西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 歩き遍路 28日目(2021.8.17) 50番~53番札所 たかのこのホテル~シーパMAKOTO

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53番円明寺

松山入りした2日目は、広大な松山市域を一気に北の端まで上り詰めます。前日につづき4か寺打つ、四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、28日目のレポートです!

歩き遍路 28日目 たかのこのホテルからシーパMAKOTOまで

歩き遍路28日目、8月17日(火)のレポートです。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。

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前日に松山入りし、この日は一気に松山の北端まで上がっていきます。4か寺を打った後、今治方面に向けて伊予北条まで10km以上北上していく形です。それにしても、松山市が久万高原町と今治市に直接接しているとはちょっと驚きでした。

この日は5日ぶりに5時に起床しました。ホテルからそのまま歩いていくだけですし、予定距離も30km少々です。From hotel to hotel は16日目以来ですね。

実は計画段階では「北条」バスターミナルまで行き、そこからバスでたかのこのホテルまで戻る予定でした。しかし、ちょうどこのころ松山市内でコロナ感染者が急増していたのです。そこで予定を変更して、「北条」近辺に宿を新たに取ったわけでした。「北条」からだと、松山市の中心部を経由しないとたかのこのホテルまで戻ってくることができません。歩き遍路を貫徹するためにも、コロナ感染のリスクは可能なかぎり避けておこうと思ったのです。

当初予定していた「北条」バス停とこの日のお宿シーパMAKOTOとの間は750メートルしか離れていません。ですから、この日歩く距離はほとんど変わりません。

前日にセブンイレブン松山鷹ノ子店で購入した、この旅では初めてのセブンイレブンのパンを朝食に食べます。何だか新鮮な気持ちで、スペシャル感がありました。朝食後は、出発の準備を整えました。

たかのこのホテルから50番札所繁多寺まで

7時10分ごろにたかのこのホテルを出発して、50番札所繁多寺に到着したのは7時35分でした。ここはかなり速く進むことができています。もっとも、載せているGoogleマップではなぜか県道40号線を進むことができなかったのですが、私は県道40号線を進んで最短ルートで行っています。その差でしょうか。

7時にチェックアウトをしようとフロントに行ったところ、ちょっとややこしいことが待っていました。たかのこのホテルのこの日宿泊する分をキャンセルしていたので、そのキャンセル料を支払わないといけない、ということでした。何となく腑に落ちません。わざわざキャンセル料を払わなくても、すでに払ってある分からキャンセル料を差し引き、余りを返金してくれれば済むように思います。しかしフロントのお姉さんの話では、キャンセル料を支払うことで、事前に支払っていた代金が全額返ってくる、ということでした。

まあ予定を変更したのはこちらですので、仕方ありません。キャンセル料をお支払いしました。とまあ、なんやかんややっていて出発時間が少し遅くなってしまいました。

7時10分、ホテルを出発します。出発時には、雨が降っていませんでした。出発時に雨が降っていないというのは、21日目以来7日ぶりです。まあ、降水確率は高かったのですが。

まずは、セブンイレブン松山鷹ノ子店で飲み物等を購入します。それから県道334号線の北側に渡りました。

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※浄土寺が見える

右手の奥には、浄土寺山門が見えます。ここで7時14分でした。

県道334号線を北西に進むと、「久米八幡神社前」という交差点で道が二又に分かれています。右が県道40号線で51番札所の石手寺方面までつづいていく道、左が県道334号線で松山城方面までつづいていく道です。私は右に入ります。

県道40号線の入口には、交差点の名前にもなっている、八幡神社があります。

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※日尾八幡大神

神社の左脇の歩道を、北西方面に上がっていきます。歩道は、もっと狭いところもあります。

県道40号線に入って450メートルほど進むと、歩道がなくなります。右の細い道に入りましょう。地面に、遍路道の案内の絵も描いてあります。

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※歩道がなくなる地点の遍路道案内の絵

どなたが書いておられるのか分かりませんが、全部で87区間ある札所間でここだけがこのような絵で案内してくれます。ちょっと楽しい気分になりますね。

途中、北野丸山墓地という墓地の中を突っ切っていきます。案内標識が充実しているので迷うことはありませんが、写真を全然撮っていませんでした。

もう一度、今度は名前の分からない墓地の脇を通っていきます。墓地を抜けると、右側に畑地福祉センターが出てきました。グラウンドがあるので学校かな?と思うのですが、グラウンドは畑地福祉センター広場というようです。

このグラウンドの辺りは前年に来たときの様子を何となく憶えていました。ここから道は少し登っていきながら、左、右と曲がって北に進んでいきます。

この道路沿いの右側に繁多寺の駐車場がありました。繁多寺の敷地は、2つの池に挟まれるような形になっています。

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※繁多寺駐車場

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※南側の池

7時35分、繁多寺山門前に到着しました。

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※山門

ここに来るまでは、山門の脇を通って駐車場に行くお寺だったと思っていたのですが、違っていました。どこかのお寺と記憶違いだったようです。

私が着いたときには、どなたもいらっしゃいませんでした。時間も早いからでしょう。納経所の前にベンチがあったので、そこで準備を整えます。

まずは、境内の奥にある本堂納経をしました。

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※本堂

参拝している間に、ちょっとずつ雨が降ってきました。

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※大師堂

大師堂本堂の右側にあります。こちらでも納経しました。

本堂の左側には歓喜天堂があります。境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*1をご覧ください。

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※歓喜天堂

民族学者の五来重さんの『四国遍路の寺』*2には、「歓喜天は非常に怖い仏様です。ひとたびこれを拝み始めると、一生涯拝みつづけなければなりません。途中でやめれば、罰が当たるといわれています」とありましたので、私はここでは拝みませんでした。

私が納経を終わるころに、きちんと輪袈裟をつけた男性がやって来られました。納経所前を含めて何度もすれ違いましたが、その度に挨拶してくださいました。

納経所はご住職でしょうか。最初どなたもおられず、ベルを鳴らしたように思います。

さあ、これで繁多寺での参拝は終了です。次の石手寺を目指しましょう。

50番札所繁多寺から51番札所石手寺まで

8時少し前に50番札所繁多寺を出発して、51番札所石手寺には8時43分に到着しました。Googleマップよりも10分ほど時間がかかっていますが、雨のなか道に迷ってしまい、余計に時間がかかってしまいました。

8時ちょっと前に繁多寺を出発します。道は戻らずにそのまま北の池沿いに進んでいきます。遍路道の案内標識もあります。

300メートルほど進むと、右側に神社が現れます。桑原八幡神社です。8時4分でした。

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※桑原八幡神社・三島神社

Googleマップでは桑原八幡神社となっていますが、三島神社も合祀されているようです。

この後、この神社のある角を右に曲がります。神社の正面を通る感じです。

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※桑原八幡神社・三島神社鳥居

鳥居から10数メートルで左に入っていくところがあるので、そちらに曲がりましょう。ここも遍路道の案内標識があります。

左に曲がったら、220メートルほど直進です。十字路を2回通り過ぎます。1回目の十字路には案内標識が、2回目の十字路には案内シールがあります。いずれも直進を示しています。

2回目の十字路から50メートルほど進んだところに、右に上がっていくところがあります。緩やかに登っていきます。ここも案内標識はありました。

160メートルほどジワジワと登っていくと、正面が壁のようになっていて、左に入っていけるようになっています。そちらはまた登りです。壁の下のところにまた案内標識がありますので、左に曲がっていきます。

ちなみに右前方は下りになっていて、すぐのところに畑寺公園があります。ここには公衆トイレもあります。

左に登っていくと、すぐのところにまた右を示す案内標識があります。直進せず、右に曲がるのが正しい遍路道です。

なお、ここまでの案内標識と四国遍路 聖地巡礼のマップ*3は同じルートを示しています。

ここで、またちょっとやらかしてしまいました。右・左と曲がることが多く、また雨が降っていたということもあり、方向感覚が狂ってしまったのです。石手寺は西北方向のはずだ、と思っていたのですが、ここで右に曲がると感覚的に東の方に進むような気になってしまいました。

そこで、遍路道の案内標識に従うのをやめます。自分の勘を信じて、直進することにしました。道は緩やかに下っていき、左へとカーブしていきます。150メートルほど歩いて、県道40号線に出ました。

ここまで来て、ますます方向が分からなくなり、Googleマップを参照します。雨のため見にくく、よく分かりません。とりあえず40メートルほど南下すると「東雲女子大入口」という交差点に出ました。

ここでようやく自分が逆方向に進んでいることに気がつきます。実は遍路道は途中から県道40号線に合流するので、最初からでもここからでも県道40号線を北上していけば石手寺にたどり着くことができるのですが、自分の出たところが県道40号線だとは分かっていませんでした。

何しろ、県道40号線はこの辺りでは中央線すらなく、主要幹線であるということが分からないレベルだったのです。

もうこれはお手上げだ、と思った私は、結局遍路道の案内標識に従って進むことにしました。遠回りになっても確実にたどり着くことはできるでしょう。ちょっとした開き直りです。しかしそもそも、遍路道は遠回りにはなっていないのです。

「東雲女子大入口」交差点から190メートルほど来た道を戻り、遍路道の分岐点に戻ります。10分近く時間をロスしたでしょうか。おとなしく遍路道を北上していきます。

私が道を誤った分岐点から、住宅街を550メートルほど北に上がっていきました。結構豪邸も多いです。

最後はT字路になっていて、お弁当屋さんのところに出ます。遍路道の案内シールがあるので、左に曲がりましょう。50メートルほどで、県道40号線に突き当たります。合流地点の左右は墓地になっていて、「へんろ道」と書かれた石の道標も立っています。

県道40号線に出たら右に曲がり、北上していきます。後は県道を1.1kmほど歩いていくだけです。もはや何も考えなくても大丈夫です。

ただし、450メートルほどは道が狭く、歩道も実質的にない状態がつづくので、結構危険です。交通量も多いので、気を遣います。

途中から、黒い服を着た若者をずっと追いかけていく形になりました。彼も石手寺に行くのかな?と思っていたのですが、手前で姿を消してしまいました。

石手川を渡ると、へんろ橋の説明板がありました。時刻は8時37分です。

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※へんろ橋説明板

渡ってきた橋がへんろ橋です。

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※へんろ橋

こういった県道で、擬宝珠のある橋を渡るのは珍しいような気もします。

もう橋を渡ると、正面の山がとても近くなっています。そこが石手寺です。

8時40分、石手寺前の道路まで来ました。

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※石手寺前

県道40号線は、「遍路橋北交差点」から北が国道317号線になっています。130メートルくらいでしょうか。南から行ってその130メートルを過ぎると、石手寺前はT字路になっています。

信号を渡り、北側に回りました。

北側に回りお寺の敷地に入ると、参道がつづいています。屋根がある立派な参道です。

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※参道

左右には、お店が軒を連ねています。

石手寺は道後温泉からも程近いので、観光客も多く訪れます。また、結構世俗的なカラーが強いお寺でもあります。

参道にはネコが結構うろうろしています。ちょっとネコ臭いのが難点です。

山門の手前に、境内の案内図がありました。

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※境内案内図

歩き遍路なのでとても今回は回ることはできませんが、一度きちんと回ってみたいお寺です。

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※山門

この山門仁王門)は、国宝に指定されています。高さは7メートルもあり、鎌倉時代末期の文保2(1318)年に河野通継が建造したとされます。境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*4をご覧ください。

雨を避けられるベンチが見当たらず、とりあえず鐘楼の前のベンチで準備を整えました。雨はほぼ小止みだったように思います。

まずは本堂納経をします。本堂仁王門の正面奥にあります。本堂重要文化財で、鎌倉時代に建立されたそうです。

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※本堂

つづいて、大師堂へ行きます。大師堂本堂の右奥の方です。

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※大師堂

大師堂納経を終え、納経所へ向かいます。納経所は、本殿と書かれた向拝付きの立派なお堂の左側に付属しています。本殿の中には、太いローソクなどを購入して立てることができます。

子宝祈願に来ていた家族連れがいましたが、話を聞いているとどうやら和歌山から来られたようでした。

本殿の近くにある建物にも、重要文化財になっているものがあります。

袴腰の鐘楼鎌倉時代の終わり元弘3(1333)年に建立されたそうです。

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※袴腰の鐘楼

三重塔鎌倉時代に建立されたとのことです。

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※三重塔

四国八十八ヶ所の札所のなかには、町中の小さなお寺もありますが、ここ石手寺は西国三十三所の大規模寺院にも負けないくらい立派なお寺ですね。

トイレに行きたくなっていましたが、どこにあるか分からなかったので、もう出発することにしました。次の太山寺を目指します。

51番札所石手寺から52番札所太山寺まで

9時10分ごろに51番札所石手寺を出発し、52番札所太山寺に到着したのは12時ちょうどでした。Googleマップよりも30分近く時間がかかっています。しかし道がよく分からず、Googleマップを参照しながらだったので、仕方がないでしょう。

石手寺を後にし、まずは県道187号線を西に向かっていきます。Googleマップはいきなり北側の道を通ってしまっていますが、実際は石手寺前の交差点から県道を西に進んでいます。

交差点から160メートルほど進むと、右側(※北側)に太介といううどん屋さんがありました。9時12分です。k

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※太介

場所柄、お遍路さんを歓迎してくださっているようです。ワンちゃんのお遍路さんも可愛いですね。

この後、文芸界のビッグネームの句碑がつづきます。まずは正岡子規です。

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※正岡子規の句碑

「砂土手や 西日をうけて そばの花」と書いてあります。

つづいて、夏目漱石です。

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※夏目漱石の句碑

「御立ちやるか 御立ちやれ 新酒菊の花」とあります。52日間共に生活した正岡子規を送別するときに作ったそうです。

次は、高浜虚子です。

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※高浜虚子の句碑

「秋日和 子規の母君 来ましけり」と書いてあります。高浜虚子正岡子規の門弟で、子規の一周忌の句会で詠んだ句だそうです。

最後は、種田山頭火です。

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※種田山頭火の句碑

「分け入っても 分け入っても 青い山」とあります。

種田山頭火は1939年に四国遍路を行っていて、11月21日に松山入りしています。しかし、この句はお遍路で詠んだ句ではなく、大正15年に詠まれたそうです。

種田山頭火の句碑から170メートルほど進むと、左側に日切大師が出てきました。

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※日切大師

由来などよく分かりませんので、通過します。

ここを過ぎると右手に道後プリンスホテルや湯快リゾート 道後温泉 道後彩朝楽などの温泉旅館や、道後温泉病院などが出てきました。いよいよ道後温泉地域に入ったようです。

また、意外とお寺も多いですね。

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※義安寺

上の写真は義安寺という曹洞宗のお寺です。ここで9時21分でした。

義安寺の前から350メートル進むと、信号があります。左側が丘になっているので何だろうと思っていたら、戦国時代の大名河野氏の居城、湯築城跡でした。「信長の野望」というゲームでお馴染みのお城ですね。こんなところにあったとは。

この交差点から北側に向かいます。ここには四国の道の道標もあります。

60メートルほど北上したところで、左側を見ると見たことがある景色だったので、行ってみました。坊っちゃんのカラクリ時計前の広場でした。9時28分です。

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※坊っちゃんのカラクリ時計

ここは四国旅行で来たことがあります。すぐ西側から、商店街に入っていけます。

商店街を180メートルほど進むと、少し広いところに出ました。北西側が椿の湯という温泉施設になっているところです。実はここを右(※東)に行くと道後温泉本館に出るのですが、本館はどこだろうと思いながら、このときはそちらの方には進みませんでした。

Googleマップではここから北に行くことになっています。椿坂という坂を登っていく格好です。少し進みましたが、何か違うように感じ、椿の湯のところまで戻っていきました。

イメージとしては西に進むはずなんだけど……と、雨のなか一所懸命に地図を見ます。しかし、こうやってまごついている間に、だんだんとお腹の調子が悪くなってきました。

頭が回らなくなってきたので、とにかく意を決し、西に歩き始めました。すると、看板が目に飛び込んできました。

「みんなのトイレ」ということで、公衆トイレの場所を教えてくれているようです。椿の湯ロビーと書いてありますので、どうやら椿の湯のトイレを使えるようでした。地獄で仏とばかりに、椿の湯に入ります。受付のおじいさんにトイレをお借りしたい旨をお伝えし、中に入れてもらいました。

とてもキレイな建物で、トイレもキレイでした。ありがたいです。人心地がつきました。受付のおじいさんにお礼を言って、外に出ます。

さて、ここからのルートですが、もうGoogleマップにお任せすることにしました。最初のとおり、椿坂を登っていきます。

100メートルほど進むと、左に降りる道が出てきます。道後温泉ややというホテルの方へと向かう道です。9時44分でした。

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※道後温泉やや

そのまま道後温泉ややの前の細い道を通っていきます。すると最終的に県道187号線に出ますので、そこからはずっと西に向かって進んでいきます。

道なりに600メートルほど直進すると、道は松山市立湯築小学校の外周を回って北、西と折れていきます。道なりに進みましょう。するとすぐに県道20号松山北条線にぶち当たりますので、さらに直進していきました。

実は県道20号線はこの辺りでは南北に2本通っていて、湯築小学校の手前と向こう側を走っています。2本ある県道20号線は、珈琲館 蔵 祝谷店のところで1本に合流します。

なお、四国遍路 聖地巡礼のマップ*5では、この県道20号線を進んでいくルートも正規の遍路道となっています。おそらくこのルートの方が道は分かりやすいと思います。

私はGoogleマップ頼りで、県道20号線は2本とも横切って西に進みました。

2本目の県道20号線を過ぎてから200メートルほどで、右手に大きな神社が出てきました。愛媛縣護國神社です。時刻は9時58分でした。

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※愛媛縣護國神社

この辺りから大分雨が強くなってきていました。これまでは傘でしのいできたのですが、ちょっと限界です。そこで、護國神社でカッパを着ることにしました。どこか雨をしのげるところはあるでしょう。

ちょうど参集所という建物が休憩所のようになっていて、建物の壁沿いにベンチが設置されています。こちらをお借りして、カッパを着用しました。

やはりカッパを着ずにゴールできるなんていうのは夢だったようです。すでに5日連続でカッパを着ていましたが、これで6日連続になりました。

護國神社を出発して500メートルほど進むと、右に入っていく分岐点が現れます。ここを右に入ります。遍路道の案内標識もありますし、四国の道の道標もありました。

道は北西方面に向かっていきますが、松山大学の植物園やグラウンドの間をぬって進んでいきます。自転車に乗った大学生とも、何人かすれ違いました。

この松山大学の御幸キャンパスだけでなく、ここもお寺がつづきます。来迎寺正法寺法華寺などです。お墓とともに墓地もつづいていました。

最後の長建寺の墓地を過ぎると、また様子が変わってきました。用水を挟んで北側と南側に道が走っており、住宅などが建ち並ぶ町中になっています。

私は用水の北側の道を進んでいきました。下の写真は松山御幸町郵便局の北側のところです。10時19分になっていました。

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※用水沿いの遍路道

この辺の道は分かりやすく、歩きやすかったです。

松山御幸町郵便局から140メートルほど進んだところに古い道標がありました。

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※へんろみちの道標

上の道標は用水の南側にあったので、もしかすると正しい遍路道は南側の方なのかもしれません。

ここから西に110メートル進むと、国道196号線にぶち当たりました。「山越交差点」です。

ところが、ここでまた道が分からなくなりました。遍路道の案内標識も道標も見つけられなかったのです。

仕方なく、少し北へ進みます。最終的に太山寺に向かう場合、県道184号線を北上した方が早そうです。そこで、200メートルほど北上してから、一気に西へ進み、県道184号線に出ることにしました。

富士第一交通や松山タクシーといったタクシー会社の前を通り、ひたすら1.5kmを西に進みます。最後はコスモス久万ノ台店の南側を通り、県道184号和気衣山線に出ました。

今度は県道184号線をひたすら北上します。セブンイレブン松山西長戸店まで、1.2kmほど北上したら、セブンイレブンの北側の道を左に入っていきましょう。

左に入ると少し登りになっています。190メートルほど登り、今度は右に曲がります。

右に曲がったら用水沿いを北に600メートルほど進みます。すると、県道40号線に出ました。ここを左です。

左に曲がると県道40号線は次第に南へと曲がっていきます。私はそれを無視して、右の脇道に入り直進しました。

すると正面にJR予讃線の踏切と、諸山積神社が出てきました。ここで11時20分です。

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※JR予讃線の踏切と諸山積神社

ここには歌碑がありました。

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※五百木小平の歌碑

五百木小平という人の、「白芙蓉 か細く首の かたぶくに さらさら時の 流れやまずみ」という歌が書かれています。

浦戸踏切を渡り、諸山積神社鳥居前まで来ました。11時22分です。

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※諸山積神社鳥居

敷地内に青麻三光神社も併設されているようです。ここからは、正しい遍路道でも右折して北上することになっています。

ここから300メートルほど北上すると団地になります。団地の敷地内に四阿あずまやがあって、休憩することができます。私は休憩せずに進んでいきました。

四阿から160メートルほど北上すると道はT字路になっており、ここを左に曲がります。

さらに、左に曲がってから170メートルほどで右に曲がります。丘がそびえており、丘の東側を北上する形になります。この右に曲がるところには遍路道の案内シールが貼ってありました。

ここから290メートルほど北上すると、少し開けたところに出ました。姥ヶ谷池です。左上には墓地があります。

さらに300メートルほど北上します。すると歩道もある少し広い道に出ました。四国の道の道標もあります。この道もしばらく歩くと墓地がありました。この日の遍路道は墓地ばかり通っています。

広い道を260メートルほど進むと、左側にまた上がっていく道が出てきました。道標もそちらを指しています。ショートカットできますが、かなり細い道です。

この細い道を540メートルほど進むと、T 字路に突き当たりました。ここには常夜燈があり、道標も建てられています。

ここを左に曲がって道なりにしばらく進むと、県道183号辰巳伊予和気停線に出ました。二つの交差点が隣接して一つになっているような、変則的な交差点です。

なお、細い道に入らなかった場合は、もっと北側でこの県道183号線に合流します。

この変則的な交差点を西に入っていきます。130メートルほどで、太山寺一の門です。11時56分でした。

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※太山寺一の門

もう太山寺はすぐです。3分後、わずか230メートルほど先に二王門が出てきました。

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※二王門下

お寺的には、これは山門ではないそうです。しかも仁王門でもなく二王門とわざわざ表記されています。

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※二王門説明板

一の門に対し二の門という意味もあるのかもしれません。ちなみに二王門鎌倉時代の建立ということで、国指定の重要文化財となっています。

境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*6をご覧ください。

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※二王門

12時ちょうどに二王門に着きました。しかし、このお寺はここからが遠いのです。伽藍の中心部は、ここから570メートル先とされます。

二王門からさらに西に進みます。140メートルほどで、駐車場に着きました。お寺の奥行はまだまだあるのに、トイレはこの駐車場にしかありません。先にトイレに行っておくことにしました。

駐車場の写真を撮り忘れていました。

駐車場から70メートル弱進んだところに、納経所の入口があります。

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※納経所入口

右側が本坊になっていて、納経所もそちらにあります。

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※奥に納経所がある

納経所が思ったよりも麓にあるので、前年に車遍路で回ったときは、本堂などの参拝後に納経所を探すのに苦労しました。歩いてみると本当に離れています。八十八ヶ所の霊場では、本堂納経所の距離が最も離れているのではないでしょうか。

本堂まではまだ250メートルあります。しかもこの辺から結構急な傾斜になっています。

Googleマップでは270メートルほど進んだところが、突き当りになっています。右側に登っていく石段があります。

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※山門への石段

石段を登ると山門三門)です。すでに12時14分でした。トイレに寄っていたとはいえ、二王門から14分かかっているということですね。

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※山門

山門は、三の門ということでもあるようです。

山門をくぐると伽藍の中心部です。広々としたところに、いくつかのお堂が建っています。正面が本堂で、左側が大師堂です。大師堂本堂よりも少し上のレベルになっています。

大師堂に上がっていく手前の石段の左側に大きな四阿があり、ベンチが何台も並んでいます。テーブルもありました。そちらで準備を整えます。

まずは本堂納経をします。

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※本堂

実は本堂は四国八十八ヶ所霊所のなかでは2番目に古いもので、鎌倉時代末期の嘉元3(1305)年に建てられたそうです。国宝に指定されています。最古の本堂はどこだったかちょっと分かりません……。

私が納経していると子ども2人を連れた4人家族がやってきました。子どもは少し騒がしかったのですが、親はきちんとした方で私の参拝が終わるまで待ってくださっていました。

最後に上の大師堂納経をしました。

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※大師堂

納経を済ませた後、ベンチに座ってパンを食べることにしました。ここ最近はコンビニで買える6本入りのスナックパンを愛用しています。あとはバタービスケット的なものですね。お腹のことを考えるとしっかりとご飯を食べるのが怖いのですが、こういった消化のよいものなら安心です。

小腹が満たされたので、山を下りていきました。納経所へと向かいます。

坂を下っていく途中で白衣輪袈裟をきちんと着けた男性とすれ違いましたが、この男性は次の圓明寺でもお見かけしました。

本坊のところまで戻り、納経所に入ります。納経所の方は、年齢的にはおばさんと言ってよろしいでしょうか。しかしお化粧を念入りにされている感じで、つけまつ毛もしておられます。遠目には若いお姉さんと思ってしまいました。

さあ、この日の札所はあと一つです。圓明寺に向かいましょう。

52番札所太山寺から53番札所圓明寺まで

12時55分ごろに52番札所太山寺を出発し、53番札所圓明寺には13時24分に到着しました。Googleマップより少しだけ時間がかかっていますね。

二王門を出て、さらに一の門へと打ち戻っていきます。変則的な交差点までは同じ道を戻るだけです。案内シールや標識もきちんとあるので、問題ありません。

県道183号線まで出たら、北東方向に1.6kmほど進んでいけば圓明寺に着きます。途中、用地買収の関係で道が細いところが一部あります。こういうところは人間が一人歩いているだけで車が通れなくなってしまうので、ちょっと申し訳ない気持ちになります。

奥に圓明寺が見えてきました。13時23分です。

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※遠くに圓明寺が見える

13時24分、圓明寺に到着しました。

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※山門

先程の太山寺とは打って変わって、町中の小さなお寺となります。向かい側が駐車場になっています。

私が山門前に着くのとほぼ同時に駐車場に車を停められた方がいたのですが、その方はお寺には行かずにどこかへ行ってしまわれました。

このお寺は珍しいことに、門の意味をなさない中門があります。境内案内図や見所については、四国遍路 聖地巡礼のホームページ*7をご覧ください。

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※中門

中門をきちんとくぐり、本堂の軒下で参拝の準備を整えました。

まずは本堂納経をします。

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※本堂

つづいて大師堂へ行きます。このとき、太山寺で見かけた白衣輪袈裟着用の男性をお見かけしました。札所間の距離が短いと、車遍路と歩き遍路が次の札所でもニアミスするということがあります。意外と人間の足というのはすごいのですね。

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※大師堂

大師堂でも納経を済ませました。大師堂の左奥には、珍しいものがあります。

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※キリシタン灯ろう

キリシタン灯ろうと呼ばれるもので、隠れキリシタンが信仰のために使っていたとも言われています。しかしこの地に隠れキリシタンがいたのかどうかも含めて、実際のところはよく分かりません。

最後に、納経所へ向かいます。納経所は東側にあります。窓口にはお二人いらっしゃって、おじいさんと若いお姉さん(※こちらは正真正銘)でした。しかし自分もおじさんなので引け目を感じ、おじいさんに書いていただきます。無事に記帳・押印していただきました。

さあ、これでこの日の札所はすべて打ち終わりました。ホテルのある伊予北条へと北上していきましょう。

53番札所圓明寺からシーパMAKOTOまで

13時47分に53番札所圓明寺を出発して、シーパMAKOTOに到着したのは16時15分ごろでした。Googleマップよりは遅いですが、まずまずのペースだと思います。

圓明寺を打ち終わった段階でまだ14時前です。しかし、ここから11km先の伊予北条にあるシーパMAKOTOという宿まで行かなければなりません。ゆっくり行くと3時間くらいかかってしまいそうです。まあ、なるべく急ぎたいと思います。

ここからもGoogleマップに従って行きます。圓明寺の西側を北上するように示されたので、そちらに進みました。偶然ですが、これは正しい遍路道になっていました。

この道を400メートルほど北上すると、県道39号線と県道184号線が交わる「和気町1丁目」交差点に出ます。北東側にセブンイレブン松山和気町店があり、その北側の細い道を北東方向に進みました。

270メートルほどで、2車線の交通量の多い道路に出ます。ここは産業用道路のような感じで、工場などが多く並んでいました。馬木橋花見川橋を越えて進んでいくと、「堀江交差点」付近で県道347号線に出ます。後は、ひたすらこの県道を北上するだけです。

幸い、圓明寺を出発してから雨はほとんど降らず、気楽に歩いていきました。ところが、県道に合流してから1kmほど歩いたところで、雨が降り出します。しかも、急に強くなってきました。傘を差してしのごうとしましたが、傘では追いつかないくらいの雨にです。どこかでカッパを着用するしかありません。

ちょうどよろこびという老人向けのグループホームがあり、その軒下が少し広いスペースになっていたので、そこでカッパを着用させていただきました。急激な天候悪化にげんなりします。

何とかカッパを着用して出発します。ところが、よろこびの隣のラブホテル リバティを過ぎると左側におしゃれなカフェが出てきたではありませんか。電車を模した外装になっている、カフェトレイン ベイサイドです。

これは本当にタッチの差で、カッパを着ていなければ入っていたところでした。他の方のブログでお店のことも知っていましたし、お昼もパンをかじっただけでしたので、休憩してもよかったのです。

しかし、すでにカッパを着てしまっています。やはりびしょ濡れの状態でお店に入るのははばかられます。ですから、泣く泣くカフェトレイン ベイサイドをスルーすることになってしまいました。

結果論から言うと、これが大失敗でした。この後1時間弱は、この旅でも最も激しい大雨に悩まされたのです。もしベイサイドで1時間くらい休憩していたなら……。あれだけ濡れることもなかったでしょう。

まあ仕方ありません。人生とはタイミングなのです。

ということで、バケツをひっくり返したような大雨の中、県道347号線を北上していきます。歩道は海側にきちんと整備されていますが、車の交通量が多いのが問題でした。

どういうことかと言うと、車道に水溜まりができていた際、歩道にまで勢いよく水を撥ね飛ばしてくれるのです。実際、何回か水をかけられてしまいました。

そこで、明らかに大きな水溜まりがあったときには、車が通らないタイミングを見計らって進んでいくことにしました。ところが交通量が多く、なかなかいいタイミングが来なかったりします。そういうときは、本当に少しの隙間を見て走って進み、安全地帯まで避難するということを繰り返しました。車のドライバーから見たら、走っている変なお遍路さんがいると思われたでしょうが、皆さんに水をかけられないためなのです、と説明したかったですね。

小一時間くらいはこのような苦労をして進んでいきました。ベイサイドから1.4kmほど進んだところからは、県道は開けた町中に入っていきます。段々と雨もマシになってきました。普通の本降りくらいでしょうか。

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※粟井坂大師堂の少し手前から海を望む

上の写真はちょうど開けたところに入っていく少し手前で撮りました。14時48分です。この写真のポイントの少し北にある、粟井坂大師堂というところから町中に入っていきます。雨もマシになったので、写真を撮っているのでしょう。

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※粟井坂大師堂

この後はただひたすら歩いていっただけでした。町中でコンビニもところどころありますし、とくに困ったこともありませんでした。

しかしだんだんホテルが近づくにつれて、お腹の調子が悪くなってきました。それほどヤバイというレベルではありませんでした。前述のとおり濡れたカッパ姿ではお店に迷惑がかかるので、なるべくお店に入らずに済ませたいと思いました。もう、ホテルまで急ぐことにしました。

粟井坂大師堂のところから5.8kmほど進んだところに、セブンイレブン北条土手内店があります。ここがこの日の宿シーパMAKOTOの最寄りのコンビニです。

このセブンイレブンから北西方向に運河のようなものが延びているので、そちらの方に進みます。220メートルほどで、港に出ました。ここには四国の道の道標もあります。

ここから港の北端まで280メートルほど進むと、左側に宿が見えてきました。ここにも四国の道の道標がありました。ここで16時9分です。

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※奥に見えるのがシーパMAKOTO

この道標によれば、圓明寺から11.6km歩いてきたことになります。次の54番延命寺まではまだ23.9kmもありますね。

16時15分ごろ、何とか無事にシーパMAKOTOに到着しました。

歩きを終えて

シーパMAKOTOはホテルというわけではなく、温泉施設に宿泊設備も付いているという感じでしょうか。温泉だけの利用者と宿泊者の入口は分けられています。私は左側の宿泊入口に入りました。温泉の利用者は多いらしく、玄関辺りにも人が数名いらっしゃいました。

いきなり靴を脱がないといけないシステムです。靴下もびしょ濡れで申し訳ありませんが、仕方がありません。靴をカギのかかる靴箱に入れるようになっていたのですが、私は靴箱の上に置かせてもらいました。靴箱の中に密閉してしまうと、靴が乾かない恐れがあったからです。

フロントは豪快な女将さんのような方です。いろいろ説明していただきました。南道後温泉ホテル ていれぎ館から発送してもらっていた荷物を受け取ります。翌朝の発送についてもお願いしておきました。

ここはお風呂がメインの建物だからか、館内は裸足で歩くようになっています。じゅうたんが敷かれているので、気持ちはいいです。

私の部屋は2階でした。建物自体が2階までしかありません。端っこの部屋ですので、静かに過ごせそうです。

部屋に入って、ようやくトイレに行くことができました。まあこの日はギリギリという感じではなかったと思います。実は88番の大窪寺に行ったときは、かなりギリギリでした。

さて、部屋は畳です。自分で布団を敷かないといけないそうです。まあそれは構わないのですが、ちょっと気になったことが。やはり館内を裸足で歩くからでしょう、髪の毛が部屋の中に結構落ちています。これは私が入ったときからそうでしたので、清掃をされた方が持ち込まれた髪の毛だと思います。とりあえず気づいた範囲で掃除しておきましたが、ここは残念なポイントでしたね。

同じ畳の部屋でも、岬観光ホテルは髪の毛1本落ちていませんでした。岬観光ホテルが、ホスピタリティといったサービス面に力を入れていることもあるでしょう。あとは単純に館内でスリッパを使うかどうかという問題だと思います。シーパMAKOTOもスリッパ履きにすればかなり改善されるでしょう。

夕食は宿のレストランで食べることにしました。しかし、翌日の朝食を買っておかないといけません。女将さんにうかがうと、何と最寄りのコンビニは来る途中に見たセブンイレブンだそうです。Googleマップだと700メートルもあります。

そこで、そこよりは近そうなフジ北条店に行くことにしました。愛媛県に入ってから、フジ率が非常に高くなってきました。

雨はほとんど止んでおり、気楽に歩いていけます。4人の家族連れとすれ違いましたが、シーパMAKOTOに泊まっているのでしょうか。途中、美容室の前ではおばさんがネコにエサを上げていました。平和な風景です。

フジ北条店は新しくてキレイです。いつもと同じようなパンを朝食として購入しました。

部屋に戻ってからも少し時間があったので、一度お風呂に入ることにしました。何と、この宿は各部屋に温泉が付いているのです。しかも、岬観光ホテルの大浴場並みの大きさです。オーシャンビューですし、申し分ありません。

お風呂の後は、レストランに夕食を食べに行きました。レストランは1階にあります。どうやら宿泊者以外の方も利用されているようで、結構混んでいます。私は鯛めし定食700円とじゃこ天430円を頼みました。いずれも松山名物ですね。おいしかったのですが、じゃこ天が結構油っこく、全部食べ切れませんでした。翌日のお腹に響かなければいいのですが……。

洗濯機と乾燥機は1台ずつ、フロントの前に設置されています。ここでも競合者はなく、のんびりと使うことができました。乾燥機をかけてから1時間後に見に行ったところ、まだ乾燥機は動いています。何と、一度止まってしまったのをフロントの方が再度動かしてくださったそうです。この辺のアットホームな対応はうれしいですね。アバン宿毛とは大違いです。

ちなみに宿泊客は温泉施設も利用できるのですが、私はやめておきました。部屋のお風呂も温泉ですし、一人で入るには十分な広さだったからです。コロナウィルスが流行っている時期でしたし、なるべく人との接触を避けようと思ったのでした。

翌日は20km以上歩いて今治に入ります。2か寺打つ予定でしたので、予習をして就寝しました。

歩き遍路振り返りデータ

歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は1日に500mlのペットボトルを6~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円以上は軽く超えていました。ただ、この辺りでは雨天が続いており、1日3~4本の消費に減っていたと思います。

札所情報

札所:4か寺

納経代:1,200円

大師納経代:1,200円

宿情報

シーパMAKOTO

通常浴室付和室6畳(ビジネスシングルプラン)

宿泊費:6,620円

室内に冷蔵庫・バス・トイレあり

WiFiあり

大浴場あり(温泉施設)。室内浴室も温泉

洗濯機・乾燥機あり(1台ずつ)

洗濯代300円、乾燥代300円

アクセス:JR「伊予北条駅」から徒歩約10分

コンビニ:徒歩9分

比較的キレイで温泉はすばらしい(らしい)。部屋にもそこそこ広い温泉が付いている。スタッフの対応は気さくでアットホームな感じ。館内は裸足というのが賛否分かれるところか

バス情報

行き:なし

帰り:なし

距離と歩数

ASUS VivoWatch BP(HC-A04)

カロリー:4,546kcal

距離  :33.0km

歩数  :47,737歩

スマホアプリ

歩数  :51,976歩

 

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最終更新:2022.1.16