
四国八十八ヶ所の第24番札所は、室戸山むろとざん明星院みょうじょういん最御崎寺ほつみさきじです。徳島県最後の札所、薬王寺から徒歩で約83.5km離れており、「修行の道場」とされる高知県の最初の札所です。歩いた場合、途中、コンビニや自動販売機もない国道55号線をひたすら進まなければならず、ある意味で難所となっています。
最御崎寺の巡礼情報
最御崎寺は、四国八十八ヶ所の第24番札所となっています。徳島県最後の札所から約80km離れた、高知県最初の札所です。室戸岬に位置しており、亜熱帯の林の山道を登ったところにあります。麓には弘法大師が修行したとされているみくろ洞もあり、確実に弘法大師の足跡を見ることができます。また、第26番札所金剛頂寺を西寺として、こちらのお寺は逆に東寺と呼ばれています。
最御崎寺の縁起
最御崎寺はオリジナルのホームページを持っておられませんので、他の媒体の持つホームページから情報を集めることになります。そのなかで、最御崎寺の成立縁起を最も詳しく伝えてくれているのは、一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会のホームページです。
88shikokuhenro.jp(2025.8.3閲覧)
また、高知県観光コンベンション協会のホームページ「こうち旅ネット」*1や四国遍路 聖地巡礼のホームページ*2を総合して簡単にまとめます。
延暦11(792)年、弘法大師は19歳のころ、みくろ洞と呼ばれる洞窟の中で、虚空蔵求聞持法の修行をしたとされています。この虚空蔵求聞持法とは、虚空蔵菩薩のご真言「オン・バサラ・アラタンノウ・ソワカ」を一日に一万遍、百日かけて百万遍唱えるという修行方法です。この修行をすると、記憶力が抜群によくなると言われていました。そこで、弘法大師はこの地で虚空蔵求聞持法の修行をされたのです。
弘法大師は24歳の時に、この時の様子を『三教指帰』*3に著しました。そこには、以下のように書かれています。
勤念土州室戸崎、谷不惜響、明星来影。
弘法大師がこの土佐国にある室戸岬で虚空蔵求聞持法の修行をおこなったところ、谷は弘法大師の声に反響し、明星が落ちてきた、というわけです。
その後、大同2(807)年、唐から帰国した弘法大師は、嵯峨天皇の勅願により再びこの地を訪れ、ご本尊となる虚空蔵菩薩像を彫像し、本堂を建てて安置しました。
室町時代になると初代将軍の足利尊氏が利生塔を建てて土佐の安国寺とし、戦国時代、江戸時代と寺運は隆盛しました。しかし、江戸時代初期に落雷による火災で堂宇は焼失しました。その後、元和年間(1615~1624年)に土佐藩主山内忠義の援助で最勝という僧が再興しました。
明治時代に入ると神仏分離令により再び荒廃しましたが、大正時代に入り再興した、ということです。
なお、真言密教の道場として従来は女人禁制の寺で、女性の遍路は室戸岬から遙拝したとされますが、明治時代初期に解禁されたそうです。
このお寺の位置づけに関しては、五来重さんの興味深い考察*4があります。
最御崎寺というお寺は、「火ほつ御崎寺」ですから、火を焚たくところです。この字は平安時代に忘れられてしまって、岬の最も先端にある寺という意味で最御崎という字が書かれるようになりました。しかし、これは間違いです。火つ御崎というふうに「つ」という字をわざわざ入れていますが、「つ」は「の」という意味ですから、火つ御崎」です。
(中略)
火を焚くということは、すなわち求聞持法の一部だということを弘法大師の書いた『三教指帰』が示しています。
(中略)
求聞持の場所には、真言を繰ること、行道をすること、聖火を焚くこと、と三つの条件が揃わなければなりません。この真言は中国で養老ようろう元年(717年)に翻訳されて、養老2年に日本に渡ってきます。ただ、こういうことは何も書いてありません。
海洋宗教、つまり海を神様にするところの宗教が行われた場所が、このあたりなのです。これが辺路というものです。海と陸との境を修行する辺路修行がのちに遍路になりました。いつも申しますように、弘法大師より先にすでに海洋宗教がありました。奈良時代には明らかにあったので、弘法大師は青年時代に海洋宗教の辺路修行というものに入っていきました。とくに新しい法として求聞持をしながら辺路修行をしています。
弘法大師が来たといわれるところには、行道の跡と聖火の跡があります。適当な場所や岩があると、これをぐるぐると回る修行をしました。歩くということは、結局は何かをめぐっているわけです。四国という島がありますと、ところどころにめぐる岩なり山があって、これをめぐりながら次のところに行き、またそれをめぐりながらそれを越えていきました。
ちょっと長くなりましたが、要するに、最御崎寺は「火つ御崎寺」であり、弘法大師が修行の三点セットと考えていたご真言、行道、聖火の三つの足跡がしっかりと残っている、ということです。
さらに五来さんは、行道という意味では、この最御崎寺(東寺)と第26番札所金剛頂寺(西寺)が密接な関係にあるということを説明しておられます。
いままでのお話でその実例を出しましたので、奥の院が行道の跡にあることはご承知だとおもいます。私はこれを「小行道」と名づけています。次にお話する金剛頂寺(西寺にしでら)にも行当岩という岩があって、『四国徧礼霊場記』には「行道岩」と書かれています。現在は不動さんをまつっているので不動岩と呼ばれています。これはちゃんと回るところもある小行道です。元禄十何年かの碑が立っているので、元禄年間(1688~1704年)のころには回っていたことは確実です。
行当岬も行道岬です。行当岬の不動岩の前に元禄3(1690)年にできた隔夜かくや五百日廻向えこう石塔があることからも、隔夜五百日廻向では明らかに行道が行われていたことがわかります。西寺ではそういう行道が行われました。東寺では窟いわやを修行の場所にして、洞窟どうくつをめぐったと考えられます。洞穴を胎蔵界、突き出たような岩とか岬とか山のようなところを金剛界とします。男と女というように分けて、両方をめぐることによって、金剛界・胎蔵界が一つになるのが金胎両部こんたいりょうぶの修行です。
足摺岬に行くと、もっとはっきりいたしますが、室戸岬にも金剛界と胎蔵界をめぐる行道があったに違いないとおもいます。その間が三里ほどありますので、全部で六里ぐらいは毎日歩かなければなりません。それを私は「中行道」と名づけています。
四国全体を回るのが「大行道」です。四国だけなら結論が弱いのですが、紀州の辺路にも大辺路が残っています。
つまり、最御崎寺(東寺)にもあったであろう行道が、金剛頂寺(西寺)には痕跡としてしっかりと残っている、これを「小行道」と名づけた場合、東寺と西寺を巡るのが「中行道」、四国全体を巡るのが「大行道」というわけです。和歌山の熊野古道の大辺路も、「大行道」の一種であろう、ということですね。
最御崎寺の見所
最御崎寺の見所をご紹介します。
みくろ洞(御厨人窟・神明窟)

※御厨人窟

※神明窟
弘法大師空海が修行したとされる、みくろ洞です。左が御厨人窟みくろど、右が神明窟しんめいくつです。最御崎寺の麓にあります。空海が修行していたころは、洞窟の目の前まで海になっていたそうです。修行を終えた時、ふと外を見ると空と海だけが広がっていたということから、空海という法名をつけたとも言われています。落石事故のため、一時期封鎖されていましたが、2018年に入洞が可能になりました。
仁王門

※仁王門
山門である仁王門です。二層式の楼門になっています。
鐘楼堂

※鐘楼堂
江戸時代前期の慶安元(1648)年に竣工した鐘楼堂です。土佐藩第2代藩主山内忠義の寄進とされています。四国八十八ヶ所霊場では珍しい、袴腰になっています。
鐘石

※鐘石
斑レイ岩で、小石でたたくと鐘のような音を発します。この響きは冥土まで届くと言われています。「空海の七不思議」の一つとされています。
多宝塔

※多宝塔
多宝塔です。
本堂

※本堂
本堂です。ご本尊は、弘法大師の作とされる虚空蔵菩薩像です。
大師堂

※大師堂
大師堂です。
霊宝館(宝物館)

※霊宝館(宝物館) 奥
最御崎寺の宝物館です。石造如意輪観音半跏像、木造薬師如来坐像、木造月光菩薩立像は国の重要文化財に指定されています。
最御崎寺のご詠歌
ご詠歌とは、 四国八十八ヶ所の各霊場の特色を五・七・五・七・七の三十一文字で分かりやすく詠んだもので、民衆に各霊場の特色を分かりやすく教える意味合いがあります。
みょうじょうの いでぬるかたの ひがしでら
くらきまよいは などかあらまし
(明星の 出でぬる方の 東寺
くらき迷いは などかあらまし)
漢字表記は一般社団法人 四国八十八ヶ所霊場会のホームページ*5によります。
明星とは、いわゆる明けの明星、つまり金星のことを指すと思われます。縁起にも登場した弘法大師所縁の星であり、最御崎寺の院号も明星院です。ここでは、明星が出る方角の東と、東寺(最御崎寺)をかけていると思います。明星、明るい星と対比させて、くらき(暗き、昏き)迷いはどうしてあるだろうか、と詠っています。
つまり、弘法大師に所縁ある明星が出てくる方角である東にある最御崎寺に参拝すれば、昏い迷いなど出てくることはない、ということでしょう。
最御崎寺へのアクセス
高知県観光コンベンション協会のホームページ「こうち旅ネット」に詳しいアクセス情報が掲載されています。
kochi-tabi.jp(2025.8.3閲覧)
公共交通機関
土佐くろしお鉄道(ごめん・なはり線)「なはり駅」から高知東部交通バス「室戸世界ジオパークセンター」行に乗車、「スカイライン上り口」バス停で下車、徒歩25分(「なはり駅」から約1時間20分)。
お車
高知東部自動車道「芸西西IC」から南東に車で約1時間10分走行、室戸スカイラインを約2分走行。
駐車場あり。37台。
最御崎寺データ
ご本尊 :虚空蔵菩薩
宗派 :真言宗豊山派
霊場 :四国八十八ヶ所 第24番札所
所在地 :〒781-7101 高知県室戸市室戸岬町4058-1
電話番号:0887-23-0024
宿坊 :あり(100人)
納経時間:8:00~17:00
拝観料 :無料
URL :なし
境内案内図
www.seichijunrei-shikokuhenro.jp(2025.8.3閲覧)
上記サイトの当該箇所に境内の案内図があります。
第23番 薬王寺 ◁ 第24番 最御崎寺 ▷ 第25番 津照寺
南坊の巡礼記「最御崎寺」(2020.8.12)
この日は6時に起床し、前日のうちに購入していたパンやサラダを食べました。身支度を整えて、出発します。7時半ごろにチェックアウトしたと思います。
泊まっていたのは阿南市のスーパーホテル阿南・市役所前でした。とりあえず阿南市役所の前を通って東に進み、国道55号線に出ます。おそらく、「阿南市西路見町」交差点に出てきたと思います。ここからは、ひたすら国道を南下していくだけです。
全然記憶がありませんが、とにかく室戸岬の先端まで南下したと思います。途中、コンビニなどに寄ったり、どこかでトイレに行ったりしたと思うのですが、ここの記憶がまったくないですね。
室戸岬の先端を回り、西側に回ると、程なく室戸スカイラインに出ました。ここから、九十九折の道を登っていくことになります。ただし、2車線になっているので、対抗などは大丈夫です。室戸岬はそこそこの山になっているので、室戸スカイラインはかなりの傾斜でした。

※室戸スカイライン(2021年7月30日撮影)
登り坂を登ったところで、少し開けたところがありました。そこが駐車場になっています。数台停められます。トイレもありました。トイレは古いです。見晴らしは、とてもよかったと思います。確か、かなり我慢していたトイレを済ませ、準備を整えました。
この駐車場から山門までがまたなかなかの坂になっています。とくに、最初がスゴイです。ただし、最初のスゴイ坂を越えると、かなりゆるやかになったと思います。電気の燈籠がいくつか並んでおり、なぜかダライ=ラマ14世やヨハネ=パウロ2世の写真が使われています。
参道の左右に生えている木々が、かなり南国の雰囲気になっていました。やはり高知の岬まで来ると、南国になるんですね。
まずは本堂で参拝を済ませます。境内は砂利が敷きつめられていて、とてもキレイにしておられました。
つづいて、大師堂を参拝しました。納経所はおじさんがおられました。正直言って、寝ておられたと思います。コロナ禍の真夏、室戸岬の先っぽですから、参拝する人も少ないのでしょう。
一応、私の他にもトイプードルを連れた熟年夫婦も参拝しておられました。夫婦が納経所に入っている間はトイプードルは外につながれていて、キャンキャン鳴いていました。
ちなみにこの熟年夫婦とトイプードルは、このあとも何度かお見かけすることになりました。
さて、これで最御崎寺での参拝は終了です。次の第25番札所津照寺は、山の麓にあります。また、室戸スカイラインを下りていきましょう。
南坊の巡礼記「薬王寺」(2020.8.11) ◁ 南坊の巡礼記「最御崎寺」(2020.8.12)
南坊の巡礼記「最御崎寺」(2020.8.12) ▷ 南坊の巡礼記「津照寺」(2020.8.12)
*1:公益財団法人 高知観光コンベンション協会ホームページ「こうち旅ネット『第24番札所 最御崎寺(東寺)』」2025.8.3閲覧
*2:四国遍路 聖地巡礼「徳島編 | 歩き遍路のための「四国遍路」巡礼マップ『24番札所最御崎寺』」2025.8.3閲覧
*3:国立公文書館ホームページ「国立公文書館デジタルアーカイブ『三教指帰』」2025.8.3閲覧
*4:五来重『四国遍路の寺 下』角川書店(1996)
*5:一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「各霊場の紹介『第二十四番』」2025.8.3閲覧