2021年4月2日、奈良県宇陀うだ市にある本郷の瀧桜、通称又兵衛桜またべえざくらに行ってまいりました!
すでに散り始めており、三分散りから五分散り(こんな日本語はない)くらいの状況ですので、今年見たい人は、この土・日に必見です!
※日本気象協会/ALiNKインターネット提供のtenki.jpの開花情報によれば、2021年4月10日15時現在で「葉桜」(50%以上の花が散っている状態)だそうです。
又兵衛またべえとは、徳川家康が豊臣秀頼を滅ぼそうとした大坂の陣で真田幸村らとともに大坂城五人衆の一人となった武将、後藤基次もとつぐ、一般に後藤又兵衛として知られている人物のことです。
又兵衛桜とは
それでは、又兵衛桜について説明していきましょう!
後藤又兵衛とは?
※後藤基次像(出典:Wikipedia)
略伝
後藤基次、通称又兵衛は、戦国時代から江戸時代初期の武将です。生年は1560年ですから、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った年です。100年以上続いた戦国時代が、ようやく終わりへと向かおうとしていた、そんな時代でした。
又兵衛は黒田二十四騎や黒田八虎に数えられる猛将で、関ヶ原の戦いで活躍した主君黒田長政が筑前52万石を与えられると、16,000石の大名クラスの家臣となったとされています。
ちなみに黒田二十四騎・黒田八虎の同輩には母里友信もりとものぶ(通称太兵衛たへえ)がいます。この母里太兵衛もまた類まれな剛の者で、福島正則との吞み比べに勝利して天下三名槍の一つである日本号を拝領した逸話で知られています。
そのような母里太兵衛に比肩する又兵衛ですが、いろいろあって黒田家を出奔し、浪人となってしまいます(思い切り端折りました)。その浪人中に、大坂城を事実上指揮していた大野治長おおのはるながに招聘され、1614年に大坂城に入城したのでした。
ここでもまた頭角を現し、大坂城五人衆に数えられます。五人衆とは、土佐の大名で関ヶ原の戦いで西軍について改易となっていた長宗我部盛親ちょうそかべもりちか、二度にわたる上田城合戦で徳川軍を苦しめたもののやはり西軍だった真田幸村(信繁)、同じく西軍として参戦し改易となった宇喜田秀家うきたひでいえの家老を務めておりキリシタンだった明石全登あかしたけのり、豊臣家との所縁が深かったが九州の大名としてこれまた西軍に所属し敗れて改易となっていた毛利勝永もうりかつなが、そして後藤又兵衛の五人です。
しかしこうして洗い出してみると後藤又兵衛の浪人は個人的な理由であるのに対し、他の四人は堂々と西軍として戦った後、敗北して(戦術的には敗北していない武将もいますが)大名クラスから改易された浪人ですね。それでも五人衆の一人に並べられたわけですから、大したものですね。
又兵衛は大坂夏の陣において、10倍以上の徳川軍の重囲のなかで倒れ、討ち死にしたとされています。
『花の慶次—雲の彼方に—』での又兵衛
私にとっては、前田慶次まえだけいじという傾奇者の活躍を描いた原哲夫先生の『花の慶次—雲の彼方に—』(原作は隆慶一郎さん)に登場した後藤又兵衛が印象深いですね。
「紫の瞳の涙!」というお話です。絵が使えないのが残念です。また、手元に資料がないため細部に記憶違いがある場合もあります。
花街で遊女たちと飲んでいた慶次のところに、甲冑を着た明らかに場違いな後藤又兵衛が現れます。
「手前黒田家に仕える後藤又兵衛と申す!」
興をそがれた慶次が何の用か尋ねると、馬を確保しようとしていたところ、慶次の愛馬である松風まつかぜが邪魔に入り、兵を殺して困っているから松風を殺させて欲しい、ということでした。
と、そこに当の松風が現れ、慶次に同行を求めます。何となく又兵衛もついて行ったところ、鉄砲で撃たれて瀕死の状態の馬が一頭倒れていました。これ以上苦しまないようにするために、慶次に介錯をして欲しいというのです。
馬の頸動脈を断ち安らかに旅立てるようにした慶次に、又兵衛が尋ねます。
「その馬は?」
すると慶次が、答えます。
「松風の子だろう」
この言葉に、又兵衛は衝撃を受けます。そして、次にとった行動が潔いものでした。
「すまぬ、許せ」
又兵衛は、松風に頭を下げます。
「おれは初めて見た。紫の瞳から涙が流れるのを……」
松風の両目から、二筋の涙が流れていたのでした。
又兵衛は知らず知らずのうちに松風の群れに手を出してしまっており、鉄砲で馬を撃ってまで屈服させようとしていたのでした。その結果、松風の子ども(仔馬ではない)が瀕死の状態となっており、その苦しみを救ってやりたいと、松風が慶次に介錯を求めていたのでした。又兵衛は、馬と言えども子を思う愛がある、ということに感銘を受けたのでしょう。
このエピソードは『花の慶次』中でも屈指の名エピソードで、慶次や又兵衛ら戦国武将の熱い生き様に当時の少年たち(南坊を含む)は胸をアツくしたものでした。
『真田丸』での又兵衛
NHKの大河ドラマ「真田丸」では、哀川翔さんが演じられました。当初は茶々(演:故竹内結子さん)の信頼が篤い真田幸村(演:堺雅人さん)に対抗心をむき出しにする場面もありましたが、最終的には頼れるアニキとして幸村を助けました。カブトムシ作戦は印象深かったです(ウソ)。
又兵衛桜
大坂の陣で戦死した又兵衛ですが、実は生き延びていたという伝説があります。こうした「生き延びていた伝説」は、源義経や明智光秀(実際にNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では生存“におわせ”エンディングでした)などにもありますが、非業の死を憐れんだ民衆がそういう伝説を作ったのか、あるいは生存を恐れるあまりに勝者の側が油断を戒めようと作ったのか、いずれか判断はつきませんが、面白いですね。
戦場を逃れた又兵衛がたどり着いたのがこの宇陀市本郷地区で、又兵衛はこの地で僧侶となって一生を終えたとされています。この後藤家の屋敷跡にある枝垂れ桜が、いつしか又兵衛桜と呼ばれるようになりました。一説には樹齢300年以上ともされ、NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」のオープニングにこの桜の映像が使われたことから、広く知られるようになりました。
又兵衛桜の裏には桃園があり、『三国志演義』に登場する劉備・関羽・張飛の桃園の義はこのようなところで行われたのか、と想像をたくましくさせます。
※又兵衛桜(下から撮影)
※又兵衛桜(横から撮影)
※又兵衛桜裏の桃園
アクセス
奈良県観光公式サイト「なら旅ネット」にアクセスマップがあります。
公共交通機関
近鉄「榛原駅」から奈良交通バス「大宇陀」行に乗車、「大宇陀高校」下車徒歩15分。(「榛原駅」からバス・徒歩あわせて約30分)
お車
名阪国道「針IC」から国道369号線を桜井・吉野方面へ南下。約30分
民間駐車場多数あり。500円
最後に
いかがでしたでしょうか。戦国ロマンあふれる老木の枝垂れ桜、ぜひぜひ目に焼き付けてください!
最終更新:2021.5.27