西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

兵庫県立兵庫津ミュージアム企画展「温泉と西国三十三所巡礼ーひょうごを巡る旅ー」に行ってきました!

兵庫津ミュージアム入口

2024年6月9日、兵庫県立兵庫津ミュージアムで開催されている企画展「温泉と西国三十三所巡礼ーひょうごを巡る旅ー」に行ってきました!

西国三十三所の兵庫県内の札所限定であったり、温泉がからんでいたりと純粋な西国三十三所に関する展覧会ではありませんが、なかなかユニークな企画展でした。

今年度から電車通勤になったので、週末に少し車で遠出をするのが楽しみになってきました。今回は、神戸まで行きます。

ただし、兵庫津ミュージアム自体には駐車場がありませんので、付近のコインパーキングに停めましょう。

企画展「温泉と西国三十三所巡礼ーひょうごを巡る旅ー」

それでは、企画展の魅力について簡潔に記していきたいと思います。

企画展「温泉と西国三十三所巡礼ーひょうごを巡る旅ー」について

兵庫県立兵庫津ミュージアムで、2024年4月27日(土)から6月23日(日)まで開催されているのが、企画展「温泉と西国三十三所巡礼ーひょうごを巡る旅ー」です。兵庫県立の博物館であることから、展示内容のメインは兵庫県内の名所となります。それが温泉であり、西国三十三所の札所ということになっているわけですが、「旅」という観点からそれらの魅力を掘り下げた企画展になります。

以下、兵庫県立兵庫津ミュージアムのホームページ*1から、見どころを引用します。

古来より住んでいる場所を離れて、旅に出ることは人々の憧れであり、心の保養でもありました。江戸時代、特に人気が高かった旅先は「温泉」と「西国三十三所巡礼」などの寺社巡礼でした。本展覧会では、兵庫県内の温泉(有馬温泉・城崎温泉)と日本遺産「西国三十三所観音巡礼」を中心に取り上げ、古典籍・絵図などから人々をひきつけるその魅力と人々の旅の軌跡にせまります。

本企画展は、プロローグ「旅にいざなう ―旅支度―」、第一章「温泉への旅 ―湯治―」、第二章「聖地への旅 ―西国三十三所巡礼・金毘羅詣り―」、第三章「近代化した旅 ―新しい旅の形―」に分かれています。

プロローグ「旅にいざなう ―旅支度―」

プロローグでは、江戸時代の旅がどういうものであったかについて展示されています。出典されているのは2点で、いずれも江戸時代八隅蘆菴『旅行用心集』(1810年刊 龍谷大学図書館所蔵)、暁鐘成編輯『西国三十三所名所図会 巻2』(1853年刊 龍谷大学図書館所蔵)でした。

パネル展示によると、江戸時代の旅人の旅日記から分析した歩行距離の平均は2,361.3kmだそうです。分析の手法がどうだったかまでは分からないので、船などを除く純粋な歩行距離なのかは分かりませんが、相当な距離であることは間違いないですね。四国八十八ヶ所の札所を歩いて回ると約1,200kmとされていますから、2周分くらいの距離ということになります。なお、パネルの典拠となったのは谷釜尋徳『歩く江戸時代の旅人たち―スポーツ史から見たお伊勢参り―』(晃洋書房、2020年)だそうですが、私は未見です。

第一章「温泉への旅 ―湯治―」

第一章は、兵庫県内の有名な温泉地である、有馬温泉と城崎温泉が取り上げられています。城崎温泉は大人になってから行ったことはありませんが、有馬温泉は何回か行っています。

江戸時代の有馬温泉には一の湯、二の湯というものがあったらしく、それぞれ宿坊や宿屋が決まっていたそうです。

十年以上前になりますが、何かのカタログギフトで有馬温泉の角坊に行ったことがあります。歴史が古いということは聞いていましたが、何と江戸時代から続いていたわけですね。展示されていた『有馬小鑑抄』(1683年刊 兵庫県立歴史博物館所蔵)に、一の湯の宿として、「御所坊・奥坊・伊勢屋・中坊・尼崎坊・祢宜屋・大門・角坊・上大坊・若狭屋」と並んでおり、角坊の名前が記載されています。

ちなみに現在は有馬温泉 角の坊という名前の旅館となっており、「鎌倉時代以前からの古い歴史があります」とのことです*2

まあ、「巡礼ヤー」の私としてはこの章はそれほど重要なものではありませんでしたが、とりあえず温泉に行きたい気分になりました。

第二章「聖地への旅 ―西国三十三所巡礼・金毘羅詣り―」

第二章は、いよいよ西国三十三所がメインの内容となります。

ここでは、私が長谷寺で拝見した「長谷寺縁起」の中巻(江戸時代作成 長谷寺所蔵)(※展示目録には「長谷寺縁起」とありますが、おそらく「長谷寺縁起絵巻」のことであろうと思われます)が展示されていました。

※「長谷寺縁起絵巻」(長谷寺特別公開時に撮影)

長谷寺で絵巻を拝見したときの様子は、「西国三十三所 第八番札所 長谷寺 ~観音巡礼始まりの地 札所屈指の霊山・花のお寺~」でご覧ください。

確か上の写真の場面が展示されていたと思います。ちょうど稽文會稽主勲らの作業の様を描いている場面です。仏さまが作業をしておられますが、これは長谷寺ご本尊である十一面観世音菩薩さまと地蔵菩薩さまだと思われます。長谷寺ご本尊は十一面観音ですが、地蔵菩薩としての役割もお持ちで、手には地蔵菩薩の錫杖をお持ちです。

この章の展示で興味深く思ったものの一つが、『西国順礼細見大全』(1810年刊 兵庫県立歴史博物館所蔵)です。おそらくほぼ同じ内容だと思われるものが、三重県総合博物館に所蔵されています*3

これによると、当時の笈摺おいずるには真ん中に「奉順禮西國三十三所」と書き、その上に梵字で阿弥陀如来、聖観音菩薩、勢至菩薩の種子(※サンスクリット文字。一字で特定の仏さまを表す)を書いています。なお、種子を書くということは、『中山寺由来記』*4に以下のとおりに記載されていますが、これと符合します。

白衣は白布を以て笈摺となし上に彌陀觀音勢至の種子を置き下に大士の名號を照し……

ただ、問題は他のところにあります。笈摺の右下部分に「同行何人」と書いてあり、同行者が何人なのか記載するようになっているのです。これは、菅笠の部分も同様で、どうやら当時は行き倒れ等のリスクを避けるために、何人連れで旅をしているのかを明らかにする必要があったようなのです。

四国八十八ヶ所の遍路では、「同行二人」と言えばお大師さまと道連れである、という意味合いで使用されています。その影響か、近年のガイドブックを見るかぎりでは、西国三十三所でも「同行二人」という言葉が使用されており、観音さまと道連れであるという説明がされているように思います。実際、私にとっても西国巡礼のバイブルである紀三井寺元貫主前田孝道師の『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』にも、このように記載されています。

観音さまは、いつでもどこでも、心をこめて「南無観世音菩薩!」と念ずる私たちのために、大慈大悲のみ手を垂れ給い、必ずお救いくださるのです。観音さまは行住坐臥、常に観音さまのみ名を称える私たちと共にあらせられるのです。私たちは一人でいる時も、ひとりぽっちではないのです。それが同行二人ということです。

私は常々、巡礼のスタイルが西国三十三所と四国八十八ヶ所で影響を与え合っているのではないかと考えてきました。例えば、現在では四国八十八ヶ所も白衣を着て巡るようになっていますが、お遍路を特集したテレビ番組や書籍などで紹介されている昔の写真を見るかぎり、お遍路さんは白衣など着ていません。徳島県の藍の染め物を着ている人が多かったり、また白とは逆に黒い服を着ていたりします。

もし西国の習慣であった白衣が四国にも導入されたと考えるならば、四国の習慣が西国に取り入れられることも十分にあり得ます。

つまり、「同行二人」が西国三十三所の巡礼で使用されるようになったのは、四国八十八ヶ所の遍路の影響なのではないでしょうか。

次に興味を持ったのが、「中山寺参詣曼荼羅」です。これは第二十四番札所中山寺に所蔵されているものですが、以前、「補陀落渡海の伝説 死と再生の熊野山・補陀洛山寺に行ってきました!」でご紹介した「那智参詣曼荼羅」に構図がよく似ていると思いました。「那智参詣曼荼羅」では、左下から右上へ「生」を表す道が、左上から右下へ「死」を表す道が描かれていました。この「中山寺参詣曼荼羅」も、X字のような構図で描かれています。

もう一つ興味深く思ったものを挙げておきます。「金毘羅参詣名所図会」(1847年刊 関西大学図書館所蔵)です。これには、金毘羅山近郊の名所が挙げられています。

金毘羅より諸方道法

  北東の方

善通寺 凡一里半  弥谷  凡二里余

多度津 凡三里   白瀉  凡三里

丸亀  凡三里   烏足津 凡四里

白峰  凡六里   佛生山 凡六里半

高松  凡八里   志度  凡十一里

八嶋  凡九里   八栗  凡十里

  西南の方

観音寺  凡五里  仁尾浦 凡五里

小松尾寺 凡七里  雲辺寺 凡十里

植田乃松 凡五里 

これは四国八十八ヶ所のお遍路さんにとっては、かなりテンションが上がる記述ですよね。

北東方面では、第75番札所善通寺を皮切りに、第71番札所弥谷寺(※資料中では「弥谷」)、第81番白峰寺(※資料中では「白峰」)、第86番志度寺(※資料中では「志度」)、第84番屋島寺(※資料中では「八嶋」)、第85番八栗寺(※資料中では「八栗」)が挙げられています。

南西方面では、第69番観音寺をはじめ、第67番大興寺(※資料中では「小松尾寺」)、第66番雲辺寺が挙げられています。

1847年の段階で、お遍路や四国八十八ヶ所の名前を挙げなくても、上記のお寺が名所として認識されていたことが分かります。いやあ、貴重な史料ですよね。逆に言えば、ここに挙がってこない札所は、それほどの知名度がなかったことの傍証になるように思います。

第三章「近代化した旅 ―新しい旅の形―」

最後の展示は、明治時代以降の旅、巡礼に関するものです。

ここで一番面白いのが、現在の毎日新聞の前身である大阪毎日新聞で、明治35(1902)年10月に20日間の連載記事として掲載された、「三十三所順礼競争」です。

それまでの西国三十三所順礼はほとんど歩いて巡っていたわけですが、交通機関の発達を背景に、いったい何日で三十三所の順礼を終わらせることができるか、しかもそれを東西の別ルートでどちらが早くゴールできるか、競争しようという企画でした。

10月6日に福良竹亭が右回りで第五番札所葛井寺から、今井黄村が左回りで第二十五番札所播州清水寺から巡りはじめます。結果は、福良が17日にゴール、今井が19日にゴールしたそうです。この道中を毎日電報で送り、記事にしていたというのですから驚きます。また、当時の新聞記者はペンネームを使っていたのでしょうかね。その辺も興味深いところでした。

 

小さな博物館の企画展でもあり、図録の販売もなく、展示されているものもパネルなどが多かったですが、上述のとおり、なかなか興味深いものが多かったように思います。こういう形でもなければ、目にする機会がないものも多かったので、大変勉強になりました。

企画展は6月24日(日)までですので、ご注意ください!

企画展「温泉と西国三十三所巡礼ーひょうごを巡る旅ー」データ

会期  :2024年4月27日(土)~6月23日(日)

開館時間:9:30~18:00(最終入館は17:30まで)

観覧料 :大人 300円 大学生 200円 高校生以下無料

場所  :兵庫県立兵庫津ミュージアム

     〒652-0844 神戸市兵庫区中之島2丁目2-1
電話番号:078-651-1868

最後に

今回訪れた兵庫県立兵庫津ミュージアムですが、令和4年11月24日にオープンしたばかりで、大変キレイな施設です。常設展も軽く見てみましたが、とても工夫を凝らしており、子どもでも兵庫の港の歴史に興味を持てるように作られています。今回は時間がなかったので駆け足で見ただけでしたが、時間があればまたじっくり見てみたいところです。

また、隣には初代県庁館があり、初代の兵庫県庁の館が復元されています。木の感じもまだ真新しく、とても気持ちがいい施設でした。

※初代県庁館

また、ここで驚いたのが初代兵庫県知事を務めていたのが伊藤博文だということでした。彼は初代内閣総理大臣、初代韓国統監など初代〇〇をやっていることが多いですが、兵庫県知事まで初代だったとは……。「ミスター初代」と言っても良さそうです。

今回もいい経験ができましたので、また、あちこちに出かけたいと思います。とりあえず昨日、6月15日(土)から始まり、大阪中之島美術館で開催されている「開創1150年記念 醍醐寺 国宝展」がターゲットでしょうか。

ちなみに企画展「温泉と西国三十三所巡礼ーひょうごを巡る旅ー」は6月23日(日)までですので、皆さんお急ぎください! 空いているし、ゆっくり見ることができますよ。