西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 第9番札所 法輪寺 ~健脚祈願の草鞋と四国霊場唯一の本尊・釈迦涅槃像~

法輪寺境内

四国八十八ヶ所の第9番札所は、正覚山しょうかくざん菩提院ぼだいいん法輪寺ほうりんじです。8番札所熊谷寺から田園地帯を南に2kmほど南下したところにあります。畑の中に忽然と現れるお寺ですが、もとはこの地より北4kmほどのところにあったそうです。

法輪寺の巡礼情報

法輪寺は、四国八十八ヶ所の第9番札所となっています。8番札所から新しくできた道の間をぬって、田園地帯を南下したところにあります。最終的にお寺の前に行くには、車も人も同じ細い道を通っていかなければなりません。小さな森が見えてきたら、そこが法輪寺です。

法輪寺の縁起

法輪寺の成立縁起は、法輪寺のホームページに記載されています。

www.hourinji-tokushima.com(2024.12.7閲覧)

それによりますと、古くは「白蛇山法林寺」と称されていたそうで、現在の地より北、約4kmほど山間の「法地ヶ渓」というところにあり、壮大な伽藍を誇っていたと伝えられているそうです。その礎石や焼土がのこっているとのことですが、天正10(1582)年の長宗我部元親による兵火で焼失した遺跡だそうです。

弘法大師がこの地方で巡教されていたときの弘仁6(815)年、この地で白蛇を見つけられました。白蛇は仏の使いであるといわれていることから、大師は釈迦の涅槃像を彫造し、ご本尊として寺を開基されたそうです。涅槃釈迦如来像は、北枕でお顔を西向きに、右脇を下に寝ている涅槃の姿を表しています。お釈迦さまを慕い嘆き悲しむ羅漢や動物たちの像も安置されているとのことです。

現在の場所に移転し再建されたのは正保年間(1644-48)だそうで、当時のご住職が転法林(※上記ホームページの記載より。「転法輪」の誤りか?)で覚りを開かれたということで、山号と寺名を「正覚山法輪寺」に改めたということです。

その後、1859年に村人が浄瑠璃芝居の稽古をしていた際に出火し、鐘楼堂だけを残して全焼したそうです。現在の姿は明治時代に再建されたものだということです。

 

例によって五来重さんの著作*1をひもといてみますと、次のように縁起について述べておられます。

縁起は不明ですが、本尊御詠歌も釈迦崇拝を表しているので、熊谷寺と同じく法華経持経者の寺であったとおもわれます。とくに釈迦を拝むのは法華経です。法華経というのはお釈迦さんの説いたお経であり、お釈迦さんの意思をいちばんよく伝えたお経だといわれています。お釈迦さんを本尊とするのは法華経です。

8番札所熊谷寺との関連を思わせることを書いておられますが、熊谷寺法輪寺ももとは北の山中にあったという縁起が共通しており、もしかすると兄弟のような関係だったのかもしれません。

また五来重さんは、正覚山という山号や、法輪寺という寺号も釈迦如来の事績、つまり正しく覚り(悟り)を開いたことと、法輪を転じたこと(説法をしたこと)から名前がついたのだろうと推測しておられます。

さらに澄禅『四国辺路日記』を引用して次のように述べておられ、江戸時代前期の様子を説明してくださっています。

『四国辺路日記』も「本尊三如来、堂舎寺院悉退転シテ少キ草堂ノミ在リ」と書いています。三如来といっているのは釈迦・弥陀・薬師です。承応2年(1653)のころには、まだ涅槃堂はなかったことがわかります。

この『四国辺路日記』の描写が移転前のお寺の様子なのか、移転後のお寺の様子なのかは分かりませんが、とにかく江戸時代前期には相当寂れていたようです。

法輪寺の見所

法輪寺の見所をご紹介します。

仁王門

※仁王門

法輪寺山門です。小さいですが、二層式の楼門になっています。

本堂

※本堂

釈迦涅槃像が祀られている本堂です。五年に一度、5の倍数の年の2月15日に拝観することができるそうです。

本堂にはたくさんの草鞋が奉納されていますが、昔、松葉杖なしでは歩けない人が法輪寺をお参りした際、参道の真ん中辺りで足が軽くなり、松葉杖なしでも歩け、ついには足が完治したという故事に因んでいるそうです。以来、健脚の祈願のために本堂にたくさんの草鞋が奉納され、足腰のお守りとして持ち帰る人も多いとのことです。

大師堂

※大師堂

大師堂です。大正期の大きな奉納額が掛かってますが、不治の病から奇跡的に回復した人の返礼の額だそうで、詞書には奉納者の氏名とその経緯が記されているそうです。

大師堂には「弘法大師御衣」という寺宝が伝えられていますが、これは高野山奥之院で行われる弘法大師のお衣替えの際に下げ渡されたもので、1882年に明治天皇法輪寺に下賜されたものだということです。残念ながら、一般公開はされていないそうです。

納経所

※納経所

本堂から見て右前にあるのが納経所です。あえて見所とさせていただきましたが、近年建てられた建物であり、内部は冷房が効いています。トイレも屋内にあり、非常にキレイです。休憩所も併設されていて、お寺のお遍路さんに対するホスピタリティが感じられます。

法輪寺のご詠歌

ご詠歌とは、 四国八十八ヶ所の各霊場の特色を五・七・五・七・七の三十一文字で分かりやすく詠んだもので、民衆に各霊場の特色を分かりやすく教える意味合いがあります。

だいじょうの ひほうもとがも ひるがえし
 てんぽうりんの えんとこそきけ

(大乗の ひほうもとがも ひるがえし
   転法輪の 縁とこそきけ)

漢字表記は一般社団法人   四国八十八ヶ所霊場会のホームページ*2によります。

「大乗」とは大乗仏教のことでしょう。「ひほうもとがも」とあるのは、誹謗や中傷のことだと思われます。つまり、大乗仏教側からの誹謗中傷も跳ね返して、転法輪の機縁こそ聞きます、ということでしょう。「大乗の」がどういう意味、どちら側の立場かということで少し分かりにくいように思います。

このご詠歌に関しては、珍しく五来重さんが誉めておられます*3

小乗の教えを撤去することが転法輪です。ありがたいお釈迦さんは立派な覚りを開いたといっているけれども、あとの連中は小乗だということです。「大乗のひばうもとがも翻へし」というのは、大乗のほうから見た小乗に対する誹謗を翻し、転法輪の縁であるというふうに理解すべきだというのが「転法輪の縁とこそきけ」という意味です。なかなか仏教の知識に明るい、よい御詠歌です。

「きけ」は命令形のように思われるかもしれませんが、「こそ」との係り結びになっているので、已然形です。つまり、「きけ」は「きく」なので、ただの「聞く」です。ただの「聞く」になるがゆえに、このご詠歌は少し解釈が難しいように思います。

法輪寺へのアクセス

法輪寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

www.hourinji-tokushima.com(2024.12.7閲覧)

公共交通機関

JR「鴨島駅」から徒歩約1時間5分。

お車

徳島自動車道「土成IC」から県道139号線を南西に約5分。

駐車場あり。約50台。無料

※法輪寺駐車場

法輪寺データ

ご本尊 :涅槃釈迦如来

宗派  :高野山真言宗

霊場  :四国八十八ヶ所 第9番札所

所在地 :〒771-1506 徳島県阿波市土成町土成字田中198-2

電話番号:088-695-2080

宿坊  :なし

納経時間:8:00~17:00

拝観料 :無料

URL   :https://www.hourinji-tokushima.com/

境内案内図

www.seichijunrei-shikokuhenro.jp(2024.12.7閲覧)

上記サイトの当該箇所に境内の案内図があります。

南坊の巡礼記「法輪寺」(2020.8.9)

第8番札所熊谷寺から東に少し戻り、県道139号線まで戻りました。ここで右折して、県道139号線を南西方向に進んでいくことになります。

県道139号線はのどかな田園地帯を走っています。しばらく走ると、法輪寺の案内板が見えてきました。ここを左折して細い道に入っていくようです。

左折した先の畑に間の道を進むと、小さな森のようなものがあります。どうやらそこがお寺のようで、境内の北側に駐車場がありました。すでに何台か停まっていました。

山門の前にはお店が2軒ありましたが、コロナ禍ということもあり、やっていなかったように思います。お遍路界隈はただでさえ高齢化が進んでいますから、この機会にお店をたたまれるところも多いかもしれません。

山門をくぐり境内に入りました。境内はさほど広くはなく、正面に本堂、その右側に大師堂があります。熊谷寺がかなり大きなお寺だったので、ここはスピーディに参拝できそうです。

無事に本堂大師堂の順に納経を終えました。

最後に納経所に向かいます。ここは最近建て替えたようで、とてもキレイな建物でした。トイレも今まで見たなかでは一番キレイだったと思います。まあ、使わなかったのですが。

外でずっと掃き掃除をされていた方がお坊さんで、納経帳記帳・押印してくださいました。掛け軸もドライヤーで乾かしてくださいます。とてもフレンドリーな方で、いろいろとお話させていただきました。2度目の巡礼の旅で少し慣れてきていたとはいえ、まだまだ初心者です。これはうれしかったですね。

車で回っているとお寺で同じタイミングになる方が多く、熊谷寺で見かけた親子づれをここでもお見かけしました。そうかと思えば、二度と会わないこともあるので、不思議なものです。

これで法輪寺参拝は終了です。次の切幡寺を目指しましょう。

*1:五来重『 四国遍路の寺 下』角川書店(1996)

*2:一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「各霊場の紹介『第九番』」2024.12.7閲覧

*3:五来重『 四国遍路の寺 下』角川書店(1996)