西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 第10番札所 切幡寺 ~三百三十三段の石段と豊臣秀頼建造の大塔を誇る山寺~

切幡寺境内

四国八十八ヶ所の第10番札所は、得度山とくどざん灌頂院かんじょういん切幡寺きりはたじです。9番札所法輪寺からこれまたのどかな田舎道を約5km進んだ先に石柱の立つ入口があります。入口からは細い坂を登っていき、山門から333段の石段を登っていかないといけません。

切幡寺の巡礼情報

切幡寺は、四国八十八ヶ所の第10番札所となっています。9番札所から人里をぬうように走る遍路道を、西に1時間ちょっと歩いたところにあります。県道139号線に面した石柱からは細い坂道を登っていかなければなりません。山門をくぐってしばらく歩くと、最後に待ち受けているのが333段の石段です。それゆえ、このお寺も山寺の趣きがあふれています。

切幡寺の縁起

切幡寺はオリジナルのホームページを持っておられませんので、他の媒体の持つホームページから情報を集めることになります。そのなかで、切幡寺の成立縁起を最も詳しく伝えてくれているのは、一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会のホームページです。

88shikokuhenro.jp(2024.12.14閲覧)

また、徳島県観光協会のホームページ「阿波ナビ」*1や四国遍路 聖地巡礼のホームページ*2を総合して簡単にまとめます。

 

平安時代の弘仁6(815)年、弘法大師が巡錫中、この地で修法をされていました。7日目に無事に結願を迎えましたが、ふと見ると僧衣がかなり傷んでしまっていました。そこで、近くの民家に繕うための布をお求めになると、機織りをしていた娘が、織りかけの布を惜しげもなく切って、弘法大師に献上しました。弘法大師はこの厚意に大変感謝し、「何か望みはないか」と尋ねられたところ、娘は、「父は薬子の変に連座して島流しとなり、身ごもっていた母は生まれてくる子が男子ならば罪に連座するかもしれないということで、女子が産まれるように祈願して、実際に私が生まれました。亡き父母に代わり、観音さまを作っお参りし、私も仏門に入りたいと思います」と答えました。そこで大師は一夜のうちに千手観音像を刻まれ、娘を得度させて灌頂を授けたそうです。すると娘はたちまちのうちに即身成仏し、七色の光を放つ千手観音菩薩の姿に変わりました。弘法大師は帰京後、この話を嵯峨天皇にお伝えしたところ、嵯峨天皇勅願により堂宇が建てられたそうです。

 

ここ数か寺のお寺の縁起より、お話のディテールがしっかりしているように思います。結構凝っていますね。

切幡寺縁起については、五来重さん*3がこの縁起を踏まえて、以下のように述べておられます。

実際には機の布を切るということは、幡をあげることだったと思います。『四国徧礼霊場記』は、その縁起を「此所は伝て云、大師初てこゝにいたり給ふ時、天より五色の幡一流降り、山の半腹にして其幡ふたつにちぎれて、上は西の方へ飛ゆき行衛しらず、下は此山に落ちけり。怪異の事なれば、是を伝んとて、大師寺を立、切幡寺と名け玉ふとなん」と書いて、さらに「是より海を望む、頗る絶景なり」と記しています。

その後、五来さんは切幡寺に古来よりあった水神の信仰について言及し、幣ぬさが献上されたと述べた後、お稲荷さんと幣の関係について『今昔物語集』の記述を例示しながら説明します。

幡をあげるというのは、もともと幣をあげることである。それが切幡寺の幡です。ですから、布を織る機ではなくて幡だとおもいます。

一般には機を織っていた女が大師のために機の布を切って差し上げたので、この寺名があるといっています。しかし、布は幣の古態で、水神の龍王に献ずるものであったとおもわれます。稲荷に幡をあげるのもこれですから、仏教以前の信仰が生きていたわけです。札所には仏教以前の信仰も残っています。死者供養をするような札所の信仰も、仏教以前の信仰が残っているものと考えて差しつかえありません。

つまり、このお寺には弘法大師さま以前から幡をあげる風習があったということなのでしょう。弘法大師を登場させることで、四国霊場としてのこのお寺の縁起を深めるねらいがあったのかもしれません。

切幡寺の見所

切幡寺の見所をご紹介します。

山門

※山門

切幡寺山門です。山門の右側は車が通れるようになっており、山門の裏側が駐車場になっています。また、トイレもあります。

縁起で龍王信仰を紹介しましたが、右上には八大龍王堂があります。

杖無し橋

※杖無し橋

欄干のない橋です。名前の由来は、約100年前の出来事だそうです。大阪市東区玉堀町(※現中央区)に住んでいたシズという女性が、大正9(1920)年流産して脚気にかかってしまい、歩くことも難しくなってしまいました。折しも父までが亡くなってしまい、どうしようかと悩んでいたところ、松永節三郎の妻ヒサノから四国巡拝に誘われ、金銭面も含めてすべての面倒を見るということから、ヒサノの二子とともに4人で四国巡拝を始めました。大正11(1922)年3月26日のことです。ところが余りに足が痛いので到底四国全土を回るのは無理と思い込み、自殺まで考えましたが、同行者に迷惑がかかってはいけないと思い直し、行けるところまで頑張ってみることにしました。そして4月4日、この切幡寺境内までやってくると急に心が清々しくなり、杖無しで歩けるようになったのです。これを聞いた時の住職大平智城師は、ご利益があった石橋ということから「杖無し橋」と命名された、ということです。

石段

※石段

全部で333段ある石段です。上の写真は途中、残るは234段の地点です。途中、女やくよけ坂もあります。

本堂

※本堂

本堂です。2尊の観音菩薩像が祀られています。弘法大師作の千手観音像は南向きに、女人即身成仏の千手観音は北向きに安置されていて、娘が化身した北向きの千手観音像は秘仏であるため、公開されていないそうです。

大師堂

※大師堂

弘法大師が祀られている大師堂です。

不動堂

※不動堂

不動明王を祀る不動堂です。

大塔

※大塔

徳川家康の勧めにより、豊臣秀吉の菩提を弔うために豊臣秀頼が慶長12(1607)年に大坂の住吉大社神宮寺に建造した大塔です。明治時代の神仏分離令により、神宮寺が廃寺となった際、切幡寺第45世住職の天祐上人が買い上げたそうです。上人在世中は初重部のみが仕上がり、続く智堪上人が二重部を作り上げ、完成に10年を要したとのことです。

五間四方で、二重部が方形の多宝塔は今日、日本では唯一であり、国の重要文化財に指定されています。

切幡寺のご詠歌

ご詠歌とは、 四国八十八ヶ所の各霊場の特色を五・七・五・七・七の三十一文字で分かりやすく詠んだもので、民衆に各霊場の特色を分かりやすく教える意味合いがあります。

よくしんを ただひとすじに きりはたじ

 のちのよまでの さわりとぞなる

(欲心を ただ一筋に 切幡寺
   後の世までの 障りとぞなる)

漢字表記は一般社団法人 四国八十八ヶ所霊場会のホームページ*4によります。

 

このご詠歌に関しては、五来重さん*5の簡単な解説があります。

これは欲心を切り捨てなさい、もし切り捨てなければのちの世までの障りになりますよという歌です。

8番の熊谷寺や9番の法輪寺よりもあっさりしたご詠歌のように思います。ただ、もしかすると「一筋」と「幡」がかかっているという可能性はあります。そうすると、ますます五来重さんが縁起について述べておられたことが妥当性を持つように思われます。

切幡寺へのアクセス

徳島県観光協会のホームページ「阿波ナビ」に詳しいアクセス情報が掲載されています。

www.awanavi.jp(2024.12.14閲覧)

公共交通機関

JR「阿波川島駅」から徒歩約1時間45分。

お車

徳島自動車道「土成IC」から県道139号線を南西に約12分。

駐車場あり。約20台。無料。

※中・大型は進入不可

切幡寺データ

ご本尊 :千手観世音菩薩

宗派  :高野山真言宗

霊場  :四国八十八ヶ所 第10番札所

     阿波西国33ヵ所 第28番

所在地 :〒771-1623 徳島県阿波市市場町切幡字観音129

電話番号:0883-36-3010

宿坊  :なし

納経時間:8:00~17:00

拝観料 :無料

URL   :なし

境内案内図

www.seichijunrei-shikokuhenro.jp(2024.12.14閲覧)

上記サイトの当該箇所に境内の案内図があります。

南坊の巡礼記「切幡寺」(2020.8.9)

法輪寺を14時45分ごろに出発し、北上して県道139号線まで戻ります。県道は少し細いところもありますが、まあスムーズに車で走れるレベルです。

約10分ほどで、切幡寺の案内板が見えてきました。十字路を右に曲がるようです。

曲がってすぐのところには、もう切幡寺石柱が立っています。本来はこの辺もお寺の敷地だったのでしょうか。

曲がった先の道は、非常に細くなっています。車1台がギリギリ通れるくらいですね。幸い、車同士のすれ違いにはならず、無事に登っていくことができました。

参道の左右には民宿や巡礼用品のお店などもあり、少しばかりの門前町になっていました。しかし門前町を抜けてもまだお寺には到着しません。石柱から山門までは、450メートルくらいあります。

門前町を抜けると少しだけ道が広くなり、やがて山門が見えてきました。

事前にガイドブックで駐車場の場所を確認していたので、ここまで車で突っ込んでくることができましたが、知らなかったらどこに停めようか途方に暮れていたと思います。

というわけで、山門の右脇を通り、山門裏の駐車場に到着しました。15時ごろだったと思います。

そこから伽藍の中心部を目指します。

これも事前に知ってはいましたが、いざ石段を目の前にするとかなりの山寺ですね。「是より三三三段」と書いてある石碑を目にして、少し気持ちが引き締まりました。

一歩一歩登っていきます。途中、お地蔵さんのたくさん並んでいるところで石段は右に折れます。そこからでもまだ234段あります。しかししんどいことはしんどいですが、まあ山寺ってこんなもんでしょう。西国三十三所でも第四番札所施福寺なんかは山道も歩いていましたからね。石段が整備されているだけ、歩きやすいと思います。

おそらく10分もかかっていないと思いますが、無事に本堂のあるレベルに到着しました。正面にある本堂はかなり立派ですが、大師堂はそれほど大きくはありません。

割と若い女性がお一人でお勤めをされていたので、私はジュースを飲んで一服することにしました。読経は一人で声を出してやりたいので、あまりかぶることが好きではないのです。

休憩後、本堂大師堂でゆっくりじっくり納経を済ませ、納経所に向かいました。

納経所はおばあさんでした。かなり小さくなっておられるので、ご高齢だと思います。記帳・押印も少し弱々しく感じました。

備えつけの小さなドライヤーで掛け軸を乾かします。掛け軸購入時に、直に熱風を布地に当てない方がいいとは言われていましたが、早く乾かすためにはそうも言っておれません。

無事に乾かし終わり、これでこのお寺の巡礼は終了です。石段を下っていきましょう。

まあ私は息が切れても割と軽快に登れたと思っているのですが、やはりすれ違う高齢の方はみなさんフウフウ言っておられました。手すりを持ってやっとのことで歩いておられます。しかしコロナ禍の巡礼ですので、私は基本的にほとんど鐘も鳴らさず、鰐口も鳴らさずに参拝しています。ましてや手すりなどはまったくつかむ気になりません。日ごろからある程度鍛えておかないと、こういう時に困りますよね。

私は下りで余裕でしたので、挨拶を交わせたのは良かったですが、登りの方にとってはご迷惑だったかもしれません。

さあ、これで10番札所まで参拝が終わりました。あと、78か寺です。道のりはまだまだ遠いですね。まだ16時にもなっていなかったので、もう1か寺回ることにしました。次は、11番札所の藤井寺ですね。さて、どんなお寺なのでしょうか。楽しみです。