西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

お遍路映画鑑賞② 映画「旅の重さ」を観ました!

「旅の重さ」冒頭シーン ※スマホで撮影

12月に入って最初のお休みで、Amazon Primeで「お遍路」で検索してヒットした「旅の重さ」を見てみました! いろいろな意味で考えさせられる映画でした。

松竹「旅の重さ」鑑賞レポート

お話は、「生きるとはどういうことか?」を考えさせられる内容でした。タイトルにも「重さ」という言葉が入っていますが、映画の内容も重いですね。

映画について

映画情報

製作国:日本

製作 :松竹

配給 :松竹

製作年:1972年

公開日:1972年10月月27日

データ:カラー/90分

スタッフ

監督 :斎藤耕一

脚本 :石森史郎

原作 :素九鬼子

音楽 :よしだたくろう

 

その他スタッフ

製作/上村務 撮影/坂本典隆 美術/芳野尹孝 録音/栗田周十郎 照明/津吹正 編集/浜村義康 助監督/吉田剛 スチール/長谷川宗平

キャスト

少女   :高橋洋子

ママ   :岸田今日子

竜次   :砂塚秀夫

政子   :横山リエ

光子   :中川加奈

加代   :秋吉久美子

木村大三 :高橋悦史

松田国太郎:三國連太郎

 

その他キャスト

山本紀彦 富山真沙子 田中筆子 新村礼子 森塚敏 谷よしの 三谷昇 園田健二 高畑喜三 辻伊万里 新屋英子 日高久 高木信夫 大塚国夫

あらすじ

「ママ、びっくりしないで。泣かないで、落着いてね。わたしは旅に出たの。ただの家出じゃないの。お遍路さんのように歩きながら四国を旅しようと思って出てきたの。」男にだらしのない絵描きのママ(岸田今日子)との生活から飛び出し、新居浜からひとり旅をする16歳の少女(高橋洋子)。
太陽と風と土の匂いのなかのひとりの私…。旅の途中で巡り合う見知らぬ人たちのぬくもり、旅役者の一座の座長(三國連太郎)や行商の男(高橋悦史)への憧れ、ぶつかりあう生々しい男と女の愛憎や死を通して、少女は自分自身の生き方を少しずつ模索していく。

※松竹ホームエンターテインメントホームページ*1より引用

映画を見て

映画を見て、思ったところを書いていきます。

純粋な感想(ネタバレもあるかも)

1970年代の、いかにも昭和の映画という感じですね。なかなかセクシャルな表現も容認されていた時代です。設定上、主人公の少女は16歳なので、今ならコンプライアンス的にいろいろまずいことになりそうです(※少女役の高橋洋子さんは映画公開時19歳)。ただ、芸術作品として考えた場合には、こういった表現もアリだと思います。何というか、「生」の生々しさ、「性」の生々しさが感じられる映画です。

途中、主人公の少女が「旅の重さ」について語るセリフがありますが、人生の重さ、重みというものを表現しているように思いました。生きるとはどういうことか、その重みを描いているように思います。

主人公の少女を演じた高橋洋子さん(※エヴァンゲリオンの主題歌を歌っていた歌手の方とは同姓同名の別人です)がとても瑞々しく、青春ロードムービーという表現がとてもぴったりだと思いました。今のタレントさんに例えるなら、浜口順子さんといったところでしょうか。愛くるしい笑顔が魅力的だと思いました。

スタッフロールでの紹介時に「新人」という言葉がついているとおり、演技初挑戦、初主演でしたが、難しい役を見事に演じておられます。母親の呪縛から逃れるために旅に出た少女の、時には純粋無垢な、時には翳のある表情をきちんと演じ分けておられました。天性の女優と言えるかもしれません。

少女は父親を知らないため、旅先で出会ったおじさんに対して憧れに似た感情を抱きます。それが旅の一座の座長であったり、漁村の行商の男であったり……。しかし、座長は少女が先輩の女性にいびられている時も助けてくれませんでした。少女は失望を覚え、仲の良かった他の先輩の女性に別れを告げ、一座の元を去りました。一方で、行商の男は無骨で言葉少なながらも、自分を受け入れてくれました。少女の気持ちは憧れから愛情へと変化し、やがて一人の女性として成長していきます。

非常に難しい役だったと思いますが、違和感なく素晴らしい演技でした。

座長役は三國連太郎さんでした。そこそこ重要な役どころとはいえ、この程度の役で使っていい俳優さんなんでしょうか……。2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」上総広常を演じられた佐藤浩市さんは三國さんのご子息ですが、とても似てますね。この時期の三國さんと、今の佐藤さんは本当に似ていると思います。

行商の男、木村大三役の高橋悦史さんは、私は1991年のNHK大河ドラマ「太平記」での桃井直常役が一番印象に残っているでしょうか。足利直義(※高嶋政伸さんが演じられた)に対して度々諫言していた姿が思い起こされます。本当に、この木村大三のような無骨な男を演じるのに適しておられると思いました。

ママ役は岸田今日子さんで、もはや言葉にするまでもない安定の演技です。娘のことを心配しながらも、一人でいろいろなものを抱えながら生きていくしかない母親の気持ちを、セリフもなく表情だけで表現しておられました。

この映画は、主演の少女役をオーディションで選んでおり、高橋洋子さんに惜しくも敗れたのが秋吉久美子さんです。秋吉さんが演じられた加代は、最後の方に少しだけ登場します。演技も、初々しさの方が先に立っているように思います。

最終盤、加代の身には不幸なことが起こります。詳述はしませんが、この作品全体のテーマとして「大人社会への反抗」があると思われ、そのことによって加代は押しつぶされたように感じました。少女も「自分にもそれが分かる」と語るのですが、やはり母親から抑圧されていたからでしょう。

1972年というと、70年安保闘争の記憶が真新しい時期だと思います。若者は大人に対して「理由なき反抗」を試みていました。若者の感性が、あまりにも潔癖だったのだと思います。そうした時代背景を反映していることから、この映画にも「大人社会への反抗」というテーマがあったのではないでしょうか。

吉田拓郎さんが音楽を担当されているのも、それを表しているように思います。「♪私は今日まで生きてみました」という歌詞で始まる「今日までそして明日から」という歌はこの映画のために作られたのですね。吉田拓郎さんの代表曲で、しばしば耳にしたことがあります。

しかし、大人にもいろいろな種類の大人がいます。反抗の対象となっているだけではないのです。少女が最後に出会った漁村の行商の男は、無骨ながらも純粋な感性の持ち主でした。少女が安心して自分を託そうと思ったのも、その純粋さが故だと思われます。少女も男も不器用でしたが、お互いの純粋さに魅かれ合っていったのでしょう。

巡礼者目線の感想(ネタバレあり)

「お遍路」で検索してヒットした映画ですが、お遍路的要素は最初の15分くらいで終わってしまいます。残りはお遍路映画というよりも、旅映画といった方がいいでしょうか。

旅館に泊まるシーンがありますが、女将さんが素泊まり300円、入浴30円と言っていました。うーん、物価の感覚が安すぎてよく分からないですね。今の10分の1くらいでしょうか。

少女は旅をしていましたが、元々、札所巡りは考えていなかったのかもしれません。

雨中、海沿いのあばら屋に泊めてもらうシーンがあります。住人は、女性、その赤ちゃん、女性の母親?らしきおばあさんでした。そこで旅をしている理由を聞かれ、「霊場巡り」と答えたことから、お遍路さんに扮することにしたのかもしれません。お遍路さんならば、若い女性の一人旅でもそれほど詮索されることはありませんからね。

ただ、私の生まれる前とは言え、1972年の日本、まだまだ貧しかったのですねえ。このあばら屋、なかなかのものでした。電気も来ていなかったのではないでしょうか。

札所は1ヶ所だけ登場します。女性のお遍路さんと連れになり、お遍路のことを教えてもらうシーンがありました。ただ、女性お遍路さんが「同行二人どうこうふたり」と読んでいたことが気になります。「同行二人どうぎょうににん」と読むように思うのですが……。

この女性お遍路さんがこのセリフの後に参拝するのが、41番札所龍光寺でした。この映画に登場する札所は、ここだけです。ただ、現在の龍光寺の姿とは少し違うように思いました。もしかすると境内にある稲荷神社本殿の方を、札所の本堂として撮影していたのかもしれません。

いや、そもそも龍光寺の現在の本堂が、いつ建てられたのかということも問題です。1972年当時とは伽藍配置が違っているという可能性もあります。今度龍光寺に行くことがあれば、その辺のところを伺ってみたいものですね。

また、この女性お遍路さんも、参拝時にはご詠歌を唱えておられました。「むすめ巡礼 流れの花」(1956)もそうでしたが、昔はお遍路さんはお経よりもご詠歌を唱えておられたのかもしれません。

なお、主人公は新居浜出身で、そこから41番札所の龍光寺を経由して足摺岬方面まで南下していました。お遍路的には、逆打ちということになりますね。その後、足摺岬での旅芸人一座との出会いと別れを経て、どこまで進んだのか分かりません。

最後に行き着いた漁村の行商の男の家は、斜面に石を積んで造られた段々の小さな土地に建てられていました。とても美しい村ですが、ちょっと正確にはどこか分かりませんでした。あの風景が残されているとすると、見てみたい気がします。

しかしこの漁村もやはり貧しく、日本全体がまだまだ貧しかったことを感じさせてくれます。それでも、雨の中泊めてくれる人がいたり、桃のお接待をくれる人がいたり、病気で倒れているところを救ってくれる人がいたり、やはり四国の懐の深さを感じさせてくれたように思います。

ちょうど50年前の四国の様子を知ることができた点でも、興味深い映画だったと言えるでしょう。

最後に

映画が娯楽の王様だったころの、いかにも昭和という映画でした。正直、お遍路さんとしての要素はかなり薄かった(というかほとんどなかった)と思いますが、映画自体は詩情にあふれ、耽美的な映像もあいまって、十二分に面白い作品だったと思います。

 

「旅の重さ」

オススメ度:☆☆☆☆★