四国八十八ヶ所の第 6番札所は、温泉山おんせんざん瑠璃光院るりこういん安楽寺あんらくじです。5番札所地蔵寺から約5km離れたお寺で、札所を順打ちした場合、初めての宿坊があるお寺です。
安楽寺の巡礼情報
安楽寺は、四国八十八ヶ所の第6番札所となっています。5番札所からまた旧撫養街道を通る形で、約5.3kmほど進んだところにあるお寺です。阿波藩によってかつて街道筋の駅路寺として指定されていたことから、立派な宿坊を有しておられます。しかも、温泉が出るということから、歩き遍路を始めた人が最初に泊まることが多い宿でもあります。
安楽寺の縁起
安楽寺の成立縁起は、安楽寺のホームページに記載されています。
shikoku6.or.jp(2024.10.19閲覧)
それによりますと、四国を巡錫中の弘法大師が、この地に霊泉が湧き出ていることを発見され、その湯が万病を治癒する効果があったことから、お堂を築き、手ずから彫られた薬師如来を安置されたのが始まりとされます。
その後、南北朝時代には熊野新宮に寄進され、熊野権現が祀られたということです。
※安楽寺の由来の説明板
五来重さん*1は、寺号について、以下のように述べておられます。
『四国遍路日記』では「安楽寺、駅路山浄土院」とありますが、『四国徧礼霊場記』では「瑠璃山日光院瑞雲寺」と呼んで、もとは安楽寺だといっています。ここで瑞雲寺といっているのは、街道筋の現在の安楽寺のあるところです。
要するに、瑞雲寺と安楽寺という二つの呼び名があったということでしょうが、つづけて次のように述べておられます。
蜂須賀藩がなくなってしまったので、瑞雲寺の指定は解除されて安楽寺になりました。もとは安楽寺といったというのは、奥の院が安楽寺であって、藩主より寺領を寄進されて、寺名を改めたのだといっています。一時このように称したのでしょうが、縁起としては弘法大師が薬師如来の尊像を刻んで、お寺を建てて安置したとあるだけです。
どうやらもともと街道筋のお寺は瑞雲寺であり、ここが駅路寺に指定されていたが、明治時代以降になって奥の院の安楽寺と一体化した、ということをおっしゃっているようです。
確かに、四国八十八ヶ所霊場会の公式ホームページ*2を見る限りでも、その昔は阿讃山麓まで寺域が広がっていたということなので、奥の院の安楽寺と街道沿いの瑞雲寺が別々に存在していたとしてもそれほどおかしなことではないように思います。
なお、駅路寺の指定に関しても五来重さん*3が説明しておられます。
駅路寺指定は慶長3年(1598)に行われたようです。そのころの駅路寺の出来事を書いた文書によると、阿波藩が徳島から五つの街道を設け、それに沿って駅路寺を指定して旅人の便利を図った、そのかわり十石の寺領が寄せられたが、治安取締まりの任務もあったとされています。
お寺は警察や関所のような公的機関としての役割も果たしていたということですね。安楽寺は、この地域ではなかなか重要なお寺だったようです。
安楽寺の見所
安楽寺の見所をご紹介します。
仁王門
※仁王門
竜宮造の山門で、鐘楼門でもあります。また、左右の堂舎に仁王像が祀られています。山門の仁王像は、京都の仏師で運慶・快慶ら慶派の流れをくむ松本明慶師の作です。
※吽形像
池
※鯉の泳ぐ池
境内入って左側、多宝塔の手前にある池です。鯉が放たれています。
多宝塔
※多宝塔
内部には、京都の松本明慶師作の五智如来が祀られています。また、塔の周りの基壇には四国八十八ヶ所の砂が埋められており、お砂踏みができるようになっています。
方丈
※方丈
方丈はもともとお寺の居住スペースであり、この建物も宿坊として使われていたと思われます。駅路寺であった安楽寺の方丈は約250年前に蜂須賀公より寄進されたもので、質素ながら堂々とした建物です。木造平屋建、茅葺一部瓦葺で、国の登録有形文化財となっています。
本堂
※本堂
安楽寺の本堂です。内陣に入ることができ、納経所も本堂内にあります。本堂前には金剛宝拝殿があり、弘法大師一代記の彫刻がなされています。現在のご本尊薬師如来坐像は安楽寺の先代住職のすすめで難病平癒祈願のため四国遍路を続けていた水谷しづさんご夫婦が、遍路途中に病気平癒をした報恩として昭和37年に奉納したものです。弘法大師お手製の薬師如来像はその胎内仏となっています。
太子駒つなぎの石
※太子駒つなぎの石
日本仏教の系譜において、聖徳太子を忘れることはできません。説明板によれば、縄文時代以降、集落の指導者が辺地修行をおこない、それが聖徳太子や役小角に受け継がれ、行基から弘法大師へと受け継がれていったとされます。聖徳太子も不動明王のお告げを受けて、四国を訪れになったそうです。
さかまつ
※さかまつ
弘法大師がこの近くの山中で国家安穏・諸人快楽を祈っておられた際、狩りをしていた猟師の青年が大師を獲物と間違え、弓矢を放ちました。すると、松の木の枝がなびいてその矢を受け、大師の身代わりとなりました。大師はこの松の枝をさかさまに植え、「この松が芽を出し栄えるならば、後にこの地を踏む者は厄除けの法によって災厄を逃れるだろう」と仰せになりました。大師のお言葉のとおり、枝は立派な松となり、今に至っているそうです。
大師堂(遍照殿)
※大師堂
大師堂で、扁額には「遍照殿」と書かれています。堂内には京都の松本明慶師作の弘法大師像、不動明王像、愛染明王像が安置されています。三尊ともすべて檜造で、特に愛染明王像は京都市長賞を受賞した秀作です。その他、松本明慶師作の仏像が35体安置されています。
安楽寺のご詠歌
ご詠歌とは、四国八十八ヶ所の各霊場の特色を五・七・五・七・七の三十一文字で分かりやすく詠んだもので、民衆に各霊場の特色を分かりやすく教える意味合いがあります。
かりのよに ちぎょうあらそう むやくなり
あんらくこくの しゅごをのぞめよ
(かりの世に 知行争う むやくなり
安楽国の 守護をのぞめよ)
漢字表記は一般社団法人 四国八十八ヶ所霊場会のホームページ*4によります。
安楽寺と安楽国をかけていますね。安楽国とは極楽浄土のことで、浄土真宗の正信偈や阿弥陀経の最後に、「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」と唱えることになっています。意味は「願わくばこの功徳をもって、皆に平等に一切に施し、同じく菩提心を発して、安楽国に往生せんことを」といったところです。
仮そめの現世での知行を争っても無益であり、極楽浄土の守護になることを目指した方がいい、というご詠歌でしょう。
五来重さん*5は、「とても卑俗な教訓を詠んでいます」と評しておられます。
安楽寺へのアクセス
安楽寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
shikoku6.or.jp(2024.10.19閲覧)
公共交通機関
JR「徳島駅」から徳島バス「鍛冶屋原車庫」行に乗車、「東原」バス停下車、徒歩約7分(「徳島駅」から約1時間7分)。
お車
高松自動車道「板野IC」から県道12号線を西に約15分走行、「東原」バス停付近で左折し県道139号線を西に約1分。
駐車場あり。約50台。無料。
安楽寺データ
ご本尊 :薬師如来
宗派 :高野山真言宗
霊場 :四国八十八ヶ所 第6番札所
所在地 :〒771-1311 徳島県板野郡上板町引野字寺ノ西北8
電話番号:088-694-2046
宿坊 :あり。温泉
納経時間:8:00~17:00
拝観料 :無料
境内案内図
www.seichijunrei-shikokuhenro.jp(2024.10.19閲覧)
上記サイトの当該箇所に境内の案内図があります。
南坊の巡礼記「安楽寺」(2020.7.24)
地蔵寺から少し南に下り、また県道12号線を西に向かいます。ここまでのお寺は、この県道12号線沿いが多かったように思います。県道12号線がカーブして南に向かい始めると、県道139号線との交差点が現れました。ここに、安楽寺の案内が出ています。右折ということですね。
右折するとすぐに右側に駐車場がありました。割と広い駐車場で、駐車場内にトイレもあります。
地蔵寺では少し雨がおさまってきていましたが、安楽寺の駐車場に車を停めたころにはまた雨が強くなってきていました。カッパを着用します。
県道139号線を挟んで南側に安楽寺の境内がありますが、県道139号線の交通量は割と多いです。それほど大きな道路ではありませんが、渡るのに少し苦労しました。
道路を渡って南に向けて進むと、右側にお店もありました。とりあえずお店を無視してお寺の方へ進みます。立派な山門がありました。
境内は奥行きのある感じで、割と広く感じました。奥に本堂があります。カッパを脱いで、本堂の中に入りました。
納経所が本堂内にあるので、一度外に出て、大師堂をお参りしてからまた中に戻ってきました。確かおばさんが書いてくださったように思います。
数人のグループもいらっしゃり、お寺の中には結構参拝者がいらっしゃったように思います。
立派なお寺であり、きちんと隅々まで拝見したいところですが、雨がかなり強くなってきており、心が折れそうになっていました。もう切り上げようかとも思ったのですが、次の7番札所十楽寺はかなり近くにあるので、そこまでは参拝することにしました。
ということで、駐車場まで戻り、車に乗り込みました。
やはり天気は重要ですね。雨の中の参拝はなかなか厳しいものがあります。今回の巡礼は、次の十楽寺で切り上げようと思います。
*1:五来重『四国遍路の寺 下』角川書店(1996)
*2:一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「各霊場の紹介『第六番』」2024.10.19閲覧
*3:五来重『四国遍路の寺 下』角川書店(1996)
*4:一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「各霊場の紹介『第六番』」2024.10.19閲覧
*5:五来重『四国遍路の寺 下』角川書店(1996)