2024年8月1日、大阪中之島美術館で開催されている「醍醐寺 国宝展」に行ってきました!
5月に「空海展」に行ってきましたが、今年は休みも増えたのでいいペースで展覧会に行けています。健康で文化的な生活ができていると思います。
今回は、西国三十三所第十一番札所醍醐寺がテーマです。西国三十三所の「巡礼ヤー」としては、行かないわけにはいきません! はたして、どのような展覧会だったのでしょうか。
「醍醐寺 国宝展」が開催されているのは大阪中之島美術館です。2022年2月2日に開館した新しい美術館で、近代美術・現代美術のコレクションが評価されています。ただ、私は現代美術にはあまり関心がありませんので、お目当ては「醍醐寺 国宝展」オンリーです。醍醐寺の開創1150年を記念した特別展ですし、「国宝展」と名前がついていますので、否が応でも期待が高まります。
今回はリンクス梅田で買い物もしようと思っていたので、車はリンクスの駐車場に停めました。平日は1日最大1,800円です。まあ梅田ですから、それくらいはするでしょう。リンクスで買ったのは、以下の2点です。
なぜこれを購入したのか、なぜこれを載せているのか、ということですが、実は8月7日から8月10日にかけて、和歌山市内から高野山まで登ることにしているのです。そのための、ズボンとシャツが欲しかったのでした。
EDWINのジャージーズとNORTHFACEの長袖Tシャツの機能は2021年の四国歩き遍路でも実証済みで、今回はその新商品を購入して旅に備えようとしていたわけですね。
その後、リンクス梅田のタヴェルナすぱじろうでパスタを食べ、いったん徒歩で大阪中之島美術館を目指しました。
しかし、リンクス梅田から大阪中之島美術館までは、Googleマップによると徒歩で25分かかります。この日の大阪の最高気温は37.3度を記録していました。普通の服装で30分近く炎天下を歩くのは自殺行為です。そこで、バス停を確認することにしました。
12時を少し過ぎたころ、大阪駅前のバスターミナルでバス停を探します。53系統「船津橋」行がありました。大阪中之島美術館最寄りは「中之島四丁目」ですね。12時22分のバスがあります。10分少々待つだけですので、余裕ですね。四国では、3時間近くバスを待ったこともありましたし。
さて、バスに乗ること約10分、12時30分過ぎに「中之島四丁目」に到着です。しかし、バスの案内放送では1つ前の「田蓑橋」で降りることが推奨されていました。確かに、大阪中之島美術館のホームページ*1でもそのように書かれています。
帰りは「中之島四丁目」の方でよかったように思いますが、行きは「田蓑橋」で降りるべきでした。「田蓑橋」から「中之島四丁目」まで緩やかな傾斜になっていて、「中之島四丁目」から大阪中之島美術館を目指すと、登りになっているのです。
さて、初の大阪中之島美術館訪問となります。さすがに美しい博物館で、トップの写真に載っているネコの像などもテレビなどで見覚えがあります。
中もキレイですね。まずはトイレに行きましたが、その後、自動販売機でチケットを購入し、4階へ向かいます。しかしこのエスカレーターですが、かなり長いことと、スタイリッシュすぎて吹き抜けが広いことから、ちょっと高所恐怖症が発動してしまいました。みなさん、エレベーターをお使いください。私は下りでエレベーターを使いました。
特別展「醍醐寺 国宝展」
それでは、特別展の魅力について簡潔に記していきたいと思います。
特別展「醍醐寺 国宝展」について
大阪中之島美術館で、2024年6月15日(土)から8月25日(日)まで開催されているのが、特別展「醍醐寺 国宝展」です。醍醐寺には75,537点の国宝が所蔵されています*2が、実はそのうち69,393点が「醍醐寺文書聖教」としてまとめられていますので、実際に目にすることができる国宝はそれほど多くないと思われます。はたして、今回はどこまで拝見することができるでしょうか。
特別展「醍醐寺 国宝展」は、3つの章と5つのコーナー展示によって構成されています。
第一章 山の寺 醍醐寺
第一章の見所を、大阪中之島美術館のホームページ*3の引用にてお伝えいたします。
醍醐寺は醍醐山の頂上にある上醍醐と、山麓の下醍醐に広大な寺領を有している。今日、多くの参詣者は下醍醐までで、上醍醐まで登る人は少ない。しかし、本来醍醐寺の始まりは上醍醐にある。平安時代前期の貞観16年(874)、理源大師聖宝が笠取山の山頂に草庵を結び、准胝(じゅんてい)観音と如意輪観音をまつったのが醍醐寺の始まりである。やがて醍醐寺は醍醐天皇の御願寺となり、天皇の庇護のもと上醍醐に薬師堂や五大堂が建立された。薬師堂には今日に伝わる薬師三尊像をはじめ、今回展示の吉祥天立像や帝釈天騎象像などがまつられた。また、五大堂の五大明王像は四躯が江戸時代に再興されたものであるが、大威徳明王像は創建期の像であり、創建期に遡る初期密教像として貴重である。延長4年(926)、下醍醐に釈迦堂が建立され、天暦5年(951)には下醍醐に五重塔が建立された。こうして醍醐寺は上醍醐と下醍醐の二伽藍からなる大伽藍となったが、上醍醐は開祖聖宝ゆかりの聖地として特別な信仰を集め続けている。室町時代の文明2年(1470)、下醍醐は兵火によって五重塔を残して灰煽に帰したが、上醍醐には兵火が及ばなかった。今日、私たちが醍醐寺の初期に遡る優れた文化財を見ることができるのも、上醍醐と下醍醐という特殊な伽藍構成であったことが大きい。
醍醐寺が上醍醐と下醍醐に分かれていることは、「西国三十三所 第十一番札所 上醍醐・准胝堂 ~西国一の難所 広壮華麗な醍醐寺の原点~」でも説明したとおりです。
上醍醐までは約1時間の登山になっており、参拝される方は稀になっています。しかし、清瀧宮拝殿や薬師堂は国宝になっており、見所はたっぷりです。
上醍醐の伽藍配置図も展示されていましたが、准胝堂跡の記載がなかったのが残念です。西国三十三所第十一番札所の本堂は、2008年に焼失した准胝堂ですので、「巡礼ヤー」としてはきちんと書いておいて欲しかったと思います。
この章では、国宝が2種、重要文化財が9種展示されています。展示品の一覧は、大阪中之島美術館のホームページ*4からダウンロードできます。ここでは、国宝のみご紹介します。
・処分状 理源大師筆 1巻 国宝 醍醐寺所蔵 紙本墨書 平安時代延喜7(907)年
・薬師如来光背小七仏薬師象 4軀 国宝 醍醐寺所蔵 木造・漆箔 平安時代(10世紀)
なお、7月21日までの前期展示では、「処分状 理源大師筆」に代わって「醍醐寺縁起 乗淳筆」が展示されていました。
・醍醐寺縁起 乗淳筆 1巻 国宝 醍醐寺所蔵 紙本(彩箋)墨書 江戸時代(17世紀)
正直言って、「醍醐寺縁起」の方を見たかったですね。
ここで迫力のあった展示品は、上醍醐五大堂に安置されている五大明王像の一尊である、大威徳明王像でした。これは理源大師が上醍醐を創建された当時の唯一のオリジナルらしく、さすがに圧倒的な存在感でした。
・大威徳明王像 1軀 重要文化財 醍醐寺所蔵 木造・彩色 平安時代(10世紀)
第二章 密教修法のセンター
第二章の見所を、大阪中之島美術館のホームページ*5の引用にてお伝えいたします。
古来、人々は国の安泰や五穀豊穣、あるいは健康や家内安全など、さまざまな願いを仏に祈ってきた。とりわけ密教の修法(加持・祈祷の作法)は種々の願いに対応する多様性を有しているが、同じ修法でも寺院や流派によって作法が異なり、独自の秘法は門外不出とされることが多かった。雨乞いなら〇〇寺の誰、安産なら✕✕寺の誰というように、特定の験力(げんりき)を有する僧侶がいる寺院には修法の依頼が集中し、皇族や貴族の信仰を集めるようになった。平安時代から鎌倉時代にかけて醍醐寺は高名な学僧や験力の強い僧侶を輩出し、あたかも密教修法の研究センターとでも称すべき観があった。彼らは自流のみならず他流の情報も集め、詳細な記録に残した。また、修法の本尊を描くための設計図である「図像」も熱心に収集した。醍醐寺には近年国宝に指定された文書聖教7万点が伝わっているが、これらは醍醐寺の僧侶たちの数世紀にわたる研究の集積である。密教の聖教をこれほど豊かに伝える寺院はほかにない。この章では、平安時代から鎌倉時代の作品を中心に、仏像や仏画、密教法具を展示する。皇族や貴族の信仰を集めた醍醐寺の美術品は、一流の仏師や絵師の手になるものが多い。人に恐怖心さえ起こさせるほとけの姿にも、どこか優美さがただよっているのはそのためだろう。
密教で重視される仏さまの画像や彫像が多く見られるのがこの章です。私の守り本尊である虚空蔵菩薩さまの掛け軸もありました。鑑賞後、ショップでこのポストカードを購入し、飾れるようにしました。
・虚空蔵菩薩像 1幅 重要文化財 醍醐寺所蔵 絹本着色 鎌倉時代(13世紀)
この章では、国宝が2種、重要文化財が11種展示されています。展示品の一覧は、大阪中之島美術館のホームページ*6からダウンロードできます。ここでは、国宝のみご紹介します。
・五重塔初重壁画両界曼荼羅図 旧連子窓羽目板断片 1面 国宝 醍醐寺所蔵 木製・彩色 平安時代天暦5(951)年
・閻魔天像 1幅 国宝 醍醐寺所蔵 絹本着色 平安時代(12世紀)
※閻魔天像(出典:Wikipedia)
詳しいことは私も分かりませんが、顔のついた杖を持っているのがシュールですよね。
なお、7月21日までの前期展示では、「閻魔天像」に代わって「文殊渡海図」が展示されていました。
・文殊渡海図 1幅 国宝 醍醐寺所蔵 絹本着色 鎌倉時代(13世紀)
ここでは、あの快慶が作った不動明王像が見所だったと思います。さすがの迫力で、坐像なのに今にも動き出しそうな躍動感が感じられました。
・快慶作 不動明王坐像 1軀 醍醐寺所蔵 木造・彩色 鎌倉時代建仁3(1203)年
コーナー展示 秘宝継承
このコーナーでは、醍醐寺の密教の「事相」がいかに継承されたか、その継承者の肖像が展示されています。なお「事相」とは、修法や祈祷といった密教の儀礼・実践面を指します*7。国宝が1種展示されていました。展示品の一覧は、大阪中之島美術館のホームページ*8からダウンロードできます。ここでは、国宝のみご紹介します。
・理性院祖師像 1巻 国宝 醍醐寺所蔵 紙本墨画 南北朝時代(14世紀)
なお、7月21日までの前期展示では、「理性院祖師像」に代わって「三国祖師像」が展示されていました。
コーナー展示 密教法具―神秘の造形
密教の法具が主役となった展示です。金剛杵や輪宝などの結界具、華瓶や飯食器などの供養具、金剛鈴といった梵音具などが展示されています。国宝はなく、6種の重要文化財が展示されていました。
第三章 桃山文化の担い手
第三章の見所を、大阪中之島美術館のホームページ*9の引用にてお伝えいたします。
室町時代の文明2年(1470)、下醍醐は兵火によって五重塔を残して灰燼に帰した。復興に尽力したのが天正4年(1576)に醍醐寺座主となった義演である。義演は関白二条晴良を父に持ち、天正13年(1585)に本来皇族に与えられる称号の准三后となった人物である。復興は豊臣秀吉によるところが大きいが、義演は秀吉とも渡り合える出自と度量をあわせ持っていた。秀吉は慶長3年(1598)に贅を極めた「醍醐の花見」を行ったように、醍醐寺に対して特別な想いを持っていた。秀吉の死後も北政所をはじめとした豊臣氏による復興は続き、金堂、仁王門、上醍醐の諸堂が再興された。今日醍醐寺には三宝院の長谷川派の襖絵をはじめ、俵屋宗達の舞楽図屏風や扇面散図屏風など近世の名画が数多く伝わっている。醍醐寺は桃山の美の殿堂という密教寺院とは別の顔を持っており、それが醍醐寺の大きな魅力となっている。徳川の世になっても醍醐寺に対する庇護は続き、堂宇や仏像の復興が行われた。当時、修験道は当山派(真言宗系)と本山派(天台宗系)などのニ派に分かれ、互いに勢力を競っていた。慶長16年(1611)徳川家康は醍醐寺三宝院に属する修験を当山派と称することを許可し、真言宗の修験道の本寺と認めた。これにより、醍醐寺は全国各地の霊山で行われていた真言系の修験道を統括する寺院となった。
この章では、国宝が1種(前期のみで著者未見)、重要文化財が6種展示されています。展示品の一覧は、大阪中之島美術館のホームページ*10からダウンロードできます。
ここですごかったのは俵屋宗達筆の「舞楽図屏風」ですね。
山田芳裕さんの漫画『へうげもの』にも登場する俵屋宗達(※作中では「若旦那」と呼ばれる)が、主人公古田織部のひょうげ精神をよく引き継いでいるように思いました。本来は由緒ある「羅陵王」などの舞楽が描かれていますが、なぜか舞っている人物の表情におかしみが感じられます。これは7月24日以降の後半展示でしか見られないので、もうけものでした。
また、「醍醐花実短冊」では豊臣秀吉や秀頼の直筆を目にすることができました。図録には載っていませんが、前田利家の筆もあったように思います。
・俵屋宗達筆 舞楽図屏風 2曲1双 醍醐寺所蔵 紙本金地着色 江戸時代(17世紀)
・醍醐花見短冊 1帖 醍醐寺所蔵 紙本(彩箋)墨書 安土・桃山時代慶長3(1598)年
コーナー展示 修験の寺
このコーナーでは、修験道で使用される道具が展示されています。所蔵品はいずれも江戸時代のもので、文化的価値は充分にありますが、国宝も重要文化財もありません。
「峯中秘図 上巻」は吉野から蔵王堂、山上権現までの回峰の道筋が書かれており、とても興味深いものでした。
コーナー展示 引き継がれる聖宝の教え―顕密兼学の精神
このコーナーでは、安土・桃山時代から江戸時代初期に活躍した義演准后により、三論宗の法会である竪義会が再興されたことが語られ、それにまつわる文書などが展示されています。国宝2種、重要文化財1種が展示されています(それぞれ、前期・後期で総入れ替え)。ここでは、国宝のみご紹介します。
・竪義法則幷番論議 義演写 1冊 醍醐寺所蔵 袋綴装・紙本墨書 安土・桃山時代天正18(1590)年
・義演准后立願文 1通 醍醐寺所蔵 堅紙・紙本墨書 安土・桃山時代慶長3(1598)年
コーナー展示 醍醐寺の近代・現代美術
このコーナーでは、おもに近代以降に醍醐寺に奉納された襖絵などが飾られています。今後数百年経つと、またいい味わいがでてくるのでしょう。
「醍醐寺 国宝展」と名前がついている割には、それほど大きな目玉となる展示品はなかったように思います。公式ビジュアルに使われている如意輪観音坐像も重要文化財止まりですし。
ただ、これは私の目に「空海展」の残像が焼きついてしまっているからだと思われます。とにかく、「空海展」がすご過ぎたんですよね。あれは異次元の展示でした。
平日ということもあり、かなり空いていて、とてもゆっくりと見ることができました。仏像の前では手を合わせておられるおじいさんもいらっしゃり、そうは言ってもやはり見応えのある展覧会だったことは間違いないと思います。
みなさんもぜひ、大阪中之島美術館に足をお運びください!
特別展「醍醐寺 国宝展」データ
会期 :2024年6月15日(土)~8月25日(日)
開館時間:10:00~17:00(最終入館は16:30まで)
観覧料 :大人 1,800円 高校・大学生 1,100円 小学生・中学生500円
会場 : 大阪中之島美術館
〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島4-3-1
電話番号:06-6479-0550
最後に
今回、初めて大阪中之島美術館を訪れましたが、さすがにキレイな美術館でした。「醍醐寺 国宝展」もとても素晴らしい展覧会でしたが、国宝はわずか14点(※しかも後半会期で見ることができるのは7点のみ)しかなかったので、ちょっと羊頭狗肉だったように思います。
しかし、展示の内容自体は本当に素晴らしいものでした。ちょっと「国宝展」という名前で期待値を上げすぎたように思います。「醍醐寺 寺宝展」とか、「醍醐寺 至宝展」ぐらいにしておけばよかったように思います。
国宝にこだわってしまいましたが、国宝に指定されていなくても、展示されていた仏像の数々は迫力満点でした。
会期は8月25日(日)までですので、ぜひみなさんも足をお運びください!
*1:大阪中之島美術館ホームページ「アクセス」2024.8.4閲覧
*2:醍醐寺ホームページ「寺宝/文化財」2024.8.4閲覧
*3:大阪中之島美術館ホームページ「展覧会『醍醐寺 国宝展』」2024.8.4閲覧
*4:大阪中之島美術館ホームページ「展覧会『醍醐寺 国宝展』」2024.8.4閲覧
*5:大阪中之島美術館ホームページ「展覧会『醍醐寺 国宝展』」2024.8.4閲覧
*6:大阪中之島美術館ホームページ「展覧会『醍醐寺 国宝展』」2024.8.4閲覧
*7:『醍醐寺 国宝展」図録』
*8:大阪中之島美術館ホームページ「展覧会『醍醐寺 国宝展』」2024.8.4閲覧
*9:大阪中之島美術館ホームページ「展覧会『醍醐寺 国宝展』」2024.8.4閲覧
*10:大阪中之島美術館ホームページ「展覧会『醍醐寺 国宝展』」2024.8.4閲覧