西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

四国八十八ヶ所 第2番札所 極楽寺 ~極彩色の仁王門 安産大師と後光が照らす阿弥陀さま~

極楽寺境内

四国八十八ヶ所の第2番札所は、日照山にっしょうざん無量寿院むりょうじゅいん極楽寺ごくらくじです。1番札所からも程近く、お遍路初心者にとってもお参りしやすい立地といえます。一方で霊験はあらたかであり、地域に根差したお寺でもあります。

極楽寺の巡礼情報

極楽寺は、四国八十八ヶ所の第2番札所となっています。1番からは約1km、3番へは約3kmということで、この辺は札所が固まっています。それにもかかわらず、各札所はそれぞれが個性的であり、とくにこの札所は安産や大漁祈願でも知られているようです。

極楽寺の縁起

極楽寺の成立縁起は、極楽寺のホームページに記載されています。

www.ca.pikara.ne.jp(2023.8.28)

ただ、同一ホームページ内の複数の箇所に、別の縁起も掲載されているなど、やや固まっていないところも見受けられます。そこで、総合した縁起を掲載しておきます。

 

極楽寺の開基は行基菩薩とされています。 後に弘法大師が四国巡錫じゅんしゃくの際、極楽寺にて二十一日間にわたり、阿弥陀経を読誦どくじゅし修法されました。 その結願の日に阿弥陀如来がいずこからともなく現われ、大師にお言葉を賜ったとされています。 大師はそのお姿を忘れないうちにと、ただちに刃をとって、阿弥陀如来を刻みはじめ、十日ほどで完成させ当寺のご本尊としてお納めしたということです。

ところが、弘法大師が刻まれた阿弥陀如来のご本尊があまりにも霊験があったため、後光が鳴門の長原沖まで達し、漁業に支障を与えたそうです。そこで漁民たちは悩んだ末にこの光をさえぎろうと本堂の前に小山を築いたところ、それからは大漁が続いたということでした。「日照山」の山号もそれにちなんでつけられたと云われています。

ちなみに弘法大師極楽寺に留錫中、難産に悩んでいた難波の女性が、大師加持祈禱により、無事に出産されました。非常に安産だったということから、女性はお礼に木彫りの大師像を奉納し、以後は安産祈願のお寺として多大な信者を集めることになりました。

時代は下り明治の頃、大阪住吉に住み難産に悩む婦人が妊娠したので、やはり安産祈願を受けたところ、ある夜、夢の中に弘法大師が出現し四国遍路をすすめられたそうです。そこで発心して讃岐まで巡拝し、ここ極楽寺までくると急に産気づいたのですが、 大師より最後まで巡りつづけよとのお告げがあった途端に産気がおさまってしまいました。 その後何事も無く結願し、帰宅した後に男子を無事に出産することができたということです。 霊験を得て無事出産し感激した婦人は、大師堂の前に安産大師像を奉納しました。 これが現在、境内に安置せられる安産修行大師像だということです。

 

うーん、1番から3番までは札所の位置関係も近いですが、すべて行基開基というのはちょっとおかしいですよね。対抗意識からどちらが古いかを突き詰めていった結果、行基開基で痛み分けになったのでしょうか。何しろ、行基に関する縁起に具体性がなさ過ぎますよね。

弘法大師関係の縁起では、このお寺の縁起には二つの構造が見られます。一つは、弘法大師の安産に関する霊験と、もう一つは、弘法大師お手製の阿弥陀如来像の後光に関する霊験です。

そして、安産に関する霊験はどうも弘法大師時代のお話と明治時代のお話がごっちゃになって、別々のお話にされてしまっているように思います。元々は一つのお話だったのかもしれません。

民俗学者の五来重さん*1は、以下のように書かれて、このお寺の縁起を考察しておられます。

おそらく村の人々のいい伝えとおもいますが、漁師が大漁祈願にやってくる阿弥陀堂があって、弘法大師が阿弥陀経を読んでいたら、本尊が現れたという寺伝があります。弘法大師の刻んだ本尊をまつったところ、その発する光は鳴門の沖までも照らして、そこで大漁があったというのが漁民信仰の阿弥陀如来です。

ここでは小山を築いたという話がふまえられていませんが、阿弥陀如来と漁民の信仰については、こうだったのではないかと想像できます。

一方で、江戸時代の前期においては、まだ霊場として体裁がそれほど整っていなかったのではないかと窺える史料があります。

それが承応2(1653)年に澄禅が著した『四国辺路日記』です。残念ながら寡聞にして原文を見ることができません。ただ、高野山大学密教文化研究所受託研究員の柴谷宗叔(※彼は同時に「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会役員でもある)の論文「澄禅著『四国辺路日記』を読み解く――札所の様子を中心に――」*2を「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会のホームページ「ヘンロ小屋だより」*3で見ることができ、『四国辺路日記』の内容を断片的に見ることができます。よって、この論文記事から引用させていただきます。

極楽寺、本堂東向本尊阿弥陁、寺ハ退転シテ小庵ニ堂守ノ禅門在リ。

すでに「極楽寺」という名跡であったことは分かりますが、お寺が衰退していたことが分かります。小さな庵に堂守のお坊さまが住んでいたということでしょう。しかしそれでもすでに漁民の縁起が知れ渡っていたのか、澄禅はここを参拝しているわけです。

極楽寺の見所

極楽寺の見所をご紹介します。

仁王門

※仁王門

極彩色の仁王門です。二間一戸の楼門で、入母屋造で本瓦葺きの鉄筋コンクリート製の山門として1973年に再建されました。

仁王像は寄木造で像高がともに約110cmで、江戸時代の作だとされています。

子授招福大師

※子授招福大師

稚児を抱いた、弘法大師さまの石像です。子授けに霊験があるとされます。

鐘楼堂

※鐘楼堂

1973年に再建、鋳造された鐘楼堂梵鐘です。檀家や全国の信徒の方々のご寄進により、世界平和、先祖の菩提供養といった願を込めて安置されました。

観音堂

※観音堂

阿波西国観音霊場の第二十一番札所となっています。本堂への石段の向かって右に位置しており、宝形造、本瓦葺きの三間四方のお堂で、非常に均整のとれた美しい姿をしています。江戸時代中期に建てられたと考えられるということです。観音堂には千手観音菩薩が祀られています。

薬師堂

※薬師堂

阿波北嶺薬師霊場第11番の札所となっています。三間四方の宝形造で本瓦葺き、繁垂木、柱は面取りの角柱で舟肘木で桁を受けています。本堂よりも古く、おそらくは江戸時代末期の建立と考えられているということです。

薬師如来像は立像で、左手を垂下していますが、五指を軽く曲げ薬壷をとり、右手は屈臂して五指を伸ばし、中指・薬指は先端を軽く曲げている、とのことです。像高は93.5cmで寄木造であり、室町時代ごろの作だと考えられているそうです。

長命杉

※長命杉

伝承では、弘法大師がこのお寺にて阿弥陀経の修法を二十一日間終えられた後、この木を手ずから植えられたとされます。樹高は30メートル以上にも及び、幹の周囲も6メートルを越えています。少なくとも樹齢は1,100年を超えているともされ、「大杉」の名で鳴門市の天然記念物に指定されています。紅白の紐を通じて霊気を受ける作法となっています。

本堂

※本堂

極楽寺長宗我部軍の侵攻を受けており、その際、本堂は焼失したとされます。真偽は定かではないそうですが、現在の本堂江戸時代前期の万治2(1659)年に蜂須賀光隆公の援助により再建されたとされています。

ご本尊の阿弥陀如来坐像は秘仏で、国指定の重要文化財となっています。

安産大師

※安産大師

縁起に登場した明治時代の大阪住吉に住んだ婦人が奉納したとされる、修行大師の像です。

大師堂

※大師堂

境内の最も奥にあるのが大師堂です。本堂大師堂は、石段を44段上った伽藍の最も高いレベルにあります。

極楽寺のご詠歌

ご詠歌とは、四国八十八ヶ所の各霊場の特色を五・七・五・七・七の三十一文字で分かりやすく詠んだもので、民衆に各霊場の特色を分かりやすく教える意味合いがあります。

ごくらくの みだのじょうどへ ゆきたくば

 なむあみだぶつ くちぐせにせよ

(極楽の 弥陀の浄土へ 行きたくば
   南無阿弥陀仏 口ぐせにせよ)

漢字表記は一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会のホームページ*4によります。

 

このご詠歌も、表面上の意味通りにとれそうです。阿弥陀さまの極楽浄土へ行きたいならば、南無阿弥陀仏を口癖にしなさい、ということでしょう。

どうやら四国八十八ヶ所のご詠歌の方が、より民衆に根差した平易な言葉で書かれているように思います。西国三十三所の場合は花山法皇の作ではなかったとしても、掛詞などが結構使われていました。

極楽寺へのアクセス

極楽寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

www.ca.pikara.ne.jp(2023.8.28閲覧)

公共交通機関

JR「鳴門駅」から徳島バス「板野駅南」行に乗車、「二番札所前」下車すぐ

(「鳴門駅」から約50分)。

お車

高松自動車道「板野IC」から県道12号線を東に約5分。

駐車場あり。約40台。無料。

極楽寺データ

ご本尊 :阿弥陀如来

宗派  :高野山真言宗

霊場  :四国八十八ヶ所 第2番札所

     阿波北嶺薬師霊場事務所 第11番札所

     阿波西国観音霊場 第二十一番札所

所在地 :〒779-0225 徳島県鳴門市大麻町檜字段の上12

電話番号:088-689-1112

宿坊  :なし(※2019年で営業を終了)

納経時間:7:00~17:00

拝観料 :無料

境内案内図

www.ca.pikara.ne.jp(2023.8.28閲覧)

上記サイトに案内図があります。

南坊の巡礼記「極楽寺」(2020.7.23)

霊山寺の駐車場にもどり、車に乗り込みました。菅笠輪袈裟白衣などもいったん外します。

15時10分くらいだったでしょうか。駐車場を出発し、極楽寺を目指します。すると、1つめの交差点で道の駅 第九の里の案内標識が出てきました。道の駅は結構好きで、いろいろなところに行っているので、今回も寄ってみる計画でした。右折し、道の駅 第九を目指します。

右折してから500メートルほど、高松自動車道の高架をくぐってすぐに道の駅 第九に到着しました。ただ、それほど興味をそそるものはなかったように思います。仕方なくトイレだけを済ませ、飲み物を購入して再度出発しました。

県道12号線に戻り、600メートルほど走ると、右側に2番札所極楽寺の案内板が出てきました。右折して、駐車場に入ります。

15時30分、極楽寺に到着しました。ここも山門の前と脇に大きな駐車場が広がっています。

山門脇の砂利の駐車場に車を停め、車内で参拝の準備を整えました。

仁王門をくぐり、境内に入ります。ここの境内は少し変わった形をしていて、仁王門から右奥に境内が伸びていっている感じです。また、初めてきたため本堂大師堂の場所が分からず、最初は薬師堂観音堂で参拝しようとしてしまいました。もちろん、参拝してもいいのですが、ローソクと線香を消費してしまいます。

ふと気づくと、薬師堂の右側に少し長い石段がありました。そこを上っていきます。すると正面にすぐ本堂がありました。まずは、ここで本来のお遍路としての参拝を行います。つづいて、本堂の右奥にある大師堂へと向かいました。ここでも、きちんと納経を行いました。霊山寺よりは人が少なかったため、少しはやりやすかったように思います。

つづいて、納経帳掛け軸に記帳・押印してもらわないといけません。納経所へと向かいました。このお寺の納経所は、仁王門をくぐってすぐのところにある本坊のところです。

ここでは、若いお坊さまに記帳・押印していただきました。ここで、お坊さまに非常に大切なことを教えていただきました。実は、私はまだまだ素人で、菅笠の向きにはまったく気を遣っていなかったのです。それを、お坊さまが「梵字のところが前に来るように」と教えてくださったのでした。こういうのはやはりツアーなどで、先達の方に教えていただかないと分からないですよね。

ちなみにこの段階では、私はさらに2つ間違いを犯していました。簡単に言うと、輪袈裟の表裏が逆になっていたことと、輪袈裟止めの上下の向きが逆になっていたことです。すべて、素人がゆえの過ちです。

ここでは、私が自らドライヤーを使って掛け軸を乾かしました。霊山寺の方の真似をして熱風を一か所に強く当てすぎないように、しかし早く乾くように当てていきました。ドライヤーの熱で掛け軸がダメになってしまうこともあるらしいので、これは結構デリケートなのです。

これで無事に極楽寺の参拝も終了しました。すでに時間は16時に迫っています。参拝できるのはあと1か寺くらいでしょうか。事前の情報では、歩きでも第6番札所の安楽寺くらいまでは行けるということでしたので、3番までしか行けないというのはちょっと不本意です。しかしまあ仕方ありません。

ということで、次のお寺、第3番札所金泉寺へと向けて出発しましょう!

*1:五来重『四国遍路の寺 下』角川書店(1996)

*2:「高野山大学密教文化研究所紀要」第24号 高野山大学密教文化研究所(2011.2)

*3:「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会ホームページ「ヘンロ小屋だより『論文』」2023.8.28閲覧

*4:一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会ホームページ「各霊場の紹介『第二番』」2023.8.28閲覧