西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

大阪市立美術館特別展「豊臣の美術」に行ってきました!

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大阪市立美術館ロビー

最終更新:2021.4.19

2021年4月14日、大阪市立美術館で開催されている特別展「豊臣の美術」に行ってきました!

西国三十三所の札所を巡っていると、思っていた以上に豊臣秀吉秀頼父子の足跡が見つかります。そこでこの展覧会に何かヒントがあるのではないかと考え、思い立って行ってみることにしました。

大阪市にまん延防止等重点措置が出されておりますので、なるべく公共交通機関の利用は控えたいところです。そこで、天王寺まで初めて車で行きました。やはり大阪の市街地に入ると道が混みますね。四車線道路なのに一方通行だったり、道が急に分離したり、大阪の道は初心者には難しいです……。

特別展「豊臣の美術」

それでは、特別展の魅力について簡潔に記していきたいと思います。

特別展「豊臣の美術」について

大阪市立美術館で、2021年4月3日(土)から5月16日(日)まで開催されているのが、特別展「豊臣の美術」です。同期間中に、五つのコレクション展があわせて開催されています。特別展は、次の四つのテーマに分かれています。

Ⅰ 豊国大明神

豊臣秀吉が、いかにして自らを神格化しようとしたかについての展示です。よく教科書等で見られる狩野光信筆の豊臣秀吉像(高台寺蔵)は、賛の日付から秀吉の薨去前に描かれたものだそうです。秀吉の生前の姿を描きながらも神殿の中に座しているなど、すでに秀吉の神格化が進んでいたことの証拠の一つとなるようです。

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※高台寺蔵「豊臣秀吉像」重要文化財(出典:Wikipedia

また、秀吉の遺児豊臣秀頼が11歳のときに書いた「豊国大明神」の神号軸が出展されていました。普段は大阪城天守閣にあるようです。また、同年の秀頼自筆の「南無久遠釋迦世尊」の名号軸もありました。これは厳島神社のある宮島の対岸の広島県廿日市市にある海の見える杜美術館所蔵とのことです。まだ11歳ということもありますが、書の特徴として、豪快に一文字目をスタートして、三文字目くらいからスペースが足りないことに気づき少しずつ字が小さくなる、ということが言えます。字としては、まだ子どもということもあり、決して達筆!というわけではありませんが、上流階級の子弟らしい流麗な筆致となっています。

どうしてこのようなものを秀頼が書いているかといいますと、やはり秀吉秀頼が寺社の復興に莫大な金額を寄進していたということから、秀頼の書いた神号・名号を各寺院でもありがたがっていたようです。

それぞれ、図録の説明を引用します。

「豊国大明神」神号について

この世を去った秀吉に「豊国大明神」の神号宣下がなされたのは慶長4年(1599)4月で、洛東阿弥陀ヶ峰に壮大華麗な豊国社が営まれ、神として祀られるようになった。その後、各地の豊臣恩顧の大名領内や、ゆかりのある寺社に勧請、分祀されるようになり、秀吉画像や木造とともに秀頼自筆神号が祀られたことが明らかにされている。

釈迦名号について

秀頼の一行書は、秀頼8歳(慶長5年)から15歳(慶長12年)まで、30例以上が確認される豊国大明神が最も多いが、阿弥陀名号、一遍主題(南無妙法蓮華経)、天神神号、住吉神号などもみられる。これら数々の一行書は、近畿一円の社寺復興に尽力した秀頼の事蹟を象徴する遺品といえよう。

※両者とも、漢数字をアラビア数字に直しています

こうして見ていくと、豊臣家が近畿地方の寺社にとっては非常に大事なパトロンであったことがよく分かります。秀頼がどのような心掛けで寺社復興に尽力したのかは分かりませんが、少なくとも秀頼にはそれができるだけの財力があった、ということになります。

それを証明するかのように、「大仏大判金」が展示されています。秀頼方広寺大仏殿再建の費用にあてるため、慶長13(1608)年から17(1612)年にかけて鋳造させたそうです。どれほどの量が鋳造されたのかはわかりませんが、金の大判を鋳造できるということは、まだまだ豊臣家の力は侮れないものだったのでしょう。もしかすると、関東の江戸幕府に対し、関西の豊臣政権というようなある種の二重権力構造が当時の日本、とくに関西にはあったのかもしれません。この辺のところはまた今後の研究テーマになろうかと思います。

Ⅱ 美麗無双

ここでは、秀吉の時代に上流階級が使用していた豪華絢爛な調度品や茶器、武具などが展示されています。

秀吉の茶頭を務め、後に切腹を命じられた千利休の肖像もあります。長谷川等伯筆と伝えられていますが、最近の研究では異論もあるようです。

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※正木美術館蔵「千利休像」重要文化財(出典:Wikipedia

Ⅲ 大檀那豊臣

この時代を象徴する、豪華絢爛な狩野派の襖絵などが展示されています。豊臣家により近畿の寺社が復興された際に、御用絵師として狩野派が活躍したのです。園城寺三井寺)の「四季花木図襖」は狩野光信の筆で、豊臣秀頼の発願で園城寺勧学院の客殿が慶長5(1600)年に再興された際に奉納されたものです。
ここでも、秀頼は西国三十三所の札所の一つに足跡を残しています。

写真は、文化庁広報誌「ぶんかる」で見ることができます。

Ⅳ 太閤追慕

ここでは、太閤秀吉生前の風俗を描いた豪壮な屏風絵などが見られます。中でも、復元とはいえ「黄金の茶室」には目を奪われます。

しかも、この 「黄金の茶室」は1日1000円で貸し出しをやっているそうです。まあ、目的がきちんとしたものでないと受け付けていただけないでしょうが……。

「豊国祭礼図屏風」は、慶長9(1604)年に行われた豊臣秀吉の七回忌の祭礼を描いたもので、狩野内膳が慶長11(1606)年に描いたとされています。この中に描かれている人々の熱狂はすさまじく、いかに秀吉が京都の人に愛されていたかが分かります。

やはり関西では、江戸幕府成立以後も、豊臣政権が民衆の支持を集めていたのではないでしょうか。

特別展「豊臣の美術」データ

 

会期  :2021年4月3日(土)~5月16日(日)

開館時間:9:30~17:00(最終入館は16:30まで)

観覧料 :大人 1,500円 高校・大学生 1,000円

場所  :大阪市立美術館

     〒543-0063 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-82

電話番号:06-6771-4874

茶臼山について

車をどこに停めようか悩んでいたのですが、天王寺公園茶臼山エントランス駐車場に停めさせていただきました。天王寺駅に徒歩5分以内で、平日最大料金1000円は魅力です。ここから市立美術館までも、5~6分で歩いていけます。

しかも、ここは茶臼山です。茶臼山といえば、大坂の陣ですね。真田幸村がここに陣を布いたことでも知られています。そうしたこともあって、いくつか案内板が設置されています。本当に山というほどのものではないのですが、周囲ににらみを利かせることができたのでしょう。

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※史跡「茶臼山」

冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が布陣したんですね。

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※「茶臼山古戦場跡」案内板

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※「大坂夏の陣」案内板

地元の中学生が書いたのでしょうか? Yuka Yamaoさんと、Nao Takedaさんの筆によるようです。なかなか味わいがあります。最近はいろいろなところでコーエーテクモさんの「信長の野望」シリーズや「無双」シリーズのイラストが使われていますが、そのようなCGイラストに頼らない姿勢は、素晴らしいと思います。ちなみに私は「信長の野望 天道」をいまだによくプレイしています。

しかし、ここで取り上げたいのはその兵力比です。徳川方15万5千人に対し、豊臣方は5万5千人となっています。5万以上の兵力を集めることができたとは、驚きです。幕府方は、全国から兵を集めているはずですが、意外と少ないですよね。しかも豊臣家が旧主筋に当たる大名がほとんどですので、幕府方の士気は相当低かったことでしょう。活躍しても大幅な石高増加も見込めませんしね。

一方の豊臣方には、幕府に不満を持つ武士や、豊臣家の名声を慕った兵が多く集まったのでしょう。しかも勝てば天下をひっくり返し、一気に大大名の仲間入りが狙えます。これもやはり、関西における豊臣家の勢力の強さをうかがい知ることができる証拠の一つと言えるでしょう。

最後に

いかがでしたでしょうか。関西における豊臣家の存在感の大きさを、示すことができたように思います。特別展「豊臣の美術」はあまりマスメディアでも取り上げられていませんので、早めにご覧になることをお勧めします! 密になる前の今がチャンスですよ!