに何人かの方が待っておられました。しばらくすると、養花天で食事をされていた外国人の老婦人2人組も来られました。
12時20分に、「高野山駅前」行のバスが来ました。私が予定していたバスよりも、1本早いバスですね。まあ、ここでぼうっと待っていても仕方がありませんので、これに乗ることにしました。
バスは一乗院の前を北上し、橋本警察署幹部高野交番を通って、北西方向に進んでいきます。女人堂から先は、何と南海りんかんバス専用の道路となっているようです。高野山への公共交通アクセスは、南海電鉄系列が完全に独占しているわけですね。
12時35分到着予定のはずですが、12時30分には「高野山駅前」バス停に到着していました。
※南海高野山ケーブル「高野山駅」
これ、バスあるあるなんですけど、途中の停留所で定時以前に出発しているということなんですよね。そうすると、私のようにバス頼みで移動している人間は、途中の停留所でバスに乗れないという事態も起こり得るわけです。
「高野山駅」はお寺のような、レトロな雰囲気です。
中に入って、様子をうかがいます。12時40分発の「極楽橋」行のケーブルカーがありましたが、「極楽橋駅」で乗る特急こうや10号は13時20分発です。あわてて行っても待つ時間が増えるだけなので、ちょっと「高野山駅」を探検することにしました。
2階に上がります。
※新型「高野山ケーブルカー」導入の様子
2階はとてもキレイに整備されていて、ちょっとしたギャラリーにもなっています。古い鉄道関係の用品も展示されていました。また、展望台にもなっています。
※展望台からの景色
ちょっとどっち方面を望んでいるのか分かりませんね。
1階に降ります。ちょっと売店をのぞいてみることにしました。おそらく南海電鉄の売店であるnascoだったと思います。
お土産を買おうか、でも荷物になるしな~と思いながら店内をうろうろしていると、レジに立っていたおばあさんに話しかけられました。
どうやら私が巡礼であるということに気づかれたようで、いろいろ話をしている中で、菅笠の話になっていきました。菅笠だと雨に濡れるのではないか、というお話だったのですが、ビニールカバーをお見せしたところ、「今はこういうのがあるんやね」ということで安心されました。
そこから、私が教員であるという話をすると、おばあさんも校長先生から九度山小学校の教員にならないか、と誘われたというお話をしてくださいました。しかし、田舎の小学校の先生は面白くなさそうということで、断られたそうです。面白いおばあさんでした。
ということで、これだけ話しているのに何も買わないのも悪いかと思い、ペットボトルのコーヒーと、本来ならば昨日食べていたはずのやき餅を買うことにしました。その時いただいたのが、上のお接待の写真の左側にあった甘納豆です。これもお接待ということでいただきました。
思えば、普通に利用させてもらおうと思っていた矢立茶屋では外に追い出されたのですが、思ってもいなかったところで、この日はお接待をいただいたわけです。養花天とnascoですね。いやあ、人情がしみます。
そんなこんなでおばあさんにはお礼を言い、12時52分のケーブルカーに乗り込みました。
※「極楽橋駅」 ケーブルカー車内から撮影
途中で、例によって登ってくるケーブルカーとのすれ違いがありました。
※登りケーブルカーとのすれ違い
「極楽橋駅」到着は12時57分でした。
※「極楽橋駅」
ここで驚いたのが、「極楽橋駅」はケーブルカーと南海電鉄高野線の駅が同一のものになっていることでした。改札なしで、そのまま南海電鉄高野線の電車に乗れます。
私の乗りたい、特急こうや10号はすでにホームに停まっていました。早速乗り込みます。
※こうや10号
南海電鉄に関しては私はチケットレスサービスで特急券を買っています。すぐに自分の席に座りました。
この後、「橋本駅」までは非常にのろのろと進んでいきました。「橋本駅」到着は何と13時59分です。
ちなみに、途中受験生に人気のある「学文路駅」を通過しました。
※「学文路駅」
この駅、上に写真でお分かりのとおり、「かむろ」と読みます。和歌山県民以外にはなかなか読めないですよね。
「橋本駅」に到着した時、例の養花天にいらっしゃった外国人の老婦人2人組がホームにいらっしゃいました。どうやら普通の急行に乗っておられたようです。髪の毛を紫に染めておられたので、印象に残っていたのですね。
多くの方は「なんば駅」まで行かれるのでしょうが、私は「天下茶屋駅」で降りました。ここで、大阪メトロ堺筋線の電車に乗り換えます。「天下茶屋駅」到着は14時40分でした。
ちなみに私はスマホのアプリで「信長の野望 出陣」をやっているのですが、降りる時にそのアプリを開いているおじさんがいたので、ちょっとほっこりしました。
この後、大阪メトロ「天下茶屋駅」に入ります。「天下茶屋駅」は南海電鉄と大阪メトロの改札口が向かいあっているので、乗り換えがとても便利です。
大阪メトロ「天下茶屋駅」に入り、トイレに行きました。その後、乗り換えなしで自宅最寄りの「西山天王山駅」に到着できる準急「京都河原町」行の電車に乗りました。
15時53分、「西山天王山駅」に到着です。この後、15分弱歩いて自宅に無事に帰り着きました。これで、今回の旅は完全終了です。
さて、最後に「千手院橋」バス停で旅を終えた理由を説明しましょう。実は以前も計画していたのですが、高野山から熊野古道小辺路を通り、熊野本宮大社、那智山を目指そうと思っているのです!
四国八十八ヶ所はすべて歩き切りましたが、西国三十三所はまだ全然歩けていません。そこで、第一番札所である那智山青岸渡寺から第三十三番札所谷汲山華厳寺まで、どれぐらいの時間がかかるか分かりませんが、区切り打ちで歩いていこうと考えているわけでした!
というわけで、巡礼の旅はまだまだ続きます!
皆さんも、ぜひ西国三十三所巡礼に出発しましょう!
歩き 遍路振り返りデータ
歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたが、この日はさすが高野山、涼しかったので2本くらいで済んだと思います。
札所情報
札所:3か寺(壇上伽藍・金剛峯寺・奥之院)
納経代:2,000円
大師納経代:0円
宿情報
なし
バス情報
行き:なし
帰り:南海りんかんバス 「 千手院橋(東)」~「高野山駅前」 360円
距離と歩数
ASUS VivoWatch BP(HC-A04)
カロリー:864kcal
距離 :12.6km
歩数 :18,157歩
*1:持明院公式ホームページ「境内・庭園」2024.8.31閲覧