西国三十三所の第二十四番札所は、紫雲山しうんざん中山寺なかやまでらです。豊臣秀吉も祈願した子宝・安産のお寺として有名で、平日でも祈願者やお礼参りの家族連れの参拝が絶えない、霊験あらたかなお寺です。
『中山寺由来記』*1によれば、徳道上人が西国三十三所の観音巡礼を始めた際、この中山寺が日本で最初の観音さまのお寺ということで、第一番札所に定められました。これは徳道上人に衆生救済を託した閻魔大王の勅によるということで、徳道上人は三十三個のご宝印を石の函に入れて中山寺に納めたとされます。
中山寺の縁起
中山寺の成立縁起は、中山寺のホームページに詳しく記載されています。
www.nakayamadera.or.jp(2021.6.10閲覧)
また、上述の『中山寺由来記』にも詳しい記述がありますが、ここでは『中山寺由来記』の元となったと考えられる『中山寺縁起』*2の記述を参考にして、まとめていきたいと思います。ちょっと長くなります。
~第14代の仲哀天皇の后大仲姫は、天皇に先立ち亡くなってしまい、猪名野山の辺りの大柴谷に埋葬されました。残された皇子のうち、兄を麛坂皇子かごさかのおうじ、弟を忍熊皇子おしくまのおうじと言いました。父の仲哀天皇がお亡くなりになった際、後妻であった神功皇后じんぐうこうごうが朝鮮出兵に行っており、自身の子(※後の応神天皇)を即位させようとしました。両皇子は大変立腹され、神功皇后とその皇子を討伐しようと密かに策を練られました。麛坂皇子は兵庫の浦に陣をはり、忍熊皇子は武庫山に駐屯して、皇后が西から帰ってくるのを待伏せしようとしました。神功皇后は大いに驚いて、速やかに鎮圧するように命令され、武内宿禰たけのうちのすくねが急行しました。両皇子は陣から打って出ました。今の打出の里です(※今の兵庫県芦屋市東部)。たちまち合戦となりましたが、宿禰が機を見て総攻撃を命じると、皇子軍は敗北してしまいました。
おいたわしいことに兄の麛坂皇子は誅殺され、家臣5人とともに六甲山に葬られました。弟の忍熊皇子は住吉の浦で捕虜となり、宇治川に沈められてしまいました。ところがそのご遺体はまったく毀損せず、難波の辺りに流れ着いて、霊魂が厄神となって村々を悩ませました。このことは朝廷にまで伝わり、武内宿禰に命令が下されてご遺体を石櫃に入れ、先后大仲姫のご陵墓の近くに石窟を築き、厚く葬りました。これ以降、民間には災厄は訪れず、かえって幸福が多くなりました。
後に応神天皇が兄皇子のこのようなご事情を聞いてお嘆きになり、大柴に勅使を遣わされました。麓にある勅使川(※武庫川の支流の天王寺川の支流)とはここから来ています。勅使が石櫃を開いて見たところ、たちまち白鳥に変化し中山寺に飛来して岩となりました。また母后の大仲姫も飛来して岩となりました。この時、山が鳴動して岩の辺りより霊水が湧き出しました。応神天皇は驚いて自ら行幸し、このことを石に刻んで霊水の下に埋められました。
それから後、聖徳太子が四天王寺を造立されたころ。仏法を忌み嫌った物部守屋や中臣勝海らが死んで魔となり仏法に仇をなしました。聖徳太子がこれを天にお祈りされると、一時、夜が更けて月が落ち、とても美しい天女が一人の子どもを連れて、また数人の従者を従えてやってきました。告げておっしゃることには、「私は大仲姫です。殿下の願いを叶えようと思うに、幸い一つの霊山があります。私たちはそこに住んでかなり年月が経っております。今、太子に差し上げましょう。精舎を設けて仏法をお奉りになれば、魔はたちまち護法の神となり、暴逆はかえって仏道に帰依しましょう。すなわち紫雲がたなびくところが私の霊地です」ということでした。
太子はこの霊験をいただくと勇躍密かに馬にお乗りになり、探し当ててこの山にお登りになりました。前は瀬戸内海を望み三つの島に隣接しており、後ろは群山を擁し中国の霊山五嶽に並ぶかのようでした。四方には松や柏の古木が天に届くようでありました。太子も恍惚として慨嘆しておっしゃることには「山々の高いことは耆闍窟ぎじゃくつ(※お釈迦さまのおられる霊鷲山のこと。“Gijjhakūṭa”の音訳)のようであり、海岸の深く広いことは尼連禅河にれんぜんが(※お釈迦さまが悟りを開いた菩提樹の側を流れるバルガ川のこと。ガンジス川の支流である)のようである」ということでした。これらのご様子をご覧になったところの石に、今も馬の蹄の跡があります。ついにお命じになって紫雲山とお名づけになりました。またこの山が三鈷杵を表しており三点がありました。このちょうど真ん中に伽藍を建立なさったので、中山寺と言います。
また、聖徳太子が前世で舎衛国(※コーサラ国)にお生まれだった時(※『勝鬘経しょうまんぎょう』の主人公勝鬘夫人だったとされます)のこと。一刀三礼に掘り出された十一面観音はとくに霊験あらたかで、太子が日本にお生まれになる前に、日本に流れ着いて海嶋(※不詳)に安座されていたのが日本の観音さまの初めであるということで、勧請しご本尊とされました。
中山寺の見所
中山寺の見所をご紹介します。
山門
※山門
江戸時代前期の正保3(1646)年、徳川家光により再建されたとのことで、兵庫県の指定文化財となっています。山門の上楼部には、地蔵菩薩、閻魔大王などがお祀りされているそうです。「望海楼」とも呼ばれており、昔はこの楼上から大阪湾を望むことができたそうです。
総持院
※総持院
中山寺の塔頭たっちゅうの一つで、卯年の守本尊である文殊菩薩と、酉年の守本尊である不動明王が祀られています。
宝蔵院
※宝蔵院
中山寺の塔頭の一つで、未年と申年の守本尊である大日如来が祀られています。
華蔵院
※華蔵院
中山寺の塔頭の一つで、戌年と亥年の守本尊である阿弥陀如来が祀られています。
観音院
※観音院
中山寺の塔頭の一つで、辰年と巳年の守本尊である普賢菩薩が祀られています。
成就院
※成就院
中山寺の塔頭の一つで、丑年と寅年の守本尊である虚空蔵菩薩が祀られています。
鐘楼
※鐘楼
袴腰の鐘楼です。
閻魔堂
※閻魔堂
西国三十三所の開創に大きく寄与した閻魔大王が祀られています。ご本尊の閻魔大王の脇侍として、司命しみょう・司録しろくがおられます。中山寺では毎年2月16日と8月16日を閻魔大王の縁日とし、俗に言う「地獄の釜が開く日」として、大根だき法会と施餓鬼法要が行われます。
寿老神堂
※寿老神堂
寿老神を祀るお堂です。また、午年の守本尊である勢至菩薩が祀られています。
大黒天堂
※大黒堂
大黒天を祀るお堂です。また、子年の守本尊である千手観音菩薩が祀られています。
本堂
※本堂
中山寺の本堂は、もともとは現在の奥之院が建つ場所にあったと考えられているそうです。その後、安土・桃山時代の天正6(1578)年、摂津太守とされていた荒木村重が織田信長に背いたことから兵火に遭い、伽藍もろとも消失したということですが、慶長8(1603)年に豊臣秀頼の発願で現在の本堂が再建された、とのことです。兵庫県の有形文化財建造物に指定されています。ご本尊の十一面観世音菩薩像は秘仏で、普段はお厨子を閉じていますが、毎月18日の観音さまの縁日にはご開扉が行われるということです。
阿弥陀堂
※阿弥陀堂
阿弥陀如来が祀られているお堂です。各種の供養はここで行われるそうです。
大願塔
※大願塔
大日如来が祀られる多宝塔です。2007年に再建されたそうです。
鎮守社
※鎮守社
中山寺の境内地を守る地主神と、山内七福神の一つである恵美須神が祀られています。
子授け地蔵
※子授け地蔵
子宝を待ち望む祈願者が願布を奉納する、子授け地蔵を祀っているお堂です。
大師堂
※大師堂
弘法大師を祀るお堂です。西国三十三所観音霊場のお砂踏みもできます。
五重塔
※五重塔
非常に珍しい青色で彩色された五重塔で、仏の智恵と青龍をイメージしていることから、青龍塔と名づけられています。もともとの五重塔は、本堂と同じく荒木村重の兵火に罹災し、焼失してしまいました。慶長8(1603)年に豊臣秀頼が伽藍を再興した際にも、五重塔は再建されなかったそうです。それから400年を経た2017年、ようやく再建された、とのことです。高さは約28メートルあり、初層に裳階もこしが取り付けられているのが特徴です。心柱には岡山県美作市の大野神社の樹齢400年の檜が用いられたそうで、それ以外の材には吉野檜がふんだんに使用されている、とのことです。
護摩堂
※護摩堂
不動明王をはじめとする五大明王が祀られているお堂です。近畿三十六不動尊霊場会第21番札所となっています。慶長8年の建立とされ、兵庫県の有形指定文化財となっています。
開山堂
※開山堂
開山とされる聖徳太子立像を祀るお堂です。
五百羅漢堂
※五百羅漢堂
1997年に、開創1400年記念事業の一つとして新築されました。堂内には釈迦如来像をご本尊とし、700体以上の羅漢像が祀られています。天井には金剛界五仏と釈迦如来の種字曼荼羅が描かれ、床には蓮華の陶板が敷かれている美麗かつ清冽な雰囲気があるお堂です。五百羅漢堂自体は昔もあったらしく、「親兄弟の 顔が見たくば 中山寺の 五百らかんの 堂にござる」という古歌が伝わっているそうです。
中山寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。
のをもすぎ さとをもゆきて なかやまの
てらへまいるは のちのよのため
(野をもすぎ 里をもゆきて 中山の
寺へ参るは 後の世のため)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*3によります。
「月日は百代の過客」という言葉があります。また「人生とは、一つの過程である」といった哲学者がいます。全てのものは過ぎ行くものであり旅人です。昔の巡礼は今と違って、雨の日、風の日、少しくらいの体の不調は押して、一足一足に「南無観世音菩薩!」を唱えながら歩く、徒歩巡礼の旅だったのです。「野をもすぎ 里をもゆきて……」には、ひたすら次のお札所をめざして歩く、巡礼の万感が込められていると思います。
実は、「野をもすぎ」で始まるご詠歌はこれが初めてではありません。二十番札所の善峯寺のご詠歌も「野をもすぎ」で始まりました。両者に共通している心情は何かということを考えると、おそらく市街地を離れてお寺までたどり着き、次のお寺もそれなりに離れている、というところかと思います。札所が密集していた京都を離れたこの辺の旅は、前田孝道師のおっしゃるように、札所間の徒歩の旅がかなり身に応えるところだったのかもしれません。
中山寺へのアクセス
中山寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
www.nakayamadera.or.jp(2021.6.10閲覧)
公共交通機関
阪急「中山観音駅」下車徒歩約1分。
JR「中山寺駅」下車徒歩約10分。
お車
中国自動車道「宝塚IC」から北に約10分。
駐車場なし。
山門周辺に民間の駐車場あり。
中山寺データ
ご本尊 :十一面観世音薩
宗派 :真言宗中山寺派(大本山)
霊場 :西国三十三所 第二十四番札所
真言宗十八本山
近畿三十六不動尊霊場 第21番
摂津国三十三所霊場 第1番
摂津国八十八所巡礼 第69番(大師堂)
第70番(寿老神堂)
第71番(奥之院)
聖徳太子御遺跡霊場 第26番
神仏霊場巡拝の道 第80番
阪急沿線 西国七福神 寿老神
所在地 :〒665-8588 兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1
電話番号:0797-87-0024
拝観時間:24時間(窓口受付は9:00~16:00)
拝観料 :無料
URL :https://www.nakayamadera.or.jp/
中山寺の境内案内図
下記サイトに案内図があります。
www.nakayamadera.or.jp(2021.6.10閲覧)
第二十三番 勝尾寺 ◁ 第二十四番 中山寺 ▷ 番外 花山院菩提寺
南坊の巡礼記「中山寺」(2021.4.22)
勝尾寺の駐車場を10時33分に出発し、中山寺を目指します。とその前に、宝塚の阪急「逆瀬川駅」近くにあるいっぽ一歩堂にお願いしていた四国八十八ヶ所の掛け軸の装幀ができあがったとのことだったので、先にそれを取りに寄ります。実は前日の善峯寺の参拝時に電話がかかってきていたのでした。完成品を無事にいただき、今度こそ中山寺を目指します。
事前のリサーチでは、中山寺には駐車場がないということでしたので、いろいろと探していましたが、結局中山駐車場津乃国屋に停めることにしました。平日は500円ですが、聞くと土日祝は700円になるようです。ここと、このすぐ北側の植田駐車場であわせて100台近くは停められるのではないでしょうか。おそらく駐車料金はどちらも同じだと思います。阪急「中山観音駅」の南側の太い観音通りに面しており、停めやすさでいくとこの二つがツートップだと思います。山門の脇にも中山寺参拝者用民間駐車場なるものがありますが、停められる台数が少ないうえに、道がかなり狭いので、無理をなさらない方が賢明かと思います。
すでに時刻は12時近くになっていましたので、まずは腹ごしらえをしようと思いました。お寺の方に向かって阪急「中山観音駅」からは参道が続いているので、何かしらお店があるだろうと考え、そちらに行ってみることにしました。
地下道をくぐって駅の北側に行きます。何軒かお店が並んでいます。ざっと見て、結局一番駅に近いカフェパティーナにすることにしました。カツカレーが990円です。この旅でカレーは初めてでしょうか。このカフェパティーナですが、中がキレイで店員さんも若いお嬢さんだけなので新しいお店だと思ったのですが阪急電鉄のホームページ*4によると、40年にわたって親しまれてきたお店だそうです。もっとも、以前はカフェ・ド・コクリコというお名前だったそうですので、オーナーが同じなのかまったく別になったのかは分かりませんが、内装やお店のコンセプトも変わっていると思います。私がカツカレーを食べ終わってお金をお支払いした時のお嬢さんが、かなり仕事熱心な真面目な方でした。何と参拝後にお店の前でお声がけをしておられて、「さっきカツカレーをいただきました。おいしかったです」と申し上げると、一応憶えていてくださったようで、「服装が違うから最初は分からなかったです」とおっしゃられました。参拝の帰りは巡礼装束になってましたからね。で結局何が言いたいかというと、いいお店だということです。
※中山寺参道
他はうなぎや蕎麦のお店などだったように思います。あれだけ褒めておきながら、カフェパティーナの写真を撮り忘れていました。上の写真の、左側の二軒手前で、「中山観音駅」を出て本当にすぐです。
中山寺と書いてある大きな石柱碑の左側には、中山寺の境内案内図があります。
※中山寺境内案内図
かなり広いお寺です。ちょっと急いだ方がよさそうです。
※中山寺山門
12時19分、山門到着です。山門前は記念写真を撮るご家族が何組もいらっしゃり、本当に子宝・安産のお寺として信仰を集めていることがうかがえます。こんなに人が多いのは清水寺以来でしょうか。ただ、清水寺は観光客が多かったと思いますが、中山寺は参拝者が多いように思いました。
山門をくぐって、境内に入りました。
※境内の様子
結構参拝者がいらっしゃることがお分かりいただけるのではないでしょうか。まん延防止重点措置が出されている平日の12時20分でこれです。コロナ禍以前は人であふれていたのでしょう。
伽藍の中心までの間に、塔頭が左右に並んでいます。左側手前から総持院、宝蔵院、観音院、右側手前から華蔵院、成就院です。それぞれご利益のアピールがすごいです。
※宝蔵院
※成就院
赤い橋のようなところを進み、階段で伽藍の中枢へと向かいます。と、ここで右側に矢印と案内板があります。
※境内にある案内板
何と、エスカレーターがあります。札所でエスカレーターを見たのは初めてですよね? なかなかゴージャスですなあ。ちなみに、この建物の外をさらに右奥に回っていくと、エレベーターもあるようです。
※エスカレーター
私は巡礼修行の徒ですから、文明の利器に頼らずに自らの足で階段を登りました。すると、伽藍の最初のレベルに到着です。
※境内の2番目のレベル
中山寺の伽藍は塔頭のあるレベルを除いて、主に3つのレベルに分かれていて、閻魔堂・五百羅漢堂等があるレベル、本堂や阿弥陀堂などがあるレベル、大師堂や五重塔などがあるレベルとなっています。ここは閻魔堂や五百羅漢堂などがあるレベルです。本堂のレベルに行くには、赤い欄干の階段を登るか、その横の屋根付きエスカレーターを登るか、です。
閻魔堂で参拝を済ませ、続いて本堂のレベルへ上がっていきます。
※本堂のレベル
後ろにある五重塔が映えます。
まずは本堂で納経をさせていただきます。上の写真で見えている左手前の建物は本堂の向拝ではなく、本堂の前に建っている回廊のような建物です。ここにローソク立てや香炉があります。そこでやるべきことを終わらせると、本堂の外陣へと上がります。土足のまま上がることができますが、内陣に入ることはできません。安産祈願などのときは内陣に入れるのでしょうか。
※本堂の外陣
周りにはスーツなどきちんとした服装のご家族もいらっしゃいます。聞こえてきたところでは、こちらにご祈願して無事に子宝に恵まれたというようなお話で、しっかりとお礼参りしておかなければならない、とおっしゃっておられました。すごいご利益なんですね。
本堂の外観はとてもキレイな彩色で龍などが描かれています。
※「救世閣」の扁額
本堂は「救世閣」というようです。
納経をさせていただき、納経所を探します。近くにある建物はどうやら祈願受付となっているようで、納経所は別の建物のようです。少し調べると、本堂より一つ下のレベルの右手前側にある、紫雲閣という建物の山門側の端だということが分かりました。焦ってもらう必要はないので、帰りにいただくことにしました。
本堂からは階段でもう一つ上のレベルに行けます。左の方に多宝塔へと上がっていく階段があったので、そちらの方に進みました。
※多宝塔
多宝塔も新しいのか、キレイでした。そこから下を見下ろすと、六角堂らしきものがありました。これまでの経験では、六角堂は死者を悼むお堂であったり、経蔵・経堂になったりしていることが多いように思います。上からでは何か分かりませんでした。
※六角堂?
多宝塔側から五重塔を望みます。同じレベルですが、やはり高いです。
※多宝塔側から五重塔を望む
鎮守社や子授け地蔵尊を経て、大師堂・五重塔の方へと進みました。すると、近づくにつれて大きな声が聞こえてきます。最初は下の本堂の方から聞こえてきたのかと思いましたが、どうやら五重塔の脇で話しているようです。おばあさまの4人連れでした。一緒に来たわけではないのか、どうやって来たとか、息子がどうとか、お寺とあまり関係のないお話ばかりされています。そのうちお一人の方にその息子さんからお電話があったらしく、余計に大きな声で話しておられました。そういう話はここでなくてもできるわけですから、お寺では静かに過ごしていただきたいものです。五重塔の写真を撮ろうにも、この方たちが写りこんでしまうので、撮るに撮れませんでした。
そこで、先に大師堂の方へ行きます。大師堂の入口には、「西国三十三所観音霊場お砂踏み」という看板が出ています。
※大師堂の入口
ということで、大師堂の中に入ってみました。ここは、靴を脱いで入ることができます。
※大師堂内部
中には三十三所の札所に因んだ絵が描かれた掛け軸がかかっており、その前には笈摺おいずるが置いてあります。ちょっと正確なやり方は忘れましたが、とにかくこの笈摺を着て、順番に回っていくようでした。どなたもいらっしゃいませんでしたが、やる場合は500円をお支払いしないといけません。
大師堂から外に出ると、おばあさまたちは解散しておられました。静かになってよかったです。
五重塔は本当にキレイな青です。
※下から見た五重塔
五重塔は独特の青い色をしているからか、写真ではなく絵のように見えて仕方がありません。目の錯覚か何かなのでしょうか。
さて、本堂の方へ降りていきましょう。
※裏から見た本堂
見ていただくとお分かりのように、本堂にはいろいろな動物の絵が描かれています。一番右はカニですよね。
本堂のレベルに降りてきました。本堂の右側にある護摩堂と開山堂をまだお参りしていません。
※本堂の右側
護摩堂は中の様子を拝見することができます。
※護摩堂
護摩堂には、五大明王が祀られていました。開山堂は、中の様子がよく分かりませんでした。
下のレベルに降りる前に、阿弥陀堂の方へ行ってなかったので、行ってみることにしました。
阿弥陀堂への手前に、上から見て発見していた六角堂を見つけました。とくに説明等は書いてありません。
※六角堂?
実は間抜けなことに事前の予習で調べていた石の櫃からとを今回の巡礼では見落としてしまっていました。それで、このレポートを書きながら中山寺の境内案内図を見ていると、どうもこの六角堂は石の櫃の真上に位置しているように見えます。そう考えると、この建物はやはり八角円堂や頂法寺六角堂のように死者の慰霊のために建立されたのかもしれません。石の櫃が縁起のところでご紹介した大仲姫の墳墓であるとするならば、この六角堂も大仲姫やその二子麛坂皇子かごさかのおうじ・忍熊皇子おしくまのおうじの慰霊のために建立されているのかもしれません。
ただ、この時は結局よく分からないままに六角堂を通り過ぎ、阿弥陀堂へと行きました。
※阿弥陀堂
中にはちらほら座っておられる方がいらっしゃり、どうやら回向を待っておられるようでした。1日何回かご供養の回向をされているようです。
本堂の前まで戻り、下のレベルに降ります。
※右の建物が五百羅漢堂
五百羅漢堂の中には、靴を脱いでスリッパに履きかえて入ることができます。
※五百羅漢堂 左奥はご本尊の釈迦如来坐像
床が陶板で滑るので、スリッパに履きかえるのでしょう。
納経所へ行きましょう。納経所は、五百羅漢堂の右側の建物です。その中でも、一番山門側に納経所があります。
窓口が3つあったので、近い一番左に行こうとしましたが、お嬢さんが作業中でしたので、次の窓口に行こうとしました。するとなぜかそのお嬢さんに隣に行くように誘導されて、一番遠い年配の女性の方のところに行くことになりました。おじさんは存在そのものが若い女性から嫌われているのでしょうか。
とにかくいつものようにご宝印をいただき、ご本尊のお姿(御影みえい)をいただこうと思い、「カラーのお姿をください」というと、なぜか理解していただけず。隣のお嬢さんが教えてくれたので何とか理解できたようですが、新米の方なのでしょうか。しかも、いただいてからいろいろと確認すると、紫の散華をいただいていないことに気がつきました。もらいに行きますと、「差し上げてなかったですか?」とのことですが、いただいてないからもらいに来ているのです。まあ、私がイレギュラーなことをお願いしたので、抜けてしまったのでしょう。しかし何だかモヤモヤとした納経所の顛末でした。
そしてなぜか境内略図を帰りに撮影していました。いろいろとチグハグな巡礼だったように思います。
※境内略図板
この図や山門の外にあった図を見る限りでは、六角堂の辺りに宝蔵という建物があるのですが、六角形ではなく四角形の建物になっているんですよね。ですので、六角堂が宝蔵なのかどうかはやはりよく分かりません。個人的には、慰霊のための建物だと思いたいところですね。
また階段を降りて、塔頭の前を通って山門まで帰ります。
山門で写真をとろうかと思いましたが、人の流れが途絶えることはなく、山門だけを取ることができませんでした。そもそも帰りには山門の真ん中に警備員の方ががっちり立っておられましたので、人のいない写真を撮ることは不可能でした。
この後、そのまま歩いてJR「中山寺駅」まで行き、スタンプラリーのスタンプをいただこうと思っていたのですが、間抜けなことに車に乗って花山院菩提寺へ向けて出発してしまいました。裏道を通ろうと思い、中山寺の北東側にある山手台をそこそこ進んだところではっと気づき、慌てて戻りました。気づいてよかったです。
そして何と、JR「中山寺駅」の前のロータリーには、馬上の聖徳太子像が!
※聖徳太子像
※説明板
宝塚市が設置した説明板もありました。中山寺の縁起と合致する内容になっています。
中山寺はさすがに西国三十三所のもと第一番札所とされただけあって、とても立派なお寺でした。平日にも関わらず大勢の方が参拝しておられ、信仰を集めていることが分かりました。
というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「勝尾寺」(2021.4.22) ◁ 南坊の巡礼記「中山寺」(2021.4.22)
南坊の巡礼記「中山寺」(2021.4.22) ▷ 南坊の巡礼記「花山院菩提寺」(2021.4.22)
最終更新:2021.6.16
*1:国会図書館デジタルコレクション『中山寺由来記』2021.6.10閲覧
*2:所収 塙保己一編『続群書類従 第27輯下 釈家部』八木書店(2013)
*3:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)
*4:阪急電鉄ホームページ「おでかけスポット カフェパティーナ」2021.6.10閲覧