西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第十六番札所 清水寺 ~崖の上の清水の舞台 征夷大将軍所縁の音羽山~

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清水寺本堂

西国三十三所の第十六番札所は、音羽山おとわさん清水寺きよみずでらです。京都の東山に位置する名刹で、一大観光地にもなっているお寺です。「清水の舞台から飛び降りる」ということわざでも知られているとおり、懸造り(舞台造り)の本堂は断崖に建てられており、京都市内を一望することができます。1994年には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。

清水寺の巡礼情報

『梁塵秘抄』にて観音霊験があらたかなお寺の筆頭に挙げられているのが、清水寺です。京の都に住む人々にとって、日帰りの距離で遠足程度の気分で気軽に行けたのが清水寺なのでしょう。現在でも、京都方面の修学旅行では必ず行くお寺の一つになっています。また、日本漢字能力検定主催の「今年の漢字」(※2020年は「密」)は、例年清水寺の舞台でご貫主が揮毫なさることでも知られています。

清水寺の縁起

清水寺の成立縁起は、清水寺のホームページに詳しく記載されています。

www.kiyomizudera.or.jp(2021.5.19閲覧)

それによりますと、清水寺奈良時代末期の778年、奈良で修行をした賢心けんじんという僧侶が創建したとされます。この賢心は後に延鎮と名乗ったということです。

また、西国三十三所札所会のホームページ*1によると、延鎮上人大和の国子島寺で修行をしていたとされます。

これらをふまえて、平安時代中期に大学頭を務めた藤原明衡が作成したとされる『清水寺縁起』*2の記述をもとに縁起を見ていきましょう。

 

~昔、一人の聖人がおりました。名は延鎮といいました。報恩大師の弟子でした。長年修行に明け暮れ、衆生を救う願いを重ねておりました。粗末な衣を着て集落に出かけ、木の棒を杖にして山林に入りました。

宝亀9(778)年4月8日、山野に分け入っていたとき、とうとう勝地に至りました。山城の国愛宕郡八坂郷の東山の麓です。青々とした山々に囲まれていて、自然と中国の名山の雲が移ってきたようです。瀑泉の流れは飛んでおり、銀河の波しぶきが届いているようです。谷の辺に草庵があり、中には白衣の人がおりました。延鎮聖人が、「居士はここに住まわれて何年になりますか。お名前は何ですか。お歳はおいくつですか」と問いました。居士は、「名は行叡です。もともと隠遁を好む性格で、心に大悲観音を念じ、口に千手真言を唱えております。この地に住んで、長らく人間界の喧噪を避けております。露や霜が往来し、年齢は200歳に及びます」と答えました。しかし言葉がまだ終わらぬうちに、居士は忽然と姿を消してしまいました。延鎮は稀有な出来事に驚き、この地が霊勝の地であることを悟り、草庵で暮らし瀧の下で修行をするようになりました。

こののち、坂上田村麻呂が遊猟をしていたとき、冷たい水を飲みたいと思い、この泉にたどり着きました。そこで延鎮聖人出会い、深く帰依するようになりました。そこで良い土地を占って、伽藍を建立するという約束をしました。約束が果たされたのは、延暦17(798)年7月2日のことでした。延鎮聖人坂上田村麻呂が心と力を合わせて、初めに金色の十一面四十手(千手)観世音菩薩像をお作りし、仮の宝殿を造立して安置されました。お寺の名前は清水寺と号し、またの名を北観音寺といいます。延暦24(805)年、清水寺の寺地をもらい受け、永に寄進されました。こうして清水寺桓武天皇御願のお寺となりました。大同2(807)年、田村麻呂の妻三善命婦が、自身の邸宅を壊して仏堂を建立しました。~

 

この縁起の構造は、醍醐寺石山寺三井寺などで見られたのとまったく同じ構造です。もともと霊山で山岳信仰の修行者がいたところに、お坊さんがやって来てお寺を開く、という構図ですね。こういった構造は、民俗学者の五来重さん*3が指摘しておられます。また、五来さんによりますと、報恩大師というのは、奈良の子島寺を開いた人物とされます。弟子の延鎮が開いた清水寺北観音寺子島寺南観音寺と呼ばれたそうですが、いつの間にか主客転倒して子島寺が今では南清水寺と称しているそうです。

坂上田村麻呂は征夷大将軍に任命されて東北の蝦夷の長、阿弖流為アテルイを降伏させた人物です。清水寺を建立した延暦17(798)年というのは、彼が征夷大将軍に任命された翌年でした。おそらく出征の準備で忙しかったことと思いますが、その間隙をぬって伽藍の建立に尽力したのでしょう。あるいは、出征の加護を願っていたのかもしれません。

『今昔物語』巻十一*4には、田村麻呂延鎮の出会いについて、より面白いエピソードが描かれています。

(※坂上田村麻呂が)奉公ノ隙京ヲ出テ東ノ山ニ行テ。妻ノ産セル折ニ一ノ鹿ヲ求得テ其ヲ屠ル間。田村麻呂奇異ノ水ノ流出タルヲ見ル。将監(※田村麻呂のこと)自ラ其水ヲ飲ムニ。身冷クシテ楽ブ心有リ。是ニ依テ此ノ水ノ源ヲ尋ムト思テ。水ニ付テ行クニ瀧ノ下ニ至ス。将監暫ク徘徊スル間ニ。?(※字の判読不能。文脈的には「にわか」?)ニ経ヲ誦スル音ヲ聞ク。是ヲ聞クニ懺悔ノ心出来テ。亦経ノ音ト尋テ行クニ。遂ニ賢心ニ会ヌ。

つまり、坂上田村麻呂が妻のお産に際し、精をつけてあげようと鹿を狩りしにこの東山に来たわけです。そこで清水が湧き出ているのを見てそれを飲んだところ、果たして霊水であり、その水源を尋ねると瀧にたどり着きます。そこでお経の声が聞こえてきたので急に鹿を殺した懺悔の心が出てきてしまい、お経の聞こえるところへ行ってみたら延鎮聖人と出会えた、ということです。

坂上田村麻呂は蝦夷の長であった阿弖流為母礼モレを殺さずに助命嘆願をしていますし、この鹿のお話でも分かるように心優しい大将軍だったのかもしれませんね。

清水寺の見所

清水寺の見所をご紹介します。

馬駐

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※馬駐

馬でやって来た貴族や武士が、ここに馬を繋いで諸堂を参詣しました。現在の建物は応仁の乱後に再建されたそうです。正面約10.5メートル、側面約5メートルと規模が大きく、5頭の馬を繋ぐことができるそうです。2010年に解体全面修復されたとのことです。国指定の重要文化財になっています。

仁王門

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※仁王門

清水寺の正門にあたる、仁王門です。応仁の乱の初期に焼失しましたが、16世紀初めに再建されました。2003年に解体修理が行われ、鮮やかな朱塗りも復活しました。幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルあります。国指定の重要文化財になっています。

西門

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※西門

現在の建物は江戸時代初めの寛永8(1631)年、徳川家光の寄進によって再建されました。左右の脇間には鎌倉様式の写実性と豊かな量感をもった持国天と増長天の立像が祀られています。この門を通じて西山の日没を見ることで、日想観の修行ができるとされます。国指定の重要文化財になっています。1993年に彩色が復元されました。

鐘楼

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※鐘楼

オリジナルは平安時代に建造されたそうですが、江戸時代初めの1607年に現在の場所に再建・移築されたそうです。牡丹彫刻の懸魚や、菊花彫刻の蟇股、柱の先にある獏と象の鼻など、装飾の粋が凝らされています。国指定の重要文化財になっています。

三重塔

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※三重塔

清水寺の観音さまのご霊験により嵯峨天皇に皇子がご誕生されたことから、平安時代中期の承和14(847)年、葛井親王が勅命を奉じて三重塔を創建されたそうです。なお、現在の建物は江戸時代初めの1632年の再建で、高さが約31メートルある、国内最大級の三重塔です。一層の内陣中央に大日如来像が祀られており、四方の壁には真言八祖像、天井や柱には密教仏画や飛天・龍などが描かれているそうです。国指定の重要文化財になっています。

随求堂ずいぐどう

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※随求堂

衆生の願い、求めに随って、望みをかなえてくれる大随求菩薩をご本尊としてお祀りしています。なお、ご本尊秘仏で、現在の建物は江戸時代中期の1718年に再建されたものです。ここでは暗闇の中を歩くことで生まれ変わるとされる、胎内めぐりを体験できます。

※胎内めぐりは新型コロナウィルス感染症の拡大防止の観点から2020年3月23日より中断しております。再開は未定です

経堂

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※経堂

経堂平安時代中期には一切経を所蔵していて、全国から学問僧が集まる講堂として機能していました。しかし、それらの一切経は伝来しておらず、現在の建物は江戸時代初めの寛永10(1633)年の再建です。2000年に解体修理を行ったそうです。この建物も国指定の重要文化財になっています。

田村堂

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※田村堂

清水寺開山堂に当たる建物で、堂内中央には坂上田村麻呂夫妻の像が厨子(※重要文化財内にお祀りされています。また、縁起に登場した行叡居士延鎮上人もあわせて祀られています。現在の建物は寛永10(1633)年の再建で、2006年に修復されています。これも国指定の重要文化財になっています。

朝倉堂

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※朝倉堂

越前の守護大名であった朝倉貞景の寄進により、もともとは法華三昧堂として室町時代後期の永正7(1510)年に創建されました。江戸時代初めの寛永10(1633)年に現在の全面白木造に再建されたそうです。堂内の宝形作り唐様厨子(※重要文化財の内部には、本堂と同じようなお姿をした清水型千手観音らの三尊像がお祀りされているとのことです。2013年に解体全面修理が行われました。国指定の重要文化財となっています。洛陽三十三所観音霊場の第十三番札所にもなっています。

本堂

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※右側面から見た本堂

音羽山の断崖に建てられた本堂です。トップの写真は舞台を正面として右前方から撮影しています。すぐ上の写真は本堂の右側からの撮影です。現在の建物は寛永10(1633)年の再建で、国宝に指定されています。懸造りにより造られている舞台の高さは約13メートルもあり、4階建てビルの高さに相当します。床下に建てられた18本の柱は、いずれも樹齢400年以上の欅けやきを使用し、長さ12メートル、周囲約2メートルを超える大きな柱が並んでいます。釘を1本も使用しない「継ぎ手」と呼ばれる工法で、今でも揺らぐことなくそびえ立っています。

釈迦堂

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※釈迦堂

江戸時代初期の寛永8(1631)年の再建です。中央には釈迦三尊像がお祀りされています。1972年に豪雨で倒壊したそうですが、75年に復旧されたとのことです。国指定の重要文化財になっています。

阿弥陀堂

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※阿弥陀堂

浄土宗の開祖である法然上人が日本で最初に常行念仏道場とした場所とされ、法然上人二十五霊場第十三番札所となっています。ご本尊は阿弥陀如来です。江戸時代初めの寛永8(1631)年の再建で、国指定の重要文化財になっています。

奥之院

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※奥之院

音羽の瀧の真上に位置し、いわば瀧をお祀りする奥之院です。本堂と同じ懸造りで、寛永10(1633)年に再建され、2017年に修復が完了したそうです。国指定の重要文化財になっています。

子安塔

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※子安塔

伝承では聖武天皇光明皇后の祈願所であったとされますが、創建年代は不明です。現在の建物は、室町時代後期の1500年に建立されたものとのことです。内部には子安観音さまがお祀りされており、安産祈願の信仰を集めたそうです。国指定の重要文化財になっています。

音羽の瀧

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※音羽の瀧

清水寺開創の起源となり、寺号の由来となった瀧です。「金色水」や「延命水」とも呼ばれ、清めの水としても尊ばれてきたそうです。

※コロナ禍で柄杓が撤去されており水を汲むことはできません(2021年4月15日現在)

アテルイ・モレの碑

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※アテルイ・モレの碑

東北地方の蝦夷の首長であった阿弖流為アテルイ母礼モレは、征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂の征伐を受け、ついには降伏しました。これは平安時代初めの延暦21(802)年のこととされ、同年二人は捕虜として処刑されました。この石碑は、平安遷都1200年を記念して1994年に建立されたそうです。

清水寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

まつかぜや おとわのたきの きよみずを

 むすぶこころは すずしかるらん

(松風や 音羽の滝の 清水を

   むすぶ心は 涼しかるらん)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*5によります。

この御詠歌も、幾度となく口ずさんでいると、何となく観音さまの有り難さがにじんでくるような心地がします。松風の音と音羽の滝の音が掛け言葉になっています。また滝の水は清らかと清水寺とが掛けられています。

「むすぶ心は 涼しかるらん」の、むすぶはこの場合、水を飲むために両方の掌を合わせて水を掬すくうて飲むことで、観音さまの有り難いお水をいただけば、心も体も涼しくなるの意です。

素人の私には、少し「松風」が唐突に出てくるような気がします。「むすぶ」は「掬むすぶ」で、師のおっしゃるとおりですが、「松風」は最後の「涼し」にかかっていて「風が涼しい」という響きになっているように思います。「待つ風」ということで、「涼しい風を待っている」ということかもしれません。また、「涼し」は「清らかに澄んでいる」という意味もあるそうですから、全体として何となく清冽なイメージが伝わってきます。

清水寺へのアクセス

清水寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

www.kiyomizudera.or.jp(2021.5.19閲覧)

公共交通機関

JR「京都駅」から京都市営バス86系統「清水寺 祇園・平安神宮」行、100系統「清水寺・銀閣寺」行、106系統「清水寺・祇園」行、206系統「三十三間堂 清水寺 祇園・北大路バスターミナル」行に乗車、「五条坂」または「清水道」下車徒歩約10分(「京都駅」から約25分)。

※京都のバスは種類が多く、同じ系統でも反対方向に行く場合もあるので注意すること

お車

第二京阪道路「鴨川西IC」から北東に約20分。

駐車場なし。

五条坂参道上方に京都市清水坂観光駐車場あり。約60台。1040円。

他にも民営駐車場が複数あるも単位時間当たりの駐車料金はいずれも高め。

清水寺データ

ご本尊 :十一面千手千眼観世音菩薩

宗派  :北法相宗大本山

霊場  :西国三十三所 第十六番札所

     法然上人二十五霊場 第13番(阿弥陀堂)

     洛陽六阿弥陀霊場 第3番(阿弥陀堂)

     洛陽三十三所観音霊場巡礼 第10番(善光寺堂)

                  第11番(奥之院)

                  第12番(本堂)

                  第13番(朝倉堂)

                  第14番(泰産寺)

     神仏霊場巡拝の道 第117番

所在地 :〒605-0862 京都市東山区清水一丁目294

電話番号:075-551-1234

拝観時間:6:00~18:00(7、8月は18:30)

拝観料 :400円       

URL   :https://www.kiyomizudera.or.jp/

清水寺の境内案内図 

www.kiyomizudera.or.jp(2021.5.19閲覧)

上記サイトに案内図があります。

 

第十五番 今熊野観音寺 ▷ 第十六番 清水寺 ▷ 第十七番 六波羅蜜寺

南坊の巡礼記「清水寺」(2021.4.15)

10時15分ごろに今熊野観音寺を出発し、車で東大路通りまで戻り、そこから北上します。ところが、このままでは五条坂に入っていけないようで、いったん西に折れて五条通りに出て、東進する形で五条坂に入っていきます。おそらく五条坂に入っていくところは南からの右折が禁止されているんですね。まあ、私はナビに従うだけです。

五条坂はすでに清水寺参道という雰囲気があり、左右におしゃれなお店もあります。しばらく登っていくと、左側に京都市清水坂観光駐車場が現れます。写真を撮っていたように思うのですが、なぜかGoogleフォトには見当たりませんでした。

さて、この駐車場はかなり広くて、トイレも2箇所あります。北側と東側に1箇所ずつです。朝、今熊野観音寺境内にあるトイレに行ってからある程度時間が経っており、とりあえずトイレに駆け込みました。

参道はすでに坂になっているので、駐車場からは階段を登って参道に出ます。駐車場は空いているな、と思ったのですが、参道には結構人がいらっしゃいます。さすが京都の一大観光地です。

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※清水坂

写真はたまたま人にいないときを狙って撮りました。平日ということもあり、閉まっているお店も多いですね。コロナ禍は相当な痛手となっていることでしょう。参道途中のお店に入っていたお母さまが、私をご覧になり「かっこいい!」と声をかけてくださいました。巡礼姿が似合っているからでしょう。私もそう思います。

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※仁王門前

意外と参拝者が多いということがお分かりいただけるかと思います。人がいなくなるのを5分ほど待って、写真を撮りました。もう一人、私より少し年長の男性の方も同様に待っておられました。門の向こう側に人々が消えていき、「今だ!」と思った瞬間に向こうから人が出てきたときには、ちょっとしばいたろかと思いました。嘘ですが。

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※下から見上げる仁王門

天気もとてもよく、陽光と青空に朱塗りの仁王門が映えます。仁王門をくぐると右側に西門三重塔が見えてきます。

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※西門と三重塔

このまま階段を登っていくと、左側に鐘楼が見えてきます。

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※下から見た鐘楼

階段を登り終わると、伽藍の中心のレベルに到着です。正面奥には、随求堂があります。

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※随求堂入口 写っているのは「かっこいい」私

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※随求堂正面

随求堂の中には入ることができます。中で拝ませていただきました。しかし残念ながら胎内めぐりは休止中のようです。さすが、英語のお知らせも貼ってあります。

本堂の方に進む前に、西門三重塔を見ていきましょう。

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※西門内側

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※西門説明板

朱塗りと檜皮葺ひわだぶきの屋根が美しい門です。

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※西門脇から見た京都市内 真ん中に建っているのが京都タワー

ここからは京都市内を一望することができます。もう1枚写真があったのですが、京都タワーのようにランドマークがなかったので、掲載するのをやめておきました。この写真をよく眺めると、京都タワーの右側におそらく東本願寺伽藍や、左側に東寺五重塔の相輪と五層部分の屋根を見ることができます。京都タワーですらあの小ささですから、本当によく見てください。

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※藤棚

この藤棚はほぼ南側にあるのですが、まだそれほど咲いていませんでした。

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※田村堂(左)と轟門(右奥) 左奥は朝倉堂 右手前は拝観受付

実はこのスペースまでは無料で来ることができます。ここから、轟門(※重要文化財をくぐって本堂に行くためには、右側の拝観受付で拝観料400円をお支払いしないといけません。

門をくぐると回廊があり、左側に朝倉堂、右側にはこの景色です。

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※新緑の音羽山 真ん中に見えているのが子安塔

余りに遠くに見えているので、警備員の方におうかがいしたところ、あそこまで伽藍が続いているとのことでした。うっかり別のお寺だと思ったくらいです。記憶が正しければ、清水寺も2回くらいは来ているはずなのですが、適当な気分で行ったときのことは本当にほとんど憶えていないものですね。

回廊を進むと、本堂に入っていきます。

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※本堂入口

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※本堂説明板

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※清水寺本堂内(礼堂)

本堂は正面側から、舞台礼堂内陣となっています。舞台までは土足ですが、礼堂内には靴を脱いで上がらないといけません。破風が2基連なっているというのは、本堂の建築の特徴なのではないでしょうか。

残念ながらご本尊秘仏ですので、拝顔することはできません。ただ、お前立ちを拝することはできます。かなり遠くからしか見れないのですが、確かに清水型観音の特徴、40手のうち2手を頭上に挙げて阿弥陀如来の化仏をいただくという独特のポーズをしていました。写真は下記ページからご覧ください。

www.kiyomizudera.or.jp(2021.5.19閲覧)

『西国三十三所勤行次第』を忘れておりますので、口の中でもごもごと般若心経、延命十句観音経をお唱えしました。

本堂から出てくると左側に地主神社の入口が見えました。

納経所本堂を出てそのまま少し進んだ左側にあります。何人もお姉さまがいらっしゃり、テキパキとご宝印を押してくださいました。

そこからは、すぐに奥の院になります。釈迦堂阿弥陀堂を経て奥之院に到着です。

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※釈迦堂と阿弥陀堂の間にある百体地蔵堂

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※奥之院にあるふれ愛観音さま

奥之院にはふれ愛観音さまがいらっしゃいます。触ってもOKです!

なお、トップの写真は奥之院から撮りました。アングル的にはもっといい写真もあったのですが、いかんせん人が写りすぎていて、使いにくかったんですよね。国会議員など、どんな方が写っておられるか、分かりませんからね。この辺りには修学旅行生もチラホラいましたので、制服でどこの学校だと分かると「コロナ禍で修学旅行に行くとは怪しからん!」と苦情を言ってこられる方もいらっしゃるでしょうしね。

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※境内案内図

奥之院から出て少し南に歩くと、境内案内図がありました。これで境内の全貌が分かります。しかし……遅いよ。もっと前にもあったのでしょうが、ここで気づいた私に残されたチェックポイントは、それほど多くありませんでした……。

そのまま進んでいくと、どうやら境内の南の端まで来たようです。

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※境内の南端にある道標

ここからは子安塔を目指します。この辺から急に人がいなくなりました。皆さんはあまりこちらまで来ず、サクサクと下に降りていかれたようです。

でも、絶対にこちらまで来た方がいいです! 見てください、この絶景を!

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※子安塔から見た本堂

トップの写真にしようかどうか迷ったんですがね。やはり舞台がドーンとある方がいいかと思い、使わなかったのですが、ここまで来たからこそ味わえる絶景です。歩くのも10分増えるか増えないかくらいですし。

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※下から見た子安塔

子安塔からは本堂の方角に向かって、下に降りていく形になります。途中に、設立縁起に出てきた行叡居士のお姿を写したとされる福禄寿像などがあります。

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※福禄寿石像

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※降りていく途中で撮影した本堂

音羽の瀧まで降りてくると、下から見る本堂の迫力に圧倒されます。

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※音羽の瀧から見上げる本堂

下から見上げると、すごい高さです。同じ懸造りとはいえ、これはさすがに長谷寺石山寺の比ではないですね(※しかしいずれも国宝

一方の音羽の瀧は、思ったよりもほっそりしています。これはおそらく、参拝者同士での争いにならないように水の筋を三つに分けているんでしょうね。そのせいで余計にほっそりして見えます。 

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※斜めから見た音羽の瀧

柄杓がないため、水を汲めないのが残念でした。

帰路はそのまま、本堂の真下を横切っていくようになります。

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※真下から見た本堂

さすがに太い柱です。これなら100人乗っても大丈夫ですね。

西を向いて進んでいるのですが、左側にアテルイ・モレの碑がありました。

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※顕彰碑

清水寺のホームページにアテルイ・モレの碑と書いてありますので、そのように記載させてもらっていますが、印象派の画家のような名前になってしまっているような……。漢字では阿弖流為・母礼の碑と書きます。あくまで当て字ですので、どちらが正しいというわけではありませんが。

私が敬愛する原哲夫先生のマンガに、『阿弖流為Ⅱ世』というのがありましたが、まったく内容を憶えていません。『花の慶次』はエピソードやセリフまであれほどしっかりと憶えているのに……。先生のマンガは結構落差が激しいんですよね。実際問題、長く続いた(※つまり読者から愛された)作品の二大巨頭が『北斗の拳』『花の慶次』で、この二作品が図抜けているということができるでしょう。私の前の職場にも『北斗の拳』の愛読者は結構多かったです。

話がかなり逸れました。最後は左手に十一重石層塔を見ながら、右手には池を見ながら仁王門の前まで戻ってきます。

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※十一重石層塔 何と飛行機雲も見えます

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※右側の池 上に見えるのは三重塔

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※横から見た仁王門

思ったよりは時間がかかっていなくて、1時間少々しか経っていませんでした。やはりあと2か寺を打たないといけないので、気が急いていたのでしょうか。それでも、見るべきところはほとんど見ることができたと思います。

しかしさすがに名刹という名にふさわしいお寺で、国宝こそ本堂とそれに付属するものだけですが、ほとんどの建物が重要文化財になっています。京都とはいえいわゆる洛外にあったのが幸いして、幕末の火災を免れたのでしょう。

まだまだ地主神社随求堂の胎内めぐりなど、未見のものもありますので、また次回チャレンジしてみたいと思います。

というわけで皆さん! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「今熊野観音寺」(2021.4.15) ▷ 南坊の巡礼記「清水寺」(2021.4.15)

南坊の巡礼記「清水寺」(2021.4.15) ▷ 南坊の巡礼記「六波羅蜜寺」(2021.4.15) 

 

最終更新:2021.5.27

*1:西国三十三所札所会「清水寺」2021.5.19閲覧

*2:所収 塙保己一編『群書類従 第24輯 釈家部』八木書店(2013)

*3:五来重『西国巡礼の寺』角川書店(1996)

*4:国会図書館デジタルコレクション『今昔物語』(所収『国史大系 第16巻』)

*5:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)